ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2002年10月30日(水) たわごと? 仕事の合間にネットを見ることは多いのですが、さすがにネットサーフィンは飽き飽きしているので、最近はニュースを読んでいることが多いです。 この頃はどの新聞社も速報を出してくれているんで、お金を払わなくてもニュースに困ることはありません。 (おかげで、活字新聞は解説記事ぐらいしか読まなくなってしまいました)。 社によって報道の詳細が違うところもあり、メディアを信用することの危うさを教えてくれます。
今日のニュースには、こんなもの も紛れ込んでいました。
僕も女の子二人の親でもあるので、こうした記事を見ると本当に暗い気分にさせられます。あまりの陰惨さに怒りを覚えることもしばしばです。 無論そうなると仕事に身も入りません。しかし考えて見ると「自分に責任がないとわかっている場合の怒りほど楽しめるものはない」という警句にそのままあてはまります。 「怒りをもてあそんでいる」と言われれば、まさにその通りに違いない。
犯罪を裁くことは社会を維持していくために欠かせないことで、これは致し方ない、当たり前のことです。しかし、「うめくように泣いているのに、耳栓をして寝た夫婦」は、精神の病気だったのでしょうか? そんなことはありますまい。 聖人でもない「当たり前」の人間が、状況の中でなる病気が「霊性の病気」でしょう。 人間としても思いやりや、誠実さ、自と他のバランス、そうした大切なものを失ってしまう病気。霊的な病気の発露のひとつとして依存症となり、そこからの回復において「霊性を何より第一の価値とする」と決めた僕たちは、発露の違いはあれ同じ「霊的な病気」の仲間を裁いたり、非難したりすることはやはり避けねばならないし、そうした行為は結局はブーメランのように戻ってきて、僕ら自身をすぐに傷つけてしまうのです。 (その証拠に仕事になってないし)
先行く仲間の残してくれた警句に感謝しながら、3人のために少し祈り、仕事に戻りました。そんなわけで、今日はすこし神妙に過ごしたのでした。
「世界が愛と善で満ちるほかはない」という言葉は、宗教家か夢想家のたわごとだと片付けていた過去の自分がかなり恥ずかしいです。 まあ、世界の一員として、ともかく自分の回復を考えねばなりません。
もくじ|過去へ|未来へ![]()
![]()