航海日誌

2001年06月25日(月) 花が行き交い風が吹き〜(ばーいはやしばら)

・・・・今日は林原めぐみタイトル忘れました。(爆)

文が。
かけない。
じゃなくて、
書けるんだけど、それ以上のものを求めてしまうものなのね。
もっと強い文章が書きたい。

今日は。
なんとなく色々疲れてて。
色々やれない。

敵は海賊。客注してるし。(笑)
どうも、曲になれてしまうと、普通のヒアリングが面白くない。
ていうか文法がキライなだけ。
歌ってコミュニケーションだ。
今更?
だけど、どうして言葉が違ってもこれだけ愛されるのだろう?

うーん。
わからん。
人の感情のパルスが波動の階調とあうのかな?
空気が伝えるのは、なにも音だけではないね。

言葉でなくても、叫んでいても。歌詞がなくても。
伝わる時はあるのね。

全てがこんな風に誰かの為に歌えたら、何もかもうまくいくような気がするのに。

人が音を運ぶのはどんな時?

と。酔ってますが。(酒ではなく。酒ではそんなに酔いません。笑)

音に酔うって最高。

色彩に酔うのもおかしくなるくらい好き。

下手なドラッグよか効き目あるんじゃないかな?

快楽を生む、創造。

いいね。そういうものを創り出せるのは、優しいヒト。

いいかげんヘッドホン欲しい・・・。じゃないとこの時間に隣に迷惑だね。きっと。(仕方ないからボリューム下げてるけど。)
好きな曲って何度聞いてもいい。
何万かいも。

でも時と共に自分に必要な音と、
そのうちいらなくなる音があって。
いらない音なんて本当はないんだけど、
10ねん前のメロディを今聞いてもその時と同じ感動は受けないのだなぁ、なんて思ったり。
だから、この瞬間が大切。
今この曲を聞いて感じたことはきっと2年もたてば感じなくなるのかもしれない。
だから、今全てをこの体で感じたい。

あますとこなく、全てを。

ふむ。何だか。
またしても語ってしまった。
実は、密かに模様替えがうまくいったので上機嫌だったり。
しかし、人をしあわせにするというのは、むつかしいことだね。
簡単なことではないけれど、いつか自分にできるなら、この全身全霊をかけてしたい。
・・・・いつか、じゃなくて、今やろう。
今からやろう。

・・・・・フラセの小説を書いていて、自分の高校時代を思い出した。色んなことがあって。それを小説のワンシーンに入れるには多すぎて。
でも、少しでもその時の色が伝わったら本望だ。
もう少し人の内面を書けるようになりたい。
ただ、文章全体から見るとそこだけ深く書いてもしょうがないのでああいう形になってしまうのだけど。

なこの氏と文について語る。
文章を書くということは、感情のままに叫ぶことだ。(ワタシは。)
とはいっても、お約束だってある。
ほぼ守ってないに等しいけど、文章というのは、言葉という絵の具で、感情を描き出すものだ。
言葉の羅列、曼荼羅という中に閉じ込めて。(わからん)
一本の線を書くことに似ている。

あるいは、点と線。
その集合体。

だから、絵に似ている。
どちらが簡単かは、その時で異なるから解らない。
文にせよ、絵にせよ、料理にせよ、音にせよ。
私たちは何かを伝えるためにそういう行為をくりかえす。

例えば、「元気になって欲しい」「大きくなってほしい。」色んな思いが料理に詰まってる。
少しだけ、臆病な自分が(いやかなり?)気持ちを伝えるのに必要な。

モノ。

さて。最近更新できてないんですが。
そろそろ「げにうす ろき」やりましょうかね。
タイトルは、「我々はモノを作りながら思索してゆけるか。」(ばーい工芸史概論から引用。)
あと、宗教論もやる。こっちは日本の政治とかについて。かな?よくわからないんだけど。少しずつ。
げにうすでは、適当に語る。多分。毎回文字数決めるから、大丈夫だと思う。
英会話も続けたいね。
ワタシ聞くのはいいんだけど、話すのがね〜。聞くのは楽しいから。(笑)

さて、今日もこんな時間です。いいかげんにしときましょ。自分。(笑)
明日も仕事です。
はっ。年金・・・・。


おわる。


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