私の父は、私が20になる年に亡くなった。 眠ったまま、逝って、帰らぬ人となった。
私は父が好きだった。 一度も私を怒った事のない、優しく甘い人だった。 兄には厳しい人だった。 私は中学1年から高校3年まで、事情があって父とは 別れて暮らしていたが、大学浪人したのをきっかけに、 実家に帰って父と兄と祖父母と暮らしていた。
小さな頃から父を尊敬していたし、大好きだったけど、 19の年に一緒に暮らして、初めて気付いた事がある。
父は、一日たりとも、挨拶を欠かした事が無いのである。 彼は、私が眠っていても、勉強していても、曲を聴いていても、 何をしていても、必ず「行って来ます」と「ただいま」を 言っていく。その頃、店の仕事もちょうど大きくなりかけていて、 ほとんど日付を変わらずには帰らない人だったけど、 それでも挨拶は一日も欠かさず、する人だった。
勿論、私にだけではない。一緒に暮らす人、全員のところへ 必ず挨拶をして行く。それが、父の良いところだと私は思う。
そのくせ、人生最後の時だけは、誰にも何にも言わずに 逝ってしまったのだから、何だか皮肉な話だけど、 本当は、色んな事から開放されて、一人でゆっくりしたかった のかも知れない。いつも、ひとのことばっかり考えて、 自分の体の事などかえりみずに働く人だったから。
いつか、父が私に教えてくれた事がある。 人間にとって一番大事な事は、自分の側に居てくれる人を大切に する事だと。…そう言ってた。家族と心を大切にしなさいって あぐらをかきながら、そう言ってた。だけど、結局は、側に居ない 人の事まで、気にして、色んな所を駆け回ってた。彼は 死ぬほどお人好しで、説教好きで、世話焼きでおせっかい。 いつも余計な他人の悩み事を持ち帰ってきては一人で悩むような、 そういう男。私はそんな父がとても人間っぽくて好きだった。
惚れっぽくて騙されやすいのは、父親譲りの性格だ。 そんなところ、バカっぽくて笑えるけど、だから私は、後悔しない。 きっと、私や父親くらい、バカな人が、私を貰ってくれるだろうって、 そう思うから。
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