2001年10月10日(水) |
県教委からの訪問の日 |
国語科と理科には授業参観も予定されているということで、他教科から同情され、 先週すでに10年以上ぶりに指導案らしきものを書かされ、多少は気が重かったが、 指導案はほんの30分くらいの間に書き殴って出してしまったし、 きょうも参観などよりも、時間内に試験範囲を終わらせることに専念した。 そんなことにそう神経使ったってしょうがないし、 参観されたって、ふだんのまんま授業するしかない。 それにしても、試験の前日なんかに来るものだから、 そんな日に来ることにしておきながら、自習はいかんと強く要請されるものだから、 生徒にもちょっと無理させることになってしまった。 このあたり、もうちょっと融通きかないものか。。。 迷惑な話である。 このために、授業に行っている全クラスにわざわざその教材を差し込んだのである。
おまけに、国語科での「指導助言」、運営委員会での「指導助言」なるものに、 午後の2時間参加させられてしまい、試験問題の仕上げの時間を奪われた。 もちろん、そのために午後の授業を午前中に移動されたのである。 まったくもって迷惑な話である。
この日のために、先週、質問状を提出しておいた。 1日の必修授業拘束時間を5時間とし、その後自由選択授業とする私案について、 それが認められないものであるなら、その理由説明を求めたのだった。 国語科の時間にはその話はまったく出なかったので、 次の運営委員会の前に教頭に確かめたら、質問状は渡してあるという返事だったので、 そこで出るかと思ったら、まったく無視されていた。 教頭が閉会宣言をしようとするので、それを遮って質問せざるを得なかった。 質問状を提出してある旨をまず説明したけれど、 県教委からの客はいぶかしげな表情をしていた。。。 どういうことだこれは??? と思ったけれど、とにかくまず説明するしかない。 口頭で手短に説明できる考えではないので質問状を書いて渡したのに、 それを、時間に追われるように手短に説明したって真意が伝わるわけがない。
県教委の答弁はこうだった。 学力低下を防ぐため、また、学校によって帰宅時間が異なっては問題になるため、 一昨年から教務主任会議で、週30時間以下にならないようお願いしている。 国の最低基準は3年間で74単位でも、その運用については県で定めることになっている。 県で定める週30時間の方が絶対だと思って欲しい。。。
これが、2度3度のやりとりの中で明らかになった答弁である。 さらにもっと突っ込もうとしたのだけれど、うち切りたい様子がありありなので、 「もう少し勉強してみます」と答えて、その場は引き下がるしかなかった。 とても「わかりました」などと答える気にはなれなかった。 そして、体裁繕いのごまかしと詭弁に過ぎないことを確信したのだった。 今後、どう闘って行くかを考えなければならない。 やっぱり、分会の理解を得られるなら分会と相談しながら進めるしかない。 井戸端会議的な賛同者を何人か得たところで、現実化は難しい。 10年前、私が単独で始めた運動に、 組織的な協力を得てやっとの思いで困難な問題を実現できたからこそ、 あの後、志を曲げて組合活動に参入したのではないか。
まずは明日、質問状の行き違いがどのように起こったかを、教頭に問い質さなければ。。。 もしも、伝わっていながら黙殺しようとしていたのであれば、許さない。 彼らがいかに自分たちの政策に弱みを持っているかを露呈しているようなものだ。
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