誰かを助けたいとか、幸せにしたいとか、 人か本当に簡単に、そう思うけれど、 そんな事、簡単に出来たら誰も苦労しなくて、 きっと泣く事も無いんだろうと思う。
誰かの役に立てるなんて、 誰かの助けになろうだなんて、 要するにそれは本人の自己満足であって、
そういう人に限って、してやった、やってやったと 押し付けがましい、なんて事も、少なくない。 それは偽善で、贋物だ。
だけど、私は、ただ頭を撫でてくれたり、顔を撫でてくれる その人の手の暖かさは、本物だと思う。 辛いと思うときに、腕を擦ったり、背中を擦ったり、してくれる。 苦しい時に、なだめるように頭を撫でてくれる。 寝ている間に、手を握っていてくれる。死ぬほどの吐き気で 目が覚めても、手がそこにあって、暖かいと、ああ、私は 生きている、と思う事が出来るからだ。
そういう事を、私の体は覚えていて、眠っていても、 意識が無くても、何となく暖かいことだけは覚えていて、 それが愛だなんて思えるなら、私はそれで幸せだと、思う。
あのひとが何気なく出来る事には、私にはこんなに有効で、 効き目があるから、あわよくば、私にも同じくらいの事が 彼に出来るといいな、と思う。
だけどきっと、誰かに感謝されたり有り難いな、と本気で 思われることというのは、そこに私の意志が無くって、 気付けばそうなっている状態の時に、その人が思う事であって、 私が意識して出来る行動のどれだけが彼を助けてあげられるのか なんて、きっと考えもつかないくらいの、至極少ない物なんだろう と、何となく思う。
ひとはひとりでは、こんなにちっぽけだ。だけど、その人の 意識しないで出来る事には、こんなに小さな魔法がかかっていて、 気付かぬうちに、少しだけ相手を幸せにする。
そういう事を繰り返して、続けることで、人は幸せに なって行くのかも知れない。
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