生きているのは、不安でしょうか。 私は寝るのが恐いと思います。
このまま眠って、明日はもう目が覚めないかも知れない。 今あるこの手も、明日になったら無いかも知れない。 もしかしたら、今感じる全てのものが、虚構の物で、もう一度 目が覚めたら、自分は全く違う「物」であるかも知れない。 こんな事は、思い出したら切りの無いもので。 だから、思ってしまうわけで。
私の部屋には、日記がある。ごくごく稀につけている物で、 中学から書き始めて、今ですらようやく二冊目に入ってすぐくらい の、本当に不定期なものだ。これは、私にとっての遺書のような 物で、生きていて辛いと思ったときや、心が深く動いた時に 付けている。だから、遺書のような物だと私も思う。
私が死んでも、私が思った事が残るようにと、 もしくは、私が生きていた証拠になるようにとそう思って、書く。
辛い事帳のようなものだから、辛いなと思ったときに表紙を開いて 中を見る。どんなに辛いと思ったことも、過ぎ去ればこんなふうに 生きていられる、と、少し安心して、少し落胆する。 人生は一生かけて、up&downなのだと、思い知らされるから。
今はこんなふうにネットに感情を吐露しているので 日記の活躍もそんなに頻繁では無いけれど、あの日記…、 いつか人の目に触れてしまうのだろうか…と思うと、少し恐い。
ここに載せるみたいな文ではなくて、文字も文章も整っていないもの。 私の感情がストレートに文字に反映しているもの。ただの書きなぐりだ。 もしも死んだら、あれは私の柩に入れて、宜しかったら一緒に 燃やして欲しいと思います。誰かの、目に触れて欲しいような、 欲しくないような。死んでからも何か残してしまうのは、 何となくやるせなく思うから。
覚えていたら、で良いのだけれど。
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