TENSEI塵語

2002年05月19日(日) 家事を厭わぬ理由

橋本さんちのHPで、父親の家庭での役割がチラッと話題になっていた。
我が家では、家事の大半は父がやるものだと娘が勘違いしないように、
時折ちゃんと説明しといてやらないと、嫁に出してもすぐ追い返されそうな心配がある。
きょうも昼食時に娘と夕飯の相談をしていたのは、私だった。
夕方、食料品を買い込みに出かけて、帰ってから、
「買い物はしてきたから、作る方は頼むね〜〜」と妻娘に聞こえるように
言っておいたのに、しばらく経ってもまったく無視されているので、
結局大半は私がやるはめに。。。
大半終わりかけたころ、ゲームを一段落させた妻が顔を出して、
「何か手伝うことある?」というので、2つばかり指示してPCに戻るという具合。
ま、そのおかげで、夕飯が遅くなりすぎてまつ様を見損なうということもないし、
(我が家の食卓のそばにはTVは置いてない。ひたすら会話する)
かえっていいことも多いのである。

帰宅後の家事はほとんど私の仕事、というのが、ここ3、4年ほどの顕著な傾向である。
帰宅途中の買い物、夕飯の用意、食器洗い、明朝の炊飯のための準備。。。
日によって風呂掃除やゴミ出しの準備なども。。。
それが顕著になってきたのは、妻の方が帰宅が遅くなり、ヘトヘトで帰るようになり、
帰ってから仕事することも多くなったからである。
それが定着すると、彼女は新聞読んだりテレビ見たりしている傍らで、
私が料理したり台所を片づけたりしている光景も不思議ではなくなる。
休日も似たような感じなのだが、それは、以前は休日だけはそうだったからである。
休日に私が家にいると、夕方、まだ小さかった子どもが私の部屋まで上がってきて、
「おとーさん、きょうのゆーはんなに?」と催促に来ていたものである。
休日だけでなく、職場の日程の都合で早く帰宅できた日もそうだった。
それがだんだんと、拡大されてきただけのことなのだ。
そんな話を職場の同僚にすると、女性からは「偉いね〜」と賞賛の声が返るし、
男どもからは、「悲惨な生活」という評価が下されることになっている。

何年か前まで、特に部活指導に忙しかったころは、我が家は母子家庭状態だった。
だから、たいていは食器洗いくらいが夜中の仕事として残っていた。
休日も家にいることが少なかったけれど、家にいるときには、
1週間分の買い出しに出かけ、夕飯を作るのがだいたい決まっていた。
妻は、自分しかする人間がいないとなれば何でもやるけれど、
仕事でも掃除でも読書でも遊びでも、いったんやり始めると
時間を忘れて歯止めがなくなってしまうからでもある。
洗濯と居間などの掃除だけは、自分の仕事にしている。
私に洗濯物を干させると、干し方が下手くそでやり直ししなきゃいけないからだそうだ。

我が家には、結婚当初から家事の分担などは一切なかった。
それぞれが気づいたときに気づいたことをするうちに、
家事は気づいた方がするという不文律が自然にできあがった。
そんな不文律が通用している中で、家事と育児という2つが同時進行になり始めると、
私としては、「ご飯作るから子ども見てて」と言われるよりは
「子ども見てるからご飯作って」と言われた方が落ち着くので、
自然と家事の比重がこちらに多く回ってくるようになったのだろう。
(まぁ、要するに、小さい子ども苦手〜〜の性癖が災いしたことになる)

私が家事を厭わないのは、母の姿を見ていたためである。
母は専業主婦だったけれど、中途半端ながらいろいろなことに通じていた。
私の音楽好き、読書好き、演劇好き、歌舞伎好き、絵を見るのも好き、、、等々は、
母がその環境を作ったり、影響を与えてくれたためだと思う。
私に影響しなかったことでも、いくつか卓越していたことがあった。
家事一切、何でもそつなくテキパキやっていたのはもちろんなのだが、
特に料理関係、医学関係、生物関係のことになると、見識が深いと感じられた。
知人の間でも世話好きなので、いろんなところで頼りにされていた。
世が世なら社会でバリバリに働いていただろうに、
一介の貧しい警察官の妻として年老いて行く姿を見ながら、
女だから家事に専念すべきという通念の残酷なことを感じたのである。
そうして、男女平等というよりは、男女同権的な見方が強くなったと思う。


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