TENSEI塵語

2002年06月30日(日) W杯終わる

まつ様がないのは淋しかったけれど、決勝戦は見た。
ついつい見てしまうのは、サッカーを見るときの常道みたいなものだけれど、
ちょっときょうの試合は、ドイツの選手の動きが鈍く感じられてもの足りなかった。
このシリーズの中で2度ほどドイツ戦を見たように思うけれども、
前に見たときはこんな動きではなかったような気がして、ちょっと拍子抜けた。
確かにブラジルの選手たちの動きはいざとなるとずば抜けて速いのだけれども、
以前に見ていたドイツの守りはこんなもんじゃなかったように思う。
ゴール前をがっちり固めて、絶対にここから先には通させないぞ、という頑固さがあった。
きょう見ていると、守りの動きがどうも緩慢で、カーンに任せれば大丈夫みたいに見えた。
ブラジルの2度の得点場面など、ドイツの守りがほとんどいなかった。
それだけでなく、確かにブラジル選手がキープしているボールは上手く取りに行っても、
こぼれ球やパスミスした球への執念があまり感じられなかった。
何か、全体的に、ボールの動きに対する反応が悪い、という感じだった。
雨が苦手なんだろうか、とも考えてみたけれど、そんなわけもないだろう。

W杯は終わり、いろいろな思いが残った。
サッカーのおもしろさが再認識できた。これは大きい。
サッカーのおもしろさを初めて感じた人も多いそうである。これは実に大きい。
こういうことで、多くの人たちの心がひとつになるのはいいものだな、と思う反面、
ついついそれを無礼講と思い違いして羽目を外す奴らの迷惑なこと。
たいていいつもこういう輩がいて、良きことに汚点を散らし、楽しみを損なうのである。
選手たちの技の競い合いを楽しんでいればいいのに、
それを国家間の争いにまで拡大してしまう困ったファンたちもいる。
同国人選手の活躍を喜ぶのはあたりまえだけど、
スポーツは、国家と国家の争いではなく、選手同士の争いに過ぎず、
努力の結晶を披露し合うのを見て、我々はその美しさに感動するのである。
スポーツとか芸術とか、そういうものを通じて、世界はひとつだと思いたいものである。
人間はみな同じなんだということを、再認識して喜びたいものである。
もちろん、オリンピックも同じである。


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