明けましておめでとうございます。
元旦早々、焼身とは何ね!? と顰蹙買いそうですが、 崇高なる魂として描かれた実話ですので、、お許しを。。 少しだけでもまとめておかないと、次の作品に移れない気分で。。
ここ何年か、年末年始のこの休暇はゲームかDVDで過ごすことが 多かったのだけど、大晦日(雑用いっぱいの合間)からきょうまで、 宮内勝典「焼身」を読んでいた。
ベトナム戦争の話題のほんの素通り程度に、 路上で焼身自殺したお坊さんのことを聞いたことはあったけれど、 何かのついでに出てきた話題だったような気もするし、 聞いたことがあったような気がする程度に記憶の奥にしまわれていた。
宮内さんは、アメリカで不法滞在状態のホームレス寸前のころ、 公園に散乱している新聞の中に、燃え上がるベトナム僧の写真を見た。 彼はその僧をX師と呼んで、たまらなく「会いたく」思う。
彼自身が、バイクのスリップ事故で火だるまになった経験があるそうだ。 思わず狂ったように走り出し、 我に返ったときに燃えている服を脱いで消したが、 近くの病院で診てもらってる間に10日間ほど意識不明になり、 4ヶ月間寝たきりの病院生活だったという。
「だからX師の焼身自殺に揺さぶられたのだ。 火だるまになった瞬間、私は我を失い、狂犬のように走り出していた。 だがX師は燃え上がりながら、 路上で蓮華座をくみ、泰然と座り続けていた。 できることではない。 身をもってそれを知っているから、愕き、畏怖したのだ。 そして、いつかX師の足跡を追ってみたいと思うようになったのだ」
で、写真を見た時から39年後に、その旅を実現させた。
残念ながら本には1枚も写真が載せられていない。 この後、ベトナムやカンボジアの寺院をいくつも訪ねるのだが、 それらの写真も載せてほしかったなー、と思うのだが、1枚もない。
ネットで検索したら、この僧侶のことを書いた記事があった。 写真もそれで見ることができた、、、た、、確かに驚きである。 ふたりの仏教僧侶の死 1963年6月11日サイゴン街頭で僧侶焼身自殺
ネットの記事にも書いてあるが、彼の焼身は、 ベトナム戦争に抗議してではなく、政府の仏教弾圧に対してだった。 寺は封鎖され、僧侶たちが逮捕され拷問を受け、ある時は虐殺された。 X師=ディック・クアン・ドゥックは、仏教防衛連派委員会に 自ら「焼身供養の請願書」を提出した。
別の「心血の決意」という手記に、こう書かれている。 「仏教が滅亡していくのを座視しているわけにいかず、 この身を燃やして、諸仏に供養し、 もって仏教を保つ功徳を施すことを喜んで願います」 その後に、大統領に向けてのお願いと祈りが箇条書きに。。
宮内さんは、この焼身供養の様子を具体的に知るために、 あちこち訪ね、いろいろな人から話を聞くのだが、 それとともに、クアン・ドゥックはどういう人だったかを尋ねる。 焼身自殺した人に「会いたい」とはそういう意味だろう。 人間としてのクアン・ドゥック氏を知りたい、ということだ。
ところが、誰も具体的なようすを語らない。 言えないことがあるのか、言うべきことがないのか、わからない。 しかし、誰もが、こうしか言いようがない、とでも言うように、 一様にこう答えた。 「彼はブッダの生まれ変わりだった」
最後のニィエップ師だけはこうつけ加えた。 「彼は日常生活においては、まったく平凡な僧にすぎなかった。 だが危機的状況において、彼は英雄になったのだ」
私にとっては、とても刺激的な元旦だった。
ちなみに、カンボジアの旅の章でポル・ポトに話が及ぶが、 私が今まで聞いてた以上のひどさが仄めかされているので、 ネットで検索してみたら、こんなにひどかったのか、と驚かされた。 ポル・ポトの大虐殺
これも、今まで関心薄く、漠然と居眠り同然だったのを、 いきなり揺すぶって起こされた感じである。
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