共同生活3


 過去 : 未来 : メール 2003年05月16日(金)


全くのアカの他人が一緒に住むわけで、

しかも人種も性別も違うわけで・・・。


冷蔵庫は一個だったのでここからここはブライアンでここからここは私だと初めに教えてもらった。


だから何かを作って食べるときはもちろん自分のもんだけ作って勝手に食べたし
相手の食料を食すということはほとんどなかった。
また食べる時間も違っていたので彼とダイニングで一緒になるということもなかった。


ある日、私は近くのチャイニーズ食品店にバーモントカレーが売っていたのでそれを買ってブライアンやマークらにごちそうした。



大好評!!



やっぱ、あのカレーってどこの国のひとが食べてもおいしいのかな?
みんな競って食べてくれて、その後ブライアンがこれはどこに売っているのかと聞くので一緒にお店に行ったりした。


やっぱり人間って一緒に何かを食べるとお友達になれるみたいでそれからは何か私のために作ってくれたり、どこか川にBBQに行くぞって誘ってくれたりと気にかけてくれるようになった。また冷蔵庫もだんだん境がなくなっていった。

ある日、ブライアンのママがキャンベラからケアンズに来た。
どうもブライアンの誕生日だったらしい。
その夜は彼女がマーク、キム、ニックと私をホテルのバイキングに招待してくれた。みんないつも裸同然なのにおしゃれしてたなぁ。

あのひげづらのおっさんブライアンはお母さんに自分のベッドを譲り、彼は居間の小さなソファ1週間ほど寝ていた。

ブライアンは実はこの部屋を借りる時友達と借りたらしいのだが何かトラブルがあって友達と住めず(友達がお金を払わなくなったらしい)、困って新聞に広告を出したということをママから聞いた。
彼女は私のことを「あなたのような子だったら安心だわ。キャンベラにも遊びに来てね」と言ってくれた。



逆に日本の私の母がケアンズに来るという。
何でも安いツアーがあったので友達と来るって・・・・。
私はちょっと焦った。心配をかけたくなかったので

部屋には鍵があるんだよ〜とか
よっぽど同居人とは会わないんだよ〜とか

適当にいっておいた。



それでブライアンに相談。でも彼に家にいてくれるな!なんて失礼なことは言えない。彼はこう言った。





「その日はちゃんと服を着るよ」






「・・・・・・アリガト」




ブライアンにも対面した母。
鍵のない部屋を見た母。

私にこう言って帰国した。



「こういう物のないすっきりした生活もいいわね。」









「マァネ」









「日本でまってる彼氏には黙っていなさいよ」






「(−_−;) オカアサン・・・」






オーストラリアの母と日本の母、こんなにも違うのね。

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