天使に恋をしたら・・・ ...angel

 

 

ふられた - 2001年10月29日(月)

一緒にあの公園に行きたかった。金色に光る葉っぱが舞い落ちる下を、手を繋いで歩きたかった。そして写真をいっぱい撮りたかった。もう一緒に落ち葉の季節を過ごすことはないだろうから、写真にいっぱい残したかった。

発端はわたしのデジカメ。

アパートに着いたら、いつもみたいに抱きしめて迎えてくれた。ずっと会ってなかった分、長いこと長いこと抱きしめてくれた。「ねえ、デジタルカメラ持ってきたんだよ」。バッグから取り出してドクターに見せた。ドクターはわたしのデジカメを手にしてはしゃいだ。これってすごいいいやつ? 何枚保存出来るの? レンズがめちゃくちゃ汚れてるじゃん、掃除してあげるよ。だめだなあ、ちゃんとケアしなきゃ。こういうのはね、手入れをちゃんとしなきゃいけないんだよ。僕も欲しいんだけどさ、高いからなあ。5、600ドルするんだよね、普通ので。

「そうだよ。これ、700ドルくらいかなあ、ドルに直したら」。
「もらったって言ってたよね。誰に?」
「・・・。友だち。」
「・・・日本のボーイフレンド?」
「ボーイフレンドじゃないってば。それにその人じゃないよ、くれたのは。」
「じゃあ、誰? 普通、友だちがそんな高価なものプレゼントしないだろ? おかしいよ。誰?」

ドクターが急に真顔になって聞く。お父さんって誤魔化したけど、ダメだった。怖かったけど、問い詰められて答えた。「別れた夫。」

「・・・きみ、離婚してるの?」
「・・・うん。」

夫が去年のクリスマスにくれた。何かプレセント欲しい?って聞かれて、冗談で「デジカメ」って言ったら、ほんとにくれた。ドクターにもっとほんとのことは言えなかった。「別れた夫」って言っちゃった。離婚してるって言っちゃった。

だけど、問題はそれじゃなかった。わたしが隠してたこと。怖くて泣いた。ちゃんと離婚さえしてないことをまだ隠してるのも怖かった。ずっと怖かった。ずっと逃げてた。怖くて言えなかった。自分はひどい女だと思いながら、言えなかった。言ってそれを受け入れてくれるとは思えなかったから。言ったらドクターが離れてしまうと思ったから。

もうひとつあった。歳のこと。ドクターはわたしの歳を知らない。何度も聞かれて、答えないでいた。冗談にしてからかったり、かまかけて聞き出そうとしたり、そんなことが何度もあったけど、ジョークをいいことに笑ってかわしてた。「僕はきみに正直にしかなれない」。そう言って、別れた恋人のことも女ともだちのことも、ドクターはみんな話してくれたのに。ドクターが誠実で、そんなふうに言いながらわたしにもそれを求めてるのもわかってたのに。

あの人のことは、ドクターは知ってた。好きな人がいて、でもその人がほかの人と結婚しちゃうこと。だけど、こんなに愛してることも、苦しんでたことも、それでドクターに飛びついことも、それでも大好きで、電話で話をしてることも、そんなことは言えなかった。利用してる? 自分でそう認めることも、ドクターにそう思われることも、怖かった。

ずっとずっとこころに重たくのしかかってた自分の不誠実さと、ずるさと、罪悪感に、押しつぶされそうだった。だったら何もかも言えばよかったのに、まだ怖かった。怖くて、ただ怖くて、泣いた。ドクターはそれでも抱きしめてくれた。「泣かないで。きみが泣くことないよ。悪かった。誰だってそんなこと人に簡単には言えやしないよ。僕が聞いたのが悪かった」。着ていたTシャツで涙を拭いてくれた。ずっと拭いてくれた。

そこまで受け入れてくれたのに、自己嫌悪が拭えなかった。ドクターは抱いてくれた。だけどいつもと違うような気がした。それが痛くて、また泣いた。

言えなかった理由はほかにもあった。わたしはここで、別の人間になりたかった。誰も結婚してるなんて知らない。年齢さえ、友だちにも同僚にも言ってない。年齢を言わないのはただそんな歳に見えないからで、言っていちいち驚かれるのにうんざりしてたから。あの人のことも、仲のいい友だち何人かが少しだけ知ってるだけで、話したからと言って苦しさが減ったわけじゃなかった。

ただ、別の、なんにも悩みなんかない無邪気で明るいわたしをずっと装っていたかった。違う自分でいられることで、楽になれた。ドクターにもそうだった。初めからステディな関係を求められてたら、きっとドクターにだけは言ってた。ほんとはありのままのわたしを受け入れて欲しかった。だけど、期限付きで制限付きのガールフレンドでしかいられなくて、シリアスな関係は欲しくないって言ったドクターに、なにもかもぶつけることは出来なかった。出来なかった。どこまで正直になっていいのかも、わからなかった。

泣いてばかりいるわたしにうんざりしたんだ。それだってわかってた。重たい関係なんかドクターは要らない。明るくて、一緒にいて楽しくて、だけど抱きたいくらいには愛しくて、そんなわたしをドクターは好きでいてくれた。この前泣いちゃったときに、もう絶対こんなうじうじはやめようって決めたのに。

「もう、こんな関係はやめよう。普通の友だちでいよう。」
氷みたいな声が聞こえた。

いやだ。いや。どうしてドクターまでそんなこと言うの? 胸が引き裂かれた。

なんで? なんで? 結婚してたこと隠してたから? 歳も言わないから? だって怖かったの。あなたが離れて行っちゃうのが、怖かったの。わかってる。離れて行くなんて、そんな関係じゃない。なんにも約束したわけじゃない。だけど、なんで? なんでそんなこと言うの?

「不自然だよ。おかしいよ。僕はきみのこと何も知らない。歳さえ知らない。何も言ってくれない。こんな関係、普通じゃない。」

ほんとは話したいの。ずっとあなたに悪いって思ってた。ほんとは話したかった。ただ、怖かった。全部話すよ。だから、聞いて。

「今は聞きたくない」「どうして?」「僕は疲れてる。昨日も寝てないし、今は疲れてる。今日は帰りなよ」「いやだ。帰れない。行けない」「行ける。行かなきゃダメ。今度聞くから」。「今度」なんかないって思った。「・・・今度っていつ?」「・・・。明日。明日うちに帰ったら電話して」。

床に座り込んでたわたしは、泣きながら、立ってるドクターのシャツを掴んで名前を呼んだ。何度も呼んだ。捨てられたのにしがみついて離れようとしない、みじめで醜くて引き際を知らないバカな女だった。ドクターは冷たい顔をしてた。それでも抱き起こしてくれた。そしてキスしてくれようとした。

わたしはドクターのくちびるから逃れて、抱きついて泣いた。「もうきっと会ってくれない」。ドクターは抱きしめてくれながら言った。「会うよ」。友だちとして? 友だちなんか、いらないよ。いらないよ。もう、たくさんだよ。好きになっちゃったのに。「会うよ。約束するよ。僕がきみにうそをついたことがある?」。そう、わたしはうそばかりついてたの。


ドアに立って、ドクターは促した。優しいキスをしてくれた。とてもとても優しくて、長いキスだった。最後のキスみたいだった。ほんとに最後みたいだった。「もうキスもしてくれないの?」「わからない、今は」。

押し出されるように、アパートをあとにして、わたしは歩けなかった。

ふられちゃった。バチがあたった。失った。もう、元に戻れない。取り戻せない。



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