TENSEI塵語

2002年10月08日(火) リコーダー

リコーダー(ブロックフレーテ=小学生のたて笛)の思い出について書きとめよう。
というのも、去年の暮れだったかに買ったヤマハの8万円台のリコーダーの存在を、
昨日、ふとしたきっかけで思い出して練習再開し始めたからである。
もう3年か5年か、かなりリコーダーを吹くのをさぼっている。
それまで、20年ほど前に就職してすぐに6万5千円で買ったメックのを吹いていたが、
その楽器が長年不満で、去年の暮れについに買い換えを決心したのだった。
それを機会に練習を再開しようと思っていたのに、数日馴らし吹きをするうちに、
生活が慌ただしくなって、そのまま今まで忘れてしまっていたのである。

リコーダーを吹く楽しさを最初に教えてくれたのは、小6の時の担任である。
いつも棒を持っていて、何かあるとすぐに前に呼んで棒で尻を叩いたり、
赤チョークで顔にひげを描いたりする暴力教師だったし、音楽の時間に他ごとしてると、
それが女の子でも、その子のリコーダーを取って鼻で吹くというえげつない人だったが、
時々僕たちに実にきれいな音で情緒たっぷりのリコーダーを聞かせてくれた。
チゴイネルワイゼンの第2部の抒情的な部分が1番思い出に残っている。
私も彼の吹き方を真似るようになって、音楽の時間に1人で吹けという時に
私の番が回ってくると、彼は他の時には私のことをほめたことはないのに、
まだ演奏しないうちから、「こいつはうめえぞ」と皆に予告するようになった。

しかし、上には上がいた。
中学に入ってから、必要なときにしか吹かなかったけれども、ある時、
妻の妹(妻は中学の先輩で、その妹は私の後輩である)が部活の合間に
リコーダーを引っぱり出してきて、パーセルのロンドを吹いていた。
それは、小6の時の担任とは別の意味でうまい演奏だった。
それに刺激されて、私は暇さえあればリコーダーを吹くようになった。
でも、楽譜がない。
たまたまそのころよく眺めてたのが「新世界より」のオケスコアだったので、
その第2楽章を主旋律をたどって吹き始めたら、中間部を吹くのに酔ってしまって、
それから病みつきになって、全楽章を吹いて楽しみ、それからもう、
好きな交響曲・管弦楽曲は片っ端からメロディーをたどり吹き。。。
端で聞いてる者にはわけわからんような耳が痛いだけのようなものだったに違いない。
それでも、その戯れのおかげで、初見演奏、移調、総譜解読、、いろいろ身についた。
とにかく、それしか演奏を楽しむ術はなかったのだ。

高校に入って、放送委員会に入ったら、放送室にリンデのLPがあった。
それを聞いて、決定的な衝撃を受けた。
ああ、、こんな演奏ができたらなぁ、、と煩悶するほどの衝撃である。
アルトリコーダーを吹くようになってからのレパートリーの多くは、
このころリンデのLPで聴いていたものである(いつまでたっても足下にも及ばない)。
当時は、アルトリコーダーなんてとても高くて買えやしない、と思っていた。
小中学校で使うソプラノリコーダーのような材質の安いアルトリコーダーがあるとは
夢にも思っていなかったのである。

大学に入って、ギターアンサンブルサークルの合宿の時に、
そのころ(今もだけど)もっとも演奏面で信頼していたコンマスのTが、
その安価なアルトリコーダーを持参していて、ギターと二重奏をやろうと言い出した。
この時2人で楽器を交代しながら遊んだのがきっかけで、安いアルトリコーダーを買い、
銀座のヤマハに行くたびに、リコーダーの楽譜を物色して手に入れた。
やがて、響きの柔らかい木製のリコーダーを吹くのが夢のようになった。
就職して、最初にしたぜいたくな買い物が、メックのリコーダーである。。。

・・・というわけで、きょうの文章の振り出しにたどり着いたわけである。
こうして振り返ってみると、リコーダーだけでもなかなかおもしろい変遷ではないか。
だいぶ端折ったけれども。。。



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