2011年12月22日(木) |
数えてはいけないもの |
人が何かを自分にしてくれない、と そのことを数えてはいけないという。 本当にその通りだと思う。 思うけれど、どうしても数えてしまう。 数えてしまうのは、また、 別の人が送ってくれた温かさからだったりする。
遠くから来た、心のこもった郵便。 嬉しく、ありがたく、せつなく。 その人は決して楽な環境に身を置いていない。 だから一層、ありがたくもまたかなしい。 その人にも温かい光を、と願う。
どこかで、ほんのちょっとでいいから 気にかけて欲しいと思う相手がいる。 電話はいらないけど、 優しい言葉の伝言とか、 葉書の一枚とか。
母宛には手紙が行ったらしい。 私もかつて実母をなくし、まだこんなに寂しくてつらいけど、 それでもこうして頑張っているから、 あなたもがんばれ、という内容だったらしい。
上手く伝わるか分からないけど、 この内容に私は違和感を持った。 予想通りでもあったけれど。
母はこの人に当時お悔やみの手紙を書いた。 後日、母がその数ヶ月前に姉を亡くしたことを知り、 その人は私にこう言った。
なんか、この前もらった手紙がすごく寂しそうで、 どうしたのかなと思っていたけれど、 そういうことだったのね、とやっとわかったわ、と。
お悔やみの手紙に ハッピーな空気をいっぱい詰め込む人はいない。 悲しいですね、寂しくなってしまいましたね、と その人の気持ちに寄り添いたくて 文字を綴るものだと思う。 辛いと思うけれど、元気出してね、と。
ひとりでも、本当に温かく気にかけてくれるなら それで十分なはずなのに もっともっと、と欲張っているのだろうか。
そんな自分のわがままにも気づきながら、 でも心はまた冷めていく。 わかっているはずなのに。 所詮、それほどのものなんだから、と。 本心とその人の発する言葉は いつも一致するわけではないのだ。
「絆」と叫ばれる今年。 絆は大切だ。 だけど、 多くの人が家族の絆を強めたくて 家族と一緒に過ごそうとしているらしいこの冬、 私はどこにも行きたくない。
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