| 2002年01月30日(水) |
巨泉と真紀子の辞任劇 |
きょうの大きなニュースは、大橋巨泉の議員辞職と田中真紀子の更迭だった。 どちらもあまりよくわからない。特に最近の外相関係のもめ事は今ひとつわかりにくい。
巨泉の辞任については、記者会見記事を読む限り、いいことしたな、と思った。 そもそも、参院選出馬の時点で、巨泉、堕落したんじゃないかと思っていた。 言いたい放題ずけずけものを言っていた、時には言いすぎなんじゃない? 調子に乗りすぎてない? と思うようなところはあっても、 なかなかいいこと言ってるじゃない、と思わせることも多かった人が、 どうしてこういう政党の枠の中で議員として働こうとしているのかが不可解だった。 その懸念は当たったわけで、彼はやはり良識派だったと思う。 このまま民主党の議員として続けても、何も言わせてもらえないし、 有権者への約束も果たせそうにない、と言うのである。 この言葉を信ずる限り、彼は党改革と政治改革を夢見ていたが挫折したということである。 比例代表制で当選という経緯の筋を通すなら、議員のまま脱党するわけにも行くまい。 私は最初に感じた思いのまま、これは当然の結末だと思うし、 彼が堕落していなかったことに安堵するし、この貴重な経験を踏まえて、 政界の体質について、今後どんどん忌憚なく発言してほしいと思う。 そうすれば、投票した多くの有権者の思いも浮かばれるだろう。
田中真紀子の更迭は、要するに、外務省の官僚の私利にとってはなはだ迷惑な外相を これを機会にばっさりと抹殺しようとした結末に過ぎないように思われる。 小泉クンも、最初に予想したとおり、やっぱり単なる自民党員でしかないのである。 古い体質を引きずって抜け出すことができないのである。 パフォーマンス・演技力で多くの国民に新しい首相の誕生を錯覚させたけれども、 これで、化けの皮を剥がしつつある。 「聖域なき構造改革」なんてすばらしいスローガンを掲げながら、 やはり、官界や政界は聖域にしてしまうのである。 国民を苦しめて、改革が進んでいる、などとご満悦になっているけれど、 国民を苦しめる前に、政界・官界の構造改革が先である。 ちょっと前に、田中外相が失言だとか指輪だとか、何かミスを犯していたような 記憶があるけれど(曖昧だがメモ程度)、その時には更迭することなくかばい続けて、 どちらかというと我々から見ていい方向に動いているときに辞めさせるのだから、 政界の倫理というのは本当に奇怪なものに思われる。 夕刊に、福田康夫の言葉で「『いい外相だな』という方を選びたい」と載っているが、 「いい外相」とは外務省と喧嘩しない、言いなりになる外相なのだろう、、か。。。
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