TENSEI塵語

2002年12月23日(月) コバケンの「第九」

昼過ぎまで迷っていたけれど、やはり行ってみようか、と出かけることにした。
先週の木曜日ごろだったか、たまたま職員室で担当の先生とすれ違ったとき、
すぐそばに貼ってあったコバケンの第九のチラシを指さして、
これの招待状は来てないの? と聞いてみたら、ありますよ、という返事。
誰ももらい手がなくて、その先生の引き出しの奧に埋もれていたのを貰ったのだった。

行きたいな、という気持ちもあって貰ったのだけれど、マーラーならともかく、
「第九」程度で名古屋まで出かけるのもなぁ、という気持ちも否定できない。
30年余の間に10回以上「第九」の演奏会に行っているけれども、
感動するどころか、イライラすることの方が多かったからでもある。
何にイライラするかというと、第1〜3楽章をいい加減な演奏にしてしまうからである。
合唱部分さえ聞けばいいんだろ、という意図が見え見えで、
そういうのは、ベートーヴェンに対する冒涜なのである。

コバケンはそんな精神で演奏するはずがない、と信じて出かけたのだ。
彼だったらどういう演奏をしてくれるのだろうかという興味でしかなかった。
ところが、実際に聞かせてくれた演奏は、予想をはるかに凌いでいた。
思いがけぬ名演奏だった、、、ただし、歌さえ入らなければ、、である。

招待状と引き換えにもらえた指定券はS席だけれど、2階の一番後ろの中央である。
音がバンバンぶつかって来るような距離ではない。
しかも会場は、音響的には実に物足りなさを感じさせる名古屋市民会館である。
それでも、第1楽章と第3楽章では、しばしば感極まってうるうるしてしまった。
実に精魂傾けて振っているという演奏で、中・高時代、カラヤンやベームの録音に
涙して聴いていたあの緊張感が体中に甦ってくるような感じだった。
こんなことは、生演奏の第九に接して初めてのことである。

第3楽章の表情もすばらしかった。この楽章に満足できるなんて夢のようである。
第1楽章も、実に入念な演奏だったが、特にその楽章のコーダは、
今まで聴いた第九の演奏の中でも極めつけの驚くべき効果を出していた。
第4楽章の、コントラバスとチェロによるレシタティーボもよく語っていたけれど、
最近CDで聴く演奏からすれば、これは常識的範囲かもしれない。
しかし、とにかくこの第4楽章の管弦楽部分までは5万円払ってもいい演奏だった。
それをただで聴かせてもらえるなんて。。。

残念なのは、歌の方である。
まず、ソリストが、ソプラノ以外は、まあまあの線にまでも達していない。
特に、テノール独唱はひどすぎた。
合唱は、事前の練習とコバケンの要求との間にギャップが大きすぎたのではないだろうか。
声を張り上げすぎて、荒くはなるわ、音程はまちまちになるわで、
実に悲壮な歓喜の合唱になってしまい、寒気の合唱に成り下がってしまった。
合唱指揮者(いわばヴォイストレーナー)たちは一体何してたんだ? である。
第4楽章前半で帰っちゃえばよかったな、と思わずにいられなかった。

けれども、コバケンの求めている音楽は、
合唱の伴奏をしているオケの演奏を聴けばわかるのである。
彼はすばらしい指揮者である。
茶目っ気もある上に、曲に対する真摯な思いも伝わってくる。
もう名フィルでの任期が終わってしまうのが、返す返すも残念である。


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