先週末から9冊の新しい国語の教科書に目を通して、きょう1冊を教科会で決めた。 選んだ教科書の中に、太宰の「猿ヶ島」が入っていた。 それはその教科書に注目するきっかけにはなったけれど、それに決めたのは、 他の作品や、活字の読みやすさや、多くの要素を考慮してのことである。
久しぶりに先週末に「猿ヶ島」を読み、懐かしくなって、きょう再び読んだ。 「はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え」 という書き出しで始まる。実にうまい書き出しである。 こうして、一匹の日本猿が語り続ける。 霧深い島だと思われていたのは、実は動物園の中の猿ヶ島だとわかってくる。 しかし、野生のまま捕らえられ連れられてきた「私」には初の体験でよくわからない。 すぐに仲間になったもう一匹の日本猿が客を指さして説明する。 「あれは学者と言って、死んだ天才にめいわくな註釈をつけ、 生まれる天才をたしなめながらめしを食っているおかしな奴だが、 おれはあれを見るたびに、なんとも知れず眠たくなるのだ。 あれは女優と言って、舞台にいるときよりも素顔でいるときの方が芝居の上手な婆で、 おおお、またおれの奧の虫歯がいたんで来た。 あれは地主と言って、自分もまた労働していると始終弁明ばかりしている小胆者だが、 おれはあのお姿を見ると、鼻筋づたいに虱が這って歩いているというような もどかしさを覚える。・・・」 などとこんな具合に、人間たちを見物するおもしろさを説明してくれるのだが、 「私」は結局、見物されているのは自分たちなのだということに気づき、 脱走を決意するに至る、という物語である。 「私」の認識の変化や心境の変化が実に巧妙な筆致で描かれている。
この作品は、太宰の「晩年」という短編集に収められている。 この短編集は高2の時に、「御伽草子」の次に買ってくり返し読んだ本である。 「晩年」と題されているが、太宰にとっては遺書ともいうべき初の短編集である。 100篇あまり、5万枚の作品原稿を破り捨てて残った作品群なのだという。 それが誇張かどうかはともかく、ここに収められた15篇は多彩な試みである。 あのころ、この短編集を電車の中で読み、帰ってから読みして、 何度も何度も読み返したものだった。 (つづく)
ついでだが、今夜もW杯準決勝の韓国vsドイツ戦を前半の終わり10分から最後まで見た。 見始めた前半10分ほどは、ドイツが圧倒的に押していたが韓国の守備に阻まれていた。 後半は、韓国が小気味よく攻めて、うまくパスつなぐなぁ、、と 感心することしきりだったけれど、ドイツが少ないチャンスをうまくものにして勝った。 どの試合も、緊迫した白熱した闘いが続く。いい姿である。 こういう大会が、国同士の闘いの様相を帯びることは、やはり悲しいことである。
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