遅起きして、ほぼ日課のようになっているHP回りをしていたら、 「安楽への全体主義」について、「カラマーゾフ」の「大審問官」を引用して 日記に書いていた橋本さんが、北さんちにこんな悪口を書いていたので、 思わずクスクスしてしまった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− tenseiさんがはまっている「ロンバケ」、昨日も借りることが 出来ませんでした。しかし、tenseiさんがこういうものにはまっているのも、 いささか「安楽への全体主義」ではないのかな? −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
しかも、これをこっちに来て書かずに、向こうで書いてるもんだから、 陰口っぽい感じがして、いっそうおもしろかった。 確かに世評で安易な世界と思われがちな分野に夢中になっていることは 常々認めてはいるけれど、その一方で、こういうドラマを見ながら、 自分流の感性を細かく働かせていることも自負するところなので、 こんな返事を書いておいた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− しばらく談話に参加しないでいたら、こんなとこで陰口たたかれてますね。 まあ、確かに、「大審問官」に比べたらうんと安易なものに走ってますからね、 返す言葉はありません。 それに、この悪口を読んでもムカッとしたわけではなくて、 職員室で昼食取りながらこう言われたら、大笑いして受け流したでしょうね。 〈安易なもの〉に心奪われていることは確かなので、大っぴらには話題にしていない、 基本的にHP上でしか「ロンバケ」にハマッている話はしていないのです。 この点、自分の内と外とでは、だいぶ態度が違っています。 つまり対外的にはそういう〈負い目〉みたいなものを感じながら、 精神的には、今までにハマッてきたいろいろなものと同じなのです。 太宰の小説ばかりくり返し全部読みまくった時とか、 「御伽草子」や「斜陽」については何十回も読み返して論文書いたり、 マーラーの音楽を狂ったように聴いて感想を書き殴ったり、 プッチーニの「トスカ」をくり返し聞いてオペラの舞台に憧れたり、 「ベンハー」を10回以上見てさらに手に入れずにいられなかったり、 ・・・まぁ、きりがありませんが、広隆寺の菩薩様への気持ちとも同じですよ。 哲学を熱心に勉強していた頃とも同じです。 どういう点で共通するかというと、 自分の目や耳でとことんいいところを見つける楽しみ、みたいなものです。 実際、くり返し向き合う中で新たな発見や感動もあり、 また、そういう期待が、もう1度、もう1度とそこへと向かわせるわけです。 ただ、「やまとなでしこ」も「ロンバケ」も、何て言ったって 世間ではトレンディードラマに過ぎませんから、 橋本さんや北さんが、こいつ大丈夫か、とハラハラしてもおかしくないと思います。 ただ、私はいつでも、自分を感動させてくれたものについては、 心に残る度合いに応じて徹底追及します。ハマリようが尋常でなくなります。 同じものを見たり読んだりしても、くり返し味わうに値しないと判断するか、 くり返し味わえるかは、個人の感覚と問題意識の違いですから、 下の悪口に逆襲するとしたら、 「トレンディードラマなんぞハマるに値しない」という決めつけこそ、 〈安易なる全体主義〉ですよ、ということになります。 ・・・わーい、書いてるうちにいい結論に到達しました。ありがとう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ハマリようが尋常でなくなるのは、私の困った欠点のひとつである。 だから、部活などがやたらと忙しく、(それが忙しいと仕事全体が忙しくなる) 自分の時間というものが持てなかった十数年間は、 いろいろなものを避けてきたし、感覚をわざとぼんやりさせたこともあった。 それでも、時に、今度は「トリスタンとイゾルデ」を観に行くとなると、 オペラのスコアを買ってきて、対訳を全部そこに書き込んで、 時間の許す限り、スコアを見ながらレコードを聴いて、劇の内容だけでなく、 オーケストレーションまでいろいろと研究した上で公演に出かけたりもした。 小説であれ漫画であれ、たまたまおもしろい作家を見つけると、 その作家のものを次々に手に入れて、寸暇に読みあさる。
まぁ、「なでしこ」フリークや「ロンバケ」フリークについては、 他人がそこだけを知ったら、しょーもないトレンディードラマに狂っている 異常なおっさん、くらいにしか見られないだろうから、声高には言えないけれど、 感動の度合いからいえば、中学時代に狂ったベートーヴェンの「第九」や 高校時代に狂ったマーラーの交響曲とも大差ないのである。 先入観を捨てて見ている画面から出発すれば、 桜子役の菜々子さまや、南役の智ちゃんの微妙な表情は、 文章にこだわる作家が文体や言葉の吟味に腐心するのと 大差ない味わいを醸し出しているのである。 そういうところに気づいてしまったので、この2つはことさらに何度も見直して、 そのたびにまた、微細な発見をして感心したりもするわけである。
一昨日、DVDを手に入れてからの1回目(通算4回目)を見終わった。 それから、昨夜もう1度、第10回と最終回を見てから寝た。 相変わらず泣けるところでひどく泣けてしまうのは、音楽の効果も大きいだろうが、 智ちゃんの表情が、ホントに何ともいえずみごとだからである。 フリーク状態を鎮めるには、また「なでしこ再発見」のような大作をしたためるしかあるまい。。。
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