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悲しくて恐ろしかった一日 - 2001年09月11日(火) 朝、仕事に行ったとたんに、事故が起こった。ツインタワーに旅客機が激突。 そんな墜落事故がどうして起こりえるんだろうってみんなで震えて話してた。今日はERが大変だね、フロアの病室もいっぱいになりそうだね、ってオフィスで口々に言ってたら、そんなどころじゃないことがわかった。 ディレクターが、入った情報をその都度知らせに来る。1機だけじゃなくて、2機。墜落事故じゃなくて、テロリストのハイジャック。ワシントンDCでペンタゴンが追撃されて、燃えている。JFKの空港も燃えている。シティからの橋は全部遮断されて、交通機関も全てストップ。 ERに続々と患者さんが運び込まれるから、受け入れ体制についてお達しが出る。 怖くて、泣きそうで、震えて仕事なんか出来ないと思った。 一歩も外に出ないように言われ、病院内でもIDは絶対外さないようにと言われる。ERへ運び込まれる患者さんへの対応だけじゃなくて、病院の玄関の警戒体制もすごい。入り口はメインエントランス以外は全部シャットアウトされて、病院内のシティホスピタルポリスの警官が総出で張る。 フロアに行くと、いつも通りの冷静さでみんなが対応してる。すごいと思った。わたしは正常な精神状態で仕事が出来そうになかった。病室では入院患者さんたちがみんなテレビのニュースに釘付けになっている。事件と関係のない入院患者さんたちを、いつもどおりに診なくちゃいけない。不安にさせちゃいけない。泣きそうになってる場合じゃない。 なのに、フロアでハンサムドクターの顔を見て、泣きそうになった。 ゆうべもオーバーナイトだったドクターは、帰れなくて今日も引き続き仕事。「何が起こったか、知ってるよね」「うん、・・・コワイよ」。病院で抱きしめてもらうわけにはいかない。だけど、すがりつきたかった。ドクターはやっぱり冷静で、どんどんかかってくる電話にテキパキと対応して指示してる。ERから移される患者さんを待機して、すべてのフロアを回る。 その合間にも、わたしのフロアに来てくれて、わたしにはにっこり笑ってくれる。「おなかすいた。朝ご飯つきあってよ」って言ったりする。行きたかったけど、そんなわけにはいかなかった。手にしてた液体のサプルメントの缶を見せて、「これ飲む?」なんて言うわたし。ドクターは笑った。 大変な一日なのに、何度もわたしのフロアに見に来てくれた。途中で、ピッツバーグでまた1機飛行中の旅客機が発見されたことを教えてくれる。「きみのペイジャーの番号、置いてきちゃったよ。教えて」って言われて紙に書いて渡した。それでも午後遅くになってからは、もう姿が見えなかった。ペイジャーも鳴らなかった。 なんでこんなことが起こらなきゃならないんだろうと思った。ずっと思ってた。人がたくさん死んで、傷を負って、住むところもなくして、シティはもとの姿を当分取り戻せない。あのシティが瓦礫の山になっている。時間が経つにつれて、もう事件のことは当然のように誰にも受け止められる。わたしはいつまでも悲しくて、恐ろしかった。 今日は泊まりだと言われてたけど、2時間くらいいつもより遅くまで待機したあと、帰って来られた。帰りの高速は、シティに向かう方向はほとんど通行止めで、ポリスカーと消防車がサイレンを鳴らして走り続ける。検問もすごかった。 ひとりで寝るのがなんだか怖くて、ドクターのところに行きたいと思ったけど、無理な話だった。帰ってくると、たくさんメールが来てた。夫からも父からも母からも、心配の電話がかかってきた。 あの人に電話する時間になってかけたけど、「国際通話がかかりにくくなっています」っていうメッセージが流れて、何度もかけてやっと繋がった。 「よかったー」。わたしの声を聞いて、そう言った。 心配したよー。ずっとニュース見てた。何度も電話したけどいなかったし、仕事に行ってるんだとは思ったけど、ずっと心配してた。よかった。一睡も出来なかった。よかった。よかった。よかった。きみが無事でよかった。 何度もそう言ってくれた。あと少ししたら、またかける。「安心したから、少し寝られるよ。2時間経ったら起こして」って言ってたから。嬉しかった。そんなに心配してくれたんだ。ほんとに嬉しかった。 わたしは明日も仕事に行く。きっと今日よりもずっと大変な一日になる。頑張らなきゃいけない。 心配してメールくださった方たち、ありがとう。 わたしは大丈夫です。でも、たくさんの人たちが犠牲になってます。天災じゃなくて、人の手によって。少しでも救いになれるように、頑張って仕事してきます。 -
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