TENSEI塵語

2002年06月25日(火) 「晩年」の思い出

先週末から9冊の新しい国語の教科書に目を通して、きょう1冊を教科会で決めた。
選んだ教科書の中に、太宰の「猿ヶ島」が入っていた。
それはその教科書に注目するきっかけにはなったけれど、それに決めたのは、
他の作品や、活字の読みやすさや、多くの要素を考慮してのことである。

久しぶりに先週末に「猿ヶ島」を読み、懐かしくなって、きょう再び読んだ。
「はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え」
という書き出しで始まる。実にうまい書き出しである。
こうして、一匹の日本猿が語り続ける。
霧深い島だと思われていたのは、実は動物園の中の猿ヶ島だとわかってくる。
しかし、野生のまま捕らえられ連れられてきた「私」には初の体験でよくわからない。
すぐに仲間になったもう一匹の日本猿が客を指さして説明する。
「あれは学者と言って、死んだ天才にめいわくな註釈をつけ、
 生まれる天才をたしなめながらめしを食っているおかしな奴だが、
 おれはあれを見るたびに、なんとも知れず眠たくなるのだ。
 あれは女優と言って、舞台にいるときよりも素顔でいるときの方が芝居の上手な婆で、
 おおお、またおれの奧の虫歯がいたんで来た。
 あれは地主と言って、自分もまた労働していると始終弁明ばかりしている小胆者だが、
 おれはあのお姿を見ると、鼻筋づたいに虱が這って歩いているというような
 もどかしさを覚える。・・・」
などとこんな具合に、人間たちを見物するおもしろさを説明してくれるのだが、
「私」は結局、見物されているのは自分たちなのだということに気づき、
脱走を決意するに至る、という物語である。
「私」の認識の変化や心境の変化が実に巧妙な筆致で描かれている。

この作品は、太宰の「晩年」という短編集に収められている。
この短編集は高2の時に、「御伽草子」の次に買ってくり返し読んだ本である。
「晩年」と題されているが、太宰にとっては遺書ともいうべき初の短編集である。
100篇あまり、5万枚の作品原稿を破り捨てて残った作品群なのだという。
それが誇張かどうかはともかく、ここに収められた15篇は多彩な試みである。
あのころ、この短編集を電車の中で読み、帰ってから読みして、
何度も何度も読み返したものだった。  (つづく)


ついでだが、今夜もW杯準決勝の韓国vsドイツ戦を前半の終わり10分から最後まで見た。
見始めた前半10分ほどは、ドイツが圧倒的に押していたが韓国の守備に阻まれていた。
後半は、韓国が小気味よく攻めて、うまくパスつなぐなぁ、、と
感心することしきりだったけれど、ドイツが少ないチャンスをうまくものにして勝った。
どの試合も、緊迫した白熱した闘いが続く。いい姿である。
こういう大会が、国同士の闘いの様相を帯びることは、やはり悲しいことである。
 


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