Onry Me
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2001年05月19日(土) |
父がガンで死んだ時(7)告知 |
1月18日 夕方、父は母の付き添いで担当医から ガンの告知を受けました。
その夜、家に帰って来た母は私にガン告知を受けた時の 父の様子を、語ってくれたのですが、私はその話を聞き 父の偉大さに心底驚かされました。
父は担当医から大腸に出来たガンの事・・・、 そのガンが肝臓に複数に渡って転移している事・・・、 そしてもう既に手術が出来ない状態である事などを 包み隠さずに聞かされたのですが、父はすべてを冷静に 聞き先生の話が一通り終わった後に一言だけ
「・・・その状態じゃ、しかたないですね。 私は素人で病気の事はよく解らないので、 今後の事は先生にすべてお任せします」
と表情一つ変えずに言ったのだそうです。
息子の私が言うのも何なのですが、父は昔から 非常に根性のすわっている人で人前では絶対に 弱い所を見せた事が無い人でした。
もし私が父と同じ立場だったらと思うと、 気が動転してとても父のような振る舞いは 出来ないと思います。
手術が出来ないという事は近いうちに間違いなく 父の身に死が訪れるという事を意味しているのです。
それを表情一つ変えずに自分の現実を受け止めた 父の事を知った時、私は改めて父の偉大さを知る と共に父の息子に生まれた事を心から誇りに思いました。
翌日、私は父の病院にお見舞いに行く事が出来ませんでした。 今まで父が入院してから一日も欠かさず病院に行っていた のですが、父が相当なショックを受けているのではないか と思うと、どんな顔をして父に会ったらいいか解らなかっ たからです。
実際、父はガンの告知を受けても顔色一つ変えずに いましたが、その晩に再び腸が詰まってしまい食べた 物を戻してしまいました。 表情や態度には出さないものの、父の精神的ショックは やはり大変大きなものだったのだと思います。
父のガンは既に他の場所でも肥大化し、複数の場所で 腸が閉塞状態を起こしつつありました。 父はガンの告知を受ける前に晩御飯を食べたのですが、 このご飯が父の最後の食事となってしまいました。
私が父に会いに行ったのは父がガン告知を受けた 2日後の事でした。
私が、おそるおそる病室に入ると父は鼻から チューブを入れられていました。 このチューブは胃の内容物を吸い上げる為に つけている物でした。 胃から下に物が落ちないため常にチューブで胃の 内容物を吸い上げておかないと苦しくなってしま うのです。
病室に入った私に父はすぐに気がつきました。 父は笑顔で 「おう!久しぶりだね!」と声をかけてきました。 私も2日しか経ってないのに何だか父に会うのが 久しぶりのような気がしました。
父の様子は表面上は告知を受ける前とあまり 変わりませんでした。 私はその父に 「ごめん。昨日はちょっと忙しくて来れんかった」 と嘘を言ってしまいました。
父は自分がガンである事を母から聞いたかと尋ねて きたので私は軽く頷きました。 父は一言「驚いただろ?」と言いました。 私は何と答えていいか解らず 「・・・もしかしたらとは思ってたけど・・・・」 と言うのがやっとでした。
それから数分間、私と父はお互い何も喋りませんでした。 長い沈黙の中、私は父のベットの脇にある卓上カレンダー に目がいきました。
普段から非常にマメな性格だった父は入院してから 毎日、卓上カレンダーにその日、どんな検査を受けた か等、病院での出来事を日記代わりに事細かく、書く ことを日課にしていました。
・・・しかし、告知を受けた18日以降は何も書かれて おらず真っ白の状態でした。
私は改めて父が私などでは想像も出来ない程の ショックを受けている事をそのカレンダーを見て 思い知らされました。
私は長い沈黙を破り父に話かけました。 「あのさぁ、今、ガンに良く効くって評判の漢方薬 を頼んでるんだけど・・・ それが凄いらしくてさぁ、実際、ガンになった人が 何人も治ってるらしいんだよ。 多分、一月の末くらいまでには来ると思うから、 それ飲めばきっと良くなるよ」
私は父に対して何の励ましにもなっていないと 知りつつも何かを言わずにはいられませんでした。
父はニッコリと微笑みながら
「・・・ありがとう。 でもそれまでお父さん生きてるかなぁ・・・」
と冗談とも本気とも取れる発言をしたのです。
しかし実際、その発言は父の本音だったのかも しれません。 私は父を何と言って励ましてあげたらいいのか 解りませんでした。 ただ一言、
「あのねぇ・・・ 人間なんてもんはそんなに簡単に死んだりしなの! ・・・大丈夫だって!」
精一杯の作り笑顔で、その一言を父に言うのが 私には精一杯でした。 それ以上私は何も言うことが出来ませんでした。 言えば涙が出そうになってしまうからです。
男として、息子として父の前で涙を流す事は 絶対に出来ませんでした。 一番辛いのは誰でもない父自身である事が 痛いほど解っているからです。
父は私の前では必死に強い父親を演じていました。 この想いに私も何とか答えようと努めて冷静な 自分を演じました。
父と話していて涙が出そうになると私は、 さりげなく窓の外に目を向けて心を落ち 着かせました。
窓の外では楽しそうな親子ずれや買い物帰りの主婦 など、平凡な日常の風景が広がっていました・・・。
1月18日。 ガンの告知を受けたこの日を境に 父の体調は徐々に悪化していきました。
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