悲しみ指数 - 2001年11月16日(金) 患者さんの痛みを判断するのに、痛み指数ってのを使う。 自分にとって痛みがどの程度なのかを、10段階で答えてもらって、 その痛みに耐えられる度合いを、また10段階で答えてもらう。 人によって痛みの強さは違って、感じる度合いも違うから、 人と比べた痛さでも疾患で判断する客観的な痛さでもなくて、 その人だけの痛みを、その人が感じてる程度でわかってあげる。 そしてわたしたちは、ふたつの数字の差が縮まるように、患者さんの痛みを和らげてあげようとする。 「みんな我慢してるんだよ」なんて絶対言わない。 悲しみも同じだよね。 大きな悲しみとか、ちいさな悲しみとかって言うけど、 悲しみの原因がなんであろうと、その強さも深さも、それはひとそれぞれ。 愛する人をなくした人のほうが、飼ってた犬をなくした人より、悲しみは大きいなんて言えない。 約束の遊園地に連れてってもらえなくなった子どもより、約束が叶わなくなった恋人たちのほうが、悲しみが深いなんても言えない。 だからね、泣いてもいいんだよね。 もっと悲しい人がいるんだからなんて、我慢しなくていいんだよね。 だけど、悲しみ指数は誰に言えばいいんだろうね。 誰が和らげてくれるんだろうね。 「みんな我慢するんだから」って自分に言ってしまいそうになる。 なんでわたしの悲しみ指数、小さくならないんだろ。 もう大丈夫って思ったはずだったのに。 昨日はコーリングカードを忘れて行って、今日は仕事が長引いて、 病院から電話が出来なかった。 帰ったら、留守電にメッセージが入ってた。メッセージの通りに、夜中にかけてくれた。 あなたに会いたい。 ・・・もう言ってもいい? 会いたいよ。 会いたいよ。 会いたい。 -
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