2008年12月23日(火) |
「英語で授業」が基本? |
そりゃあ、いいことだとは思いますが、、現実は?
文科省が発表した指導要領改訂案のひとつで、 「英語の授業は英語で行うのが基本」と明記したそうだが、 いつもどおり、言うは易し、言うだけなら誰でもできる、の感想である。 現場知らずが、現場の改善はまったくしないで、 言うだけのことは言って大仕事を成し遂げたつもりでいるわけだ。 (今まで最大に顕著だったのが、「総合的学習の時間」というやつ。 言うだけは言ってみたものの、何させたらいいのかはわからないので 現場に丸投げしてしまった)
もちろん、優秀な生徒を集めた学校では、 それが可能とわかれば、英語での授業を行っているはずである。 しかし、「基本」と銘打つということは、、、?
中学校までの英語の成績が真ん中くらいかそのちょっと上のあたりの 生徒でも、中学の基本単語も覚えきれずに高校に入っている。 その実態をもうちょっと調べてみると、単語の発音もおぼつかない。
つまり、ろくに読まず、ろくに発音せずに来てしまったらしい。 一斉音読の時間が仮に作られても、全員が読むとは限らない。 授業中、教師がひとりずつセンテンスを言う機会を与えても、 40人もいたら、1時限の授業内に何度機会があるか、、、 せいぜい2回前後だろう。 単語や構文を何度も書かせられたりしても、 発音しながらでなくて、音と関わりなく文字だけを写し続ける。。。
ましてや、授業崩壊している中学校が少なくないのだ。 音読だの発音指導だの、それどころの騒ぎでなかったりする。。
しかも、我々の小学校時代に割と盛んだったローマ字学習は、 最近はあまり行われなくなっているから、 ますますアルファベットの世界を遠のかせている。。
文科省は、使える(会話ができる)英語教育を、という意図で、 「授業は英語で」と唱えたようだが、その前にすることがある。 それは、私が20年ほど前から切に願っていることで、 (私は外国語教師ではないけれど) 英語の授業を生徒8人くらいの単位でできるようにすることだ。 英語の時間には頻繁に英語のやりとりができる環境を整えることだ。
それには、英語の教師を今までの5倍ほど増員しなきゃいけないから、 お金がかかるのだけれど、一挙にやれとは言わない。 今までに徐々に行われていなければならなかった。 去年から、文科省が教員増の予算請求をしているけれど、 例えば、今回は1万5千人が半分に減らされたそうだけれど、 仮に全国で1万5千人増員しても、小学校1校あたりたった1人。 これも、何十年も前から地道に積み上げなきゃいけないことだった。
文科省の示す方策なんて、いつも後手後手に回った 付け焼き刃的な、無責任な方策に過ぎない。 言うことだけは立派かもしれないが、言うだけは誰でも言える、 そんな程度で、いっぱしに働いたつもりで、 高額の税金ふんだくられてはたまったもんじゃない。
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