TENSEI塵語

2001年10月28日(日) トレーナー解任の日

混成バンド練習会の最終日だったが、きょうは本番指揮者が来てくれたので、
私はいざという時の相談役で、ただ歩き回って時折指示するだけでよかった。
そういう点では楽な日のはずだったのに、ゆっくり眠る日がなかったせいか、
今夜も夕食後、あまり意識ないままに変な時間に眠ってしまった。。。

例年のことであるが、非常に正直な感想を言えば、
この日私は、それまで気づかなかったことを発見させてもらうこともある代わりに、
これまで作ってきた音楽を、つまらなくされているという思いに苛まれるのである。

ここ3、4年は、そういうものだと最初から割り切っているので、
これまでの練習も、この効果は半減するかも知れないと思いながら、
時には、アラルガンドなど必要以上にオーバーにやらせて楽しんだりしているけれど、
最初のころは、この日が来ると、予想外の展開にいたく落胆したりしたものだった。
そこ、そんなにあっさりやらないでよ〜、と身を切られるような思いをしたこともある。

プライドの高い人間なら、もうあんなヤツには本番を頼まない、と言うところだろうが、
私にはそういう意味での誇りはないので、このシステムを歓迎して維持してきたし、
他の役員が指揮者を変えようと提案しても、変えさせないで今まで続けてきた。

私にプライドがないのは、私が自信をもって主張できるのは、
音楽は心だ、という一点だけで、その他の専門的なところになると、
確実なものは何も持っていないからである。
私の音楽的な知識は、さまざまな演奏を聞いて、楽譜を見て、
そのくり返しの中で体感してきただけのもので、教えられたものは何もない、
だから、プラトン的に言えば、思いこみか、憶測程度のものに過ぎないのである。
早い話が、「音楽は心」に先立つ部分についての認識が弱い。
だから、心の高揚とか、しみじみ、ジワジワ、、、という点では人の演奏を批判するけど、
それは客観的な善し悪しではなくて、好き嫌いでしかないと思うのである。

また、指揮者を変える提案の中には、本番も私が振ればいいという意見が強かった。
そうすれば、大金を放出することもなく、組織運営も楽になるのである。
けれども、そればっかりはご勘弁を、と辞退し続けてきた。
本番指揮者に多少なりとも文句があるなら、自分でやればよさそうなものだが、
そうしなくてもよいから、気楽に無償でトレーナーをやっていられるのである。
練習時間がたっぷりあって、失敗の恐れも少なく、十分に意志疎通できているなら、
自分が本番を振れないことを口惜しく思うだろうが、
もしも今の状態で来週の本番で振れと言われたら、
私は1週間の間胃がキリキリ痛み、毎晩不眠に悩まされるのである。
技術的に確かでない寄せ集めバンドは、所詮単なる寄せ集めである。
10年前ごろ、何度か合同演奏会で合同演奏の指揮をして、
合同バンドのステージはもうこりごりだと思った。
ところが、プロが振ると、そこにさまざまなプラス要因が働くのである。
肩書きの力だけでなく、やっぱりステージでの振る舞いが堂々としている。
私などが振ってしまうと聴衆が聴いたままの演奏に終わってしまうけれど、
彼に振ってもらうと、そこに多くのプラス効果が加えられるのである。
そうして、毎年、たいへん危なっかしい演奏をしているにもかかわらず、
よく懲りることなく引き受けてくれているものだと、感謝さえしているのである。


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