TENSEI塵語

2002年03月15日(金) カンプラ「レクイエム」

定演直前の日に、それどころじゃないぞと思いつつ、帰りの車で、
カバンのそこに発見したカンプラ「レクイエム」のMDを聞きながら帰った。
見たら無性に聞きたくなったからで、そうでなければ相撲を聞きながら帰ったはずだ。
(なぜMDかというと、LPレコードしか持ってないのをMDに録ってあるということだ)

この「レクイエム」とは、もう20余年のつきあいである。
モーツァルトの「レクイエム」よりも好んで聞いている。
・・・よりも好き、というよりは、モーツァルトの方をそれまでに飽きるほど聞いて、
その後にこの曲が私の生活の中に入り込んできたのである。
高校時代に、フォーレの「レクイエム」の良さを感じたいと思って何度も聞いたけれど、
この曲はなかなか感動させてもらうには至らなかった。
清浄な音楽たらんとしているんだな、とは思ったけれど、おもしろくなかった。
カンプラのレクイエムに出会って、清浄にして刺激的な感じがした。
緩徐な部分も快速な部分も、しめやかな抒情ということばがにあうような感じである。

3曲目の昇階唱(Graduale)が格別にすばらしい。
7分ほどの曲だけれど、4行の詩の1行ごとに音楽が変化し、4つの部分を作っている。
まず「主よ、永遠の安息を彼らに与え」の詩が哀しげな響きを帯びた長い祈り、
「不変の光を彼らの上に照らしたまえ」が明るく快活に歌われる。
それから曲調が渋くなり、バリトン独唱で「正しき者は永遠に記念されるべし」。
最後の「悪しき知らせに恐れることなからん」の部分が心をかき立て泣かせるのである。
バリトン独唱と合唱のかけあいとなり、合唱が「non,non,non,non,non,non timebit!」
と歌い始めると、それまでうっとりと聞き惚れていた心が穏やかさを失い、
音楽の中にググーーッと引き込まれていってしまうのである。
すばらしい緊張感であり、運転しながらでも目が潤んでしまうのである。
・・・この部分は全部聴き終わってから2度くり返し聞いて家に着いた。

6曲目の「サンクトゥス」も特にお気に入りの曲である。
フォーレやモーツァルトのこれみよがしの「サンクトゥス」と違って、
(ただし、モーツァルト「レクイエム」の「サンクトゥス」は弟子が作った部分である)
「サンクトゥス」に似つかわしくないメロディーでありながら、
和声やオーケストレーションで、いかにも清浄なイメージを作っている。
そしてこの曲のいいところは、後半の「Hosanna」の部分である。

この「レクイエム」は未だにクラッシック界のメジャーではない。
出会ったとき、12年ほどさまざまな音楽を貪るように聴いてきて、
どうして今までこの曲に出会えなかったのか、不思議に思われたほどだったが、
あれから20年ちょっとたった今でも、世間では隠れた名曲のままである。
それは不思議ではあるけれど、個人的には、まぁ好ましい傾向でもある。
あんまりちやほやされると、マーラーブームが到来したときに悩まされてような、
嫉妬心に苦しめられるかもしれないから。。。

こうして書いていたら、モンテベルディ「聖母マリアの夕べの祈り」を聴きたくなった。
聴く、というよりは、持っているのはLDなので、見たくなったのだが、
これは、定演が終わるまで待つことにしよう。


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