Onry Me
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2001年05月23日(水) |
父がガンで死んだ時(11)父が死んだ朝 |
2月9日。 私が夕方病院へ行くと既に父は 完全に危篤状態に陥っていました。
父の呼吸は荒く、とても、息苦しそう見えましたが 表情は別段、苦しそうにしている様子もなく本当に ただ眠っているだけのように私には見えました。
私は危篤の父を目の前にして、何もしてあげる事が 出来ずただ、何時間も冷たくなりかけていた手や足 をさすってあげる事しか出来ませんでした。
夜、面会終了の時間になり帰ろうとすると、母は 私に荷物を持って帰って欲しいと大きな手提げを 手渡しました。
それは大量の血で染まったベットシーツと父の パジャマでした。 父は昨日の晩、大量の下血をしたとの事でした。
父の血圧が下がり、危篤に陥った原因は大腸の 腫瘍部分からの大量の出血が原因でした。
私はその血に染まったシーツとパジャマを見て、 改めて父の死が目の前まで迫っている事を痛感 すると共に自分自身、今ある現実から目をそら さずに父の死を受け入れようと覚悟を決めました。
2月10日。 早朝6時頃、私の携帯が突然鳴りました。 恐らく父に関する事だろうと思って急いで 電話に出てみると、案の定その電話は母から のものでした。
母は疲れきった声で一言、父の容態が 危ないので至急病院に来て欲しいと言 いました。
一時間後、私が病院に駆けつけると姉が先に 来ており母と二人して泣きながら父を見守っ ていました。
ベットで寝ている父は明らかに昨日の状態とは 違っていました。 とても呼吸が浅く、ぱっと見ただけでは息を しているかどうかさえ解りませんでした。
しかし、呼吸をするたびに微かに上下する父の 胸の動きと血圧と心拍数を表示しているモニター は間違いなく父がまだ生きている事を私達に 教えてくれていました。
姉は泣きながら私に、父の下がり続けていた血圧が 私が来た途端、奇跡的に上がったと言っていました。 私が来てくれた事を父がわかってるんだと泣きながら 言っていました・・・。
私は正直、今病院に来たばかりで私が来て本当に 父の血圧が上がったのかどうかは良くわかりませ んでした。
私が血圧と心拍数を表示されているモニターを 見ると父の血圧は微妙に上がったり下がったり を繰り返しているだけでした。
体が人一倍丈夫だった父でした。 恐らく心臓も人一倍丈夫に出来ていたのでしょう。 父の体は最後まで死と戦い続けていました。 それは病院の医者ですら驚く程でした。
ただ私は父にはもうこれ以上がんばって 欲しくはありませんでした。 もう助からないと判っている以上、 早く楽になって欲しいと思っていました。
私は必死に頑張る父の手を握り 一言だけ父に声をかけました。
「もういいよ・・・十分がんばったんだからさぁ、 もう頑張んなくてもいいって・・・ 苦しかったでしょ?・・・もう楽になりなよ・・・」
危篤の父に聞こえているとは思いませんでしたが 私は父に対して何か言わずにはいられませんでした。
姉と母は再び泣きだしました。 しかし私自身は、もう涙が出る事はありませんでした。
その後しばらくして、私の言葉が届いたのか 私の思いが通じたのかわかりませんが、父の 血圧は徐々に下がっていきやがて血圧や心拍数 が表示されているモニターは永遠とフラットな 横棒だけを映し出している状態になりました。
それは紛れもなく父の心臓が完全に 停止した事を知らせていました。
父は眠るように息を引き取りました。 とても安らかな死に顔でした。
2000年2月10日午前9時5分。 57歳にて父は亡くなりました。
・・・父親の死を看取る。 それが私の父にして上げる事が できる最後の親孝行でした。
父の死は大変辛く悲しいものでしたが、 私は父親の死に目に立ち会えた事・・・ 家族みんなで父を見送れた事を 今では心から良かったと思っています。
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