未来 - 2001年05月21日(月) わかったような気がする。 なんで今自分が住んでるところをちゃんと好きになれないのか。 ボストンには、体がとても馴染んだ。 ここよりずっと大きな都会なのに、人の生活とビジネスと、自然が融合している。街の喧噪とビルの合間で、光をいっぱいに受けた木々が青々とゆれて、輝いてる。街を行く人たちの表情にゆとりと安堵が溢れている。全てがとても自然で、屈託がない。 あの街とおんなじだ。誰もがありのままに、素顔のままで、それでいて輝きながら生きている。 ここは確かに刺激的だけど、みんな無理して頑張ってる。あまりにも注目されてる都会だから、その名に恥じないようにって人が肩張って生きてるような気がする。余裕がないっていうのかな。ここに来れば夢が叶うと、人が集まって創られた都会。ひとつところに凝縮された人工の都会のすぐとなりで、だだっ広い自然はないがしろにされて少しも美しくない。 ボストンは生活にゆとりのある人が住む土地だからというのは確かにあるかもしれない。だけどそれより、自然という財産を何より誇りにしているような気がした。都会の中で大切に育まれている自然ー。 あの街が大好きだった理由。ここに来てからずっと求めてたもの。 不意にあの街での生活が頭に蘇った。住宅街を突き抜ける道を、背の高い街路樹の枝がたっぷりと重なり合う緑のアーチをくぐりながら車を走らせると、街の景色に夫との未来さえ重なった。頭の中に映し出された予期せぬ映像に自分で驚いた。 何か悪いことが起こったり悲しいことがあったら、わたしはいつも思うようにしている。きっと初めからそうなることになってたんだって。あんなことしなきゃよかった、とか、あんなことがなければ、とか、あの時ああしてたら・・・って人はよく言う。でもほんとはそんな選択はどこにも誰にも存在しないんだと思う。初めからみんな決まってることだから。そう思うと、何があっても後悔しないし、自分も人も責めたりしないですむから。 夫とうまくいかなくなったことも、彼女が死んだことも、あの人に出会ったことも、わたしがこんなに苦しむことも、きっと初めから決まってたこと。 そして、これから先に起こることも、きっともうみんな決まっている。どんなに考えたところで、悩んだところで、すべてなるようになるだけ。捨てばちや諦めなんかじゃない。なるようにしかならないんだったら過程を無駄にしたくないって、かえって頑張れた。別に深刻なわけじゃなくて、「今やってること頑張るしかないじゃん」って気持ちになれた。そうやって、結構楽天的に生きてきたのに。 あの人が結婚して、子どもが出来て、「産まれたんだよ、昨日」なんて嬉しそうな電話がかかってきて・・・それが「なるようになること」なのかな。 わたしは? 夫と一緒にボストンでやりなおすの? なるようになるだけなんだから考えなくていいはずの未来が、今はこわくてしかたない。 -
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