無責任賛歌
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| 2002年05月31日(金) |
病気はハンデじゃないってば/映画『スパイダーマン』/『ミステリー民俗学者 八雲樹』1巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか |
今日づけで体調不良で退職される同僚がいらっしゃったので、「お大事に」と声を掛けたら、小声で周りに聞こえないように「……あなたも糖尿でしょう、気をつけてくださいね」と耳打ちされた。 察するにこの方、上司から肩タタキされたんである。 病人はウチの職場にはいらん(とハッキリは言われなかったろうけれど)、遠まわしに「ゆっくり休んだらどうかね」とか言われたんである。 憶測でモノを言うなと言われるかもしれないから、ハッキリ書いとくが、私も何度か同じことを言われてるから、ウチの職場の体質はちゃんと知ってるのよ。やっぱり病気で長期休業してた同僚のことを「二度来なくていいよ、アイツ」と上司が陰口叩いてるとこに偶然出くわしたこともあるし。 病気だからと言って、全くカラダが動かないわけではない、無理しない程度に働くんならなんの問題もないことは、実際に持病のある人間にはわかってることである。つまり、病人が「要らないもの」と判断されてしまうってことは、たいていの職場が従業員に「無理させよう」と考えてるからってことになるよな。 誰もがタテマエじゃお互いに労わりあうことが大切みたいなこと言うけど、現実には病人は迷惑の対象でしかないのだ。もちろん、一人の人間が仕事を休めば、迷惑が周囲にかかるのは事実だ。けれど、病気だの事故だのはいついかなるときに起きるかわからない。それをどうフォローするかは、本来、その職場が組織として予め考えとかなきゃなんないことじゃないのかね。それができないのは組織自体に問題があるってことじゃないのかね。「不況だから個人に負担がかかるのは仕方がない」というのは管理ができないことの言い訳だ。 なのに、どの会社でも結局はそこで働く者の個人責任を取らせるみたいな形で問題をやり過ごしちゃってることが多いんだよな。 個人に先立って会社がきちんと責任をとた事例なんて、どれだけあるというのだろう。「会社の責任」なんて、新聞に載るような事故とか不祥事とか、何かの事件にでも発展しない限り、問われること自体がまずないのだ。 けれど、そんなふうに組織としてのありようが責任を追求される場合でも、最後には立場の弱い人間だけが責任を取らされて、事故そのものは闇の中に葬り去られて行くってこと、いくらでもあるよな。 そういう事例が続出してるのが、例えばナントカ省とか警察とか病院とかの一連の不祥事じゃないのか。「医者が病気になってどうする」と文句つけるヤツがいるけど、過労が普通の環境の中で、病気にならないでいられるもんかい。
病人は邪魔ものか? 健康なことがそんなにエライのか? だったら、トシ食ってカラダが動かなくなっても、病院にもかからず、施設にも入らず、誰にも迷惑掛けずに朽ち果てろよ、それが筋ってもんだろうが。
こっちも病み上がりだから、どうにもむかっ腹が立って仕方がない。 けれど、誤解しないで頂きたいのだが、私は全ての責任を組織に押しつけて、「病人の責任」を回避しようと思っているわけでは全くないのである。病人が自分の病気に甘えてしまう状況、これはやはり始末に悪いことだ。 「甘える」と言ったが、具体的な行動としては、他人を羨んだり僻んだりする態度でそれは現れる。「こんな苦しみ、健康なアンタには分らないだろう」なんて愚痴、健康な人間の方だってそんなこと言われりゃ反論のしようがない。実際に病気になって見せるわけにはいかないんだし。こういうのを「無理難題」、ないしは「難癖」と言うのである。 病気をマイナス要因と考えないで、「まあ、それが普通だし」と考えられば何も問題はないのだけれど、肝心の病人自身が、そんな後ろ向きな生き方してるものだから、そこを「健常者」に突っ込まれてしまうのである。 口では「病気だからってメゲる必要ないんだ」とか「身体障碍はハンデじゃない」とか言いながら、実は「自分に同情してほしい」「自分に優しくしてほしい」と考えてるだけのヤツってやたらいるんだよな。 病人は心の底のどこかで、やっぱり「なんで自分だけがこんな目に」と思っているんである。被害者意識に心を支配されてしまっているんである。だから病人が病人を恨む、やっかむ、という馬鹿げた事態まで起こる。 乙武洋匡氏の『五体不満足』が出た時、「あれが身障者の普通の姿だと思われたら困る。自分の障碍や病気をプラス志向で捉えられない人も多いのだ」と批判してたヤツが結構いたが、マイナス志向で捉えるやつが多すぎたからこそ、アンチテーゼとしてのアレがベストセラーになったんだってことに気がつかないといかんよな。 身障者や病人に対しては同情も激励も要らない。ごく普通に接してくれればいいのであるし、気を遣ったつもりで障碍や病気のことに触れないようにする必要もない。 手のない人間に、「普段はどうやって生活してるの?」と聞くのは、差別でもなんでもないのだ。余命いくばくもない人間に「あと何年生きられるのか?」と聞くのは相手を傷つけることにはならないのだ。まあ、言いにくい気持ちは分るけれど。 少なくとも、私は傷つかない。実際、「あと何年くらい生きられるの?」と聞かれた時には、「子供のころ数年と言われてたけど、ここまで持たしたぞ。あとのことは知らん」って答えてるし。私に関しては、その手の遠慮は一切無用である。 そういうこと聞かれてメゲてるようなら、その心根の方が社会生活をする上でのハンデになっちゃうってこと、病人はそっちの方を問題に思えよ。カラダ治す前にココロを治せ。
ようやく映画にも行けそうな体調になってきたので、職場に迎えにきたしげと車でキャナルシティに向かう。 途中、吉塚のパピヨンプラザに寄って、そこで食事。 いつものように、店がたくさんあると、どこに入ろうか、しげは鬱陶しいくらいに迷いまくる。 「『ナイル』は安いけどカレーしかないし、スパゲティは外では食べないと決めてるし、マックはどこにでもあるし、ここのケンタはゲロマズだし、やっぱりロイヤルホストしかないかなあ」 「『八仙閣』もあるけど?」 「あ、そこに決めた!」 ……そんなにあっさり決められるんなら最初から迷うんじゃねえや(-_-;)。 どうしてそんなに簡単に決められたかというと、ここにはしげのお気に入りメニューの「エビのマヨネーズ和え」があるんである。八仙閣もあちこちに出店があるが、このパピヨンプラザ店を始め、これがある店は限定されているのだ。 大皿と小皿の二種類がここにはあるが、小皿でも軽く一人前以上の分量はあるので、一皿頼んで二人で分ける。 三千円均一で、二人前の料理を五皿まで選べるというので、他にも酢豚だの餃子だの、小皿をいくつか頼む。たいていの料理がそう間を置かずに出て来たのだが、中華ちまきだけがいつまで経っても出て来ない。シビレを切らして店員さんに「まだですか?」と聞いたら、「蒸すのに15分ほどかかりますので……」と言い訳。15分なんてとっくに過ぎ取るがな。 映画の時間もあることなので、キャンセルすると、しげがボソッと「クレーマー」と言う。別にクレームつけたわけじゃないじゃん。自分だってしょっちゅう料理が運ばれてくるのが遅くなると「もう帰る」とかわがまま言うくせになあ。しげのワガママは欲望が満たされないための憤懣だが、私は時間を気にしただけだから、いっしょくたにされても困るんだが。
しげに『ノット・ア・ガール』は見られてしまつていたので、今日見る映画は『スパイダーマン』。 マンガの実写化がトンデモ映画になっちゃうってのは日本のマンガの場合もよくあることだけれども(『ドカベン』や『嗚呼!花の応援団』が真っ先に思い浮かぶのは世代かね)、アメコミのヒーローものの場合、ハナから実写化したら相当ヘンテコなものになるんじゃないかと以前から思ってはいた。 だってよう、スーパーマン一つ取ってみたってさあ、あんなタイツ一枚の筋肉男が実際に目の前に現れたら、100人が100人、コイツはヘンシツ者だって思うぜ(日本のマンガに登場するスーパーマンのパロディもたいてい変質者扱いだものな)。ファンタスティックフォーもスパイダーマンもまたしかり。どうして向こうのヒーローはお肌にピッタリフィットしたタイツに拘るのかね。やっぱりゲイ文化の影響なのか。 もちろんそれがいけないってことじゃなくて、基本的にチープでキッチュなB級映画として楽しむことができれば、それはそれでいいと思うんである。ティム・バートンの『バットマン』シリーズも、『Xメン』も、私は楽しんで見た。設定にしろストーリーにしろ、常識的に判断すればデタラメきわまりない。けれど、その逆立ちしたって文芸大作だの感動の名編だのといったA級にはなりえないデタラメさ、いい加減さこそが、まさしく何でもアリのごった煮的大衆文化の象徴とも言えるわけで、見ていて実に小気味いいのである。 でも、その「ごった煮」の中に入れたってしょうがない要素もあるんだよね。それが何かっていうと、「ヒーローの孤独」ってやつ。
今更語るまでもなく、スパイダーマンは「悩めるヒーロー」として造型されている。それはかつての実写化、アニメ化、日本でのマンガ化(平井和正&池上遼一!)においても踏襲されていた、スパイダーマンをスパイダーマンたらしめる必要不可欠な要素なんである。 けれど、軽い味付け程度にまぶすんならまだしも、「ヒーローの悩み」なんてのをあまり前面に押し出しちゃうと、設定自体に矛盾が生じちゃうこともあるんだよね。勧善懲悪モノだってのに、戦う前からヒーローが悩んでたら、「さっさと戦ってこんかこのバカが!」って腹たって来ないかな? 『エヴァ』のシンジくんじゃあるまいしねえ。 主人公が悩めば悩むほど、物語の流れは阻害されてしまう。かと言って、余り正義に自信を持ったキャラだと、単純過ぎて、今度は見る者が感情移入しにくい。そこで、たいていのヒーローものは、その主人公の悩みを早い段階で解決してさしあげたりするんである。日本じゃ『仮面ライダー』だって悩んでたのは最初の数話だけだもんね。 さて、ではサム・ライミ監督はそのあたりの矛盾をどうゴマかしてこの映画を作ったかというと。
何も考えてないみたいなんである(^_^;)。 つーか、最初から最後まで、主人公ピーター・パーカーの悩みがなんなのかさっぱりわかんないのよ、この映画。 スーパースパイダーに噛まれてDNAに変化を来たした主人公ピーターは、初め、そのパワーで自分に乱暴を働こうとした友人を逆にぶちのめしてしまう。そのことを知った育ての親である叔父に「大きな力には大きな責任が伴うんだ」とたしなめられるんだけど、これってどう解釈しても「ヘタな力は使うな」としか読み取れないよねえ。 けれどその叔父さんが強盗に殺されて、自分がスーパーパワーを使っていたら叔父さんを助けられてたかも、と気付いた途端、ピーターはスパイダーマンとして正義のために力を使うことをあっさり決意しちゃうんである。いや、最初強盗を「自分には関係ない」と無視したのだって、別に叔父さんの言葉を思い出して自分を戒めたからじゃなくて、単にふてくされてただけだし。 ……何も悩んでないじゃん、ピーター・パーカー(-_-;)。 普通はここで「叔父さんは力は使うなって言ってたけど、使わないと悪人の被害を受ける人たちを助けられないし……どうしたらいいんだよう」とか考えるぞ、ちょっとくらいは。 スパイダーマンの活躍が評判になって、その写真に新聞社が賞金を出すと広告を打つと、自分で自分の写真をセルフタイマーで撮って小金稼ごうとするし、ちゃっかりしてるっつーか、自己顕示欲丸出し。彼が一応の悩みらしきものを見せるのは、スパイダーマンと敵のグリーンゴブリンが実は裏で共謀してるんじゃないかって報道された時だけど、これも好きな彼女に「私はスパイダーマンを信じてる」って言われたら気分がさっぱりしちゃうし。
そう、このスパイダーマン、「くさる」ことはあっても「悩む」ことは全くないんである。 さすがに、不平不満と愚痴垂れ流しながら戦うヒーローにまともな感情移入はできないなあ。……と思って、途中からこの映画の見方変えました。これ、ヒーローアクションものと思って見ても映画のカタルシスは全くありません。やっぱりお笑いバカ映画と思ってみるとこれ、あちこちにギャグ(監督にそのつもりはないかもしれないけど)が満載でもう楽しいったらないっスね(見方意地悪かなあ)。 まずヒロインがブス(いいのか言いきって)。 どれくらいブスかというと、往年の『スター・ウォーズ』のレイア姫並かな(主観はあるかもしれんが、結構この手の感想は多いようだね)。これだけで既に「なんでこの程度のブス助けるために躍起になるのかスパイダーマン」という突っ込みができますね。 ピーターがだんだん蜘蛛の能力を身につけていく描写にもどんどん突っ込み入れられるな。壁を這い登るのはいいけど、どう見ても重力が下じゃなくて壁の方にかかってるぞ(壁を横にして撮影してるんだから当たり前だけど)とか。糸を出そうとして「シャザーム」とかなんとか呪文唱えるあたりもギャグだしなあ(やっぱこれ『大魔王シャザーン』がらみ?)。笑えないけど。 いや、一番笑えるのはグリーンゴブリン。 正義と悪の二重人格に引き裂かれて鏡の前で会話するシーンなんか抱腹もの。ジキルとハイドを一人二役の演技で見せてるわけだけど、これが、落語で八つぁん熊さんを演じ分けてるのと変わんねーんだ(^_^;)。で、いつの間にか鏡の中のゴブリンがモトの人格から独立していっちゃうってのも定番のオチ。これを演じてるのがウィレム・デフォーでさ、悪に引きずられて苦悩する時の演技が『BODY』でマドンナに誘われて行こうかどうしようか悩んでる時とおんなじなのよ。やっぱり悪って気持ちいいことなのかね(^^)。
やっぱりどんなにおカネ掛けて大作めかして見せても、アメコミのヒーローものの底なんてたいしたこっちゃないんだから、バカ映画見に行くノリで見たほうがいいんじゃないかなあ。
マンガ、金成陽三郎原作・山口譲司漫画『ミステリー民俗学者 八雲樹(やくもいつき)/天狗伝説殺人事件』1巻(集英社/ヤングジャンプ・コミックス・580円)。 オビに「『金田一少年の事件簿』を継承する本格推理漫画」とあるけれど、『金田一』って、「本格推理漫画」だったか?(^o^) もちろんこれは金成さんが途中まで『金田一』の原作書いてたことを受けてそう書いてるんだろうけど。でもこんな惹句、講談社が怒って来ないか。 ……しかしレベル低いね。 一応ミステリーのセオリーに従って、ネタバレはしないけどよ、第1巻だってのにこのトリックのチャチさは何なんだよ。 いや、ミステリーとして駄作ってだけじゃなく、物語の作り方からして読者をナメてんじゃないか。犯人がそこまで被害者に対して殺意を抱いたのなら、こんな回りくどい計画殺人なんて立てないで、その場で衝動的に殺しちゃうんじゃないのか? 根本的にドラマってものが解ってないんだな、原作者。 探偵役を民俗学者に設定しておきながら、その知識が殆どデタラメってのもどういうわけだ。あまりにヒドイので、解説で小松和彦が「正しい」民俗学的知識を披露しているくらいだ(^o^)。 青年向け漫画だからなのか、ベッドシーンなんかもあるけど、これもとってつけたようでかえって白ける。 いいとこ全然無いってのに、オビにまた「青年漫画界を騒然とさせた傑作」って……(-_-;)。騒然とはしたのかもね、あまりにヒドくて。……あ、絵もなんだか一昔前のエロ劇画にちょくちょく見かけたようなバタ臭い感じで、ヘタクソです。
マンガ、加藤四季『お嬢様と私 ―たなぼた中国恋愛絵巻』2巻(白泉社/ジェッツコミックス・760円)。 後書きを読んで、しげが感心したようにつぶやく。「加藤さん、カイシャ勤めしてるんだ!」。 なるほど、「会社勤めをしている私にとってまんがかきは大切なは心のオアシスとストレス」なんてことが書いてある。オアシスとストレスじゃ逆じゃん、と思いながら、その実感のこもった表現に苦笑(^_^;)。 二足のワラジ履いてる漫画家さんと言うのも決して珍しくはない。 漫画で芽が出なかったときの「保険」のために、そうそう簡単に仕事をやめたりはできないのかもしれない。 けれども漫画家の仕事って、世間一般の人が軽く考えてるほど、片手間でできるものではないのだ。“パンピー”はよう、漫画に対するイメージって、遊びの延長くらいにしか考えてないからさあ、「好きなことやってておカネがもらえるんだからいいよねえ」とか簡単に抜かしやがるんだよなあ、作者に面と向かって。 やっかみ半分で人が遊んでるようなモノイイしやがるのが、どえりゃ―腹立つんだけどよう、4コマのアイデア一つ捻り出すのに、本人がどれだけ塗炭の苦しみを味わってるのかわかっとんのかこのクソヤロウとか思っちゃうよね(経験あるのかオマエ)。 だからたいていの漫画家さんはしばらくしたら会社を辞めてマンガ家1本になるものだ。やっばり「会社と漫画とどっちが大事だ!」と言われたら、「好きな道を選ぶ」のが自然な流れだし(しりあがり寿さんとか)。 加藤さんも果たしてどこまで持つものか(^^)。
おっと、肝心の本の中身の感想がない。 劉詢が皇帝になって、お嬢様(平君)と結婚しちゃったら話がつまんなくなるかと思ったらどうしてどうして(^^)。平君のボケぶり、皇后になって傍若無人さを増したのか1巻にもましてアホを晒している。 政権争いになって命まで狙われてるってのに能天気なままなのはなかなか微笑ましいが(そうか?)、ハラに子供がいるってのに、ぴょんぴょん飛び回ったりコスプレしたりはともかく(ともかくじゃねーって)、古くなった月餅をツマミ食いするのはやめよう。 ああ、けどずっと気になってるんだけど、この物語、一応史実をベースにして描いてることは解るんだけど、皇帝つきの武官の張彊(源氏名が香娥)、ホントに女装癖のあるストレス男だったんだろうか(^o^)。
2001年05月31日(木) 多分まだ20世紀は終わっていない/DVD『なぞの転校生�供�
| 2002年05月30日(木) |
タカリ女の言い分/『東亰異聞(とうけいいぶん)』1巻(小野不由美・梶原にき) |
掲示板に病気快癒祈願の書きこみ続く。ありがたいありがたい。 けれど相変わらず劇団の連中の書きこみが少ねーよなあ。某君は身内から一番嫌われてるってことか。くそ。 ともかく充分睡眠を取ることを心がけていたら、今朝になってようやく鼻の通りがよくなってきた。これなら鼻薬を使わなくてもすみそうだ。 けれど血便はまだ止まらない。 固まりきれずにゲル状態になってる便は赤黒くてまんまミートソースのようだ。えーっと、便の中に血が混じってるのがヤバいんだったっけ。でもこう便が液状になっていては診断のしようがない。うーん、やっぱり精密検査した方がいいんだろうか。
仕事帰りに「王将」で食事。 いつもはセットを頼んだ方が安上がりなのだが、今日は単品を食べたくなって、焼きそばとエビのチリソースを頼む。ご飯はナシ。 食べ終わって、しげに「ワリカンにしようか」、と言ったら、「アンタの方が値段が高いんだからオレが損するやん」と怒る。 私の焼きそばとエビチリを結構な分量分けてもらっててそう言うか。 で、ゴネて払おうとしなかったので結局全額私の奢り。損もクソもあるか、そういうのを「タカリ」と言うのだ。
マンガ、小野不由美原作・梶原にき作画『東亰異聞(とうけいいぶん)』1巻(幻冬舎/バーズコミックススペシャル・693円)。 タイトルにある通り、この物語の舞台は「東京」ではない。 明示という元号は同じでも、そこは帝都「東亰」。 「帝都」と言われると、つい『サクラ大戦』の「太正」を思い出しちゃうけど、どっちのファンにとっても比較されるのはメイワクかな(^o^)。 こういう既存の歴史と似て非なる平行世界を設定した上で物語を綴る方法は決して目新しいものではない。近年の成功例は、山口雅也の『キッド・ピストルズ』シリーズとか、唐沢商会の『蒸気王』なんかだと思うけれど、さて、本作の出来はどうか。 あえてパラレルワールドを設定しなければならない理由が今一つ不明ではあるが、まだ1巻だし、慌てて結論を出す必要もない。少なくとも、出だしは実にワクワクする展開だ。 明治二十九年、夜の帝都に跳梁跋扈する二人の殺人鬼、火炎魔人と闇御前。 男が物見台から突き落とされ、かけつけた人々の前から忽然と消えた火炎魔人。 同じく、路地を行く男の喉笛を掻き切って、文字通り闇の中に消えた闇御前。 果たして彼らは実在するのか、その正体は人か魔か、二人の間には何か関連があるのか、謎を解くべく、新聞記者、平河新太郎は、大道芸師、万造を訪ねるが……。 原作の小説の方は読んでいないのだけれど、漫画版はその語り口が実にうまい。「黒子」の操る文楽人形に物語を語らせる手法は、目新しくはないが、「闇」に支配された明治の世を象徴するかのようで、充分に魅力的である。 絵柄は、今市子と漆原友紀とよしながふみを足して2で割ったような、典型的なヤオイ系の線ではあるのだけれど、明治の「闇」を描くには、これくらい細やかな線で表情を表していく必要があるのだろう。うまく着地できれば、なかなかの傑作に仕上がるんじゃないかな。
2001年05月30日(水) まるでNENNEのように/『帰ってきたハイスクール!奇面組』(新沢基栄)ほか
| 2002年05月29日(水) |
管理ってそういうことじゃなくてよ/DVD『絶叫屋敷へいらっしゃい!』/『ガンダムエース』7月創刊号ほか |
今日こそは職場に復帰することを決意する。 と言っても、体調が完全に回復したわけではない。咳はなんとか治まったが、鼻詰まりは相変わらずヒドイ。 しげに車で送ってもらいながらも、座ってられずにシートを倒して横になっている。私が相手をしてやらないので、しげ、退屈そうに「映画でも見てこよっかな」とかほざく(この日記を長く読んでいらっしゃる方ならおわかりでしょうが、しげはたとえ私が病気で苦しんでいても一切看病なんかしないヤツです)。 私もいちいち相手してやる元気はないので、「行けば」とつっけんどんに答える。 「あ、でもアンタが元気になるなら金曜日に一緒に行こっか」 「それでもいいよ、何見に行くの」 「『ノット・ア・ガール』。」 「なんじゃそりゃ?」 「なんか三人娘の恋愛もの」 話を聞く限り、西洋版の「花の高三トリオ」か「お姐ちゃん」シリーズみたいな感じらしい(我ながらタトエが古いよ)。 「……面白いの?」 「多分つまんない」 「じゃあ、なんで見に行くんだよ」 「『ダン』が出てるんだよ!」 ここで「モロボシダンか?」とか言ってボケたら、確実にしげに裏拳食らわされるので、素直に「あっそ」と答える。 念のため。もちろん「ダン」とは「段田男」のことである。 ……あ、殴るなよ、しげ。"/(;-_-) 「資料見たら誰とかのダディって書いてあったから、三人娘の誰かの父親だってことは分るんだけど、多分あまり出番ないと思う」 出番なんてちょっとでもありゃ、それだけで満足するくせに。 ワンシーンしか出演シーンがないというのに、ダン・エイクロイドが出ていると言うだけで「『パール・ハーバー』は傑作だ!」と言い切るダン狂信者のしげにとっちゃ、どんなにノーテンキな青春ラブラブ映画だって、超傑作になっちゃうのであろうことは予想がつく。 「あんたが見たくないなら一人で見に行くけど?」 「別に俺は見たくない映画なんてないってば。映画ならなんでも見るよ。金曜日に行くならそれでいいし」 「でも、多分、金曜日までしかやってないっちゃ」 「待てないなら今日一人で行きゃいいじゃん。レディースデイだし」 「そうしよっかなあ、どうしよっか」 この小早川秀秋なみの優柔不断さはなんなのだろうなあ。私はもう諦めがついているからいいものの、しげと関わってる人たち、イライラしてはいないのだろうか。 あ、くそ、結局相手しちゃったじゃないか。疲れてんのになあ(ーー;)。
何しろ五日ぶりである。 職場では、当然のごとく、視線の厳しい同僚も多々いらっしゃる。 それだけならばまだいいが、上司がそっと耳打ちしてくるのである。 「○○さんたち、休んでる間にアンタのこと随分悪口言ってたからね」。 いやあ、声には出さなかったけど、驚いたね、こりゃ。 いや、陰口叩かれたってことに対してじゃないの。 陰口を言わない人間なんて、この世に存在するわけはないから、そんなことで私ゃ同僚を恨んだりはしない。 それに、本当に同僚が「陰口」を言っていたのかどうかもいささか疑問だ。普通、上司に聞こえるような場所で、堂々と他の同僚の悪口なんて言ったりできるものではない。交わされた会話というのも、恐らくは、せいぜい「早く出て来てもらわないと困る」程度の愚痴じゃなかったかと思うのだ。もしそうなら、なおのこと、私が驚いたり腹を立てたりしなきゃならない理由はない。 お解りいただけるだろうが、驚いたのは同僚に対してではないのだ。 経緯を私に告げた上司に対してである。 マトモな神経持ってんなら、ただの愚痴かもしれない言葉を「陰口」と捉えたりするかね。いや、仮に本当にそれが「陰口」だったとしても、注意すべき相手は、私ではなくて、不謹慎な発言をしたその同僚たちなのではないのか? しかも管理者たる立場の人間が、いちいちそんな経緯を悪口言われた本人に告げたりするか? 一応、意図としては「仕事を休むな、しっかり健康管理しろ」って言いたいんだろうけど、言うに事欠いて「陰口叩かれないように」って注意の仕方はねーよな。しかも陰口言った人の名前まで出してるし。 もしも私がその人のところへ、「病気になったが悪いか!」なんて文句言いに行ったらどうするつもりなんだろうね、上司は。 思いあがっているのである。 管理者だと自覚してるのはいいけどさ、仕事の中身勘違いしてるんだよな。 日頃、他人の眼を気にすることしか考えずに生きてるから、「管理」が即、「コトナカレ」に結びついているのだろう。 結果として、トラブルの原因がどこにあるかということを考えて改善することより(もちろん原因は無理な組織運営している上司にあるのだ)、「組しやすい相手」に圧力をかけてくることになる(まあ、私が組しやすいというのは認めるが)。 けど、それって「下品」だよな。 管理者って立場になると、どうしてもこんな低劣な人間になってしまうものなのかなあ。そうなら私は一生ならんぞ(なれねえって)。
上司のコトバなぞ気にしても仕方がないとは思いながら、小心者の常で、やはりシクシクと胃が痛む(/_;)。 ふと、仮に同僚が怒ってるのが本当だとしてもそりゃ無理もないことだよな、立場を変えれば、私だって、「あのヤロウ、仕事をこっちに押しつけてこんなに休みやがって」と思うかもしれないし……と考えたところで、アレ? と思った。 私、今までそんな考え方をしたことないや。 実際に同僚が病気で休んだこと何度も経験してるけど、「病気だったらしゃあないじゃん、休んでも」としか思わなかったんだよな。それで仕事が忙しくなってても、私の文句の矛先は、管理能力のない上司にしか向けられなかった。病気がちな自分に対する言い訳として相憐れむようにそう言ってたわけじゃなくて、ホントに他人が休んでもそれで迷惑を受けたと考えたことがなかったのだ。 つーか、やっぱり病人に対して「健康管理しろよ」って言い放てる神経って、異常じゃないのか? 相当異常な職場にいるんじゃないのか? 私って。 ……なんだかまた鬱・鬱・鬱……。
それでも起きあがることすらできなかった昨日に比べれば遥かにマシである。 鼻詰まりもなんとか鼻薬を差してゴマ化しているが、この鼻薬というヤツ、確かに鼻をスッとさせてはくれるが、その分、頭痛もオマケに付けてくれるのである。 完全快復にはもう数日はかかりそうである。
しげは今日は早出の仕事。 私を迎えたあと、飛んで仕事場に行く。 とりあえず椅子に座れる程度にはなったので、パソコンに向かってネットの探索など。 ふと、しげのパソコンのテーブルを見ると、なにやらCDっぽいものが置いてある。これが、CD仕様にはなっていたが、『ノット・ア・ガール』のパンフレットであった。 なんだ、結局見に行きやがったのか。 ……だったら金曜は何を見に行くんだよう。
DVDで『スニーカーズ』、『絶叫屋敷へいらっしゃい!』、ダン・エイクロイド2本立てを吹替え版で見る。 映画自体はどちらとも以前に何度か見ているので、もっぱら吹替えの仕方にばかり注目。 『スニーカーズ』の方のエイクロイドは竜田直樹。 マシンガントークでないどころか、やや鼻にかかったような間延びした声は、まるでキャラクターに合っていない。これほどわかりやすいミスキャストも珍しいのではないか。 エイクロイドは本人自身を彷彿とさせる超常現象オタクの役なのだが、翻訳がまたそのへんの事情に疎い人だったらしく、「キャトルミューティレーション」を「家畜虐待」とか訳してやがる。イメージ違うよなあ。 『絶叫屋敷』の判事は内海賢二。普通に考えればこれも当然ミスキャストだ。 けれど、一見してエイクロイドと分らないくらい思いっきりメイクしてるし(頭もちんちん鼻もちんちん)、声も作ってるから、普段の声じゃないってことでギリギリセーフかなあ。キャラクターには合ってる。 けど、映画の出来自体がとことんショボイからなあ(^_^;)。 なにしろラジー賞にノミネートされまくっただけあって、笑える箇所が殆どない。ダン・エイクロイド、この唯一の監督作がコケちゃったのがイタかったよなあ。主役張れる機会がこれ以後めっきり減って来ちゃったから。間違ってもトム・ハンクスみたいに『フォレスト・ガンプ』の方向に行かなかったのは立派なんだけどね。 バイプレイヤーとしても確かに名演を見せてくれるんだけど、やっぱり「華」のある人だから、主演でイッパツ、コメディを撮り続けてほしいものです。でないと、わずかワンシーンの出演のために映画館に通わされる羽目になるし。
しげの仕事、いつもより早く終わる。 まだ11時にもなっていないので、やや遅めの夕飯を、ということで、ブックセンターホンダを回って本を買い込み、ロイヤルホストで食事。 スパゲティミートソースに「チキンなんたら」。 フェア商品なのでやたら長ったらしい名前がついてて、覚えてないが、これが実に美味いのであった。 蒸したチキンにゴマミソみたいなソースかけてるんだけど、蒸したり茹でたりしすぎると、すっかり脂身が抜けてパスパスになりかねない鶏肉を、適度なとろみを残して甘く蒸し上げている。口の中でややモチッとした歯応えがあるのがいい。しげに何切れか分けてやったが、ちょっともったいなかったかも(^^*) 。
『ガンダムエース』7月号(角川書店・650円)。 No.005と通し番号が付いてるけれども、今号から「ニュータイプドットコム増刊」が外れて新創刊。 表紙を捲った途端の寺田克也のマ・クベのグラビア、ムチャクチャ気味悪いぞ。殆どゾンビにしか見えないが、壷持った女が後ろに立ってるのが大笑い(あれは「いいもの」か?)。 安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』はいよいよ『ガルマ編』。 ……なんか、ガルマ、アニメの時よりえらくカマっぽいんですけど(^_^;)。 「笑うなよ、兵が見ている」……って、兵がホントに呆れ顔で見てるしねえ。 全体的に安彦さん、キャラクターをナヨッとさせるようになってるから、アニメのときは緊張感のあったシーンが、そうでもなくなって、むしろ「笑い」を誘うようになってしまっているシークエンスも多い。もちろんそれがいけないとも言いきれないんだけど、「オリジン」と謳ってるんだから、不快に感じる読者もいるかも。私はいろいろ突っ込めて楽しいんだけどね。 出撃拒否するアムロをブライトが殴るシーンなんかも、ブライト自身が全然頼りないから、ヒステリー男同士の言い争いにしか見えないぞ(-_-;)。 次回はいよいよイセリナが出るかな。テレビ放映時、「イセリナのキャラデザインには失敗した」とか安彦さん言ってたから(アレじゃただのバカだとか言ってたような)、思いきって展開を変えりゃしないかなあと期待してるんだけど、そしたらまたファーストガンダムオンリーってファンは激怒するかもな(^o^)。
もう五日ほど日記を更新していない。 掲示板の方にも何人もの方から心配の書きこみがあるが、それにレスも付けられない状態である。それでもなんとか起きられるようにはなったのだから、早いとこ書いてかないとな、と思っていたところ、東京のこうたろう君から電話。 容態を心配してくれたのだが、友人の声を聞いた途端に私の方も元気になってペラペラ喋り出すのだから、我ながらまるでこれまでは仮病を使ってたみたいである。 もちろん脳内でアドレナリンが出まくってるおかげでの一時的なものであろう。 気付いたら病気のことそっちのけでオタク話をしている。 こうたろう君の息子さん、『ガンダムエース』に載ってたトニーたけざきの『シャアの左遷』を読んで笑い転げているらしい。 シャアがガンダムの凄さをドズルに伝えようと懸命になるうちに、気がついたら口が滑って「目からビームを出す」とか「腕が飛ぶ」とか「胸からシューシューと臭い息を吐く」とか、デタラメ報告してしまうというギャグ作品。……いや、私も笑ったけどよ(^_^;)。 でもあれ、ちょっとえっちなギャグも入ってたんだが、息子さん小学二年生で意味わかってるんだろうか。あまり耳学問が過ぎるとあとで困るぞ(何にだ)。
電話が終わった途端、腑抜けたようになって、そのまま爆睡する。 ……明日こそ日記の更新を。
2001年05月29日(火) ヒステリー・ヒストリー/『オサムとタエ 早春残光編』(村野守美)ほか
| 2002年05月28日(火) |
素敵なあなた(はあと)/CD『ぼういず伝説』/『コメットさん☆』DVDBOX2ほか |
風邪が全然治らない。 しげが「クーラーかけて寝てるからだよ」と言うが、寒気は全くないのだ。熱もない。 ただただ咳が止まらずノドが痛くて、鼻が詰まって息ができず、頭痛が頭を横殴りするように響いて、そして腹を下して血便が出ている。 なんだかこのまま死んじゃった方が楽なんじゃないかと思えるくらいに気分も鬱になる。 それでも今日はなんとか仕事に行こうと、着替えまではしたのだ。 けれど、立ちあがって2、3歩歩いて、猛烈な目眩に襲われた。 そのまま椅子に座りこむ。こりゃダメだ、と判断してまた職場に欠勤の電話を入れる。 上司から「いい加減で体調を整えないと」と言われるが、定期的にメンテにゃ出してますよ。オーバーワークがメンテに追いつかないんですってば(-_-;)。
坊屋三郎さんが25日、心不全のため死去。享年92。 名優、清川虹子さんを追いかけるような死だった。 これで「あきれたぼういず」のメンバーは第1次、第2次、第3次含めても全て鬼籍に入ったことになる。 しかし、新聞記事にも「あきれたぼういず」メンバーと書いてあるが、もうどれだけの人が「あきれたぼういず」のことを覚えているのだろうか。例の「クイントリックス」のCMですら、1974年、もう30年近く昔のことなのである。 だいたい坊屋さんのことを「コメディアン」と呼ぶこと自体、本当はおかしい。「あきれたぼういず」はボードヴィルチームである。肩書きをつけるなら「ボードヴィリアン」が至当だろう。こういうことに記者が拘らなくなっているのも、現代ではボードヴィルショーが絶滅してしまっている悲しい事実を証明している。 ったって、私だって、「ぼういず」の歴史は生まれる前のことで、母から話に聞いてただけのことだ。「自分が見聞きしたことのないものは語るな」と言う小林信彦の言に従えば何も言えないことになるが、それでも世の中には奇特な方々がいて、「あきれたぼういず」のCDなんつーものを出してくれてたりするのである。 この『ぼういず伝説』を聞く限り、彼らをして、まさしく日本のマルクス・ブラザーズであったと呼称しても決して誉めすぎにはなるまい。戦前の収録だと言うのに、一曲に詰め込んだギャグのこの膨大さはなんということか! しかもただただナンセンス、よくも検閲だらけの戦前にこれだけパラノイアな録音が許可されたものだと感嘆する(実際はこれでも相当、発売禁止になったものも多いらしい)。どれだけ狂ってるかはぜひとも現物に当たって頂きたいものである。
けれど、今やその「ぼういず」のメンバー自体を書き記さなければ、ワケがわからない。と言っても私だってCDの解説を引用せねば殆ど書けやしないのであるが。 稀代のボードビリアン川田義雄(晴久)、坊屋三郎と弟の芝利英(モーリス・シュバリエのもじり)、益田喜頓(バスター・キートンのもじり)の4人が第1時ぼういずで、昭和12年の結成。彼らは関西の吉本興行の、東京進出の看板だった。 しかしわずか2年後の昭和14年、新興キネマが川田以外の三人を引きぬき、山茶花究と組ませて第2次ぼういずを結成する。 旗揚げのとき、彼らはマルクスブラザーズに扮したそうだが、グルーチョが芝利英、ハーポが坊屋三郎、チコが山茶花究。じゃあ益田喜頓はゼッポかと言うと、「馬」だったそうな(^o^)。 戦時中は敵性語禁止のために名称を「新興快速舞隊」に変更して活動したが、18年、芝利英が応召(後、戦死)したため活動停止。しかし戦後の22年、残る三人でカムバック、26年の解散まで活動した。母が記憶しているのはこのころの「ぼういず」だったろう。 川田は「ぼういず」の顔だったが、そういう事情で在籍していたのはわずか2年でしかない。しかし、後に「川田義雄とミルク・ブラザーズ(後に川田晴久とダイナ・ブラザース)」を結成。このグループのテーマソングが有名な『地球の上に朝が来る』であるが、『ぼういず伝説』にはボーナストラックとして、この曲も収録されている。
坊屋さんはもともとオペラの松本芳能里の弟子で、本物のオペレッタをこなしたこともあるという。 なのに「ぼういず」の『四文オペラ』ではその美声を聞かせるどころか東北ナマリで「オペラはお寺ではないのでありますぞヨ」なんて言っている。驚くのはその早口と声真似の域の広さだ。ポパイとブルートとベティ・ブープを一人で演じ分けるなんてトンデモナイことを既にデビュー曲の『4人の突撃兵』の中で披露している。 ぼういずの中では正統派の川田、芝のボーカルの合間にチャチャを入れるように高瀬実乗の声真似なんかしているが、もちろん実力がなければできることではない。 『嘘くらべ』の一節、坊屋さんのボーカル部分も相当狂っている。 「風は北風ポンプじゃダメだよ、氷の柱で火の手を包み、包んだ火の手をチョイと丸め、ウーウーウーウー、火事の団子か氷の団子かお団子団子で火事団子」……歌詞を読めばまあ、何を言ってるのか分らなくはないのだが、耳で聞いてると早口過ぎて何が何やら解らない。 四人が四人とも、この調子で捲くし立てるものだから、聞く者はただただその勢いに巻きこまれるしかないのだ。……ライブで見られたら本当にすごかったろうなあ。 晩年、大林信彦映画の常連になったけれども、随分もったいない使われ方をしていたように思う。もうちょっとギャグの見せ場を作ってあげてもよかったんじゃなかろうか。歌のシーンも。
伊藤俊人さん追悼でまたまたビデオ『君となら(再演)』を見返す。 伊藤さんは主役の斉藤由貴にかつてフラレた床屋の職人の役。 芝居全体の中では小さな役だけれど、嘘に嘘が重なった末に、最後にカタストロフを迎えるきっかけを作る役でもある。三谷幸喜さん、東京サンシャインボーイズを解散した後も、劇団の役者をオイシイ所に使っているのだ。ギャグも効いている。 ……ほんの5年前の姿だ。 このとき35歳のはずだけれど、20代に見える。演技が若いのだ。 惜しみても余りある。
DVDBOX『コメットさん☆』、鼻ミズ垂らしながら後半43話まで全て見る。 うーん、やっぱり王子様の正体はケースケにしておくのがセオリーだったよなあ、と通して見ると改めて思う。というか、そういう伏線を張ってたんだから、そうしないと視聴者の期待を裏切る形になるって考えなかったのかなあ、脚本のおけやさん。初めから王子様はケースケともシュンとも別人にするつもりだったって、ホント? それにしちゃ辻褄が合ってないし、何のためにそうしたのか効果が分らない。王子様とコメットを「結ばせない」ための手段なのか? 「ケースケの過去は謎」とカゲビトに調べさせてるんだから、「別に謎でもなんでもなかった」ってのはただの詐欺じゃん。やっぱり、打ち切りが決まったための混乱が設定にも変化を与えちゃったって気がするなあ。
しげがパソコンの前でいきなりけたたましく笑い出したので、何ごとかと思ったら、AIQのエロの冒険者さんのサイトを覗いていたのだった。 「はははははは!(しげはホントにこんなふうにけたたましく笑う。多分、頭のネジが半分くらいネジ切れてるのだ)」 「エロさん、なんかおもしろいこと書いてるの?」 「違うと。エロさん、サイト名変えたんよ」 「……なんて?」 「……見てん」 で、見てみた。 昨日までは『元祖エロ倶楽部』と書かれていたその部分には……。
「素敵なあなた」
ぶはははははは! いや、笑っちゃいかんのかもしらんが、笑ったのは事実だから仕方がない。 何を思ってエロさんがサイト名をこんなふうに変えちゃったのかは分らないけれど、エロさんが飛ばしてきたここしばらくのギャグの中で最大最高のものであることは断言できる。 トップページに「アンドリュース・シスターズの同名曲から取ったものです」と注意書きがあるが、そんな言い訳、このタイトルとナマズの写真のミスマッチで吹っ飛んでしまう。 なんだか私ゃ、エロさんがタキシード着て、フランスの高級レストランかどこかでギャルソンやってて、「いらっしゃいませ、素敵なあなた」とお客さんのレディーに手を差し伸べてる様子を想像しちゃったんだが、シツレイな想像だろうか。 いや、ホントにウケたんですって。笑いすぎてクシャミまで出ました(そりゃ風邪が悪化してんだ)。
2001年05月28日(月) 才能がないなんて言い訳だ/DVD『チャーリーズ・エンジェル』
| 2002年05月27日(月) |
また仕事休みました。/『コメットさん☆』DVDBOX/『ああっ女神さまっ』24巻(藤島康介) |
病状ますます悪化。 とても仕事に出られる状態じゃないので職場に連絡をして休みを取る。 こないだ「どんなことがあっても休まない」と誓いを立てたような気もするが気のせいか。 上司は「はい、分りました」とあっさり答えてるけど、内心「またかい」と思ってるんだろうな。 もう気にしても仕方ないけど。
気分もすっかり鬱になっているので、何をしたら気晴らしになるやらと思い、まだ全部見切れていなかった『コメットさん☆』のDVDボックスを頭から見返す。今日一日で前半20話ほどを一気に見るが、テレビ放映時には見逃していたエピソードなどを確認して、人物関係がようやく分った。 地球に逃亡してきたタンバリン星国の王子様を探しに、というのがコメットさんの公式な地球訪問の目的なのだけれど、実際は母の思い出の国である地球に来たかっただけ。その母役を初代コメットさんの九重祐三子が演じてるものだから直接の続編、と勘違いしやすいが、見返して見て細部を確認してみると、設定は結構大きく変えられているようだ。 まあ、「イメージ的には続編」という程度なんだろう。
前半、コメットさんは王子様探しはそっちのけで、「輝き」探しに熱中する。 ところが、ここで登場してくる「輝き」を持つ人々というのがどうにもキャラクターとしての魅力に欠けるのである。 それはたとえば流木アートを作ってる青年であったり、デザイナーの卵の女性であったり、恋人の野球選手を応援しているバトントワラーの少女であったり、たいていステロタイプの「いいひと」で、そりゃ確かに「輝いてる」人たちかもしれないけれど、人間の輝きをそのいかにもイマドキな人たちに限定して語ってもいいものか、という気がしてくる。どうしてそこに飯場のガテンなおっちゃんなんかは登場して来ないのかね。 そういったおキレイなキャラクターを中心に据えても、ドラマとしてはいささか納まりがつきすぎる印象のものになってしまうのである。全体的にキレイごとになってしまった、と言い替えてもいい。 そのせいか、本作には、一昔前の「魔女ッ子もの」になら必ず登場していた「悪人」の姿が全くと言っていいほど見受けられなくなっている。たとえばそれは、貧乏でつい泥棒を働いたり、強盗、誘拐を働いたりする人々なのだが、『サリー』だろうが『アッコちゃん』だろうが、たいていはヒロインの魔法で改心する、という結末になっていた。それもまた御都合主義的な結末のつけ方ではあるが、少なくとも当時のスタッフには、「この世は善人ばかりで構成されているわけではない」という現実認識が作り手にはあったと思う。 善人の中にあってはコメットさんの仕事は基本的に「頷く」ことだけである。「星力」は、登場人物たちの運命に何ら寄与することがない。物語を彩るアクセサリー以上のものになっていないのである。 日本の魔法少女アニメって、もう少し「魔法」に対する見方がシビアで、「便利なものだとばかり思ってたら、足元を掬われるぞ」ってとこがあったと思うんだけど。 もしもテレビ放映時に、このあたりのエピソードだけを見ていたら、私も『コメットさん』を傑作、とは称えなかったかもしれない。幸いなことに当時は見事に見逃していた(^_^;)。 いい子でいようとするコメットがつい弱音を吐いてスピカおばさまに甘えてしまう『もう一人のコメット』など、テレビでたまたま見ていたのが珠玉のエピソードだったのだ。運がよかったのか悪かったのか。
マンガ、藤島康介『ああっ女神さまっ』24巻(講談社/アフタヌーンKC・460円)。 絵はどんどんうまくなってるんだけど、お話どうにかならんか。 考えてみりゃ、毎回毎回、蛍一とベルダンディーのノロケで終わるのは全部同じだし。……なんだかミッチーとヨシリンのバカップルを見せつけられてる野原一家の気分だぞ。しかも今回は桂馬さんと鷹乃さんのノロケまで見せつけられるダブルパンチ(*−−*)。せめて鷹乃さんがトシ相応の顔してりゃいいけど、どう見てもスクルドと同い年か年下にしか見えないキャラデザなんだよ。ロリコンとマザコンの両方を狙ってんだもんなあ。 でも未だにこれが『アフタヌーン』の顔。こんなんに引っかかってる客も雲霞のごとくいるってか。病んでるよな、『アフタヌーン』の読者も(^_^;)。 まあいいや、お話で買ってるわけじゃないし。 でも24巻まで来て、まだ女神増やすかなあ。いや、ネタ切れなんだろうけど。けど、デザインはともかく、性格とか中身にたいしてバリエーション付けられてないもんなあ。そろそろ完結してくれないと、しげがまた「そんなに私より女神様がいいか」と嫉妬するんだよ。 ……マンガのキャラに対抗意識持つなよ(^_^;)。
2001年05月27日(日) 今度の芝居のキーワードは「裸」です/『ヨイコ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか
| 2002年05月26日(日) |
マクド&マクド/『濃爆おたく先生』2巻(徳光康之)/『韃靼タイフーン』4巻(安彦良和)ほか |
休日だと言うのに体調は回復しないまま。 昨日は熱もなかったのに、今日は熱がある感じ。と言っても体温計がどこにいったものやら分らないので正確に何度かは解らない。けれど微熱ってとこじゃないのかなあ。熱が出れば早く治るけれど、ただ咳が止まらず鼻水が溜まるばかりというのは病気が長引く証拠のような気がする。 だいたい医者から貰った薬飲み続けてるのに全然効く様子がないのはどうしてだ。ちゃんと診て処方したのか。悪態つきたくなるのもひたすら苦しいからである。 フトンから起き上がれないまま、枕もとはすっかり鼻水をかんだティッシュの山。 独身時代だったら誤解されてるところだな(^_^;)。 明日からまた仕事だというのに快復しそうな気配がねーぞ、どーしたらいーのだ。
伊藤俊人さんの死を悼んで、舞台のビデオを見返す。 『ラヂオの時間』、伊藤さんはしょーもないギャグを飛ばすコメディアン「山田広満」役。映画版では配役が井上順に変更、名前も「広瀬満俊」に改められていたのは昨日の日記にも書いた通り。 映画版では井上順に遠慮したのか、しょーもないギャグは全てカットされたので、ちょっとここで紹介しておこう。何しろ三谷幸喜の戯曲は本人の意向で殆ど出版されないから、幻のギャグになってしまっているのである。 「逃げましょう、早く!」 「俺に構わず、行け!」 「ボブ!」 「俺はもう、助からない! 足を挟まれた! ああっ!」 「人を呼んで来るわ!」 「そんなことをしてる間に、火の手が回ってしまう! 逃げるんだ! メアリージェーン!」 「ボブ……」 「私のメアリージェーン……これだけは分ってくれ、私は心の底からお前を愛して板垣退助!」 「ボブ!」 「お前は私の最愛の妻段田男!」 「どうしてもっと早く言ってくれなかったの!」 「行け! 火の手はもうそこまで来ている! ルンバを踊りながら逃げルンバ!」 ……どうです、しょーもないでしょう。 けど、これを伊藤さんが言うと、なんか妙におかしいんですよ。いや、ホント。
しげは昼から仕事。 出かける間際に、何か食べ物を買って来てね、と声をかけたけれども、しげはいつものごとく無視。 こりゃ何も買って来てくれないかもと、仕方なく自転車に乗ってふらつきながら一人でマクドナルドに行く。 途中、電柱にぶつかりそうになるが、なんとか回避。 ケツの筋肉も緩みっぱなしなので、自転車に乗ってる時はいいが、降りる時、漏れそうになる。あとでパンツを見たらシミが赤い。やっぱり血便だ。 とりあえず腹を満たして帰ってきて、あとはまたひたすら寝る。 そしたら帰ってきたしげ、マクドナルドでハンバーガーを買って来てくれた。 ……嬉しいけど、だったらちゃんと返事してくれよ(-_-;)。 そのころには食欲がなくなっていたので、しげが買って来てくれた分は、明日の朝食に回すことにする。
アニメ『サイボーグ009』第31話「怪物島(モンスターアイランド)」 うへえっ、「怪人島編」、たった1話でやりやがった……って、考えてみたら最初のテレビシリーズでも1話でやっちゃったんだよな、これ。 原作じゃあの怪物博士たち、どうなったかわかんないままで尻切れトンボで終わっちゃってたから、キチンと結末をつけてくれたのは嬉しくはあったけど。 でもやっぱり差別に引っかかりやすいところは殆どカット。 青年がパーになるところや、「ドクター・セム氏」は原作でも改訂された通り「ドクター・マム氏」に。でもそれじゃカジモドのパロディになってないんだけど。しかもお互いを呼び合うシーンも全くないし。こんなところでたった1話で終わらせちゃうのが惜しい話なんだけどなあ。
マンガ、徳光康之『濃爆おたく先生』2巻(完結/講談社・マガジンZKC・580円)。 オタクと言っても、昨今その生態が細分化されているのは、この日記の中でも何度か触れた通り。 私なんぞは比較的おとなしめなオタクで、映画を見るのと同じようにアニメや特撮も時々見る、程度のものなので、ディープなオタクな方々の前ではシュンとしてるしかないのだが、徳光さんの前にでも出ればただただ話の聞き役に回るしかなかろう。 一応、一年戦争に間にあった世代ではあるが、私は『ガンダム』を本放送で見たことは数話しかない。高校生当時、私の周囲の熱狂的『ガンダム』ファンと来たら、放課後になった途端に大声でシャアシャアとなにをヘビの鳴きマネしとんじゃと突っ込みたくなるようなミーハー連中が多くて、つい『ガンダム』の価値を見くびっていたのである。安彦良和のキャラも、私は『クムクム』のほのぼの路線が好きだったので、リアルに見せかけたあのデザインは安彦さんらしくないと思っていてハマれなかった。 何より、当時の私は往年の東映動画をこそ最上のアニメ、と考えていたので、森康二や大塚康生が『ガンダム』を「手抜きアニメ」と批判していた手前、『ガンダム』批判派に回らざるをえなかったのである。今思えばホントに若かったんだなあ。 今はもちろんそこまで偏狭な考え方はしていないのだが、やはり自分を省みて『ガンダム』オタクとは言いがたいと思う。まずもって、『ガンダム』のドラマやキャラクターには興味があっても、モビルスーツには全く魅力を感じていないからである(だもんでウチには怪獣の食玩フィギュアはあるがモビルスーツの類は1個もない)。 そういうわけで、「ジオンいかに勝つべきか」の妄想キャラ、キュウシ・ユウダンジのパッションも私はどこか覚めた目で見てしまう。1巻のころは島本和彦的な怒涛の叫びがおもしろくはあったのだが、2巻まで読んで、どうやら作者がいささかマジらしい、と知った時点で、パロディとしての中途半端さにも気づいてしまったのである。 つーか、アレはハズしてるよなあ。 本編にないウラ設定を妄想するのは、オタクとして決して間違っちゃいない。しかしそれはあくまでパスティーシュ(贋作)としての性格を持つものでなければ、作品として成立はしない。つまり、元々のガンダムの世界観自体は崩しちゃなんないのである。 そこに「キュウシ・ユウダンジ」はないよな。『ガンダム』に『奇面組』混ぜてどうする(-_-;)。 いや、アレはあくまでギャグであってパスティーシュじゃありませんと言うなら、所詮あの「おたく先生」はオタクじゃなくてただのおふざけキャラでしかない、ということにしかならない。 そこに島本和彦との才能の差が見える。ヘンに理に勝ち過ぎてる分、島本和彦の「いいや、これもアリ!」と理屈を無視してねじ伏せるパワーが、徳光さんにはないのだ。リアルに妄想するなら、もちっと本気で読者が「ウン、その通り!」と納得するような設定を考えてくれないとねえ。でなきゃもっとバカになんなきゃ。ドリル番長くらいじゃまだまだありきたり。 それにやっぱりザクレロで連邦には勝てないでしょ(^_^;)。
マンガ、安彦良和『韃靼タイフーン』4巻(完結/メディアファクトリー・540円)。 え? これで終わり? 話が殆ど展開しないままで終わったって感じだなあ。 わざわざアナスタシアのクローンまで作っておきながら、アルクスニス、殆ど利用しきれないで終わっちゃったじゃん。タイフーンだって、あの無駄な扱い方は何? 言ってみりゃ最終兵器なわけじゃん、実際には核ミサイルをぶっ放せないとしても、成層圏まで持ってって自爆させるくらいのケレンは見せてくれてもよかったんじゃないか。 結局、悪役としてはアルクスニスがコツブ過ぎたってことが物語的に敗因の一つになってるんだよなあ。設定がリアルなのに、肝心の敵をあんな誇大妄想狂と言うか、チンピラレベルのキャラにしちゃ、ギャグにしかならないよ。 だいたい第2部に入って、いくらかつての記憶を失ったからと言っても、主人公がこんなに目立たなくなっちゃっていいのか。第1部であれだけ世界観みっちり作っといて、なんであっさりと放り出しちゃうんだよ。全てにおいて中途半端だ。 『ガンダム』にかかるために中断したのか、人気がなくて打ち切られたのか、どっちにしろ「構想半ば」だったんだろうなあ。 アニメーター完全に辞めちゃった安彦さんだけれど、マンガ家として思う存分に描ききれた作品って、そんなにはない気がする。 今のところ安彦さんの最大長編の『古事記』は、本当なら『ナムジ』『神武』以降も描き継ぎたかったはずだし、『ヴィナス戦記』も『ジャンヌ』も、どこかシリキレトンボ臭い。『アリオン』と『虹色のトロツキー』くらいじゃないのかな、マトモに完結したって言えるのは。 まあ、この作品のことはもう忘れてあげるから、『ガンダム』に勢力傾けて頑張ってほしいね。
2001年05月26日(土) 恐怖! ウワバミ女の逆襲(完全版)/『人造人間キカイダーTRIBUTE』
| 2002年05月25日(土) |
サヨナラを言いたくない人/『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』(吉岡平・森小太郎)ほか |
風邪、悪化の一途を辿る。 朝からかかりつけの病院で見てもらい、薬を貰う。 そのまま帰って眠ってりゃいいのだが、しげに『エボリューション』のDVDを買ってやらなきゃならないので、ふらつきながら天神ベストのLIMBへ。 その後ジュンク堂に回って買い損なってたマンガ本など買う。 そのあたりで体力が尽きたので、他にはどこにも寄らず、真っ直ぐ帰る。
新聞を開いてギョッとして、思わずしげに向かって怒鳴る。 「……おい、伊藤俊人さん、亡くなったよ!」 日頃はヒトの生き死になどに一顧だにせぬ冷血漢のしげも、このときばかりは「え? なんで?」と目を丸くして聞いてくる。 「クモ膜下出血だよ。生で見たことある人が亡くなると、さすがに信じられないって気になるなあ」 「いつ見たん?」 「おまえも一緒に芝居見たろうが! 『君となら』!」 実のところ、「生で見たから」だけでなく、伊藤さんには同年代の俳優として、すごく期待していた。だからなおのことその死がショックだったのだ。
伊藤俊人(いとう・としひと)氏、24日午後5時18分、くも膜下出血のため死去、享年40。 劇団・東京サンシャインボーイズ結成以来の畏友、三谷幸喜氏とは同い年だから、私より一つ年上だ。 初めて伊藤氏の演技に接したのは、テレビの舞台中継『ラヂオの時間』でのコメディアンの役だった。映画版では井上順が同じ役を演じていたが、はっきり言って舞台版の伊藤さんのほうがよっぽど溌剌としていてキレもよかった。 『ショウ・マスト・ゴー・オン』で東京サンシャインボーイズの舞台活動が休止した後も、舞台『君となら』やテレビ『古畑任三郎』など、三谷幸喜作品に引き続き出演していたのは、やはり伊藤さんのねずみ男的な、底意地は悪いけれど実は小心者、といったキャラクターが光っていたからだと思う。 『ショムニ』の演技は東宝サラリーマン映画を髣髴とさせていて、伊藤さんの「これから」を期待していたものだったのに。
日記には書かなかったけれど、つい二、三日前、なんの気なしに舞台『ショー・マスト・ゴー・オン』のビデオを見返したばかりだった。 伊藤さんの役は準主役で、主役の西村雅彦の舞台監督の下でソツなく立ち回りはするけど、肝心なところで大ポカをやらかす裏方の役である。 座長役の佐藤B作から、「一回くらい、ちゃんとした舞台を作ってやろうとは思わないのか!」と叱られてうなだれる。多分この思いは、三谷さん、西村さん、伊藤さんを始め、東京サンシャインボーイズの、いや、劇団関係者ならみな一様に感じることではなかっただろうか。
「もうおトシだから仕方ないかな」という人が亡くなったわけではない。 本当に「これから」の人が亡くなってしまったのだ。 役者が育ちにくい、評価されにくい現代で、バイプレイヤーとしてしっかり地歩を固めてほしい人だった。 ここしばらくの物故者の中でも、一番やりきれなさが残る。
後はひたすらテレビも見ずに寝る。 でも漫画だけはとりあえず読む(^_^;)。
マンガ、和田慎二『ピグマリオ』11・12巻(完結/メディアファクトリー・910円)。 ……あー、あまり感想書いてもしょーがないかなーって気がして来たな。 つじつま合わせのムリヤリな展開と言い、どこかで借りてきたようなイメージの羅列と言い、なんだかなあ、と思いながら最後まで読んできたんだけど、意外性も感動もないデタラメなラストだったなあ、正直な話。 作者本人はアレで満足してるらしいけど(-_-;)。 11巻で死んだオリエが12巻で復活してめでたしめでたしって……安易にもホドがあるんじゃない? 第一、オリエが死ぬのを予言したのも大地の女神ユリアナで復活させたのもユリアナじゃん。予言の意味を自分で無効にしてどうする。そこに何の矛盾も感じないのか? 和田慎二。 そんなテキトーな展開でいいんだったら、どうしてマリウスやシルヴァーナだけ復活させないんだよ。演出上、キャラクターを殺さなきゃならない場合があるのは当然のことだけれど、 そうやってキャラクターを弄ぶことが読者をバカにしてることなんだって気がつけよ。……ってもうこれ随分前の作品なんだよな、今更文句をつけたってしょうがないけど。 作者は『ピグマリオ』の出版はこれが最後とか言ってるけど、そのうち文庫化するんじゃないのか?
マンガ、吉岡平原作・森小太郎作画『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』(エンターブレイン・630円)。 なんだか最近やたらとこの日記に「タイラー」でのアクセスが多いんだけど、どうやら以前のアニメのDVDが出てないかどうか検索されているらしい。 けどLDは出てるけど、DVDは確かまだ出てないんだよな。今見ても充分いい出来だと思うからBOX出したっていいと思うけどなあ。新作がこうやって書かれていることでもあるし。 それはそれとして、次の小説の新刊が出るまでの場つなぎ外伝の第二巻、ジャ・ディーンとアザリンちゃんの関係が明らかになる。うーむ、しかしこういう設定にしちゃうと結末がすごく悲劇的なことにしかならない感じだよなあ。 だいたい、この「真」シリーズ、オリジナル版と基本ストーリーは変えないって言ってんだから、「どうしてこのあとジャ・ディーンが本編シリーズに登場しないのか?」と問い出したら、やっぱり悲惨な運命が待ち受けているとしか考えようがないじゃないの。なんだかんだ言っても、これ「戦争もの」なんだし。 けれど、「戦争もの」だからこそ、安易に人を傷つけない殺さない、ということも作り手は考えとかなきゃならないことなのだ。あと1巻で完結、ということだけれど、なぜこの物語が「外伝」としてしか語られなかったのか、ってことまできちんと説明のつく結末になってくれるといいんだけどなあ。 あ、あと、口絵イラストのユリコさんのコギャルのコスプレは、すっげーかーいーっスよ(* ̄∇ ̄*)。
2001年05月25日(金) ドームにぃ、轟くピンのぉ音ぉ♪/『ウインドミル』11巻(橋口隆志)
| 2002年05月24日(金) |
カニの味がわからない/『かしましハウス』7巻(秋月りす)/『焼きたて!! ジャぱん』2巻(橋口たかし) |
24日、女優の清川虹子さんが肺出欠で死去。享年89。 記事にはどれも「喜劇女優」と書いてあって、もちろんそれは清川さんにとって名誉なことではあるんだろうけど、私はもう清川さんの「喜劇」の演技ってのを殆ど覚えてない。喜劇俳優の常で、清川さんもトシ取ったら「演技派」に転向してったからね。 映画での一番最後の演技は多分『ガメラ3』なんだろうけど、あれも全然喜劇じゃなかった(見方によっては喜劇とゆー指摘はこの際ナシね)。 ただ、私は喜劇俳優が「演技派」に転向するのが長い目で見て必ずしもいいことだとは思えないのだ。下積みが長いから、演技の基礎は普通の役者よりよっぽどできているし、ソツなくこなせちゃうんだけど、そのせいでかつての「喜劇役者」としての質が問われなくなることも多いからだ。 森繁久彌の代表作が『三等重役』でなくて『夫婦善哉』や舞台の『屋根の上のバイオリン弾き』になってしまうというのは、結局は「喜劇」そのものが普通の芝居、映画に比べて一等低いものと見られることにつながっていきかねない。 ましてや、喜劇役者が「政治」に参加しようなどというのは自分というものを全く履き違えてはいないか。十年以上前、清川さんが年金党の顔として立候補した時、「ああ、この人は何も考えてない」と落胆したものだった。当然のごとくこのとき清川さんは落選している。存在自体が「滑稽」になってしまっては、もはや喜劇役者としては死んだも同然だ。 言っちゃなんだが清川さん、どんなに顔出ししてても、実質的にはもう何十年も「忘れられた」存在ではなかっただろうか。もっとハッキリ言えば、清川さんでなければならない役なんて一つも演じていないのである。『楢山節考』では何の役だったんだ、清川さん。 清川さんを正当に評価しようと思えば、代表作といわれる『アジャパー天国』あたりを見なければならないだろうけど、残念ながら未見。DVDは出てるから欲しいんだけど、このあたりの映画を買ってたらもうキリがないので買い控えてる。
風邪、最悪の状況になるも、仕事は休めず。 咳やクシャミはひっきりなしに出るわ、鼻水は止まらないわ、これでマトモな仕事ができたら立派なもんだ。 風呂にも入らずヒゲも剃らず、という状況で職場に行ったら、さすがに同僚たちから「お具合悪いんですか?」と言われる。 具合が悪いのは今週ずっとなんだけれど、やっぱり態度で示さないとわかんないものなのだな。 ハナミズで息ができないから喋りがどうしても「この゛件についでば、の゛うしばしょうか」みたいな感じになる。まんまマンガのキャラだ。 ここまでくるともうひたすら帰って寝たい、としか思わない。 体調がいいときには決して仕事に対して意欲のない人間じゃないとは思うんだけど、たかが風邪一つでこんなに世の中に対してどーでもいー気分になるものなのか。 だからと言って結びつけるのはちょっとムチャなんだが、私は「安楽死」には基本的には反対の立場だったりする。 「苦しいからもう殺してくれ」って言うのは裏を返せば「苦しくなかったら死にたくない」ってことだから、「死」を望んでるとは言えないからだ。本当にその人が「助からない」と断言するのって難しいと思うんだけどどうか。
女性の年齢を本人に面と向かって問うことはシツレイに当たる、というのが一応、「世間一般の常識」ってことになってるらしい。 私自身はこの常識というヤツが今一つ理解しがたくて、「女性のトシ聞くののどこが悪いのか?」と内心考えたりしている。別段、私ゃ相手が若かろうが年寄りだろうが、それで対応を変えたりはしないし。 でもそれは「私」の場合なんであって、女性を年齢で品定めするアホな男ドモが、世の中にはウヨウヨしてるってこともわかっちゃいるのだ。合コンなんかでさ、相手のトシがわかんないときはベタベタチヤホヤしてたのに、自分より年上(と言っても1、2歳程度)だと知った途端に、「なんだ、オバサンじゃん」とそれまでの態度をコロッと変えてつっけんどんになっちゃう男、結構いるもんね。そんな態度取られたりしたら、そりゃ女性は傷つくだろう。女性が自分のトシを隠したがる心理も理解できなくはない。 けれどそれは、悪いのはあくまで偏見の眼で見る男の方なんであって、それに迎合するように女性が年齢を隠したり、サバ読んだりしてちゃ、女性自らが「女の価値はトシの若さである」と認めることになりはしないか。 年齢を堂々と言って、それで男の態度が変わるようなら、苦労せずに相手の人格のレベルが計れてちょうどいいと思うがどうか。
なんでこんな話題を切り出したかと言うと、ウチの職場にもそんなスットコドッコイがいたりしたからだ。 つい先日、いかにも無遠慮なセクハラバカが、やっぱり「ねえ、トシいくつ?」と同僚の女性に向かって聞いていたことがあった。そのときちょうど間近にいた私が、女性が返答に窮している様子を見て、「そういうことはあまり聞くもんじゃ……」とか助け舟を出した。 そのことに感謝されたのかどうか知らないがその女性、今日になって、世間話している最中に、「私、昭和49年生まれなんです」と仰ったのだ。 実際、その方がおいくつかなんて気にもかけていなかったのだが、なんとウチの女房よりも若かったとは……。 思わずビックリして、私はとっさに叫んでいた。 「昭和49年って……『メカゴジラの逆襲』のトシじゃないですか!」
し、し、しまったあああ! 私がオタクだということはできるだけ職場の同僚には隠していたのにいいいい! せめて「『アルプスの少女ハイジ』の年ですね」とか「『宇宙戦艦ヤマト』の年ですね」とか言ってたら、まだキズは浅かったかもしれないのに……あまり変わらんか(T∇T)。 さすがに『メカゴジラ』には同僚の女性も、クスクス笑っている。あまり引いてはいない様子なのがラッキーだった。ここはなんとか話題を変えねば。 「ちょうどそのころは山口百恵の映画に入り浸ってましたねえ、私は。『ひと夏の経験』がヒットして、『伊豆の踊子』が封切られたのが昭和49年ですよ。56年に引退するまで、ほぼ全ての百恵映画は見に行きましたねえ。何しろ友和とコンビを組んでない『初恋時代』とか『エデンの海』とかまで見に行ってましたから」 と、ここまで喋って、ハタ、と気がつく。何となく同僚の女性、困惑しているような表情。 え? ついてけないの? 話題に。 待てよ、『伊豆の踊子』の年に生まれたってことは、この方、もしかして……。 えええ?(゜゜;)! ……恐る恐る聞いてみる。 「……すみません、もしかしたら、山口百恵って、よく知らないなんてこと……ないですよね?」 ところが同僚の女性、申し訳なさそうに眉根を寄せて……。 「すみません、三浦友和と結婚した人ってのは知ってるんですけれど……」 ……うわあああ、自分の同僚に山口百恵を覚えてない世代がもう紛れこんでいたとはああああ!。
油断していたのだ。 しげもこの女性とほぼ同世代なのだが、しげと会話するときには、私はあまり世代のギャップを感じずにすんでいた。なんとなれば、なつかしモノの大好きなしげは、自分が生まれるより十年程度過去の歌手とかドラマなどもよく知っていて、私の振る話題にも全然平気で付いて来れていたからだ。 しかしよくよく考えてみたら。 今年、大学を卒業したばかりの22歳の新社会人たちは。 昭和55年(1980)生まれだったりするんである。 もろ戦後生まれじゃねーかよう(この場合の「戦争」とは、当然「一年戦争」である)。 昭和40年代生まれってことで「若いなあ」なんて思ってられる時代じゃなくなってきてるのだ。平成だってもうすぐそこだ。
ちょうどそこに通りかかったもう一人の女性の同僚の方(こちらは私より年上)に向かって、私は思わず叫んでしまっていた。 「ねえ、聞いてくださいよ、この方、『山口百恵をよく覚えてない』なんて言うんですよ!」 年上の同僚、一瞬絶句したあとおもむろに、 「……私も母に聞いたことがあるだけで……」 女性はやはり年齢に関してはいつまでもどこまでも見栄を張りたがるものなのかなあ。
何かにつけ、しげは私にヤツアタリしてばかりいるが、今日も迎えの車の中で「アンタはいつも冷たい」とブー垂れている。 「いつも無愛想にしか返事せんし」 「地顔だよ、これが」 「人のこと、『フフン』と鼻で笑ってる」 「おまえの思い込みだ」 「思いこみでもそう見えるんだもん」 「だったらおまえも、目つき悪いの直せよ」 「普通だもん、これが」 「自分のことだけ棚に上げるな!」 他人の欠点をあげつらう人間ほど足元が見えてないとはこのことだ。
少しでも栄養を取っておかないと、と「かに一」で夕食。 前回来たときはカニは食べなかったが、今日はたらふく食うことにする。 けれど鼻は詰まってるし目眩はするしで、美味いんだかどうなんだか全く解らない。これじゃカニの食い損だと考えるのはやはり根っから私が貧乏人だからか。 頭がボンヤリしていたので、カバンを店に忘れたことに気がつかず、ウチまで帰ってきてしまう。しげから「カバンは?」と言われるまで、手に何にも持ってないことにさして違和感も感じてなかったのだからこれは相当、重症である。 店に戻ると幸いカバンはちゃんと店の人が取っておいてくれていたが、明日は絶対医者に行こうと決意して、あとはひたすら寝る。 DVD『PPG』の続きを見ているうちに爆睡。
マンガ、秋月りす『かしましハウス』7巻(竹書房/バンブー・コミックス・620円)。 中表紙のイラスト、裏にも逆版で同じ絵が描いてあって、透かしてみるとピッタリと1ミリのズレもない。スゴイ技術だぞ印刷屋さん。 本にこういうオアソビがあると、ホント、嬉しくなっちゃうね。 本編の方は相変わらずの四姉妹ものだけれど、さすがに7巻経ってもみんな全くトシを取らないと、ひとみ姉さんの「ダイエットできないお嫁に行けない」ネタも鼻についてくる。……トシ取ってないんだから結婚できないの当然じゃん、とツッコミ入れたくなるね。 『OL進化論』と違って、こちらは少しずつでもトシを取らせていったほうが物語に起伏が生まれてよかったと思うがなあ。『サザエさん』みたく何十年も続けることも想定して、時間経過をあまり厳密に描きたくなかったんだろうけど、そりゃおこがましいと言うものだ。キリよく10巻くらいで終わらせること考えた方がよかないか。 特に巻末の『ゴローと歩けば』の出来がいいだけに、「時の流れ」が「必要」だとも思うのだ。
マンガ、橋口たかし『焼きたて!! ジャぱん』2巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。 あー。なんかキャラクター、作りこみすぎ。 江口寿史のトーマス兄弟みたいなライバル店の店長はまだいいとして、あの仮面の総支配人はなんなんだよ。これが実はヒロインの生き別れの兄だったりしたら笑うぞ。 画力はあるけど相変わらずキャラクターと話造りがなんかズレてるよなあ。 それでも「使える」料理マンガとしては一応読めはする。炊飯器でジャぱん2号、一度作って見ようかな。
2001年05月24日(木) 幻想の帝国(改)/『作画汗まみれ』(大塚康生)ほか
| 2002年05月23日(木) |
風邪さらに悪化/『パワーパフガールズDVD−BOX/バブルス缶』/『何が何だか』(ナンシー関) |
風邪、昨日より悪化。 熱はないので、なんとか仕事には行くものの、ノドが痛くてたまらない。なんだかこんなふうにじわじわと病状が悪化していくのって、気分が頗る悪い。 帰宅してからは疲れ果ててぐでっと寝ているだけなので、あまり書くことないけど勘弁ね。
少しは栄養をつけようと、すし大臣で高いネタを食う。 つーか、ここ、高いネタしかないんだが。100円皿がない店(最低が130円)なんて、この店くらいのもんじゃないかね。 ウニを食った日はトロは食わないと決めているが、大盛850円のウニの味がイマイチ。これなら大トロ食っときゃよかったかと後悔するが、さすがに850円皿を2枚も食う勇気はない。控え目に食っても二人で4千円位してしまうのである。 ビンボー人が何をそう贅沢してるかとお叱りを受けそうだけれども、体調が悪いせいで、多少ヤケも入ってるんである。
寿司を食いながら、しげがふと、「父の日、父ちゃんどうする?」と聞いて来る。そう言えば来月の16日はちょうど第3日曜で、父も仕事が休みである。 この場合の「父ちゃん」というのはしげの父親ではなく、私の父親のことである。根っからのイベント好きではあるが、しげは自分の父親のことはてんで考えていないので、その分、何かにつけターゲットはウチのオヤジの方に集中することになる。 私の方こそ「父の日」なんて、まるでアタマになかったのだが、そう言えば前々からしげは親父を食事に誘いたがっていたのである。 「メシ誘うのでいいんじゃない? けど予定が空いてるかどうかだなあ」 七十も近いってのに、親父は未だに休みとなると旅行だのなんだのとどこかに出かけて行く。糖尿もひどくなっていて、足も結構不自由なのだけれども、運動しないと悪化するばかりなので、散歩程度はしなければならない。ところが博多の人間というのは短気で、病気を治すための運動なんて女々しいことは死んでもしたくないのである(^_^;)。 で、結局、休日のたびに旅行して美味いもの食って酒飲んで帰って来てるのだが、これで糖尿がよくなるわきゃない。これもまた緩やかな自殺願望だろう。 なんだか明日にでも死にたがってるような、生き急いでるって感じなんだが、妻に先立たれた老人に「長生きしてね」なんて偽善的なことは言いたかない。生きてる間、「飯でも食おうか」と声をかけるくらいのことしかてだきやしないのである。 少し早めではあるが、寿司屋から電話を入れて、16日は体を空けておくように頼む。でもどうせ日が近くなったら予定を忘れてるだろうから、もう一回くらい確認しておかないといかんな。
DVD−BOX『パワーパフガールズ/バブルス缶』。 ボックスだけの特典は、なんと監督のクレイグ・マックラケンが映画学校の学生時代に課題として製作した正真正銘のパワーパフガールズ第一作。 ガールズの等身がちょっと違うけれど、基本キャラクターは同じ。 日本アニメの影響が云々されるけれど、製作年は1992年。キャラ自体は相当早い時期から固まってたみたいで、そうなると『セーラームーン』の影響って説はチト怪しくなる(アニメの『セーラームーン』も1992年のスタートだけれど、この『パワパフ』第1作はその数年前から製作されていた)。これもまた恐るべき平行進化の現れだろうか(^o^)。 博士が全く違うキャラだったり、最初の敵がギャングリーン・ギャングとアメーバーボーイズだったりと、テレビシリーズとはテイストがかなり違っている。憎みきれないあのモジョ・ジョジョは影も形も見えないけど、アイツがいないとパワパフって感じがしないものなあ。 声もマックラケンほか学生仲間が当ててるので、ガールズの声も本編よりちょっと色っぽくてGOODだ(* ̄∇ ̄*)。 日本版だけの総集編『おさらいガールズの基礎知識』『おさらいモジョ反省する!?』『おさらいわるもの大集合』もちゃんと収録されてるのが嬉しい。もしかして本国版のDVDよりおトクなんではなかろうか。
ナンシー関『何が何だか』(角川文庫・540円)。 200ページしかないのに500円越してるよ。千円で文庫が2冊買えないってのはつくづくツライ世の中になったもんだ。こうなるといよいよBOOKOFFを頼りにせねばならなくなるけれど、本はやっぱり新刊で買いたいのだけどな、私としては。 中身は1995年から97年にかけてのものなので、「そんなことあったっけ?」ってものも多い。単に私が世間に背を向けてただけなのかもしれんが。 けれど「何言ったった世の中かわんねーや」ムードが漂っている最近のナンシーさんのエッセイに比べて、まだまだこのころの毒舌はキレがいい。出て来た当時のサッチー、早速「どこがいいんだ」って言い切ってるし。後年ならいざ知らず、1996年当時の人気上昇中のサッチーに対してそう断言するのは、結構勇気が要ったと思う。 それにしても、野村沙知代がテレビに出て来てたのって、こんなに最近だったんだなあ。となると、ワイドショーネタを提供してたのって、せいぜい5年程度だったってことになる。いくら世の中の流行り廃りが速いからって、あのサッチーバッシングはやはり異常だったのではないか。 世の中のヒトビトの憎悪やイラダチ、相当根が深いような気がする。日ごろから悪口言うことに慣れてればそんなにストレスたまんなくてすむと思うんですが、いけませんか。そうですか。まあいいけど。(←ナンシー関風)
2001年05月23日(水) できれば私への電話はご遠慮下さい/『真夜中猫王子』2巻(桑田乃梨子)ほか
| 2002年05月22日(水) |
風邪引き第一日目/『クレヨンしんちゃん映画大全』(品川四郎編)/『ビートのディシプリン SIDE1』(上遠野浩平)ほか |
朝からノドが痛くなる。 寝冷えしたという記憶もないが、どうやら風邪を引き始めているようである。 最近トシを取ったせいか糖尿がひどくなってるせいなのか、風邪を引くと発熱することが少なくなって、ただただダルイ、キツイ、頭痛に咳に鼻水に、という症状を呈することが多くなってるけど、もしかして私のカラダ、免疫不全になってるんじゃないか。 栄養も睡眠も取ってるつもりではいるんだけど、風邪を引くときはどうしても引いてしまう。ゆっくり仕事を休むことができれば、なんとか三日くらいで回復するんだけれども、なかなかまとめて休めるときがないからなあ。 もうしばらくはムリをしなけりゃならない感じだけれど、日記の更新をする元気までは出て来ない。 これでまたズルズルとストックが溜まっていくんである。 松本清張みたいに口述筆記してくれる秘書が欲しいなあ(ゼイタク)。 しげと下らない会話。 自分のことを「オレ」と呼び、化粧もせず、ファッションにも気を遣わない、スカートなんて殆ど履いたこともない、猥談もオヤジギャグも平気という、女的な要素をどこかドブにでも捨ててきてるんじゃないかと思えるようなワイルド・しげであるが、それでもたまに女っぽい態度を取ることもある。 具体的には「照れる」という仕草をするのね。似合わないけど。 「そう言えば、お前、まだ男の○○○○のことは○○○って言えんの?」 「……言えないよ」 「どうして? ○○○○とは言えるんだろ? ○○○○が言えて、どうして○○○が言えないんだよ?」 「だって、下品なオバチャンが言ってそうじゃん、○○○って」 「偏見だろ、それ。普通に使うよ、○○○なんて。じゃあ、○○○○なら言えるの?」 「……」 「○○○は?」 「……ギリギリ」 「○○は? ○○は? ○○○に○が付いたら?」 「だから○○○○って言えるようになったのも最近なんだってば!」 「じゃあ、女の○○○は言える?」 「……いやん」 ……似合わねーなあ、照れるしげ。 でも、書いてて気づいたけれど、これ、夫婦間の会話でも充分セクハラ発言になるかもなあ。 ということで、問題の単語は全て伏字にしたけれど、もしかしたらバレバレかも(^_^;)。それにしても猥談全然オッケーなくせに、どうしてたかが○○○って単語ひとつ口にできんのだろうな。 世の女性は、いったいどのように呼んでおられるのか、リサーチしてみたいものである。
今日こそは『クレヨンしんちゃん大全』を手に入れようと、博多駅の紀伊國屋に行く。しげが「今日は仕事が早いからあまり遠出したくない」と言うのを、「早めに買わないと売りきれるかもしれないから」と説得して、車をすっ飛ばさせる。他の買い物ならば、しげも文句を垂れつづけるところだろうけれど、モノが「クレしん」なので比較的協力的である。やはり夫婦は趣味ができるだけ一致してた方がいい。 本屋に着くなり早速、マンガコーナーや映画コーナーを探したが、一向に見当たらない。仕方なくナビで検索して、店員さんに在庫を探してもらう。 どうやら発売が遅れて、まだ倉庫に置いたまま、店頭には並べられていなかったらしい。10分以上待たされて、ようやく現物をゲット。 表紙には『戦国』の蓮姫や『オトナ帝国』のチャコ&ケン、『温泉』の丹波哲郎の設定資料があしらわれている。人気どころはやはりこのあたりのキャラかな。 カバーをめくると腹勝徳さん作画の「くれしんガールズ」。こうして見ると、毎回の映画のゲストの女性キャラクター、魅力的で個性的なヒトが多かったよなあ。おう! 指宿と後生掛のムナモトに谷間が! 『ヘンダーランド』におけるまつざか先生の名ゼリフ、「胸あってこその谷間」を思い出してニヤける。でへへ(* ̄∇ ̄*)。 裏表紙は湯浅政明さんの4コマだけれど、何が描いてあるのか意味不明(^_^;)。どうやらひまわりは実はぶりぶりざえもんが演じている、ということらしいのだが、それってどーゆー意味?(ー’`ー;) ウーン。 ツイ立ち読みして、カラーグラビア『青空侍』の蓮姫の凛々しさ美しさに見入っていたので、気がついたらもうしげの出勤時間が迫っていた。 しげ、「食事もして、一度ウチに帰って風呂に入ろうと思ってたのに」と文句を垂れるが、本人も演劇コーナーで本に見入っていたので、文句を言えた義理ではない。それでも機嫌をとって、しげが欲しがった成井豊の演劇本も一緒に買ってやる。 時間がないので、しげの夕食は仕方なくマクドナルドでテイクアウト。 そのまましげのバイト先のリンガーハットに直行して、私はそこで食事することにする。リンガーでは私はチャンポンは殆ど注文しない。もっぱら皿うどんと餃子だけなのだが、別に何か拘りがあるわけではない。単に汁物が胃にもたれるからである。 で、食いながら早速『クレしん』に読み耽る。店員さんはヘンな客だと思ってるだろうなあ(しげの亭主だってことはわかってるのだろうけど)。
品川四郎とブレインナビ編『クレヨンしんちゃん映画大全 野原しんのすけザ・ムービー全仕事』(双葉社・1785円)。 全く、皿うどん食いながら何読んでるんだか(^_^;)。 『戦国大合戦』、当初の仮題は『青空侍』だったそうな。いいタイトルだけれど、それじゃ「クレしん」映画と認識してもらえなくなっちゃうのは必至。さすがに却下されるよねえ。
しかし、今やすっかりクレしん映画布教委員会別働隊第一番隊足軽を自認する私であるが、第1作『アクション仮面VSハイグレ魔王』を見るまでは殆ど注目なんかしてなかったのだ。 ただ世間では「下品なギャグで眼も当てられない」だの「子供に悪影響を与える」だの、そこまで言うか的な悪評が横行していた。それがかえって、私に興味を抱かせた。つくづく私ゃヒネクレ者だなあとは思うが、映画がテレビ放送されたのを期に見てみる気になったのである。 昔からそうだが、親とか世間が眉を顰める作品には傑作が多い。クレージーもドリフもコント55号もひょうきん族も、当時は悪評紛々たるものだった。いつだってアナーキーなモノは良識派の神経を逆撫でするけれども、PTAご推薦のお話ばかりで世の中が成り立ってたら、こんなにキュウクツで不自由なことはない。 ともかく見ずに批評などはできないと、テレビの前に座ったのが今思い返せば運の尽き(^_^;)。引きこまれた、なんてもんじゃない、唸りましたよ、まずはそのアニメーション技術に、演出に、ドラマに。 のっけからアクションシーンの連続、シリアスな展開、いったいこれのどこが『しんちゃん』なんだ!? 「うおおおお! なんだこの大胆なアングルは!? すげえぞこのアクション! 作画枚数何枚使ってんだ!? うおっ! 五段マルチ! 映画じゃないかまるで!(その通りだよ)」 いや、マジで叫んでたからね、私。 その様子にやっぱり当時は全く『しんちゃん』に興味のなかったしげも、「なんで『しんちゃん』とか見よん!?」と驚きながら、気がついたら一緒に見入っている。 それから毎年、映画シリーズのビデオ録画が習慣化する。 しかも驚異的なことに、『ブリブリ王国』、『雲黒斎』と、映画のレベルがぐんぐん上がって行く。「映画の続編はレベルダウンする」というジンクスをいともあっさり破っていたのだ。 テレビシリーズの方も、スタッフのマニアックなパロディが爆発する回も多いことを知ってちょくちょく追っかけるようになる。何がマニアックって、『鉄骨しんちゃん』の回などはニャンチュートロ星人の侵略という、「と学会」関連のヒトしかわからんパロディまでやってのけていたのである(録画しといてよかった)。これはもう、「子供ターゲットのアニメではない」と判断するしかない。 そしてついに『ヘンダーランド』からは映画館に足を運ぶことを決意した。この『ヘンダーランド』が、また「クレしん映画」最高傑作だったものだから、もはや病膏肓、現在に至るという次第である。
しかしこの『大全』を読んでも感じることだが、初期4作の監督である本郷みつる監督と、現在の原恵一監督では相当その資質に違いがあるのである。 ファンタジー、SF志向の本郷監督に対して、日常描写にこだわる原監督。この水と油の二人が組んで傑作を作って来れたということがまずどれだけ素晴らしいことだったか。もしやこれは、日本映画史上、黒澤明と本多猪四郎のコンビに匹敵するほどのゴールデンコンビではなかったか。 設定資料、絵コンテ、インタビューの数々に評論と、その一つ一つについて語りだしたらキリがないほどギッシリ中身の詰まったこの本だけれど、特に嬉しかったのは、縄田一男さんが『雲黒斎』、『戦国大合戦』を時代劇映画として黒澤、稲垣映画レベルと評価してくれていたことだ。 権威に阿るのは好きではないが、私のような一介のドシロウトが「しんちゃん映画はいいぞ!」と叫んでも先入観持ってるヒトは一顧だにするものではない。やっぱりお偉いさんのヒトコトの世間に与える影響は大きいのである。「クレしんなんて」とバカにしている人間の方が少数派になる日を夢見よう。 ネタバレしたくないから『戦国大合戦』の感想も全くこの日記にアップしてないけど、来年のテレビ放映のときには思いっきり書いてやろうかな。
『ドラゴンHG』vol4(富士見書房) 『ダーティペア』が落ちた代原に、なんと吾妻ひでおの『スクラップ学園』が復活。……ミャアちゃん、丸くなったなあ。つーか、「余生」を過ごしてる雰囲気だね、なんとなく。 往時の勢いがないのはあまり指摘したくないことだけれども、仕方がないことなんだろう。インタビュー記事で吾妻さんが「もう三蔵やナハハは描けない」と言ってるのも、読者としてはそうなんだろうなあと頷くしかない。 もっとも、かつての「過激な不条理」が今の「まったりした不条理」(なんなんだ)に変化したことは吾妻さんがマンガを描き続けていくためには必要条件だつたのかも知れない。 かつてのアズマニアとしては、そのまったりゆったりした味わいをゆっくり見守って行くのが正解なんだろうね。
上遠野浩平『ビートのディシプリン SIDE1[Exile]』(メディアワークス/電撃文庫・645円)。 『ブギーポップ』シリーズの番外シリーズ、という体裁なので、はっきり言って本編シリーズを読んでいないと全くキャラクターが掴めない、非常に不親切な本である(^_^;)。 だいたい本編シリーズですら「統和機構」がどういう目的で存在しているのか未だに得体が知れないところがあるのに、その末端の合成人間を主人公にして、しかも本編の登場人物たちを全く何の説明もなく次々と登場させていくのだから、なにがなんだか解らなくなるのは当然だろう。私も「これどのキャラだったっけ?」と思い出しながら読まなきゃならなかったから、読了するのに時間がかかったこと。作者は相当意地が悪いぞ。 飛鳥井仁、ペパーミントの魔術師こと軌川十助、フォルテッシモ、ダイアモンズのパール、イナズマこと高代亨、ホーリィ&ゴーストこと濱田聖子と結城玲治、リセットこと雨宮世津子……。入れ代わり立ち代わり登場する彼らと再び出会えることは嬉しいのだけれど、だったらどうして肝心要のブギーポップは登場しないのか? という疑問がどうしてもアタマをよぎる。 語り手たる飛鳥井仁によれば、「試練(ディシプリン)」たるこの戦いに「死神」の出番はない、ということだけれど、その理屈が今一つ腑に落ちない。つまり主人公は「試練」を与えられてるだけだから、「世界の敵」は現われないってこと? それじゃただの予定調和の物語にしかならないんじゃないかってちょっと心配になるなあ。 その試練を受ける主人公がビート・ビートという探索型の合成人間。まだ自分の能力を使いこなせないひ弱な存在だったりする。試練を与える方は、「最強」の合成人間フォルテッシモ。……この人物配置、なにかに似てるな、と思ったけど、『バイオレンスジャック』の逞馬竜とジャックの関係とそっくりなんだね。 フォルテッシモがビートに語りかけた「おまえがこの過酷な運命から生き延びて“カーメン”に辿りつくことを、俺は願っているよ」というセリフは、ジャックが逞馬竜とドラゴンとをあえて戦わせた時の別れのセリフと全く同趣である。 ジャックは、「ある目的」のために、関東に生き残る価値のあるものたちに「試練」を与えていったわけだけれど、となると、フォルテッシモもビートに統和機構と渡りあうための何かの役割を持たせようとしてるってことなのかな? 上遠野さんの作品、最近どうも「どこかで見たような」設定がちょくちょく目立つようになってきているのが気になるところだ。『ホーリィ&ゴースト』が『俺たちに明日はない』にインスパイアされてるのは明々白々だっただけにかえって気にはならなかったけれど、今回、浅倉朝子がアレになっちゃうのはさすがにギャグにしか見えんと思うがどうか(^_^;)。 面白いと言えば面白いんだけれど、ちょっと書き飛ばしすぎてるんじゃないかなあ。
2001年05月22日(火) 我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』
| 2002年05月21日(火) |
ハコの中の失楽/『KATSU!』3巻(あだち充)/『アリソン』(時雨沢恵一)ほか |
なんだか更新遅れが常習化しておりますが、HPの立ち上げを含めて、まだまだ諦めてはおりません。あまり間をトバしてると、ナカミ忘れてしまいますので、遅れ気味ではありますが、順繰りに書いて行きますので。
平日だけれども、今日はしげの仕事は休み。 どの店も全て同じ態勢なのかどうかは知らないが、しげの働いてるリンガーハットは、休みの希望は出せるのだけれども、シフトを組むのは店長さんに一任されているらしい。だから、実際に休みがいつになるかは直前にならないと分らないことも多いのである。 一応、昨日から今日は休みだと言われていたので、滅多にない機会だから買い物につきあうことにする。仕事のある日だと、一日のうち顔を合わせられる時間が2時間もなかったりするので、「今日は疲れてるからやめようよう」なんて言ったりできる雰囲気ではない。 しげは新しいストラップがほしいと言う。 ストラップなんかなんでもいいじゃないかと思うんだけれど、しげにはしげなりの拘りがあるらしい。 「博多駅に行くよ」 「ああ、ダイソー?」 「そんな100円グッズじゃなくて、キャラものとかそんなのがほしいの」 「それなら天神で買った方がよくないか?」 「天神でもいいけど、どこ探せばいいかわからん」 「イムズあたりならファンシーグッズの店とかあるだろ。スヌーピーの店とか」 「スヌーピーしかないやん」 「そんときゃ他の店に廻りゃいいじゃん。ベスト電器もあるし」 私の目算としては、ついでにDVDを買いたかったので、ベスト電器に寄りたかったのである。うまいことしげを舌先三寸でだまくらかして、天神行きが決定。 車は比恵の駐車場に置いて、地下鉄に乗る。 でもやっぱり、ものごとってのはそうトントン拍子にウマイ具合に行くわけではない。 肝心のイムズが、あいにくの定休日。 しげ、「オレが来る時いっつも休みだ」と腹を立てる。 自分はイムズに嫌われてる、と言いたいらしい。 この「世間の全てが自分のことを嫌っている」というのは、しげがヤツアタリする時の常套句なんだけれども、次の段階で矛先が私の方に向かってくることは予測がつくので、さっさと別の店にしげの注意を向けさせねばならない。 福家書店にはストラップは置いてない(当たり前か)。 ベスト電器を回って、もしもしげの気に入るものが無ければ、アニメイトあたりまで足を伸ばすしかないかな、と思いつつ、地上に出る。 幸い、ベストの一階で、なんとかしげのメガネに適ったブツが見つかる。 首から下げらけて、しかもヒモの長さが調節できて、更に本体とアタッチメントで切り離しができるようなのがほしかったようだ。……って、ファンシーグッズである必要ないじゃん。 当初の目的は果たしたので、LIMBでDVD『パワーパフガールズ/バブルス缶』と『コメットさん☆BOX2』ほかを購入。ここんとこボックスが立て続けに出るので、他にもほしいものが目白押しなのだが控えることにする。 でもこういう時に限ってヤッカイなものをしげが見つけてくれるんだわ(^_^;)。 『モンティ・パイソン/プライベート・ポリスマン』のライブDVDボックスが、店頭売りであと残部三箱と広告。これまでのDVDも全て買ってる以上、これだけ買い逃すわけにはいかない。しげももちろん欲しがるんだけれど、さすがにこんなン万円するモノを更にもう一つ買ってる余裕はない。 「来月売れ残ってたら買おう」としげを説得してとりあえず諦めさせる。 これで来月までに売りきれてたら、しげの怒りの鉄拳が私の顔面に降り注ぐことは必至なので、この文章読んでる人でLIMBの近くに住んでる人、くれぐれもボックスを買い占めるような意地悪なマネはしないよーに。 お願いですから(T∇T)。
地下鉄で比恵まで戻って、「五風」で夕食。 ここもすっかりしげのお気に入りである。居酒屋の類に入ることを「飯場の酒臭いおっちゃんがいるからイヤ」とか言って嫌うくせに(昭和30年代かい)、ちょっと小洒落たレストラン風な店になってたら平気で入れるというのは、なんだか気取ってるみたいでそっちのほうがイヤらしいと思うがどうか。 焼肉も刺身も天麩羅も、庶民の料理は全部頼めるのだから、食い意地の張ったしげには基本的に屋台とか居酒屋が一番似合ってるんだがな。 いや、私もそうだけど(^_^;)。 博多の屋台が名物みたいになって、結構ボルようになってから、自然、私の足も屋台から遠のいちゃったのだけれど、基本的に私の感覚での外食ってのは、子供のころから屋台に居酒屋、定食屋なんである。昭和40年代、レストランはデパートにしかなかったしなあ。 寿司でも焼きトリでも、目の前で板前さんや職人さんが注文を受けて料理を作ってくれるのがいいのだ。ところがしげは私と真逆で、その「顔突き合わす」のがイヤで居酒屋に行きたがらない。そりゃ、私だって子供のころは人見知りしていて、板前さんと話なんかできなかった。けれど両親が板前さんと喋ってる雰囲気は嫌いじゃなかった。 しげの場合、「だぁーってぇ、お店の人に見られて食べたくないしぃー、話しかけられてもウザいしィー」なんてクソナマイキなこと抜かすコムスメと違って、単純な対人恐怖なんだろうけれど、それにしてもそこまで毛嫌いせんでもいいんじゃないかと言いたくなる。 暗い照明の下、ボックスの中で周囲を気にせずに食べられる環境の方が好みって……威張って主張できることじゃないと思うんだけど、そういう感覚の方がイケてないんだろうな。 やはり育った環境が違うのかなあ、とちょっと淋しく思いながらサザエの壷焼きをつつくのであった。美味しいけれど、これも呼子の磯で出店のオバチャンに焼いてもらって食った時ほどに美味くはない。
帰り、『快傑ズバット大全』と『クレヨンしんちゃん映画大全』を買い忘れていたことを思い出したので、積文館に寄るも見つからず。 手ぶらで帰るのもなんなので、隣りのセガに寄る。 UFOキャッチャーで100円イッパツ、「どこでもいっしょ」の「ドリンクサーバー」というのを当てる。 当てたはいいが、この「ドリンクサーバー」というのが何をどうするものだかよく解らない(^_^;)。しげにも「トロは好きだけどどうするの、これ」と悪態を吐かれる。 どうも電池で飲みモノを移すか混ぜるかするものらしいのだが、説明書が付いてない。誰か使用方法わかる人、教えてくれませんか……(T∇T)。
DVD『サイボーグ009/バトルアライブ2』。 オープニングが先日放映されたばかりの新作に差し換えられている以外には、たいしたリテイクは無し。まあ、0010とのくだりは作画がよかったから、その必要もないんだけれども。 でもこれから先、あの第1話を流用したオープニングは「なかったもの」になるわけだね。エンディングはシルエットパターンのままだけど、これは2クール分これで通すのかな。 けれどあとでいろいろリテイクするくらいなら、あと半年、放映時期を遅らせればよかったのに、と思っちゃうところだけれど、遅らせたら遅らせたで、結局、間に合わない回が出てくるんだよな、きっと。
マンガ、あだち充『KATSU!』3巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。 ヒーローとヒロインの間に割りこんできそうな女の子の登場のせいで、人物設定もストーリー展開も『タッチ』のような『H2』のような、って印象がますます強くなってきたなあ。実際、野球がボクシングに変わったただけだし。 けど、その「いつも同じ」に見える中の、微妙な差異を楽しむのがあだち充マンガの醍醐味だから(ホントかよ)、水戸黄門やゴジラや戦隊シリーズを楽しむのと同じってことなんだろうね。 その「ほんのちょっとの差異」ってのが、本作では「ヒロインもボクシングが強い」ってことなんだけど、これが結局ヒーローに追従するような展開になっちゃつまんなくなるよなあ。でも軽いラブコメに見えてるけど、あだちマンガって、実は相当リアルなんで、「結局、女はボクサーになれない」って結末になりそうなんだよな。つーか、リアルでないあだちマンガは『虹色とうがらし』も『いつも美空』もなぜかウケない。予定調和が好きなんだろうなあ、あだちファンってのは。 けど、そういうあだちマンガはもう腐るほど読んできているんである。 「やっぱり女は男に勝てないのかな」なんて陳腐なセリフが出て来ないことを期待したいな。
時雨沢恵一『アリソン』(メディアワークス/電撃文庫・640円)。 『キノの旅』シリーズの作者の初の長編。 寓話的な短編しか読んだことがなかったから、長編を書ける力量があるかどうかがこの作品で問われた形になってるけど、及第点ってとこじゃないかな。 これも基本設定は『キノの旅』と同じく、構築された架空世界の設定は多分に「寓話」的である。 一つの大陸、川で分けられた二つの国、いつ、なぜ始まったかも分らない、長い長い戦争。 とりあえず「今」、二つの国は「休戦」状態にある。 この設定にアメリカとソ連の「冷戦」を連想しても構わないけれど、別にそれと限定する必要もない。そういうものをひっくるめた「二つの国」の対立の図式を表してると考えて読んでおけば充分だろう。 二つの国、東のロクシェと西のスー・ベー・イル。 お互いの国は、部分的にではあるけれども、交流を持とうという動きがないわけではない。けれど、それを快く思わない人々もいて、決して全てが平和に向かっているわけでもない。 ヴィルとアリソンは東の国、ロクシェの軍人である。 と言っても年はまだ17。 ある時、二人はホラ吹きで有名な老人から、「戦争を終わらせることができる宝」の話を聞く。 そんな与太話、とまるで本気にしなかった二人だったけれど、この老人が西のスパイらしき怪しい男たちに誘拐されたことを知って、老人の話に小さいが確かな真実を感じはじめる。二人は西に潜入して老人を救出することを決意して、複葉機に乗りこみ、西を目指すが……。
アリソンというヒロインの造型はさほど目新しいものではない。 冒険心に富む、と言えば聞こえはいいが、要するに昔ながらの「お転婆」である。ナウシカにジムシーを混ぜた感じか(エライ譬えやな)。 けれど、確かに猪突猛進的な行動を取って相棒のヴィルを振りまわしてはいるけれど、必ずしも向こう見ずな行動ばかり取っているわけではなく、飛行機乗りとしては実に優秀、という設定も付け加えられている。 それを単にコトバで説明するだけでなく、空中戦の描写を通して描いているところに説得力がある。 小説でこれだけ空中戦の描写に躍動感を持たすことができていれば、充分作家としての力量があると判断して差し支えないと思う。
結末というか、「宝」の正体が本当に「戦争を終わらせることができるもの」であったかどうか、厳密に考えると疑問に思えなくもないが、これもまた一つの「寓話」なので、「理想的に過ぎる」と批判するのはやや的外れであろう。 戦争の原因なんて、実はたいていがつまらぬ誤解と行き違いに過ぎないという意味を読み取ることができれば、この結末で充分なのではないだろうか。 現実の戦争の当事者たちはその「誤解」すら認めようとはしない。 だから戦争が尽きることはない。それが現実だ。 けれど、「寓話」に現実を求めることは野暮というものだろう。 『キノの旅』の短編の中にはハッピーエンドのものもあればそうでないもの、どっちだか分らないものといろいろ取り揃えてあったが、初の長編のラストにハッピーエンドと言えるものを用意したことは悪くない判断だったと思う。 オチについては書かないけれど、「こううまくは行かないよな」と思いつつも「もしかしたらこんなふうにいつかは平和に」という希望が感じられる程度の説得力はある。 決して全てが順風満帆に行くわけではない。 やはり、「平和」には血も伴うのだ、という冷徹な事実だけは押さえているから。
2001年05月21日(月) アニメな『ヒカ碁』/『臨機応答・変問自在』(森博嗣)ほか
| 2002年05月20日(月) |
もっとギャグを!/『蛇神さまといっしょ』2巻(桑田乃梨子)ほか |
『少年マガジン』のグラビア担当の編集者二人が大麻不法所持で捕まったんだと。ああ、マガジンに赤塚不二夫が健在だったら、もう、鬼の首でも取ったかのようにマンガの中にその編集者を登場させて、「大麻ギャグ」を一本上げただろうになあ。 そういうギャグは不謹慎だと眉を顰める方もいらっしゃるだろうが、それができるってことも講談社に自浄作用があるってことだから、ここはあえて誰かに描かせるという裁量があったっていいんだけど、まあそんなことする余裕はないのだろうね。作家の方もカイシャをからかって首切られたりされちゃかなわんと保身をまず第一に考えるだろうし。 そのことを考えると、かつての赤塚不二夫がいかに破天荒な存在だったかってことがわかろうってものなんである。 『天才バカボン』、読んでた当初はあまり気がつかなかったけど、随分カイシャ自体から叩かれてたんだろうなあ。それでも連載が続いてたってのは、やはりどんなに叩かれても、赤塚不二夫が赤塚不二夫としてのステイタスを確立していたから、切るに切れなかったってことなんだろう。 権威に対抗するにはマンガ家の方も何がしかの権威になるしかない。 どんなに過激なギャグを飛ばそうと、本人が新人だったり、ウダツが上がらなかったりすると、権威の逆鱗に触れた途端に、切られるし干されてしまう。社会はやっぱり一律の見方しかしたがらないから、「ギャグ」だの「SF」だのといった、既成の概念を破壊するものは基本的に認めたくないのだ。 結果的に、今はギャグマンガ家にも権威に対抗できるだけの「大家」がいなくなってしまっている。それが現在の「ギャグ不毛の時代」につながってるってことなのだろうが、それって結局、漫画業界の人たちが自分で自分の首を締める結果になっちゃうよ。それでいいのか?
山本弘さんのHP「SF秘密基地」の『空想科学読本』関係・特別会議室で、あるトンデモさんについに怒りを発した山本さん、サイトへの出入り禁止を宣言した。 このトンデモさん、BBSを読む限り、本当に日本語の文脈が読めない人で、ほかの方々の指摘を全く理解できていない。 話題になっているのは、映画『2001年宇宙の旅』での「磁力靴」の表記が誤訳であり、そのことに『空想科学読本』の柳田理科雄さんが気付かないでいる、という山本さんの指摘についてなんだけれど、この方、「磁力靴は作ることが可能なのではないか?」と、的外れなレスを再三付けてきていたのだ。 ……いやね、磁力靴を作ることが可能だろうが、そんなことを問題にしたって、山本さんへの批判にはならないんですけど……と、山本さん以外の方々も、みなさん揃ってその方に説明するのだが、「私は磁力靴が作れることを問題にしたいだけなんだ!」と聞く耳持たない。 これだけでも充分トンデモさんなのだが、この方、『こんなにヘンだよ『空想科学読本』』の元ネタ本である柳田理科雄の『空想科学読本』も読んでおらず、それどころか論議の対象になっている『2001年宇宙の旅』すら見ていないのだ。御本人の弁によれば「引用文読むだけで充分」ということらしいけれど、もう根本的に「批評」の原則を知らないとしか言いようがない。 「メールも送るな」「自分の本も読むな」という山本さんのコトバはいささかキツイように思えるかもしれないが、そりゃ、トンデモさんに関わったことがない人の感想であろう。相手の理解能力が著しく低い場合には、これくらいキツイコトバを使わなければこちらの意図は通じないのである(つーか、通じなかろうと、「絶縁」を宣言するならこれくらいのコトバを使用せざるを得ない)。 もっとも、以前も書いたが、必然的にトンデモさんが寄ってくるようなサイトを開いたこと自体、これは山本さんが覚悟しておかなければならない事態であったとは思うのだ。世の中、話し合えばなんとかなる人間ばかりで構成されてはいない。作家のみなさんって、ご自身のネームバリューを過小評価しているところがあるから、トンデモさんまでウヨウヨ寄ってくるとは思ってないんだろうなあ。 さて、第二、第三のトンデモさん、「秘密基地」に既に現れつつあるような気配もあり、山本さんが疲れ果ててサイトを閉じるようなことがないよう、祈るばかりである。
仕事帰りに買い物。 私はもうカネがないので、しげに全部任したら、コンニャクばかり買ってくる。しかも形だけは丸いのや薄いのや塊になってるやつとかバラエティ。でも所詮はコンニャク。 「なんでコンニャクばっか買うんだよ」 「好きだから」 ……と言いつつ、買ってきたのにまるで食べようとしないのはどうしてだ。 ダイエットするつもりで買ったけど、やっぱり肉食ったほうがいいと思いなおしたものなのか。謎だ。
アニメ『名探偵コナン』、久しぶりに見てたら、例の外人の先生のお話。 平次が英語を喋れないフリしたり、先生が日本語下手なフリしたりってのをお互いに見破るってくだりがあるけど、声優の演技がヘタなので、どちらもトリックとして成立していない(^_^;)。 外人の先生が下手な日本語使ってるって言っても、日本人声優がワザトラしいカタコト英語使ってるだけじゃん。しかもそれを見破られた途端、いきなりスラスラと日本語喋り出すんだけど、母国語が英語圏の人間なら、どんなに流暢に喋れるといっても、必ずナマリは残るって。こういう場合は、声優にホントの外人ほ使うんでなきゃウソである。それができないんだったら、トリックそのものを変更するくらいはしてほしいもんだね。 人気が続いてるからと言って、視聴者をナメて来てないか、アニメのスタッフ。
池田香代子再話、C・ダグラス・ラミス対訳『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス・880円)。 今頃こんな本読んじゃってスミマセン(^_^;)。 もちろん読み物として楽しむつもりは全くなくて、フォークロアがこのような形を持った経過に興味があったのである。 提示されている数値に相当誤謬があるのではないか、という批判が結構あったようだが(伝達過程で起きたものもあったろうが、一応、出版に際して訂正できるものは訂正したとか)、フォークロアに正確さを求めても余り意味はないだろう。 ただでさえ、ヒトは自分の望む解答をこそ真実と思いたがる。とりわけ、こういう統計上の「数値」というもの提示されると、いかにもそれが冷静かつ客観的な「事実」を表している、と思いこみがちだ。しかしそれはやはり大いなる錯覚であると明言せねばなるまい。 「え? そんなこと言われたって、実際、世界中の男女の比率はこの通りなんじゃないの?」と反論される方はおられよう。……いえね、私は別にこの数値が間違ってると言いたいわけではないし、実際、殆ど正しくはあるんだろうと思いますよ。 けどね、その数値を受け取る側には必ず「主観」があるってことも「事実」なんで、そのことを忘れちゃいけないって言いたいわけ。特にこの数値は、まるで「伝言ゲーム」のように、殆ど検索されないままに主観から主観へと伝えられていったものだってこと、そのことは充分注意しなきゃならない。
この数値には、確実に伝達者たちの「願望」が込められている。 例えば、本書の解説によれば(実際、本文よりこの解説の方が圧倒的に面白い)、「同性愛者の数の比較」なんてのは、元々の文章にはなく、伝達の過程で加えられていったものだという。そこには「世界にはこんなに多くの同性愛者がいるのですよ、そういう人たちに対して偏見を持たないで」という「伝達していく過程での誰か」の願いが透けて見える。つまり、「数の多さ=存在意義」という「意味」をデータの受け取り手に喚起させる作用が働いているんである。 他にも、クリスチャンが案外少ないことや無神論者が結構多いことなど、数値化されて初めて認識させられた読者も多いのではないか。 けれど再三繰り返すように、たとえその数値が事実であったとしても、そこから読み取られる「意味」には、本来受け取り手の主観に従って相当な振幅があってしかるべきなのに、実際には伝達者たちの「願望」によって、ある程度の「シバリ」が掛けられていることに注意しなければならないということなのである。 多分、気がついている人は多いと思うが、これは「集団の総意」に基づく「マインドコントロール=洗脳」であるのだ。
怖いことに、この「洗脳」には宗教における教祖のような「実態」が存在しない。 ウワサやフォークロアの怖さは、伝達の過程で様々な情報が付与されて行くために、その根源的な責任を特定の誰かに求めることができない点にあるのだ。この本は決して「悪意」で作られたものではないけれども、あまりこの「数値」に躍らされない方が賢明ではないかと思う。 ちょっと考えて頂ければ頷けると思うが、意図的に数値に「ウソ」を交えれば、「意味」も簡単に変容してしまうのだ。
吉田浩『日本村100人の仲間たち 統計データで読み解く日本のホントの姿』(日本文芸社・893円)。 というわけでもう一冊、明らかな便乗本も読んでみました(^o^)。 フォークロアでない分、「洗脳度」はこちらの本の方がより高い。小泉人気のまっただ中の時期に書かれただけあって、既にデータ自体が古くなってるから、実際に洗脳される人は少なくなってるだろうけれど。 2冊読んで結論が出せるのは「数値なんて流動的なもので、それに引きずられてこれが絶対、なんて思い込むのは危険」という当たり前過ぎることなのでありました。
マンガ、桑田乃梨子『蛇神さまといっしょ』2巻(完結/白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。 うーん、また二巻で終わっちゃったか。すごく好きなマンガ家さんなのに。 相変わらず桑田さんのマンガは「乗り越えることのできない恋」がテーマで、あまり長いこと続けると悲惨になるばかりだから、適当なところでオチつけるしかないってのはわかるんだけど、それにしても短い。もう少し間にいろんな事件を起こして長く読ませてくれないものかなあ。 「神様(蛇だけど)と人間の恋」なんて、話を膨らまそうと思えばいくらでも膨らませられそうなもんだけどね。 同時収録の『そういうことだから』は未完の連載。やっぱり、話を膨らませるのはヘタなのかな(^_^;)。
2001年05月20日(日) 念の入った話/DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生�機戮曚�
| 2002年05月19日(日) |
今日は一日寝て本・ビデオ……っていつもや/『Sink』1巻(いがらしみきお)ほか |
朝寝して、午前中のアニメは殆ど見ず。 ゆっくり休まないとカラダが持たなくなってるので、寝るときはとことん寝る。 寝ていても腹は減るが、食事を作る元気がない。 近所の「めしや丼」でミックス定食を食べる。ミックスって何がミックスかって言ったら、トンカツとすき焼きなわけだね。 いつものように肉をしげに分けてやったが、そのあとしげが「腹がイタイ」と唸り出す。 いつも注意しているのだが、一気にかっ込みすぎているのである。そんなに慌てて食わなくても、誰もお前のメシを奪い取ったりはせんわい。……といっても納得しないのは、よっぽど昔、ど貧乏な生活してたんだろうなあ。 やっぱり「一文無しの貧乏は罪」ってのは正しいかもね。
『笑点』を見ていたら、柳家小さん追悼ということで、平成8年正月の映像が流れていた。 既に6年が経っているわけだが、それでもこのとき小さん師匠は八十過ぎ。年のわりにはふっくらとして若々しいと言えなくもないが、やはり落語は聞くに堪えない。 しかし、聞いていてツライとは言っても、芸がヘタなのかというとそれも簡単には言いきれないのが難しいところである。というのも、間の取り方は年季が入っているから、実にうまいんだよね。八十過ぎであれだけテンポよく話せるってのは立派なものだ。けれど、声はくぐもってるし役の演じ分けはできてないしで、噺のナカミ自体が聞いていて全く掴めない。 これが不思議なことで、会場のお客さんは実によく笑っているのである。会場の方があまり聞き取れないだろうと思うのにそれだけ笑ってるってことは、やっぱり生の迫力ってものがあるのかも知れない。 やっぱり「間」が悪いとどんなギャグも笑ってもらえないものなあ。ウチの劇団の連中、落語もあまり見ないけれど、やはり今のうちに談志の高座くらいは見ておいた方が(見れねーって)。
アニメ『サイボーグ009』第30話「未来都市(コンピュートピア)」。 まあ「HAL」モノですな。 原作発表時にも「イマドキやるかい、こんなネタ」とは思ってたけど、009のSF性を強調するためにはこの辺でこういうエピソード挟んでおかないとって判断なんだろうね。 004が語る、「自分のからだに組み込まれた機械が思い通りに働いている時には、ついそれが機械であることを忘れて、感情移入してしまう。所詮は機械のはずなのに」というセリフ、『009』シリーズのいいセリフは殆ど初期作品に集中しているように思われがちだが、これは後期シリーズの中でも特に本作の根幹のテーマに関わる問題のセリフだ。これをやっとかなきゃ、確かに『009』は「カッコいいサイボーグもの」ってことにしかならないものね。 けれど、この手のセリフって、実はほぼ004に集中しているんである。 ある意味、機械のからだになってしまったことについて余り葛藤を覚えていないようにすら見える(現実ならそんなことはありえまいが)ほかのキャラたちの悲しみを、彼が一手に引きうけているのだ(張々湖が悩む姿って余り見ないし)。 それを考えると、全身武器という最も人間離れした改造を施され、そのせいなのか、最も「機械」的で冷静かつニヒルに見える004が、一番人間としての心の弱さを持っていると理解することもできる。 後半の「機械に恋愛感情が生まれるか?」って話より、004のこのセリフをじっくり聞かせたかったんじゃないかなあ、スタッフの方がたは。 もう一つ、この話は原作者の石ノ森章太郎自身がコンピュートピアのエッカーマン博士として登場しているので(輪郭が全部白ヒゲだけど)、それもエピソードに選ばれた理由かもしれない。 ……けど、今回の作画監督の本橋秀之さん、『ヒカ碁』と平行で大変なのはわかるけど、後半Bパートの作画修正はちょっと手を抜いたんじゃないか。Aパート後半の009が襲われるあたりの絵が安定していただけに、後半の弱さが目立っちゃうぞ。
ビデオ録画していたシティボーイズのライブ『鍵のないトイレ』を見返す。 このWOWOW初放映版の時には、それ以前の「ラジカルガジベリビンバシステム」の舞台のクリップ集もオマケについていたのだった。 ……このころの大竹さん、動いてたよなあ。髪も全然真っ黒だし。 スケッチとしてはこのころの方が今よりも随分シュールではあったのだ。それでも客が引かずに笑ってたってのがシティボーイズの凄さなんだよねえ。その凄さってのが、あの三人の一人一人が表現している「狂気」がそれぞれのベクトルを持ってアンサンブルを奏でていることにあると思ってんだけど、そのへんの分析はそのうち「シティボーイズ論」みたいな形で書いてみたいな。……ンな時間ないって(-_-;)。
マンガ、えんどコイチ原作・小西紀行漫画『リトル 〜神様修業中〜』(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。 奥付を見ると、出版は去年の四月(実際は三月か)。買ったのはそのころだと思うんだが、今までずっと積読だった……とゆーか、部屋ん中のどこに行ってたかわからんかった(^_^;)。そんなこんなでまだ読んでない本、溜まってるなあ。全く日記つけてるヒマなんてホントはないんじゃないか(でも書く)。 それはさておき。 今回、えんどさんは原作のみで、マンガは別の人が描いてるわけだけれど、絵がえんどさんよりはるかにウマイのにもかかわらず(えんどさんゴメン)、読んだ印象はえんどさん本人が描いたのと殆ど変わらない。絵柄が違っていても、ストーリーラインがまさしくえんどさんだなって思えるからだろう。 話は『死神くん』の天使版。……って、コンセプトちょっと間違えてないか。 『死神くん』は、人の命を奪うはずの死神が人の命を助けることもあるという逆説的な設定が面白かったわけで、それを天使にしちゃ、なんの変哲もない。天子が人を助けるのはフツーじゃん。 神様も実は人助けの修業中、としたのが工夫のつもりなんだろうけれど、私みたいなトシヨリになっちゃうと、「それって石森章太郎の『二級天使』じゃん」と言いたくなっちゃうんだよね。もともとえんどさんの人情マンガって、オー・ヘンリーかドーデみたいな「どこかで聞いたような」話が多いんで、新味を出すのがむずかしいんである。「『週刊ストーリーランド』じゃないぞ」って感じか? 月刊ジャンプの連載だけど、1巻分の連載で打ち切りってことは人気がなかったんだろうなあ。このあとえんどさんはまた似たようなコンセプトで、自筆で『エンド・ゾーン』を描くことになる。やっぱ、絵の描ける人は誰かに描いてもらうより自分で描くべきだろうねえ。
マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』5巻(講談社/KCM・440円)。 時々ミステリ関係の掲示板やホームページ見て回ってるんだけど、子供ならともかく、いいトシしたオトナのミステリファンがこのマンガ誉めてたりしてるんだねえ。「独創的なトリック」とかなんとか。……どこがや。 なんだか今回も「ミステリマンガ」って言うより、昔の学習雑誌のフロクについてたような「推理クイズ」って感じの話が多いんだけど(-_-;)。 だからいくら「QクラスとAクラスの争いが」とか言われたって、「どっちもレベル低いじゃん」という印象しか持てないんだけどね。 でも、これはもう「小学生向け」と割りきってるので、文句をつけるつもりはない。ともかく、キュウの恩人ってのが金田一はじめではありませんように、と祈るばかりだ。
マンガ、いがらしみきお『Sink』1巻(竹書房/バンブーコミックス・980円)。 いがらしみきおがweb上で連載しているマンガの単行本化。このマンガの作者名を隠して、人に「このマンガ、誰が描いたかわかる?」って聞いても、当てることができる人、皆無に近いんじゃないか。それくらいいがらしさん、絵柄を変えて「シリアスなホラー」に挑戦しているのだ。 え? あの『ぼのぼの』のいがらしさんが? とか、ちょっと古いファンなら『ネ暗トピア』のいがらしさんが? とか意外に思うだろう。 けれどこれが面白い。 概して、ギャグの傑作を描く人にシリアスを描かせると、素晴らしい作品をモノにする人が多いけれど(山上たつひこの『光る風』とか、とり・みきの『山の音』とかね)、本作もまだ1巻のみだけれど、掛け値なしの傑作になりそうな気配。 「sink」という単語は「沈む」とか「衰える」という意味の動詞だそうな。名詞だと「台所の洗面台」という意味になるそうだけれど、第1話の第1コマ、まさしくその洗面台の排水溝に水が流れ込んでいくシーンから始まる。 ごく平凡な山下家の日常に少しずつ変化が現れ出したのは、息子の駿がガールフレンドの弓をストーカーの三浦から守ろうとして刺されてしまったことがきっかけだったのか、それとも父親が未成年者連続殺人事件の現場に偶然出くわした時に、異様に首の長い女を見かけたことが原因なのか。 その後も山下家の周りでは微妙に異様なことが起こり続ける。 両手が異様に長い男、井本。 電柱にぶら下がった自転車。 誰かが家の中に入りこんでいる気配。 大学の校舎の塀にめり込んでいる無数のタイヤ。 そして少しずつ「変化」していく息子の駿。 繰り返されるデジャ・ビュ。 友人の林教授は「バランスが崩れ始めているんだよ」と語るが、彼とて何かを知っているわけではない。これらの「異状」は何かの予兆なのか、それとも「啓示」なのか。いずれにせよ、このマンガを読んでいるうちに、読者の我々の心は我々の体から離れ、このアンバランスゾーンに紛れこんでいくことになるのだ。 ……そう、なんだかこれ、いがらし版『ウルトラQ』になりそうな気配なんだね。どういう展開を見せるのかまだまだ先の予測はできないけれど、出だしだけでこれだけ興味を引かされると、どうしても期待が膨らんでしまう。 これ、完結したら誰かが映画にしそうだけど、中田秀夫に撮らせたらいいものになりゃしないかな。キャストは余りスター的な人を選ばないで、地味でも演技力のある人を配役してほしいね。主役の山下は内藤剛志あたりがイメージかなあ。林教授役には、ぜひとも谷啓をプッシュ(^o^)。
2001年05月19日(土) 地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子)
| 2002年05月18日(土) |
世界の中心で馬鹿と叫んだ女/『彼氏彼女の事情』13巻(津田雅美)ほか |
更新が遅れてるの、ずっと風邪引いてたせいですねん。 頭痛と咳と喉イガと鼻水と下痢と戦いながら、更新……って、パソコンも基本は体力なんですねえ。 ……はふー。
ここんとこ、またウィルスメールが届くようになっている。 添付ファイルを開きさえしなけりゃ感染することはないので、片っ端から削除してるんだけど、ほかのサイトを覗いてみると、どうやら、またハヤリのようにあちこちに送られているらしい。 相当、広範囲に渡ってるみたいだから、犯人は一人ってことじゃないみたいだね。ってーと、これも同時多発テロみたいなもんなのか? 季節の変わり目の風物詩って考えるには、ちとタチが悪い。 しかしウィルスが問題になるたびにいつも思うことなんだけれど、実行者はいったい、どういう心理でこういう行為に走ってるんだろうかってことだ。 単に人が困る様子を見て喜んでるだけなのかなあとも思うけれど、やっぱりココロに何か傷をお持ちの方々かもとも思う。 私の書く文章に何か不満があって、文句つけたいのなら、堂々とウチの掲示板に書きこんで頂いて構わないんだけどなあ。そのためにウチんとこは初めから「悪口OK」を標榜している。悪口書きこんだからって決して「来るな」とか「オマエのアホな話に付きあってられるか」とか邪険にするつもりはないのよ、ホント。私の体力があれば付き合いますとも、どこまでも(^^)。 せっかくだから「なぜに私はウィルスを送ったか」というのを自己分析して書きこんでくれたら、こりゃすごく面白いと思うな。そーゆーの、滅多にあるこっちゃない。芥川龍之介じゃないが、「犯罪者が自分の心理を冷静に分析した例は余りあるまい」と自負できるぞ。 ……おっと、アレは「自殺者」だった(^_^;)。
朝寝して、昼少し前に鴉丸嬢のお宅に出かける。 しげ、劇団のHPの方に私の書いた台本を無料配信しようと思ったそうだが、自分のファイルから昔のやつがスポッとなくなっていたんだそうな。 私は自分の書いた脚本には執着がなくって、端から忘れて行くので、当然のごとく保管なんかはしてない。で、劇団の連中に聞いてみたらかろうじて鴉丸嬢が捨てずに持っていたというので、アリガタヤとばかりにそれを受け取りに行くことにしたのだ。 さて、この段階では我々にさしたるトラブルはなかった。
鴉丸嬢、春めいてきたせいか薄手な格好。 もともと浅丘ルリ子並に痩せてるヒトなんで、薄い恰好をするとますます薄く見える。よく生きてるよな。 ビンボーなことは先刻承知の上なので、ワザワザここまで来てそのままサヨナラというのもナンなので、食事に誘ってみる。 「時間はあるの?」 「夕方、大勢(其ノ他君のこと)にクッキー作って持っていく約束はしてるけど、それまでは空いてるけど」 ……「ケド」が多いぞ。このあたりの言葉遣いにすぐ反応しちゃうのが私が古い言語感覚の持ち主だってことなんだろうケド。 「どこに行くの?」 「『かに一』でどうかな?」 「ああ、あの一夜にして『スタミナ太郎』が『かに一』に変わったという……」 何だか建物自体がいきなり別の建物に変わったみたいだな。秀吉の一夜城じゃないんだから、一日で建物が建て変わるわけないじゃん。ノボリが変わっただけだよ。 鴉丸嬢にこういうヘンテコな教え方したのはもちろんしげだ。こういうモノイイが物事を針小棒大にして、ちょくちょく我々の間で事実を歪曲させて行ってる原因になってるんだが、いくら注意してもしげは自分の物語の中だけで生きようとする姿勢を改めない。 つーか、本気で自分の作った虚構の中に入りこんでたりするのだな。 それはそれで構わないけどさあ、その妄想の中に私を巻き込むのはやめてくれ。お前は『うる星2』のラムか。
それはともかく、鴉丸嬢、食事に付き合う気になったはいいが、ここで大きな問題が生じた。 実はロドリゲス(しげの車の愛称)の後部座席、この間の公演の荷物が乗っかったままなのである。しげの腰の調子が治ってから一緒に部屋まで上げよう、と話をしていたのだが、なかなか元に戻らないので、仕方なく放っぽって置いたのだ。 つまり、鴉丸嬢の乗る席がない。 「荷物のスキマに乗ってもらうしかないよなあ。この間もよしひとさん、そこに乗ってたし、平気平気♪」……とかへらへら笑ってた私であったが、もちろん、女性をそんなヒドイ目に遭わせるわけにはいかないのである。 で、頑張ってハマりこんだわけですがね、小道具で使ったゴミ袋の間に。 「どう? 苦しい?」 「いや……苦しくはないけど……」 「けど、何?」 「……あ・づ・いぃぃぃぃ」 おお、私はちゃんと「けど」の使い方を心得ているぞ。さすがオトナ……ってマジで暑いんだわ、このゴミ袋の間ってヤツが。 狭いとか、苦しいとかじゃないのね、このゴミ袋ってのが市指定の透明なヤツじゃなくて、黒一色なものだから、日に当たってるとだんだん熱を持ってきちゃうわけよ。そうなると暑いっつーか「熱い」。このままずっと放置されたら死ぬ。確実に死ぬ。 「ちょっと『かに一』まで距離あるからガマンね」 ……そこは「から」じゃなくて「けど」だろう。ガマンはするけど、早いとこ店に着いてくれ……と思ってたら、しげ、思いっきり道に迷いまくる。 「あ、さっきの道、逆に曲がった」 「も一つ手前で曲がんなきゃいけなかったんだな」 「ああ、また同じ道を走ってる!」 ……マジで私を殺す気か(-_-;)。 なのにしげのやろー、笑いながら、 「後ろの車が微妙に車間距離取ってるねえ」だと。 その後ろの車の運転手とできるだけ目を合わさないように苦労している私の身にもなれや。
しげ、車中で鴉丸嬢に向かって、他人の悪口を口汚く言いまくっている。鴉丸嬢も応酬するように悪口を言いまくる。 詳しい内容は余りにひどすぎてとてもここでは書けない。 悪口好きの私ですら閉口するほどだから、その過激ぶりは想像して頂きたいところである。「他人の悪口を聞くのは大好きだから隠さずに書け」と仰る好事家の読者の方には申し訳ないが、どうしても知りたければしげ本人に聞いて下さいな。 日頃、私に対しては「世界の中心が自分だと思ってる」とか「他人を見下して生きてる」とか散々文句をつけてるクセに、しげの態度はまさしく自分を棚に上げている。もっともコイツが自分を棚に上げるのは日常茶飯事なので今更驚きもしないが。
ただ、ヒトコトだけはっきりと言っておきたいことは、この「世界の中心」なんたら発言を、私に対して何か不満があるたびにしげは口にしているのだが、これも全て根も葉もないしげの被害妄想に過ぎないということだ。 そりゃあ、確かに私も「博多は世界の中心である」みたいなことを口にすることがあるが、こんなのは主観的なハッタリで、客観的な事実でないことはアホでない限りすぐにわかる。お国自慢、ご当地自慢というものはそこまで思いきって言わなきゃ体をなさないから語ってるだけのことで、こんなのにいちいち目くじらを立てるしげの根性自体がネジくれているのである。 だから広島人はよう(以下自粛)。 結論を言っちゃえば、「世界の中心が自分だと思っている」のは私でなくしげなのである。だから他人が自分の上に立っているように感じられるのが許せない。それは、相手が夫たる私であっても変わりはしない。 本来、人間というものは自分が言われて一番イヤな言葉を他人に浴びせかけるものである、というのは志水一夫さんもどこかで言っていたことだが、これはまさしく真実だろう。自分が世界の中心でありたいから、威張ったやつが許せないのである。自分が他人を見下し馬鹿にしているから、同じ言葉で他人を罵倒するのである。 始末に悪いのは、しげのような対人恐怖症な人間にはよくあるタイプなのだが、自分自身の心の弱さというか、他人に虐げられるかもしれないという不安を紛らすために、たとえ相手に全く悪意がない場合でも、常に他人より優位に立っていなければ気がすまないがゆえに、ムリヤリ相手の悪意をでっち上げて罵倒を繰り返し続けることである。 そんな妄想の対象にされるほうはたまったものではない。 だから私は、しげと話をしながら、しげの話に矛盾や思いこみがあると判断した時には、その根拠を示して「そりゃお前の妄想だ」と指摘をする。 冷静に事実を指摘すればしげも少しは納得するかと思って言うのだが、これがまた困ったことに往々にして、かえってしげの心の火に油を注いじゃう結果になるのだね。私にしてみれば、これはただの事実の指摘に過ぎないから、何も問題はなかろう、私自身、全くしげを蔑んでなどいないのだから、と思うのだが、しげは自分の考えが否定され、しかも反論の余地もないものだから、追いつめられた恰好になる。 で、「自分が馬鹿にされた」と思いこんで、結果、ヒステリーを起こしてしまうのだ。 なら、最初から冷静に話をせずに、しげの言うことにウンウンと相槌を打ってやってりゃいいじゃん、と仰る方もおられようが、そっちの方がよっぽどしげを馬鹿にしているというものだ。相手に理解力がないと初めから決めつけて会話するようなあからさまな差別を自分の女房相手にしたくはない。他人にならするが(^_^;)。 私がしげのことを「馬鹿だ」というのは、その会話した結果の事実を報告しているのであって、初めから偏見を持って「馬鹿だ」と言ったことは一度もないのだ。 だから私は毎日懲りもせずにしげと会話をし、そのたびに「馬鹿か」と言い続けているのである。 それともしげよ、初めから「お前のような馬鹿とは会話なんぞできん」と言ってほしいか? 何度も言うが、自分の妄想で私を極悪非道の大悪人に仕立て上げるのはよせよな。確かに私は善人ではないが、少なくともお前みたく、目の前で○○○○○○○○○○○○○○○するようなマネはようせんぞ。
「かに一」で、私としげが向かい合わせに座ったら、鴉丸嬢、しげの側に座るか私の側に座るか迷う。 しかもそのワケというのが、私の隣に座るのはいやだし、向かいで顔見ながら食うのもイヤだしと、はっきり言うのである。 この糞ナマイキなションベンくさい小娘が、と内心思うが、顔にも出さず、「向かいで俯いて食えばいいじゃん」と言う。しげに負けず劣らずこの鴉丸嬢も口が悪い。口が悪くても、これで悪意がないのだから実に始末が悪い。 なにしろ、ウチのメンバー中最も温厚なよしひと嬢のことまで無意識のうちに悪口を言っているのだ。 「よしひと姉様って、すっごくオトナだよ」 「そりゃ知ってるけど」 「いや、ココロじゃなくてカラダでも」 「……何が言いたいんだよ」 「こないだの公演でさあ、姉様、ブラウス着てたじゃん? それが結構薄くって、控え室で姉様、『ああっ! これじゃビーチク見えちゃう!』って言ってたの。『ビーチク』だぜ『ビーチク』。いやあ、姉様ってオットナあ♪」 ……二度も三度も嬉しそうに繰り返すなよな(-_-;)。 これで誉めたつもりになってるのが怖いよなあ。 何度も下ネタ連発する女性って、ツマラン男にターゲットにされる率高いぞって言ってるのに、まぁだわかってないのだ。 鴉丸嬢の過激な発言については、やはりここにはとても書けないナニだのナニに関するものもたんとあるのだが、これも聞きたい人は直接本人に聞いてくださいませな(-_-;)。ウチの劇団の公演に来てくれれば確実に会えます。
鴉丸嬢、そのままウチに来て(帰りも私はゴミの中。とほほ)、台所を借りてクッキーを作る。しげと二人で作っていて、両方の作ったものを味見してみたが、しげのはとことんガサツである。 型がうまく作れなかったからって、形状から勝手に「餃子クッキー」なんて名前つけるな。ホントに餃子の味がしてきそうじゃないか。馬鹿でかくて食いにくいし。 ……あ、考えてみたらこれ、しげの久しぶりの手料理だな(お菓子だけど)。だけどしげが料理作るたびになぜか「料理」に対する概念が私の中でガラガラと音を立てて崩れていってるんだけど、この責任はいったいどうつけてくれるつもりなんだ。
アニメ『クレヨンしんちゃん』は長編、「さらばまたずれ荘 またずれ大捜査線だゾ」の巻。 またずれ荘編完結編として、程よく纏まってる感じ。 原作と登場キャラが相当かわっちゃったのはオトナの事情というヤツなんだろうけど、それでもつまんなくはなかった。 この「つまんなくなかった」というのがクセモノで、その「オトナの事情を考慮しても面白いアニメは作れるんだから、そういう事情はあってもいいのだ」という発想にスライドされちゃうのが困りものなのだ。 表現の規制が肯定されていいわけはないんだけどねえ。
鴉丸嬢はテレビで『しんちゃん』がかかっていても、全く目を向けようとしない。ここまで「嫌い」を押し通すってのは、それはそれで徹底していて潔さそうではあるが、未だに「なぜ嫌いなのか」だけは口にしようとしない。あれだけ悪口好きなくせに、この点だけは不思議なことである。 ようやく時間がきたので、しげ、鴉丸嬢を車で其ノ他君ちまでお送りする。 ……やっぱり女性が二人以上集まると、男は勝てんねえ(^_^;)。
マンガ、津田雅美『彼氏彼女の事情』13巻(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。 今巻より「有馬編」のスタート、だそうな。 んー、ここんとこ脇キャラの番外編的な展開ばかりだったから、ようやく本筋に戻ってきたって感じかな。 確かに、プロローグとしては充分に面白い。 優等生の仮面の後ろでどす黒く蠢くもう一人の有馬……というよりそれが有馬の本性だったりするんだけれど、これが今後どのような形で「発動」して行くのか、それが宮沢雪乃との関係にどのような変化をもたらすか、適当にお茶を濁さずに描き切ってくれれば、随分面白いことになりそうだ。
考えてみれば、この物語、宮沢の「見栄」から始まった物語なのである。 何巻だったか、結構初めのころだったけれども、宮沢がイジメにあったあと、その首謀者に向かって、「私ならもっとうまくやる」みたいなセリフを吐いていたこともあった。 他人を騙し、誤魔化し、仮面をかぶってやり過ごし、巧言令色、権謀術数は社会の常識、みたいな冷徹な視点がこの作品には元からあったのだ。 リアルである。作者の人間認識がどのようなものか、窺い知れる。 しかし、奇妙なことに、その人間観においてはこのマンガ、実にリアルでありながら、同時にアンチリアルというか、いささか前近代的な要素・設定もこのマンガには見られるのだ。 なんたって、有馬は、もともと「メカケの子」であり、今の両親に貰われた「貰われっ子」であるのだもの。おいおい、そんなん小説だったら昭和の半ばあたりでもう絶滅してるような設定だぞ。『赤と黒』か『日のあたる場所(アメリカの悲劇)』か『安城家の舞踏会』かってなもんで。少女マンガにはそれがまだ生き残っている……というより、作者は何となく「ワザと」そんな古めかしい設定を作中に持ちこんでいるような気がする。 ドラマがそこまで現実から乖離していないと、有馬の憎悪はリアル過ぎて、「花ゆめ」の読者にはキツイ、と作者は判断したのかも知れない。
作者自身は、極めて「現実的」な人なのではないだろうか。 コミュニケーションとは自分を相手の前で「作る」ことであり、決して本性をさらけ出してはならないと、なんだか藤村の『破戒』を想起させるような「戒律」を自分に科して生きてきたんじゃないかって気もする。 いや、憶測でたいした根拠があるわけじゃないんだけれども、実際にこのマンガ読んでると、この人、愛だの恋だの、思春期の夢物語は余り信じていないように思えるんだよ。 だって、有馬が本気で宮沢を愛すれば愛するほど、二人の道は遠く離れるように設定されてるんだもの。有馬の本性は、かつて自分を蔑み、罵倒してきた者たちへの「復讐」にあるんだから。
この物語が「悲劇」とならずにハッピーエンドを迎える可能性はあるのだろうか。そのへんを、作者に聞いてみたいくらいだけれど、もし悲劇として押し通すことができたら、これはもしかしてスゴイ傑作になるかもしれない。 ……なんだか、このままいくと有馬、人の一人や二人くらい殺しそうな気配があるんだけど、少女マンガでそこまでやるかなあ。 やってくれたら面白いね。
2001年05月18日(金) 増えるワカメのごとく……/『鬼切丸』20巻(楠桂)
| 2002年05月17日(金) |
追悼、柳家小さん/映画『モンスターズ・インク』/『カスミ伝△』2巻(唐沢なをき)ほか |
五代目柳家小さんさん(「師匠」と言わずに「さん」付けだと愛嬌が出るなあ)が16日午前5時、急性心不全のため。享年87歳。 「落語界初の人間国宝」と書かれてあったのを見て、「そう言えばそうだった」と思い出した。師匠には悪いけれど、そういう肩書きに一番縁遠い芸風だった気はするが。かと言って、談志に与えられるはずもない称号であるし、志ん生、円生なきあと、「落語界にも一つ『人間国宝』を」てなときに小さん師匠以外に対象者がいなかったってのは事実なんだけど。……志ん朝さんがあと十年生きてりゃね。 貶してるみたいだけれど、私の落語の素養は小さん師匠から始まっている。 小学校のころ(多分5年生くらい)、母親にねだって買ってもらった初めてのLPが小さん師匠の『たらちね』だった。母親がよく「あ〜らわが君」とか「今朝(こんちょう)は怒風激しゅうして小砂(しょうしゃ)眼入す」なんてギャグを口にしていたので、モトネタを知りたかったのである。で、LPが擦り切れるまでホントに何百回も聞いた。 おかげでこの落語は今でも「小さん師匠風に」暗唱できる。 「自らコトの姓名を問いたもうや?」 「……えェ、大家さんが清兵衛だってのは分ってんスけどね、アナタサマのお名前をお聞きしたいんで……」 この「……」の間と、カタカナの発音をご想像頂きたいところだ。ただ、今にして思うに、下手とまでは言わないが、「至芸」という感じはしなかった。やはり、油の乗りきっていたころの談志や、艶のあったころの円生にはどうあがいたって勝てないのである。 しかも師匠、言い間違えてやがるし(^_^;)。 「ある夜、丹頂の鶴を、ある夜夢見るが故に千代女千代女と申せしが」って、「ある夜」が畳語になってるのもそうだけど、第一、鶴を夢見たんなら、名前は「鶴女」でなきゃおかしいじゃん。これ、録音したほうも録り直しくらいすればいいのに……って、それをしてないから貴重ではあるのだが。
てなわけで、噺家としてあまり高くは買ってなかったんだけど、テレビで『狸賽』のオチを見たときには、「ああ、この芸だけは小さん師匠に敵う人はいないな」と思った。 いわゆる「仕草オチ」の代表的なもので、八っつぁんがイカサマバクチをしようとして、狸をサイコロに化けさせる噺である。一の目を出してほしくて「天神様だ天神様だ」と唱えてサイコロのツボを取った瞬間、狸がしゃっちょこばって衣冠束帯で鎮座している、というオチね(これも解説がいるか?)。 いや、寄り目で口とんがらせて力んで赤くなってた小さん師匠、狸というよりタコに似てたね(^o^)。地顔がもともと丸いからウケただけじゃん、と突っ込みが入りそうだけれど、そういう単純な見方をしていいものかどうか。自分の肉体の特徴を生かすことを考えるのは芸人なら当然のことだと思うけど。 小林信彦や立川志らくあたりは「ヘンな顔で笑いを取るのは最低の芸」とかワケシリ顔に言いそうだけど、じゃあ、円楽の顔で『狸賽』の笑いが取れるのかってんだ。「語り」が終わって、タメずに「仕草」にサラリと移ってたのもよかったよ。 年を取って、白髪は増えたが(もともとハゲの印象が強いのに、それでも白髪があるのがハッキリ見えるのがフシギだった)、痩せ衰えた感じはなかった。 師匠、前の夜に、ちらし寿司をぺろりとたいらげたあといつものように就寝。そのまま、朝になったらなくなってたのが分ったそうだけど、いかにも「らしい」死に方で、少々微笑ましくさえある。
しげ、だいぶ体調がよくなったので行きは車で送ってもらえる。 けれど帰りはまた時間になっても迎えに来ない。 連絡を入れたら、「時間を間違えた」だと。 さすがにもうタクシー代を出す余裕はない。 「どうすんだよ、迎えに今から来れるのか」 「仕事早いからムリ」 「……じゃあ、歩いて帰れってか」 「仕方ないねえ。おカネ出してやるからタクシー乗ってきィ」 ……出してやるからじゃないだろう(--#)。
しげは仕事に出かけるのだが、私はそろそろ映画に飢えている。 たいてい映画はしげと一緒に行くことにしていたが、時間帯がズレたせいで最近はそれもままならない。で、一緒に行きたい映画は避けて、しげが余り興味がないと言っていた『モンスターズ・インク』を見ることにする。 「なんで(何を使って)行くと?」としげが聞くので「自転車で行くよ」と答えたら、しげは私のことを心配したのか「やめといたら?」と言う。 もう久しく乗っていないので、確かにカンが働かないような予感はするが、かと言っていつまでも自転車に乗るのを怖がってばかりはいられない。 第一、連日タクシー通勤をしているので、バス代ももったいないのだ。 キャナルシティまで、事故にあうこともなく到着。 福家書店で買い忘れていたマンガなどを買って、AMCへ。 公開後、既に何週間も経っているので、9時30分からの上映、観客は10人程度。 子連れがいない分、楽に見られそうだ。
本編の前に上映された短編『FOR THE BIRDS』、これがCGアニメとしてメリハリの利いた傑作。出てくる小鳥たち、デフォルメされたキャラクターなのに羽毛がリアル! 電線に止まっている小鳥たちのところにいきなり現れたイカレた鳥。小鳥たちはイカレた鳥をバカにして苛めるけれど、そのとき電線がたわんで……。 心暖まるディズニー映画の前に堂々とこういう差別ギャグアニメを上映するあたり、ピクサーという会社が決してディズニーの軍門に下ったわけでは無いことを主張しているようで嬉しい。 以前も語ったことであるが、ピクサー作品をディズニーと提携した『トイ・ストーリー』シリーズや『バグズ・ライフ』などの長編で評価してはならない。ピクサーの本質はCGを駆使したシュールでラジカルな短編の方にある。
で、『モンスターズ・インク』の本編の方だけど。 邦題が「化け物会社」とか「怪物株式会社」じゃ売れないってのは分るけど、まるで怪物が使うインクの話みたいだよな(^o^)。 もっとも、これでお子様が「インク」って「会社」のことなんだよって教えられたら、英語の勉強になるのかな。 それはそれとして問題は内容。 なんつーかねー、CGが進歩すれば進歩するほどアニメとしてはつまんなくなるって、どういうことなのかね。 なんたって、一番イイのはオープニングの「手書き」アニメなんだもの(^_^;)。 結局、オモチャだの虫だの化け物だのをキャラクターに選ばなきゃならないってとこにCGの限界があることを示した作品になっちゃってるんだよねえ。 唯一登場する人間のキャラを2歳の子供にしたのも、オトナだとCGじゃうまく動かせないし、皮膚の質感も出せないという判断が働いたからだろう。 アニメはもともと現実にはありえないキャラクターと動きを表現するベクトルを持っているのに、CGはあくまで表現のリアルさを求めているので、両者の間に矛盾が生じるのは必然なのだ。 技術はともかく、ストーリーもキャラクターもありきたり過ぎるのがイマイチな原因。オバケや幽霊が会社組織になってるなんて設定、藤子不二雄(F・A)や水木しげるのマンガやアニメでもう腐るほど見てきてるし。 主役が無骨な大男で、相棒がお調子者のチビってのも、定番過ぎる。こないだの『シュレック』もそうだったし。定番が悪いとは言わないが、こうも連続すると、いくらなんでも食傷する。 唯一、「これはイイかも」と思った「モンスターが子供に触ると解けてしまう」って設定も、結局はモンスターたちを働かせるためのただのウソだったってことがバレて、見ているこっちは拍子抜けしてしまう。それじゃまるでドラマを盛り上げるのに寄与しないじゃないの。 「どんなに人間を愛しても、触れられない」って設定にした方が絶対、感動させられるじゃん。それを「実はウソ」なんて腑抜けた設定にしちゃったのは、単に脚本家がアホなのか、それとも「やっぱり主役と子供が抱き合うシーンがないとイカンよ」とかなんとかディズニーから横ヤリが入ったのか。 見ていて退屈したわけじゃないけど、感心したりワクワクしたりするほどのシーンがまるでない。これじゃアカデミー賞を取れなかったのも仕方がない。オスカーが『シュレック』の上に輝いたってのも、そっちの方がまだマシだったってことじゃないのかな。
数ヶ月前、台所を掃除した時、買ってたパンを居間に移動させてそのまま忘れていたら、いつのまにかコバエが卵を生みつけてて、それが一斉に孵っていた。 ……どうも最近コバエがやたら部屋の中を飛んでると思ってたらそのせいだったか。 ウチは本棚から溢れた本が山になっているので、間にハマリ亜伊デたパンに長いこと気付かなかったのだ。 いや、笑いごっちゃない。 しげは今まで枕元にそんなものがあったと気付かずに寝ていたから、ふと目を開けて、そこに小さな粒粒の卵がズラリと見えて、怖気が走ったらしい。 「気色悪い気色悪い気色悪い」 と泣きながらパンを片付けていた。 忘れた私も悪いのだが、枕元やソファを一向に片付けようとしなかったしげ自身にも責任があることなので、同情はしない。 だから日頃から掃除しろってば。 ……さあ、ウチにはほかになにが隠されてるかなっ♪
マンガ、加藤元浩『ロケットマン』2巻(講談社/KCGM・410円)。 うおっ、2ヶ月連続でリリースって、結構リキ入れて売ってるのかな? 『Q.E.D.』と同じく、設定やドラマはよく練られてるんだけれど、少年マンガの限界なのか、やや荒唐無稽な要素が入りこんでるのが気になる。 冷戦終結後、世界各国の情報組織が再編成される中で起きたとされるカンボジアでの事件。そのデータが、記憶を失った主人公、水無葉と関係しているらしい。 ……うーむ、ただの推理ものならともかく、国家間の陰謀とか、加藤さんのライトな絵にはちょっと荷が重過ぎないかなあ。もっともまだ2巻の段階じゃ、これからどうなるか分らないから結論出すのは早計だけど。
マンガ、唐沢なをき『カスミ伝△』2巻(講談社/マガジンZKC・560円)。 レベルが落ちてないなあ。 いやホントにスゴイよ唐沢さん。 デビューから数えたらもう20年か? もしかしたら本当にギャグマンガ家の最長不倒距離を達成するのかも。 縮小マンガ、BGMマンガ、切り取りマンガ、塗り絵マンガ、タイピングマンガ、アメコミマンガ、左右分割マンガ、超どアップマンガ、枠線無しマンガ、実在製品紹介マンガ(でも賞品は送ってくれなかったらしい)、袋とじマンガ(男ならわかるぞ!)、気象図マンガ、後ろ向き後頭部マンガ、横向きエジプトマンガ、レントゲン骸骨マンガ……。『カスミ伝全』『カスミ伝S』と来て、まだこれだけのアイデアが出せるとはねえ。 圧巻なのはラストの『32年目の復讐』。 8歳のときの唐沢さん自身のイタズラがきと今のキャラクターを共演させるというまさしく「夢の共演」。今までも「奥さんマンガ」や「編集者マンガ」と「シロウトマンガ」をちゃんと作品として昇華させてきた唐沢さんの、これは最高傑作ではないかな。 ……できたらまた、『カスミ伝○』とか『カスミ伝@』とか『カスミ伝(笑)』とか再開してほしいなあ。
2001年05月17日(木) 少しまじめな話/『コミックバンチ』創刊号ほか
| 2002年05月16日(木) |
で・じゃ・ぶぅ/DVD『アードマン・コレクション』 |
今日もしげは腰が痛いまま。 送り迎えなしで仕方なくタクシーを使うが、本気でカネが湯水のように飛んで行く。 まだ給料日までまで間があるんだぞ。なのにもうカネがないぞ、どうしてくれるんだよう。
けれど、しげは仕事だけは休まずに、頑張って行くのである。 「もうすぐ給料が上がるよ」と言っているので、カラダはともかく、気持ちだけは張り切っているのだ。たとえそれが目先の銭ほしさであるとしても、仕事を休まない根性は立派だ。 夫としても、少しは元気づけてやらなきゃならんかな、と思って、夕方、仕事に出る矢先に「好きだよ」と声をかけてやったが、「嘘の愛は要らん」と言い捨てて出て行かれてしまった。 「なんでウソだってわかるんだよ」 「目が愛を語ってない。自分が言うだけ言って満足したら、さっさと目を逸らすじゃん」 「いつかは視線外すの当たり前じゃん」 「ほら見てん」 「だからどうしてお前はオレを極悪非道の大悪人に仕立て上げたいんだ?」 「事実やん」 「だから自分の妄想にオレを巻きこむな!」 なんだか最近、毎日のようにこんな会話繰り返してる気がするが、もしかしてこれも私の妄想だろうか。
私の方も、昼メシを減らしたらようやく元気が出る。 この「食えば食うほどダルくなる」というのが糖尿のいっちゃんツライとこやね。
『ちゆ12歳』(^^)でようやくその存在を知ったのだが、あの『鋼鉄天使くるみ』が実写化されてたんだね(^_^;)。 あーいや、この日記には特に書いてませんでしたが、アニメ版は全話録画してますよ。 え? さすがにこんなのまで見てると、誤解されそうだから書かなかったんだろうって? いやいやそんな、特に書くほどのことがなかっただけです。 「かわいいメイドロボットが何人も来てくれる」 わあ嬉しい、ホントにそんなことがあったらいいな。 ……とでも書いとけばご満足ですか?
いや、アニメ版はともかく、問題は実写版だ。題して、『鋼鉄天使くるみpure』。……「ピュア」だぜ、オイ。 もちろん今までマンガの実写化はいくらでもあった。 しかし「コスプレ美少女モノ」の実写化ってのは、ほぼ初めてに近いのではないか(川崎実についてはとりあえず置いとくとして)。でもそれって、誰も「そんなのやったってコケるに決まってるやん」と思ったからじゃないの? まあ、『クルクルくりん』あたりをルーツに求めることもできなくはないけど、やっぱり「オリジナルのコスチューム」がそこにあることが本来の条件だろうね。けど、そうなると、「生身の人間にアニメのコスチュームが似合うのか?」という誰もが感じる疑問にぶつかるじゃあーりませんか。 そりゃね、コミケに行けばそういうお方、たくさんいますけど、似合ってる人、どれだけいます? ……でもね、私もこりゃ相当バカ企画だと思って、ちょっと公式ホームページで覗いてみたのよ。 で、予告編があったんでダウンロードしてみたんだけど。 ……意外なことに! 予告編だけだったのに! 面白いのだ! うん、これは見てみたい! あの「ですですゥ」喋りが生身で見れる聞けるのだ! くるみもイイが、カリンカちゃんも幼児体型でイイぞ! そんなん嬉しいのか? ってのは見る前は私も感じてたことだが、13歳の女の子に青筋立てるほど私は狭いココロの持ち主じゃないぞ!(素直にハマったと言えや) けどなあ、アニメならともかく実写だもんなあ。 生身のパンチラとかありそうだもんなあ。 しげのジェラシー、猛爆発を誘うのは火を見るより明らか。 だいたい『ああっ女神様っ』のLDをしげに許可を得ずに買っただけで、嫉妬で未だにネチネチと文句言われ続けてるくらいなのである。ましてや「コスプレ美少女の実写ドラマ、全巻買いたいんだけどい〜い?」なんて聞いた日にゃあ、背中から刺されるか握りつぶされるか(何をだ)。 こっそり買って、押入れの奥に隠しておくという手もあるが、見つかった時、しげの怒りが十倍増、二十倍増することは間違いない。 誰か、ウマイ手を考えついてくれた人は、メール下さい(やっぱり買う気かい)。
DVD『アードマン・コレクション』。 『ウォーレスとグローミット』シリーズの(何度も言うけど「グルミット」は間違い。ここではNHK版の表記に準ずる)アードマンスタジオの短編アニメーションを収録した第一弾。LD版持ってたけど、第2巻以降のLDの発売がなくなった上、LD版より短編一本を余分に収録ということで買っちゃったのよ。 クレイメーション(粘土アニメ)はセルアニメよりもCGよりも、はるかにアニメーションにおけるメタモルフォシスの要素が強調されることが多い。 追加の短編『アイデントの正体』はまさにそうした一編。 タイトルの原題は「アイデント」だけだけど、これ、「アイデンティティ」の擬人化なわけだね。 仮面をかぶることでしかコミュニケーションできない人々の街で、主人公は出会う人ごとに、その人の好みの仮面をつけさせられる。 そんな生活に嫌気のさした彼は、ふと鏡を覗いて……。 キャラクターたちがどこかピカソの絵のような石器時代の壁画のような、イビツな人々だというのもヘンテコだけれど、そんな人間にはほど遠いキャラが「自分さがし」をしてるというのも皮肉が利いていていい。こういうシュールな感覚、日本人にはなかなか思いつけないよねえ。
……なんだかこんな文章、昔も書いたような気がするんだが気のせいだろうか。
2001年05月16日(水) 鳥頭の女/『文鳥様と私』2巻(今市子)
| 2002年05月15日(水) |
目出物雄三ってキャラが某マンガにいたね/『まんが アベノ橋魔法☆商店街』(鶴田謙二)/『ガウガウわー太』3巻(梅川和実)ほか |
大使館亡命事件、どうやら五人家族を韓国に移送することで決着を図る方向に進む模様。 ……ま、要するに最初から出来レースだったってことだね。 マスコミは散々「五人の安否が心配です」とか煽ってたけど、ハナから命の心配なんかなかったんじゃん。つーか、政治的な見地から言えば、北朝鮮の人間を亡命させてやれなかったことより(前にも書いたけど、日本がそんな立場を取れるかどうか考えて見ろってば)、あの五人を大使館の中に入れたこと自体がそもそも失策だったってことの方が常識だと思ってたんだけどねえ。結構、マスコミに「洗脳」されてた連中、世間にゃ多かったみたいだねえ。 あちこちの日記だのサイトだのを覗いて見てもよ、猫も杓子も「人道」「人道」って、お題目みたいに唱えてやがって、気持ち悪いったらありゃしない。人道にゃ車が突っ込んでくることだってあるんだよ。政治的に何かできる甲斐性もないくせに、外面だけ善人のフリして、モノを言えた気になってる連中がこうもゾロゾロいるってのがどうにも気色が悪い。前にも書いたが、国威を掲揚した方がよかったのかね、日本は。中国が引かなかったら戦争になってもいいのかアンタらは。政治オンチがいっぱしの口利いてるんじゃないよ。 世間ってよ、もちっとアタマが良くて、あんな事件にゃ無関心でいられると思ってたんだがな。マスコミに洗脳されてなかったのは相変わらず唐沢俊一さんくらいのものだったね。 日本大使館の無能ぶりだけが目立ったようなカタチになってるけど、マスコミがそれを批判するのは目糞鼻糞と言うものだ。別に、日本人が外交に関して無能なのは今に始まった話でもなし、今回の事件、その前後で何かが変わったかと言うと、「何も起こりませんでした」。そういうことじゃない? あのビデオ映像に振りまわされて、やたら「人道的対応」を日本政府も大衆から迫られた恰好になってるけれど、もともと政治と人道主義が相入れないものだってこと、この国の人間は経験値として知ってると思ってたんだけどな。 もちろん、「正義派」とか「人権主義者」とか言われてる人たちが、「それでもあえて政治に人道を求める」と仰るとすれば、その姿勢に感心はするけども、実のところ、そんなヤカラは政治上、迷惑な存在でしかないんだよね。 頼むから、政治を「善悪」で判断するような幼稚なメンタリティは捨ててちょうだいよ。その幼稚さがかつてはこの国を戦争に突入させていったんだってこと、我らが先達は口を酸っぱくして語ってきたんじゃなかったのかね?
私の疲れもピークなのか、一日中ともかくダルい。 休憩も取れないまま、交互に押し寄せる目眩と頭痛にひたすら耐えて仕事。 しげはしげで、今日も腰立たないとかで、送り迎えはなし。 先月から送り迎えをサボったら罰金取るようにしてるけど、今日はさすがにかわいそうになって、自腹を切る。 でも往き帰り四千円の出費は給料日前はイタイんだってば。
それでもしげ、仕事の方は昨日からなんとか復帰している。 と言っても、腰にサポーター巻いて、左足をかばってなのでまだまだ不自由を託っているようなのであるが。 「平地だから平気」と、つまんないダジャレをトバしているが、いつまたふらついて足の上にモノを落としたりするか分らない危うさなんである。 少しは夫として元気づけてやらなきゃならんかな、と思って、夕方、仕事に出る矢先に「好きだよ」と声をかけてやったが、「嘘の愛は要らん」と言い捨てて出て行かれてしまった。 「なんでウソだってわかるんだよ」 「目が愛を語ってない。自分が言うだけ言って満足したら、さっさと目を逸らすじゃん」 「いつかは視線外すの当たり前じゃん」 「ほら見てん」 「だからどうしてお前はオレを極悪非道の大悪人に仕立て上げたいんだ?」 「事実やん」 「だから自分の妄想にオレを巻きこむな!」 なんだか最近、毎日のようにこんな会話繰り返してる気がするが、もしかしてこれも私の妄想だろうか。
アニメ『ヒカルの碁』第三十一局「プロ試験開始」 ありゃ、気がつかなかったけどOP変わってら。 今週からか? 監督交代の時に変化がなく、今頃ってことは、やっぱりあの監督交代、イキナリだったんだろうな。事情がよく解らんが、かと言って2ちゃんねるに行って、業界のウワサが流れてないかチェックするほどの元気はないし。DVDではどう説明してるのかな。……ってもう買うヤツは増やすまいとしているのに(^_^;)。 いつもは作画のことが気になるけれど、今回は新キャラの登場なので、声が気になった。 「プロ試験」と言えば、アレが出るじゃないですか、多分、女性ファンには総スカン、けれどドラマ的には絶対必要なアノ男の登場ですがな(^o^)。 そうっ! 外来受験者のヒゲ男、椿俊郎! さて、誰が声アテてるかなあ、と思ったら……え? 西村知道さん? 『うる星やつら』の校長先生!? そ、それはちょっと、いくら何でもミスキャストと違う? セリフにもあるけど、あの男のモデル、「椿三十郎」だよ、三船敏郎だよ?(名前が「敏郎」と「俊郎」で一字違うところはご愛嬌) となればどう考えたって、ドスの利いた太い声の人アテるのがフツーじゃん。大塚明夫とか玄田哲章とか郷里大輔とか候補者はいくらでもいそうなのに、西村さんじゃ、いくら何でも軽すぎじゃないスかあ!? うーん、これも桑原本因坊のように聞いてるうちに馴れるんだろうか。 ヒカルの川上とも子さんは、実はまだ聞き馴れないでいるんだけど、こっちの方はまだ、『ウテナ』の時の名演を思い出して、佐為との別れ、うまくやってくれるんじゃないかって期待しちゃいるのだ。 でも、西村さん、ちゃんとバイクにヒカルを乗せてくれるのかなあ? 少し心配になってきました。
ビデオでG2プロデュースの舞台、『人間風車』を見返しながら、晩飯のカレーを作る。 二度目で見返すと、ちょっと不必要なギャグも見つけてしまって、最初見たときほどの感動はない。それでもコメディとして、三谷幸喜作品よりは随分練られていることは練られている。 G2の舞台は福岡まで来てくれれば必ず見に行きたいのだけれど、今年は北九州までしか来てくれなかった。今年のゲストは水野真紀だったのに、ちょっと惜しかったなあ。再演、福岡でもやってくれないかなあ。
ちょうどカレーを食い終わったころ、しげが帰宅。 「あ、いいニオイ! オレの?」 「いや、今、俺が食ったばかり」 しげが眉間に皺を寄せて「へ」の字眉毛になって、目尻も垂らして「へ」の字になって、口も「へ」の字に曲げて、顔全体で「へえええええ?」と落胆したような顔を作ったので、余りに哀れで、ラーメンを作ってやることにする。 冷凍の喜多方ラーメン、チャーシューもメンマもワカメも予め入って200円しないというスグレモノだが、しげ、メンマとワカメをしっかり残す。 なぜそこまで好き嫌いができるかな。 こんなに栄養に偏りのある生活してると、いつか必ず大病すると思うんだけど、自制心がないから、野菜や果物を美味しく食べることができないのである。 いっぺん人間ドックに入れてやらなきゃと思いつつ、医者をとことん嫌がるのでそれもできない。カラダ壊しても助けてやらねーぞ、いいのか。
マンガ、GAINAX原案設定・鶴田謙二まんが『まんが アベノ橋魔法☆商店街 〜アベノの街に祈りを込めて〜』(講談社/アフタヌーンKCDX・1260円)。 出口竜正の「マガジンZ」連載版のハイテンション・アクションの方がアニメの雰囲気に近くはあるのだけれど、やはりなんと言っても鶴田謙二の凝ったイラストレーションが大版で読める魅力には抗しがたい。 鶴田謙二の絵は「母」のような絵である。 一見、柔らかそうに見えるその描線は、よく見るとどこか頼りなく、部分的には角張ってさえいるのだが、全体としてみるとなぜかそういう印象が消えてしまう。 細い線にも、実は細かな強弱がつけられ、ところどころ重ね書きもされて、その結果として描かれた人物や背景は、まさしく魔法のように「生身感」を持ってくるのである。 鶴田さんの描く女性のヌードは肉感的である。 それは痩せてるアルミ(ヌードにはならんけど)を描かせてもそうだ。 しかし、肉感的とは言っても、イヤラシクなったりセクシーになる寸前で「止まっている」。陰毛までしっかり描いているというのに、なんかまあ、そこに顔埋めて眠ってしまいたくなるような(* ̄∇ ̄*)。 そういう印象を受けるのは、一つには鶴田さんの絵が「動いていない」からだろう。効果線が殆どない、イラストとイラストをコマで繋いだような描き方が、必然的にコマ内での絵の時間を止めている。どんなにアクションシーンを描いても、鶴田さんの描く乳はガイナックスのアニメのごとく揺れることは全くなく、ただひたすらふくよかにそこにある。 それが結果的に「母」的なものとして現出しているのではないだろうか。 「静か」が鶴田さんの絵のキーワードであることは誰もが言うが、同時に「母」のような「懐かしさ」、これもあるのではないか。 鶴田さんの絵が好きな人って、マザコンが多いような気がするなあ……って、私もそうか?(^_^;)
マンガ、梅川和実『ガウガウわー太』3巻(新潮社/バンチコミックス・530円)。 うお! 打ち切られもせずもう3巻。めでたいなあ。 どうもこのマンガを誉める時、私は余り冷静ではいられない。 多分、私が子供のころ、いろんな生き物と関わり、その死に際に立ちあってきたこともあるのだろう。兎や、鶏や、犬。 多分、私は今まで一度たりと、動物たちにとっていい飼い主であったことはなかった。このマンガを読むたびに思うのは「あのときこうしてやればよかった」という後悔の念ばかりである。 マンガの出来より、「動物といかに付き合うか」ってことの方が気になってしまうということは、それだけこのマンガが「成功」してるってことだろう。 絵の技術がどうのとか、コマ割りがどうのとか、私のようなマンガオタクはすぐ冷静ぶってそういったマンガテクニックのことを言いたがるが、そんなことを忘れて中身に埋没してしまうときだってあるのだ。
タヌキの吾作編のラスト、吾作が人を事故にあわせてきたトンネルに、何人もの人が立ち止まるようになる。そこには今、小さなタヌキたちの墓がいくつも並んでいる。 足を止める人々は、そこでタヌキを轢いてしまった運転手であったり、ただの通りすがりのカップルであったりする。 運転手は、カップルに背中を向け、墓に花を捧げると、一言だけ「ごめんなぁ」と言う。カップルの少女(でも妊婦らしい)はそれを見て涙を流す。 少年が「おい、どうした?」と声をかけても、少女は「わかんない」と涙を流すだけだ。イマドキの、ごくフツーの、耳にイヤリングをして爪を長く伸ばし、おそらくは髪も染めているであろう少女。普段、少年の前でもあまり涙など見せたことがないんじゃないかって感じの少女が泣いているのだ。 そこで何があったのか、少女は詳しく知っているわけではない。 ただ、そこで「命」に関わる何かがあった。それだけを彼女は感じて、それで泣いたのではないか。 このシーンには、主人公の太助や犬のわー太も全く出て来ない。 運転手もカップルも、ここだけの登場人物だ。 けれど、だからこそ我々は、そこに自分たちもいるように思う。彼や彼女たちに思いを致す。 そこで泣いているのは、キミの彼女だ。
動物と人間、に限ることはない。 人はみな人を愛し、憎む。そして罪を犯す。 人が人である限り、その運命から逃れられる人間はいない。 人を憎んでいる間、人は自分が罪を犯しつつあることに気づかない。 そしてあるとき、フッと、自分が取り返しのつかないことをしてしまったことに気づく。 そして人は自分を責める。 赦されはしないと解っているから、自分を責める。 そうして自分を傷つけ、あるときは自殺を図りもする。 けれどやはり彼が赦されるわけではない。 一度犯した罪が消えることはないのだ。 その罪の犠牲になった者が、帰ってくることはないのだから。 彼を、彼の罪を、それでもあえて、赦すとするなら。 そこに「覚悟」がいるだろう。 これ以上は赦す、赦せないなどという境界を設けない、どこまでも「赦し続ける」覚悟が。
太助の父ちゃんが「カミサマ」をやめて、「獣医」になったのは、やっぱりカミサマのまんまじゃその「覚悟」ができないと判断したからなんだろうか。神様には覚悟も要らない、何が起ころうと無責任のままでいられる。 しかし、「ニンゲン」はそうはいかない。 命を助けた相手が人を殺す「悪魔」だったらどうなるのか。 それでも「赦す」。それが太助の父ちゃんの答えだ。 浦沢直樹の『MONSTER』でも問われた問題の答えの一つが、ここに提示されているのである。
委員長&小次郎編も完全収録。 昔からよく論議される、犬に服を着せる問題。 従来、私は、着せ方によっては皮膚炎を起こすことになり、飼い主が自己満足で服を着せるのはよくない、と考えていたのだが、このマンガ読んで、犬によっては服を「着たがる」ヤツもいそうな気がしてきた(^_^;)。我ながら単純だけど、室内犬の中には寒がりもいるだろうし、意外と犬の服って冬場とかには必需品なのかも。 ……って、ああ、やっぱりマンガ自体の話題にならないや。
2001年05月15日(火) 本を売るならBOOKOFF/『BLOOD THE LAST VAMPIRE 2000』(玉置勉強)
| 2002年05月14日(火) |
2001年アニメグランプリ/『ななか6/17』7巻(八神健)ほか |
夢の中に唐沢俊一さんがまた登場。 最近サービスがいいなあ(^o^)。 で何があったかというと、手塚治虫マンガ論を一席ぶってくれたのである。 と言ってもそれは以前から唐沢さんがあちこちに書かれていた、「手塚治虫の天才性は質もそうだけれどその量にあった」という立川談志の説の引用。 それに対して、私が、「でも手塚治虫って、乱作したせいで質も随分落ちたと思いますけど」なんて生意気な口を聞くのである。 本当の唐沢さん相手だったら、貴重な時間を無駄にさせて申し訳ないところである。ああ、夢でよかった。 ……でもこんな夢見たってことは、やっぱり青臭いディスカッションってものを私が未だに欲してるってことなんだろうな。 いい加減、「従心所欲、不踰矩(心の欲するところに従えども矩を踰えず)」と行きたいところなんだけれども、まだ七十歳にはほど遠いしムリかな。
5分で終わるはずの会議が長引いて、またしげを駐車場で30分近く待たせる。 腰が痛いしげは、「待つだけでも痛いとよ!」と私を睨めつける。 私だって会議は早いとこ進めたいんだけど、日頃、腹にいろいろ溜めといて、それを会議となると吐き出したがるヤツっているんだよ。 話題はズレまくるわ、ポイントは絞れてないわ、しかも一度喋りだすと止まらないわで聞いてて辛くて仕方ないんだが、本人はイイこと喋ってる気になってんだよね。 だから議題と違うこと喋って時間を無駄にするのは止めてちょ。
ドラマ『盤嶽の一生』第5回「落としもの」。 河原で五百両の入った胴巻きを拾った阿地川盤嶽(役所広司)、通りがかりの駕籠かき金太(船越英一郎)と銀平(阿南健治)に落とし主を探すのを手伝ってくれるように頼む。 五百両に目の眩んだ金太は、偽の落とし主・久左衛門(上岡龍太郎)をでっちあげて盤嶽に紹介するが、中の一分銀の数を当てられずに見破られる。 怒る盤嶽に金太が説明したのは、長屋の大家・幸兵衛(青木卓司)の借財二十両を返さないと、娘のおぶん(中江有里)がやくざに売られてしまうという哀れな事情。 ならば落し主から一割の礼金を貰ってそれでおぶんを助ければよいと、盤嶽は胴巻きの持ち主を改めて二人に探させる。 ところが、落とし主だと言って名乗り出た侍は二人、磯部新十郎(山本竜ニ)と北村十内(南條豊)。争う二人を取り押さえたのは、平瀬の弥太郎(火野正平)に率いられた捕り方たち。磯辺と北村は盗賊で、丸田屋という質屋に押し入って五百両を盗んだが、仲間割れをして胴巻きを落としていたのだ。 ところが胴巻きは金太が盗んで消えていた。早く見つけないと、丸太屋の主人・伝兵衛、通称丸伝(田中邦衛)の雇った殺し屋に金太が殺されてしまう。 そのころ金太はおぶんが売られた茶屋に駆け込んで、胴巻きの金を使って身請けしていた。しかし、丸伝の意を受けたやくざの甚吉(坂本朗)と五人の殺し屋が金太とおぶんを襲う。そこへ掛けつけた盤嶽と弥太郎、銀平が殺し屋を倒し、胴巻きも取り戻した。 おぶんの身請けで減った五十両は弥太郎が丸伝にうまく話をつけるから盤嶽は早く逃げるようにと促す。それを真に受けて旅立つ盤嶽。 しかし、残りの四百五十両は、ちゃっかり弥太郎が着服していた。「あの旦那なら丸伝の殺し屋に教われても平気だろうよ」と嘯く弥太郎。胴巻きは盤嶽が持ち逃げしたことになっていたのだ。 騙されて。 騙されて。 盤嶽よどこへ行く。
あ〜なんか、あらすじ全部書いちゃった。 でもよくできた脚本だからね。 毎回必ず盤嶽が騙されるパターンだともう解っちゃってるから、つまんなくなるかと思ったら案外そうでもなかった。 キャラクターが生きてるから、ダレ場がないのである。特に金太と銀平が改心したと見せかけて、弥太郎の策略を見逃すラストがうまい。善人のアテにならなさというか、庶民とか一般人とか大衆とか、世間に埋没していることをあたかも錦の御旗であるかのように標榜して恥とも思わぬ厚顔さを、作者は冷徹に見ているのだ。 盤嶽は常に敗北する。 愚かゆえに敗北する。そしてしばしば自分が敗北したことにすら気付かぬほどに愚かなままである。 そして我々は、彼がいつまでも愚かであり続けることを願うのだ。 善意の知者には、たとえ騙され続けても、あくまで愚者として対抗する以外に手段はないからだ。
しげ、疲れ果てているらしく倒れたまま寝続ける。 晩飯も作らずににすむから楽は楽だけれど、こう静かだと、いつものうるさいしげの罵詈雑言を聞かずにいるのも、なんだかフッと火が消えたようで、もの淋しかったりする。
昨日の続き、「アニメージュグランプリ」について。 アニメージュ編集部自体が、このグランプリに何の価値も見出していないことははっきりと分る。そしてその自体に深い危惧を抱いていることも。 何となれば、熱がこもっているのは、投票結果の発表ではなく、第二特集の「BEST ANIMATION OF 2001』のほうであるからだ。……完璧に第一特集を無視したタイトルであることにお気づき頂きたい。 まず、五味洋子、水民玉蘭、石坂和の諸氏によって2001年の秀作として紹介された作品が、殆どアニメグランプリの結果と重なっていない。『オトナ帝国』や『アリーテ姫』、『アルジュナ』や『コメットさん』、『エイリアン9』や『マジンカイザー』、その完成度に一長一短はあれど、特筆すべき作品はほとんど網羅している。 そして、かつてはやっていなかった執筆者たちのベストアニメ選出。本誌ではベストテンの集計は行っていないので、それをここでやって見よう。
◎劇場アニメ 1、千と千尋の神隠し (8票/70点) 2、バンパイアハンターD(日本語版/英語版) (6票/47点) 3、クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲 (5票/43点) 4、アリーテ姫 (4票/35点) 5、METROPOLIS (4票/33点) 6、COWBOY BEBOP 天国の扉 (3票/24点) 7、も〜っと! おジャ魔女どれみ カエル石のひみつ (2票/18点) 8、がんばれ! ジャイアン!! (2票/14点) 9、ファイナルファンタジー (1票/10点) 10、劇場版 幻想魔伝最遊記 (1票/9点) 10、デジモンアドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲 (1票/9点) 12、名探偵コナン 天国へのカウントダウン (1票/8点) 13、怪傑ナガネギマンとやきそばパンマン (1票/7点) 13、サクラ大戦活動写真 (1票/7点) 13、鉄腕アトム 地球最後の日 (1票/7点) 16、シャム猫 ―ファーストミッション― (1票/6点) 16、とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険 (1票/6点)
◎テレビアニメ 1、Cosmic Baton Girl コメットさん☆(8票/67点) 2、ジャングルはいつもハレのちグゥ (6票/47点) 3、フルーツバスケット (5票/32点) 4、学園戦記ムリョウ (4票/29点) 5、地球少女アルジュナ (3票/25点) 6、スクライド (3票/23点) 7、NOIR (3票/22点) 8、旋風の用心棒 (2票/20点) 9、VANDRED the second stage (2票/19点) 10、だいすき! ぶぶチャチャ(2票/18点) 11、おじゃる丸 (2票/17点) 12、ちっちゃな雪使いシュガー (2票/15点) 12、花右京メイド隊 (2票/15点) 14、サイボーグ009(2票/14点) 14、デジモンテイマーズ (2票/14点) 14、も〜っと! おジャ魔女どれみ (2票/14点) 17、Z.O.E. Doroles,i (2票/12点) 18、機巧奇傅ヒヲウ戦記 (1票/10点) 18、はじめの一歩 (1票/10点) 18、ハンター×ハンター (1票/10点) 21、ハル&ボンス (1票/9点) 21、ヒカルの碁 (1票/9点) 23、仰天人間バトシーラー (1票/8点) 23、ザ・ソウルテイカー (1票/8点) 23、ジーンシャフト (1票/8点) 23、新白雪姫伝説プリーティア (1票/8点) 23、超(スーパー)GALS! 寿蘭 (1票/8点) 23、ナジカ電撃作戦 (1票/8点) 23、バビル2世 (1票/8点) 30、バンパイアンキッズ (1票/7点) 30、まほろまてぃっく (1票/7点) 32、あぃまぃみぃ! ストロベリー・エッグ (1票/6点) 32、キョロちゃん (1票/6点) 32、SAMURAI GIRL リアルバウトハイスクール (1票/6点) 32、破壊魔定光 (1票/6点) 36、星のカービィ (2票/5点) 37、犬夜叉 (1票/5点) 37、シャーマンキング (1票/5点) 37、探偵少年カゲマン (1票/5点) 37、ハムスター倶楽部 (1票/5点) 37、パワーパフガールズ (1票/5点) 37、フィギュア17 つばさ&ヒカル (1票/5点) 37、ONE PIECE (1票/5点) 44、しあわせソウのオコジョさん (1票/4点) 45、おとぎストーリー 天使のしっぽ (1票/3点) 45、キャプテン翼 (1票/3点) 47、兼本さん宅 (1票/1点) 47、地球防衛家族 (1票/1点)
◎OVAほか 1、ねこぢる草 (5票/43点) 2、サントリーCCレモン シンプソンズおでかけ編 (1票/10点) 2、スウェットパンチ/ダン・ペトリー教授の憂鬱 (1票/10点) 2、探偵シュベイブル (1票/10点) 2、チェブラーシカ (1票/10点) 2、伝心 まもって守護月天 (1票/10点) 2、破邪巨星G弾劾凰 (1票/10点) 2、ぷにぷに☆ぽえみぃ (1票/10点) 2、フリクリ (1票/10点) 2、フルヴィーネクのサーカス (1票/10点) 2、マジンカイザー (1票/10点) 2、ミニハムずの愛の唄 PV(ミニハムず) (1票/10点) 2、MEZZO FORTE (1票/10点) 2、R.O.D. (1票/10点) 2、ワン・モア・タイム PV(ダフト・パンク) (1票/10点) 16、アニメーション制作進行 くろみちゃん (1票/9点) 16、伝説のワニ ジェイク (1票/9点) 18、とっとこハム太郎 ハム太郎のお誕生日 (1票/8点) 19、せなけいこ おばけビデオ (1票/7点) 20、エイリアン9 (1票/6点)
◎総合ベストテン 1、千と千尋の神隠し (8票/70点) 2、Cosmic Baton Girl コメットさん☆(8票/67点) 3、ジャングルはいつもハレのちグゥ (6票/47点) 4、バンパイアハンターD(日本語版/英語版) (6票/47点) 5、クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲 (5票/43点) 6、ねこぢる草 (5票/43点) 7、アリーテ姫 (4票/35点) 8、METROPOLIS (4票/33点) 9、フルーツバスケット (5票/32点) 10、学園戦記ムリョウ (4票/29点)
点数はキネ旬方式で1位には10点、2位には9点と、点数を加算して計算した。総合ベストテンにおいてのみ、同点の場合、順位は上位点の多い方を先に並べた。鳥瞰してみて、ほぼ妥当なベストテン結果が出たのではないか。『キネ旬』は執筆者の方が読者よりアテにならないが、『アニメージュ』は逆だと言ってよさそうだ。 実際、読者ベストテンと比べると、重なっているのが『千と千尋』と『フルバ』しかない。読者ベストテンがどれだけの傑作・佳作を無視しているか、分ろうというものである。 総評でも「観ないまたは観られない作品の増加」と指摘しているが、『コメットさん』(14位)や『ハレグゥ』(30位)のようなテレビアニメですら票が低いのだから、やはり「見ようとしていない」人間が圧倒的に多いのだ。 私が『コメットさん』や『ハレグゥ』を評価するのは、誰かに奨められて見始めたからではなく、あくまで自分の眼で見て「面白い」と判断した結果である。それが、アニメージュの執筆者たちの意見ともほぼ一致している。 これがどういうことを意味するのか、若いアニメファン、オタクたちには理解できるだろうか。若いファンは、アニメを見る眼自体がまるでなっちゃないってことなんだよ。 好き嫌いがあること自体に文句をつける気はない。けれど「好き嫌いだけ」で作品を評価されちゃ、そのジャンルは衰退する一方になるってことも知っておいた方がいい。
マンガ、八神健『ななか6/17』7巻(秋田書店/少年チャンピオン・コミックス・410円)。 あ、父の再婚ネタだ。 あの、父親が母親と死に別れて、娘が年頃に育って、そのころ父親が新しい恋に落ちて、娘が「パパはもうお母さんのこと忘れたの!?」って傷つくってアレな。 まだそんなありふれたの書くか……と私が文句付けると思ってるでしょう。 残念でした。私、このパターン、大好きなのよ(^o^)。 小津安二郎の『晩春』っつーか、広津和郎『父と娘』以来の、ホームドラマの基本ですからね。 ラストはたいていそれなりのハッピーエンドに落ちつくとは言え、娘が一度はグレる、というのは極めてリアルな心理描写ではないかって思うわけです。ワケシリ顔に、いかにも物分りがよく「父さんの人生なんだから」って最初から許してしまうような展開、かえって嘘臭いじゃないですか。人間ならヒガミとか恨みとか嫉妬とか、あって当然……とは思いません? 今回のななかが秀逸だ、と思ったのは、分裂した6歳のななかと、17歳の七華、二人ともが一旦は父を拒絶する、という展開である。17歳の七華は子供ではないのだから冷静な対処をしそうなものなのに、やはり心の中で6歳の七華に涙を見せるのだ。 定番ものはもうたくさんのバリエーションが作られているために、かえってアレンジの仕方が問われる。人格分裂と絡めてこのパターンをやったのは意外と少ないんじゃないか。今回はななかなかの秀作である。
2001年05月14日(月) 今日の実験……失敗/今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』
| 2002年05月13日(月) |
アッパレパソコン大合戦/『アニメージュ』6月号ほか |
第2書庫(ウチの3LDKのうち、二部屋は本で埋まっているのである。寝室と居間にも本棚は出張ってるが)の本のスキマで寝ていると肩だの腰だのがごっつ痛いわ。 充分、眠れはしなかったけれど、仕事は休めない(休みたいという本音がアリアリだね)。頑張って起きてみると、なぜか足元でこうたろう君が等身大綾波レイのタオルケットに包まって寝ている。 ……なんで? 居間を片付けて、寝られる空間、作っといたというのに。 しかもしげのスカタンめ、ずっと以前、例のエヴァブームの時に、トチ狂ってうっかり買っちまったまま、もう何年も押入れのどこかに仕舞いこんでたアヤナミタオルケットを、なんでまた今頃引っ張り出して来たのか。……こうたろう君へのイヤガラセ? しげのどてかぼちゃ、いったいどうしてるかと思って、居間をヒョイと見てみたら、まさしくどてかぼちゃのように高イビキで寝ていた。 客を追い出して自分はなにを悠々としてやがるか(--#)。 私が起きた気配にこうたろう君も起きてくる。 寝心地、相当悪かっただろうに、平気な顔をしてくれる。 昨夜も、公演後の片付けを手伝わせたくなかったから、スタッフを残してさっさと撤収したかったのに、彼は「代表が残ってないと悪いんじゃない?」と、私をダシにしてしっかり居残り、最後まで片付けを手伝ってくれたのである。 ああ、マメだなあ。 このマメさ、当日は殆ど手伝わないで、文句だけ垂れてた誰かさんに分けてやりたい。……おっと、女のケツ追っかけるのだけはマメだったな(^o^)。 ……読んでないフリして実はタマに読んでるんなら、少しは反応しろよな。
こうたろう君を見送ることもできずに仕事。 いつもはしげに職場まで車で送ってもらうのだが、今朝はこうたろう君、よしひと嬢の二人を空港と駅まで送らねばならないので、私はタクシーで出勤。ここんとこ出物が多いってのに、片道2千円の出費は結構イタイ。 職場についても疲労が体の芯に蔦のように絡まってる感じがするが、これは懐具合が寂しいせいもあるのかも。
午前中ずっと、体がダルくて頭が重いままだったが、午後からは何とかヒマになったので、ひと息つく。と言ってもお茶飲んで自分の席でぼーっとしてるだけだけど。 しかし、それも5分と休んでいられない。 何しろ、先週一日休んだだけで、またぞろ仕事が溜まりまくって、半端じゃない量になっているのだ。 で、オソロシイことに、その仕事の中には「パソコンを使って○○○○を作る」というものまで混じっているのである。 なんと! この私に! パソコンを使えと言う指示が来るとはあああああ! L(>0<)」オーマイガッ! ……いや、こうやって、ネットに日記まで公開しといて何をパソコン使うくらいで慌てふためいているのかと、ご疑問もありましょうが、実は私はえらいパソコンオンチでしてね、未だに文字打つ程度のことしかできないんですよ。……いやホント。 じゃあ、この日記はどうやって立ち上げたんだ? と思われるでしょうが、これも実はセッティングとか全部しげにやってもらったんですよ。えいちてぃーえむえるとか全部。あとはもう、字を打てばいいだけにしてもらって。 だから私はなんにもしてないし、未だになんにもできないのよ〜。私は『電脳炎』の課長さん〜。そんな私にパソコンをプログラムからどうにかしろなんて、土台無理なハナシなのよ〜。 ヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノアーコリャコリャヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノ ……踊ってる場合か(-_-)。 だもんだから、職場のパソコンにだって、これまで触れようともせず、その手の仕事は全部同僚にまかせっきりだったのである。 ところが、ハイテクの波に押されるように(と言うほどのもんかい)、私もついにパソコンを使わざるをえなくなってしまったのである。 けれど、ムチャクチャ単純なところでやたらと引っかかる。 具体的なことは仕事の内容がバレちゃうんで書けないけれど、キーボードがウチのと型が違ってるせいで、カタカナ変換一つできない。だってアルファベットばかり並んでて、ウチのキーボードにある「カタカナ変換」ってボタン、ないんだもの(T.T)。 例えば「いけん」と打ちこめば、ウチのパソコンだったらすぐに「意見」「違憲」などのほかに「イケン」というカタカナ変換もしてくれるのだが、なぜか職場のパソコンは漢字のみしかしてくれないのである。 ……なぜ? どうして? カタカナなんてやたら使うじゃん。それがどうして変換文字の中に入ってないの? 理不尽じゃんかよう。 しかもコイツ、カタカナ変換一つできないくせに、こちらが助詞の「の」を三連続して使ったら、「『の』がたくさん続き過ぎています」ってご注意メッセージ出してきやがった。 ……この性悪機種、いったいどこのなんだよう。 fujitsu? epson? ここに宣言します。パソコン初心者は絶対にこの二社の機種を使ってはイケナイ(←自分の未熟さを棚に上げた偏見)。 義憤に駆られつつ、私、パソコンの前で5分くらい固まってましたよ(-_-;)。 どうしたらいいのか、同僚に聞けばイッパツでわかるんだろうけど、ほかの同僚だって忙しくて、とても私の方にまで手は回らないのだ。でなきゃ、どうして私なんかにパソコンの仕事が回ってくるものか。 私も、他にも分らないことがやたらとあるのに、あえて同僚の仕事を邪魔してまで、とてもその程度のことをいちいち聞いてはいられないのだ。 私は悩んだ。 いかにしてカタカナを打ち出すか。 悩んだ末に思いついた名案とは! 単語を入力したあと、そのあとに促音の「っ」をつけるのである。 つまり、「いけん」を「いけんっ」と入力するわけね。 すると、「意見」なら漢字変換できても、「いけんっ」じゃあ、たとえいかなるパソコンと言えども、漢字にはできない。仕方なく「イケンッ」とカタカナに変換してくれるのである。で、そのあと「ッ」を削除すれば(deleteくらいの英語なら私にも分るぞ)、見事にカタカナ字の完成! いやあ、私も最近、脳が随分と軟化してきてるんじゃないかと危惧してたんだが、案外とっさの知恵が働くなあ。小学校のころ「頓知小僧」と一部で言われていたのを久しぶりに思い出したぞ♪ ……って、トンチなのかこれは(-_-;)。 でもおかげで私の書いた文章、初めは「イケンッ」「カイカンッ」「ショウテンッ」「テンカンッ」「ナンバンッ」「パイパンッ」「モンブランッ」「ヤンバルクイナッ」とか、やたらリキんだようなコトバばかりが並ぶハメになった(^_^;)。 ああ、単語は職業がわかんないように適当にでっち上げてますから。 「モンブラン」とか「ヤンバルクイナ」とか、「っ」付けなくてもカタカナ変換できるっちゅーに。 休憩を間に挟みながら、なんとか勤務時間内に仕事を終える。 ……疲れた(-_-;)。
しげ、迎えに来てくれてるかと思ったけれど、昨晩、片付けの時に痛めた腰が痛くて動けないと連絡。 もともと腰の骨が一本欠けてるんで、ちょっとした拍子ですぐ腰を痛めちゃうんだが、だったら日頃から腰の筋肉をちゃんと作るように鍛えてればいいものを、肉食うばかりで遊んでばかりいるからすぐギックリ腰になっちゃうのだ。 仕方なくまたタクシーを拾う。 ……だから2千円の出費は痛いんだってばよう(T.T)。 帰宅してみると、しげ、「助けてええええ……」と全然、深刻さのカケラもない声を出しながら寝ている。 「医者には行ったんかい」 「医者に行っても湿布しかくれないから行かない」 実際、この近辺の整体医はヤブ医者ばかりだ。 骨が一つもともとないなんて、私に言わせれば結構なフグだと思うんだけれど、筋肉つけるしかないですね〜とか簡単にこきゃあがる。年とって運動できなくなったらどうすんだよ、そこまで考えてモノ言ってるのか。 治療の手段、本当にないのか? 手術して失敗したくないから逃げてるだけじゃないのか? 医者のスキャンダルとかよく聞くものだから、どうにも疑心暗鬼になってしまうのである。 ネットで知り合った医者の方々とかに相談してみたいようにも思うけれど、私自身、しげの病状をキチンと把握しているわけではないので相談がしにくいのである。第一、「腰の骨が一本ない」って、何科に相談すりゃいいんだ。 とりあえず、しげの希望通り、腰に湿布だけは貼ってやる。 しげ、「はああああ!」と冷たさに悲鳴を上げるが、構わず2枚目を貼る。 「ふへえええええ!」 ……こういうアホな声出して喜んでるなら大丈夫かな。
晩飯は昨日の仕出し弁当の余り。 一応、全員分を用意したらしいが、食べずに働いた人も多かったらしくて結構余りが出た。いくつか持って帰ってもらった人もいるのだが、それでもウチに三つ残っている。 その中から高菜弁当を選んで食べる。多分、しげは辛いもの苦手だから、これは食わないだろう。 ……あ、奥さんのキライなモノを食べてあげてるんだ、優しいダンナサマ、などと勘違いしないで頂きたい。下手にしげの残しておいたもの食うと、あとで「私の食ったねえええええ!」と、悪鬼のような形相で迫ってくるのである。 だったらせめて冷蔵庫には入れておいてほしいもんだ。
『アニメージュ』6月号。 巻頭特集は巷で話題の個人アニメ『ほしのこえ』。 アニメージュ編集部は、ここ数年、「アニメとは何か」というマニアックな方向にどんどん進んで行っている気がする。しかし、読者の興味関心は相変わらず、美少女アニメや美形アニメ萌え〜の、声優萌え〜であるわけで、その乖離の具合はとんでもないレベルまで開いちゃったんじゃないだろうか。 この巻頭特集などはそのあたりを象徴しているように思う。 何しろ、「アニメグランプリ」を巻頭から押しのけて(ここ数年、アニメグランプリは全く盛り上がっていない)、個人制作アニメを特集しちゃうんだからねえ。オタアミ会議室でも話題になってたし、こうなるとぜひとも『ほしのこえ』、見てみたくなるぞ。
それはそうと、アニメグランプリの淋しさといったら、もう20年前の盛況ぶりが今となっては信じられないくらいだ。 1・2・3位の『フルーツバスケット』『犬夜叉』『スクライド』にケチをつけたいわけじゃないが、少なくともこの三作がベスト3になっちゃうとは、アニメージュの読者、殆どそれ以外のアニメを見てないんじゃないかね。 第一、1位の『フルバ』にして、得票数がたったの461票。 あの『千と千尋の神隠し』ですら7位で、118票しか取ってない。 この程度の得票では「ベストテン」なんて作れるはずもないが、これは単に投票者が少ない、という数の問題だけではないような気がしている。 日本人の五人に一人が見た計算になる『千と千尋』だけれど、それすらアニメージュの読者は見ていないのか、それとも見ていてかつ『フルバ』や『犬夜叉』を選んだのか。別に『千と千尋』がそれらのテレビアニメより格段に優れてるとまでは思わないが、「そういう読者しかいない」状況と言うのは、余りにも今の読者の住んでる世界が狭すぎはしないか。 またぞろエラソウなこと言いやがってと腹立てる人はいるだろうが、私は一応、ベスト20の中で一度も見たことないアニメ、『最遊記』と『シスタープリンセス』と『NOIR』の三本だけだったのだ。 少なくとも「お前こそ最近のアニメ見てないんじゃないか」とは言わせない。 私も含めて、第一オタク世代と言われる人たちは(この区切り方にはいろいろ異説があるので、まあ、『ヤマト』ブームにハマった世代としておこう)、誰に強制されたわけでもなく自然に過去のアニメ、あるいは特撮やSF映画をキチンと評価した上で「今のアニメ」を見ようという気持ちを確実に持っていたのだ。
日本アニメの歴史を語ろうと思ったら、戦前の大藤信郎の『くじら』や瀬尾光世の『くもとちゅうりっぷ』くらいはせめて見ておきたいと我々は思っていたし(実際、たまにテレビでやっていた)、「日本アニメのベストワンは?」と問われれば、すぐに『わんぱく王子の大蛇退治』『太陽の王子ホルスの大冒険』『長靴をはいた猫』などの東映アニメの傑作群が口をついて出た。 これらの作品は、制作後何十年も経った今見ても、決して古びてはいない。 それどころか、現在のデジタル技術では表現しきれない、細やかな演出がアニメ職人たちの技術に支えられてもいたのである。 これも言いきってしまうが、『ホルスの大冒険』のヒルダのような、単純な線でなおかつ万感を表現するようなアニメ技術の冴えを見せてくれたキャラは、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』の蓮姫を見るまでは皆無に等しかった。
今のアニメに感動すること、ハマること、それは別に構わない。 しかし、どうしてこうも過去のアニメや映画を見ない世代が増えてきたのか。 昔に比べて今はビデオもある、BSもCSもある。情報も盛んに提供されている。なのに、今の10代、20代は本当に昔の映画を見ようとしないのだ。 理由を聞いても「興味がないモノをなぜ見ないかと言われても……」とキョトンとする。その「なぜ興味がわかないか」ということを問題にしてるんだがねえ、私ゃ。 我々の世代なら映画を見ていく段階で自然発生的に生まれていた好奇心が、彼ら彼女らには見事なくらい、ケツラクしているのだ。 増えすぎた情報に対処しきれなくなっているというのもあるのだろう。 実際、今から生まれてくる子供は、私と特撮モノについて語ろうと思ったら 『ゴジラ』『ガメラ』『ウルトラ』シリーズは言うに及ばず、『ガッパ』も『ギララ』も『ゴケミドロ』も(キリがないので止める)、全部見なけりゃ対等に話せないのである。 アニメにしたって、せめて東映動画の長編全作(短編は私も何本か見逃しがある)くらいは見ていてくれないと、「ああ、千尋の階段落ち、あれ『長猫』のルシファーの変形だよ」とかいうこと話したって、何のことだか全然わかるまい。 けれど、我々だって、全ての映画やアニメに通じているわけでは決してない。 カネもなく、なかなか時間が取れずに、若いころは見たい映画も見られなかったのだ。それでも衣食住の出費を削り、古本を買い込み、映画館に通い、電器屋のディスプレイで未見のテレビアニメを見た。 未だに見ていない過去の名作・愚作は腐るほどある。 しかし、それを見ることを今の人のように「諦めて」などいない。 昔も今も、情報量の多さにメゲたりはしていないのだ。 私ゃ未だに明智小五郎と金田一耕助と多羅尾伴内の映画を全て見るまでは死ねないと思ってるんだが。
若い人、みんな人生をどこかで「諦めて」ないか? 若い癖にどうしてそんなに「焦り」がない? 若い今の感性でしか感じられないものを手に入れようって欲求がなぜ生まれない? 結局、そういう若い人たちと話をしていても思うのは、「つまんない生き方」しかしていない人間が、映画やアニメを「つまんない」と馬鹿にしているということなんである。 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』はわずか9票で62位。アニメージュは今アニメファンに支えられているわけではないと断じたところで構うまい。
規定枚数を越えたので、この話題、明日の日記に持ち越す。 ……書き出すと、本当に止まらないね。
『キネマ旬報』5月下旬号。 亡くなったビリー・ワイルダー監督の特集号だけれど、一番読んでてジンと来たのは蛭子能収さんが寄稿してるエッセイ。 亡くなった奥さんとの映画三昧の日々を、かつての投稿時代の貧乏生活を背景にして綴られているのだけれど、ご本人はおおマジメに書いているのだろう、けれどその筆致は、どこかユーモラスで切なく、内容も切ないけれど何となくおかしくて笑ってしまう。 蛭子さんが若いころ、よく行く画材店の従業員が、『去年、マリエンバードで』を見に行った時に偶然来ていたこと(もちろんそれが後の奥さん)。 『パリ、テキサス』を見ながら腹を立てて席を立とうとした奥さんを、「最後まで見て評価しようよ」と一生懸命なだめたこと。 死ぬ前日に見た映画がティム・バートン版の『猿の惑星』で、「せめて死ぬ前日くらい『最高に面白かった』と言える映画を見たかった」と述懐するおかしさ、悲しさ。 やっぱり映画で繋がってる夫婦って、とてもいいものなんである。
夜、こうたろう君に電話。 無事帰りついてくれてたようで安堵。 また、しばらくは会えまいが、いずれそのうち。
2001年05月13日(日) 愛の嵐/DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』コンプリートボックス
きれいに晴れ渡った空。 公演日和、なんて言葉はないが、雨に祟られた去年に比べれば、格段にツイている。問題はお客さんが来てくれたとしてもそれに見合うだけの芝居を見せられるかどうかだが。
しげとよしひと嬢、昨日も余りよく寝てないだろうに、朝から会場のぽんプラザへ。今回、会場とムチャクチャトラブルがあったとかいう話で、しげもよしひと嬢も朝っぱらから機嫌が悪い。ストレス溜まるのは分るけれど、それをうまく回避してこその劇団運営である。話を聞く限り、みんな揃ってアチラに手玉に取られている感じで、情けないったらない。 しげは私に「アンタを交渉に行かせればよかったかな。クレーマーだし」とかこきゃあがるが、私ゃ趣味でクレームつけたりゃしないぞ。 例えば、修理に出したビデオデッキの故障が直ってなかったり、郵便物が時間指定通りに届かなかったら、文句言うのは当然だろう。文句をつけなかったら、代金だけ取られてデッキは壊れたままだし、郵便物は送り主に送り返されてしまうじゃないか。
今回、会館の受付がきちんと説明をしてないために、一部機材などを使うのに支障を来たしたというのだけれど、みんな唯々諾々と会館の理不尽に対してペコペコ頭下げてるのな(--#)。 ……いや、頭を下げることが悪いとは言わない。 相手がアタマ下げただけで上機嫌になる程度のお寒いメンタリティしか持ち合わせてないってんなら、それも一つの方法だ。話を聞く限り、所詮はお役所仕事しかできない、経営者として使い手の便宜とか、図ってやろうなんて当たり前の対応すらできないやつららしいし。そんなのといちいちケンカしたってなあ、と判断したのも分らなくはない。 アチラにもどこの馬の骨かわからない劇団に会場を貸したくはないっていうのはあるんだろうな。以前ホリゾントに穴をあけられたって話だから。 けど、それをやったのウチじゃないんだぞ。 そこで、ハイそうですか、と納得したら、ウチもそんな唐変木と同レベルだって自分で認めたことになるんだぞ。それでいいのか。 せめて「負けて勝つ」くらいのことは考えてもいいんじゃないか。「負けて負けて」どうするかね。
私はこうたろう君を迎えるために、福岡空港へ出発。 地下鉄の駅を上がって、到着口まで、100メートルは歩く。……長いよ。 スカイマークで11時10分に到着とのことだったが、5分ほど遅れる。 去年、私が東京に行った時には天候不順とかで1時間くらい遅れたのだけれど、今回は理由が解らない。案内嬢さんに「何か事故でも?」と問い合わせた途端に飛行機到着のランプが掲示板に点る。 ほどなくこうたろう君が降りてくるが、荷物がない。 「手ぶら?」 「ああ、今日は土産はないよ」 誰も要求しとらんわ(^_^;)。……って、前回東京に行ったとき、こうたろう君からはたっぷり土産を頂いているので、ここで更に土産を期待したりしたら、それこそ人でなしと言うものであろう。
公演にはしばらく間があるので、それまで博多の町をこうたろう君を連れてムリヤリ観光。と言っても、あまり会場から遠くへ行くわけにはいかない。 まずは腹ごしらえと、博多駅で降りてキャナルシティへ回るが、アテにしていたラーメンスタジアム、どこも行列状態。 仕方なく、食事は川端に回ってしようと、コンコースを辿る。実はその途中に今回の公演会場の「ぽんプラザ」がある。 「『ぽんプラザ』って、ヘンな名前だと思ったら、水道局だから『ポンプ』ラザなのか!」 こうたろう君、驚くと言うより笑っている。確かに、お世辞でもセンスのいいネーミングとは言えない。まあ、役所にとんがったセンスを求めても仕方ないけどね。ダサイくらいがちょうどよいのだが、演劇の会場としてはまるで似合わない。ちょっと中を覗いてみても、全くの「公共施設」なんだもの。 けれど、どういうわけか、表のどこにもチラシが貼ってない。これじゃここで公演があるって分らないのじゃないか。 「せっかくだから、みんなの様子、覗いてみる?」 私が口にする前に、こうたろう君に誘われて、会場の4階に上がる。 うわあ、受付も入口も、てんで殺風景で、まるで演劇を上演するような感じじゃないなあ。……って、見た目、倉庫のドアじゃん。 ちょうど、待ち合いのところで、赤ちゃんをあやしながらチラシを折っている愛上嬢と会う。 「あらあ! お久しぶりですゥ!」 私とこうたろう君の両方への挨拶だろうな、これ。 そう言えば、殆ど前回の公演以来かな(間に一回くらい遊びに来たかもしれないが忘れた)。けれど相変わらず喋りのテンションが高い高い。 でもって、愛上嬢、とても二人の子持ちにゃ見えないくらい若い。もうハタチも半ばを過ぎてるくらいだろうけれど、赤んぼ抱いてなきゃ10代にだって見える美人さんだ。……羨ましいぞ、鈴邑君(←旦那さんね)。 しかし、ウチで一番演技力のあるやつが二人の子供の子育てに忙殺されてるんだから、もったいないったらないんだけど、どうもご本人もそう思っているらしくて、散々今回の役者に関して愚痴を言う(^_^;)。コラコラ、愚痴を言うのは私の仕事だ。 この子も、もう一回くらい、チョイ役でもいいから舞台に立たせたいんだけど、生活のことを考えると難しいんだよね。ウチ、一応、人材がいないわけじゃないんで、練習する時間と各家庭の経済状況さえよければ、もっと、人が見ておもしろがれる芝居が作れると思うんだけどなあ。 会場内をちょっと覗いて、その狭さに唖然としながら、腹が減って来たので、食事に出る。
こうたろう君と「かろのうろん」で昼食。 彼は肉とじ、私はしめじとじを食べながら、「博多のうどんの腰は『伸び』があるんだよ」などとウンチクを垂れる。例の『博多学』の中に、「博多のうどんは腰がない」と書いてあるけど、それは「福岡のうどん」だ、と注釈をつける。ウンチク聞きながらの食事って、あまり楽しいものではないだろうが、こうたろう君、美味しいと言って食べてくれる。ありがたいことだ。 櫛田神社を突っ切って、「博多ふるさと館」で博多織の実演を見る。ここは小さいところだが、時間がちょうど合えば、博多人形造りなどの実演が見られて、観光の穴場になっているのだ。しかも日曜祝日に来ても殆ど混んでいないのがいい。 「爺ちゃんの家がこんなだったからなあ。ほら、この引き戸の木が擦れる音が好きだったんだよなあ」なんて、こうたろう君を置いてきぼりで懐旧に浸る私。……職人の家に生まれると、どうしてもこういう昔の「生活臭さ」ってヤツに惹かれてしまうんだよね。 今日がちょうど「母の日」であったことにも気づいて、萬行寺に寄って、母の墓参り。そう言えば今年はまだ墓参りもしてなかった。もっとも、カーネーションの一つも持ってきてないんだけれど。 こうたろう君に「悪いね、無理やり付き合わせちゃって」と謝ると、「いや、以前、お世話になったから」と言ってくれる。ううう、こんちくしょう、私を泣かせようって算段だな。く、くそう、な、泣いてたまるかよう。 天神まで足を伸ばして、福家書店でオタク本など漁る。 買うつもりはなかったのに、気がついたら雑誌や単行本など数冊購入。 ベスト電器LIMBのテラスでひと休憩。ついまたDVDを買いそうになり、こうたろう君に止められる。いかんいかん、また悪いクセが(^_^;)。 夕方近くになって来たので、川端通で「焼きカレー」を食べて、ぽんプラザへ舞い戻る。これもこうたろう君、美味いと言ってくれてホッとする。
しかし、開演前2時間、もう4時になろうってのに、やっぱりチラシの一枚もオモテに貼ってない。リハーサルや調整に時間がかかってるのは分るけれど、聞いてみると受け付けも愛上嬢しかいないそうだし(子連れに受け付けさせてどうする)、準備がデタラメ。 しげの話だと、チラシはここの管理人に渡して貼ってもらうように頼んでたそうだが、未だに貼ってないってことは忘れられてるんじゃないか。仕事してねーぞ、ぽんプラザ。 仕方なく、私とこうたろう君で手分けして、一階、二階の入口と、4階の出入り口に、チラシをベタベタ貼りまくる。 受付にも愛上嬢だけを座らせておくわけにはいかないので、私とこうたろう君で座って待っている。……芝居の公演の受付が四十男二人ってのはいくらなんでもマズいと思うぞ。塩浦嬢とかが当日だけでも来てくれりゃ、受付くらいなんとかなったんだろうけど、あの子も貧乏で来られなくなったらしいし。 コヤの中では、鈴邑君が演出そっちのけで舞台の指示を取りしきっている。本来なら、舞台監督がそこまで出しゃばるのは、指揮系統の面から言ってもあまりいいこっちゃないんだが、演出より舞台監督の方が実力があって実質的に頼りになるんだから仕方がない。タイムテーブルを確認しているあたり、堂に入ったものだ。 ああ、お手伝いに見学だけだったはずのラクーンドッグさんや、つぶらや君のお友達も三人ほど走り回っているぞ。でも、本来の劇団員である「彼」の姿はない。年に1回しかない公演だってのに、事前に休みが取れなかったのか。そんなに職場での立場がないのか。 だからみんな、芝居をやれる態勢作ってから、公演打てよなあ!
……と、内心、準備の不手際にイライラしてるのは私だけではないので、口には出さない。私の仕事は撮影だけなので、それに専念するだけである。 「メイクが遅れてる!」なんて声が聞こえたが、気のせいだろう。
いよいよ本番。
今回の芝居は2本立てである。 『HERO』は、よしひと嬢の脚本、主演。 私以外の脚本を上演するのは初めてなので、これが試金石になって、ほかの人たちも脚本を書いてくれることを望んじゃいるんだが、どうなることか。 あるシナリオライターの男の妻が殺人を犯すのだが、彼女は「これは『正義のヒーロー』がこの女の体を借りて、悪を倒したのだ」とトランス状態で語る。 その殺した相手というのが男の不倫相手なものだから、果たして、妻は本当に「ヒーロー」に体を乗っ取られたのか、それとも、これはすべて妻の演技なのか、はたまた妄想なのか、真相がが分らないまま終わる、というのが、つまり「リドル・ストーリー」としての効果を狙っているわけなのだが、ドラマとして、そこで終わっちゃうのはチト弱い。 本当は、そこまでをもっと凝縮してムダなセリフを省いてプロローグにして、不倫相手の死体をどうやって誤魔化すか、というドラマに仕立てた方がずっと面白くなるんだけれど、そこまで練り上げるのは時間的制約もあって難しかったのだろう。 それならばそれで、芝居にメリハリを付けて、途中、ダレさせないようにしなきゃならないのだけれど、ともかくみんな揃って下半身の動きが弱い。 あのなー、愛人がよー、男を責めるんならよー、抱きついて、腰に手を回してキスして、甘えてるように見せかけながら「アンタ、離さないから」って絡みついて見せるくらいの情念ほとばしる演技見せなきゃ、観客はリアルさなんて感じてくれねーよ。 芝居やるなら、その程度の度胸はつけろよ。
『ねこまん』は私の脚本なので、演技や演出を貶すと、責任を役者に転嫁するような形になっちゃいかねないので言いにくいのだが、それでも客観的に見れば、あちこち穴だらけなのは否定出来ない。 やっぱり、ギャグなのにセリフとセリフの間が徹底的に悪い。 客に絡む脚本を書いているのに、役者が客を無意識のうちに怖がっているのが分る。これはイタイ。 しげからもらった原案は、「猫だと名乗る女が現れる」だけだったので、それをマンガ家の設定にして、編集者との四角関係に仕立ててギャグにした。ヘタクソな歌詞も交えて、ミュージカルっぽくしたのは、クレージー・キャッツ映画へのオマージュである(植木等よりも、人見明のセン)。 だから、歌い手は客に絡まなければ(実際に客にしなだれかかったりしなくても、心理的に絡んでくれりゃそれでOKなんだが、それもなかった)この脚本はギャグとして成立しないんだけど、そこに演出もキャストも気づかなかったのかなあ。 笑いが好きなら、みんなもっとコメディ見ろ。昔のも今のも。「趣味に合わない」とか「面白くなかったら損」とかいう発想は、役者には厳禁だ。そんなお高く止まって取り澄ましたような態度で、人の心を動かせるものかどうか、考えてみればいい。
私が言わなくても、お客さんは正直である。 三十人ほどのお客さん(例年、こんなものだ)のアンケート、今回はいつもの不条理劇でない分、役者の技量不足をストレートに批判した意見が寄せられていた。……ホンがつまんないという意見はなかったから、どうして笑いがイマイチ起きなかったのか、自らの演技力不足に大きな原因があったのだと、役者諸君はキモに命じておくように。 私は私で、自分の脚本の欠点については、誰に言われなくても自己批判しとくからよ。
それでもこうたろう君、しげの演技を誉めてくれる。 「いやあ、舞台映えしてるよ。一番生き生きしてたし。やっぱり、たくさん映画や舞台見てるのが強みだね」 望外の誉め言葉だなあ。 しげの役は化け猫なんだけども、もともと無表情で、どんなにブリっ子して見せても、目だけは笑ってないやつなんで、普段でも見ていてどこか怖いのである。その辺の「凄み」が自然に出たってだけだと思うけどね。 けれど、痛む足をそれと感じさせないように演技して見せたこと、これだけは誉めていい。役者なら当たり前のことだけど、その当たり前もできない人間って、この世の中に多いからさ。
撤収はいつものごとく、混雑を極める。 其ノ他君の小道具のギターがどこかに行っただの(あとで置き忘れていたのが見つかる)、セット代わりのポリ袋の捨て所がないだの(手分けして持ち帰ることに)、お手伝いさんが「ミスが多かったから」と電車代をもらってくれないだの(ムリヤリ持たせた)、しげが痛む足をかばって、ギックリ腰になっただの(あほ)、いろいろあったが、なんとか終了。 片付けのときだけやってきた藤田君、荷物が揃ってないってんで「誰かチェックしてなかったのか!」とか文句垂れてたけど、チェックしてて見つからないから、困って探してるんだよ。トンチンカンなこと言ってる暇があったら、自分で探せ。
しげとよしひと嬢は、一足先に帰宅。 よしひと嬢、ロドリゲスの助手席には、ベスト電器から借りてきたプロジェクターが鎮座ましましているので、仕方なく荷物でいっぱいになった後部座席のスキマに挟まるように運ばれていく。 「警察に見つかったら、人形のフリをするように」 誰ぞがそんなこと言ってたけど、そりゃムリってもんでしょ。 こうたろう君と、ようやくラーメンスタジアムが空いてきたので、「博多一黒丸」でチャーシュー麺。オーソドックスな味で、それほどしつこくなく、悪くない。今日の公演のことなど、乾杯しつつ(私は水だけど)語る。 「やっぱり、芝居をするってだけじゃなくて、その先に何があるかを見なきゃな」 とは辛辣だが至言だ。
帰宅したときには、私も相当、くたびれはてていたが、それでもDVD『ポピー・ザ・パフォーマー』などをみんなで見て騒ぐ。 でもそれも12時までが限界。睡魔が猛烈に襲ってくる。 明日が休みならなあ、徹夜してでも喋りまくりたかったんだけどなあ。 『ワンピース』話で盛りあがるこうたろう君とよしひと嬢、腰が痛いと泣くしげを残して私は一人、本棚のスキマで寝るのであった。
2001年05月12日(土) 今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ)
| 2002年05月11日(土) |
つんでぶで……謎の言葉(^o^)/DVD『日本誕生』ほか |
ミュージカル『キャッツ』のロンドンで21年続いたロングランが昨日で終了。 もちろん本場の舞台を見たことはない。 劇団四季の舞台を東京と福岡で見たことがある、それだけだ。 しかし、「これはいい舞台だろうな」という想像はついた(「だろうな」というところが微妙。役者の技量不足を想像で補ってるのだね)。 「続いているものがいきなり終わる」というのはどういうことなのか、実はよく解らない。NHKで『連想ゲーム』が終わった時も、「なんで今更」という気持ちの方が強かった(我ながらスゲエ譬えだ)。 「代がわりにムリがある」というのなら分らなくもない。『サザエさん』はいくら代替わりして声が変わろうと続かせることができそうだけれど、『ルパン三世』がいくら三十年以上続こうが、声優を全部入れ変えてまで続けられるかどうか(また譬えがちとハズレてるな)。 あ〜、つまり『キャッツ』を終わらせることに意味があったのかなあ、と思ったってことなんだけどね。客が入らなくなったとはちょっと考えにくい。20年続けば、もう固定客もいるだろう。役者にとっても「『キャッツ』に出演することが夢」って人、多いんじゃないかなあ。 でも、残念と言えば残念だけど、日本じゃあまり大きな報道しないね。 下手すりゃ、『ねずみとり』が終わるときもコラム記事で終わるんじゃないか、日本の新聞。
昨日までで『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』、上映終了。去年は小屋を変えて続映が決まったけど、今年はキリよく終わり。 十作目まで続いてる人気シリーズのわりに3週間の上映ってのは扱いが悪くないか。三回目を見に行こうかどうか考えてたけど、結局、行かずじまい。よしひと嬢が行くと言ったら行ってたかもしれないけど、この公演の追い込みの時期にはさすがに誘えんのだよな。 今度こそDVDが発売されるに違いないと勝手に思いこんで、その日を待とう。
明日はこうたろう君が泊まりに来るというのに、部屋の片付けが進んでいない。 だから片付けてる最中に未読の本を見つけちゃうからイケナイんだけどよ。 けれどそれでも居間にフトンを敷けるスペースだけは確保する。もっとも、いきなり地震が起きて本やビデオが倒れかけてきたら一発で死ぬけど(^_^;)。
夜、12時を過ぎても、しげとよしひと嬢、なかなか帰ってこない。 生活時間帯がデタラメになっているので、もういちいち呼び出しなんかしないのだけれど、さすがに心配になって電話連絡入れようかと思った途端、帰ってきた。 なんでも、駐車場のストッパーの一部がロドリゲスの部品に引っかかって、出られなくなったらしい。 「それで、どうやって出て来たんだよ」 「無理やり」 ……そーゆーのでいいのか? どこか車の部品、欠けたりしてないか? なんだかしげの車に乗るのが怖くなってきたな。
しげとよしひと嬢、それで寝るのかと思ったら、今から明日の公演用のパンフレットを作るという。 だからどうしてこんなギリギリのスケジュールで、しかも演出家に役者がそんなスタッフ仕事をやってんだか。いい加減、家内制手工業から脱出できないのかね。
DVD『日本誕生』。 去年買ってて、ずっと見ないで置いたままだったDVD。 と言っても、随分昔にテレビで見てはいるんだけど。 こういうのがだんだん増えてきてるんだよな。積ん読ならぬ、「積んでぶで」。語呂が悪いな。しげと一緒に見ようと思って、見るのを控えてるからそういうことになるんだけど、いい加減、墓の中までDVDを持っていくわけにもいかないので、そろそろ片付けていかないと、と思って見る。 昨年は円谷英二生誕100年のおかげで、『ハワイ・マレー沖海戦』(ああ、これも「積んでぶで」)ほか、東宝特撮の秀作が「ゴジラ映画」に限らず、結構な数が出たのだけれど、必ずしも「この映画で円谷英二を語られてもなあ」と、ちょっと残念に思うラインナップもなくはなかった。 この『日本誕生』も、ラストの白鳥のアニメーションなど、なかなか美しいイメージもありはするのだけれど、全体的に神々の世界のイメージの貧困さが目立つ。冒頭の混沌の世界からして、「別府温泉地獄巡り」にしか見えないのはちょっとねえ。 岩戸神楽もスサノオのヤマタノオロチ退治も、のちの東映動画版『わんぱく王子の大蛇退治』という世界的レベルの傑作を見ているだけに、特撮どころか玩具にしか見えない。……オールスター総出演映画だからなあ。役者のギャラにカネ掛けすぎて、特撮の予算、削られたんじゃないか。 ラストの天変地異も、合成のズレ、色調の失敗が目立つ。……日本神話、もっともっと面白く、感動的にできる要素があると思うんだけど、妙に現代の倫理観入れて描くからシマリのないものになるんだよな。 ラストはやっぱりヤマトタケルが復讐する相手は○○○○にしなきゃ。って、そんなの作れるわけないか(^_^;)。
DVD『ジャングルはいつもハレのちグウ』7巻。 テレビシリーズを見ていたので、これも再見。 中途半端な終わり方も、OVAで続きが制作されるとなれば、文句もない。最近のギャグアニメの中じゃキレのいい出来だったから、これも期待。 でも、しげ、「面白いのはオープニングだけ」って言ってたから、これもひと悶着あるかも(^_^;)。
2001年05月11日(金) ちょっと愚痴を言いたい夜/『荒野の出前持ち』(石川賢)
| 2002年05月10日(金) |
人生は重い荷物を……。/『新映画宝庫 Vol.4 スタークラッシュ 大宇宙映画放浪編』ほか |
三日連続で誰かの夢を見るかと思ったけれど、全く見なかった。残念。 かと言って、見なかったモノを見たように書くわけにもいかないから、仕方ない。 それとも見ただけで忘れてるのかなあ。 もしも○○○○さんが出て来て○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○、とてもここには書けないし妻にも語れないから、まあ忘れてよかったということになるのかもしれないが(^_^;)。
朝方、曇り空だと思っていたら、昼過ぎから土砂降り。 休日が雨に祟られなきゃいいが、と去年も思ったことをまた考える。 「雨が降ったら出かけない」という人、結構多いんだよね。 けれど公演する以上は、たくさんの人に見てもらいたいというのは正直な気持ちである。 ウチの芝居はおカネをとらず、観劇料はカンパ制なのだが、それを好意的に解釈するお客さんは「よっぽど芝居の内容に自信があるのだろう」とか思ってくださる。もちろん、真実は「カネが取れるほどの芝居ではない」という謙遜なのだが、それでも奇特なことに、「見てよかった」と感想を述べてくださる方はいらっしゃるのだ。 称賛も批判も、見ていただかないことにはどうにもならない。 しげが「『シティ情報 Fukuoka』に写真入で記事が載ったよ!」と嬉しそうにいってたので立ち読みしてみたが(買えよ)、其ノ他くんのポートレートが、実にイイ。 これに誘われて、本気で客が来るかも……?
職場からの帰り道、「公演の時の、みんなの飲み物と紙コップを買うから」と言われてスーパーマルキョウに寄る。 私もついでに、牛乳だの切れてた玄関の電球だの台所の電球だの(なぜかこの一週間で立て続けにあちこちの電球が切れまくっているのである。何かの祟りか?)、そんなものを買う。 これが失敗だった。 車に帰ってくるなりしげ、自分の荷物をドン、と私に押しつけて、 「これ持って」 「……なんでこんなに?」 「だって、オレ、運転しなきゃなんないから持てないもん」 「持てないって……後ろの座席に置けば」 「どこに?」 ハッと気付いた。明後日の公演のために、後部座席は大道具小道具が積み込まれてあって、もうモノを置くスペースがないのである。 「置けない?」 「うん、だから持って♪」 さては、初めからそのつもりだったか。 しげ、こういう卑怯なワザにだけは知恵が回る。 しかもしげ、ウチが近づいて来て、とんでもないことを言い出した。 「スペアリブ食べたいなあ。……美味しかった?」 「お前も食ったろ」 「また食べよっかなあ。寄ってもいい?」 しげのこの「寄ってもいい?」は、イコール「奢れ」ということである。 しかし私の膝の上は、マルキョウの袋、ペットポトル四、五本がドデンと乗っかっている。 「荷物これだけあって、どこに置くんだよ」 しかし、しげはなおも「寄ろっかなあ(奢れ)どうしよっかなあ(奢れ)」とウルサイ。 結局、やっぱりマクドナルドに寄ってスペアリブセットを頼む。 しかも、自分が奢るときは私が二品頼むと「奢りだと思ってタカりやがって」と文句垂れるくせに、自分が奢られるときは「チキンタツタ追加ね」と平気で頼みやがるし。 袋をいくつも両手で抱きかかえるようにして助手席に座るハメになったけれど、すれ違う対抗車の人は「なんじゃありゃ?」と思ってたろうなあ。 更にしげ、トンデモナイことをいい出す。 「あ、あとグッデイに寄ってフトン買うから」 「……これ以上どこに置くんだよ!」 「後ろにスキマあるからそこに入れるよ」 「だったら、この荷物も後ろに置けよ!」 「ボトルとかは倒れるじゃん。フトンは平気だし」 ……で、しげがグッデイで、フトン一つを選ぶのに20分かけている間、私は身動きができないまま車中で荷物を抱えたまま、ひたすら続く腕のシビレと戦っていたのであった。 昔のコメディで、買い物好きの女房に荷物もちにされて往生する旦那がよく描かれてたなあ。最近じゃ『ファンタジア2000』にまで出てきたけど。 くそ、いつか奈落の底まで落としてやるからな、しげめえええええええ!
晩飯にまたカレーを頼まれたので、一つ作ってやる。 卵も一つつける。 2時間ほどしてまたしげが「腹減った」と言い出す。仕方なくまた作ってやる。今度は私の分も作る。 しげ、私より早くあっという間にカレーを食い尽くし、「もう、カレーないっちゃろ?」と私に聞いてくる。 「ないよ、もう」 とぶっきらぼうに答えると、「ないのかあ」と、モノ欲しそうに言う。 「ないのかあ」 「ないよ」 「ないのかあ」 「……食うか? オレの」 「うん!」 ……しげに勝てるやつ、誰かいないか(-_-;)。
『ドラえもん』とか『あたしんち』とか漫然と見る。 『あたしんち』も悪くはないけど、クセがないから、かえってヒットしにくいんじゃないかなあ。こういうホームドラマものって、『サザエさん』って金字塔があるから、『ちびまる子ちゃん』も『クレヨンしんちゃん』も多少ドギツイ部分で客を引かないと話題にしてもらえないところがあるんである。 人気が出てくれば、中にある「毒」も世間は好意的に解釈してくれるようになるから、問題なくなるんだけどね。 初めから「毒」の少ない『あたしんち』が大地監督のワザで、どの程度の「個性」を出せるかがカギだろうな。
大澤徳一郎・梨子田章敏企画・構成『新映画宝庫 Vol.4 スタークラッシュ 大宇宙映画放浪編』(大洋図書・1400円)。 執筆者陣の中に、石上三登志やうしおそうじ、岸川靖、田中文雄、麦人などの名前があったので、「おお!」と思って読んでみたけど、宇宙SFベストテンのアンケートに答えてただけだった(^_^;)。 それでも、石上さんのベストワンが『地球の静止する日』ってのは「らしくて」イイなあ。 私もちょっと思いついて、「宇宙モノ」に限ったSF映画のベストテンを作ってみました。SF全般にまで広げればもっとあるけど、それはまた別の機会に。 1,『惑星ソラリス』(SOLARIS) アンドレイ・タルコフスキーの最高傑作にしてスペキュレイティブ・フィクションとしてのSF映画の最高峰でもある。「人は虚構にのみ生きる」というテーマは押井守に多大な影響を与えた。私が押井守をプッシュするのを「何でそこまで」と思われる方もいようが、それは私が「押井ファン」であるというより、押井さんともども私も「ソラリスの子ら」であるからなのだね。
2,『2001年宇宙の旅』(2001:A SPACE ODYSSEY) これを入れるか、個性もクソもないやん、と非難されそうだが、外せねーよ、これは(^_^;)。 後半の哲学的シーンの意味より、映像としてSFをキチンと見せてくれたってことが嬉しくてねえ。あの、放り投げられた骨が宇宙ステーションにオーバーラップするシーンがベストショットですね。
3,『決死圏SOS宇宙船』(JOURNY TO THE FAR SIDE OF THE SUN) SFの「怖さ」を感じさせてくれた傑作。 科学的には太陽の反対側に地球そっくりの惑星があるなんてありえないって、わかってんだけど、宇宙SFが必ずしも「科学的」なものでなく、やはりイマジネーションの世界であること、そしてその想像の中には「悪夢」もあるということを感じさせてくれました。
4,『ブレードランナー』(BLADE RUNNER) 宇宙映画としては取り上げてない。未来SFってことでなんだろうけど、レプリカントって宇宙殖民用に開発されてるわけだし、これはぜひ入れたいということでランクイン。 ネクサスの死の意味についてはリドル・ストーリーとしても楽しめるね。
5,『怪獣大戦争』 ここらで日本ものを(^o^)。 『ガンマー第3号・宇宙大作戦』も『妖星ゴラス』も『宇宙大戦争』も『惑星大戦争』も『宇宙からのメッセージ』も蹴散らして、これをランクイン。 いや、そんな簡単にバカにしちゃいけませんぞ、ゴジラとラドンを宇宙に運ぶシーンのイマジネーション、アレがSFでなくてなんでしょうか。 侵略宇宙人は須らく「まだ見ぬ未来」に旅立ってほしいね。 6,光る眼(VILLAGE OF THE DAMNED) リメイク作品でなおかつ「面白かった」という稀有な作品。映画屋ジョンくん、侮りがたし(^o^)。 村へのラインを越えた途端に「ぱたっ」と倒れちゃうあたりがすごくセンス・オブ・ワンダーだね。 SFってワケわからんと仰る方は多いけど、「未知空間の恐怖」というオリジナル作のキャプションがその一端を示してますね。
7,ギャラクシー・クエスト(GALAXY QUEST) SFパロディはそれ自体、SFでなければならない。 『スペースボール』や『マーズ・アタック!』も好きだけれど、オリジナルの『スター・トレック』を軽く凌駕しちゃったということでこっちをランクイン。 『スタトレ』オリジナル版は悩んだ末に入れなかった。だって映画シリーズよりテレビオリジナルの方が面白いんだもの。
8,ヘリウッド ここで個性を出したからよかろう(^o^)。 多分、この映画を評価してるのは日本全国広しと言えど私くらいのものではないのか(^_^;)。 宇宙の侵略者、悪漢ダンスから美少年アップルくんを守るんだ美少女探偵団!……という話だけど、まあ侵略SFとは名ばかりひたすらエロでグロでスカトロで下品な映像の連続。これ見てて楽しめる人間は神経がどうかしてるね♪ でもセーラー服の三人娘、斎藤とも子・青地公美(眼鏡っ子だぜい)・羽仁未央(太めなとこがかえってイイ)はかわいかったし、若き日のデーモン小暮閣下の美少年ぶりを楽しむのも一興。ともかく私ゃデタラメなら徹底的にデタラメにしてくれた方が大好きなんです。 ちなみにこの日記の投票ボタン、「投票投票投票……投票!」ってのは主演の遠藤賢司の歌『東京ワッショイ』のモジリです。誰も気がつかなかったでしょうが。
9.ジュブナイル 子供に見せられる健全なSFを一本も入れてないことに気づいて慌ててランクイン(^_^;)。 藤子・F・不二雄系ということで言えば、オリジナルの藤子アニメ、『ドラえもん・のび太の宇宙開拓史』や『21エモン 宇宙いけ!裸足のプリンセス』などをランクインさせるべきかもしれないけど、今回はアニメは割愛。アニメ入れ出したら、半分以上がアニメになるから。 10,宇宙戦争(WAR OF THE WORLD) 古典を入れるとしたら、やはりジョージ・パルのこの一本。 火星人がタコ型でなかったのが残念だったけれど、もし原作通りにタコにしてたら『ゴジラ2000』みたいに叩かれてたのか? ……んなワケないな(^o^)。
次点,スターウォーズ/帝国の逆襲(STAR WARS EPISODE �后В圍硲邸。釘唯丕稗劭邸。咤圍劭稗烹釘咫。贈腺達法� 『スターウォーズ』シリーズがやっとすべりこみ。正直な話、おもしろかったのは、この一本だけ。ヨーダが初め全く「導師」に見えないってとこがこの映画のミソなのに、『ファントム・メナス』で堂々と出しちゃうんだものなあ。「『スターウォーズ』は映画ではなくてイベント」っての、結局は映画として評価されてないってこと、ジョージ・ルーカスはちょっとは考えてるんだろうか。
2001年05月10日(木) 仕事復帰、半分だけだけど/『× ―ペケ―』6・7巻(新井理恵)
| 2002年05月09日(木) |
明日は誰の夢を見るかしら(^o^)/『スーパーまるでん』3巻(森下裕美)ほか |
またヘンな夢を見た。 東京にチャールズ・チャップリンの家があるのだが、たまたまチャップリンが東京に帰ってくると言うので、仲間ウチで会いに行くことにする。 (チャップリン、もう20年以上前に死んでるんだけど) ついでにチャップリン秘蔵の日本の特撮に出演した美少年だけを集めたクリップビデオも鑑賞することに。 (なんでちゃっプリンがンなもん秘蔵してるのか。第一チャップリンはホモじゃなくてロリコンだぞ) そのウワサを聞いたソルボンヌK子さんが同行することに。 (おお! 昨日は唐沢俊一さんが夢に出て来て、今日はソルボンヌさんが! なんてゼイタクな夢!) けれど、チャップリンの家に来てみると、本人は留守。 慌ててスイスのチャップリンの本宅に電話を掛ける私。 チャップリンは流暢な日本語で「オウ、ゴメナサーイ、都合ガ悪クテ行ケナクナリマーシタ。ミナサンデ、美少年、楽シンデクダサーイ!」とか抜かしやがる。 (いい加減で夢だと気づけよ) チャップリンに会えないのは残念だったが、この際だからと、長年疑問に思っていたことを質問してみる私。 「アナタは、欽ちゃんを覚えていますか?」 (萩本欽一はスイスまでチャップリンに会いに行ったことがあるのである。でもなんでそんなことワザワザ聞く必要があるのか) 「欽チャン? 誰デスカァ、ソノ人。私、全然、知リマセーン」 あまりに長電話していたため、ソルボンヌさんが「まだなのっ!」と怒り出す。慌てて上映会を始めるが、時間が足りなくて、5分間しか上映できなかった。 しかも「美少年」とは名ばかり、ごくフツーの10歳くらいのガキンチョが三人、ヘッタクソな変身ポーズを取ってるだけ。 もう、ソルボンヌさんが怒るまいことか(^_^;)。 後日、ソルボンヌさん、日記で「有久の長電話のせいで、美少年ビデオが見られなかったのよッ!」と立腹されていたのだった。
……ツクってるとか思ってない? でもホントにこんな夢、見たんだよう。
夢の話をすると面白がる人と、つまらなく感じる人と、二通りに分かれるようであるが、要は語り口ではないのかな。 だいたいが「フィクション」自体が一つの夢ではないの。夢を面白く語れぬ人間は、「語り」そのものの才能に欠けると言ってもいい。……作家がよく「他人の夢語りは面白くない」と主張するのは「俺だったら、もっと面白く語るのに」という自負心の裏返しではないのか。 だいたい、夢語りはつまんない、なんて言ってたら、漱石の『倫敦塔』や『夢十夜』はどうなっちゃうのよ。幻想文学の傑作じゃん。 ……なんだか自分の夢語りを文学にかこつけて正当化しているように聞こえるかも知れないけれど、別に私は自分の夢が文学たりえると思って言ってるわけじゃないからね。
「夢」に関する誤解の一つに、「夢語りをすると気が狂う」というのがある。 誰だったかなあ、作家で「夢日記をつけてたら、一時的に気がヘンになった」とか発言してた人がいたよなあ。……夢枕獏か?(^o^) マンガ家では『ドリーム仮面』の中本繁が、やっぱり夢日記をつけてたせいで煮詰まっちゃったとかいうウワサがあったけど。 確実なのは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読んでたら、一時的にオカシクなっちゃった横溝正史。これは本人が対談で語ってたから間違いない。 けれど、どれだけそういった「実例」があろうと、それは所詮、ただの俗説、フォークロアに過ぎないんじゃないか。 いかにもマコトシヤカに言われているけれど、もともと作家やマンガ家は自らを狂気に置こうとしている面が大いにあるので、「夢語りをしたから」狂気に走った、というのは、いささか短絡すぎる結論のように思えるのだ。 「夢日記」がその作家に内包されていた狂気を誘発した可能性はあるとしても、「夢」を見ること自体が「狂気」であるとは言いきれまい。 一般人は、たとえ「夢日記」を毎日つけたって、「たかが夢じゃん」と思ってればれば、別に夢に引きずられたりする心配はないんじゃないかな。 現に私がそうだし(^o^)。 「夢と現実の区別がつかなくなる」なんて、そうそう起こることじゃない。 確かに、夢の中での行為が「今朝は目玉焼きを食べた」とか、現実にあってもおかしくないことならば、錯覚してしまうことがあるかもしれない。けれど、たいていの夢は目覚めてみればあまりに荒唐無稽で、とても現実とは思えないものばかりだ。「今朝はアンモナイトの壷焼きを食った」という夢を、目覚めても「あれは現実だった!」と主張するヤツがいたら、そいつは夢を見る前から気が狂ってるよねえ。 まあ、私が生前のチャップリンとマブダチだったってのは本当だが(^o^)。
……いや、本当にソルボンヌさんにお会いしてみたいね♪ 多分とってもステキな方だ。口はすごく悪そうだけど。
相変わらず、いろんな会議が長引いて、駐車場でしげを待たせてしまう。
……「矛盾」という成語のもととなった故事はみなさんご存知であろう。 出典は『韓非子』中の『難一篇』ないしは『難勢篇』である。 「楚人に楯と矛とを鬻(ひさ)ぐ者あり。 これを誉めて曰く、『吾が楯の堅きこと、能く陥(とお)す莫(な)きなり』と。 又、その矛を誉めて曰く『吾が矛の利(するど)きこと、 物に於いて陥さざる無きなり』と。 或る人曰く『子の矛を以って、子の楯を陥さば如何(いかん)』と。 その人、応(こた)うる能(あた)わざるなり。」 さて、私はこの「楚人」が、大店の丁稚であったろうと考える。 因業な主人から、いい加減な職人が作った「能く陥す楯」と「陥さざる矛」を売ってこいと言われて、この丁稚は途方に暮れたのだ。 自暴自棄の余り、丁稚は全く逆のことを言って、売ろうとした。 結果、見物人に突っ込まれてしまったのだ。 「そんないい加減なものは売れません」と、初めに主人に言えばよかったのか? たかが丁稚に、どうしてそんなことが言えるだろうか。 けれど、彼が毎日毎日、「能く陥す楯」と「陥さざる矛」を売ってこいと言われ続けたら? それこそ、自分の「矛盾」が世間に周知の事実となってもなお、その「矛盾」を売れと強要されたら? どうせ誰も買わないものを、ウソをつき続けてまで売る必要が、果たしてあるのだろうか。
……何の話をしてるかって? だから、タトエばなしですよ(^o^)。
晩飯はしげと一緒にマクドナルドのマックリブセット。 しげはコーラで私はクー(白ブドウ味)。お茶にしようかと思ったのに、珍しい飲みモノに惹かれてしまった。せめて充実野菜にすべきだったか。 以前はハンバーガーチェーンの中で一番マズイと思っていたマクドナルドだけれど、最近はマックリブだのベーコンレタスバーガーだの、まあ、食べて損した気分にならない程度のものが見受けられるようになった。 でもよくわからんのは、あの「マックスター」ってヤツである。 「スター」ってなんだよ、星でも食わすのか。 私にはあれがただの「ダブルバーガー」にしか思えないのだが。
帰宅して、久しぶりにアニメ『七人のナナ』第18話「雪降る告白? ナナとみんなの Happy X'mas!」 を見る。 世間はクリスマスムード一色。……って、おい、世間はすっかり春なんだけど。もう、ドラマ上の時間の流れと、現実の時間とに齟齬があっても気にしないってことなんだろうな。それはそれで潔くはあるけれど、やっぱり少し違和感はあるな。再放送だと気にならないんだけど。 受験勉強でクリスマスどころじゃないナナに、ほかのナナたち、せめて何かプレゼントをしようとアルバイトを計画。 けど、学校は当然「アルバイト禁止」なわけで……。 ……ああ、しばらく見てないうちに、作画レベル、落ちてやがるなあ。 口パク多い……っつーよりキャラ自体歪んでるし。後半、少し持ちなおしたものの、ナナレンジャーって設定でアクションを見せないんじやしょうがないじゃないのさ。1話1話のストーリーの構造が同じになっちゃってるのも、飽きが来る原因だろうなあ。 なんだかいかにも女の子の、ロマンチックに明日を夢見てって結末にしてるけど、受験ものをそんなオブラートに包んだような描き方してもなんか偽善ぽくってね。所詮は「また一歩野望に近づいた!」って『野望の王国』と同じ構造してるてのによ。
8日午後2時、北朝鮮からの亡命者と見られる五人家族が中国・瀋陽の日本総領事館から、中国の武装警官に連行されるという事件が起きる。 ……マスコミの論調、またぞろ「日本の危機管理の無さ」ってことになるんだろうなあ。 もちろん、それは当たっちゃいる。 日本の危機管理はなってない。 けどね、マスコミが言ってる、その「危機管理」ってヤツ、十中八九、意味を勘違いしてると思うんだよね。 あるいは、そこには微妙な「ズレ」がある、と言うべきか。 つまりさあ、あそこでぼーっと、コトのなりゆきを傍観していた総領事館員たちの姿を見ながらさあ、「日本人は何をやっとるんだ」とか、「いざというとき、ああいう職責のある身の人間が、本当に同朋を守ってくれるのか」とか、果ては「だから日本人はもっと愛国心を持たなきゃならない」とか、そっちのほうにズレていっちゃうコメンテーターが増えるんじゃないかってことなのね。 そこまで行かなくとも、あの連行されてく子供の映像に、「ひ弱な自分」を重ね合わせて「カワイソウ」とか考えるヤツ、いくらでも出そうだよね? でもね、ここで問題にすべき「危機管理」ってのはさ、亡命者が北朝鮮の人間だったとしてだよ、「日本に他国からの亡命者がきた場合、それを認めるべきかどうか」「認めたとして、彼らの命を日本はきちんと守れるのかどうか」って問題だけなのよ、実は。 あの亡命者たちに「日本人」を重ね合わせるなんて、「ズレ」以外のナニモノでもない。まずあの五人をやすやすと領事館内に入れたってことの方が、問題なのではないの? まかり間違って、アレが北朝鮮のスパイだったらどうするのよ(^_^;)。 中国の警察官をやすやすと入れたってことより先に、別に武装警官でもない民間人を入れちゃったことの方をもっと問題にしなきゃならんのじゃないか?
小泉首相、さっそく中国の対応に遺憾の意を表明したらしいけど、本気かねえ? 政府としてサテ、どこまで本気でこの事件に対応するつもりなのか。マスコミはともかく、世論はまず動かないと思うんだけどね。 「どーせお隣り同士のイザコザじゃん、ほっとけほっとけ」とか言ってね。 ……アノね、日本人ってね、日本人の血を引いてるフジモリさんは守るけど、北朝鮮の人間を中国から守ってやろうなんて発想はないのよ、全く。ココロ狭いんだから。 本音では、多分、多数の日本人が、連行された五人がどうなろうが知ったこっちゃない、って思ってるのである。クソの役にも立たない日本を亡命先に選んだ時点で、アンタそりゃ自分から命捨ててるよ、って笑ってるんじゃないか。 で、世論の後押しがなけりゃ何もできない(とゆーか、世論の後押しがないことを理由に何もしないでも政治家でいられる)日本の政治家には、本気で取り組むには、ちと荷の重い仕事だと思うんである。 まあ、三ヶ月でウヤムヤになる、に5千点(^o^)。
マンガ、森下裕美『スーパーまるでん』3巻(完結/集英社/ジャンブコミックス・デラックス・630円)。 あー、森下さん、こんなのも書いてたっけ。 どーしょーもない人間たちを描かせたら天下一品の森下さんだけど、これはまたスゴイ。何しろ感情移入できるキャラが殆どいない。ヤクザだったり怪力ブスだったりゲスだったりイヤミだったり。ある程度かわいいキャラ入れて毒を緩和してたのに、『まるでん』ではもー、一切、客に媚び売ってないって感じか? 3巻で終わったのも宜なるかな。 でも、何かこっちのマンガの方が「狙ったような」『コマゴマ』より、ずっと「森下さんらしく」見えるのも事実なんだけどね。
2001年05月09日(水) 病気で寝ててたいして書く事ないはずなのに(^_^;)/『死神の惑星』1・2巻(明智抄)
| 2002年05月08日(水) |
ピンクの象は出て来ません/『ホーリーブラウニー』1巻(六道神士)ほか |
ヘンな夢を見た(また夢の話かい)。 とゆーのが、私はジブリ美術館で宮崎駿の新作アニメを家族10人で見ているのだが(しげしかいないだろうと突っ込まないように。夢だから後の8人が誰かなんてわしゃ知らん)、ふと気づくと、私の後ろで唐沢俊一さんが一緒に映画を見ているのである。 なんでこんなところに唐沢さんが? と思ったら、突然、前の席の方で、○○○○らしい人が「ううううう」と言って倒れてしまったのである。 私が慌てて立ちあがると、横をすりぬけて唐沢さんが介抱に行かれた。 それを見て私は、「そうか、唐沢さん、薬局の跡を継いだのだなあ」と考えていた。
続きがあったような気もするが覚えているのはこれだけ。 なんでわざわざこんなこと書いたかと言うと、私の夢に唐沢さんが出て来たのが初めてだからだ(そんな理由かい)。 つーか、有名人が出て来ること自体珍しいんだよな。私がファンな人は数多いが、藤子・F・不二雄も金城哲夫も江戸川乱歩も横溝正史も筒井康隆も平田昭彦も天津敏も岸田森も……おっと、気がついたら男しか出してない(^_^;)、クラウディア・カルディナーレもロッサナ・ポデスタも(いきなり外人かい)、原節子も高峰秀子も八千草薫も(トシはいくつだ)。み〜んな、夢に出て来た事なんかない。 ウルトラマンやゴジラやガメラだって、数えるほどしか出てきてないんじゃないか。 それがいきなり唐沢さんだものなあ。しかも一番似合いもしないジブリ美術館(裏モノ日記を読む限り、行かれたことはないように記憶する)。先日、私がジブリ美術館に行ったとき、「こんなところに唐沢さんは来ないよなあ」と思ったことが夢のキッカケになってるんだろうけど。 フロイト読んで以来、私は夢分析ってのが「後付けの詭弁」としか思えないので、私のリビドーがどんなものなのかわからないし気にもしてない。深層意識の表れには違いないだろうけど、夢分析が実生活でホントに有効なものとして機能してるかと言われれば「占い程度?」としか思えない。 しかし世の中には、いかにもこの「夢」ってヤツに過度の信頼を寄せている御仁が結構いらっしゃるのである。「夢を分析すれば全ての人間の秘密が解ける!」みたいなね。ヒトゲノムか(^_^;)。 で、精神科医でいかにも「フロイトの子ら」って感じで狂信的にハマってる人、いるらしくって、これがどうにも眉唾。人間の行動、全て「リビドー」で見ようとしてるらしいのね、未だに(さすがに少数だそうだけど)。偶然でもそーゆー医者にかかりたくはないわなあ。 精神病患者に対する偏見を助長しているのに、フロイトやユング自体がそもそもトンデモさんだったせいもあると考えちゃマズイかな。
夢を見たせいではないだろうが、体調を崩して仕事を休む。 有給が半年にして残り少なくなってきてるので、休みたくはなかったが、便が水だ(-_-;)。 風呂に入って腹を暖め、昼はひたすら寝て過ごす。
アニメ『ヒカルの碁』第三十局『緒方VS本因坊』。 ああ、この辺の話はすごく好きなとこだ。 学生三冠の門脇がヒカル(実は佐為)にやられるところも好きだし(でも、このエピソード、門脇を再登場させないと余り意味ないんだけどね)、なんといっても、緒方と桑原のジイさんの応酬! ……ここで初めて、桑原本因坊が「食えねえジイさん」だってことが読者にも分ったんだよな。いやあ、原作以上に憎々しげな顔してくれてるよ、この猿ジジイ。 しかも緒方と桑原の声優って……藤原啓治と納谷六朗!? ひろし(しんのすけのとうちゃん)と園長先生のバトルってか!? まさしく、新旧の実力者同士の丁々発止ではないの! ……納谷さん、最初はイマイチ本因坊ってキャラじゃないかな、とか思ってたんだけど、いや、あんなクソいまいましい喋りかたしてくれるとはねえ……。 いや、感服いたしました。
原やすみ(好美のぼる)『UA!ライブラリー・1 奇形児』(日本貸本漫画保存会・同人誌なので値段忘れた。700円か800円?)。 ソルボンヌK子さんプロデュース&ツッコミの貸本マンガ復刻シリーズの第一冊。シリーズタイトルの「UA!」って、「ユーエー」と発音するんじゃなくて、「ウアッ!」って叫び声だったんだね。好美のぼるさん、男にも女にもこんな叫び声を上げさせてるんである。 何度か好美作品もこの日記で取り上げてはいるんで、そのキッカイぶりは今更説明するまでもなかろうが、これはまた一頭地を抜いている。抜いてるというか、抜き過ぎて昇天しているというか(^_^;)。ともかくもスゴイ。とてつもなくヘンなのだ。タイトル故に、これを一般書籍として売ることは到底不可能だろう。けれど、これが世間一般の人の目に触れないとは実に惜しい。読んでぜひとも驚嘆し激笑し、「ポカー」としてほしいのに(^o^)。 天神の福家書店でも、『うわっその子きれい殺す」とか、ほかの『UA!』シリーズは取り扱ってたけれど、さすがにこれだけは並べてなかった。……さもありなん。これはチト過激すぎるものねえ。
妊娠中の母親がサリドマイド錠を飲んでいることを知って、それを取り上げる娘の博子……という展開と、タイトルの『奇形児』から、読者の誰もが一瞬、「ああ、この母親はサリドマイド児を生むのだな」と思うだろう。 もしかしたらこれは「スリラー」に名を借りて、公害を告発する意図で書かれた物語か? と予想する向きもあろう。 ところがこの前振り、本編の展開と何の関係もないのである!(°θ°;) ナニー!? 確かにあとで奇形児は生まれるのだが、まず「変貌」を来たすのは姉の博子。突然、右手が縮み始めるのだ。次には左手、右足、左足……最後に彼女は江戸川乱歩の『一寸法師』のような姿に……(モトネタはその辺だろうな)。 いや、何がスゴイって、その変貌が「怖くない」だけならまだしも、その展開の合間にやたらポエムが差し挟まれてさあ(^o^)。 「どんな 美しい洋服を 着ても どんなにお金が あっても この右腕は もとへは もどらないのよ あたしの これからは 何うなるの…」 少なくともこんなポエム作ってられる状況じゃないと思うんだが(^_^;)。 「やがて左足も ちじんで行くだろう それでいいのよ みんなちじむと いいのよ 義手も 義足も いらないわ あたしはあたしの このままの姿を 見つめていたいの」 なんだかメロディーつけてあげたくなりますなあ(^o^)。 ともかく、だんだんヤケになっていく博子のトッピな行動がナントモ。 「両腕がなかったらホントによく回るわ!」とか言っていきなり踊りだしたはいいものの(何がいいものなのか)、見事にコケて「起きられない!」とか言ってるし。これは悲しいシーンなのか笑うシーンなのか。判断に迷うというか判断すること自体を拒否されてるような。 で、ついに気が狂って、キャバレーの見世物になってしまう博子。……って、いくらなんでもアンマリな展開じゃありません? フリークスは見世物に、というのはもしかしたら、トッド・ブラウニングの『フリークス』にあやかっているのかも。だとしたら好美さん、ご自分の尊敬する先行作品を、キチンと踏襲しようとマジメに考えていたのかな……。なわけないよな(^o^)。 で、肝心の赤ちゃんはどうなったか。 誰もが予想するとおり、博子と逆に、「手長足長」の姿で生まれて来たのでありました。どこぞの妖怪画を見て発想したのかもね、この物語。 さて、この奇形児二人の織り成すドラマの結末やいかに! ……って、え?(・・;) あー、これから先は、何とかしてこの本を手に入れて、ご自分の眼で確かめてみてくださいね。 同時収録の旭丘光夫の『火葬』も、相当トンデモです。
マンガ、六道神士『Holy Brownie ホーリーブラウニー』1巻(少年画報社/YKコミックス・520円)。 妖精の種類は数あれど、ブラウニーは最も有名なものの一つだろう。 キャサリン・ブリッグズの『妖精 Who's Who』によれば、ブラウニーはホッブゴブリンの一種とか。無骨で毛深い小人だけれど、ほんの少しの報酬で、喜んで働く。けれど、その姿を見られることを絶対に許さない。人間がそのルールを破ると、かえって不幸が訪れる。 けれど、ボギーやボーグルのようなアンシーリー・コート(悪の妖精)と違って、基本的には気のいい妖精である。 六道さんはいわゆる「靴の妖精」としてこのブラウニーを描いているけど、靴の妖精は実はレプラホーン(レプラコーン)と呼ばれる種類。……妖精の世界もいろいろと「棲み分け」があるみたいね。更にグリム童話が英訳された時には、この靴の妖精は「エルフ」ってことになった。 ……何と呼ぼうが、どーでもいーよーな気もするよな。
さて、では、この『ホーリーブラウニー』、ステキな妖精さんのココロ暖まるメルヘンかというと……。 六道さんがそんな話作るわきゃないじゃん(^o^)。 いやもう、ひたすら下品の目白押しっつーか、どーして福岡出身のマンガ家って、小林よしのりといい、安永航一郎といい、六道神士といい、「下品」を売りものにしてくれるかね。福岡出身者としては肩身が狭いぞ……ってウソだけど。 ヘ(^ヘ^)(^ノ^)ノ ソレソレ♪ いやもう下品だろうが下劣だろうが、それが人間の本質ってもの。もうどんどんとことんおゲレツ道を突っ走ってもらいたいね、六道さんには。『エクセル☆サーガ』はまだまだオトナシすぎる。 いきなり第1話が19世紀だってえのに、超リアルな高性能ダッチワイフを小人さんたちに作らせる話だもんな♪ この開き直りかたがもう、嬉しくなっちゃう。しかも24世紀の技術使って作った「南極花子」ちゃん(おいおい)、縮退炉が暴走して、村の住人殺戮しまくったあげく、被爆させちまうし。 ヤッベーネタ!(^_^;) ……ヘタすりゃこれ、某団体から苦情が来たりしたらすぐ絶版になるかもしれないから、今のうちに買っとこうぜ、みんな。 で、このトンデモコンビの小人ってのが、片や伝統的かつメルヘンチックなお仕事を夢見るピオラと、正反対の超現実主義的かつ、お下劣の権化(しかも神様のお気に入り)フィオの、二人の「人形」。 そう、この小人さんたち、人形のカラダに神様から魂を吹き込まれたって設定なのね。つまり影の主役は登場しないけど実は「神様」(^o^)。 もうなんつーか、処女受胎もダイナマイトの発明もマンハッタン計画も、ぜーんぶ神様の思し召し……って、某宗教にケンカ売ってないか六道さん(^_^;)。あぶないネタ満載のこの一冊、世の良識嫌いのアナタには絶対のオススメです♪ ……ちょっとヘンなのは、単行本収録順序が、どうやら雑誌発表順序になってないらしいとこ。第四話の「永遠とは」が、どう考えても第二話だしなあ。特に理由がありそうな感じもしないから、もしかして単に間違えただけ?
2001年05月08日(火) 38℃線突破/『なみだ研究所へようこそ!』(鯨統一郎)
| 2002年05月07日(火) |
この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」 |
とりあえず、しげの足、跛は引かずにすむようになったようだ。 舞台でうまく演技できるかどうかは分らないけれど、少なくとも日常生活に支障はない。 「上から押さえない限り大丈夫」ということだけれど、スリッパはまだ履くと痛いらしい。それでも一応順調に回復しているようで、読者のみなさまにはご心配をお掛けしました。まだ医者からは「もしかしたら治ったように見えててもヒビが入ってるかも」と言われたらしいけど、気がついたらツイスト踊ってるから大丈夫でしょう。 「オレって意外と頑丈?」 とか言ってるけど、なんだかホントにしげって死なないような気がしてきたよ。
山本弘さんのHP、『SF秘密基地』の特別掲示板、相変わらずトンデモさんに荒らされている。 当たり前だけれど、トンデモさんは自分がトンデモさんだとは認識してない。 トンデモさんをトンデモさんたらしめる「トンデモ要素」ってのは、実は誰にでもちっとはあるんだけれど、そのことをしっかり認識してないと、「自分もまたいつトンデモさんになってしまうかも」という自分を客観視する視点が生まれない。 一見、頭よさそうで、日常生活でもごくフツーに見える人が、「それゆえに」トンデモさんになっちゃうってこと、あるんだよね。掲示板の書きこみを見てても、論理的な文章書いてるつもりで、「ああ、この人、自分に酔ってるだけだなあ」って人がもう集まってきてること(^_^;)。 余りにもトンデモさんの応酬が多かったのだろう、いちいち反論しきれなくなって、山本さん、『詭弁論理学』(野崎昭弘著)という本を紹介して、「トンデモ理論」というものが、どのように構成されるかを総括している。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/bookkiben.htm
この本自体は読んだことないんだけれど、本当に「人と会話した」経験のある人なら、いちいち頷ける事例がたくさん載ってる感じだ。私も「二分法」でやられること多いし(^_^;)。 その人の人格と意見の正当性とは別物ってこと、判断できない人間の方が世間にゃ圧倒的に多い。それこそ「論理的にものを考える」人間なんてこの世には存在してないんじゃないかって思えてしまうくらいに。 私もつい、「所詮、○○○って○○○だからな」みたいな言い方することあるけど、それが非論理的な物言いだってことは知ってて使ってますよ。会話するためには相手に「突っ込ませる」ことも必要な場合があるんで、ワザと穴を作ってるのね。会話が進めば、ちゃんと自己批判してます。 もっとも、そういうレトリックすら、「人を馬鹿にしてる」と勘違いされることもあるんで(会話シミュレーションで、あえていくつかのデータを無視して語ることはフツーなんだけどね)、最近はそれもしなくなった。実際、「会話のできる」人自体が年々少なくなってきてる気がしていて、もしかしたら私は将来誰とも語らず無言のまま過ごす老人になるのではないかと危惧するくらいだ(オマエにそれができるかというツッコミが聞こえてきそうだが)。
けど、ここで紹介されてる「小児型強弁」のタイプの人間ってホントに多いよなあ。
(1) 自分の意見がまちがっているかもしれないなどと、考えたことがない。 私もこう批判されること多いけど、たいてい、会話が進んで相手が反論できなくなって、こう言い出されること多いんだよな。「オマエ、自分がいつでも正しいと思ってるだろう」とか。負けそうになったからって、そんなこと言われても、私ゃ「そりゃオマエ自身のことだよ」としか言えないんだけどね。 私は自分の意見が「絶対に正しい」と思って喋ったことなんて実はない。 ある事実をもとに「仮説」を立ててるだけで、これは論理学の基本でもある。データが違えば別の結論が導き出されることもあるわけで、私ゃ、自分が勘違いしてるとわかったらすぐに訂正してるんだけどなあ。 でも、そうやって私が「あ、間違えちゃった。ゴメン」と引いてるときの記憶って、相手はたいてい忘れてるのな。で、自分か批判された時の記憶だけで「アイツはいつも自分の立場だけ強弁してる」と思いこむ。妄想ですな。 まず、会話を「勝ち負け」で判断してる時点で、トンデモさんだってこと。
(2) 他人の気持ちがわからない。 (3) 他人への迷惑を考えない。 これも、本人は「相手のこと考えている」気になってるのな、たいてい。 論争中は確かにこちらだって、相手の気持ちを考えてやる余裕がないことは多い。会議の最中、今、現実に討議すべきことがあるのに、遠慮ばかりはしてられないから。たとえ、論争の相手が常軌を逸していて、とても冷静に討議できる状態になかったとしても、批判しなければならないことは最低限しなければならない時もあるよねえ。 それでもこちらは自分の「引け時」くらいは考えて喋るけどな。 トンデモさんは、それ考えないで、どんどん理不尽なことを言い出す。こちらが困った顔してると「私を無視してるのか」なんて言い出す。 日常の会話だったら、「今はちょっと、時間がないから」とか適当なこと言って断れる時でも、会議だとそうもいかない。相手の不毛な説明や難癖が延々と続いていても、それ、ずっと聞いてなきゃなんない(-_-;)。 どーせーってんだろうね。 (4) 世間の常識など眼中にない。 「常識」という言葉使いたがる人間にかえって多いね、これ(^o^)。 現実には「常識」なんてものは、時代によって国によって文化的環境の違いによって、いかようにも変化するものだから、絶対的かつ普遍的な「常識」なんてものはないってのは「常識」だ(^o^)。 だから、実のところ、その「常識」という言葉を使う時には、それがどの程度社会的に通用するものなのかどうか、やはりデータをきちんと解析した上で考えていかなきゃいけないんだけれど、「常識だろ? そんなの」と言いたがる人って、余り考えてない場合が多いんだよなあ。 だから、「常識」という言葉を使う時には、その常識のバックボーンが何であるかを明確に示さなきゃいけないわけだ。 「ミステリーを人に紹介する時には、トリックや犯人をバラさないことが常識」とかね。限定された状況でなきゃ、この言葉、使っちゃいけないとか、これも人と話した経験があれば、先刻ご承知のことなんだけどなあ。 この常識が通じないヤツ、多いよ。
(5) 自分が前に言ったことさえ忘れてしまう。 それだけならまだしも、記憶を捏造するヤツもいるし。 ここまで来ると、ホントに会話が出来ない。 「オマエ、前にそう言ったろ」 「覚えてない」 だもんな。で、こっちが言ったことだけは曲解して覚えてるし。 「オレ、もうオマエとは会話せんわ」という結論を私が出したとして、誰が私を責められようか。
で、この(1)〜(5)の条件にバッチリ当てはまってる例が、この十年、私のウチにいるのです(^_^;)。「アンタのモノイイって、人を鼻で笑ってるように聞こえる」とか文句言ってるけど、自分がトンデモさんだって自覚、持てよな。 身近に実例がいるだけに、山本さんのご苦労はイタイほど察せられる。 「柳田理科雄の人格まで批判するのはどうか」とか言って、不快感を表明する人は多いけど、「柳田理科雄に科学的文章を書く才能がない」というのは冷静な分析結果による「批判」であって、ただの「悪口」ではない。「不快感」を示しているほうこそ、非理性的な感情を発露しているだけの「難癖屋」なのだ。 どんなにコトバが悪かろうが、根拠が広範囲なデータをもとに示されていれば、それは純粋な批判たりえるってことが分ってないのだな。そんな人間が多いってのも、「仲よきことは美しきかな」って美徳が歪んだ形でこの国に根差しちゃってるからなんだねえ。もう冷静な批判だろうがなんだろうが、「人のことを悪く言うのはよくない」と思いこんでる。で、そんなやつに限って、自分が同じことしてることに気づいてない。「ケンカが嫌い」と言ってるやつが率先してケンカしてどうする(^_^;)。 もちろん、批判の前提となっているデータに漏れがある可能性は常にある。山本さんを批判するなら、見逃しているデータを見つけ、それを指摘するだけで充分なのだ。 トンデモさん、ホントに狭い範囲のデータだけで、鬼の首でも取ったかのように批判するからなあ。 けれど、山本さんも覚悟の上でHPを開いたんだろうからなあ。たとえ、一人のトンデモさんをつぶしても、第二、第三(既に第百以上になってる気はするが)のトンデモさんは現われるだろう。今後も山本さんの苦労は絶えないものと推察する。 私には「がんばってください」としか言えない(^_^;)。せめてシロウトが不毛な書きこみはしないように気をつけるくらいの謙虚さは持つようにしましょうかね。
アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」。 初めて見たけど、OPには素直に感激しましたね。 音楽もいいし、演出もいかにも「歴史モノ」って感じで壮大な雰囲気だし。 脚本が會川昇、キャラデザインが山田章博ってのも「おお!」と思いましたからね。あの独特のラインをどうアニメにするのかって、否が応でも期待が盛りあがろうってもんじゃありませんか。 で、本編。 ……山田章博じゃないじゃん(-_-;)。 作画監督は田中比呂人か? 『キイ』の時のキャラのまま、山田章博やってどうすんだよ。アニメ創世記ならいざ知らず、イマドキゃ、原作の絵柄を忠実に再現できるアニメーターだって増えてきてるってのに、どうして山田絵を再現しようとしないか。 いや、テレビシリーズでそれだけ手間かけるのムりだってことは分ってるんだけどねえ。ちょっと期待が膨らんじゃった分、落胆も大きかったのよ。 筋は途中から見たんでまだよく分らん。 しげが原作を全部買ったのはいいものの、そこいらに適当に置いてくれてるからなあ。1巻どこにあるんだよう。
しげは今日も何やら練習らしい。 大詰めでちょっと煮詰まってるか? 『十二国記』を見終わったちょうどそのとき、しげから電話がある。 「父ちゃんへの土産、もう持って行った?」 「いや、まだだけど。どこに置いてるんだよ」 「風呂場のノブに袋に入れて下げてるよ」 なぜ風呂場に? 今更、そんな常識的ツッコミをしたって、意味ないので、やり過ごして「メシはどうする?」と聞く。 「『五風』に行く!」 ……あー、もう、「肉」に関するツッコミもしない。某所で「肉しか食わないヤツ」と感嘆されたしげだ。もはやこれはしげにつく冠詞であろう。「肉好きしげ」、略して「肉しげ」。おお、ちゃんとシャレになっている! ……このままだと私もコワレそうなので、しげの帰宅を待って、父に東京の土産を持っていく。
『五風』で焼き肉、今日はメニューにサザエの壷焼きがあったので、頼んでみる。……ハッと気付いたけど、ツボ焼き食うの、これも20年ぶりくらいじゃないか? 中学か高校の頃、呼子で炭火焼きしてるの食って以来って気がする。 ガスの火で食うのは味気ないけど、垂らした醤油の匂いがプンと漂うのはいいなあ。 帰り道、本屋に寄った頃から、土砂降りの雨になる。
夜中も11時を過ぎて、いきなり鴉丸嬢、其ノ他君、C−1こと藤田真也君、公演の打ち合わせに来訪。 来た者は断れないけど、ちったあ時間っつーものを考えろ……って公演が近いとそうも言ってられないんだよなあ。今日は早寝しようと思ってたのに、そうもいかなくなってしまった。 それにしても藤田君と会うのは一年ぶりくらいである。 「やあ、いろいろ噂は聞いてるよ」 「え? 何の噂ですか?」 「○○○○で○○○○して、○○○○になっちゃったとか」 「どこからそんな噂が!」 「私から」 とりあえず生きちゃいたか。早いとこ○○○○○(しかし伏字多くしなきゃならないような生活してるんじゃないよ)。 公演には仕事で来られないそうだけれど、リハには来るそうである。何か役割があるのかどうかは知らないが。 舞台で流す音声の収録を始めて、私にも協力を依頼されるが、体力がないと断って寝る。藤田君が何やら叫んでいたが、これで藤田君も一応、出演したことになる。……とゆーと、藤田君のウチの公演連続出演記録も未だに途切れていないことになる。 藤田君のウチでの演技力は、一番ヘタというのが衆目の一致するところなのに、運がいいような悪いような。
夜食にレトルトカレー。 レトルトでも、すき焼きのタレと醤油と牛乳をちょっとずつ混ぜて(たくさん入れると水っぽくなるので注意)焦がすと、メチャクチャ美味い。 みなさんも、ぜひ、おためしあれ。
2001年05月07日(月) フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか
| 2002年05月06日(月) |
やっぱり類友(^_^;)/DVD『シティボーイズライブ』/DVD『ブギーポップは笑わない』ほか |
GWの連休最終日。 チマタでは博多どんたくとかもあってたらしいが、知らん(^o^)。 もう今日は一歩たりとも外には出ないぞと決めて、昼間はひたすら寝る。
夕方からDVDでシティボーイズライブを通しで見る。 『真空報告官大運動会』以前の舞台はDVD化されていないので、これから見始める人にはいささか不親切だ。 それ以前の舞台を見ておかなければ分らないギャグが随所にある(『恋人たちのリス鍋』は、『恋人たちのゴム脳』を見ておかないと唐突に見えるし、『走る男たち』も、『Not Found / 非常識な青空』中のスケッチの続編)……というか、これがシティボーイズ+中村有志+いとうせいこう+三木聡(演出)の集大成かつ頂点を極めているからだ。ここから見るとかえって「ついて来れない」部分があって、楽しみにくいのである。 シティボーイズライブは、ここで一端転換を迫られることになる。大竹まことが「今年で最後」発言を繰り返すようになるのもこの頃からだ。 『夏への無意識』、シティボーイズのみの舞台。原典回帰、ということで、シマリのいいスケッチが多かった。 『ウルトラシオシオハイミナール』。 野宮真貴(ピチカート・ファイヴ)と本田久就がゲスト。ちょっとスケッチがお三方と噛み合ってない印象。どうして『まぬけの殻』が収録されてないのだ。 『シティボーイズミックス ラ・ハッスルきのこショー』。 演出の三木聡さんが降りる。新しい演出は坪田塁。しかし、中村有志といとうせいこうが復活した。けれど、究極の名スケッチ『ラ・ハッスル智恵子ショー』が放映&DVDに収録されていないのは、今でも痛恨。 斉木しげる指揮、いとうせいこう・きたろうアカペラによる伴奏と、大竹まこと(高村光太郎)の詩の朗読が、ぶつかり合うようなアンサンブルを見せる中、ベッド上の中村有志(高村智恵子)が、桜の舞い散る中、踊り撥ねるというモノスゴイスケッチ。精神障碍者に対するサベツが問題だってんだろうけど、そうやって障碍者を特別視する方がサベツなのになのに。 ……とかなんとか考えながら、始終ウトウト。
夜、8時を過ぎて、しげ、つぶらや君を連れてくる。 いきなりテレビデオを運んで来たので驚く。 私「……どしたの、それ?」 しげ「練習に使ったんだよ」 そう言われれば、寝室に置いてあったウチのテレビデオだ。 私「よく運べたなあ、それ」 つぶ「ベランダ通したんスよ」 私「ベランダ通したあ?!」 一瞬、ベランダから地上へ(ウチはマンションの三階である)、ヒモか何かで吊り下げて降ろしたのかと思ったがそうではないらしい。寝室の入口にモノを積み上げていて通し難くなっていたので、いったんベランダに出して、それから居間に入れて、出したとか。 ……そんな手間かけるより、入口の荷物どかした方が早かったんじゃないのか。 私「で、なんでテレビデオなんか持って行ったんだよ」 しげ「みんなで、演技の様子をテレビで見たかったから」 私「……ウチに連れてくればいいじゃん!」 しげ「だって、めんどくさいし」 私「練習場おカネ出して借りて、ただビデオ見てるだけって方がモッタイナイだろうが!」 演出がなんのためにいる。 クロサワじゃないが、「ビデオで自分の演技を見たいから」なんて抜かす役者には、「オレが見てるんだ、それで充分!」と言ってやりゃいいんだ。……第一、本番まで一週間切ってるんだぞ。今更もう、ビデオ見て演技プラン立ててる時期じゃなかろうに。
それでも、今度の舞台練習、しげも様々なパターンを試みて、よしひと嬢を笑わせているらしい。 「つぶらや君、テレビ運ぶためにわざわざ来たの?」 「ゴロちゃん(つぶらや君の愛称)、公演会場の照明プランの、ファックスが届くのここで待つんだよ」 察するに、つぶらや君のウチにはファックスがないらしい……って、もしかしたら、あるのはウチとよしひと嬢のところだけじゃないのか。全く、ローテクな劇団(^_^;)。 「食事はどうするんだ?」 「『ジョイフリャー(しげは「ジョイフル」をこう発音する。「仮面ライダーブイスリャ〜!」のノリらしい)』でいいかな?」 「ファックス待つんじゃなかったんかい」 「すぐには来ないから、今のうちに食事するんだよ」 本当は日記を更新したかったのだが、つぶらや君ともまだそんなに話したことはないし、せっかくの機会だからと、つきあうことにする。 演劇の経験がどの程度あるかと聞いてみると、どこぞの地元劇団の幽霊メンバーらしい。板の上に立ったことは、高校のときだけ、ということであるが、それでもウチでは充分な経験だ(おいおい)。 経験の多寡は、実のところ演劇の才能にはあまり関係がない。 基礎的な訓練が不必要だと言いたいわけではないが、初舞台で天性の才能を発揮、というのは演劇の世界ではよくあることだ。要は「カン」なのよね。 会場との折衝も担当しているそうで、「胃に穴が空きそう」とホントに顔を歪めているが、当日になって倒れなきゃいいが。
しげのロドリゲス(車のこと)、後部座席をフラットにして大道具を詰め込んでいるので、一人はその隙間に入り込まなきゃいけない。 つぶらや君をそこにはめ込んじゃうのは申し訳ないので、私が乗りこんだら、つぶらや君、「ホントはそっちのほうに乗りたかったんですけど……」と残念そう。……コイツもちょっとヘンなところがあるなあ(^_^;)。
ジョイフルで、しげがトイレに入っている隙に、練習の様子をつぶらや君に聞いて見る。 「……あいつ、足、ムリしてない?」 「してます。本人は『平気だ』って言ってますけど」 荷物も自分で運ぼうとしたがるらしいし、自分の立場を考えてない。 でも、周囲がしげを止められないというのもわかる。 普段の生活は、運動神経も悪いし、とっさの反応だって鈍いくせに、人の油断をついてチョロチョロっと動くのだけは抜群にウマイのだ、しげは。つーか、運動準備ってのがないので、いきなり動き出すのな。こちらの予想がつかないことをいきなりするのである。 こうなると、もう、足のケガが悪化しないことをただ祈るばかりである。
トイレから戻ってきたしげ、唐突に「ゴロちゃんにオタクをレクチャーしてよ」と言い出す。 何のことかと思ったら、舞台でアドリブでオタクな会話をしなきゃいけないんだけど思いつかなくて困ってるとか。 「オタクな会話って、例えば、“今度の『ガオ』さあ、敵にセクシー系と萌え系揃えるっての、いかにもでアザトイよなあ。でも実はオレ、ちょっと『萌え』好き(はあと)”……とか、こんなんでいいのか?」 と、思いつきで言ったら、つぶらや君に「おお!」と感心される。そんなたいしたもんかい、これ。ともかく古いネタは入れないように、とだけクギを刺す。旬でないネタは舞台上ではかえってアザトク見えるのだ。
私はコロッケと焼肉定食、しげはハンバーグ、つぶらや君はカレーみたいなの(忘れた)を注文。 「チキン南蛮がメニューからなくなってる〜。ジョイフリャーに来る意味がなくなった〜」とベソかくしげ。ジョイフルはチキン南蛮一つで持ってるってか。単に自分が偏食なだけだろうに。
帰宅してもファックスとやらはなかなか来ない。 しげは殆ど寝てなかったらしく、ダウンして寝息を立て始める。 ずっとつぶらや君を待たせたままなのも悪いので、「何かDVDでも見る?」と誘う。 「じゃあ、『ブギーポップ』を……」 ……うっ。もしかして「オタク演技が出来ない」とか言っときながら、それってフェイクか?(・・;) しげの話じゃ、「役の上ではオタクでも、本人はそんなことない」ということだったが、やっぱり「類友」だったのか? (((((((`◇´;)サササササッ……。
まあ、リクエストがあったなら仕方がない。 まずは劇場版のDVD『ブギーポップは笑わない BOOGIEPOP AND OTHERS』を掛ける。 一部のキャストや脚本、演出に瑕瑾はあるものの、ライトSFファンタジーとしては、なかなかいい出来だし、映像・構図、ともに凝っている。 見返してみて、最初劇場で見たときは「ちょっとアレはどうかな」と思っていた「宇宙」のシーン、それほど違和感なく見られた。 間を置いているとしても、二度見てそう退屈しないということは、結構いい出来なんじゃないか、この映画。 末間和子と新刻敬の俳優は、今でも逆の方がよかったと思うけれども。 つぶらや君、「宮下桃花がいいっスねえ!」と感嘆している。 確かにこのときの吉野紗香、『タオの月』の時よりずっといい。もう二度とこんな名演は見られないのではないか(^o^)。
続けて、続編のアニメシリーズ『ブギーポップは笑わない BOOGIEPOP PHANTOM』を第一巻から見せる。 「やっぱり霧間凪はロングヘアーがいいっスね!」と、紛う方なきオタク発言。……やっぱり類友(-_-;)。 つかれたので、つぶらや君に残りのDVDを渡して先に寝る。時間はもう1時過ぎ。結局、ファックスが来たのかどうか、私は知らない。
2001年05月06日(日) 襟足に寒気/『仮面ライダーSPIRITS』1巻(村枝賢一)
| 2002年05月05日(日) |
トンデモさんの系譜/『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(山本弘)ほか |
しげの足、「圧迫されなきゃ大丈夫」と本人は言う。 整形にかかるの連休明けだからな〜。それがホントならいいんだけどな〜。
「日本人のメンタリティは、戦前から変わっていない」とは、『人生は五十一から』で、小林信彦氏が語っていることである。 戦後生まれである私が「戦前」がどうであったか、ということを語ることはまさしく愚挙ではあるが、「戦前を知る人」(ま、私の亡母なんだけど。実は小林さんと全く同い年だ)の言をモトにして考えることはできる。 「敗戦によって、日本人や日本の社会が完全に一変したというのはフィクション」=「大衆は権力者に常に騙され、大新聞とテレビが権力者に寄りそう」というのはまさしく母の意見とも一致する。変わったのは表面的な「マスコミの意見」であって、日本人の「中身」ではないのだ。 「大衆操作なんて簡単だよな」とは某氏の言葉であるが(この人の本音だろうけれど、公共の場での発言とは必ずしも言えないので、名を秘す。でも誰のことか分る人も多かろう)、実際、権力者に「洗脳」されているのは宗教がかった人々ばかりとは限らない。カリモノの意識を持ち、それを自らの意志と錯覚して生きている人は確かに数限りなく存在するのだ。 まあ、いわゆる「トンデモさん」ってヤツね。 「別にそんなヤツほっとけばいいじゃん」と言われりゃ、その通りであるのだが、だって向こうから絡んでくるのだもの(^_^;)。しかも困ったことに、そういう「トンデモさん」が生まれてくるのは、その人本人に責任があるとは限らないところだ。言うまでもなく、戦前において、そういった「トンデモさん」を世間に排出させたのは、「国家」による「洗脳」だったからである。 見えざる「洗脳」に対抗するには、無責任だろうが何だろうが、小林さんのように、今、ここで考えていることをただひたすら書いていく、ということでしか対抗できない。それは必然的に、既存の価値に対する、悪口、愚痴、揶揄、罵詈雑言、という卑俗な形を取る。卑俗にこそ、実は大衆のエネルギーが存する。それはまさしく無責任な「井戸端会議」であり、「床屋政談」であるわけだ。私が政治についてマジメに発言してないのも、そんなことしたって何かが変わるわけじゃないからなのよ。しちめんどくさいこと言うより、「あの総理アホか」という声が大衆間に高まれば自然に結果に表れる。それを少なくとも「マスコミ先導にしない」ことが重要なのよね。 そのことをまあ、「無意味にこそ意味がある」とか「意味がないほどいい」とかいうイディオムで表現してるんだけどね。 「無責任な書き散らしをしたいんだったら、『2ちゃんねる』に行け」とも言われそうだが、発言自体は無責任であっても、パパッと書きこんだらいつでも「逃げ」が打てる匿名サイトには、私の文章はいささか長すぎるんでねえ(^o^)。 だからこそ、私自身の意見に対しても、批判もいくらでもどうぞ、というのがこの日記のスタンスなわけである。まあ、「覚悟」なんて言ったらカッコつけだけどね。
「ありふれた日常」を書く、ということを軽く考えている人は多い。自分の意見なんて、たいした知識を背景にしているわけでもないし、書いたところで「それがどうした」ってものにしかならない、と卑下している。 しかし、2ちゃんねるも含めて、ここまで巨大化したネット環境は、「洗脳」されている人間も、それに抵抗している人間をも全て包含し、その一つ一つの様相が今の「時代」の鏡となりえている。 非力な我々が「時代」と切り結ぶためには、まさしくその個々の「日常」をもって、「全体」を相対化する以外にない。……簡単に言っちゃえば、「挙国一致だ!」と言ってる連中がいくらいても「そんなんオレ知らんもんね」と言うヤツがゴマンといれば、戦争になんかなりっこないってこと。 小林よしのりはタクシーの運ちゃんが「自衛隊に入ってりゃ、いざというとき逃げられるよねえ」と愚痴ったのに反応して激怒したそうだが、実際に日本国民がみんなでこの国を脱出したら、そもそも戦争自体が成立しないじゃん(^o^)。 もちろん、「お国のために」戦う人はある程度は残るだろうが、逃げた人は日本が勝てば戻ってくりゃいいし、負けたら逃げっぱなしでいれば得なんである。それじゃ卑怯じゃないか、とか、残るものが馬鹿を見る、とか言われそうだが、そもそも「戦争」に突入しなきゃならないような状況を作り上げた責任がどこにあるのか、と言われれば、それは「国」にあるってのが当然の理屈。戦争を回避してもらうために選んだ政治家が戦争を始めたんじゃ、国民に見限られても仕方ないだろう。 その「お国」に従って戦う人間が、巻き添え食らいそうになって逃げる人間を恨むのは筋違い。ちゃんと守って帰って来れるようにしろよ、それが「責任」の取り方ってもんだ。「非国民」なんて呼ぶなよ、こっちは「自主疎開」してんだ(^o^)。 一見「逃げている」ように見えるかもしれないが、それが「自分の日常を守る」ということなのである。「国」が逃げるのは責任逃れだが、個人が逃げるのは当然の権利だ。重ねて言うが、「みんながそうしているからそれに従わなければならない」という「洗脳」に対抗するためには、平凡な日常を書き続けることが最も有効な方法なのである。 ……あ〜、そこのアナタ、また職場で何かあったな、とか、勝手に憶測しないようにね。まあ、あったんだけど、そこは突っ込まないのがマナーってもんです(^o^)。
……とまあ、こんなことを考えてたのも、この本読んでたからなんだけども(^^)。 山本弘『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(太田出版・1365円)。 いまやチマタで大論争の柳田理科雄『空想科学読本』の批判本なんだけど、山本さんのHP、「SF秘密基地」でも、先刻から何度もBBSを賑わせてるんだよねー、トンデモさん同士が(^_^;)。 『空想科学読本』シリーズのほうはしげが毎回買ってくるので、一応、何となく全冊読んではいるんだけれど(感想はいちいちアップしてません。私が読んだ本をいちいち全部日記に書いてるかと思ったら大間違い)、よく批判されてる「愛がない」って批判以前に、「芸がない」というのが正直な感想。 腹が立つほどのものでもないので、無視してりゃいいじゃん、と思ってたんだけど、まさか山本会長がこれだけご立腹されてるとは。\(°o°;)/ ノストラダムス本批判の時もそうだけれど、山本会長、ある一定以上の読者がクズ本についちゃうと、「このままでは正しい知識が伝わらなくなる!」と義憤を感じられるのだね。でもその「批判されてる」状況がまた、クズ本に脚光を与えて読者を増やし、結果、「山本弘の言うことより、柳田理科雄の言うことの方が正しいんじゃない?」という読者も増やすことになってるのだから、逆効果の面もあると思うんだけれど、ホントに心底マジメな方だから、もう止まらないんだろうなあ。……まず確実に『空想科学読本』シリーズ、4巻まで来てりゃ発行部数自体も落ちてるし、ほっといて数年後に笑い飛ばした方が無難だと思うんだけどねえ。 同人誌でご一緒させて頂いた縁から言えば、山本さんのヒイキをしたい気持ちもあるのだが、ただやっぱり批判するにしても、もちっと「芸」がほしかったなあ、というのが正直な印象なのだ。 山本さんに対しての批判の代表的なものは、 1、「山本会長の科学的知識にも間違いがあるので、柳田氏を批判するのは目クソが鼻クソを笑うようなもの」 2、「批判をするのに、その説ばかりか、作者個人の人格攻撃をするのはいかがなものか」 3、「売れてる本に便乗するな」(^_^;) というものだろう。 どれも実は批判と言うよりはただの難癖だ。 1のような「山本会長のミス」についての批判はもちろんあってしかるべきだろう。事実、山本会長自身も執筆後にミスがあったことを認めている。ただ、「山本会長の本にもミスがあったから、柳田理科雄の方が正しい」とか、「山本会長の本は読むべきではない」という方向に批判者が持っていこうとするのは筋違いだ。批判者がトンデモさんだと、すぐそういう方向に暴走するのよ。 2についても、批判者は、「なぜ個人攻撃がいけないのか」について、アタマを使って批判してはいない。柳田さんの執筆姿勢そのものを山本会長は批判しているのだから、「個人攻撃をするな」というのは、「本を書くな」というのと同義だ。そっちの方がよっぽど個人攻撃だし、ただの言論弾圧である。実際には、個人攻撃は行わなきゃならないときには行わねばならなくなるものだ。私のこの日記に対してだって、「書いてる姿勢に問題はないか」って思ったら批判は自然と私個人への攻撃になるでしょ? 3については、まず間違いなく、そんな意図は会長にはないよ(出版社にはあるだろうけど)。会長、マジメ過ぎなだけだから。でなきゃ、自分の小説の執筆時間も削られるってのに、「本書で取り扱えなかった『空想科学読本4』の誤りについては、次のHPでフォローしています」なんて後書きに書いたりしねーよ(^_^;)。 まあ、私がこの本にツッコミ入れるとしたら、102ページのイラスト、ギャオスのスーツの中に入ってた亀山ゆうみさん、タンクトップ着てるけど、ホントはアタマからすっぽりボティスーツ着てたんだぞ、とか、別にしなくてもいい程度のものだな(^^)。いや、そんな野暮な批判、しませんて(^_^;)。 柳田理科雄の肩を持つ人ってのが、かつて『空想科学読本』に騙された経験のある人じゃないか、という想像は容易につく。自分が信じていたものが否定されれば、ムキになるってのはよくあることだ。それが「洗脳されてる」って証拠なんだけどもね。 どっちもどっち、と考えてるのなら、そもそも批判自体、書く必要がない。これも某氏が某所で語っていたことであるが、「小林よしのりを擁護する方も批判する方もトンデモ」同様、この論争に関わること自体、「トンデモ」になっちゃうんである。 ……しまった、ちょっとだけ関わったか?(゜゜;)/ギク!
しげとよしひと嬢、つぶらや君、3時になってようやく帰宅。 映像編集が終わらないので、これからまだ作業するとか。……この時間まで寝ずに待ってたってのになあ。 「……寝ないのかよ」 「寝るよ」 と答えつつ、しげ、全然、寝ない。 三人とも、神経が高ぶっているのがアリアリと分るので、まさしく、触らぬ神に祟りなし、である。寝る場所がないので、隣室の本棚のスキマで寝る。 もう、ケガはどうしたと言う気もない(-_-;)。
2001年05月05日(土) 東京ドドンパ娘/葛飾柴又寅さん記念館
| 2002年05月04日(土) |
日記書きの一日/アニメ『アタックNO.1』/『低俗霊DAYDREAM』3巻(奥瀬サキ・目黒三吉)ほか |
ケガをしてるのに〜、しげは出かける練習に〜♪ って歌ってていいのかって感じだけど、『用心棒』の農家のば〜さんの言葉を借りれば、「止めたって、止まらねえもの」。 人間、落ちて行くときは歯止めが利かない……って、譬えが違ってるような合ってるような。 一応、医者には必ず行くように言ったけど、付き添いは要らないって頑固に言うし、こうなるともう本人に任せるしかない。昨日の件で、私はもう心配するのにも疲れた。もう、しげの心配なんかしてやらないぞ! けど、ハッキリ跛引いてるじゃんか。薬飲んでても絶対悪化するぞ。いいのかオイ……って、心配しないって決めたのに(´o`;)。
朝方、東京のこうたろう君から電話。 しげのケガのことを知って、心配して電話してきたのだ。 こういう時、「いやあ、心配しなくても大丈夫だよ」と言えないのがなあ(-_-;)。 練習に出かけたと言う話をすると「なんで付いて行ってやらないのか」と詰られる。いやまあね、そうしてやりたい気持ちもないわけではないのだけれどもね。昨日からこっちの流れを説明して、「自覚のない人間に、何を言ってもムダだよ」なんて話をする。 しげの暴走は今に始まったことではないので、こうたろう君も呆れつつも苦笑するしかないようだ。 先日、「境界例」のことについてこの日記に書いたのを読んで、こうたろう君、なぜか感激しちまったらしい。 「泣いたよ」……ってなんで? それともそれはなにかの比喩か? 「情けなくて泣いた」って意味? 一昨日の記述のことだろうけど、読み返して見ても、どこに引っかかったのか、ちょっと判断ができない。 日頃から「もちっと筆を抑えなよ」と私の暴走をたしなめてくれるこうたろう君であるが、それでもタマに私の文章に過剰に反応するところがある。それがまた、私が時々陥る「ああ、この宇宙って、なんて奇跡がいっぱいなんだろう! お星様に乾杯!」モードに入ってる時だったりするんだよな(^_^;)。いや、だからよう、そのときにはもう、熱に浮かされてるんだってば。だもんで、あとですっかり冷静になったときに「こないだの文章よかったよ!」なんて誉められたりしてもよう、もう赤面しちゃうっつーか、こっぱずかしいったらないのよ。 まあ、ちょっと「ポエムでも書いてみちゃいたくなる」病っての? そういう状態の私の文章に引っかかったからって、下手に感動してると宮崎駿から「トトロばかり見てるんじゃない!」と叱られちゃうぞ(^o^)。
休みを利用して、まだ書いてなかった日記を続々更新……と言っても一日に書ける量はせいぜい三つか四つが限度。もちろん、一日分の量を10行程度に抑えちゃえば、あっという間に書けてしまうのだが、どうも栗本薫の生霊か半村良の死霊あたりが私にとり憑いているらしい(^_^;)。書いてるうちに止まらなくなるのである。 ……ついでに質も伴ってくれてたら、こんなに嬉しいことはないんだが。
WOWOWで、劇場版『アタックNO.1』の映画シリーズを四本一挙に放送。 劇場版と言っても、テレビシリーズの数話を「東映まんが祭り」用に再編集しただけのしろものだから、映画的な面白さはないに等しい。 昔の劇場版アニメにはよくあったことだけれど、テレビのスタンダードサイズの天地を切って、無理やりシネスコサイズにしているものだから、顔のアップがでか過ぎたり、握手してても手が映ってなかったり、見にくいこと夥しい。タテにスクロールするくらいできなかったかね(というよりトリミングすること自体、おかしいんだが)。 けど、脚本は古臭いし、キャラデザインは『巨人の星』と同じでダサイし(どうして浦野千賀子の絵と川崎のぼるの絵とが同じ絵になるんだよう)、当時もよく毎週毎週見てたよな。 やっぱりブルマーに引かれてたからか?(^_^;)……って、七歳かそこらでよくもまあ。
雨の中、久しぶりに自転車に乗って博多駅へ行こうとして、駐輪場に行ってみると、しばらく乗ってなかったせいなのかサドルのところに「廃棄処分にします」とハリガミが。マンションのステッカーが貼ってあるから、放置自転車と勘違いされたわけではない。 このマンションの管理組合、ちょっと性格のいやらしい人間が増えてきてるようである。 たいして雨が降ってないな、と思って傘を持たずに出かけたら急に土砂降り。慌てていったんウチに戻って傘を持って外に出た途端、雨がピタリと止む。 銀行に寄っておカネを卸そうとしたら、通帳を持ってくるのを忘れていて、取りに帰るハメに。やっと戻ってきたら、今度は時間切れで銀行が閉まっている。 なんだかマーフィに祟られてるぞ、今日は(-_-;)。 紀伊國屋を回って本を数冊物色、その足でパピオまでしげの様子を見に行くが、このテレスコは、もうギプスを外して立っている。 「もう歩けるもん」と言ってるが、相変わらず左足は跛を引いたままだ。 其ノ他君が「動かないようにって言ってるんですけどね」と途方に暮れている様子。……はやく治して、本番の時に迷惑をかけないように、というアタマがないのだな、こいつは。 なんだかもう、しげの何も考えてないヘラヘラ顔を見てるだけで頭痛がしてきたので、雨の中をさっさと帰る。
晩飯は近くにできた「五風」という店。 前はファミレスがあったところで、今度のもそうかと入ったら居酒屋のチェーンだった。一人で居酒屋って、なんだかうらぶれた中年みたいでいやだなあ……ってその通りなんだけど(-_-;)。 仕方なく焼き肉を頼む。トンとろにホルモン、それに「とろとろトウフ」というやつ、その場でニガリを混ぜて豆腐を作って食べさせるのが面白い。固まりきれないようなトロッとした舌ざわりがいい。 トマトには塩をかけずに食べる。 しげがこんなふうに、トマトをちょっと切って、夜食に出してくれるだけでも嬉しいんだけど、それも遥かな夢か。 (;_;)( ;_)( ;)( )(; )(_; )(;_;)(T-T)うるうる~。
マンガ、藤子・F・不二雄『パーマン/パーマン誕生!!』(小学館/My First BIG・300円)。 いや、驚いたね、第1巻の書きなおし。設定から何から全部初期のと変えられてるんだもの。 知ってる人も多いと思うけれど、もともと、須羽みつ夫たちを「パーマン」にしたのは、「スーパーマン」だった。これが再アニメ化のときに版権に引っかかると言うことで、「鳥だ! 飛行機だ! バードマンだ!」ということになった。やってきた星の名前も「スーパー星」から「バード星」に変えられたし、もしもパーマンの秘密がバレたら「頭をパーにしてしまう」という設定も「動物に変える」になった。あ、あと、「時速91キロで飛べる」ってのも「119キロ」に(^o^)。 けど、確か第1話の出だし、虫コミックス版では「かば夫がみんなのお年玉を取り上げる」話だったはずだ。それが「年賀状を取り上げる」話になっているし、「スーパーマン」は「バードマン」どころかただの「超人」という普通名詞になっている。スーパー星もただの「遠い星」だ。 コマの書き足しなんかは絵柄から見て再アニメ化のときのものだろうけれど、ここまで細かくチェックされちゃうものなのか、昔のマンガでも。 昔の『パーマン』の虫コミックス、なくしてしまったのは、返す返すも惜しかったなあ。
マンガ、奥瀬サキ原作・目黒三吉漫画『低俗霊DAYDREAM』3巻(角川書店・567円)。 ……あ、深小姫ちゃん、まだ処女だったの(・・;)。 SM女王様って設定だから、全然そんなふうに思ってなかったけど、霊媒師だからなあ、処女っつーか、神の巫女が乙女ってのは当然といえば当然かなあ。 もともと巫女ってのは処女性と娼婦性の両方を持ってるものだから、非常に伝統的な設定であるわけだな、これ。どうして今の今まで処女かってのが「パイパンだから」というのが笑えるけど(笑っちゃいけませんね。世の中にはそのことで苦しんでる女の方もいらっしゃるでしょうから)。 オリジナルシリーズの流香魔魅の復活を望んでいないわけではないけれど、崔樹深小姫にも愛着が湧いてきた。普段のほよよんとした顔もいいけれど、低俗霊を心底毛嫌いした時の、ゲロ吐きかけたがってるみたいな「この下道が」って表情が実にイイ。……いや、M的快感を言ってるわけではなくて(^_^;)。 まあねー、言っちゃなんだけど、「こいつ死んだほうが」と言いたくなるようなヒトって、ホントにいるからねー。低俗なら低俗でいいんだよ、人間、みんなヒトカワ剥けば下品な存在なんだからよ。 でも犯罪を犯しといて悪びれないならまだしも、図に乗るヤツね、意外と多いから。「ついやっちゃいますなあ、はっはっは」て程度なら、まだ人間の業かね、これも、ってところですませられなくもないが、「あなたも一つどうです?」だなんて、人を共犯者にしようとするなよ、オイ(-_-;)。 こういうヤツこそ、世間の低俗霊諸君には気張って頂いて、地獄に引きずりこんでほしいものだけれど、なかなかそんなことにならないのは、結局、霊なんていないってことなんだろうね。 その分、フィクションの中では深小姫ちゃんに頑張ってほしいものである。いつまでもばーじんのままで(本人はイヤかもしれんが)。
2001年05月04日(金) ウナセラディ東京/江戸東京たてもの園/『ヒカルの碁』12巻(小畑健)
| 2002年05月03日(金) |
ジンクス再び/『ジャングルはいつもハレのちグゥ』9巻(金田一蓮十郎)ほか |
寝室の電球が切れていたので、とっかえようとしたら、根元のコードがプチッと切れて、土台自体が落ちてきた。 十年も同じ部屋で暮らしてると、あちこちガタが来るもんなんだなあ。 考えてみたら、子供の時分から、別に他の土地に移住したわけでもないのに、引っ越し経験だけはやたらにある。 色々事情があって、近場をぐるぐる移動してたのだな。 けれど、引っ越すにしろ、親が拘ったのはそこが「博多」であること。 先祖代々、博多の職人、ということに誇りっつーか意地のようなものを持っていた両親にしてみれば、博多以外の土地に住むことなど考えられなかったのだろう。 で、今、父は紆余曲折があって、博多以外の土地に住んでいるのだが、住所登録を未だにそこに移していない。……そこまでしてなぜ「博多」に拘るか、と、他地方の人には理解に苦しむところだろうが、伝統に拘ると言うのは得てしてそんなもんである。
私のパソコン机の前に並べた食玩フィギュアも相当数になったが、余りコンプリートとかには拘らずに、適当に面白そうなものを並べているだけなので、見ようによっては結構、妙な構図になっている。 エヴァ初号機とサキエルが戦ってる後ろでポセイドンがポージングしてたり。 ジェットジャガーの尻に不思議の国のアリスが擦り寄ってたり。 鉄人28号とブラックオックスが戦ってる後ろで妖怪垢舐めが「UFO」のポーズ取ってたり。 惣流・アスカ・ラングレーのスカートの中身をゲゲゲの鬼太郎が覗いてたり。 妖怪釣瓶落としの後ろにキングギドラを置いておくと、まるでハゲ頭の上から首が三つとハネが生えてるように見えるのが笑える。 ……こういうの、もしかしたら新しいタイプのジオラマかも。 友人の息子さんからもらった、カードを型抜きしたヤツを組み合わせると怪獣になるってヤツ、これで昔なつかしのトントン相撲ができることに気がついた。 早速、適当な箱を土台にして、トントンやってみる。 もらったカード怪獣は、ゴジラとアンギラスとデストロイアだったんだけど、一番さて、一番強かったのはどれでしょう? 正解は「デストロイア」。直立してて両足と尻尾の3点が安定してるんで、殆ど微動だにしない。アンギラスは前傾姿勢なのですぐ前に倒れる。でもそれ以上に不安定だったのがゴジラ(これはモスゴジか)。尻尾が浮いてるので、すぐふらついて倒れちゃうのだ。 これ、もっと怪獣の種類を集めて大相撲大会とか開いたらおもしろそうだなあ。……ってこんなのまで集めてたらまたしげから「邪魔なもの買うな!」と文句言われそうだが。
しげが朝っぱらから(と言うか、まだ夜中なんだが)、いきなり外着に着替え始める。 「どこか出かけるのか?」と聞いたら、「車のところ」とだけ答える。 私はひと眠りしていたのだけれど、しげはその間、パソコンで今度の芝居用の映像編集などをしていたようなのである。多分、一睡もしていないのだろう(もっともその前は半日以上寝ているのだが)。 「何してるか知らんけど、寝るときは寝とけよ」と言ったら、「オレも寝たいよ! することあるから起きてるんだよ!」と怒鳴られる。 しげが「することがある」といった場合は、たいてい「しなくてもいいことをしてる」場合が圧倒的に多いので、疲れてるなら寝ればいいのに、とは思うが、また不毛な会話をするのもイヤなので放っておく。 ところが、しげ、そのまま外に出て行って、いつまで経っても帰って来ない。 何やってんだ、覗きにでも行ってやらなきゃならんのか、と思ったら、玄関のドアがゆっくりギギイ、と開いて、“底の方”からか細い声が。 「た、助けてえ〜」 みるとしげが地面に這いつくばって、首だけを部屋の中に覗かせている。 新手のギャグか? と思って「なんだよいったい?」と聞くと、「テーブルの天板が足の上に落ちてきた〜」と涙を流している。 「テーブルって……何やってたんだ」 「大道具のテーブル車に乗せようと思ったら……天板が滑り落ちてきて……足の上に……」 ……ンな大仕事するんだったら、予め「手伝って」と言えばいいのに、「車に行く」だけしか言わないんだもんなあ。 しげの左足を見ると、なるほど、信じられないくらいに腫れあがっている。 ギャグマンガなんかで、タンコブがぷっくりとモチみたいに膨らんで描かれてたりするが、まさしくあんな感じだ。実際、足の甲が盛りあがって、シャレじゃなく足の幅が2倍になっている。 「骨は?」 「指が曲がるから折れてないとは思うけど」 というしげの言葉をマトモに信じることは出来ない。折れてないにしてもヒビが入ってるくらいの可能性はある。テーブルの天板、多分10キロくらいはあるはずだ。 「救急車呼ぶから待ってろ」 休日だし時間はまだ朝の6時だ。救急病院以外は直接行っても診察してはもらえないだろう。大袈裟だけれどそれ以外に手はない。 「骨折してるかも」ということで連絡すると、2、3分で救急車が来る。 部屋は三階なので、玄関に降りるまで手を貸す。しげ、ケンケンしてついてくるが、それだけでもかなり痛そう。 担架に乗せられ、救急車に運びこまれるしげ、息が相当にあがっている。 署員の方が、あちこちの病院に連絡を取ってくれるが、予想通り、近場の病院は満杯なのか当直がいないのか、たいてい搬入を拒否される。 ……死にはしないだろうが、こういう「タライ回し」に近い感じって、やはり気分はよくない。ようやくちょっと離れた、練習場に近いところの病院と連絡が取れてそこに運びこむことになる。 以前も確か、車に撥ねられて救急車で運ばれたんだよなあ、しげ。 人には目が悪いんだから気をつけろだの、何かにつけ不注意だの、文句ばかり言ってるくせに、実際にケガをするのは決まってしげの方なのだ。私は確かに目が人一倍悪いが、意外とカンが働いてそんなに大きな事故にはあわない。 不注意という点ではしげの方が圧倒的に勝っているのだ。今回も、一言私に声をかけてさえいればこんなことにはなってないのに、ともう一度愚痴る。 公演本番直前だというのに、自分の立場ってもの、考えてるのか、しげ。
病院でレントゲンを撮ってもらうが、幸い、骨折はない。 けれど相当に腫れてはいるのは事実なので、結局、ギプスは着けることになる。 しげ、いかにも練習をしたさそうな気配だったので、お医者さんに、「安静にしとかないといけませんよね? 車の運転とか無理ですよね?」とあえて聞く。 「当然です。足は上にして、血が溜まらないようにして寝ていてください」い者はそう言ってくれてるのだが、しげは多分、話半分にも聞いちゃいないだろう。 松葉杖を貸してもらって、薬と湿布をもらって、タクシーで帰宅。 連休にようやく入ったってのに、ゆっくりさせてもらえないんだもんなあ。
練習に行きたがってるしげに「馬鹿」とクギを刺して、今日集まる予定のメンツに電話で連絡をしまくる。 しげ本人に連絡をさせると、「やっぱり今日、練習に行く」とか言い出しかねないし、下手に劇団の連中がウチに「見舞いに行く」とか言い出したりした日には本気で困る。 しげはさびしんぼうだから、まず確実に見舞いを断れない。 それでも休んでいればいいが、客が来ればしげは確実に応対する。というか、じっとしてはいられない。何度も日記に書いてるが、しげは頭が弱いのだ。しかし、ウチの劇団の連中も頭は相当に弱いので、しげを気遣えないのがはっきり解る。「見舞いに来るな」と直截的には言えないが、せめてそれくらいの様子は察してもらわないとなあ。 8時近くになってるってのに、みんながみんな、まだ起きてね〜んでやんの。 よしひと嬢は風邪を引いていて、今日は休むとのこと。 ウチに泊まりの予定だったが、偶然とはいえ助かった。別によしひと嬢を迷惑に思っているのでなく、しげは彼女の前だと、緊張してドジまくるのである。全く、レズっ気あるヤツはこれだから(-_-;)。 穂稀嬢も鴉丸嬢も寝惚け声。穂稀嬢には練習場のカギを開けてもらわなければならないので、手続きの方法をメモしてもらう。 「ふわ〜い」とか、声が宙をさまよってたが、大丈夫だろうか。 でも、鴉丸嬢に比べてみたら、それもまだマシだった(-_-;)。 「今日さあ、かくかくしかじかで、しげ、練習に行けないから」 「はにゃ〜(「はい」のつもりらしい)」 「でさあ、このこと、其ノ他君にも伝えてもらいた……」 「今、隣で寝てるよお、替わろうかあ?」 ……だと解ってるから「伝えて」と遠回しに言っているのに(-_-;)。えい、なんで休日の朝っぱらから、他人の睦言、聞かされなきゃならんのだ。其ノ他君も電話の向こうで寝惚け声出してんじゃねー。凸(-~~- )。 ともかく、今日は一日、しげについていてやるしかない。 冷蔵庫に残っていたありあわせの材料で、朝はスコッチエッグのハヤシライス(冷食)、昼は鶏肉をネギとナメタケと一緒に炒めて、中華スープをかけた丼にして出す。 「美味しい」と言って食べはしたが、しげ、「食べきれない」と言って残す。 ううむ、しげが食事を残すとは、ケガの痛みが腹の調子まで悪くしちゃったのか? 左足の腫れ、昼を過ぎても引く様子がない。湿布を取り換えてやるが、看護婦さんが貼ってくれた湿布、端に切れ目を入れてあって、足の甲の曲線にピッタリ合うようになっている。 おお、これはうまい手だと、しげにもそうしてやる。 しかし、本当は痛いんだろうけど、湿布を貼られてる最中、しげは「うひひひひいいい!」とか「はううううう!」とか、「ちべてええええええ!」とか、アホな叫び声しかあげない。 だんだん心配してやるのがバカバカしくなってきた。 「ともかく寝ろ!」と厳命したら、食ったあと、しげはコテンと眠った。 寝ててもアホは治らんだろうが、少なくともケガだけは治る。めんどくさいからさっさと治ってほしいぞ。これじゃ「公演があるたびにしげは足をケガする」ってジンクス、出来ちゃうじゃないか。
夕食はさすがに食料が尽きたので、近所のほか弁まで出かける。 チキン南蛮とか焼肉とか買って帰ってくると、何と鴉丸嬢、其ノ他君、つぶらや君が来ている。 しかもしげ、立って話ししてるし。 「何立ってんだよ! 寝てろって言ってたろ!」 三人に挨拶するより先に、思わず怒鳴った。慌てて寝室に引っ込むしげ。 どうやら携帯で連絡を取り合って、練習が終わったあと、「見舞いに来る」ことになったらしい。全く、人の目を盗んで、いつの間にそんなマネを。 便利かもしれないけれど、管理しなきゃならないときにそれができないって点では、迷惑なことも多いんだよなあ、携帯。 鴉丸嬢は台所で、何やらおさんどん。 洗い場で食器を洗ったあと、ホイップたっぷりのケーキを作っていた。 ……気持ちはありがたいけどな、病気とかじゃなくてケガなんだから、少しは状況を察してもらいたいもんだよ。いい加減、つきあってて分らないのかなあ、しげがホントに馬鹿なんだってこと。 足が痛くても、薬でいったん痛みが押さえられれば、「治った」と勘違いするくらい馬鹿なんである。見舞いに来られりゃ、落ちつかなくってチョロチョロ動きたがる。そうなると押さえが利かないのだ。 子供を相手にしてるのだ、ということ、わかってほしいんだけど……って見舞いに来る方も子供だから仕方がないのか(-_-;)。 なんだかもう、こちらの方が機嫌が悪くなってしまって、せっかく来てくれた三人には悪かったけれど、私は始終、少しばかり無愛想であった。
東京で買った土産物なんかを三人に見せたりする。 しげをおとなしくさせとくには、三人の注意をこっちに引きつけといた方がいい。しげがときどき寝室の方から「ふやああああ」とか淋しげな声をあげているが、知ったことか。 スーパーフェスタやジブリ美術館の話をすると、本気で羨ましがられる。ウチの劇団の連中はたいていがオタクだし、将来、そちら方面の道に進みたいと考えてるやつも多いのである。 開田裕治さんデザインの「電柱Tシャツ」を着て、其ノ他君に「これは正直者にだけ電柱の向うにガメラが見えるTシャツなんだよ」と説明するが、なんのことかわからず、キョトンとされる。うーん、イキなデザインだと思うんだけどなあ。 鴉丸嬢に、「ビッグサイト、韮山さんとか来てたよ」とか言うと、声が半音階上がって、「来てたの!?」と泣きそうな顔になる。 来てたけど、サインもらえなかったんだよ、しげがイヤそうな顔してたから。 他にもいろんな話をしているうちに、自然に三人ともこんなタメイキをつく。 「行きたいなあ、でもカネがない」 そりゃま、そうだろう。 私も、学生のころはカネがなくて、いろんなイベントを諦めた。もっとも、私は生活費を削ってまで、本と映画に入れこんでたから、「貧乏」ってわけじゃなかったんだけれども。 でも、今の10代、20代の若い人の大半は、たいてい貧乏である。もちろん一文無しの貧乏、というほどではないが、東京に旅行に出かけるカネを溜められるほどの収入は手に入れられていない。 バブルのときだって、私ゃヤンエグなんてのに会ったこともないからなあ。 けれど、本気で自分の道を主体的に選ぼうと思ったら、当初の「資金」はイヤでも必要になるのだ。 鴉丸嬢など、ハタチ過ぎてまだ親と同居してるから、「さっさと自立して、自分でカネ稼いだら?」と以前から言ってるのだが、「親といたほうがラクだし」なんて言ってる。この子はたしか、近々エロマンガ家になる、と宣言してたはずだが、親掛かりのエロマンガ家ってあるのか。いや、あっても悪いってわけでもないのかもしれないけど、少なくとも、リアルなものは描けそうにないように思うけど。
私は、鴉丸嬢が「エロならデビューが簡単だから」とか言ってるのを聞くたびに、ちょっと腹が立っているのである。 確かに、エロから入ってプロになった人、プロになったあとで「デビューはどうしてエロから?」と質問されて、「それが早道だったから」と答えてる人がいるのも知っている。 けれど、鴉丸嬢の場合問題なのは、シロウトなのに何も知らずに「エロマンガを描いてデビューするのはラクチンなのかあ」なんて短絡的に考えてるように思えてならないことだ。もしそうなら、そりゃ大間違いだと言いたいのだ。 経験が豊富じゃないとエロマンガは描けない、と断定をするつもりはない。創作の基本は想像力だからだ。 でも、鴉丸嬢が、少なくとも、マンガ読んだ読者のナニを立たせるだけのものを描こうと本気で思ってるのなら。……マンガのキャラに入れこんで「この女抱きたい」と思わせたいのであるなら、「セックスが嫌い」じゃマズイだろう。 ……いや、本人は日頃からやたらエロ話してるんだけどね、それが痛々しいのは、聞いてて、「ああ、この子、ホントはセックスに関して開き直りきれてないんだなあ」ということがわかっちゃうからなんだよねえ。 鴉丸嬢は、「エロ描いててもエロにならないし」とか言ってるが、それは当然だろう。男性経験はそれなりにあるようだが、基本的には未だに純情でマジメな女の子なのである、鴉丸さんは。 鴉丸嬢には悪いが、もともと、エロには向いてないんだと思う(卯月妙子さんのエロマンガとか、開田あやさんのエロ小説読ませても、一所懸命「ウケて、かわしてる」し)。 「『マンガのための取材だからAVに出て』って編集から言われたらちゃんと引きうける?」なんて質問して困らせてしまったのはちょっと意地悪だったなあ、と反省してるが、当人に根性が足りないことは紛れもない事実だ。本人は「ゆっくりデビューするから」と言ってるが、今のままでは、百年経っても無理だろうな。
ああ、私がこの日記にエロ話を書かないのは、別に偏見があるわけではなくて、単にコンセプトが違うからです。でも、エロ小説は書いてみたいですね。戯曲もギリギリ、象徴的な形で書いてみたことあるんだけど、実際に上演してみたら、思いきり表現を押さえたのにやっぱり反響がすごかった。 ……世間の大純情くんたち、エロにも少しは馴れようよ(-_-;)。
チャンネルNECO『博多ムービー ちんちろまい』。 一年ぶりかそこらで見返してみても、やっぱり馬鹿さ加減が光ってるなあ、この映画(^o^)。前にも感想を書いたんで、大筋は省略。 ともかく、しげがわかんないところで私が笑いまくってるので、しげは機嫌が悪い。かと言って、博多人以外に解説したって、「ああ、それってそういうギャグだったの」って「理解してもらえる」だけで、感覚的に笑ってもらえるわけじゃないからなあ。 「とっとっと、すっすっす」と武田鉄矢が言ってるの、こっちじゃ定番のギャグなんだけど、何のことかわかんねえよな(正確には「とっとうと?」「すうすうす」で、「取っているのか?」「風が吹いて肌寒い」の意。「すうすう」ってのが風が吹いて服と肌の間に入りこむときの擬音なんだね)。 「しかぶる、ばりかぶる、たれかぶる」、全部、おしっこ、うんこを漏らす表現です。いやあ、三連発で言われるとキツかばい。 博多語のギャグば説明するこつは、やをいかん。
マンガ、藤子不二雄A『魔太郎がくる!!』2、3巻(嶋中書店/アイランド・コミックスPrimo・各300円)。 鴉丸さんが、これを見て「あっ、あの『ドーン!』って言うヤツ」なんて言いやがった。そりゃ、『黒イせえるすまん』だよ(--#)。 あっ、口の利けないやつが人形に自分の意志を喋らせるってネタ、安孫子武丸や『あやつり左近』より『魔太郎』の方が早いぞ。……って誰でも思いつくことだから剽窃ってわけでもないな。 ……このマンガに「カップヌードル」が出て来てるの見て、初めてその存在を知ったんだよなあ。1972年か。もう三十年前……(-_-;)。
マンガ、金田一蓮十郎『ジャングルはいつもハレのちグゥ』9巻(ENIX/ガンガンコミックス・410円)。 うーん、新しい弟の登場よりもなによりも、今巻はダマが……ダマが……、ちょっとインパクトありすぎ(@。@;)。 た、頼むから、あんなアフロのストーカー婆さんを、ウェダママ以上のナイスバディで描かんでくれ……(-_-;)。もう、繰り出されるギャグが「笑う」と言うより「唖然とする」の連続なんだものなあ。 ……OVAのアニメシリーズ、この辺までアニメ化されるのかなあ。必ずしも原作の順番にこだわらないんだったら、作画がいかにも暴走しそうな今巻なんか絶好のネタなんだけど。 ……それにしても、グゥの影が薄くなってきてるぞ〜、金田一さん、なんとかしようよ〜。……それから、著者近影、全く載せなくなったのはもしかしたら「太った」から?(失礼)
2001年05月03日(木) 東京行進曲/舞台『ラ・ハッスルきのこショー』ほか
| 2002年05月02日(木) |
私は病院に行くかしら/『COMAGOMA コマゴマ』2巻(森下裕美)ほか |
疲労はピークに達しているが、今日仕事に行けば、なんとか休みだ。 と、こんなときに限って、一足先に休んでいる同僚がいたりして、代理の仕事が回って来たりするのだ。 今日中にやろうと思っていた仕事、来週に持ち越し。 ……と、こうして仕事はドンドンたまって行くのであった。でも去年みたく、休日出勤ばかりはしないぞ、今年は。 外はなんだか曇り空。 今にも雨が降り出しそうな感じで、連休中は外に出ずにひたすら休んで日記の更新その他をしたいところだ。……といつも計画倒れに終わるのは、ついつい寝ちゃったり、部屋片付けてるうちに本読んじゃったりするせいなんだけどもね。
今度の公演の小道具が足りないとかで、しげと一緒にナフコなどを回る。 私はしげが何を必要としてるのかわからないので、ぼーっとしてたが、あとで聞くと、「刺すと引っ込むナイフ」が欲しいのだという。 昔はあったね、そういう玩具。でも最近見かけないのは、不謹慎だってことで玩具会社も作ってないのかもな。 「売ってないなら、作ればいいじゃん? 劇団のメンツに頼めば?」 と私が言うと、しげ、きょとんとした顔。 「……そうか、自分で作らなくてもいいんだ!」 つまり、しげ、自分が超極端に不器用なものだから、「小道具を誰かに作ってもらう」という発想に全然、思い至らなかったらしい。 まあ、アテにならないメンツが多いと何もかも自分で、という気持ちに傾くのもわからないではないがな。
晩飯はマクドナルドのドライブインでハンバーガー。 新発売のフランクバーガー、要するにホットドッグじゃないのか。ハンバーガーとホットドッグの境界線はどこにありや? などと下らぬことを考える。 某サイトで「マクドナルド」の略称は、「マック」か「マクド」かってのが話題になってるが、これも古くて新しい話題。実はこれ、言語学会では結構マジメに論じられていて、単純に「関東はマック、関西はマクド」とは言えないのだ。福岡じゃ以前は完全に「マック」だったからなあ。 マックが2音節、マクドが3音節で、アクセントを第2音節に置くことの多い関西弁が「マクド」を採用したことは妥当と言える。福岡が「マック」になったのは、実はもともと博多弁が関西弁より東京弁に近かったことを証明することでもある。 しかし、実は最近、福岡も「マクド」派がだんだん台頭してきているのだ。 北九州や、関西の人間が、福岡に多数入りこんできていることも理由のひとつだろうが、実は「マクド」と言う場合でも、福岡は「マ」にアクセントを置くのだ。「ク」にアクセントのある関西とはやはり差異がある。 いったい、福岡の東京志向、大坂嫌いと言うのはかつてはよく言われることであったが、実際にテレビが普及し、関西芸人が福岡にも専門の劇場を置くようになり、出張、転勤で関西人が多く入りこむようになると、「関西人のヒトを馬鹿にしたような喋り方が気に入らない」なんて偏見は言ってられなくなる。 「マクド」が関東関西の折衷語になっているあたりに、福岡人の許容と拒絶の板ばさみになっている苦悩が見て取れる、と判断するのはチト穿ち過ぎか。
ネットを探索していて、ある方のサイトで「境界例」の診断テストってのを見つけたんだけど、この質問項目がヒドイったらない。 いわゆる「イエス・ノー」診断ってヤツだけど、「アナタ、これにイエスする? するでしょ? 心に不安があるでしょ? 病気なのよアナタは。社会にとっては不必要な存在になってるのよ? そのこと自覚してないんじゃない? 自覚しなさいよ。しないと迷惑よ!」ってな感じの質問ばっかでさあ、なんだか全ての人間を不安にさせようって目的で作られてるみたいでねえ。 で、試しに自己診断してみた(^o^)。
1 私は周囲の人や物事からいつも見放されている気がする。 →職場の上司からは(同僚からも)仕事してないって思われてるだろうしなあ。うん、イエスだね。 2 私は気が狂うのではないかと恐れている。 →こんなの、昔からしょっちゅう。 つーか、世間の人、自分が正常だなんて思っていられるの? 3 私は自分を傷つけたくなる時がある。 →車や電車が通ってると飛びこまなきゃいけないような気になるよねえ。 高いとこだと飛び降りたくなる。死ぬけど。 4 私は他人との親しい個人的関係を持つことを恐れている。 →まあそうかな。 妻を残して先立つのもイヤだし、後に残るのもイヤだ。 だから独身主義だったんだけどもねえ。 5 他人は私に失望している。 →期待に答えられるほどの人間だと自分で思えるやつがいるのか? 6 私は人生に立ち向かう力がないと感じている。 →病人だし(^o^)。 7 このところずっと幸福だと思うことはない。 →「幸福」という感覚が解らない。 このところも何も、「幸福」ってそもそも何? と問いたい。 8 私の内面は空虚だと思う。 →中身がないのが人間。 9 自分の人生を自分でコントロールできないと思う。 →そんなことできる人間はいない。 10 たいてい私は孤独だと思う。 →人はそもそもそう。 11 私は自分がなろうとした人間と違った人間になってしまった。 →だから思い通りの人間になれるやつなんているのかよ。 12 私は何でも新しいことが恐い。 →怖いけどやるんだよ、人は。 13 私は記憶力に問題がある。 →その通り。私に記憶力はない。 人の顔も覚えない。自分の名前(本名)も忘れること、しょっちゅう。 14 何かを決心することは私には難しい。 →とりあえず、外食した時、何を食うか即決するようにはしてるな。 けれど、それは物事が決められてるってことじゃないんだけどね。 簡単にじゃない、という意味でならこれも当然イエス。 15 私の周りには何か壁があるように思う。 →ATフィールドか(^o^)。ないわけないじゃん。 16 一体私は誰なのかと困ってしまう。 →名前も忘れるやつだしなあ(^_^;)。 自分の名前を書類に書いたりするたびに「これ誰かなあ」って思ってるよ、マジで。 もともと「だれか」なんて人間いね〜んだってこと。自分が「誰か」と思ってるやつの方がモノマニアじゃないの? ……とフレドリック・ブラウンが言ってました(^o^)。 17 将来に不安がある。 →まあ、早死にしそうだし。 18 時に私はバラバラになるように感じる。 →いっそのことなりたいね、辛い思いして生きてかなきゃなんないなら。 19 私は人前で気を失うのではないかと心配している。 →紙一重で保ってるなって思うこと、しょっちゅう。 20 私はできるだけ努力しても決してうまくはできない。 →実感(-_-;)。 キサマ、オレのこと見とるんか。 21 私は自分が何かを演じているかのように自分を見ている。 →これは確実。 演技してない人間なんていない。 22 私はいない方がむしろ家族はうまくやっていくだろう。 →知るか。 死んだあとのことは意識ないから責任持ちようがないし。 23 私は至るところで失敗している人間だと思い始めている。 →「思い始めている」じゃなくて、昔からそう思ってるよ。 24 この先何をしたいのか私にはわからない。 →「何をしようとしているか」は解ってる。 でも「やろうとしてること」って、実は「やりたいこと」ってわけじゃないんだよね。 執着心がないの。 25 人間関係の中に入ると私は自由ではなくなってしまうように感じる。 →自由な人間関係なんてあるのか(^o^)。 26 誰も私を好きにならない。 →自分の思い通りに、という点でならそう。当たり前じゃんかよ。 27 実際起こったことと想像したことの区別がよく分からない。 →記憶は捏造されるしな。 けど、その判断が自分で客観的に認識できる人間っていないでしょ? 「幽霊を見た」と思ったら、それが事実かどうか、誰が判断するの? 「白日夢は誰でも見る」と、大学では習ったんだけど。 28 他人は私を「物」のように扱う。 →私が他人を「物」として見るようにね。 人に「心」があると思いこむのは錯覚だよ。 自分には自分の心しか見えないものでしょ? テレパシーなんてないんだから。 29 何か変な考えが頭に浮かぶと私はそれをとりのけることができない。 →「変な考え」は創作の原点だってば。 30 人生に希望はないと思う。 →当然。 31 私は自分自身を尊敬することができない。 →私ゃナルシストじゃない。 32 私はまるで霧の中に生きているようにはっきりしない。 →昨日の自分と今の自分が同じ自分だとみんな本当に認識できているのか? こんなにも毎日、いろんなことを忘れていってるのに。 33 私は人生の失敗者だ。 →「成功者だ」って言えるやつ、出てこい! 34 誰か他人の責任を負うことは恐いことだ。 →「死刑台のボタンを押す係」に立候補したい人、手をあげな。 「ミサイル発射ボタン」でもいいぞ。 ……あ、これはちょっとしてみたいかも。 でも「責任がある」という意識はないな。 35 自分が他人に必要とされている人間とは感じない。 →はい。 36 私は真の友人を持っていない。 →これだけはノーか。 けれど、仮に「オレはオマエの親友じゃねー」と言われたとしても傷つきはしないけどね。 37 私は自分の人生を生きることができないと思っている。 →他人にとっての人生しか生きてません。 そうしようと、ある時思いました。 38 買い物や映画を見に行くときのような人混みの中にいると不安になる。 →これはノー。 人ごみの中に紛れて「群集の人」になることの方がよっぽど安心。 自分が消えていくからね。 けれど真夏の満員電車はイヤだ。暗闇の静かな映画館ならいいの。 39 私は友人を作ることが下手である。 →昔からの友人って数えるほどしかいない。 ケンカばかりして、随分切り捨ててきたからなあ。 40 私はもはや人に認められる立派な人になろうとするには遅すぎる。 →と自覚したのは3歳の時でした。 41 周りの人は勝手に自分の心を読んでいるのではないかと思う。 →自分も読んでるけど。 もちろんそんなのはただの「思い込み」なんだけどね。 さっきも書いた通り、人にテレパシーはない。 だから人は虚構の中でしか生きられない。 人に「心」がある以上、「現実」なんてないよ。……押井守だな(^o^)。 42 私の周りで何かが起こりそうだと感じる。 →グルーチョ・マルクスか(^o^)。 そりゃ起こってるに決まってるじゃん。 43 私は残酷な考えが浮かんで苦しむことがある。 →残酷なことしたこともあります。 44 私は自分が男性(女性)であることに自信を持っていない。 →はっはっはっはっは。 45 私は長く友人づきあいができない。 →事実だ。 46 私は自分を憎んでいる。 →もちろん。 47 私は広い場所や市街にでることを恐れている。 →「誰かに絡まれないか」という意味でならそう。 仕事に行かずに引きこもってられたらなあ、と思ってちゃダメなの? 48 私はときに「自分は生きている」のだと自分に言い聞かせている。 →どうでもいい。 生きてるか死んでるかなんて発想自体がない。 私はそこにただ「ある」だけだ。 49 時に私は自分自身でないと思う。 →私に「自分」なんてない。作ってるだけだよ、人にこうだと思われやすい「自分」をね。
んで、イエス・ノー、の結果。 「あなたの得点は38/49点です 境界型人格障害に特有な考え方が目立ちます。 日常生活に何か問題を抱えているようでしたら医療機関を受診することをお勧めします。」 突発的に体調崩して、仕事を休むことはしょっちゅうだからなあ。 医者に行けといわれて行くのに吝かじゃないけど、仕事しないでいると治るし(^o^)。 だからいいじゃんかよ、テキトーな行き方してたってよ。
別に境界例であってもなくってもかまわないんである。 要は本人が「治療を必要と考えるか考えないか」ってことなんであって、極論しちゃえば、「私、人格障害でもいいの」と認めちゃえば、たとえ周囲にどんな迷惑かけようが、本人は納得してんだからいいのだ。 しげがこの診断を受けたら、私以上に高得点をマークするだろうが、本人が「別にこれでいいしい」と言い出すことは目に見えている。今までだって、「それじゃ困るんだよ!」と私が怒ると、「つまり『あんたの基準に合わせろ』ってことなんだね?」と言い返してたヤツだからね。 ……ある意味、それは正しい。 しげの心の中に、「このままじゃいけない」という発想自体がないんだから。 このあたりが難しいところなんだが、私はしげがもっと社会生活が出来る人間になってほしいと望んじゃいるんだが、仮にそれが出来なくて、社会不適応者のまま人生を終わったって、別に構わないとも思っている。 最終的に自分がどんな生き方を選ぶかは本人が決めることで、社会の落伍者になったからとして、人間としての存在が傷つけられるわけじゃないからだ。総理大臣とホームレスとの間に、人格的な優劣はないよね。むしろ総理大臣の人格の方が低劣ってことだってありえるでしょ? 私が、社会的には結構、尊敬されやすい立場の職業に就いているために、父などは「しげさんにも○○○○の妻だって自覚を持ってもらわないとなあ」とか何の気なしに言うことがあるんだが、そんなの本人とは何の関係もないことだ。 親が犯罪者だったら子供が引け目感じなきゃなんない、ってことはないよね? それと同じことで、「誰それの妻としての立場を弁えろ」、なんて考え方は、下らんことだ。 親は親、子は子、夫は夫で妻は妻じゃんか。
今よう、ある重度の脳障碍の子が、ドーマン法とやらいう治療で、文字盤使って著作を書いてるってのが話題になってるけどさあ(どうもその事実自体、アヤシイらしいのだが)、「障碍があるけど、知能は優秀」って括り方、それの方がよっぽど差別じゃないか? 障碍があったり、イノセントだったり(^^)、ヒキコモリだったり寝たきりだったり、社会的に不適応だったり、人間的にクズでも外道でも、そこにいちゃいけないってこと、ないんだよ。人生に絶望する生き方だってあるんだよ。 ……もっとも、駅にタムロしてるホームレスには「視覚障碍者用の床のデコボコ(名前知らん)の上に座るな」とは言いたいがな。
しげも、そういう私の考え方を読んじゃいるので、ある程度以上は私がキレない、と見越して、家事を全然しないのである。どっちかっつーと、そんな態度がナマイキなので腹立ててる気がするな、私は。 ……だから「家事しなくていい」なんて最初から許してるわけじゃないからな。自分の都合のいいように勘違いするなよ、しげ。
東京のこうたろう君から、先日の某オフ会を録画したビデオテープが届く。 私はこれをナニしてナニせねばならないので、とりあえずナニしておいてくれるよう、彼に頼んでおいたのだが。無事にナニしてくれたようでよかったよかった。 ……事情を知ってる人にしか分らない文章ですみません。 何しろこのテープばかりはナニがナニしているものだから、具体的には書けないのですよ。 ……なんだか、私の日常って、あちこちにいろんな形で書き散らしてるけど、ジグゾーパズルみたいになっちゃってるなあ。ピースを全部集めないと、私の本当の姿は見えてこない……と言っても、全部明かした文章はどこにも書いてないのだけれど。 本来、もっと赤裸々に書いておきたいんだけどねえ。 でもナニをナニしたがるヤツも多いので、こればかりは仕方がないことなのである。
マンガ、森下裕美『COMAGOMA コマゴマ』2巻(集英社/YJコミックス・840円)。 今巻の新キャラは、男の子みたいな女の子マコトちゃんと、さびしんぼうの愛犬ゴロー。あとさりげなく登場のクリーニング屋のお姉さんや住職さん。 でもやっぱり一番強力なのはゴローかな? ゴマちゃんみたいにマスコットキャラにはしにくい犬だけど、「森下さんらしい」キャラではあるんだよね。今回のシリーズには登場しないけど、実は『少年アシベ』の味田君とかサトシ君とか「ここだけのふたり」のたきえさんとか、ちょっと境界線にいるようなキャラを描かせたら、森下さんは最高にうまいのである。 ……おっと、買ったまんまんでまだ『ここふた』の新刊、読み終わってないや。急がねばなあ。
マンガ、原作尹仁完・作画梁慶一『新暗行御史』3巻(小学館/サンデーGXコミックス・580円)。 新キャラ目白押しぃの、長編シリーズに突入しぃの、盛り沢山の3巻。 その分、山道(春香)の出番が少なくてちょっと残念。 1巻の時ほど、トリッキーでメリハリの利いた展開はなくなってるけれど、それでも阿志泰の意外な登場のさせかたなど、ツボは押さえている。でも長いこと連載を続け過ぎて、ジャンプマンガみたいに尻すぼみにならないでほしいとも思う。聚慎滅亡のヒミツを解いて、阿志泰との対決を描いて、10巻くらいが一番ちょうどいい長さになるんじゃないのかなあ。 ……でも、ストーリーラインがちょっち、『北斗の拳』に似てきたかなあ? 定番つーか、ありきたりな展開に陥らなきゃいいんだけど。
2001年05月02日(水) 行って来ます。/『20世紀少年』5巻(浦沢直樹)ほか
| 2002年05月01日(水) |
疲労度の爪/『コミック伝説マガジン』No.6ほか |
そりゃ、三百冊以上も活躍してたらペリー・メイスンもお疲れでしょう。 って、日記タイトルがどこかで聞いたような(^o^)。 いやまあ、真似するつもりはないんだけれど、つい思いついちゃったものでねえ。でもこういうのって、思いつくのは大変でもやりだしたら止まらなくなりそうだなあ。 「疲労イック・ファンタジー」とか「警部真疲労度」とか、「疲労か達朗」とか「『枕草子』は『疲労・ブック』」とか「甲斐よし疲労の『ひーろー』」とか。 ……芸風に合わないからやめとこう(^_^;)。
なんでこんなタイトル考えたかって言うと、つまりは疲れてるからである。ともかくからだがダルイし、頭が重い。熱はないから風邪じゃない。ただただ疲労だ。「疲労末涼子」。もういいって(-_-;)。 連休中の仕事の中日って、こんなに疲れるものなのかなあ。 去年はそこまでのことはなかった気がするが。 仕事の最中に居眠りすることはしょっちゅうであるが(コラコラ)、それでもこれまでは会議の時間とかに遅れることはなかったのだね。 仕事中はあくまでカラダは仕事モード。 昼休みに爆睡しようが、時間になればシャキッとする。 けれど、今日、初めて昼休みが終わっても目が覚めなかった。 ほんの5分の遅れではあるけれど、こんなことは初めてだ。 睡眠時間が取れてなかったわけではない。夕べだって、6時間は寝ている。 ……本気でトシを取ってきたのだなあ。
しげも疲れがぶり返してきたのか、夕べから眠りつづけて、送り迎えはなし。 ……って、夕べ寝たの何時だ? しげの仕事が終わったのが12時で、それから一緒に本屋に行って、でもそう長居はしなくてさっさと帰ってきて寝たから、2時前には寝てるんだよなあ。で、起きたのが私が帰宅した午後7時と。 ……17時間は寝とるなあ。疲れてるのは分るけど、まだ20代だろ? 絶対5年後にゃカラダにガタがクルぞ。
アニメ『ヒカルの碁』第二十九局「桑原本因坊」。 ……そう言えば、桑原先生の下の名前ってなんて言うんだっけ? 「桑原」ってのは本因坊秀策の本姓から取ってたんだよなあ、たしか。主要キャラより脇キャラの方に惹かれるのは昔からの私のクセみたいなものだけど、桑原先生は特にイチオシ。「食えないジジイ」って言ってたのは緒方九段だったかな? こういうひとクセもふたクセも有りそうなキャラが書けなきゃ、ドラマ作り自体、できやしないやね。 設定もストーリー展開も薄っぺらなくせに、見てくれだけのキャラ人気で長期連載していたクズマンガの多かった『少年ジャンプ』で、『ヒカ碁』はマットウ過ぎるほどマットウな展開ゆえに、逆に異彩を放っていた。桑原先生みたいに、ただトシ食ってるだけじゃなくて、ちゃんとライバルの一人として登場してくるキャラなんて、ほかのジャンプマンガには見られなかったのだ(ほかのマンガのは全部「ヨーダもどき」。結局は主人公を「善導」するしか能がない)。 桑原先生がヒカルとすれ違って、佐為の気配を感じるってシーン、原作でもすごく好きだったんだけど、そこでCM入れちゃ、せっかくのタメが消えちゃうでしょう。結構いい出来になってるだけに、惜しかったなあ。
ここんとこしばらく自粛していて顔を出してなかった某チャットに復活。 何人かの顔馴染みと会話することができて楽しかったのだが、しげにはこれがどうにも気にくわないらしい。 私がチャットにかかずらわっていて、自分の相手をしてくれないことに対するヤキモチを妬いているだ。 友人から「いい加減復活しなよ」と勧められて、別に頑なになってたわけじゃないし、自粛していた原因が解消したわけではないにしろ、多少は薄らいだのであるなら、まあ復活するに吝かではないと思っていたのだが、しげの心の中ではまだまだ拘りがあったようだ。 心の狭いやつというのはどこまでも狭い。
作りおきのお茶が、一日で腐った。 冷蔵庫にもしまわずに放っておいたので、仕方がないと言えば仕方がないのだが、ほんの二、三日前までは常温でも数日は持ってたのに、いよいよ夏が近いってことなのかな。 明日からはお茶作ったら間を置かずに冷蔵庫に入れにゃならんなあ。 ……でもどういうわけか、こういう単純作業ほど、やること忘れちゃうんだよねえ。
マンガ雑誌『コミック伝説マガジン』No.6(実業之日本社・680円)。 おお、急にボリュームが倍増した。というのも、今まで週刊誌形式の中綴じ(二つ折りにして真ん中をホッチキスで止める形式のやつね)だったのを、平綴じ?(背表紙つき)に変えたおかげだ。 なんたって、表紙の『8マン』の復刻だけじゃない、吉田竜夫の『宇宙エース』は別冊フロクで付いてくるわ、ジョージ秋山の『デロリンマン』は三度目の復活を果たすわ、若い人たちに読んでもらって、「こんなすげえマンガがあったのか!」と驚いてほしいものばかりだ。
私たちの子供の頃、「一番うまいマンガ家は誰か?」と質問されたら、同世代の者ならたいていが「桑田次郎」と答えていたと記憶する。今ならば、マンガの上手下手は単に「絵のうまさ」に帰するものではないと考えるところだが、シャープな線、スラリとした等身の桑田氏の絵は、ダントツに「うまく」見えていた。それこそ手塚よりも石森よりも。 桑田氏が例の銃刀法所持違反で逮捕、マンガもアニメも中断してしまった事件は、当時の私はほんの数歳であったのだが、鮮烈に記憶している。正義のヒーローである8マンと、作者が犯罪を犯したという事実とが、イメージの上でどうしても結びつかなくて困惑したことを覚えている。 後年、アレが警察のイヤガラセ的摘発ではなかったか等の指摘があることを知って、ようやく「桑田さんに罪の意識はなかったんだろうな」と納得することができた。持ってるだけで犯罪になる、とは余り深く考えていらっしゃらなかったのだろう。 アレが世間に対するデモンストレーションっつーか、「見せしめ」だとすれば、警察も相当タチが悪い。今更だが、桑田さんに8マンの新作を描いてほしいくらいである(平井和正の原作をナレーションまでそのまま移しただけの『魔人コズマ』とかじゃなくてね)。 桑田次郎のインタビュー、これまででもよく語ってたことだけど、あの人、全然自分の原稿に執着ないのね(^_^;)。原稿を散逸してるばかりか、自分が描いてきた作品自体、覚えてない。おかげで今回の表紙も綴じ込みポスターも全部「新作」だ。ああ、でも全然、線が衰えてない! 新作描いてくれよ〜、原作無視して(^o^)。
しかし『デロリンマン』復活とは誰がしかけたワザか。 『黒ヒゲ探偵帖』や『パットマンX』、『ほらふきドンドン』などで、生粋のギャグマンガ家だと認識されていたジョージ秋山が、一転、シリアスマンガどころか超異色の問題作を発表し続けるキッカケとなったのが、母親による子殺し、人肉食らいなどを扱った『アシュラ』。このマンガと永井豪の『ススムちゃん大ショック』のおかげで、我々の世代は、佐川くんの事件にも昨今の子殺しブーム(おいおい)にもたいしてショックを受けずにすんでいる。ま、人は人を殺すもんだよってか? 『デロリンマン』がジョージ氏の作品群の中でも特に異色なのは、オリジナル版がギャグで、リメイク版がシリアス&ギャグの折衷、そしてどうやら今回の再々作品が完全シリアスで描かれるらしいというところだ(もっともこの作者にギャグとシリアスを区別する意識はさほどないように思うが)。 同じ題材でこれほど作風を変えて描かれるというのも、『鉄腕アトム』並ではないか(^_^;)。 旧作を知っている人に解説は蛇足だろうが、エリートサラリーマンだった男が苦悩の末自殺、奇跡的に命は助かったが、その容貌は化け物のごとく変貌し、「魂の故郷へ帰れ!」と道行く人を折伏しようとする○○○○になっちゃったという、今考えても相当にアブない設定。 しかも今回、いきなリデロリンマン、道端でアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を演じだすんだものなあ。うわあ、一段と説教臭くなってやがる。……でも、やっぱり出るぞ、今回もアレが。 そう、「オロカ面」。 もう一人のデロリンマン、救済の象徴がデロリンマンとすれば、絶望の象徴がオロカ面だ。ところが皮肉なことに、○○○○でホームレスという「異界の住人」と化したデロリンマンの言葉は、人々には全く届かない。そして彼に「絶望こそが救い」と語り続けるのが、「デロリンマンにしか見えない」オロカ面なのだ。 デロリンマンの言葉はどうしようもなく偽善だ。 ○○○○になってもなお偽善にすがらねばならない人間の現実は余りにも悲しい。 しかし、自殺も死も、実は欲の産物に過ぎないとオロカ面は語り、デロリンマンを追いつめる。彼の言う「絶望」とは「死」をもまたささやかな希望と否定し、「ただひたすら存在を否定され続けることを受容せねばならない永劫の苦しみ」だと訴えるのだ。 だいたい、オロカ面の言うように「全ての欲」を捨てたならば、生きることも死ぬことも不可能なのだ。そんなアンビバレンツを抱えていることを受容することは確かに死をも超越した苦しみだろう。 そう、我々は「愚か者」の仮面を脱ぐことは出来ない。 脱げばその先には「デロリンマン」という狂気が待っているだけだ。 ……ってこんなマンガ、小学生時分に読まされてたのかよ、オレたち(^_^;)。こまっしゃくれたガキがひねくれたオトナに育つのもわかるなあ。マンガの影響は偉大だ。 もしもみなさんが少しでも『デロリンマン』に興味を持ったなら、『浮遊雲』を読むよりも、『灰になる少年』や『ザ・ムーン』を手に取ってほしい。『銭ゲバ』や『ピンクのカーテン』や『ラブリン・モンロー』でもいいよ。『シャカの息子』や『海人ゴンズイ』はアレだが(^o^)。 ジョージ秋山という作家が一筋縄ではいかない人だということが解ると思う。
2001年05月01日(火) 実は某大学推理研OBです/『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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