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2001年05月25日(金) |
父がガンで死んだ時(13)父の証し |
以前、私は父がこの世に残したかった 証しを知っていると書きました。
父の残したかったその証しとは 仕事で成功する事だったのです。
父は仕事に関しては非常について いない人でした。
父は昔、貿易会社で働いていたのですがその会社 が倒産した為、その後、父は自分で会社を興し、 前の貿易会社で一緒に働いていた社員数人を雇い 仕事を始めました。
しかし、最初から多くの仕事があるわけでもなく、 社員の人件費ばかりが、かさんでしまい次第に 自転車操業のような状態に陥ってしまいました。
この頃は母が保険の仕事で得た給料までも父の 会社の社員の給料として支払ってしまうという ヒドイ状態でした。
結局会社は2年程度で経営に行き詰まり社員には 辞めてもらうことになったのですが、その頃には かなりの額の借金が残っていました。
その後、手先の器用だった父は知り合いの大工 と共に補修工事の仕事を始めました。
そして運良く父は、とある不動産関係の会社の社長 と知り合い、その会社の所有する物件の補修工事の 仕事をちょくちょく貰えるようになりました。
仕事の量は月によってまちまちで、収入もあまり安定 していませんでしたが、昔のように多額な人件費が かかる事もなく、少ない収入ながらも徐々に会社は 軌道に乗り始めていました。
私自身も人件費節約の為、よく父の仕事を 手伝わされていました。 ビルの外壁のペンキを塗ったり、床のタイルを 張り替えたり、時には引越しや廃墟同然の古くて 汚いビルの清掃等、父は依頼されればどんな仕事 でもやっていました。
父の仕事はいわゆる3K(きつい・汚い・危険) でしたが働いている時の父はとてもイキイキして いました。
以前、父と私はビルの屋上で排水溝の詰まりを直す 仕事をした事がありました。
その排水溝は大きな貯水タンクの下にあり、僅かな 隙間しかありませんでした。 その為、父はその僅かな隙間に寝転がって入り必死に 排水溝に詰まったゴミやヘドロを除去する作業をして いました。
この頃は丁度、梅雨の時期で排水溝が詰まった屋上は 水浸しの状態でした。 父は泥水まみれになりながら必死に排水溝の詰まりを 直していました。
私はその父の様子を見て、仕事でお金を稼ぐという 事がどういう事なのかをまざまざと見せつけられました。
私は父から給料として日給5千円〜1万円を 貰っていました。 給料の額は仕事量により毎回変わっていたのですが 父から貰った給料は私が今まで経験したどんな仕事 の給料より重い物でした。
一万円というお金は誰がどう見ようと一万円の 価値しかありません。 ギャンブルで得た人がいようと・・・ 援助交際で得た人がいようと・・・ 人から脅し取った人がいたとしても・・・ 路上で拾った人がいたとしても・・・ どのような状況で得たお金であろうと貨幣の 価値に差はありません。
しかし私が父の仕事で稼いだ一万円はどんな一万円 よりも間違いなく重いものでした。
父と共に汗水流して働き、時には怪我をして血を流す 事もありました。 そんな思いをして稼いだ一万円は心から胸を張って 誇れる物でした。
私は汗まみれになって働く父の背中を見て 熱意をもって働く事の大切さを学んだよう な気がします。
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