TENSEI塵語

2002年08月07日(水) 大会役員と大渋滞

きょうもまた、県大会の下働きの日である。
ただし、いつでもそうだが、実際に働いているのはある学校の生徒達であって、
我々教員は、何をどうするかを指示して、それがうまく機能しているかどうかを確認し、
いざという時に相談にのったり、トラブルの解決をするくらいで、
生徒達のように朝から夕方までずっと働き続けているわけではない。
いつも思うのだが、たいていこういう仕事に駆り出された生徒達は、
ほとんど文句も言わず、最後まで疲れていてもはつらつとした表情を失わず、
最後の挨拶の時まで、実に気持ちのよいまっすぐの視線を向けてくる。
(1度だけそうでなかったのは、数年前のアンサンブルコンテスト県大会で
 私の学校の生徒を係の生徒に使ったときくらいである)
きょうはまた特に驚いたのだが、6時半ごろ終わった後、帰ろうとしたら、
ロビーで、きょう1日下働きをしていた学校の生徒が全員集まって反省会をしていた。
いわゆる吹奏楽名門校ならそれくらいは不思議じゃないのだけれど、
きょうの担当校はこの2日間の県大会に出場していなかった学校である。

むしろこういう日は大人に困らされることが多い。
もうひとり役員を頼んでいた先生がなかなか姿を見せなくて長い時間困らされた。
演奏中に会場に入ることを禁止していることについて、
係の生徒に食ってかかった夫婦がいる。
後からその親と応対して、何とかわかってもらえたようだけれど、
係の生徒はしばらくその恐怖感から立ち直れないようであった。
大渋滞で遅れて、娘が今ステージにいるのに見られない、その気持ちはわかるけれど、
ボランティアで働いている生徒を脅かしてどうするんだと言いたい。
(こういう問題については、今後係の生徒が困らないように、
 特別配慮の手だてを提案しておいた)

ま、とにかく、立ちっぱなし、歩き回りになる時間が多いので、
帰るころには、空腹と、渇きと、足腰の痛みでふらふらであった。
早く家に帰りたいよりも前に、とにかく早く飯にありつきたいと切なる願望。
飢え渇いているときに渋滞はいやなので、会館前の渋滞を避けて、
裏道の方から近道をしたら、そちらもまた車は多くないのにちっとも進めなくて、
すなおに会館前の渋滞に身を委ねた方がましだったほどで口惜しい思いをした。
つっかえつっかえする渋滞に耐えて、やっとの思いで高速のインター近くまで来たら、
電光掲示板に「豊田〜名古屋9キロ渋滞35分」・・冗談じゃない、腹減ってんだぞ、
喉も渇いてんだぞ、と、まず食べてから高速に入ることにして道を変え、
店探ししながら走り回ってみても、適当な店が見つからなくて、ぐる〜〜っと回って、
徒労に終わり、あきらめて高速に上り、歩いているような車の列に入り込んだ。
何でこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだろう、と涙が出そうだった。
2日間の無償の労働の報酬がこの仕打ちなのだろうか、、という思いである。

そんな思いも、東郷PAに飛びこんで食欲を満たして一服したら、
ゆったりとした気分が戻ってきた。急ぐことはない、渋滞だっていつかは着ける、、、
食欲が精神に与える影響は非常に大きいようである。
高速走り続けることにうんざりしてきたので、小牧東インターで下りることにした。
高速で関まで行かずに、犬山からのんびり帰ろうとしたのである。
中央自動車道は坂道が多く、小牧東インターの前後も登坂車線になっている。
ところが、まだそれにはほど遠いあたりの上り坂から、前のトラックが走れなくなって、
真っ黒い排気ガスを狂ったように吐き出しながら点滅ランプをつけてよたよた状態。
追い越そうと思ったら、その時に限って後ろから追い抜き車が続々やってきて追い越せず、
黒煙の中をのろのろついて行くしかなくなってしまった。
そのちょっと前から、エアコンは喚起モードになってたし、
窓を少し開けていたから、存分に黒煙吸わされて鼻をやられた。
この不運にまた私の心はΨ(`△´)Ψになった。Ψ(`▽´)ΨΨ(`▽´)Ψ




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