Onry Me
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2001年05月21日(月) 父がガンで死んだ時(9)2月:最後の一週間

2月に入り父の容態は目に見えて悪化
していました。
幸いガンによる痛みは無かったのですが
腹水が溜まり出した事でお腹が張ってしまい、
しきりに呼吸が苦しいと訴えていました。

この頃の私と母の家での会話は次第に父に
もしもの事があったらどうしようかという
話をする事が多くなってきていました。

勿論、二ヶ月前まで元気だった父が死ぬなんて
事は私も母も考えてはいませんでした。
しかし、心のどこかでは父が近いうちに死んで
しまうであろう事を感じていたのかも知れません。

生前父は会社を自分で経営しており、かなりの
額の借金をしていました。
しかし私や母は父がどこの金融機関に、どれくらい
の借金があるのかといった細かい事は一切教えても
らっていませんでした。

私は母から再三に渡って父に借金の事や会社の
事など今後父にもしもの事があった場合の事を
聞いておくように頼まれていました。

何故私が母に頼まれていたのかというと、昔から
両親は父の借金の事で夫婦ゲンカが絶えなかった
からです。
もし、母が父にその事を聞こうとしたら恐らく
病気の身とはいえケンカになっていたかもしれ
ませんでした。

しかし結局私自身、父に何度も借金や今後父の身に
万が一の事が起きた時の事を聞こうと思ったのですが、
いざ父を目の前にするとどうしても聞く事は出来ません
でした。

なぜなら、私自身それらを父に聞く事は父の死を肯定
してしまうような気がしたからでした。

うまく表現が出来ないのですが、父に遺言めいた事を
聞いたら本当に父が死んでしまうような気がしたのです。

当然、父は末期のガンであり、常識的に考えれば
父の命がもう長くない事は解りきった事なのですが、
そんな状況にあっても未だに父と死というイメージ
を私の中で結びつける事が出来ませんでした。

どこか私の心の中で、父にかぎって死ぬはずはない・・・
父だけは絶対に奇跡的に助かるはずだ・・・
そういうふうに思いたかったのかも知れません。

しかし、2月に入ったこの時期に父は生への執着
を断ち切られるようないくつかの辛い出来事がありました。

ある日、父のお見舞いに行くと父が大変なショック
を受けていた事がありました。
私がどうしたのかと尋ねると父はベットの
背もたれの角度を変えようと思い、足元にあるレバーを
回そうと中腰になってしゃがんだ所、そのまま自力で
立てなくなったのだと言いました。

体力には人一倍自身があった父でした。
元気な時はタンスや机程度なら1人で運んでしまう位、
力があったのです。
それが、病気になって二ヶ月足らずで自力で立てなく
なるまで体力が衰えてしまった事に父は相当なショック
を受けていました。

今まで自分で出来る事は常に自分でやって来た
父でしたが、この出来事の数日後にはもう自力
では立てない体になってしまいました。

また父は、よく眠れない時や暇な時はラジオを
聞いていたのですが、
ある日、冗談半分で

「朝方のラジオって宗教とか誰かが死んだとかいう
 ニュースばっかで嫌なんだよね」

と言った事がありました。

この頃から父は夜、眠れないという事で点滴に
睡眠薬を混入してもらうようになっており父自身、
次の日、目が覚めなかったらと思うと眠りにつく
のが怖かったんだと思います。

父はいつ来るとも解らない死への恐怖と
毎晩戦っていたんだと思います。

その後も一緒の部屋に入院していた父の隣のベットの
おばあさんが深夜に亡くなったりと父にとっては大変、
嫌な出来事が続きました。

しかしこんな状態になりながらも父は私や姉には
大変、気を使ってくれていました。

父の気遣いを特に感じたのが、いつも私が父の
お見舞いに行くと30分も経たないうちに

「ありがとう!もう帰っていいよ」

と言う時でした。

父のその発言は明らかに仕事と学校の合間を
縫って見舞いに来ている私に対する気遣いでした。

しかし私は息子として父に気を使われるのが
物凄く嫌でした。

父には家族である私の前では本音を言って
欲しいと思っていました。
痛い時は痛い・・・。
辛い時は辛い・・・。
何かやって欲しい事があればやって欲しい・・・。
と気を使わずに何でも言ってほしかったのです。

私はこの頃、何も食べれなくなった父の目の前で
わざとサンドウィッチを食べた事がありました。

それは、私なりに父に対して自分は父さんに何一つ
気を使ってないから父さんも自分には気を使わない
でほしいという思いを込めたメッセージを父に伝え
たかったからでした。

しかし、父は私のその様子を見て微かに
微笑んだだけでした。

結局父の私や姉に対する気遣いは最後まで
変わる事はありませんでした。

近いうちに父が昏睡状態になる事も知らず、
この頃の私と父は相変わらずお互いに気を
使いあい、自分の本心も言えず、父の本音も
聞けず、ただ何となく無為に毎日が過ぎてっ
たような気がします。

今となっては何でもっと本音で父と会話を
出来なかったんだろうと後悔するばかりです。


パンチョ |MAIL

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