9月からすごく大変な時間を過ごしていて いろいろなことを全て忘れてしまっていた気がする。 忘れたのなら、それでいい。 忘れてしまったままにしていた方がいい。
忘れるべきというようなことは、 多分ここに書かないほうがいいんだな。 といいながら、書いてしまう。 話せない代わりに書いて発散、というところだ。 だから、また、削除。
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祖母の死は紛れもない事実。 でも、これまでも祖父母を亡くしてきたけれど、 今回は何かが違う。 すごく不思議な感覚だ。
もうあの家に祖母はいないけど、 祖母を構成していた核である魂は生きている、と思う。 現に、時々私のそばにいてくれていると感じる。
本気でそう信じているからだろうか。 これまでと比べて、寂しさや悲しさの質が違う。 涙が出ることも多いけれど、何かが違う。
私のレイキの先生からの言葉が 祖母の最後の数日を見守った私を支えてくれた。
「人は最後まで、 例えば意識がない状態でも自分で全てを選べます。 何を選んでも見守り祝福してあげて下さい。」
どうしたらいい、なにができる、と 混乱状態になってしまっていたのが、 冷静になることが出来た。
本当にそうだった。 きっちりと祖母は最後まで自分で選んだと思った。 遅れて病室に駆けつけた孫が到着できるまで待っていた。
「S君、すぐに来るからね。」
と繰り返した私たちの言葉が届いたのか、 あるいは祖母自身が全てを把握していたのか、 途切れた脈が回復を繰り返し、 みんなが揃って数分後に息を引き取った。
人の長い一生の最期を初めて見た。 とても頑張った立派な人生だったと思う。 祖母ほどは頑張れない私だけれど、 まだ涙も多いけれど、 でも、側にその気配を感じつつ 私も一生懸命に私の人生を生きたいと思う。
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