ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年02月22日(金) 何のためにやっているのだろう 駅前の英会話スクールに通うのが、だんだん面倒になってきました。最初のうちは「初心者の域から脱してやるぞ」という意気込みで行っていたのですが、少しずつ慣れてきて、さらに自分の進歩があんまり感じられなくなってくると、「何のためにやっているのだろう」という思いを心の中から拭い去ることが難しくなります。
英語がすぐに仕事に役に立つわけじゃないし、レッスンを週末に集めたせいで、週末のんびり過ごせなくなっているのも事実です。こうやって、体が疲れているとかいろんな言い訳が湧いて出てくるのですが、とりあえず「お金を前払いしてあるんだから、途中でやめちゃうと大損」という強烈な現実が、僕を駅前まで歩かせるのです。
AAのミーティングも同じ傾向があるかもしれませんね。ミーティングに出ることで、即効性のある何か(心の安らぎとか)を毎回得られるわけじゃありません。どちらかって言うと、長い時間の中で仲間が見せてくれる姿、飲まない仲間は、肉体・精神・心理・経済・信頼・家族・人間関係などなどがゆっくりとでも(行きつ戻りつでも)回復していく姿を見せてくれます。飲んでしまう仲間の姿は、「自分も同じようになり得る」という強烈なメッセージを与えてくれます。それに気づくには、それなりの長い期間が必要なはず。
AAでは、誰かがミーティングに来なくなっても、強引に誘ったりしないものです。ミーティングに行かない言い訳は、いくらでも考えつけます。「何のためにミーティングに通っているのか」見失うのは簡単で、探し出すのは難しい。僕もそうでしたから。
10年目のバースディの仲間の言葉が思い出されます。
「これが趣味のサークルか何かだったら、10年は続けてこれなかったはずだ」と。
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