きょうは市吹の団員の結婚式で、披露宴のスピーチを頼まれていた。 何もしなくて済む出席するだけの披露宴は気楽でいいが、なかなかそういうことはない。 前回の団員の時には、「何もしなくていいんだろ?」と先手を打って 楽ができたので今後はそのつもりでいたのに、今回は先手を取られてしまった。 2カ月前に言われたこのスピーチ依頼が、ずっと頭の片隅に引っかかり続けていた。
きょうの新郎の方は10年近く前に入団してきた団員だが、 新婦の方は、部活の生徒だったのが団員としても続いているという関係なので、 一応、団の仲間ということよりも新婦の恩師という立場で招待されていた。 だから、話の主体は新婦側のエピソードにして、新郎のこともほめなきゃいけない。 数年前に「今つき合ってます」の報告を受けたときのことと、 吹奏楽部に入らなかったらこういう出会いはなかったことと、 この2つで何とか話をまとめればいいだろうと、漠然と用意はしていた。
こういうことがあると、たいてい私は漠然と話題は用意していても、 前日になってメモ書きを作るのに焦ってしまってそれができず、 当日の朝になって困り果てることがよくあった。 教室で生徒に話をするのとはわけが違うのである。 メモを作った上で、それを見ながらしゃべるのでなく、 そのメモだけは覚え込んで、話の順序にするだけなのだが、 その兼ね合いをうまくやらないと、場所が場所だけに混乱してしまって、 自分が何をしゃべっているのかわからなくなって、収拾に困る恐れがある。 たいていは何とかなってしまうものだけれど、心配である。 もうひとつ大事なのは、ところどころに笑いを取るところを考えておく必要もある。
今回は、今までの反省も踏まえて、2日前に、何と、原稿を書き始めてみた。 画期的な取り組みである。 ところが、なかなか言葉が出てこないのである。 この1日目の試みは結局半分くらいしか達成できずに終わってしまった。 で、昨日再挑戦をして、何とか一通りの原稿は書き上げたのである。 そして声に出してみて、くどいようなところは書き直すのはいいにしても、 読むのはどうしてもまずい、暗唱してしまうのもまずい、 どうしても棒読みまたは朗読調にならざるをえないからである。
朝、出かける前に、まだ祝儀の方の準備をしてないことに気づいた。 原稿にもう2、3度目を通したりしていたので、それにばかり気が行っていたのだ。 いろいろ準備して完璧なつもりだったが、出てからケータイを忘れたことに気づいた。 不便もあるかも知れないが、取りには戻らなかった。
バスに乗っても電車に乗っても、こういう時は本などいらない。 頭の中でスピーチのリハをしていれば、いつの間にか名古屋に着いてしまう。 ところが困ったことに、頭の中のリハなどというものはとりとめなく、 言葉の断片が次々に浮かぶばかりで、なかなかつながらない。 これが不安と緊張のもとになるわけである。 その時が近づくにつれて、言葉の断片の間の空白が膨らんでいって、 いったい何を話すはずだったかもおぼつかなくなる。 本番に真っ白になってしまったらどうしよう、などとも恐れるわけである。 会場に着いて仲間と会って、冗談言って笑うのも口と心をほぐすのに大事だけれど、 時には別行動をして、一度メモを読み返したり、頭の中でリハする必要もある。
きょうの披露宴では、乾杯後からスピーチに入るまでがやたらと長かった。 司会者が、1番最初ですからよろしくと挨拶に来て、 それから歓談時間がしばらくあって、それから司会の声が聞こえたけれど、 しばらく祝辞の披露があって、それからまた歓談時間になった。 ビールはちびちび飲んでいたけれど、とても食べる気にはならない。 本当に前に出てしゃべらなきゃならない時間が来るような気がしないのだけど、 今すぐそこにその空白の時間が口をあけて待っているようにも思われる。 昨日、11月22日はいい夫婦の日、なんて話をラジオで聞いて、 この、きょうは使えないネタを、じゃあ23日はいいお二人さんの日だ、 なんてつまらん枕を本当に採用しようかどうか、ますます迷ってしまう。 メインの話も、どこまで話すか、ちゃんと結論がうまくまとまるように思い出せるか、 何もかもにさまざまな迷いが生じてくる。 しかし、表面上は同じテーブルにいる卒業生たちや団長夫婦と冗談言い合っている。
ついに祝辞開始前言があり、名前が紹介された。 わかっていても、ひゃ〜〜、ホント? どうしよー、と立つのに度胸がいるものである。 でも幸い、新郎新婦の席に集まって写真を撮っていた20名近い団員たちが、 席に戻りながら囃し立ててくれたので、落ち着いて始めることができた。
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