一橋的雑記所
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2005年11月05日(土) |
海を見に行く。〜初夏〜 下書き版(え)。※060627.追記。 |
久々、半纏仕様(何)。
こっちの予定なんてお構いなし。 突然掛かってくる電話。 それとも、鳴らされるドア・チャイム。 レポートやバイトを理由にすれば。 何時まで待てばいい?何処で待ってればいい? そんな言葉をあっさりと返してくるから。 断るに断れない。 そんな状態が始まって。 気が付けば、何ヶ月目に入っただろう。
海を見に行く。 〜初夏〜
だからそれも、そんな突然の誘いの延長線上にあって。
「海見たくない?海」 「こんな時間から?」 「うん、大丈夫。往復30分位だと思うよ」
私は良いけれど、と言いかけて言葉を飲み込む。 大学入学と同時に独り暮らしを始めた私と違って。 彼女は自宅からの通学を続けていた筈で。
「大丈夫だってば」
飲み込んだ言葉が聞こえていたかのように。 彼女はフロントガラスの向こうを見据えたまま口元だけで笑った。
夕暮れ時、結構込み合っている国道をのんびりと南下して。 彼女が行こうとしている海が何処なのかに思い当たって。 ちょっと、懐かしい気持ちに襲われる。 いつかの夏、不意に思いついて、彼女と、私の最愛の妹を誘って出掛けた。 あの頃の彼女も我が妹も、いつも、何処か不機嫌そうにしていたから。 取敢えず、何処かに連れ出したくて、強引に誘い出したのだった。 勿論、免許も車も持たないあの頃の私たちは。 幾つもの電車を乗り継いで、行ったのだったけれども。
「まだ、泳ぐには早すぎるよね」 「そうね、泳げてもこんな時間からじゃ無理でしょうけど」
そうだね、と返しながら、彼女は右のウィンカーを点滅させる。 最近は、随分と大人しい運転をしてくれるようになった。 こうして突然ドライブに連れ出されるのが。 最初の頃ほど苦にならなくなったのはそれも大きい気がする。
「なあに? 今の笑いは」 「笑ってないわよ。上達したわね、って思ってたの」 「運転? そりゃまあね」
毎日の様に乗りまわしているからねえ…と呟いた横顔の向こうに。 松林越しの夕陽が覗いて、眩しさに目を逸らした。
「後は蓉子のお陰かな?」 「私?」 「うん、人を乗せるようになると、やっぱね」
独りの時如何に無謀に運転していたのかが改めて分かった、と。 彼女は、小さく声を立てて、笑って見せた。
車を停めた後、二人して少し急ぎ足で浜辺に向かう。
「閉場時間まで後、一時間もないわよ」
自動清算機しかない駐車場を振り返りながら私は少し不安になる。
「大丈夫だって」
さっきから彼女は、根拠も無くそんな言葉ばかり繰り返している。 何だか、不思議な気分だった。 いつか此処に彼女や私の妹を連れて来た時は。 その言葉を口にするのは私の役目だったのに。
ごつごつした黒っぽいコンクリートを乗り越えると。 ひと気のない浜辺が夕陽に晒されて静かに広がっていた。 昼間の熱を集めた砂が緩やかな起伏を繰り返している中に。 彼女は躊躇い無く石段を二つばかり飛ばして降り立った。
「聖、靴の中に砂、入っちゃうわよ」 「ん。そうだね」
脱いじゃおうかな、と、片足を後ろに跳ね上げて。 踵に指を突っ込んでいる。
「裸足に砂がくっついた方が後が面倒よ」 「そっかー」
残念、とおどけながらそのまま彼女はさくさくと歩き出す。 ゆっくりと慎重に砂浜に足を乗せた私を振り向きもしないで。
連れ出したのは、あなたの癖に。
段々と遠くなる背中をぼんやりと眺める。 何の前触れも無く電話を掛けて来ては顔を出し。 時には私をこうして何処かへ連れ出しさえしながら。 彼女は、一緒に居る間、少しも私の側に居ようとはしない。 私の半径1メートル付近から、視野に収まる限界線辺りまでを。 何を考えているのか、ただ、うろうろと徘徊している様を見せつける。
そう、丁度、今のように。
あの頃、私があなたやあの子を連れ出したかったのは。 あなたたちが余りに、息苦しそうに見えたから。 閉じた場所に上手く収まる術を求めながら。 でも、どうしても上手く行かなくて。 その苛立ちに更に行き場を失い始めていたあなたたちに。 もっと広い場所が直ぐ近くに幾らでも。 存在するのだという事を、見せてあげたかったから。
あなたが、私を連れ出すのは、でも。 そんな理由では、決してなくて。
「蓉子ーっ」
遠くから声を飛ばした彼女の元へ。 それでも走る気にはなれなくて、ゆっくりと足を進める。
「どうしたのよ?」 「ん、ちょっとね」
叫ばなくても声の届く距離まで近づいた私に背を向けたまま。 彼女はその場に屈んで、何かを手に拾う。
「見てて」
その掌に載せられているのは、波に現れ平べったく変形した小石。 その手に続く腕がゆったりと後ろへ引かれたかと思うと。 音がしそうな位にしなって前へと回る。 彼女の指先を離れた小石は、鋭く波を切って二度三度跳ね上がった後。 音も無く水没したようだった。
「どう?」 「上手いものね」
胸の中、わくわくする気持ちが少し甦ってきて。 正直に称賛の意を口にすると、彼女は得意げに微笑んだ。
「蓉子も、やってみる?」 「え? いいわよ、私こういうのは苦手」 「いいから」
強引に手を引かれて指を開かされ、その上に小石を載せられる。 開いた手の指でなぞればそれは、不思議な位引っ掛かりが無くて滑らかで。
「投げてごらん、気持ちいいから」
軽く顎で海を示しながら、彼女は再び砂浜に視線を彷徨わせ始めた。 手頃な石を探しているのだろう。 その隙をうかがいながら、私は、小石を手の中にぎゅっと握り込む。
どうして。 私は、決して今の自分について、窮屈な思いなんて抱えてはいないのに。 彼女は、まるで立場が入れ替わってしまったかのように。 そんな風に、振舞ってみせるのだろう。 それとも、これはただ、私が、私だけが、いつまでも。 あの夏を忘れられないでいるだけの事で。 彼女には何の気も思い入れも無い、当たり前の行動で。
そう。 思わず立ち止まり振り返りしてしまうのは私だけで。 彼女は、いつの間にか、自分の住む世界の境界線を。 この海さえも包み込むまでに押し広げ。 その中で、伸びやかに歩き始めている。 ただ、それだけの事なのかもしれない。
だったら。 私はもっと、喜んでも良いはずなのに。
投げ飛ばす事の叶わない、薄平べったい石を掌で転がしながら。 砂浜と波と水平線と。 更にその向こうに広がるまだ見ぬ世界の広さと。 彼女の背中と私の躊躇いとを心の中で次々と並べ替えてみる。
今になって、何故、こんなに。 こんなに私は、寂しいのだろう。
「……あれ?」
小石を物色していた筈の彼女が頓狂な声を上げたから。 波が引くのに合わせて何処へとも無く拡散し続けていた私の意識が。 不意に、浜辺へと引き戻される。
「すっごいもの、見つけちゃったなあ……」
おどけた口調とは裏腹に、振り返った彼女の顔には困惑が張り付いている。 指先に摘み上げられたそれは。 夕陽を照り返して不思議な色彩を放っていて形までは良く分からない。
「すごいものって?」 「すごいもの」
ほら、っと駆け戻るや彼女は。 小石を転がし続けていた私の掌の上にそれをそっと乗せる。
「……まあ」
すごいでしょ?と。 久し振りに目にする完全な苦笑を湛えた彼女の顔が緩く右に傾く。
「中見て。ちゃんとイニシャルみたいなの、彫ってあるし」
随分と傾いてしまった陽の光の中でそれは。 少し赤みがかった色に染まって、私の手の中で所在投げに傾いている。 良く見れば、二色の金属が縒り合された形で緩やかに捩れている形は。 長らく砂の中にあったからのものではなくて。 元からそういうデザインだったのだろう。 彼女の言葉通り、その内径に目をやると。 小さな文字が幾つか刻印されているのが見て取れた。
「落し物かしらね」 「どうかなあ……」
屈託なさげに零された声の最後が。 微妙に揺れているように聞こえたのは、気のせいだろうか。 思わず目を上げた先で彼女は、微笑を口元に刷いたまま。 夕暮れの風に流れ始めた肩先の髪を無造作に払っていた。 その、見惚れても良い位に整った顔立ちや動作を眺めながら私は。 近くに、交番なんてあったかしら、と務めて冷静に記憶を辿る。
「ねえ、聖」 「蓉子は」
現実的な方向へ話題を持ち込む前に、彼女の声が私を遮った。
「約束とか、欲しい方?」 「……はい?」
不意を打たれて、随分と間の抜けた声を返してしまったら。 彼女は、わはは、と愉快そうに声を上げて笑った。
「何よ、いきなり」 「ごめん、だってさ、指輪だよ?」
動揺を誤魔化すようにして叫んだ私に適当に謝りながら。 彼女はその長い指をそっと伸ばして、掌のリングを再び摘み上げる。
「多分きっと、渡す方も渡される方もそれなりに覚悟したんだろうに」
落としたにせよ、捨てたにせよ。 いつか結ばれた約束や思いの形見がこんな風にあっさりと。 見知らぬ誰かの指先で、何の意味も為さないままに夕陽に照らされている。
「しかも名前入りだって。一度貰ってしまったら……」
誰にも譲る訳にはいかないじゃない……と。 彼女が決して声にはしなかった言葉が。 私には聞こえた気がした。
愛しさの形見、約束の証。 彼女の、そして私がかつて。 愛してくれた人から授かり、また。 愛する者へと授けた、あのロザリオ。
「そう思うと、ホント、重いよね」
こんなに小さいのに、と。 呆れたような言葉が続いて。 瞬間、私の胸は、ずきりと深く痛んだ。 狭い世界の中、もがいていたあの頃の彼女は。 仮初めの形であれ愛を込められたロザリオを首に掛けながら。 それを引き継がせることを求め無い。 形を取らない約束だけで結ばれる相手を求めて。 そして失ったのだった。 だから。 最後まで守ることの叶わなかった約束を悼み泣く。 あの子が最後に綴った手紙、それだけが。 彼女の手元に残された、唯一の形見。 彼女とあの子にしか分からない言葉で綴られたそれは。 私の生徒手帳から引き千切られた紙に刻まれ折り畳まれ。 形あるものとして、彼女の元に遺されているのだろうか。 それとも。
「……蓉子?」
ふと思いついたように指輪から視線を私へと転じた彼女が。 酷く心配そうな顔をしているから。 私は、二、三度瞼を瞬かせて、軽く笑って見せた。
「ごめんなさい。さっきの答えを考えていたの」 「答え……? ああ」
自分から言い出した癖に、眼差しを逸らした彼女は軽く動揺している。 私は、つとめて冷静を装って、肩を竦めてみせた。
「約束はね、守る事が目的だとは思わないの、私」
そのまま私も、彼女から目を逸らし、再び波打ち際を眺め渡す。
「交わしあうその瞬間が、多分、好きなのかも」 「……蓉子?」
彼女の不安そうな細い声が。 再び私を記憶の中へを引き戻しそうになったけれども。 振り返らなかった。
「だから、欲しいといえば欲しいかも」
別に形には、拘らない。 今ならば、そう、はっきりと言える。 そう思いついた途端に、さっきまでその存在を忘れていた。 握りこんだ小石のまろやかなのに何処かするどい円周が。 掌を刺激している事に、気が付いた。
「いつか、失くしてしまう事が、あるとしても」
頭の中で、さっきの彼女の流れるようなモーションを思い描きながら。 私は、右腕を緩やかに斜め後ろへと振り上げる。 浅いパンプスが砂を噛んで、多分中への侵入を少なからず許したけれども。 気にしないで、強く、踏み込む。 痛いほどの勢いを肘から指先へと逃がした時。 小石は、夕暮れの中見えない軌跡を描いて、波間へと飛び去った。 無事に跳ね飛んでくれたのかどうかは、分からなかった。
「……相変わらず、強いね」
溜息のような彼女の言葉が、ほんの少しひやりと首筋を撫でる。 でも、まだ、振り返らない。 振り返った先にあるのがもしも、と思うと、どうしても出来ない。 自分でも、大嫌いだった、あの鋭くて容赦のない強さを私は。 未だに優しさで包むことが出来なくて。 ただ、こんな風に隠し遂せる事を学んだだけだったから。
「羨ましいよ」
溜息の中に苦笑を滲ませるように続けた彼女も決して。 あの頃の弱さを乗り越えた訳ではないのだろう。 だから。
波が打ち寄せる音に意識を傾けて。 その音だけが耳の中を圧し始めるまでの時間が流れた後。
「……ところでさ」 「何よ」
打って変わって明るい口調で言葉を投げ掛けてきた彼女を。 私はようやく振り返った。
「そろそろ、時間なんだけど」 「そうね」
帰りましょうか、とそっけない言葉を返しながら。 小石を失った方の手を、もう一方の手でそっと包んだ私から。 彼女は、静かに、視線を外した。
靴に入る砂を気にも留めず二人して足早に浜辺を後して。 昼間の熱を集めたコンクリートの防波堤にそって。 淀む熱気を湛えたアスファルトの上を、黙々と歩き出す。 先を行く彼女の片方の握り拳の中には、きっと、あのリングがある。 やっぱり、交番を探した方がいいのかも、と思った時。 不意に、彼女が振り返った。
「これなんだけども」
たった今、私が注目していた握り拳を軽く振り上げたと思うと。 彼女は、そのまま。 先ほど小石を投げた時とは違うフォームを私にみせつけて。 勢い良く振り放った腕の先から、微かに光るそれを。 防波堤越しの空に向けて、投げ放った。
「聖っ……!」 「投げちゃった、もう遅い」
思わず叫んだ私に彼女は歌うように答えて。 いっそ楽しげに、笑ってみせた。 慌てて駆け寄った防波堤の向こうは、海。 テトラポッドに打ち寄せる波は、既に黒々としていて。 先ほど、浜で見た穏やかさなんか、欠片も残してはいなかった。
「……せめて、警察に届けるとか」 「あ、ひょっとして、何かの罪になるとか?」
ふざけている癖に真面目な顔をして混ぜっ返す彼女を。 暫し、まじまじと見やってから、私は諦めた。
「……いいわ、もう」 「いいの?」
きょとん、という擬音を当てはめたくなるような彼女を追い越すと 私は、更に歩調を早める。
「締め出されないうちに、急ぐわよ」 「……ん」
つられたように身体を反転させて付いてきた彼女は。 引き結んだ唇の片側を軽く上げて、微笑んでいる。 私の側に追いつく前に、その眼差しが一度だけ。 防波堤の向こうへと投げ掛けられた事には、私は。 気が付かないふりをした。
終った……のかな? 取敢えず、一旦、終了〜(えー)。
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