TENSEI塵語

2001年10月16日(火) テレビドラマと映画

日曜日から3日かかって「ロンバケ」第2回から最後まで見直した。
DVDが出ているなら、「やまとなでしこ」の時のように「再発見」を書きたい。
でも、この目の前のテレビデオは性能が悪くて、取材が大変厄介である。
せめて、返却前に、もう1度第1回から見直しておきたいものだ。

概して映画よりもテレビドラマの方に惹かれるというのも、変な気がする。
費用からいっても労力からいっても、映画の方がレベルが上、という先入観のためか。。。
テレビドラマなどは所詮はお茶の間の慰みものという先入観もある。
そりゃあ、「ベンハー」のような映画を見てしまうと、映画崇拝もしてしまうけど、
この半年を見る限り、テレビドラマの方がハマる確率が高い。
考えてみれば、映画製作者よりも、テレビドラマ製作者の方が立場がつらい。
映画だってヒットさせるのは大変なことだろうけど、
それ以前に、映画の観客は1度座ればたいていは最後まで見てくれる。
評判を聞きつけて券を買ってくれるまでが最大の勝負なのである。
それに対して、テレビドラマは、つまらなければ次回続けて見てもらえないだけでなく、
いつチャンネルを変えられるかわからない。
だから、常に視聴者との勝負を迫られて作られているのである。
逆に言えば、私などはドラマ製作者の引きつけたら放すまいとする手管に
まんまとひっかかっているとも言えるだろう。


第9話でもっとも泣けるのは、南が1週間の秘密の練習の後、
ピアノを棄てようと決意している瀬名の前で不器用にピアノを弾いている場面。
第10話でもっとも泣けるのは、コンクール予選の演奏場面。
回想シーンが入るので、これにやられる。
また、ソファに寝そべった南が電話で瀬名のピアノを聴いている場面。
最終話は、コンクール最終選考の演奏場面。回想シーンももちろんだが、
合間に何度も大写しになる智ちゃんの顔が何とも魅力的。
こういうホールでの演奏シーンというのは、現実とのギャップができすぎて
少々安っぽくなりがちだけれど、ドラマではその状況自体よりも、
そこまでの過程がものをいうし、それを意味深くさせているのが南の表情なのだ。
そうやって、少々ムリのある場面をさまざまな要素でカバーしてできあがるのが、
ドラマ作りというものの奇跡なのだ。(だから映画「砂の器」も重宝せざるをえない)
もちろん他にもいい場面はいくつもあって、気の利いた脚本のおかげである。


 < 過去  INDEX  未来 >


TENSEI [MAIL]