天使に恋をしたら・・・ ...angel

 

 

いつもと違う朝だった - 2001年10月09日(火)

昨日、あの人が空港から電話をくれた。
「今着いたよー。無事着いたからねー。あ、もう行かなきゃ。置いてかれる。また電話するよ」って慌てて切っちゃったけど。声が近かったね。気がついた? 「また電話する」ってのがいつのことだかわかんないけど、あなたの声がとても近かったよ。安心した。よかった、無事着いて。

休日なのに、何もしなかった。外はとても気持ちよさそうだったけど、どこにも出かけずにぼうっと一日過ごしてた。ドクターも無事着いたかなと思って、Eカードを送った。チビたちの毛をといてやった。洗濯をした。日本と同じ3連休の最後の日。そんな一日だった。

今朝はまるで違う朝だった。
あの人がこの国にいる。それだけで、いつもと違う朝だった。
葉っぱの色が変わりはじめて、風が冷たくて、車を走らせながら、あの人のいるところはどうなのかなって思った。あっちは何時かな、まだ寝てるんだろうな、って3時間しか時差がないのが嬉しくて仕方なかった。

時差じゃなくて、3時間分だけ距離が離れたところにいるみたいに錯覚して、それならいいのに、すぐに会いに行くのに、そんなこと思って笑っちゃった。

時差が3時間って遠いんだ。タイムゾーンを3つ越えなくちゃ行けない。それでも同じ国。陸続きなんだよ。とてもあの人が近くに感じる。悪戦苦闘しながらアメリカ人のスタッフと会話してるとこを想像して、嬉しくなる。おんなじ国で仕事してるんだよ、おんなじくらいの時間帯で仕事してるんだよ、なんて仕事中まで嬉しかった。


帰ったら、ドクターからメールが届いてた。長いメールだった。

カードありがとう! ちゃんと無事に着いたよ。
サンパウロまでの飛行をオサマ・ビン・ラディンの記事を読みながら過ごした。僕は、僕たちがアフガニスタンに空爆を落としたことを知らなかった・・・。


「アメリカが」ではなくて「僕たちが」っていう言葉が、優しくも悲しくもあった。ドクターの「we」をもしも翻訳家の人が訳したなら、「アメリカが」になったんだろうなと思う。わたしには、「戦争だけは起こってほしくない」って言いながら星条旗のピンをシャツの襟に付けたドクターの、自分の国がやってしまったことに対する無念さとか責任の重さとかが、苦しく切なく伝わってきた。

それからはもうそのことには触れてなかった。サンパウロで友だちのアルバートと落ち合って、ラシーフェまで飛んだこと。ラシーフェの街を歩き回って、ビーチ沿いに眺めのいいホテルを見つけてそこに落ち着いたこと。明日はもう少し安いとこ探すこと。ディナーにカニを食べたこと。知ってた? ブラジルってすごい人口の日系人が住んでるんだよ。日本人の顔した人が完ぺきなポルトガル語を話すのを聞くのは、なんかおもしろいよ。そんなことを事細かに書いてた。


きみが元気でやってますように。返事待ってる。

何度も何度も読み返した。嬉しいね、想ってる人から来る長いメール。あの人に自慢したくなっちゃった。「こんな長ーいメールを、あなたからいつも欲しかったんだよ」って。いつかドクターのこと話せるときが来るかな。彼女と暮らすあの人のことをちょっと淋しいと思いながら、あの人もそんな話をするわたしをちょっと淋しいと思いながら、それでも特別な友だちでいられる、そんなとき。

あの人は今何をしてるのかな。
電話を待ち続けて眠れない日を、もう今度は過ごさない。頑張ってるあの人をちゃんと応援する。素敵なミックスしてもらって、いい曲になって、いいレコーディングが出来ますように。


今からドクターに、わたしも長い返事を書こう。


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