大学時代、1年次に一般教養自然科学で数学を選んだら、 旧課程の我々はぜんぜん触れてないのに、新課程から導入された「行列」で、 すでに習っていることを前提とした授業に挫折して、放棄してしまった。 2年次に生物をとったら、これが脳細胞のシナプスの話で、実におもしろかった。 1年次に数学をクリアしていたら、この話は聞けなかったわけだから、 何が幸いするかわからないものである。 単位を落とすというのは罪悪のように見なされがちだが、必ずしもそうではない。
この世は、本当に不思議だらけだけど、生物界も不思議に満ちている。 きょうの昼も、家族で昆虫の話になり、やがてテントウ虫の点の数の話になった。 虫に数の観念はないはずなのだが、あれはあれで仲間を識別する信号になっている。 しかし不思議なのは、そのように外見までもが進化してしまうことだ。 人間1種の生態を見ても、数え切れないほどの不思議に包まれている。 そのもっとも不可思議な部分が、脳なのだ。
大学で聞かされたシナプスの話は、記憶とか忘却を理解する上でたいへん役立った。 それに刺激されて、2冊ばかりの本を買い求めたけれど、 あの講義ほどのわかりやすさや、発展的な見解は得られなかった。 NHKの「驚異の人体」シリーズの脳の話は、より視覚的にわかりやすかったけれど、 あの一般教養の授業以上のものはもたらしてくれなかった。
今朝読んだ橋本さんのHPの日記は、その点とてもおもしろかった。
> もっとも、ここに少々例外があって、たとえば日本人の脳は、 > いまだに左脳に右脳的な非言語的機能が残っているらしい。 > たとえば私たち日本人は、虫の音を左脳で聞く。 > 泣き声や笑い声、風の音、せせらぎの音、 > こうしたものを左脳で聞いているのは珍しくて、 > 欧米人のみならず、中国人や韓国の人とも違っているという。
これ、日本語論や日本文化論にも発展する問題ではないか。
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