Onry Me
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2001年05月18日(金) |
父がガンで死んだ時(6)再入院 |
1月11日 お正月の一時帰宅もあっという間に過ぎ、 父は再び病院に入院しました。
1月に入り、私や母はとても焦っていました。
父のガンが末期の一歩手前だという事実を知ってしまった 以上、一刻も早く父にガン告知をしてガンの治療を受けさ せてあげたかったからです。 ・・・しかし、病院の担当医は父が再入院した後も 一向にガンの告知をしようとはしませんでした。
父にガンの治療を受けさせる為には 父へのガンの告知は避けては通れません。
母は、何度も担当医に早く告知をして欲しいとお願いを していましたがその都度、
「ご主人のガンは何年もかけてあそこまで 大きくなったんです。 今更そんなに焦ってもしょうがありません。 現在、今後のご主人の治療方針を検討している段階 なのでもうしばらくお待ち下さい」
と、焦る私達に対し担当医は毎回、同じような返事を 繰り返すだけでした。
実際この時の担当医の対応には私も 多少なりとも腹が立ちました。
しかし、これは後になって知った事なのですが、担当医も 父の精神的ショックを考えると、どのような状況で告知を すればいいのかとても悩んでいたんだそうです。 担当医自身、外科医としてはもう治療の方法がなく お手上げの状態だった中で父にガンの告知をしなければ いけないという現実に苦慮していたのです。
私と母は年末からずっと、いろいろなガン治療に関する 情報を集めていましたが1月に入り、ある程度家族の中 での話し合いがまとまり、今後病院を移り新たな治療を 受けさせていこうという意見で一致しました。
それは、このまま今の病院でただ、死を待つよりも 病院を移って少しでも父が生き残れる可能性に賭け ようというものでした。
私達は手術も出来ず放射線などの科学治療も効果の 期待出来ない現状の父を救う為には西洋医学、 東洋医学を問わずに出来る限りの治療を試して みようという結論を出したのです。
その結果、私達は今後父に対して漢方薬と気功と ガンの免疫療法という三つの治療法を試みる事に しました。
漢方薬に関しては中国でとても実績のある漢方 という事で、届くまで半月程度の時間がかかる との事でしたが注文をする事にしました。
気功は、母の会社の知り合いが教えてくれた有名な 中国人の気功師が来てくれる事になりました。 その気功師は、今まで気功で何人ものガン患者の 人たちを治した実績があるとの事でした。
早速、気功師の先生には正月明けから、来てもらい 父に気功の治療をしてもらいました。 まだ、ガン告知を受けていない父に対して母は、友人の 知り合いの気功師が病気の父を知りわざわざ無料で父 を見に来てくれる事になったと言ってごまかしていました。
しかし実際はわずか、1時間足らずで4万円もの 金額を支払っていました。
病は気からと言う言葉が昔からありますが、実際父は その気功が結構、効いているみたいでした。 しきりに気功を受けた後は体が暖かくなり、腸がゴロゴロと 活発に音を立てて動くと言っていました。
そして、私達がもっとも期待していたのが、ガンの免疫療法 という治療法でした。 当時、私達は板橋区にガンの免疫療法という治療法を 行っている病院がある事をを知り、そこで父に免疫療法 を受けてもらう事にしたのです。
免疫療法とは健康な人の細胞からガンを攻撃する細胞を 取り出してそれを培養しガン患者に注射してガンを攻撃 させようというものでした。
私達が免疫療法に賭けてみようと思ったのは副作用が ほとんどないという事と、末期の患者でも治る可能性 が十分あるとの情報を信じたからでした。
しかしながら、結論から言ってしまえば、これらの 治療法は父にとって、まったく無力なものでした。
ただ、当時の私達にはその事を知る芳もありませんでした。
今になって冷静に考えてみると、どの治療法も効果の 程は疑問符が付くものばかりなのですが、その時の私達 の心理状態はまさに苦しい時の神頼みの状態でした。
その当時は「なんとかして父の病気を治してあげたい」 と願う、必死な思いしかありませんでした。
そして、慌ただしい毎日に追われる中、ついに父への ガンの告知が1月18日に行われる事が決まりました。
父が再入院してから一週間・・・。 とうとう1月18日の当日を迎え、父がガンの告知を 受ける日が訪れました。
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