Onry Me
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2001年05月22日(火) |
父がガンで死んだ時(10)危篤 |
2月8日の午前10時ごろ。 私の携帯に病院から緊急の連絡がありました。
それは父の血圧が急激に下がり始め意識が朦朧 としだしたので至急病院へ来て下さいとの電話でした。
突然の電話に私は頭の中が真っ白になって しまいました。 前日まで普通に話をしていた父が危篤になって しまうなど私には想像できませんでした。
私はすぐに病院へ駆けつけました。 病室に入ると先に来ていた母と姉の姿があり、 その背中越しに父の姿が見えました。
父は意識はまだあるものの目を開けたり、体を 動かしたり喋ったりといった事が出来ない状態 になっていました。
私は思わず「父さん。俺の事解る?」と 父にかけより手を握り大きな声で叫びました。
父は私の必死の問いかけに対し力強く私の手を 何度も何度も握り返してくれました。 私の手を握り返す父の手の力強さはとても意識が 朦朧としている病人のものとは思えないくらい 力強いものでした。 今でもその時の父の手の感触を忘れる事はありません。
そして、父は私の手を握りながら必死で何かを 言おうとしていました。 私は必死に父に顔を近づけ何を言ってるのか聞き 取ろうとしましたが父の口は微かに動くだけで その言葉は声にはなりませんでした。 私は父が最期に何を言いたかったのかを 知ることは出来ませんでした。
私は意識が朦朧としている父を目の当たりにし、 もうこのまま一生、父と話をする事が出来なく なってしまうのかと心の中で思った瞬間、 ふいに涙が出てきてしまいました。 父のいる目の前で初めて私は泣いてしまいました。
その後、しばらくして、父の兄弟である兄夫婦が 父の危篤の知らせを受けて病院に来ました。
私と姉は大勢人がおり、病室が狭いので気を 利かせて一旦外に出る事にしました。
外に出た私と姉は近所にあった公園で 時間を潰す事にしました。 その公園には私達以外誰もいませんでした。 私は回りに誰もおらず、人に見られていない という安心感から初めて大きな声を上げて 泣いてしまいました。 それは、子供が泣きじゃくるような感じに 似ていました。 激しい嗚咽で喉が詰まり呼吸が苦しく、あんな 泣き方をしたのは子供の時以来だったと思います。
そんな私の様子を見ていた姉は近所のコンビニで ハンカチを買って来てそっと私に手渡してくれました。
「まだ、お父さん死んだわけじゃないんだから・・・」
姉は笑顔で私に言ってくれました。
私はこの時ほど兄弟がいる事を有り難いと 思った事はありませんでした。 恐らく自分が一人っ子だったら、もっと 私はショックを受けていたと思います。
1時間程度公園で時間を潰して病院に戻って みると父の病室が大部屋から個室に移されて いました。
最後の時が近い父に対して家族だけで個室で 過ごさせてあげようという病院側の配慮でした。
夕方6時を過ぎ兄夫婦も帰り、個室に居るのは 私達家族だけになりました。 母、祖母、姉、私が静かにベットに 寝ている父を見守っていました。
しかし、父のおかれた状況を解らない1歳半に なる姉の息子だけは、しきりに父の手を握り 「ジィ〜ジ、ジィ〜ジ」と喋りかけていました。
父は元気だった頃、よく孫の遊び相手を していました。 恐らく姉の息子は父に向かって寝てばっかり いないで自分と遊んで欲しいという事を言い たかったんだと思います。
しかしこの後、驚く事に父は孫の問いかけに 答えたのです。 指を孫の方に向けクルクルパーという ジェスチャをやったのです。
もう既に目も開けられず、声も出せなくなって いる状況だったにも関わらず、父は気を使い孫 の相手をしてくれたのです。
意識が朦朧としている父は、間違いなく自分が このまま危篤に陥りその後、死ぬであろう事は 解っていたと思います。
それなのに、父は最後まで私達に心配を かけまいと気を使い続けてくれました。
本当に最後の最後まで人に対する気遣いを 忘れない素晴らしい父親でした。
この日から母は病院に泊り込み、つきっきりで 父の看病をする事になりました。
それは母にとっても父にとっても二人っきりで 過ごす最後の時間となってしまいました。
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