TENSEI塵語

2002年04月27日(土) 「風」の2曲

大したアーティストとは思えなくても、中には唐突に傑作が見出せることがある。
2、3日前、職員室の喫煙室で「22才の別れ」という懐かしい歌が話題にのぼって、
それが頭にあったのか、きょうCD棚で探し物をしていたときに、
『「風」全曲集』が目に止まり、不意に聞いてみたくなった。
聞いてみたくなったのは、17曲入っているうちの2曲だけである。
「22才の別れ」はもちろんだが、このCDを買ったときに初めて知った
「あの唄はもう唄わないのですか」という歌をむしょうに聞きたくなったのだ。

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    22才の別れ
あなたに さよならって言えるのは きょうだけ
明日になって またあなたの温かい手に触れたら 
きっと言えなくなってしまう そんな気がして

私には 鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった 幸せにすがりついてしまった

私の誕生日に 22本のローソクを立て
ひとつひとつがみんな君の人生だねって言って
17本目からは いっしょに火をつけたのが 昨日のことのように

今はただ 5年の月日が 永すぎた春と言えるだけです
あなたの 知らないところへ 嫁いで行く私にとって

ひとつだけ こんな私のわがまま聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで 変わらずにいて下さい そのままで
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こういう歌詞を手放しで賞賛する気はないのだけれど、好きなところはある。
「明日になって またあなたの温かい手に触れたら きっと言えなくなってしまう」
「17本目からは いっしょに火をつけたのが 昨日のことのように」
「今はただ 5年の月日が 永すぎた春と言えるだけです」
こういう部分には、若かりしころ、大いに泣かされたものである。

さて、この女性は、相手を愛しつつも、「永すぎる春」に見切りをつけて
嫁いで行くらしいが、この心情を心に受け取ったまま、
「あの唄はもう唄わないのですか」を聞くと、いかにもその続編か後日談のように、
切々とした思いを訴えられてしまうのである。

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    あの唄はもう唄わないのですか

今朝 新聞の片隅に ポツンと小さく出ていました
あなたのリサイタルの記事です もう1年たったのですね
去年もひとりで 誰にも知れずに 一番後ろで見てました
あの唄 もう一度 聴きたくて
私のために作ってくれたと 今も信じてる あの唄を

あなたと初めて出会ったのは 坂の途中の小さな店
あなたはいつも唄っていた 安いギターをいたわるように
いつかあなたのポケットにあった あの店のマッチ箱ひとつ
今でも時々取り出して ひとつつけてはすぐに消します
あなたの香りがしないうちに

雨の降る日は 近くの駅まで ひとつの傘の中 帰り道
そして2人で口ずさんだ あの唄は もう
唄わないのですか 私にとっては 思い出なのに
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女は、思い出のために歌ってほしいと願い、
男は、思い出であるがためにかえって歌うことができない、
そんな男女の姿を思い浮かべて、何度も繰り返し聴いてしまうのである。
メロディーも伴奏も「22才の別れ」とは較べものにならないほど切々としている。
「いつかあなたのポケットにあった あの店のマッチ箱ひとつ
 今でも時々取り出して ひとつつけてはすぐに消します 
 あなたの香りがしないうちに」
この一節などは、実にみごとにどうにもならぬ思いを表現しているではないか。

あの当時流行っていた、いわゆるフォークソングと呼ばれるジャンルの中で、
さだまさしを除いたら、文句なしにこの「あの唄はもう唄わないのですか」が白眉とさえ思われるのである。


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