Onry Me
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2001年05月16日(水) 父がガンで死んだ時(4)一時帰宅

手術から数日後、父の腹痛も解消され久しぶりに
ご飯を食べる事を許されました。
メニューはおかゆを中心とした質素なものでしたが
父にとっては待ちに待った数週間ぶりに食べるご飯でした。

父はそれほどの量は食べられなかったものの、おかずで
出た味噌田楽につける甘い味噌が大変美味しかったらしく、
しみじみと旨い、旨いと繰り返し言いながら食べていました。

12月も中旬に入り師走で世の中が慌ただしくなる中、
私と母は担当医に呼び出されました。
父が入院して一週間以上が過ぎ、検査の大まかな結果が
出だしたので今後の治療方針を決める為、病院に来て
ほしいとの事でした。

しかし担当医から父の検査結果を聞かされた私と母は
愕然としてしまいました。
父のガンは私達の想像を遥かに越えるほど進行して
いたのです。

担当医はレントゲンを私達に見せ1つずつ丁寧に
父の病状を説明してくれました。
ガンの大もとは腸閉塞をおこす原因を作った横行結腸
にできた腫瘍でした。
その他、大腸の他の部分にもガンの転移が見られ、
肝臓にも星状に細かなガンの転移が見られるとの事でした。

父は既に末期ガンの一歩手前の状態でした。

母は担当医にどうにか治療の方法がないかと
しきりに尋ねていましたが担当医からは色よい
返事はもらえませんでした。

担当医が言うには、あまりにもガンが広範囲に
転移しており手術は技術的にも肉体的にも不可能
だろうとの事でした。

担当医のその発言は私や母にとっては父が死刑宣告を
受けたのと同じ事でした。

うな垂れる私達をよそに担当医は今後の
治療方針を話し始めました。

父の手術が出来ない以上、今後は対処療法を中心に
やっていくとの事でした。
対処療法とはガンに直接、薬剤を注入したり放射線を
当てたりして父の体力を落とさない程度の抗ガン治療
を行い体力を維持させながら、ガンの進行を出来るだけ
遅らせようという物でした。

しかし、この治療法がガンを治すための物ではなく単なる
気休めにしかならない延命治療である事は素人の私達にも
明らかでした。

母は父があとどれくらいの命なのか・・・、
あとどれくらい生きられるのかを医師に尋ねました。

先生は一瞬困った表情をしましたが慎重に言葉を
選びながら言いました。
「・・・それは、はっきりとは申し上げられません。
  半年なのか三ヶ月なのか・・・。
 人によってガンの進行には個人差がありますから
 一概にいつまでとは断言できません・・・。」

そしてその後、はっきりとした口調で続けました。
「・・・唯、今年のお正月が最後の
 お正月になる事だけは確かです」

もう母も私も何も言えなくなっていました。

とりあえず担当医との話し合いの結果、父には正月を
自宅でゆっくり過ごさせてあげる事とガンの告知は
正月明けに再入院したときに最終検査を行いその結果が
出たら告知する事が決まりました。

その後、私達家族はテレビ、雑誌、本、インターネット、
友人知人・・・、
ガンに関する何か良い治療法はないか必死になって探す
毎日を繰り返しました。
そして、父の命を救う為、今後どうすればいいかを
毎晩話し合いました。

まだ、私達は父が生き続ける道を諦めてはいませんでした。

実際、母は、都内の有名な病院の先生を知人に紹介して
もらい話を聞いてもらったりしましたが、父のレントゲン
を見せるとやはり治療は難しいとの事でした。

父のガンに対し科学治療に活路を求めるのは
限界に達していました。

12月27日
慌ただしい毎日を送る中、父の一時退院の日が訪れました。
私が車で迎えに行くと父は久しぶりの帰宅が嬉しいらしく
心なしか表情が晴れやかでした。

家に着くと父は早速、自分のいつも座るソファーに
どっかりと腰を下ろしリラックスした表情でテレビ
を見始めました。

父のその姿は病気になる前の父の姿と何ら変わる事が
ありませんでした。
私はその父の姿を見ていると何だか父が病気だという
事を忘れてしまいそうでした。
そこには、何年、何十年と繰り返されてきた私達
家族の日常の風景がありました。

唯、家に帰って一つだけ父にとって悲しい
出来事がありました。
それは、一番父になついていた家で飼ってる愛犬コロ
が2週間程度家に居なかっただけの父の事をすっかり
忘れていた事でした。

これには父も心底ガッカリしていました。
コロの散歩に行くのも、体を洗ってやるのも、
餌をあげるのも、予防接種等を受けに病院へ
連れて行くのもすべて父がやっていたのです。
それどころかこの犬を貰って来たのが父自身なのです。

その愛情を2週間程度で忘れ、恩を仇で返すような
バカ犬を見るにつけ私は父が心底、気の毒に思えて
しかたありませんでした。

今でも寂しげな表情で愛犬コロを見ていたあの時の
父の表情は私の脳裏に焼きついて離れません。


パンチョ |MAIL

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