共同生活1


 過去 : 未来 : メール 2003年05月13日(火)


昨夜は夜中に子どもが足が痛いと泣き、朝方もう一人がおしっこをもらしたと言って泣いた。
私はもう寝不足状態でそれから一階に行って、すでに起きて仕事をしていたダーリンにぶ〜たれながらまたウトウトと寝てしまった。

はっと起きるとダーリンはすでに仕事に出かけ昨日の茶碗は洗ってあり、今朝のためのご飯のスイッチが入っていた。

こんなこと初めてじゃないだろうか・・・?

メールでお礼をした。




オーストラリアにいた時共同生活をしていた時期があった。

向こうの若者は一つのアパートを何人かで借りて生活することが多い。

それで一緒に生活する相手を新聞募集もしている。
初めから友達とフラットを借りる方法もあるけど
何せ一人ぼっちだったから新聞を頼らざるをえなかった。



一緒に生活する相手を”SHARE MATE"といった。



私が初めてSHAREしたのはケアンズにいたとき。
相手は19歳の男の子だった。
キャンベラ出身の子で名はブライアンと言った。




でかい   ひげもじゃ   はだか   はだし  失業中



電話して部屋を見せてもらう約束をして初めて彼を見たとき
どうしようかと迷った。少しばかり身の危険を感じた。

でもそれまでオランダ人の夫婦の家で4日ほど居候させてもらっていたので、どうしても早く部屋を探したかった。
まぁ何とかなるだろうと腹をくくって決めた。(イイノカ オイ)


部屋は2LDK。
部屋にはベッドとクローゼットがあった。
部屋に鍵はない。

キッチン、バス、トイレ共用。


こうして私の初めての同棲・・・いや共同生活が始まった。






■ 目次 ■