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オータム・イン・ニューヨーク - 2001年11月02日(金) 会いに行った。昨日オーバーナイトのはずだから、今日はドクターはお昼にはうちに帰るはずだった。わたしは仕事が終わって、電話もせずに、会いに行った。追い返されたって仕方がない。それでもいい。会いに行こうって決めた。 アパートのセキュリティにちゃんと病院のIDを預けて呼び出してもらったけど、ドクターはいなかった。それでも居留守を使ってるのかもしれないと思って、お部屋まで行った。ドアをノックした。いなかった。いないなら、帰って来るはずだ。アパートの玄関の外でずっと待ってようと思った。何時まででも待ってるつもりだった。エレベーターを降りると、金曜日の夜のアパートのロビーは人でいっぱいだった。 インターンやレジデントのドクターたちががやがやと行き交う中に、玄関から入ってくるドクターの姿が見えた。ドクターはひときわ目立ってた。誰かに笑いかけたあと、エレベーターの方に歩いて来た。笑顔が素敵だと思った。帰って来た。会えた。やっと話が出来る。ドクターはわたしを見つけて、驚いた顔も見せないで、じっとわたしの顔を見ながらやって来た。後ろに黒いドレスを着た女の子がいた。 「何してるの、こんなところで」。ドクターは表情も変えずに言った。冷たい声だった。黒いドレスの女の子に視線をやりながら、わたしは何も察してないふりをして答えた。「あなたに話しに来たの」。 「何を?」 「全部話したい。謝りたいの。あなたに謝りたいの。」 「・・・。何を? 全部って何? 帰れよ。今は話せない。」 ドクターは女の子に視線を送って、わたしにその意味を示そうとした。エレベーターが来て、ドクターは女の子の背中を押して中に入れた。そして自分も乗ろうとした。 「待って。お願い。お願い。話を聞いて。お願い。」 それから名前を呼んだ。その子はドクターをなんて呼ぶんだろうって思った。わたししか呼ばない呼び方で、わたしはドクターの名前を呼び続けた。 エレベーターのドアをドクターは押さえる。「帰れよ」「お願い。お願いだから」。みっともない女は百も承知だった。黒いドレスの女の子の存在をわたしは必死で無視してるふりをした。「待ってる人がいるんだから、早くドアを閉めて」って奥から誰かが言った。わたしは引き下がらなかった。エレベーターに乗り込んだ。 3階でドアが開いて、ドクターはうんざりな顔をわたしに見せた。それでもわたしは一緒に降りた。 「今は話なんか出来ない。一体なんで来たんだよ。」 「だって、話を聞いてくれるっていったじゃない。あの次の日に電話してって。あたし電話したのに、あなたはいなかった。メッセージを残したのに、かけてもくれなかった。」 「・・・。きみは僕に嘘をついた。」 体が凍りそうだった。 「分かって。分かってくれなくちゃダメ。ちゃんと理由を聞いて。なんでわたしがそうしたか、分かってくれなきゃダメ。全部話して全部謝りたいの。」 「帰ってくれよ。僕は何も話さない。」 「もう会ってくれないの? 会ってくれるって言ったじゃない。」 「・・・。別のときに話そう。今はその時じゃない。分かれよ。」 そう言って、黒いドレスの女の子の腕を取ったドクターは、彼女に「行こう」って促した。わたしはそれでもあきらめなかった。女の子はずっと無表情によそを向いていた。 「いつ? いつなら話してくれるの?」 「明日。明日僕は休みだから、一日時間がある。明日電話して。」 「ほんとに明日、話せるの? 約束してくれる?」 「約束する。だから、今日は帰ってくれよ。」 あきらめるしかなかった。その子がどういう子なのかなんて、どうでもよかった。ドクターはお酒の匂いがした。はじめてデートしたときみたいに、一緒に飲んだんだ。 「わかった。」 わたしはエレベーターのボタンを押した。ドクターは女の子の肩を抱いて、お部屋に続く廊下に向かった。わたしは女の子の後ろ姿を見てた。 オリエンタルの女の子だった。日本人なのかどうかはわからなかった。でもきっとそうなんだと思った。黒いドレスは趣味が悪くて、パールの入った薄いブルーのアイシャドーが異様にてかてかしてた。わたしと同じくらいの身長だった。長い黒髪だった。細い体だった。でも足が太いなと思った。 ドクターはわたしを膝に乗せて、「細いなあ。おもちゃみたいだよ」って笑った。「まるでバービー人形だね。日本製のバービーだよ」「あるんだよ、日本製のバービーって」「ホント? 髪が黒いの?」「ううん、ブロンドだったと思う」「なんでさ? 日本人のバービーなんだろ?」。 ふざけてわたしを折り畳むみたいに抱いたときにも言った。「僕のバービー。ほら、こんなにコンパクトだよ、きみって」「じゃあ、バッグに入れて連れて行ってよ。どこにでも持って行けるでしょ、コンパクトだから」。 背伸びをして抱きついたら、ドクターはよく言った。「僕がジャイアントみたいに思うだろ?」「あたし、こういうのが好き。ちょうどいいよ。ちょうどいいサイズだよ」。 あの日、裸足で抱きついて泣いたあと、わたしは笑いながら言った。「あなたって背が高い」「そんなこと、何いまさら言ってんのさ」。ドクターも笑った。 そんなにすごく背が高いわけじゃないけど、ドクターの腕の中のちっちゃい自分が好きだった。ちっちゃくて軽いわたしを抱き上げて、ドクターはいつも可愛いって言ってくれた。 今ごろドクターは違うバービーを抱いている。 あの日がなかったら、きっと今わたしと過ごしてくれた。明日お休みって言った。また前みたいに一晩中、一緒に過ごせるはずだった。そしてわたしは、「明日は公園に連れてって」って、腕の中できっと言ってた。 「オータム・イン・ニューヨーク」。あの映画の通りに、落ち葉が舞うセントラルパークを一緒に歩きたかった。ずっと、そう思ってた。ずっと、その日を待ってたのに。 今ごろドクターは違う日本製のバービーを抱いてる。わたしと同じ、黒くて長い髪の。 わたしは、嘘をついたから捨てられた、ただの醜い人形。 気が狂いそう。気が狂いそうだよ・・・。 -
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