そりゃあ、そういう考えなんだろうとはとっくにわかってましたが。。
今朝の朝日の社説の一節。
「野党は、製造業への派遣を禁じる方向で動き出している。 舛添厚労相も個人的な見解と断りつつ規制に前向きだ。 経済界は反発する。 繁閑に対応できる雇用の調整弁はほしい。 賃金の低い国々と競うには、弾力性のある雇用が不可欠だ。 急に規制強化をすれば、かえって雇用機会を減らす。 そんな理屈だ」
これから規制強化すれば、失業者の雇用の機会は減るだろうし、 まだ働いている製造業の派遣労働者がどうなるのかという問題もある。 (50万人近くいるそうだ) この点はよくわかるし、考えるべきところだ。
しかし、「雇用の調整弁」と今この状況下で口にできるのが恐ろしい。 この表現は経済界で現に使われている表現なのか、 経済界からの発言をまとめて社説の筆者が作った表現なのか わからない。(社説の筆者を批判するわけではない) いずれにしても、使い捨て品扱いであることを改めて知らされる。 こんな言葉(又は発言)が、人間に対して堂々と使われているわけだ。 何の罪悪感もなく、ごく自然に? その使い捨てられた「調整弁」が今どんな生活をしているか、 これだけ報道されているにもかかわらず?
とにかく、堂々と口にされて正当化されているのが恐ろしい。
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