TENSEI塵語

2002年02月05日(火) 政治への期待

きょうのランチタイムに、小泉幻想によって今の政治的難局面をのりきろう
と主張する北さんが加わった。
彼が新聞を持ってきて開いたので、昨日から特集になっている
「一からわかる小泉改革」のページを指さして、
「とてもいいイメージは持てないよ」と先手を打った。
私は小泉さんが台頭してきたときから、自民党改革どころか、
弱者に厳しくつらい政策を今まで以上に推進する者というイメージを抱いているので、
どれだけファンが増え、期待の声を聞いても、警戒心が増すばかりなのである。
最初のころは、自分の思いとは裏腹に、あの弁舌とムードだけで支持率を上げて行くので
ヒットラーになるかもしれないと危惧したほどなのである。
ところが北さんは、「じゃあ、彼以外に誰が改革できるんだ」と、
小泉さんをいいイメージで祭り上げて、いい改革をやってもらうべきだと主張する。
私には、こわくてとてもそんなことは言えない。
彼が本当に我々の望む政治をやってくれる素質を持っていればいいけれど、
そうでなければ、大衆がそういう幻想を抱くのは、
人類が飽くことなくくり返してきた過ちをまたまたくり返すことになるからである。
「自民党と官庁の改革をまず最初にやってくれれば、イメージよくなるけどさぁ。。。」
と言った。構造改革の優先順位は、まずここである。

それから北さんと橋本さんが、経済改革の展望を議論し始めたけれど、
私はもう何もいう言葉がなかった。
考えれば考えるほど、今の政治のどこに期待ができるのか、見えなくなるからである。
あまりにも長い間自民党に政権を任せてしまった結果、
政界や官界や財界の体質は、我々の計り知れないところまで硬化してしまっているのだ。
今回の、支持率激減覚悟の真紀子外相更迭事件もその表れであり、
人気取りの上手い小泉さんさえ、そういう体質には屈せざるを得ないことの表れである。
かといって、正反対の党に政権交代しても、混迷するばかりで
国民はますますうんざりするに違いない。
何年か前に、自民党以外の首相が2人ばかり出たけれど、
それまでの自民党政治と大した違いはなかった。表看板でしかなかった。

戦後のもっと早い時期から、政権はころころ変わるべきであった。
国民は政策最優先の、これをやればダメ、これをやれば支持、という、
真正直な選挙をやるべきだったのに、それができなかった。
どんな政治でも、自民党による安定政治、というイメージで応援し続けてきた。
ちょっと視点を変えれば、どこが安定なのだ、と不思議でしょうがないのだけれど、
大衆の幻想的イメージというのは蟻地獄に引きずり込まれるようなものである。

自民党信奉者の父(警察官だった)と
「自民党だけに政治を任せていたら、いつまでも助け合いの社会にはならない」
などと言って口論したことがある。
そのころ、田中角栄は一生懸命賃金水準を大幅アップしていた。
「田中角栄のおかげでお前は東京の大学に行かせてもらえた」と今でも言われる。
あの賃金急増政策は、国民にとってもすばらしい恩恵であった。
しかし、その代償はやはり何年か後に国民に押しつけられることになったのである。
高賃金に困り果てた企業は、海外に労働力を求めることになる。
高賃金ゆえに、物価も学費もそれなりに上がる。
高賃金の高齢者は、子どもの教育費の高額なときにリストラに合ったりもする。
一時は豊かになり、どんどんものを買いそろえても、
買いそろえばとりあえずは買う必要もなくなり、売れなくなる。
売れなくて儲からないのに、高賃金は支払わねばならない。
・・・とにかくやりすぎは禁物なのである。堂々巡りである。

今の政治に何が期待できるのか、ホントにわからないのである。
今より良くなるなんて期待せず、そう悲惨にしないで、と願うばかりである。
理念としてはすばらしい民主主義も、現実は、金の力を持つものが主権者なのである。
それは間違いだけれども、動かしようがわからないのである。

この問題に関しては、10余年前の自分とは別人のように無気力になってしまっている。


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