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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年01月16日(水) 一体性・全体の福利 「AAの一体性とは何なのか? 全体の福利とは何か?」
というようなメールを頂きましたので、もう一度自分なりに考えてみました。
伝統1で示されていることは、AAが分断されてはならない、ということでしょう。
泥臭い派閥争いや、「自分の意見のほうが正しい」と言い争っているヒマがあったら、一人でも多くのアルコホーリクにメッセージを運ぶべきだという考えです。僕が直接聞いたわけじゃありませんが、仲間が「こんな言葉を聞いた」と教えてくれました。
「AAからの要請は断ることができない。なぜなら、今あなたが持っている時間は、AAが分け与えてくれたものなのだから」
そう、僕が今日一日飲まないで、当たり前のように仕事をし、食事をし、家族と会話し、アルコール以外の問題で悩んでいられるのも、すべてAAの先行く仲間が、僕に無償で手渡してくれたスピリチュアルな財産が元手となっているのです。オハイオのアクロンで始まったAAが、僕のところまでに届くまでに、ほんとうに沢山の仲間が関与してくれたはずです。そのどこかの誰かが、
「もう自分が助かったんだから、これでいいや、メッセージなんて運んでも無駄だし」
と考えていたとしたら、僕の手元にAAのプログラムは届かず、僕はおそらく今も酔っ払って
いたでしょう。
「でも僕らも食べていかなくちゃならないからね」とは同じ仲間の言葉です。そう、フルタイムでAAの活動ができる恵まれた仲間はほんの一握りで、残りの大多数は働きながらミーティングに参加したり、病院を訪れたり、委員会やイベントをやったりしているのです。
はっきり言って、自助グループに参加していくのは楽じゃありません。仕事・家庭・AAのバランスをどうとるか。どれにどれぐらい時間を割くか、メンバーは皆同じ悩みをかかえていることでしょう。
「無償でもらったものは、無償で返せ」と言われます。多少の献金は払ったけれど、それで誰かが儲けているわけじゃありません。自分のもらった財産の大きさは、育ててもらった親への恩に次ぐ大きさです。でも、それを返す先は、スポンサーではなく「次の人」だというのですから、やっかいです。なかなかスピリチュアルなプログラムの「次の受け取り手」が見つかるもんじゃないですからね。
まあ、僕も地区委員の役目は途中で放り出したクチですから、先の仲間のような言葉を言えた義理じゃありません。でも、自分の平和な生活が、仲間の一体性と自己犠牲の上に乗っかっているんだということは、なるべく忘れないようにしていたいです。
質問の答えになっているでしょうか。
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