一橋的雑記所
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2006年01月12日(木) |
海を見に行く。番外編(何)。※ホントは、061120. |
海を見に行こうと言い出したのは。 多分、私では無かった筈。
泳ぐには日暮れ時の風が随分と硬質に感じられる程に。 夏は盛りを過ぎてしまっていたから。 浜辺にも人はまばらで、だから。
「……遅くなったら、心配されない?」
風の中、そっと掛けた声は届かなかったのか。 彼女は、長い髪をその背中に躍らせながら歩く足を緩めない。
寧ろ、日が暮れきれば、心配をされるのは自分の方だと思い至り。 苦笑を通り越して乾ききった笑みが口元に浮ぶのを自覚する。
制服姿の彼女は、いつの間にやら靴も靴下もその手に持って。 ただひたすら、砂に沈むその感触を愛惜しむような眼差しを。 足元へと向けて、黙々と歩いている。 その面には、いつもと同じ、穏かな、無表情。
「夏には、海に行ったわ」
風に紛れるようなか細い声が、それでも確かに耳に届いた。
「父と母が、砂浜で私を待っていてくれた」
振り返らないその眼差しが、静かに、細められる。
「幸せだった」
でも。 その口元にも頬にも、笑顔らしいものは無くて。 でも。 その眼差しが湛える光は、とても、幸せそうな色を帯びていて。
どうすれば。 そんな風に全てを受け入れて。 あるがままに受け止めて。 密やかに、存在できるのだろうかと。
「………聖?」
思うよりも早く、言葉も無く。 伸ばした右手の中に、彼女の左手を納める。
「……遅くなるから」
零した声が余りにも言い訳がましい響きを帯びていた事に。 どうしようもない嫌悪を覚える心に、更に嫌悪を覚えて。 噴出しそうな感情から目を逸らす為に、彼女の手を強く引いた。
「そうね、帰りましょう」
やっと振り返った、彼女の瞳に口元に頬に。 浮んだ笑顔を目にした瞬間、この胸に満ちるのは。 安堵でも平穏でもなく、罪悪感じみた重苦しさ。
「有難う、つれてきてくれて」
ああ、そうだ。 海を見たいと言ったのは。 彼女の方だった。
― 了 ―
イラストブックの、あの一枚を思い浮かべつつ。
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