一平さんの隠し味
尼崎の「グリル一平」のマスターが、カウンター越しに語ります。


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2003年07月01日(火) その17


その17

公害の街、日本一になったのも,ちょうどこのころで、今はなき阪神工業地帯の全盛期でした、

どこの小学校でも、スモッグ警報というのがあって、それが鳴りだすと、いっせいに、うがいをしてマスクをするんです、子ども達は、ほとんどの子が気管支炎になってましたね、それでも、毎日エントツからは
真っ黒い煙が分厚く空を覆って、昼間でもどんよりとした明るさでした・今の尼崎では想像つきませんね

海と山に囲まれて育った私には、慣れるまで毎日が大変でしたね・・・一年ほどで10キロ痩せてました


見習いさんは毎日、朝7:30頃には入り口の大きな一枚ガラスを丁寧に拭いた、
昨夜の出前の器を下げるのに、いつもその店の前を通ると、白いエプロンして、一生懸命に拭いていた

「おはよー寒いねー」・・・・・・・(いつの間にか、朝の楽しみになってるがな)

一枚ガラスを拭きながら、頭だけ後に向けて、
「おはようございます!皿下げ、大変ですね!」・・(その返事がいまでも頭のどっかにかに残ってます)

とっても印象に残ってるのが見習いさんの(手)で・・・
毎日、水を扱ってるせいか霜焼けがひどくて、手の甲が幾つも割れてて、そこに、シャンプーの液が
馴染むので、いつも赤くはれ上がってた・・・当時は見習いの給料はなく、小遣いを少々だったとか、

             
                つづき・・・・・です
 


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