無責任賛歌
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| 2002年06月30日(日) |
荒む心、続く/DVD『マジンカイザー』5巻/『忍者飛翔 雪の章』(和田慎二)ほか |
梅雨続く。
久しぶりの劇団の練習だが、台本の打ち合わせだというのに、集まったのが私としげ、よしひと嬢、つぶらや君、穂稀嬢の3人。 練習自体には参加できなくても、台本のアイデアは出すようにという連絡はしげはちゃんとしている。要するにみんな、やる気自体がないのだ。「やる気はあるけどアイデアがないだけ」という言い訳は却下。マトモに演劇やってるやつはそんな言い訳自体しない。 次の公演のスタートが最初からこれでは初めから気力が萎えてしまうが、しげもいい加減で腹を立てているらしい。 「1回連絡はしたんだから、返事がなくってもいちいち確認取ってあげたりしない。そういうのもうやんなっちゃった」と牧伸二みたいなことを言う。 それはこちらもそういう気分ではある。この日記のアドレスはメンバーには教えてあるし、読んで反応することはできるはずだが、今まで芝居に関していろいろ文句を書き連ねても、全くと言っていいほど反応があったためしがない。かと言って、読んでるかどうかなんて確認は私だっていちいちしない。 演劇が好きでもない人間と一緒に芝居を作れるほど、私には気力も体力もありはしないのだ。演劇は一人ではできない(できる場合もあるがそれはそれとして)。かと言って、やりたくもない人間をムリに集めて芝居を作ったところで所詮それは一人相撲だ。脚本を書くことをやめるつもりはないし、そのために個人ホームページを開きたいと考えてはいる。そうしながらいつも自問自答している。 私は芝居を通じて誰に何を語りかけているのか。 それは何かの実体を伴うものなのかどうか。 答えに届きそうで、それを掴まえようとするとスルリと掌から逃げて行くのだけれども、この夏、1、2本の脚本は上げたいと考えている。 どうやらその程度の時間は取れそうな感じなので。
とりあえず集まった面子で、企画だけは立てる。詳しい内容はまだ発表段階ではないのでおいおい。 そのあと、博多駅によしひと嬢を見送りがてら、紀伊國屋など回る。 紀伊國屋のDVDコーナーに、黒澤明の東宝映画DVDボックス全3巻23作品の発売予告のポスターが貼ってあるのに気づいて、私もよしひと嬢も息を飲む。 ずっと以前によしひと嬢にむりやり『隠し砦の三悪人』と『蜘蛛巣城』を見せて以来、彼女は黒澤明と三船敏郎のファンである。『雨あがる』を「抜け殻」と評するくらいに入れこんでいるので、当然このDVDボックスはほしいのだろう。ポスターを食いいるように眺め、やや上ずりながら呟く。 「単品で買えるなら……ああ、でも半分以上欲しいのばっかり」 私が「オレは買うぞ」と言おうとした瞬間、しげが何かを察したかのように「買わんよ」と言い出す。 「どうして」 「だって、ひとつ4万円近くするんだよ。3巻で12万? ハッ!」 「別に一気に12万使うわけじゃないじゃん」 それに、紀伊國屋は10%引きで売ってくれるから、3万6000円。ポイントカードの割引で更に2千円引き。10万ちょっとで買えるのである。映画ファンでこれを買わずにいられるものか。 けどそうなるってえと、やっぱりどこかで切り詰めないとなあ。 これでもビデオのエアチェックは控えるようにしているし、服は新しく買わないし、それなりに使うおカネを切り詰めちゃいるんだが。 と言いつつ、よしひと嬢を見送った後、またすし大臣で食事。そうだよ、食事代がかかってるんだってば。けれど、ウチの場合、外食したほうがまだ安上がりだということが最近になってわかった。料理を二日分ほど作りおきしておくと、その日のうちにしげが食い尽くしてしまうのである。曰く、「次の日になって温めなおすと美味しくないんだもん」。 これで人に無駄遣いをするなと言える根性が腐ってるのである。
その後、しげと二人でこれも久しぶりのカラオケ。 二人だけだと、今まで歌えなかった歌にも挑戦できる。私の場合はたいてい女性ボーカル曲だが(だってみんなの前ではどうしても熱唱曲ばかりになるんだもん)。あ、もちろんアニソン以外は歌いません(^o^)。 密かに練習していた雛形あき子の『SIX COLORS BOY』(さあ、何のアニソンだかわかるかな?)、やはり音程が所々外れる。もう少しの練習が必要か。 しげは『ミニパト』(よく入ってたな、こんなの)に初挑戦だが結構うまく歌ってる。全くいつの間に練習してたんだ……って人のことは言えんか。
コンビニで風間杜夫の一人芝居、『カラオケマン』のチケットを買う。けれど、期日が9月11日の水曜日の午後六時半から。平日じゃん。しかも場所がサザンクス筑後小ホール(筑後市)。……ってどこだよ(~_~;)。 博多から結構遠そうなんだけれど、本当に行けるのか。 今日は気がついたら『009』を見逃してたけれど、もうDVDで全巻買うことにしたし、いいか。ムチャクチャひどい作画の回もなくなってきたし(その代わり飛びぬけていい回もないが)、絵が荒れたらまた総集編入れるでしょ、多分。
ロマンのカケラもないようなドラマがまた一本作られそうな気配である。 TBSの特別企画ドラマ『明智小五郎対怪人二十面相』(8月27日午後9時放送)の制作が開始されたが、名探偵明智小五郎役はなんと田村正和。 ……「古畑」じゃねーか、というツッコミをしたくなる人が大半じゃないかと思うが、原作ファンの眼で見ればもう悪ふざけ以外の何物でもない。 だからよゥ、原作には「神田伯龍にそっくり」って書いてあるってえのに、どうして似ても似つかぬ役者ばかり揃えてくれるかな。モノシラズは明智と言えば天知茂って思いこんでるやつ多いけど、明智は二枚目じゃないんだってば。 それに田村正和って、今いったいいくつだ。いくら何でも明智やるには老けすぎてないか(そりゃ原作でも50代まで活躍してたけど、二十面相と対決するなら、せめて40歳くらいでないと)。おいちゃん、悲しいよ(T△T)。 これまでの映像化で一番イメージに近かった(っつーか他のに比べりゃマシなだけ)のは嶋田久作だけれど、『屋根裏』じゃラリってたし、『D坂』じゃヒゲ生やしてたしなあ。みんなちゃんと原作読んでくれよ。 それでもいつもニコニコ笑ってるけど底が知れないって感じの演技を田村正和がしてくれたら嬉しいんだけど、どうもキャスティングからして、スタッフが乱歩ファンとも思えないから期待は薄い。 さらに視聴者を馬鹿にしてるとしか思えないのが、二十面相役がよりによってビートたけしだってこと。いったい何を作るつもりだTBS。……いつぞやの陣内孝則の明智にも相当腹を立てたものだけれど、正直言って、今回は憤りを通り越して殺意すら覚えるぞ。 これがねえ、NHKの夏木陽介版『明智探偵事務所』みたいに、二十面相(演じるは米倉斉加年!)があのマスクしたヘンなスタイル(原作にそんな描写はない)を一切取らず、あくまで市井の人の中に埋没しているって設定ならビートたけしでも許せないものでもないけれど、スチールにはしっかりあの「怪盗スタイル」で写ってやんの。 中村警部が伊東四朗ってのも、普通は喜びたいところだけれども、どヘタクソなコメディリリーフにされそうな気がしてこれも気が滅入る要素の一つ。 いや、見る前からなんだかマイナス要因ばかり並べたてちまったけど、「見てからモノ言え」が批評の立て前ってものである。とりあえず見ますよ。ああ、見てやりますとも。見てどうか私の懸念が杞憂で終わりますように心から祈る次第です。
『週刊文春』で、林真理子氏が『今夜も思い出し笑い』でナンシー関を追悼している。底の浅い駄文しか書けない人だってことはもう充分過ぎるくらい知っているので、またピント外れなこと書いてるんだろうなあと思っていたが、やっぱり今回も、ナンシーさんの文章を「悪口だけれど品があった」と愚にもつかない誉め方をしている。なんにもわかってないよなあ、品がないからこそ悪口の価値はあるし、俗だからこそ我々の共感を得るのだ。林さんの言い方じゃ、逆にナンシーさんの文章を貶めてるのと変わらない。誉め殺しするつもりか。 「○○だけれども○○」ってのは便利なコトバで、全く何も考えてなくても意味のある文章に見せかけることのできるレトリックの一つである。「乱暴だけれども優しい」とか「猥雑だけれども美しい」とか、一見、相反するものを同価値なものとして並列しているように見えるけれども、そうではない。実は前者の価値をマトモに認めるだけの分析力を持っていない、あるいは認めようとしていないのだが、後者の言葉でいかにも理解しているように見せかけているだけなのである。 偽善者はたいていこの種のコトバを平気で使う。私もしょっちゅう使うから間違いないぞ。(≧∇≦)/ 更に林さんは「ナンシーが自分が太っていることについて一切書かなかったのは、自分を道化にしたくなかったからだ」とかなんとか書いてるが、自分で触れたくなかっただけって、どうして考えないかな。 こういう死去の際の妙な美化自体、生前のナンシーさんだったら真っ先に揶揄していたことだろう。ナンシーさんを誉めるのなら、こんな主観的で確認のしようもない言質でではなく、もっと理性的な人に客観的な言葉で語ってもらいたいものだけれど、語りたい人は今現在、本気で悲しんでいるんだよな。 コラムニストの功績は、再評価がされにくい。作品自体に時事的な話題が多いために、評価する側にもその時代と現代とを結びつける批評家としての目が要求されるからだ。この二十年間のテレビ・芸能界がなんだったのかを再び評価しようという人間が出て来ない限り、ナンシー関の著作は膨大な情報の中に埋もれていくだろう。 時代におもねって、安全なところからの物言いしかできない人間、差別語を糾弾することで事足れりと思っている偽善者が多い今、その可能性は高いように思う。 悔しいぞ。
同じく『週刊文春』から。 小林信彦の『人生は五十一から』でワールドカップを総括。日本が負けた時点で既に総括に入っているというのがいかにも小林さんらしい。ベスト8に入れなかった時点で、確かに日本のワールドカップは終わっているのである。 小林さんも、この一連の熱狂が、マスコミにより大衆が踊らされている結果だという認識をお持ちのようだ。「トルコを圧倒しつつ惜敗」というコトバが大本営発表並のウソであることも暴露している。一点差だろうが、片方が片方より圧倒的に強いということも現実にはある。負けは負けなのだから、このような報道が「偏見」あるいは「主観」によって書かれていることは否定できない事実だ。なのに、それを「惜しかった」と安易に語る人間が、既に「洗脳」されていることに、反論できる人がいるだろうか。 この「夢」はまた次のドイツでのワールドカップで日本がコテンパンにやられでもしない限り、覚めることはないのだろうな。それでも覚めないバカもいるだろうけれど。
DVD『マジンカイザー』5巻。 あ〜、あしゅら男爵が弓教授に変装して光子力研究所を破壊しようって話ですけれど、ところがその日がちょうど弓教授の誕生日で、パーティでむりやりデカバナとヒゲをつけさせられたあしゅら、演じてるのは八奈見乗児さんだから、当然これは「ボヤッキー」になってしまう。「もうお仕置きされちゃて」ってセリフはストーリー上はドクターヘルにってことになるんだろうけど、誰もそうは思うまい。 それはそれで面白いんだけど、こんなオリジナルやるんだったら、原作通りブロッケン伯爵出してくれよ。なんだかこのままだと7巻目にも出て来そうにないんだけれど。もっとも第2期シリーズで出すってんならいいぞ。
DVD『パワーパフガールズ バターカップ缶』。 PPGのボックスもこれで一応一区切りである。これ以降は映画版制作のためにテレビの方はお休み、ということなので、仮にシリーズが再開されるとしても、もうしばらく後になるだろう。でも、『シンプソンズ』も映画にはなってないってのに、やっぱりヒーローもの(?)は強いね。 今回は映像特典はなし。最終回までを完全収録……というか、なんでボックスの3巻目にテレビシリーズの第1話が収録されてるかね(~_~;)。 日本での放映が必ずしも本国の放映順にはなってないせいなんだけれど、日本のアニメだって、海外で勝手に改竄されてることが多くて、それを知るファンは憤ってるってのに、日本も同じことをしてどうするか。もっとも、あちらのアニメはそのことも考えてか、第1話をはっきり第1話と判るようには作ってない(初めから放映話順を入れ替え可能にしてある)のだけれど。
マンガ、和田慎二『忍者飛翔 雪の章』(メディアファクトリー/MFコミックス・598円)。 あー、なんでイマイチ和田慎二のマンガに乗れないかって言ったら、わざとらしいカマトトキャラとか、先が読めるのに作者だけがギャグしかけて気になってるだけのバレバレなネタがやたら出てくるからなんだな。 このシリーズを読むのは初めてだけど、ね太郎が飛翔だってことに真琴が気付かないって、そりゃいくら何でもないでしょ。 ああ、あのね太郎のボケたフリしてる時のへの字口! こんな古臭い「記号」が今でも通ると思ってる作者の傲慢さ! で……、特にヒドイのが、風邪を引いて熱に浮かされている真琴の尻をね太郎が捲るシーン。実はそれは……ってオチになるんだけど、こんな昭和30年代のマンガレベルのバレバレのシモネタやるなよ、みっともない。 そういうのはコメディの定番だって言うかも知れないけれど、シチュエーションコメディは1940年代のアメリカ喜劇だって、もっと設定に凝ってますよ。定番と安易を一緒にしちゃいけない。 『ついでにとんちんかん』みたいに、怪盗本人が全く正体を隠してないのに誰も気づかない(なのに怪しむやつがいる)ってとこまで開き直ってくれりゃあ、ギャグとして笑えるんだが、中途半端でしかも作者本人はごまかせたつもりになってるらしいのがどうにもねえ(『名探偵コナン』も、蘭や小五郎や目暮警部がいつまで経っても「コナン=新一」ってことに気づかないのにムリがあるんだよな)。 クレリア王女が『ローマの休日』のアン王女がもとネタってのも一発でわかるが、作者本人がメイキングでパクリだって自白してどうする。それで免罪符もらったつもりか? せめて少しは換骨奪胎してみせろよ。 ああ、でもどうして毎回ストーリーに腹を立てながらついつい和田慎二を買ってしまうのか。やっぱりヌードの魅力か?
なんだか今日はいつもの三倍は愚痴が多い気がするな。 疲れてるのかな、実際。
2001年06月30日(土) 原稿アップ(´。`;)/『マンガ世界戦略』(夏目房之介)ほか
| 2002年06月29日(土) |
能古島紀行/『ワイド版 風雲児たち』1・2巻(みなもと太郎) |
朝、しげが私より早く起きていることは滅多にない。 たまに起きているときがあっても、それは単に夜通し寝ていなかった、ってだけのことだったりする。 私の方は、一見グータラな生活しているように見えても、夜の睡眠だけはちゃんと取っているので、ここんとこはそうひどい病気にもかからずにすんでいる。運動量は減ったが、しげには内緒で散歩なんかしているので、体重もそう増えてはいない。 しげがしょっちゅうキツイだの眠いだの、体調不良を訴えるのは明らかに栄養の偏重と運動不足が原因だろう(何しろ肉と米しか食わず、野菜と果物は全く取らないのだから、ビタミン不足に陥っていると思われる。脚気になるぞ)。
休日も、ここしばらくは日がな一日寝ていることが多い。 ところが先週、ちょっと太宰府に足を伸ばして味をシメたのだろうか、それでも朝はグースカ寝ていたしげだが、10時を過ぎてやっと起きだして来たかと思うと、またぞろ「どこか旅に出たい」と言い出した。 はっきり言って逃避である。 休日くらい家事の一つもすればいいのに、料理どころか洗濯も掃除もしたくないしげは、ともかく日常から逃げ出したいのだ。 そんなのに付き合ってやったって、私も疲れるだけなのだが、怒ればまたヒステリーを起こすのは目に見えている。しょうがなく、「どこに行きたい?」と話を合わせる。 「どこでもいい、どこか!」 ますます現実逃避だ。多少ナゲヤリな感じで「島にでも行くか? 能古島」と言ったら、「うん!」と喜ぶ。言ったあとでしまったなあ、遠いなあ、疲れそうだなあ、と思ったが、今更取り消しはきかない。「ちょっと遠いな。志賀島でもいいけど(たいして距離は変わらんわ)」とかなんとか言ってみるが、しげのヒトミはもうキラキラと星が煌いていて、「能古島気分」は動きそうにない。 覚悟を決めて、タメイキをつきながらダルいカラダを車に押しこんで、姪浜の能古渡船場へ向かう。
免許を取って半年、もう運転にも馴れていそうなものだけれど、初めての道はやはり緊張するものらしい。しげ、やたらと道を間違える。 こちらもあまり機嫌がよくないから、つい「何やってんだよ」と文句をつけるが、一本道なのになぜか右折されちゃうんだから、文句の一つも出るのは当然だ。 「まっすぐ行くって自分で言ってたじゃないか!」 「だって間違えたんだもん!」 「言い訳になっとらんわ!」 「だったらもう帰るよ!」 「いったん出かけといてワガママ言うな!」 全然楽しい家族ドライブってムードじゃない。 それでも予定より早く車は渡船場に到着。 能古島への船はほぼ1時間に1本だが、ちょうど船が出る10分前だった。乗船料は往復で400円。えらく安いが市営だからなんだろう。一応、観光地だとは言え、それほど客が多いとも思えない。実際、休日の今もフェリーに乗り込もうという客は20人かそこらだ。結構、補助金が出てるんとちゃうかな。
船に乗るのでしげは相当喜ぶかと思っていたらそうでもなさそう。私が浮かない顔をしているせいなのか、船に酔いでもしたのか。それとも、フェリーの安全防止のせいだろうか、スクリューに“カサ”がかかっていて、しげの大好きな「水飛沫」が見られないせいなのか。何となく最後のやつの公算が高いが、そんなの私のせいじゃないのでいちいち慰めてはやらない。 島を背にした席に座ったので、ちょうど博多湾を一望に見渡せる。 昔に比べると、本当に高い建物、そして「広い」建物が増えた。福岡ドームだとかなんとかホテルとかの類だが、ホテル関係のあの横広さはいったい何なんだろうね。そのくせ幅はないから、地震が来たら横にへにょっと倒れそうに見えて危なっかしいんだけど。
島に着くと、同乗して来た人たち、ほとんどがツアーの客だったらしく、観光バスに乗りこんでどこぞに向かう。 観光案内所でマップを貰い、島の北端にアイランドパークってのがあることを知る。何しろ衝動的に来ているもので、どんな施設があるかよくわかってないのだ。 しげに「このアイランドパークってとこに行ってみる?」と聞くが、つまらなそうに「いい」と断る。 「でも他にめぼしいとこないぞ。あとは壇一雄の旧宅くらいだし」 「金印公園は?」 「そりゃ、志賀島!」 博多以外の人にはよくわからんだろうが、「漢委奴國王」の金印が発見されたのが志賀島の田んぼの中ってことになってるのね。 しげ、不承不承アイランドパーク行きを納得する。
島の北端にあると言ってもバスで10分も掛かる距離ではない。博多湾内で結構な面積を締めているように見えるが、実際に上陸してみると能古島はそんなに大きな島ではないように感じる。 自転車を借りて、ぐるぐる回ることも考えたが、坂道があったらくたびれそうなのでやめた。 バスに一緒に乗りこんだのはおばちゃんたちが数名だけ。観光バス組はいったいどこへ行ったのか、他に見るところって、コーヒー園とか壇一雄の旧宅くらいしかないみたいなんだけど。 ちょうどアイランドパークに着いたころから小雨がぱらつき出す。 幸い、雨宿りするほどではないので涼しいくらい。 太鼓橋があったので、しげが渡りたがる。マップを見るとその先には何もないようなので、行っても仕方がないような気がしたが、行かなきゃ行かないで未練がましいことをぐちぐちと言い出すに決まっているので、仕方なく付き合う。 案の定、花壇のほかには何もない。花を眺める気分ならそれでも楽しいのだろうが、雨降りだとなあ。しげも退屈したのか、もとのコースに戻る。
海岸まで行くとレストランなどもあるようなので、そちらに向かうが、途中にウサギ小屋とヤギ小屋と鶏小屋があった。 前にも書いたが、私は動物にエサをやるのが三度のメシより好きだ。本気で大好きだ。 しげは「何でそこまで」と言うが、もちろんエサに飛びついてくるときの動物の動作が可愛いからに決まっている。あんたね、あのね、ウサギがエサのニオイ嗅いでさ、ふんふんふんふんふんふんふんやってるときの可愛さったらないよ。ああいうの見てると、「ふふふ、この愚かな畜生めけだものめ玩弄物め、ありがたくこのエサを押しいただくがいいわ、ふはははは」って、抑圧されたストレスが開放されるような気になりませんか。私はなります。
ウサギ小屋のエサはパンの耳とチーズの短冊。コヤの中の棚に、駕籠がズラリと並べてあって、ハコに100円入れて自由に取って行く形式。 ちょうどアベックが来て金網の柵越しにエサをやっていて、もう何10匹ものウサギが大小取り混ぜてエサに群がっている。 「あ〜ん、小さいのが食べきらん」とか女がブリブリ言ってるので、チビなやつにエサをやろうとしてもデカイのに取られて食べさせられないでいるのだろう。ふっ、まだまだシロウトだ。 アベックからやや離れたところに陣取ると、「撒き餌」をして、ウサギを集める。当然ちびすけは乗り遅れたりはみ出たりして、群れからはぐれる。そこにエサを落とす。ちびすけは首尾よくエサが食べられるというスンポー(c.尾田栄一郎)だ。 でも、せっかくやったパンの耳、ちびすけが食べてる最中にでかいのが来て横取りして行く。……これだからいつまで経ってもチビなのかもな。けどデブウサギの隙を見つつ、ほぼちびすけたちにエサをやり終わって、今度はヤギ小屋へ。 ヤギのエサはもなかの中に小さな塊。ビーフジャーキーの類か。 扉があって「自由にお入りください」とあるけれど、油断したら、ヤギが外に出ちゃうじゃん。これも柵の外からエサをやるが、やる前から猛然と10匹くらいが扉のところに群れてくる。しげは怖がって近寄ろうとしない。ウサギのときには結構時間がかかったが、掌にエサを置いて差し出すと、あっという間に食い尽くされる。なんか、やりがいがないぞ。 次に鶏小屋に行くが、これは高台の上からエサを投げ下ろす形式。鶏がやはり一番危険だからだろうな。奥の方にイケがあって、そこに鴨もいるが、パンの耳は軽いので、うまく投げないと届かない。しげにエサを渡すと、うまい具合に投げて、水面に落ちたパンを食べている。こういうときだけ妙に器用なんだよな、しげは。 今一つ消化不良なので、もう一度ウサギ小屋に寄って、エサをやる(しつこい)。 「また?」としげはほとほと呆れた様子だが、私はこれが楽しみで生きてるようなものだから、有無は言わせない。 「いいじゃん、おまえもやれよ」 としげにもエサの駕籠を渡す。さっきと同じように代金をハコの中に入れようとしたら、もう財布の中には150円しかない。 「おまえ、50円出せる?」 「財布、車の中に忘れて来ちゃったよ」 「じゃあ、しょうがないなあ。どこかの店で買い物して、お釣りを作ってあとで入れよう」 二人でエサをやるが、しげが突然「ねえ、オレんとこチーズが入ってないよ!」と言い出す。なるほど、確かにしげの駕籠にはパンの耳は入っていたが、チーズが入って無かった。 「飼育係りの人が入れ忘れたんだな。じゃあ50円でちょうどよかった」 ……と言うわけで、能古島関係者の方がこの日記読んでたら、今日この日、50円しか入ってなかったのは詐欺ではありませんので悪しからず。 「ああ、けれどエサがやれたから、これだけで今日は満足だな」 しげは私を見て何か言いたそうに口をモゴモゴさせてるが笑ってるのか怒ってるのかはっきりしろい。
どーぶつにエサをやってばかりもいられない。 自分たちのエサも確保せねばと、レストランでバーベキュー。 「能古焼き」とか「玄海焼き」とかなんとか名前はついてるが、つまりは肉と魚介類ごった混ぜの炭火焼である。初め焼けるのに時間が掛かるが、虫が飛んでくるのを気にしなければ、ベランダで風に吹かれ海を見ながら食うムードは気分がいいし、やはりイカや貝が美味い。一応取れたての魚介類って謳ってるから、本当なんだろう。一人アタマ2500円だけれど、損をした気にはならない。 ちょうどこのベランダが映画『ちんちろまい』にも使われていたところのようだ。ちょっと歩かなきゃならないが、お客さんが来たらここまで案内するのも手かも。
食事に結構時間を食う。 バスやフェリーの時間があるので、帰りはやや足早。小雨もやや強くなってきた。本当はこまで来たなら壇一雄の旧宅も見物してみたかったが、しげの気分が悪そうなので中止。 パークの売店で父の土産にウドンと黒炭石鹸とかいうのを買う。ウドンは能古で作ったという腰のありそうな乾麺である。ウチの分まで買おうかどうしようか迷ったが、しげが「食わん」というので石鹸だけ買う。こちらの方は効用に「毛穴から脂肪を落とす」と書いてあるのにしげは惹かれたらしい。でもなんだかこれって昔「痩せる石鹸」とか言って、中国じゃ二束三文の値段だったのを何千円かで売ってたって詐欺紛いのに似てるような……でもこれは500円くらいだし、まあいいか。 井上陽水が能古島を歌った歌ってのもCDが売ってあって、結構バカっぽくてちょっとほしかったのだが、何となく「これ以上無駄遣いするな」としげの目が語ってる気がしたので諦める。タイトルは忘れた。気になる人は「井上陽水」「能古島」で検索かけるとヒットするかも。私はめんどいのでやりません(~_~;)。
バスに乗って、渡船場まで来ると、しげの気分、本気で悪くなっている。 「バスに酔ったのか?」 「わからん」 しげは自分の症状を説明するのがとことんヘタだ。 気分が悪いのが風邪のせいなのか寝不足のせいなのか食い過ぎのせいなのか、それすら区別がつかない。こちらも対処のしようがないので、ともかく帰ろう、と言うしかない。本当は今日は『スターウォーズ・エピソード2』の先行上映なので、見に行くつもりだったのだが中止。前売券は買っているのでまた来週だな。 土産がサビシイ気がしたので、能古島で獲れたというアサリを買い、父の店に寄って渡す。自分の土産には桃を買ったのだが、これはイマイチ熟れてなかった。桃の本場はやっぱり岡山なのかな。
社会思想社が負債6億8000万円を抱えて事業停止。 ……って、現代教養文庫はどうなるんだ。 一般的にはルース・ベネディクトの『菊と刀』や、アレックス・ヘイリー『ルーツ』の出版で有名だったのだろうが、私にとっては何と言っても戦前の探偵小説家たちの選集を出版してくれていたありがたいところである。昭和50年代の横溝正史ブームで、あちらこちらで探偵小説の文庫化が行われたが、数年経つと軒並み絶版になってしまった。 そんな中、現代教養文庫だけが小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、牧逸馬らの探偵作家たちをずっとフィーチャーしてくれていた。夢野久作の『ドグラ・マグラ』はまだ角川文庫で読めるが、小栗の『黒死館殺人事件』も、久生十蘭の『魔都』も、牧逸馬の『浴槽の花嫁』も、もう今じゃなきゃ手に入らなくなるぞ。探偵小説ファンでまだそこまで手を伸ばしてないってやつは、今すぐ本屋に急げ(でもできるだけ大きなとこじゃないと置いてないからね)。 あっ、江戸川乱歩の『探偵小説の謎』も教養文庫だ。乱歩が評論家としての力量も第1級であったことを証明する一冊。これを読んでなきゃそれこそモグリってなもんだ。新版が出て数年しか経ってないから、探せば絶対売れ残りがあるぞ。紀伊國屋でも三省堂でもジュンク堂でもBOOKOFFでもいいから走り回るのだ。そして君も探偵小説のロマンに浸りたまえ。
マンガ、みなもと太郎『ワイド版 風雲児たち』1・2巻(リイド社/SPコミックス・各680円)。 全巻持ってるのに持ってるのに、またどうして買わなきゃならんかねならんかね。来月から新シリーズ『幕末編』が発行されるのに合わせて、旧版を再刊してるわけなんだが、一応、ギャグ注を現代に合わせて改訂、更にタイトル字を平田弘史に依頼するなど、買い直しの読者のためのサービスも付けちゃいる。けど旧版を半年に一回、ホントに1巻1巻待ち望んでは買っていたこの身にしてみれば、やっぱりちょっとだけ、もったいなく感じちゃうのである。
思えば最初にこのマンガに出会ったのは、もう20年以上も前、どこぞの定食屋でふと手にした『少年ワールド』(合掌。掲載誌は後に『コミックトム』に移る)で、この第1巻の第5章、関ヶ原の合戦における薩摩藩の「敵軍正面への退却」を描いたシーンを目にしたときであった。 驚いた。 歴史の専門家なら多分周知のことなのだろう、しかし私には全くの初耳であった。関ヶ原の合戦についてなら、映画やドラマで見、本も多少は読んでいたが、このような無謀な激戦を薩摩藩がやっていたとは。 ……と言ってもそんなバカな抗戦をせねばならなかったのには薩摩自身に原因がある。関ヶ原に参戦したはいいが、ほとんど戦う間もなく西軍が破れ、気がついたら東軍全てに包囲されていたというのである。激戦の末、千六百の兵は六十名足らずに。確かにその結果は悲惨だけれど、冷静に考えれば自業自得だし、アホ以外のなにものでもないが、アホほど負けた恨みは深い。 この薩摩のアホウはこの時の恨みを、260年以上にも渡り、東軍の総大将たる徳川家に対して持ち続けことになるのだる。 おなじく「何のために関ヶ原に参戦したか分らない」ままに敗走した藩があと二つ。長州と土佐。みなもと氏は、何と、明治維新はこの三藩の関ヶ原の逆恨みから発したと書くのだ。 驚いたのだ。 それまで私の知っていたたいていの幕末ドラマは、明治維新の原因は、徳川幕藩体制の疲弊と、諸外国の外圧によって、新体制を作る必要に迫られていたためと説かれていた。それが王政復古と藩閥政治という革命とは程遠い形式になってしまったのがなぜなのか、歴史書や教師の説明は今一つ明確でなく、妙な歴史の歪みを感じていたのだが、みなもと氏の説明ならば実に納得が行く。 明治の日本は、心の底から開国、文明開化を望んでなどはいなかったのだ。 戦国の世は決して終わってはいなかった。薩長土佐の人々のメンタリティは、四百年前からストップしたままだった。彼らの復讐心が倒幕の最も中心のエネルギーであったのだ。
……まあ、ホントにそれだけってわけでもなかったと思うけれど、語り口は実に面白い。『ホモホモ7』でしかみなもと太郎を知らなかった私には(マンガ家として『レ・ミゼラブル』その他の世界名作ギャグを描き続けていたことすら知らなかった)、このような一本筋の通った歴史観で、しかもギャグマンガを成立させられるだけの力量をこのマンガ家さんが持っていたことにまったく不明であった。全くマンガの世界は広いよねえ。 その後も『風雲児たち』の爆走は続く。幕末を描く、と言いつつ、時間の省略はしつつも、その幕末に至るまでの伏線となる出来事を丹念過ぎるくらいに描き、黒船来航に至るまでほぼ30巻を費やす。もと出版社の潮出版が「長過ぎる!」と激怒したのも分ろうというものだ。しかし、途中省略された部分も含めてもっと巻数をかけてくれてもいい、と考えていたのは私だけではないはずだ。 なぜなら、それだけ魅力的な人物を、キメの大ゴマを多用して、見事にうねりを持ったドラマとして描ききっていたからだ。 前野良沢(蘭化)、杉田玄白、平賀源内、司馬江漢、林子平、高山彦九郎、ベニョブスキー、田沼意次、田沼意知、大黒屋光太夫、最上徳内、伊能忠敬、高野長英、渡辺崋山、江川太郎左衛門、近藤重蔵、間宮林蔵、遠山金四郎、大塩平八郎、シーボルト、オランダお稲らの事績をただの解説に留まらない分量で描いていく。恥を晒すようだが、私ゃこのマンガで初めてベニョブスキーというトンデモナくオモロいおっさんを知ったぞ。その日本紀行のデタラメぶりったら(チラッとしか日本にゃ寄ってないのに大ドラマをでっち上げるのだ)、ジェームズ・クラベルの『将軍』なんか目じゃないがね。 そしてついに坂本竜馬たちが活躍する『雲竜奔馬』編に突入したと思ったら、数年で、掲載誌の『トムプラス』が休刊。 続きが出るのを待ったよ待ったよ待ったんだよ、ホントに。 ああ、でも読みかえしてもやっぱり面白い。天皇家を「身分証明書発行所」と言いきってるところも、周知の事実でありながら歴史家があいまいにしたまま言及しようとしなかったことをズバッと処断してくれているようで、実に小気味がいい。 今まで未読の方は幸いである。これから毎月、確実に面白いと言えるマンガが読めるのだ。もう5、6巻まで出てるみたいだけど、さすが『ゴルゴ13』以外何を出版してるんだのリイド社(^_^;)、全然本屋で見かけないぞ。注文してでも買いなさい。
2001年06月29日(金) フェイト教授、さようなら/『スカルマン』7巻(石ノ森章太郎+島本和彦)ほか
| 2002年06月28日(金) |
犬も歩けば/『仮面ライダーSPIRITS 受け継がれる魂』(村枝賢一監修)/DVD『続・黄金の七人 レインボー作戦』吹替版ほか |
朝がた見た夢。 細かいところは忘れたが、しげがなんと妊娠している。 いや、私の妻なわけだから、妊娠したって別にヘンじゃないんだが、さすがに結婚して十年経っても何の音沙汰もないと、確かに私かしげのどちらかのタネが腐ってんじゃないかって気にはなる。 ただなあ、これはなあ、夢だからなあ、ホントじゃないから書いたって構わないんだが、書いたら書いたで私の人格が疑われそうだから(今更)悩むんだが、しげが夢の中では10歳若返っているのである。ちなみに今しげは28歳だ。 でも私はロリコンじゃないぞ。ヨメさんは若い方がいいとも思ってない。趣味的にはやっぱり練れたオトナーな女性がいいなと思ってるんである。 これはあれだな、昨日か一昨日、何気なくしげの学生時代の写真(15歳だぜ。オイ)を見て、まだ痩せてて目つきも今ほど険しくなくていかにも少女少女してるのを見て、ああ、コイツにもこんな可憐なころが、とかなんとか考えてたせいだろう。 何しろ、若いだけじゃなく、妊娠してるくせに「痩せて」いたのだ。夢の中のしげは。
昨日から急に暑さが増してきて、ややバテ気味。 少し体調を整える意味もあって、今日は半日休みをとってしげとゆっくりしようと思っていたのだが、しげの方も今日は疲れていてダウン。 仕方なく、一人で天神などを回って買い物などする。 道すがら、職場の近所の総菜屋、「ボナペティ」がつぶれているのを発見。ああ、やっぱりなあ、客、ホントに入ってなかったものなあ、これで仕事帰りにおかずを買って帰れる店が減っちゃったなあ、と残念に思うが、そんな風に感じるのはウチが家事をしない家庭だからだ。多分、このあたりの家々は、普通に家事する家庭が多いのだろう。総菜屋が繁盛しないのも当然なのである。
博多駅で、本屋を回ってたときに、知り合いの女性に声をかけられる。 かつて職場で同僚だった方で、今は別の仕事に就かれているのだが、昔の職場の悪口(つまり今の私の職場なのだが)を延々と聞かされる。 まあ、その人の事情も分らなくはないのだが、ウチの職場でのその人の仕事ぶりもお世辞にも芳しいとは言えない感じだったので、往来の場でもあり、こちらも「はあ」とか「ええ」とかそんな相槌しか打てない。 つーか、実はその人、大きな声じゃ言えないが、職場を去る時、ウチの職場の備品をいくつか盗んでいっているのである(^_^;)。いや、ご本人としては備品を「整理」するために「預かって」いると主張なさるのだが、自宅に持ち帰ってりゃ、それは普通は「窃盗」と呼ぶのだ。 「預かりモノ」なら、返してもらうのが必然なので、こちらもやんわりと「お困りなら、私が取りにあがりましょうか?」と水を向けてみる。その人の「窃盗」は職場にもバレていて、いささか問題にもなっていたので(ならなんとかしろよ上司)、偶然会ったのを機会に、個人的になんとかできないかと思ったのだ。案の定、アチラも渡りに船だったのだろう、「お願いできますか?」と嬉しそうな顔をする。 だったら、最初から持ってかなきゃいいのに、とも思うが、今更それは言ったってしかたがない。改めて連絡を取る約束。具体的に書けないことも多いんで省略してるが、なんだかこういう裏でコソッと動く仕事が多くなってるな、最近の私。
自販機でお茶を買っていると、またもや偶然、知り合いの若い女性(さっきとは別人)に会う。 一人で行動した途端に、こうも声をかけられるということは、しげと一緒に行動してる時にも、誰か知り合いとすれ違ってる可能性は高いな。おそらく、普段は声をかけるのを遠慮してるのだろう。私自身は視力が極端に悪いので、知り合いとすれ違ってもまず気がつかない。それでこれまでの人生、貴重な出会いを随分逃してきたのかも知れないが、それは関知しようもないことだ。 今日、出会った女性も、「実はよく見かけてるんですよ」と仰る。 やはりしげと一緒の時で声をかけにくかったそうだ。以前会ってた時よりも随分キレイになっていたので、「恋人でもできたの?」とセクハラ発言をすると、「全然」と照れる。私も立派なオヤジになったものだ。 近況を聞いてすぐに別れたんで、艶っぽいことは全くない。読者諸賢にとっては期待外れだろうが、しげにとってはこれも立派な浮気になるんだろう。でも向こうから声をかけてきたんだから、こりゃ不可効力ってものである。こういうことがイヤだから、しげはしょっちゅう私と一緒にいたがるんだろうなあ。 この程度の彩りが人生にちょびっとだけあるのはいいんじゃないかと思うんだけどダメですか、しげさん。
晩飯は一人で「COCO一番屋」。カレー専門店にしては、ルーにコクがないのがネックだが、その分、具沢山なので栄養的には重宝している。ただ、なんといっても一品の単価が高い。カレーのチェーン店がほかに見当たらないから一応繁盛しちゃいるようだが、同種の店が現れたら競合は難しいのではないか。 福岡にはラーメン店は腐るほどあるけれど、カレー店は意外と少ない。不況脱出に美味くて安いカレー店ってのはいいアイデアだと思うんだけど、誰かやってくれないかなあ。
ゆうきまさみさんのHP(未だに暫定でコンテンツが増えてないぞ)「逃げちゃダメかな」で、少年サンデー連載の『KUNIE』が最終回を迎えたこと(ウチキリにあったこと)について、愚痴を述べている。 心半ばにして倒れる無念は分らないでもないが、元々クライマックスを作ることがヘタなゆうきさんにしてみれば、『究極超人あ〜る』のようなまったりとしたマンガならばともかくも、ああいう本格的なSFものは本人の希望や意図はともかく、客観的には「体質に合わないことやってるなあ」という印象が強かったんで、まあ仕方がなかろう。一年間、5巻分続いただけでもサンデーの温情は感じていいと思う。ジャンプだったら10週で打ち切りだ(ジャンブの連載自体に向いていないけどな)。 クニエがもちっとヒロインとして破天荒な行動してくれてたらとか、遠い島とかじゃなくて日本近辺で大々的なカタストロフが起こってりゃとか、読者にしてみても隔靴掻痒的な展開が多かった。ファンでもあるし、マンガ家生活がこれだけ長い人に対して、こんなこというのは気が引けるのだが、キャラデザインはともかく、ゆうきさんは未だにマンガのレイアウトやコマワリ、背景の指定(多分アシストに描かせてるのだろうが)に同人誌臭さが残っていて洗練されていない。率直に言って、「動き」がないのである。だからアクションを描かせるとどうにもその欠点が露呈してしまう。『パトレイバー』がヒットしたのは、あくまでメディアミックスのおかげであったことをもう一度自覚してもいいのではないか。 捲土重来は『バーディ』や新連載になるみたいだけれど、もう一度「まったり」路線を考えてみてもいいんじゃないかなあ。同じアクションものでも『ヤマトタケルの冒険』みたいに全く冒険しないような感じで。
石森章太郎プロ・村枝賢一監修『仮面ライダーSPIRITS 公式ファンブック 受け継がれる魂』(講談社/マガジンZKC・950円)。 第一部が完結したところで今までのおさらいって感じで出されてるけれど、あまり見所のない編集。後半のかつてのテレビスタッフインタビューもありがちな監督や俳優に偏ったものでなく、技斗や美術スタッフにスポットをアテているのは工夫と言えば工夫だが、華がないし、マニアには周知のことしか語られてないし、第一、マンガ『仮面ライダーSPILITS』と直接の関係がない。かつてのテレビシリーズと今回のマンガ版との関係をより密接に解説する方針で編集した方がよかったのではないか。 初心者にもマニアにも中途半端な解説書にしかなってないのは残念である。
DVD『サイボーグ009』3・4巻。 先月買い損なっていたので2巻まとめて。 0013編から放浪編あたれまでだけれども、比較的テレビの方でも作画がよかったあたりだが、それでも間に合わなかったところがあったと見えて、0013の加速装置が働くあたりにハイライトが加えられたりしている。 『深海の悪魔』のラストで、テレビ版では死んだはずのベルクとドジ新兵がちゃっかり生き残ってたのは、考えてみりゃ当然の展開。コメディーリリーフを殺したままにはできないものねえ。 そういう改変があるのに、作画の粗かった『幻影の聖夜』がほぼテレビ版のままってのはちょっと納得がいかない。テレビシリーズがクソでも、DVDのときにリテイクすることを期待して見てる面もあるんだから、ちったあそういうファンのことも考えてほしいもんだ。
更にまたまた買ってしまったDVDボックス、ここまで来るといくらビンボーしてても誰の同情も買わないことはわかってるので(って買われたこともないが)、言い訳はしません。私はただのゴクツブシです。□\(- -;) ハンセイ。 で、今度は何を買ったかっていうと、『黄金の七人』BOX。 これも若い人には何それ? って感じになってるんだろうなあ。BSでもしょっちゅう流れちゃいたんだが、その分、地上波じゃとんとご無沙汰。こういうエンタテインメントの名作はせめて二、三年の間を置いてテレビで流しててほしいものだけれど、テレビ屋連中は映画を文化遺産だなんて思ってなかろうから(きゃつらは自分たちが作ってるものすらそんな風に考えてるよな)、情報だけが多くて現物に当たれぬイビツな状況は当分改善されないんじゃないかな。 せめて『映画百年史』みたいな番組を常時ゴールデンタイムで流すくらいの気概のあるテレビ局がありゃいいと思うんだが、そんな企画じゃ視聴率は取れないとかアホなこと考えてんじゃないか。看板だけ立ててナカミがなきゃそりゃ、視聴率なんて取れやしないだろう。ただの映画解説番組ならそうなることは目に見えてる。過去の名作と現代をリンクする視点を持たないと、面白いものにはなるはずもないが、そういう才覚を持った人間がテレビ局の上層部にはいないんだろうね。こういう状況だとテレビの黄金時代が60年代までって小林信彦の説も首肯せざるを得なくなるのである。
さて、今回のDVDボックス、『黄金の七人』ボックス、と銘打っていながら、4巻セットのうち、黄金の七人シリーズは実は一本しか入っていない。 どういうことかと言うと、そもそも第一作、『黄金の七人』自体が入っていないのである。 どうやら版権買い取った会社が分かれたせいらしく、第一作がIVCから単発販売、第二作『続・黄金の七人 レインボー作戦』がキングレコードからボックス仕様で、という変則的な販売になっちゃったのである。最初はそのことに気付かなかったものだから、ボックスしか予約してなかったんだけど、慌てて第一作の売れ残りも購入。オトナの事情があるとはいえ、こういうのはなんとかしてほしいものである。 じゃあ、ボックスの中身のあと三本はどうなってるかというと、本来シリーズものではないが同じマルコ・ヴィカリオ監督の作品で、“日本でだけ”シリーズものとして公開された『新・黄金の七人 7×7』と『黄金の7人 1+6 エロチカ大作戦』及び特典ディスクをカップリングしているのである。 特典ディスクの中身、マルコ・ヴィカリオ監督のインタビューはなんと日本の観客のための撮り卸しである。ってことは『黄金の七人』の人気があるのは本国よりも日本ってこと? もしかして『ルパン三世』人気の逆影響なのかな。 『新・黄金の七人』が『黄金の七人』シリーズとして公開されていることを知って、監督が「ひどい話だ、聞くんじゃなかった」と憤慨してるのには笑った。やっばりこういう他国での改変って、監督には一切知らされないままなんだね。日本製のアニメが海外でズタボロにされてるのも似たような事情なんだろう。 どうせなら主演のフィリップ・ルロワやガストーネ・モスキン(昔はガストンと表記してたように思うがフランス人からイタリア人に変わったのかよ)、オリジナル峰不二子(この言い方も生粋のファンには噴飯ものだろうが)ロッサナ・ポデスタにもインタビューして欲しかったなあと思うが、役者さんはあまり旧作についていつまでも語られるのは好きじゃないだろうねえ。 特典ディスクのメダマは、土曜映画劇場吹替版『続・黄金の七人』。切り替え仕様にすればいいのに、どうしてわざわざ特典の方に収めたかっていうと、本編カットが30分近くあって、オープニングやエンディング、音楽の差し換えもムチャクチャあるから(^_^;)。 ジョルジャ役ロッサナ・ポデスタに故・平井“スターシャ”道子、「教授」役フィリップ・ルロワに広川“しちゃったりなんちゃったりして”太一郎、「将軍」役エンリコ・マリア・サレルノに小林“次元”清志。これはこれで貴重なんだけど、やっぱりというか当然というか、広川太一郎のアドリブはセリフのないところにまで波及していて、冷静沈着な教授のイメージを損なうこと夥しい。広川さんのアドリブはやっぱりバカ映画の補填にこそふさわしいんで、こういうキッチリ作られたコメディには向かないんである。
けれど、女性ボーカルによる、「だーばだ、だーだば、だーばっ♪」ってスキャット聞くと、やっぱり燃えるねえ。たいていの人は『11p.m.』と勘違いするが(のも実はトシヨリ)、モトはこっちだ。 第一作のソフィスティケートされた泥棒モノから、雑然としたスパイアクションモノ風になっちゃったのは残念だけれど(監督インタビューで「007の影響は?」と聞かれて「忘れた」とトボケるあたりがご愛嬌)、それでも第一作の各キャラクターに再び出会えたことは嬉しい。特にロッサナ・ポデスタの美貌と小悪魔的な裏切り女の魅力はここに最高潮を迎える。ハイ、私も昔はあの真っ黒なボディスーツに悩殺されましたですよ。 けれど、ジョルジャが持ってた隠しカメラ(ライカか?)、いくら当時カメラが高級品で種類が選べなかったからと言って、ほかにもっと小さいのはなかったものか。あんなにデカくて音もハデなんじゃあ、撮ってるとこはバレバレだわな。まあ、ワザと捕まるためだからそれでいいんだろうけど。 とりあえず特典だけ見たけど、本編はそのうちゆっくり見返そう。ってそんなひまあるのか。
2001年06月28日(木) 事故&カラオケ地獄変/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』�機��供憤舵�良和)
| 2002年06月27日(木) |
緩やかな統制に異議を/『七人のナナ』&『アベノ橋魔法☆商店街』最終回/『王妃の離婚』(佐藤賢一) |
仕事帰りの晩御飯、どうするかと、車の中でしげに聞いたら、「今日は寿司の気分」だとか。 「でも、カネないし。諦める」 「諦めることないよ、俺が奢ってもいいし」 「なん、あんた、カネあると?」 「あるわけじゃないけど、寿司一回奢るくらいはあるよ」 「……明日は?」 「毎日はムリだよ! ってゆーか、毎日寿司食うかい、普通」 「……じゃあ、要らない」 「なんで? 寿司食いたいんじゃなかったんかい」 「食いたいけど食わん。だって、今日食って明日食えんのって悔しいやん」 悔しいってよう、そりゃ単にぜーたく言ってるだけじゃないか。貧乏人のクセにつましい生活はしたがらないやつなんだよなあ。 そのくせ、次の瞬間、「ねえ、どこか遠くに行きたいね」とか言い出すのだ、このスットコドッコイは。 「じゃあ、休みに三井グリーンランドにでも行くか? 前から行きたがってたろ?」 「いいけど、オレたちみたいなのが行っていいと思う?」 この「オレたちみたいなの」とはどういう意味だ。 実際の自分は傲慢なくせして、言葉だけは卑屈なふりをするこういったしげの態度に接すると、正直な話、イラダチを抑えきれないのである。しかも「オレたち」だなんて私もしげといっしょくたにされてるし。わしゃ三井グリーンランドに行っちゃいかんのか。行ったら追い出されるのか。っつーか、三井グリーンランドのどこにどう遠慮しなきゃならないのか。皇居やバッキンガム宮殿だって庶民に開放されてるんだ。どうして遊園地に遠慮しなきゃならん。 もう口を利きたくなくなって、「だったら行くな!」と言って、車の背もたれを倒して寝る。 素直に喜びゃいいのに、どうしてこうヒトコト多いのかな、しげは。
26日の唐沢俊一さんの裏モノ日記で、ワールドカップのあの加熱騒ぎを冷ややかに批評されているのを読んで、なんだかホッとする。 まずは香山リカ氏のエッセイに触れて、「若者の抑圧をその底に見、それを意図的に煽動する者が出てきたとしたら」という香山氏の言葉を引用されているのだが、これが杞憂でも何でもないことは既にオウム真理教の事件などでも証明されている。実際、乗せれば動くバカはいくらでもいるってことをマスコミが宣伝してくれたようなものだ。戦争を歓迎する人間は多くはないが、戦争になってしまったら、唯々諾々と従うのがほとんどの日本人の国民性だ。だから、国捨てて逃げても非国民じゃないって言ってるのに。そんな考え方してたら、世界の難民はみんな非国民ってことにならんか? 唐沢さんが「日頃、ドメスティック・エゴに対して冷笑的、あるいは否定的な見方をしている人が、サッカーというフィルターがかかっただけでコロリと愛国者になってしまう。こういうのは腰が座っていないのである」と書かれているが、腰が座ってないだけならまだいい。サッカー見ざれば人にあらず、みたいな態度を取られるのが迷惑なのだ。 これは「『クレヨンしんちゃん』はいいよ、見ようよ!」という趣味に関する勧誘とは全く質が違うものだ。私は普通の人が『クレヨンしんちゃん』を見ないからと言って怒りはしないが(日記中で私が腹を立てていたのは、あくまで「劇団員」や自称「オタク」のくせに『しんちゃん』を差別している点であることに注意していただきたい)、彼らは彼らに同調しないこと=敵と見なすのである。 そりゃいくら何でも考え過ぎじゃないか、と言われる方もあろう。しかし、単にサッカーが好きなだけなら、ワールドカップ以外のサッカーの試合にだって、興味を示すはずではないのか。なのに、今のサッカーバカの大半は、「日本を応援する」ことにしか興味・関心がない。深層にある共同体意識や愛国心を、「趣味」や「嗜好」のオブラートに包んで提示していることは否定のしようがないのである。 私は何もナショナリズムを全面的に否定しようとは思わない。 ただ、国に対する思いを、仮想敵国を作る、敵を倒すという形でしか表せないのは、結局は精神の脆弱さを露呈しているだけであり、いずれは何者かに洗脳煽動される危険を孕んでいることを指摘したいだけなのである。 私ゃ自分が強い人間だなんて思わないけどさあ、あんなお仕着せの中身がスカスカなイベント(念のため言っとくけど、これはサッカーというスポーツ自体がつまらないと言いたいわけじゃないからね。趣味レベルのものがムリヤリ国家的イベントに仕立て上げられてるってことを言ってんの)に乗せられるほど欲求不満に陥っちゃいないんだけど。
これだけの熱狂が起きた、ということは、とりもなおさず他人に乗せられるばかりで、自分のアタマで考えようって人間が減ってきてるってことだ。「自分のアタマで考えてない」ってことにカチンと来るなら、ワールドカップ以前と以後とで、サッカーのルールにどれだけ詳しくなったか、説明してみろ(何度も言う通り、これは純正のサッカーファンに対する批判ではありません。俄かファン、エセファンに対するものです)。 熱狂するなら他にもいくらでもあるだろうに、なんでもっと世間にオタクが増えないのか(そこに話を持ってくるかよ)。
唐沢さんは更に、「現代アニメ論」を展開されているが、これについても大いに賛同したいのだが、書きだすと長々論文になってしまうので省略。 ただ、何度もこの日記でも書いてるけど、若い人が昔のアニメや特撮を知らないのは仕方がないことだけど、「知らなくたって恥じゃない」と開き直るのはバカなだけだからやめた方がいいぞ。そりゃ、トシヨリが若い人を慰めるためのコトバでぁって、バカな自分を正当化するために使うコトバじゃないよ。 別に威張るわけじゃないけど、オレたちゃトルストイもドストエフスキーも漱石も読んだ上で、『クレヨンしんちゃん』は面白いって主張してんだよ。でなきゃ、言葉に説得力ってものが出て来ない。自分たちのコトバにどれだけ人を納得させられるだけの論理があるかどうか、ちったあ考えろよな。 ……唐沢さんの「情報は現在のそれが過剰になればなるほど、歴史的つながりが絶えてしまうものなのである」ってコトバ、諦観してるみたいで悲しいなあ。
アニメ『七人のナナ』第25話(最終話)「合格発表!! 心の丘に花の咲く?」 あ〜、しばらく見てなかったら、「影ナナ」なんてのが出て来てるよ。 ダークサイドっつーか、ウィリアム・ウィルソンっつーか、この手のパターンはいやになるほど見てきてるんで、飽き飽きしてるんだけど、結末が更に「あなたもやっぱり私だから」って言って合体しちゃうってのもあまりにも定番で安易過ぎないか? 同じ安易でもね、本来、一年経っても七人のナナが元に戻れなかったら死んじゃうって話だったのが、実はそれ、お爺ちゃんの勘違いでしたって肩透かしは別に腹は立たないのよ。それは話を引っ張るためのマクガフィンみたいなものだから。 けど、そうやって七人のナナがいるなら、影ナナだって復活してなきゃヘンじゃん。結局、オチ付けるために八人目のナナを出したのはいいけれど、物語としてうまく着地できなかったってことじゃないのかね。 せっかくハチャハチャな展開で久しぶりに楽しめるギャグアニメになるかと思ったら、また今川泰弘の説教臭さが出てつまんなくなっちゃった。だから「自分の気持ちに正直になることが大切」なんて薄っぺらなスローガンでアニメ作らないで欲しいんだけどなあ。
アニメ『アベノ橋魔法☆商店街』13話(最終回)「甦れ!まぼろしの陰陽師☆」。 あー、サッシの正体って安倍泰親だったのね。 って実はこれ、ネタバレなんだけど、どーせ若い人は安倍泰親なんて誰なんだか知らないだろうから、名前出しても大丈夫だろう。第一、本編中でも泰親についての解説、全くないし。 これまでの色々なアベノ橋商店街が全てサッシの心の中の仮想現実だったってのは、ブラウンだしディックだし押井なんだけれども、それはもうバレバレなのを承知の上でいろんなスラップスティックな世界を見せてくれたんだから、これはこれでいい結末なのかもな。 結局最後はまた別の世界に逃げこんだだけじゃないのかって疑問は残るけど。 ……で、最終回なのに予告編つけるなよ(~_~;)。
佐藤賢一『王妃の離婚』(集英社文庫・720円)。 第121回直木賞受賞作なんだけど、確か、受賞はしたものの、評者の誰かが、「これが佐藤賢一の代表作とは言えない」とかなんとか言ってたように思う。それでも受賞できたのは、井上ひさしの強いプッシュがあったおかげらしいんだけれど、あの人、小説を読むのも書くのもヘタだしなあ。 あまり期待しすぎないように、と思って読んだんだけど、なんというか、惜しいね、この作品。 フランス国王ルイ12世は、一介の諸侯に過ぎなかったころ、11世から娘を押しつけられて妻としていた。国王に即位した今、彼は王妃ジャンヌを疎んじて離婚の申し立てをする。原則として離婚が認められないカソリックにおいて、唯一の法の抜け穴は、結婚自体の無効を言い立てることだった。 しかし、「結婚の事実がない」と主張された王妃ジャンヌは、聴衆の前で厳然と異議を唱え、夫に徹底抗戦の構えを示す。だが新国王に阿る裁判官たちは、ひたすら王妃に不利な証拠ばかりをでっち上げた。 かつて11世に追放された恨みを晴らすかのように、その娘が裁かれる様を傍聴に来ていた弁護士フランソワは、裁判のあまりの不正ぶりに憤り、また、王妃の毅然とした態度に惹かれ、弁護を引き受けることになる。 ……ネタはすごく面白いんだよねえ。多分ある程度史実には基づいてるんだろうけれど、キャラクターが魅力的だし、敵も味方も権謀術数の限りをつくすあたりはまさしく波瀾万丈、フィクションの面白さに満ちている。、 けど、文章がもう、どうにもいただけない。 一見、この人、文章がうまいように錯覚するんだけれど、それは朗読を意識したと思しい、韻文的な文章によるものである。だからリズムに乗ってスラスラ読めはするんだよね。でもその書かれている内容がひたすらクドくて(-_-;)。 例えば、検察側が王妃に要求した「処女検査」、この説明が延々と続くの。しかも同じ内容の文章が何度も出てくるし。作者、何をそこまでバージンに拘るかって突っ込みたくなるくらいで。 ハッキリ言って、うまい作家なら、この半分の量でもっとキビキビした小説が書けるよ。抑制が効いていない文章はひたすら「ダラしない」だけだ。裁判の結果はだいたい予測がつくので、そこをどう退屈しないように面白く見せるかってのを工夫するのも作家の手腕の見せ所なのだけれど、あっさり終わらせちゃったからねえ。アレじゃ、ヤルことヤッたら、もうそれで裁判はどうでもいいって感じじゃん。これこそ肩透かし。 飛ばし読みすれば、まあまあ面白がれるんじゃないかとは思うけれど、じっくり読むのはオススメしません、ハイ。
2001年06月27日(水) 「マチャアキ」離婚ってあまり言われてない。時代か(+_+)/DVD『八岐之大蛇の逆襲』
| 2002年06月26日(水) |
イカが怖い/『育ってダーリン!!』A・B巻(久米田康治)/ドラマ『ししゃもと未亡人』ほか |
オウム真理教の新見被告への死刑判決が下る。 これももう、1995年の事件。7年も前のことだ。ローティーンの(下手をしたらハイティーンも)若い世代にはどれだけショッキングな事件だったか分らない人も多くなっただろう。 オウムの被告たちの中には、事件発覚後も麻原彰晃に本気で帰依している者、利用して私腹を肥やそうとしていただけで最初から信じていなかった者、目が覚めて逆に麻原批判に回った者などいろいろ人間模様を見せてくれているが、こいつは完全に「帰依派」だったようだ。 万が一、釈放されることがあっても、コイツだけは間違いなく教祖の命令通り、ポア(=殺人)を繰りかえすだろうと目されているのである。 信教の自由がどこまで許されるのか、という問題については、大方の人間が「人に迷惑をかけない限りは」とか甘っちょろいことを考えてるんだろうなあ、と思う。 本来、宗教ってのは、法律が許そうが許すまいが、そこに既に「ある」ものである。マスコミはやたらと信者に向かって、「麻原が命令したらアナタも人を殺しますか?」とか聞いてたけれど、これほど意味のない質問はない。だって、そこで「いいえ」と答えたら、そりゃ信者じゃないってことになるんだから。たとえ教義で、「人を殺すな」と戒律があっても、教祖が「殺せ」と言えば殺すのが宗教なんである。キリスト教だって異教徒を惨殺した歴史があるよね。これは信者を追い詰めるための質問でしかないし、オウム真理教だけを危険な宗教と見なそうとする誘導尋問でしかない。 これは「もしも戦争になったら、アナタはお国のために戦いますか?」というのと同じ質問だ。戦時中なら、もちろん「イエス」以外に答えようがない。そして、『私は貝になりたい』のフランキー堺のように、敗戦後は「戦犯」のレッテルを貼られ、殺されることになるのである。さて、それが法として正しいと言えるかどうか? 私ゃ別にオウムを擁護する気はサラサラないし、なんで破防法を適用しなかったんかねアホンダラが、と思ってる口なんだが、だからこそ、新見被告の死刑判決は法の上の矛盾だと思うわけである。オウムが宗教である以上は、死刑に値する人間は麻原彰晃しかいないし、麻原以外を死刑にすべきではない。もし、新見を死刑にしたければ、「オウム真理教は宗教ではない」ことをまずもって証明しなければならないのだ。オウムが宗教でないなら、彼らはただの「殺人の共謀者」に過ぎない、ということになり、死刑は求刑できよう。 多分、法廷ではそんな「麻原の命令でやった」「麻原の命令と関わりなくやった」論争があったんじゃないかと思うんだが、マスコミ、相変わらず肝心なところは全然報道しないしな。そのへんハッキリさせてくれないと、もしかしたら新見が死刑になるにしろならないにしろ、法そのものが揺らいでいることになってるかもしれないのだ。 ……だからよう、やっぱ終身刑は要るよ、絶対。そうでないと、誰かに洗脳されて人を殺した人間もみんな死刑ってことになるもの。それでいいのか。
しげ、具合が悪いということで、また迎えに来れず。 けれど、今回は寝不足とかそんなんじゃなくて、本当に風邪らしい。 タクシーを拾い、ウチの近所のコンビニで降ろしてもらって、滋養液を買う。 ふとお菓子の棚を見ると、「世界名作劇場セピア」のガシャポン(食玩じゃないからこう言うしかない)が置いてある。『フランダースの犬』、『母をたずねて三千里』、『ピーターパンの冒険』、『赤毛のアン』と、これも写真で見る限りディテールがすごくいい。原型制作はやっぱり海洋堂で香川雅彦という人。思わず二つ買って、帰宅して開けてみたら……マルコ&アメデオとフィオリーナを見事にゲット!(『フランダース』は実は好みじゃなくてね) 合体させるとマリオネットを操るフィオリーナと、アメデオと一緒に踊っているマルコが……。うううう、また一つハマりそうなブツが増えちゃったよう(T∇T) 。
風邪を引いても仕事には行くというので、しげに滋養液と風邪薬を無理やり飲ませる。 「これ、オナカがよくない時にって書いてあるけど、オレ、喉が痛いんだけど」 「いいんだよ、どっちにも効くから」 若く見えてもしげももうそろそろ中年が近い。風邪を放置しておくといつまで経ってもズルズルと回復しないことは見当がつくので、ちったあ自分のからだのコントロールは真剣に考えてもらいたいものだ。 果物食って、日に当たれよ。
少しでもしげを応援するつもりで、パート先のリンガーハットで夕食セットを頼む。 しげから「何で食べに来るん?」と聞かれるが、「おまえを応援したいからさ」とは恥ずかしくて言えず、「リンガーの味を盗むためさ」とか言う。オマエは包丁人味平か。 でも、麺ズサラダ、ゴマダレ味がやはり美味い。冗談で言ってたが、盗めるものならこの味盗んで、なんとかウチで作れないものかと思案。ゴマダレの中に入ってる難い粒みたいなのはキュウリを刻んだやつか? 見栄切った以上、しげに聞くわけにもいかないんだよなあ。そのうち適当な食材で作ってみようか。
マンガ、BONES・出渕裕原作・百瀬武昭作画『ラーゼフォン』2巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 アニメの方は未だに見たことないが、結構評判は呼んでるのかな。最近はそれほどネット散策もしていないので、情報に疎くなってるんである。週あたりの制作本数は多くても、全国ネットでしかもゴールデンタイムに放映しているアニメなんて、ジャンプ系列のアニメや『サザエさん』とか『ドラえもん』とか、数は限られている。『ラーゼフォン』だって、夕方の早い時間じゃ社会人は見られない。ビデオ仕掛けるには、私はほかに見たい番組が多すぎる(^_^;)。 畢竟、マンガだけでも読んでおくか、と思ったんだけど、どうもイマイチなのである。時間軸の違う二つの世界の戦争、といういかにも面白い設定を考えていながら、その「時間軸の違い」を生かした展開に全くならないのはどういうわけ? 考えてみれば、片方は世界そのものが「加速装置」持ってるようなものだから、まともに戦えばそっちが勝つに決まってる。これってどうも設定ミスっぽいが、どう収集つけるつもりなのか。 恋人の屍を乗り越えてってドラマ展開も、果たして正義はどちらにあるのかってアンビバレンツも、もうこれまでにたっぷり見てきてるんだよなあ。15年くらい前だったらもう少しノレたかもしれないけれど、今ドキこの程度のお話じゃ、何か新しいものが付け加わらないと、続けて読もうって気にはなかなかなれないんだよなあ。 新作アニメもいいけど、『ルーンマスカー』もどうなってるんだよ、出渕さん。仕事きちんと片付けてから、次の仕事にかかってほしいと考えてるの、私だけじゃないと思うけどね。
マンガ、クレイグ・マクラッケン原作・石川裕人翻訳『パワーパフ ガールズ <DCコミックス版>』3巻(小学館 /ワンダーライブスペシャル・788円)。 コミックス版のエピソードは、アニメの方にはないものばかりってのはアチラのお約束のようだ。おかげで、初登場のプリンセスもギャングリン・ギャングも、以前から何度もPPGと戦ってきたような扱い。このマンガで初めてPPGに出会うお子様たちには(あんまりそんな子はいないと思うが)、不親切この上ない。そのためにコラムでいろいろ解説してくれてるのはいいのだけれど、お子様にはちょっと専門的過ぎ……というか、オタクしかターゲットにしてないんじゃないかな? 今巻も「この話、日本の特撮・アニメで見たような」ってな話がいっぱい。 第一話はいきなり放射能怪獣が海から現れるし(これがハリーハウゼンの『原子怪獣』よりも『ゴジラ』のパロになってるのは、やたらコマ割りで足や尻尾による破壊のカットを見せている点で明らか)、バブルスが巨大化するのは巨大フジ隊員かも(^o^)。アチラにも「巨大女」映画は数多くあるけれど、怪獣ものとのセットになってるエピソードだから、やっぱり「ウルトラ」シリーズの影響の方が強いように思われる。 モジョの「パラノイア光線銃」は『パーマン』からか?(^o^) でもこれは「パラノイア」と言っても不安神経症になるだけだから、違うかも。あるいはさすがにアチラでも「パーになる銃」ってのは出せないのかもね。
マンガ、久米田康治『育ってダーリン!!』A・B巻(完結/小学館/少年サンデーコミックス・各500円)。 久米田康治の普通のラブコメ(^o^)。 サンデーの増刊に連載されてて、どうやらオトナの事情で打ち切りにあってたらしいのだが、新作を加えて奇跡の復活。作者本人は「これはなにかの罰ですか!?」と叫んでるけど。 だってねえ、絵柄的にはともかく、ギャグ的には『改造』『南国』の片鱗も見せない上品さ(ラスト近くにドギツイキャラがちょっと登場するけど)。シチュエーションコメディとしては、小学生の婚約者を理想のダンナサマに鍛え上げようという逆『じゃじゃ馬馴らし』『ピグマリオン』的展開な第1部は少年マンガにはあまり見られなかった設定で、新味があるけれども、第2部の「夫婦であることを隠して寮生活」、なんてのはこれまでに腐るほど同パターンがある。直接の影響は『ストップ! ひばりくん』っぽい。「は〜ん」(←何のことか解説はしない)を期待してた当時の読者は肩透かしを食らった気分じゃなかったろうか。 つまんないかと言われると微妙なところで、「慣れてないな」という批評が妥当なところか(^_^;)。この本で一番、久米田さんっぽいギャグはどこかっていうと、帯と巻末フロクだったりするのは『改造』ファンへのサービスかお詫びか。 ……あ〜、そこのアナタ、帯に「ドラマ化!」とか書いてあめるけど、本気にしないようにね。横に小さな文字で「希望」って書いてあるから。 フロクはA巻が「地丹式ラヴ論」で、B巻が「羽美式ラヴ論」。地丹よう、「そんなの愛じゃないとかいうけれどそんなのも愛なんだよ」とか言ってるからあんな目やこんな目に合うんだよ(-_-;)。 羽美ちゃん、「がんばればがんばるほどあんたの事嫌いになるよ彼」って言ってるけど、私、私のためにがんばってくれる女性に出会ったことないです。「彼」を「彼女」に読み変えるとすっごくキツイんですけど、私に死ねと言うのですか。って、マンガのキャラに人生相談求めてどうするよ(ー’`ー;)。
しげが帰ってくるまで、夜更かし。 具合が悪いのに帰ってきてみりゃ亭主は高イビキってのはヤだろうなと思った気遣いだが、多分しげはそんなことには全く気付いていないだろう。腹の虫抑えに餃子食う。 3時に帰宅したしげ、薬が効いたのか、見た目はそれほどキツそうではない。けれどそのまますぐに寝室に転がりこむから、やっぱりキツイのか。 私は私でパソコンに座って、さて、日記を更新しようかと前を見ると、見なれぬ白い物体が。いや、見慣れないと思ったのは間違いで、先日組み立てて置いておいた「イカデビル」のフィギュアが背中を向けて裏返されていたのだ。 私は触った覚えはなし、しげが落として立て直したときに間違えたのかな? と思って、しげに「おまえ、イカデビル、ひっくり返したか?」と聞いてみた。 しげ、一瞬、間を置いて、弱々しげに「うん」と答える。何やらワケがありそうだ。 「……なんで?」 すかさず叫ぶしげ。 「だって怖いやん!」 ……ちょっと私、コケました。 いや、マジで椅子から転げ落ちるとこでしたよ。 怖いぃぃぃぃぃ? イカデビルがぁぁぁぁぁ? イカデビルってよう、死神博士の正体ということになっているけどさあ、放映当時はなぜ、あの死神博士がよりによってイカなんぞに自分を改造せにゃならんのか、と、ガッカリしたもんだったんだよ(ホントはギルガラスになる予定が、都合で変更になったらしい)。実際、あっさりやられて弱くてよう。 「どこが怖いんだよ! イカだぞイカ! 美味しそうなくらいじゃん」 「背中は美味しそうだけど顔がイヤあ!」 ……そういうもんかなあ、顔を怖くしてる分、スタイルはどう見てもヤリイカなんで、「所詮はイカ」感が強いと思うんだが。 ともかく、ケツ向けてフィギュア立てるのもバカみたいなので、しげによく見える位置にあえて立て直す。この程度で怖がるというのは人間としてダメだと思うからである。 しげは本気で自分の怖がりを治さねばならんと思う。今度、寝入ったときに耳元で怪談を聞かせてやろう。睡眠学習で少しは耐性ができるかも。
深夜、CSファミリー劇場で『ししゃもと未亡人』。 その昔、と言っても昭和62年だからついこの間だが(私はもう、昭和50年以降は「最近」と呼ぶことにしたぞ。文句あっか)、関西テレビ系で『現代恐怖サスペンス』の第一話として放送されたもの。タイトルが全然変わってたから、最初原作がなんだか気がつかなかったのだが、これ、阿刀田高の代表作の一つ、『干魚と漏電』の映像化だったのだね。 引っ越してきた家で、電気代が前に住んでいたときより増えていることに気付いた未亡人が、その原因を調べて、電器屋や役所と交渉・家捜ししていくうちに、謎の電気コードが床下に続いていることを知って……というストーリーなんだけど、驚いたのは、トリックのネタ、冒頭でバラしてやがること(^_^;)。 だからまあ、ミステリーの映像化としては駄作としか言えないんだけど、これが妙に世間では評判を読んでるらしいのだよね。ナンシー関と町山広美の対談本『堤防決壊』でも「すごく怖いドラマ」として紹介されてたし。いや、何がコワイって、たかだか千円程度電気が増えてただけで、その原因に拘る未亡人の偏執狂ぶりに。で、その未亡人を演じてるのが小川真由美だから、演技に説得力があることったら(^_^;)。 わざとネタバレさせたのも、予め結末が解ってれば、カタストロフに向かって一歩一歩近づいていく小川真由美の悲運が際だって、「恐怖サスペンス」になるってことなのかも。 小川真由美以外はみんなチョイ役なんだけれど、これに実にゼイタクないい役者さんを使ってるのもドラマに厚みを加えている。役所の署員に故・小坂一也、近所の魚屋に菅井きん、電気代の集金人に平田満、隣家の主人に三谷昇(小川真由美にハイエナそっくりと陰口叩かれるギャグあり)、電機修理屋に松田洋治、役所の調査員に益岡徹。ああ、ビデオに撮って、しげにも見せればよかった!
2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか
| 2002年06月25日(火) |
揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一) |
ようやく梅雨らしくなったか、今日もそぼ降る小雨。 ……ちょっと気になったけれど、そぼ降るの「そぼ」って何? 語感から判断するに雨降りの擬音じゃないかとは思うが、自信がないので『日本国語大辞典』を引いてみる。 万葉時代から平安、鎌倉のころまではは「そほふる」と発音していたようだ。「そぼ降る」形に変化したのは近世に入ってから。「そほ」というのはやはり「そほそほ降る」という擬声語からきたもの、という説が有力なようだが、「細小降(さおふる)」の意味、なんて説もある。「そ」は「衣」のことで、「ぼ」は「下に沈む」意、つまり、衣に水が染みとおる意を表す、なんて説は、もうほとんどクイズである。 語源探索の世界は、何万という文献を調べて、ようやく単語一つの語源が類推できる程度という、努力が実を結ばない世界だから、牽強付会な説が横行するのも仕方がない面はあるが、自説を披露するにしても、あと一呼吸して落ちついて考えてから発表した方がよかったんじゃないかと思うが、どうか。
いつものように職場までしげに迎えに来てもらったはいいのだが、途中で銀行に寄って札束を十億円ほど卸したときに(←だから意味もなく見栄を張るなってば)、カバンの中にサイフがないことに気がついた。 さて、職場で背広から出して、カバンの中に突っ込んだのは確かに覚えているのだが、そのときにチャックを締めたかどうかが記憶にない。 となると、考えられるのは、落としたか掏られたかだが、まあ十中八九、前者だろう。ウチの職場には生活に困ってヒトの財布をくすねなきゃいけないような貧乏人は一人もいない。それでもあえて、一番の貧乏人は誰かと問うたなら、その答えは私だ(^_^;)。自分で自分のサイフ盗んでどーする。 またなあ、「ちょっと職場に戻って」とか言ったら、しげのやつ、ブツクサブツクサ15時間ぐらい愚痴りまくるんだろうなあ。 かと言って、ニョーボに叱られるのが怖くて黙ってたって、いつかはバレるのである。それに、私のサイフの中にはカネはほとんど入っていないが、映画館やビデオ屋やカラオケ屋のカードだのはギッシリ入っているので(サラリーマンのサイフじゃねーよ、それ)、もしも誰かに盗まれたら、そいつは「何の役にも立たんやんけ!」と激怒するだろうが、私は大損なのである。 しげが文句つけられるのを覚悟の上で、「ごめん、職場まで引き返して」と頼む。 「なんでいきなり!」 「財布落とした」 「……どこに!」 「多分、オレの机の下」 「ホント? 間違いないと?」 「うん、ハッキリ覚えてるから大丈夫」 ハッキリ覚えているのなら、財布を落としたまま忘れたりするはずもないのだが、そこはあえて自分で自分には突っ込まない。 しげ、なおも疑わしげなジト目で私を見ていたが、どうしたわけか、急に泣き出しそうな顔になった。 「どしたん?」 しげ、ガマンできない、といった表情で、「オナカ痛いと!」と叫ぶ。 「腹が痛いって……なんで?」 「知らん。早く帰ってトイレ入ろうって思ってたのに」 「……なにか悪いものでも食べたんか?」 「知らん。オナカ冷えとうとよ」 それはつまり、寝冷えしたということではないのか。しげはムチャクチャ寝相が悪いので、朝起きるとフトンも毛布も蹴っ飛ばして、下半身丸出しで寝ていることがしょっちゅうなのだ。これではおなかを壊さないはずがない。 「寝冷えだろ? それ」 「わからん。ともかくオナカ痛い」 「腹、さすっちゃろか?」 わざわざいったん帰ってきた道を戻ってもらうのだから、少しは親切にしてやらないと、と思って、しげの腹に手をやった途端、つい、魔が刺した。 しげの腹は太い。 新婚当初のキュッと締まっていたあの可憐な面影はどこへやら、今や「肉の大陸」、家族10人分はあろうかという「鏡餅」と化している。 そんなところに手をやろうものなら、ホラ、アノ、揉みたくなってしまうではないか。 で、つい、揉みました。 途端に走るしげの絶叫。 「揉むなー! 揉んだら出るー!」 揉んだら出るって……出すなよ。
サイフは無事、机の下に落ちていた。 サイフを取り戻した後、トイレに大至急直行したいしげを先に返して、自宅の近所の「ほっかほっか亭」で、ダブルカツ丼に特製ビーフ弁当、やきそばと、消化に悪そうなものばかり晩飯に買っていく。 しかしこれは別にしげに意地悪しているわけではなくて、うどんみたいなおなかに優しいものは、しげは「食いごたえがない」と言って、断固として食べないのである。買って来ても食べないことがわかりきってるものは、買うだけ無駄なので、こんなこってりしたメニューになってしまうのだ。そのせいでしげの腹の調子が悪化したとしても、そいつは自業自得ってものである。 で、しげのやつ、やっぱりペロリと平らげるし。どこが腹イタなんだってんだよ。
マンガ、TEXT.宮崎克・ART.高岩ヨシヒロ『ふりかえればアイツがいた! 松田優作物語』6巻(完結/秋田書店/ヤングチャンピオンコミックス・590円)。 1989年。 松田優作がこの世を去ってもう、13年になる。 となれば、今時の高校生、大学生は松田優作のことをほとんど知らない。ビデオやBS、CSでチラッと見たことくらいはあるかもしれないが、当然、その「時代の雰囲気」までは掴めるはずもない。 こういう実在人物のマンガ化が、果たして、その人物が生きていた時代までも浮きあがらせることが出来るのか、と言われれば、それはやはり難しいのではないか、としか言いようがない。 昭和40年ごろ、下関は「猥雑なほど活気に満ちていた」だろうか? 昭和30年代をピークに、北九州とその周辺はどんどんさびれていった、というのが福岡から見た場合の実感である。今はレトロ記念館なんか建てて、なんとか持ち直してるけれど、当時そんなに「活気」があったんなら、松田優作がそこを脱出したがった理由が分らないじゃないか。 当時、下関は「死に体」だったのである。 「街は若く、松田も若かった」なんて、某ウールリッチの小説の冒頭をモジられても、「そんな大層な街か、下関が」としか地元民は思わんぞ。「異国情緒」なんて言葉を平気で使ってるけれど、東京人から見たらそうだってだけの話で、そんなの「アメリカ人の見たフジヤマ・ゲイシャの国日本」ってなもので、勝手な思いこみに過ぎない。 松田優作を神格化するための脚色は、かえって松田優作の役者としての価値を減ずることになりはしないか。 『ブラック・レイン』が、本当に松田優作の人生のシメとして相応しい映画だったと言えるのか。「生涯を賭けて創りたいと思う映画があります」と松田優作が医者に告白した映画とは、本当に『ブラック・レイン』のことを指していたのだろうか。 別に松田優作でなくとも、役者なら誰でも自分の命より作品の方を優先する。映画は量より質だ。細く長く生きてたくさんの映画に出るより、渾身の演技を目の前の一本に賭けるほうが普通だ。たとえその映画が『ブラック・レイン』でなく、たいした映画でなかったとしても、同じ言葉を松田優作は語ったように思う。
マンガ、石ノ森章太郎原作・村枝賢一漫画『仮面ライダーSPIRITS』3巻(講談社/マガジンZKC・580円)。 今巻は「ストロンガー」「スカイライダー」「スーパー1」編。 ついに登場、立花藤兵衛に谷源次郎の“二大”おやっさん。村枝さんの絵柄では、小林昭二にも塚本信夫にも似ているとはとても言えないが、キャラクターとしてのエッセンスは伝わってくる。 ただ、谷源次郎はともかく、立花藤兵衛、もう少しキャラとしては「重く」ないかな、とか、ちょっと不満なところもないではない。城茂と岬ユリ子の悲しい別れを経て、戦士をサポートし続けることに「懲りた」と言わせる演出、往年の仮面ライダーファンから見れば、やや納得しかねる設定ではなかろうか。 確かに、『ストロンガー』を最後に、立花藤兵衛は仮面ライダーシリーズに登場しなくなった。しかし、それは戦いに「懲りた」からだろうか? 「スカイライダー」と「スーパー1」のときも、実は他のライダーたちとどこかで戦っていたのではないか。そう考えることのほうがごく自然だと思うんだがなあ。 ライダーたちの戦いをあれだけ見てきたおやっさんだ。新たな敵が現れたと言うのに、黙って見過ごしてはいられないだろう。悲しみを乗り越えて悪の組織と戦うことを、ライダーたちに決意させる側に回るのが、おやっさんとしてのごく自然な行動ではないだろうか。 もっとも、おやっさんに限らず、これまでの仮面ライダー一人一人の描き方自体、9人のキャラクターの違いを際立たせるためだろう、結構誇張されていたんで、おやっさんにだけ「違うんじゃないか」と突っ込むのもヘンだけれど。 けど、かつてのファンは、ある意味、ライダー以上に小林昭二さんには思い入れが深いと思うんである。どうしたって、小林さんの声や演技を想定しながら見ないわけにはいかないんだよなあ。……「ワシはもう懲りたんだ」なんてセリフ、小林さんが言うか? けれど今巻は岬ユリ子が極悪なほどに美しかったので全て許す(* ̄∇ ̄*)。 いやもう、まさかあのタックルのお笑いコスチュームを美しいと感じさせてくれるとは……村枝さん、スゴイよ!
2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング
| 2002年06月24日(月) |
役者や脳/『三谷幸喜のありふれた生活』(三谷幸喜)/DVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』ほか |
書き忘れてたけど、止まってたガス、先週から復帰してます。 いやねえ、土曜日に西部ガスまで出かけていってさあ、溜めてたおカネを振り込んだんだけどね、なんで三ヶ月も溜めてたのか事情をうまく説明できなくってね(事情もなにも、お金を通帳に入れ忘れてただけだし、別に説明義務もないんだが)、つい、「すみません、しばらく家に帰ってなかったもので」とか、口からデマカセを言う。「家内は今まで一人で、ガスも使わず、どうやって暮らしてたんでしょうか」と肩を落とし、淋しげに俯いて、生活に疲れて家を出たものの、もう一度だけ妻とやり直したいと決意して戻ってきた夫を一所懸命演じる。 ……脳ミソ膿んでるなー。そんなん演じられたって、係の人も困っただけだろうが(^_^;)。 私には、特に関わりのない人に対して、こういうその場限りの後クサレのない演技をしてしまう悪いクセがあるのである。 だって、演技するの好きだしぃ(*`▽´*)。 これが過剰になっちゃうと、虚言癖にもスライドしかねないから(そういうヒトも知ってるからなあ)、友人や知り合いにはウソはつかないようにしてるんだけど、ついうっかり何かやってないかな。 まあ、私が言ったり書いたりしてることで、「いくら何でもそりゃウソやろ」って感じるものがあったら、どうぞご質問下さい。多分、9割9分の確率で誇張が入ってます。でも、ここだけの話ですが、私がローマ法王の隠し子だってことは真実なんですよ(^o^)。
昨日から降り続いていた雨が、今日は大降り。 梅雨もそろそろ本格的、ということなのかもしれないが、今年はあまり雨続きという印象がない。特に蒸し暑くもなく、かえって寒いくらいなので、夏は案外凌ぎ易くなるんじゃないかと期待する。 仕事もまあまあのペース。 昨夜は少し喉が痛かったが、咳が出るほどのことはなかった。ついこの間、風邪引いたばかりだったのに、そうそう連続して引いてられるか。……と思っていたら、同僚が悪い感じの咳してるんだよなあ。 あれ? なんだか喉がいがらっぽくなってきたぞ。 ううっ、咳が出てきた。う、移ったのか? ……今日は暖かくして早目に寝よう。
定時に職場を退出。 しげ、昨日から「米を買いたい」と言っていたので、マルキョウへ。 ホントは銀行でおカネを卸してから行く予定だったのだけれど、しげの仕事が早いというので、おカネを借りて買い物。 銀行へは改めて明日寄る予定だけれど、なんだか利子つけて返せとでも言われそうだな。ともかくカネに汚いヤツだから。
仕事が終わったばかりなので、疲れて黙っていたら、しげが「腹がいてェ!」と叫び出す。 「……なんだよ、いったい」 「ストレスが溜まってるから腹が痛いんだよ」 「何のストレスがあるんだよ」 「アンタが黙ってるから」 「オレが黙ってたら、なんでお前のストレスになるんだよ」 「無言のプレッシャーやん」 「喋りかけたらかけたでプレッシャーだって言うじゃん。黙ってた方が静かでいいだろ」 「ジェイソンが黙ってたら怖いやん」 「誰がジェイソンじゃ!」
しげは今晩は食事をするヒマもなく午後7時から午前3時まで8時間労働。この時間帯に客が大挙して押し寄せるというのだから、日本人がいかに自然の摂理に逆らってる生活を営んでるかってことなんだよな。
三谷幸喜『三谷幸喜のありふれた生活』(朝日新聞社・1260円)。 うーん、なんでだろうねえ、三谷さんの芝居自体は好きなほうなんだけれども、エッセイとかナマな文章になると、どうにも読んでて不快になってしまう。 『気まずい二人』で、「私は引っ込み思案で対談なんて向いてない」とかなんとか言ってた三谷さんだけれども、自分で自分のことを「対人恐怖症」みたいなこと言ってる人間がホントに引っ込み思案なわけはない。タイトルに堂々と「三谷幸喜」なんて謳ってるじゃないの、これがデシャバリでなくてなんだというのか。こういう見え透いたウソには、どうも興醒めしてしまう。 要するにこの人の文章、「ぶりっこ」なんだわ。なんつーかねー、四十ヅラ下げたオヤジがぶりっこしてたら、そりゃ気持ち悪いのもしかたがないっしょ。
三谷さんの芝居に出てくるキャラクターは、どんなにオトナなフリをしていても、実際は全く幼稚なコドモである。そのギャグも小学生の学芸会レベルで、それが舞台や映画では、「いいオトナが幼稚なことをしている」ために観客に笑いが生じる。 でもそれが笑えるのは、そのオトナコドモがあくまで舞台の上のキャラクターだからだ。目の前にホントにそんなやつがいたら、鬱陶しいだけだわな。自分がナマに出てしまう(ように見える)エッセイを読むことは、まさしくそんな「お近づきになりたくないやつ」を相手にしているのと同じことだ。いくら作者がユーモアのつもりで書いていても、読者にしてみれば「どうして小学生の作文で笑ってやらなきゃならんのだ」って気になってしまう。 松たか子が自分のシナリオを読んでも笑ってくれないって愚痴ってるけど、卑しくも芝居の台本書いてる三谷さんが、演じる役者がいちいち台本読んで笑ってちゃ仕方がないってこと、分らないわけがない。つまり、これもユーモアのつもりで書いてるんである。でもよう、中年男が拗ねてる様子を見せられても嬉しくもなんともねーよ(-_-;)。 エッセイもまた演技の一つ、役者として書いてるつもりなんだろうけれど、それにしちゃキャラクター造り、間違ってないか。 けど、これで「三谷さんってシャイな人なのね」と勘違いするバカオンナもやたらといるんだろうから、それはそれで、戦略としては当たっているのかもねえ。
映画『みんなのいえ』のメイキング本としても読めるのだけれど、役者さんたちに対してはミーハーを演じて見せてるから、映画作りの裏話的興味はイマイチ薄い。せっかく和田誠さんにイラスト描いてもらってるのにもったいないなあ。
マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘画『眠狂四郎』4巻(新潮社/BUNCH COMICS・530円)。 うーん、柳川さん、作画は馴れてきたのだろうけれど、狂四郎の無明の感じは全然なくなってきちゃったなあ。 原作だと、美保代に肩入れするのも、そこに自分と同じ暗い運命を見出してるからだし、祖父・松平主水正への思いも母をないがしろにした恨み、なんて単純なものじゃない。 これじゃただの時代劇ヒーローものだし、狂四郎が「いいひと」に見えちゃうよ。キャラクターにも少し深みを与えてほしいもんだけど、ジャンプ系の漫画家さんって、そこが一番ヘタなんだよねえ。
マンガ。細野不二彦『ザ・スリーパー』4巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 次巻で完結ってことで、今巻はまるまる1巻使って一本のお話。 でもねえ、現実と妄想の区別がつかなくなって破滅する人間ってモチーフは、エドガー・ポーの『黒猫』や『ウィリアム・ウィルソン』のころからずーっと続いてる「怪談」のテーマだからねえ。現代のマンガにリライトするんだったら、もう少しアレンジが必要だと思うんだけど。 妄想世界で「胡蝶」(「最も純度の高い胡蝶」だから「最胡蝶」=「サイコ蝶」ってネーミングはなんとかしてほしいけど、こういうしょーもないシャレ作るクセ、昔からなんだよな、細野さん)を捕らえれば、現実世界での犯罪者も捕らえられるって設定は、プラシーボ効果をもとにしたアイデアだろうけれど、ちょっくらムリがないか。 ムリがあると言えば、心清き無垢な精神にしか棲まないはずの「白獏」が、どうしてイマドキなコギャルなうつつにとり憑いてるのか、納得のいく説明がほしいもんだけど。
夕方、宅急便で待ちに待ってたDVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン ―マットアロー1号発進命令―』が届く。 ウワサのみは聞いていたけれど、見るのは全くの初めて。大学時代は、まさかこんなもん作ってる同世代の連中がいるなんて、思いもよらなかったものなあ。 後の鬼才、庵野秀明の監督作と言っても、あくまでアマチュアによる8ミリ作品である。欠点をあげつらっていけば、いくらでもツッコミは入れられるだろう。 しかし、断言する。 この「映画」を見て、鼻で笑い飛ばしてしまう人間に、オタクを名乗る資格も映画ファンを名乗る資格もない、と。たとえ庵野秀明自身が「素顔で」ウルトラマンを演じるというとんでもないシチュエーションを目にしても、である。 あれはこれがアマチュア映画であること表明するための「記号」である。ただの「予算削減」のためのものではない。プロには作れないアマ映画の底力がそこに横溢していることを、一度でも映画を作ってみたことのある人間ならばすぐに感じるだろう。
冒頭、平和な街の空に輝く隕石の光。 空を見上げた少女は光に包まれ、次のシーンで、マット隊長のイブキ(演ずるは『快傑のーてんき』こと後のガイナックス取締役・武田康廣)は、冷徹に隊員たちに通告する。「諸君、ヒラツネ市が壊滅した。使者は一万人以上」。 ……あ、あ、あの女の子、いきなり死んだのかよ! 『ガメラ2』で仙台市をふっとばすずっと以前に、軽々とアマがそれやってたのだ(まあ、『ガメラ』の樋口真嗣さん、ガイナ出身だけど)。 ハードな展開はその後も続く。 隕石から出現した怪獣バグジュエル(これはあくまで地球側の呼称で、ウルトラマンであるハヤカワ隊員は、「キロア」という名前で呼んでいるあたりも芸コマ)を殲滅するため、マットは生き残り住民を無視して核攻撃をあっさりと決定するわ、反対するハヤカワ隊員を強制的に拘束して「キサマそれでも地球人か!」と罵倒するわ、マットを明確に「軍隊」として描いているのもスゴい。 当たり前だが、「侵略」が行われて、その国に「軍」が存在していれば、まず絶対に敵として排除する方向に動くわな。脳天気な科学者じゃあるまいし、むやみに殺さず捕獲しようなんて悠長なこと考えるわきゃないのである。 また、地球人によって拘束されたにもかかわらず(監視つきの「自室謹慎」という形式を取ってるあたりがまた、人間のイヤラシサを如実に表している)、宇宙人・ハヤカワが、あくまで自分を「地球人」として怪獣と戦おうと決意する心情は、まさしくオリジナル・ウルトラマンが、ウルトラセブンが持っていた悲しみそのまではないか。沖縄県人・金城哲夫が創造した「異界の者からの視点」。これをまさかアマチュア映画がパロディにすることなく、ストレートに継承していようとは。 ウルトラファンなら、怪獣ファンなら、SFファンならば、その制作姿勢に諸手をあげて称賛を送らずにはいられまい。そして思うだろう。自分もまたこんな映画を作ってみたいと。 もちろん特撮も、紙製のセット、小道具を、映像センスでここまでリアルに見せることができようとはもう、感服である。何かと毀誉褒貶喧しい『エヴァ』だったが、その映像センスはやはり称賛に値するものだった。その原点がこの『帰りマン』の随所に散見される。『エヴァ』ファンならばやはり必見だろう。 期間限定販売ってことだから、手に入れるのなら今のうちだ。7700円くらいかかるけど、製作記録CD−ROMも付いてて、買って損はないぞ。さあ、ガイナックスのホームページから今すぐ注文だ。 ……けど、これの脚本、岡田斗司夫さんってことになってるけど、庵野さん自身が書いてる公算が大だな。主役の名前がハヤカワケン(=快傑ズバット)になってるところは岡田さんっぽいけど。
コンビニで手に入れたバンダイの食玩、『仮面ライダーメモリアル 激闘2号ライダー編』の死神博士・イカデビルを組み立てて、パソコンの上に飾る。 前の1号ライダー編のときは興味を惹かれなかったけれど、今度はなんたって、死神博士ですよ、天本英世さんですよ。似てるようでイマイチ似てない造型はちょっと残念だけれど、悪役ファンならやっぱり欲しくなるよな、これ。 既に私のパソコンの上は怪獣だの妖怪だのロボットだのアリスだのアスカ・ラングレーだので大変なことになっているが、これからもっともっと欲しい食玩が出てきたらどうすればいいのだろうか。 この手の「飾るだけ」のモノをコレクションするのが一番しげの気分を害することらしいからなあ。「そんなん集めたって役に立たないじゃん」って言われるけど、物理的なものじゃなくて、心のオアシスってやつだよ、こういうのは。 少なくとも「癒し系アイドル」とかに夢中になるよりゃよっぽどマシだと思うけど。ヘンな妄想してるわけでもないし。 あんまり文句つけると、トイレの壁にモー娘。と藤原紀香のカレンダー貼っちゃうぞ。いいのか、しげ。
2001年06月24日(日) マンガ読みのマンガ知らず/DVD『地球防衛軍』ほか
| 2002年06月23日(日) |
ふつーの休日/『狼には気をつけて』4巻(遠藤淑子)/『民俗学者 八雲樹』2巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか |
脚本家の笠原良三氏が22日、肺炎のために死去。享年90。 随分なお年だが、となると、『社長シリーズ』『若大将シリーズ』『クレージーシリーズ』の脚本を書きまくっていたころは既に50代だったわけだ。多作が災いしてか、その全てが傑作だとは言えないまでも、コメディのフォーマット作りには定評があった人だと思う。 もっとも、フォーマットだけ作って、放り出すこともあったようで、例えば『大冒険』は一応テロップの上では田波靖男との共同脚本、ということになっているのだが、実際はお互い全く相談せずに脚本を進めていったという話である。笠原氏は前半だけ書いて放り出し、田波氏は田波氏で前半の設定を無視して後半だけ書いて放り出す。頭を抱えた監督の古澤憲吾が、小林信彦に頼み込んで、名前を出さずにゴーストとして、つじつま合わせの脚本を書いてもらったのだとか。 どうしてそんな事態になったのか、理由はよくわからないんだけれど、要するにこのころの笠原さんはもう「権威」になっちゃってて、使いづらい人になってたんではないか。70年代以降、笠原脚本の映画が全くなくなってしまったことも、それを裏付けてる気がするのである。
久しぶりに朝の特撮・アニメを一通り見る。 『忍風戦隊ハリケンジャー』第18話「父と兄弟の絆」。 ゲストで団次郎(現・時朗)が出演していてビックリ。つーことは『帰ってきたウルトラマン」のライバル、久方ぶりの共演でないの!(片方はハムスターになってるが)スタッフもそのへん意識してるんだろうね、団さんが空を見上げると星が十字に光ってたりしてるもの。それが面白いかどうかってことになると話は別だけど。 『龍騎』、『どれみ』、『ぴたテン』の感想は割愛。量が多くて書く気力が湧かん(-_-;)。 『ぴたテン』はオープニングテーマと、設定だけは気に入ってるんだけど、本編のアニメがねえ、演出がなっちゃないからなあ。原作はそのうち読んでみたいと思っちゃいるんだけど。
しげ、今日も具合が悪いのか、昼間、ずっと寝ている。 と言っても、仕事が休みなんだからゆっくり寝ればいいものを、朝方まで夜更かしして遊んでで、寝たのは午前7時である。で、午後3時に起きてくるのだから、生活が乱れていると言われても仕方あるまい。体調を崩すのも当たり前だ。 こちらも買い物などで自由に動けるのは休日だけなので、寝坊するにしても昼少し前には起きてほしいのである。 つーか、私一人で買い物したって構わないんだけど、一緒に行動しないと後で必ず悪態つかれるからな。
ホームセンター「グッデイ」で、洗剤だのトイレットペーパーだの日用品を買い込む。しげは新しいつっかけを買って喜んでいる。……ふと思ったが、イマドキは「つっかけ」ってのも死語かね? スリッパだのサンダルだのアミサンだのミュールだの、なんだかどれがどれやらわからんコトバが増えてくると、「全部『つっかけ』でいいやん」という気になってくるんで、私なんかは重宝してるんだが。 そのあと、博多駅の紀伊國屋書店、メトロ書店で本を物色した後、駅地下の一品香(「いーぴんしゃん」と読んで下さい)で食事。 4皿千円のセットがあって、酢豚だの餃子だの唐揚げだのを自由に選べるので、二人で頼むが、さすがにちょっと量が多い。ちょうど昼飯を食べていなかったのでなんとか食えたが、やっぱ中華はカロリー高いよ。しげが和食の定食屋を嫌いじゃなかったら、外食でもさほどカロリーを気にしなくて食べられるんだがなあ。
食い過ぎて気分が悪くなる。 本当ならこのあと映画を何か見るつもりだったが、カラダが持ちそうにないので中止。帰宅して、ひと寝入りした後、夜の買い物。 「ガスト」でダッカルビ定食というのを頼むが、不味いわけではないのだが、香辛料の効き過ぎでやたら辛い。ガストは今、ディスプレイが設置してあって、ネットで遊べるようになっているのだが、100円、200円と余計にカネを取るのがちょっと気に入らない。 唐沢俊一さんの一行知識掲示板も見られるようになってるので、覗いてみたい気持ちはあるのだけれども。
マンガ、遠藤淑子『スマリの森』(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。 もう絶版になってしまったが、遠藤さんには『ラッコはじめました』を初めとする、一連の動物シリーズがある。たしか連載中は「人間と動物のよりよい関係(「共存」だったかな?)を考えるシリーズ」とかサブタイトルがついていた。 遠藤さんファンの私だが、この動物シリーズだけはイマイチいただけない。自然を真面目に考えるんだったら、動物の擬人化には細心の注意が要るのだ。そうでないと、結局「動物たちの気持ち」ってやつも、人間が勝手に考えた妄想ってことになってしまう。梅川和美『ガウガウわー太』なんかも、登場する動物たちが人間的な意志を持ってはいても、動物としての生態を精緻に描くことで、なんとかギリギリのラインでリアルさを保っているのである。 動物を人間として描く手法は、大島弓子『綿の国星』が有名だが、あれは実は「動物モノ」ではない。「ねこ」という名のファンタジーの住人なのである。さて、この『スマリの森』は動物もの、ファンタジー、そのどちらにもなりきれていない。主人公がキタキツネでなくても成立する話だし、「動物モノ」ではなく「人間モノ」として書きゃいいじゃんかよ、と言いたくなるエピソードばかりである。 腰砕けしてしまったのは、人間に「ラスカル」と呼ばれて、自分のことを「ラスカル」という名前だと思い込んだアライグマの話。本当の名前をアライグマは知りたがっているのだが、主人公のスマリ(キタキツネ)が、「君はアライグマって言うんだよ」って彼に告げる……って、「アライグマ」ってのも人間が勝手につけた名前じゃん。問題の解決になってないというか、遠藤さん、自分で何を描いてるのか解ってるんだろうか。動物が本当の名前を知りたがるって設定自体にムリがあると思うんだが。 遠藤さんが動物モノで描きたいことって、なんなのか? こういう意図が不明な話は、読んでてちょっとツライものがあるね。
マンガ、遠藤淑子『狼には気をつけて』4巻(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。 『スマリ』よりこっちのほうが何倍も面白い。 これも絶版になってしまったが、『エヴァンジェリン姫シリーズ』以来、お転婆というか無軌道というか外道というか、ともかく後先考えない行動で周囲を振り回す少女キャラを描かせたら、遠藤さんの右に出るものはないんじゃないかってくらい、破天荒な楽しさが遠藤さんのマンガにはある。 もちろん、こういう「姫もの」は、倉金章介の『あんみつ姫』や手塚治虫の『リボンの騎士』以来の少女マンガの伝統なのだけれど、そのかつての「姫もの」のほぼ全てが『ローマの休日』的な、「お仕着せの権威からの脱却」を目指したもののバリエーションであったのに対し、遠藤さんの描く「姫」たちは、須らく自分に与えられた「権力」をフルに活用する。 本作のアレクサンドラも、「大財閥の天才お嬢様」という設定で、現代の「姫」と言っていい。今巻も誘拐されたフォレスト君の行方を探すために警察から不法に情報をハックして入手するわ、誘拐犯のアジトにブルドーザーで乗りこむわ、やりたい放題。……富豪刑事かお前は。もちろん、そんな傍若無人なところがカタルシスを生んでるのだが。 けれど、遠藤さんの最近の作品は、必ずしもかつてのシリーズほどには爽やかでスッキリした読後感を感じさせなくなっている。それはヒロインのアレクサンドラが、廃人となった父を秘匿し、代理として会社を経営しているという悲惨な立場に置かれている、という設定も関係しているだろうが、何より作者自身が「世の中には回復しない人間関係もあるのだ」という思いを少しずつ強くしていっているからのように思えてならない。 フォレスト君と実の父親との出会いのエピソードもそうだ。ロクデナシで、山師で、フォレスト君の母親を妊娠させたあげくにポイと捨ててトンズラこいたどーしょーもない父親。フォレスト君と再会した今も、沈没した黄金船の引き上げ話で詐欺を働こうとしている。 昔の遠藤さんなら、恐らく、一旦はアレクサンドラを引っ掛けさせて(『マダムとミスター』はたいていこのパターン)、ギリギリのところでフォレスト君が真相をつかんで、父親はまたもやどこかに蒸発して終わり、みたいな形でオチをつけたかもしれない。 なのに遠藤さんは、父親を末期ガンの患者にしてしまった。 息子を詐欺にかけるためにやってきたと見せかけて、本当は最後に息子と会いたかっただけ、という結末。……この結末に「救い」があるのかどうかと問われれば、「ある」と答えることはできるけれども、でもやはり「しこり」が残りはする。 確かにしんみりする話も昔から描いてはいたけれど、それでも遠藤さんの真骨頂は「脳天気」だったように思う。涙を流すにしても、切ない涙じゃなかったんだけれど、これからこういう作品が増えていくのかなあ。
マンガ、金成陽三郎原作・山口譲司漫画『ミステリー民俗学者 八雲樹 かぐや姫殺人事件』2巻(集英社/ヤングジャンプコミックス・580円)。 『竹取物語』をベースにしたミステリーと言われて真っ先に思いつくのは高木彬光の『月世界の女』。名作の誉れは高いけれど、小説としては面白いトリックでも、実は現実的にはちょっとムリがあるし、言っちゃなんだが「かぐや姫」をモチーフにしたってことを予めバラしてたら、先が読めちゃうのである。 この『かぐや姫殺人事件』も、ログハウスのトリック自体は面白いけれど、ミスディレクションがヘタクソなので、犯人もトリックもバレバレである。……つーか、その程度のトリックなら何も門外漢の民俗学者に依頼しなくても、警察官がすぐに見破るんじゃないか? もっとも作者としては、今の刑事ってバカがすごく多くなってるから、こんなチャチなトリックも見破れないのだって皮肉のつもりでそう描いてるのかもしれないけれど。……いや、実際、刑事の顔がもう「無能」を絵に描いたような(絵だけど)ヒドイ顔でねえ(^o^)。 もう一編の『蕗の葉の下の殺人者』、これもどこにムリがあるかはトリックに関わることだから書けない(-_-;)。まあ、警察がよっぽど無能だったら成功するかもしれないけれど、有能、とまではいかなくても、普通に常識的な感覚を持った刑事だったら、すぐ真相に気がつくトリックだってことくらいしか言えない。けど、それは全てのミステリーにも共通して言えることだしな。 それはまだいいとして、天狗、かぐや姫と来て、今度は「コロボックル」がモチーフになってるんだけれど、「実はコロボックルは実在していた」ってオチはやめようよ。最後の最後のドンデン返しで、「実は本当の犯人は幽霊でした」なんていう、いわゆる「怪奇ミステリー」の手法の一つなんだけれど、これ、作者によっぽど力量がないと外すんだよ。高木彬光も『大東京四谷怪談』じゃ外してたし、松竹映画版の『八つ墓村』も、それで原作の論理性をオジャンにしてしまっていた。 ……やっぱ、ミステリ作家に求められるのは「節度」だと思うんだが、どうか。
2001年06月23日(土) 愛のバカクサ物語/『フロン』(岡田斗司夫)/DVD『ウルトラQ』1巻ほか
| 2002年06月22日(土) |
発熱は冷やしてあげなきゃいけないもんでしょ/『楽勝!ハイパードール』vol.1(伊藤伸平)ほか |
夕べのうちに、溜まってた冷蔵庫のローンを全額払う。 いちいち「払ってよ払ってよ」攻撃がうるさかったからだが、「送った」と向こうが言い張ってた振り込み用紙が届いたのが一昨日のハナシだ。……遅配の責任まで、こっちは取れねーよ。
世間の動向に背を向けているので、ニュースの類を知るのはもっぱらネットに頼っている。 けれど、ワールドカップがどうしたムネオがどうしたマキコがどうなったなんてのは全然私の関心の埒外なので、必然、その「周辺記事」の方に私の眼は向くことになる。 サッカーに関してのニュースも、「ちゆ12歳」あたりから仕入れている私もどうかと思うが、オタクだからしゃあねえわな。正しいオタクはサッカーなんかに入れあげちゃいけない。岡田斗司夫さん、日和っちゃダメだよ(^_^;)。
で、微笑ましく笑えるニュースから。 イングランド代表がキャンプしている兵庫県津名町(淡路島)の小学生60人が、ベッカムらと18日に交流会を持った時の話である。 これに参加した子供たちは、津名町内7小学校の3年生から「抽選で選ばれ」ていた。 ベッカムたちは、子供たちが柔剣道などを披露してくれたお礼にと、一人ひとりに色紙50枚とボール10個にサインをして手渡した。 問題はこの後である。 子供たちが大喜びした直後、そのサインが帰りのバスの中で「強制回収」されたのだ。子供たちの喜びは一転、奈落に突き落とされた恰好になり、泣き出す子供も出て、父兄も「子供がショックを受けた」と憤慨しているとか。当たり前だが。 これについての釈明がまた異常。 町教委は「後日、各小中学校に均等に配布するとの事前説明をお願いしていた。選手に会えなかった子供との格差がつかないようにするためには、やむを得ない」と話し、町立大町小の校長は「担任が説明したはずだが、十分に話ができていなかったかも」と釈明。 ……で、どこがどう釈明になってるのよ。
「選手に会えなかった子供との格差がつかないように」って、抽選した時点で「会える子供」と「会えない子供」の格差ができてるではないの。格差をつけないためってんなら、最初からサインを貰わない、いや、交流会自体開かなきゃいいんである。抽選までしといて「均等に配布」って、矛盾じゃないのよ。本当に「事前説明」とやらはあったのか? 子供がサインを特別視するのはしょうがない。けれど教育委員会のようないいオトナの集まりが、たかがサインにそこまで価値を置くってことはどういうことなのかね。いつからサッカーオタクになったんだよ、おまえら。それとも「ウチの子が抽選に漏れたのは陰謀だわ、サインはわたしたちも貰う権利があるわよ!」とか教委に難癖つけてきたバカ親でもいたのか? 案外この憶測が当たってたりしてな(^^)。 この教育界での「格差をなくす」とか「不公平を正す」ってタームは、実質上「得したやつを引き摺り下ろせ」っていう差別意識を糊塗する意図で成り立ってるものだから、コトバ通りに捉えちゃなんない。要するに教育委員会は差別がどうのこうのより、サインの処置に困って苦しい言い訳してるだけなんだよな。 一番いい解決方法は、貰ったサインを全部焼却することである。これなら誰にも手に入らなくて「平等」だ。違うか? サインなんて「モノ」より、ずっと大切なことがあるってこと、いいオトナがわかんないのか? 『厩火事』って落語知らないか?(知らねえよな、教員って教養ないヤツばっかだし) それがわかんないってんなら最初から「平等」なんて下らん価値観を持ちこむもんじゃないね。「差別」とか「平等」なんて、マニュアル読んで理解したつもりになってるだけで、本気で考えたこともないくせに。人間に「格差」が生まれるのはどうしようもない事実なんで、それをどう乗り越えるかってことを考えなきゃならないんじゃないか? その訓練を全くしてないから、こういうところでボロが出てくるんである。 熱に浮かされてるんだねえ、どこもかしこも。
文化庁がまたまた「国語に関する世論調査」を行った。 「また」ってのは皮肉である。だって、「若い世代のコトバが乱れてる」って結論が出るのがわかってるのに、なぜそんな無駄なことするかね。いや、調査はしていいよ、でも、それを改善する方法考えてるの? コトバの乱れを云々言う前にテメエラの頭の乱れをどうにかしたらって思うが。 調査は、今年1月、全国の16歳以上の三千人に面接して、約2200人から有効な回答を得たとか。……800人の無効な回答ってのがどんなのか、そっちの方が気になっちゃうけど。 10の慣用句などを挙げて理解度を尋ねた結果が以下の通り。 「早くから」「以前から」などの意味で使われる「つとに」という言葉を使うと答えた人は、10代〜50代までいずれも1割未満、「意味もわからない」と答えた人が10代で85%、20〜50代でも45〜69%にのぼる。 無愛想に人の相談などを拒絶する「けんもほろろ」も、10代は78%、20代は58%、30代は29%がわからない。 「言わずもがな」(言うまでもないの意)は20代で54%、「よんどころない」(やむを得ないの意)は20代の49%がチンプンカン、10代は10句のうち9句、3割以上の人が理解できないと答えた。 ……なんかこれ、「コトバを知らない」ってレベル以前の問題って思うがどうかね。ずっと家と学校の中だけに引きこもってて、人間と会って会話したこと自体、ないんじゃないか? 私も知ってる10代の子が「谷川」って言ったときにキョトンとされたのには愕然としたけど。 文化庁国語課がねえ、「年長の人と話す機会が減ったことや読書不足が背景にあるのだろう。こうした言葉が消えないようにするには、古典などに親しんでもらうしかない」とか、またトンチンカンなこと言ってるんだよ。10代の8割は知らなくても、オトナの4割くらいは知ってるわけだから、「つとに」も「けんもほろろ」も、古典語でも死語でもないぞ。 「ゆとり教育」進めてるんだろ? 生きたコトバってのは教室じゃ絶対学べんのよ。へたすりゃ子供は親が使ってる言葉も知らなかったりするんだから、オトナと「生活の中で」会話できる時間を作ってやった方がよっぽど効果あるよ。
予定では、午前のうちに病院に出かけて、こまごまとした用事を片付ける予定だったのだが、しげが全然起きて来ない。 しげ自身が、芝居の公演のチケットを買いにアクロスに行く、と言っていたのに、いったいどうしたというのか。昼過ぎても目覚める様子がないので、シビレを切らして叩き起こす。 しげ、たっぷり寝たくせに不満げな顔。 「なんか最近、どうしてっていうくらい疲れると」 「肉しか食わなくって日にもあたってなけりゃ具合も悪くなるやろ。いい加減日にあたれ!」 ……と言って、叩き起こしたものの、外は小雨だった。朝までは晴れてたのに間が悪いったらない。
天神の福家書店を回って本を物色した後、アクロスでオペラの予約チケットを購入。安売りのツテがあったので手に入れたのだが、オペラだから当然役者のみなさん、アチラの言葉で歌われるのである。 係の人が「7月末に解説書が出来ますので取りに来てください」と言う。 つまり日本語シナリオってことだろうけれど、予め読んでおけということか。映画見る前に原作読んでおくようなもので、多少興醒めだけれど仕方がないか。以前見た『さまよえるオランダ人』みたいに、舞台でも字幕を流してくれたら嬉しいんだけど。
帰りにマクドナルドで新発売の「中華バーガー」というのを買って食べてみる。……要するに肉まんの外側がパンになってるってことなのね。肉まんだと思うと美味いが、だったら肉まん食ったほうがいいような微妙な食感。
久しぶりにテレビでアニメ『クレヨンしんちゃん』を見る。 「今度こそ本当にキレイにするゾ」「マサオくんが駆け落ちするゾ」「真夜中のフシギな味だゾ」の3話。 引っ越してあのアクの強いまたずれ荘の面々がいなくなっちゃうと、随分ゆったりした雰囲気になるもんだね。まあ、これが元々のしんちゃんなんだろうけど。 2話目はマサオくんが酢乙女あいちゃんに振り回される話。マサオくんと駆け落ちするはずが、あいちゃんの妄想の中ではいつの間にかしんちゃんと入れ代わってて、マサオくんは記念写真の隅でグレてるギャグが秀逸。これだからテレビ版もなかなか見逃せない。しょっちゅう見逃してるけど(先週の『ヌパン四世』は見損ねて失敗したなあ。藤峰子の声が誰になったか知りたかったのに)。 そういえば、同じ幼稚園に通ってるのに、あいちゃんは未だに映画版に登場せんな〜。もしかしたら、原監督に嫌われてる? 3話は、またもや大塚正美さんの超デフォルメ作画。でも酔っ払いのひろしの話には合ってるかも。ひろし、吼える犬に「靴下五日目キーック!」とか言ってるけど、もしかしてひろし、靴下あまり持ってないのか? そりゃ、五日も履いてりゃ過去を振り捨てたくなるくらい臭いのは当たり前だわな。 それはそれとして、プリンに醤油かけるとウニの味になるって。ホントにホント?
マンガ、伊藤伸平『楽勝!ハイパードール vol.1 NEW Side』(英知出版/トラウママンガブックス・1985円)。 なんだか年号みたいな値段でバカ高いけれど、ゆうに単行本2巻分とちょっとはあるから、これくらいの値段になるのは仕方がないか。 もちろんかつて廃刊になった徳間書店のマンガ雑誌、『少年キャプテン』に連載されてて未完のままになってたやつだけれど、新雑誌の連載が決まっての引っ越し出版、ということになる。……旧版持ってるのに買っちゃったのは、やっぱり細かい描き下ろしや改訂があるからだな。そんなの微々たるもんだってことは分るけれど、でもやっぱ好きなマンガだとどうしてもねえ(^_^;)。いや、細かいパロが好きなのよ。ヴェア・チカーエ(セミマン)はやっぱ楳図かずお版バルタン星人だし、いいよねえ。 宇宙から地球を守りに来た美少女二人組なんて、もろダーティペアの流れっつーか、作者ご本人は「ピンキーパンチ」だと認めておられるが、きれーなねーちゃんが露出度高いカッコで活躍してくれりゃなんだっていいんだ(* ̄∇ ̄*)。 作中にもあるとおり、当時は『コスプレ戦士キューティナイト』ってのもありましたな(^u^)。これも今月、DVDが出ましたが、私はこれも買うべきでしょうか。 作者があとがきで徳間の悪口吐きまくってるけど、仕事が来なくなる危険はないのかな〜。いらん心配かもしれんが、なんか喧嘩っ早いとこ、伊藤さんはあさりよしとおさんにも似てるからねえ。……連載中止ものばっかり増えるぞ〜。連載再開した途端、また休刊ってことにならなきゃいいけど。
2001年06月22日(金) 冷蔵庫は8年で買いかえるものだそうな(電器屋談)/『ななか6/17』1巻(八神健)ほか
| 2002年06月21日(金) |
やっぱりカネがあると肉/映画『ウォーターボーイズ』/映画『アイ・アム・サム』 |
待ちに待った給料日。 これでようやく極貧生活から脱出である。もっとも、二、三日あとにはまた、その日のメシにも事欠く生活に戻っちゃってるだろうけれど。……って、数日でン十万も使い果たすつもりか。 実の親が、この不況のせいで日銭稼ぐのにも汲々としているというのに、何をバカ学生のような生活をしてるというのか。 あー、なんかアレですね、私が日記に書きちらしてることをですね、いかにも重い経験に基づいた立派なモノイイのように捉えてる人がたまにいるみたいなんですけど、私ゃ昔っから全然変化のない、生活無能力者の性格破綻者なんですから。人生舐めてかかってるおおバカものなので、あんまり本気に取っちゃいかんですよ。
今日は7時からの映画に間に合うように、1時間だけ仕事を早引け。 有休もこんなふうにチビチビ使っていきゃ、そんなに減ることはないんだけれど、たまに二、三日、連続してぶっ倒れるからなあ。本当は今日も半日ぐらい休みを取って、余裕を持って出かけたかったんだけれど、あとあとのことを考えると、そうもいかない。多分と言うか、毎年確実に夏場には倒れているので、そのためにも今はあまり休まずに頑張っとかなきゃいけないのである。 給料が出たら「すしでも食いにいこっかー」とスーパーミルクちゃんみたいなことをしげは言っていたのだが、改めて「すしにするか?」と聞くと「肉!」とヒトコトで即答する。 ……レパートリーというかバリエーションというものがないのか、この女には。ということで、「肉のさかい」で早めの夕食。 けれど、確かに肉系の店に行くのはしばらくぶりである。 この店はいつも割引の金券を500円分呉れるのだが、前に貰った分は4月で期限切れになっていた。つーことは2ヶ月近くこの店に肉食いには着てなかったってことか。 しげはどうせ赤身肉しか食わないだろうと思っていたが、珍しくそれ以外にも冷麺を注文。不味いモノは食いたくない主義のくせに、たまにちょっと珍しいものがメニューあると、後先考えずに食べたくなる悪いクセもしげにはある。こういう店の冷麺って、絶対辛いと思うんだけどなあ。しげに食いきれるのかと思ったら、やっぱり、「麺は美味しいけど辛い」と食い残しというより、ほとんど手付かずの冷麺を押し付けられた。 昼飯を抜いてて正解だったなあ。私はダッカルビ定食を注文していたのだが、腹が空いていなければちょっと食べきれないところだった。
外に出て車に近づくと、しげが急に目を輝かせて、「見て見て!」と私の袖を引っ張る。何ごとかと思えば、車のボンネットにうっすらとネコの足跡が付いているのである。 「かわいいねかわいいねかわいいね」としげはしゃいでるがつまりはヨゴレじゃん。ヨゴレでもネコならいいのか。
ワーナーマイカルシネマズ大野城に6時半に到着。 時間的にはちょうどいい感じ。有休取らずに来れたんだったらもっとよかったんだけどね。8時間労働ったって、昼休みも職場に拘束されてるんだから、こいつも時間の中にカウントするのが本当じゃないのか。だから「9時から5時まで」ってアメリカじゃ言ってるんだし。8時から4時までにしてくれりゃ、映画ももう少し行きやすくなるんだよ。景気快復を本気で考えるなら、そういう措置も取ったらどうなんだ、小林信彦も昔そんなこと言ってたぞ、と内心愚痴りながらリバイバルの映画『ウォーターボーイズ』を見る。 ……去年、見逃してたのが惜しかったなあ。西田尚美をスターダムに押し上げた(^^)『ひみつの花園』の矢口史靖(「やぐち・しのぶ」と読むのだ)監督だと気付いてたら、絶対見に行ってたのだが。 コメディはとにもかくにも基本アイデアで勝負が決まるところがあるので、「男子のシンクロナイズドスイミング」というのは、それだけで半分は成功したようなもの。期待は弥増してしまうが、期待外れに終わらないどころか、実に爽やかな青春映画にもなっていたことに驚く。かと言って、「これが青春だ!」みたいな気恥ずかしい作りにもなってはいないのでご心配なく。ヒトコトで言えば、これ「バカっていいじゃん」映画なのだ。 若い役者さんたちには基本的にコメディ演技はできない。だから一所懸命になればなるほどバカに見える「若さゆえの過ち(^^)」を、そのまんま映画にしたのだ。
今や部員は三年生がたった一人、潰れかかった唯野高校水泳部に新しい顧問がやってきた。それがまた真鍋かおり似の(って本人だけど)美人教師。釣られて、入部希望者が殺到したはいいものの、先生の専門はなんとシンクロナイズドスイミング。あっという間に部員は五人に減ってしまうが、今更やめるにやめられない事情のある五人は、一大決意をして文化祭でシンクロを披露することを決意する。ところが直後に先生は妊娠して産休に入ってしまった。 コーチもいないどころか、カナズチばかりの水泳部の明日はどっちだ?!
真鍋かおりの代わりのコーチがイルカ調教師の竹中直人というのも相当、人を食っているが、小出しのギャグが重層的に積み重ねあげられてストーリーが構成されているのがいい。柄本明がゲイバーのママ役ってのはハマリ過ぎててかえって笑えないが。 恋愛ネタが絡むのはまあこの手の青春ものの定番だから仕方がないが、それほど物語の流れを阻害しない程度なのでこれもよし。っつーかそれもちゃんとギャグになってるし。ヒロインの平山綾もかわいいことはかわいいが、個人的にはメガネっ子三人娘のまん中の秋定“「あぐり」の少女時代”里穂がイチオシだ。自分たちを少しでもかわいく見せようと、メガネを取って、目を顰めながらウォーターボーイズたちを誘うシーンはメガネっ子萌えの心臓を打ちぬくことは必至。思わず私も映画に向かって心の中で応援しちゃったもんね、「違うぞ里穂ちゃん! メガネ取らなくったって君は可愛い! かわいいんだああああ!」。 アホですか? アホですね。 でも、やっぱりバカっていいよ。「なんでシンクロ?」って疑問、アタマのいいやつはどうしても考えちゃうだろうけれど、これを去年見ていたら、絶対邦画のベスト3くらいには押してたろう。去年はホントに日本映画豊作の年だったんだなあ。 ちなみに、水泳部員の一人に、『ウルトラマンコスモス』の主演、杉浦太陽がチョイ役で出ていたぞ。でもどこに出てたか全然わかんないから、この映画までオクラ入りになることはあるまいて(^o^)。
続けて映画『アイ・アム・サム』をハシゴ。 予告編を見たときには、知恵遅れのパパと賢い女の子との愛情生活を描いた感動モノかと思ってたら、ちょっと違ってた。確かにそういう要素はあるけれど、基本的にはこれ、全編が裁判ものだったのだ。 つまり「知恵遅れのパパに子供の養育を任せていいのか?」ってことが児童相談所の訴えで裁判になったところからドラマは始まるのね。 物語自体はそれを結局は「愛情」の問題にスライドさせていくので、予定調和でいささかつまらないのだけれど、それよりも見ている間ずっと気になってたのは、こういう映画が成立してしまうってのは、やっぱり訴訟社会であるアメリカのお国柄だからってことなのかってこと。 「親が知恵遅れでも子供を任せていいのか」って問題自体についての答えは簡単だろう。「程度による」。違うか? で、映画のサムの様子を見る限り、任せてはいけないレベルとは思えない。サム自身は安月給ながらもスターバックスでちゃんと給仕の仕事をこなしているし、子育てに悩みあぐんだら、近所の人に助けを求める知恵も持っている。もしもこれが日本の場合だったら、と想定してみたが、この国もだんだんと訴訟社会となりつつあるから簡単に断言することはできないが、この程度のことなら、まず問題にすらならないのではないか?(つーか、日本の場合、もともと知恵遅れの人が結婚できるかどうかという問題の方が大きいんだけど)。 この映画が「甘い」のは、そういう問題について真剣に考えるなら考えるで、学力のみでサムを親として不適格とする検察側の主張に対して、弁護側が、通り一遍の愛情論でなく、現実に知恵遅れやヒキコモリの人たちがよってたかって娘のルーシーを育てていけたのはなぜか、という点をキチンと検証・主張していないところだ。 『白雪姫』中の「七人の小人」をモデルにしたと思しい、知恵遅れの仲間たちは裁判でサムに有利な証言をすることができない。しかし彼らは一人一人がどこかで日常生活に支障をきたす部分を持っていも、それを補いあうことでルーシーを立派に育ててきたのだ。それは「愛情」のひとことで括れるような単純なものではなく、もっと複雑な要素がそこにはあるはずだ。 弁護士役のミシェル・ファイファーが無能にしか見えないのは、彼女自身がヒステリーに悩まされているからではない。彼らの中に愛情を越えてもなお人間としての尊厳を訴えることのできる「何か」を全く見出せていない点に理由がある。 それはつまり、この映画の制作者たちが「妥協」した結果なのである。脚本の「放棄」だと言ってもいい。おかげで、物語はいわゆるありきたりというよりは逆に現実から目を背けた「『白痴』=純真無垢な心の持ち主」みたいな偽善的な方向にしか進んでいかなくなってしまった。そこのツメが甘かったのが、この映画のなんとも惜しいところだった。
しかし、「演技」というレベルにおいては、この映画、世界でも最高のレベルに達していると言っていいだろう。 サム役のショーン・ペンももちろんだが、何より信じられないほど豊かな演技を披露してくれたのは、ルーシーを演じた7歳の少女、ダコタ・ファニングちゃんだ。自分が父親よりも賢くなってしまう孤独感、けれどそれゆえに父親から何を受け継いで行けばいいかを学んでいく様子を、ほんのわずかな表情の動きで表現していく。……私ゃ、かつてのマコーレー・カルキンもハーレイ・ジョエル・オスメントくんもべつに「てんさい」とは思わなかったけれど、ダコタちゃんは天才だと言いたくなっちゃったね。結構穴のある設定なのにそれが気にならないのは、彼女の演技によるところが大きい。見て損はしないですよ、この映画。
しげの評価は2本ともまあまあ。『ウォーターボーイズ』にしげが感情移入しないのは分らないでもない。あまり「男の子」に対して幻想持ってないものな、しげは。若い男のバカってのはあまり笑って許せないだろうし。 いつもの如く、帰り道の車の中で、しげは「どこかへいこうか?」とか言い出す。 「温泉にでも行くか?」と答えたら、しげ、なんだかクスクス笑っている。またどうせバカなことを考えてるんだろう、と思ったが、聞いてやらないのも悪いかと、一応聞いてみる。 「何がおかしい?」 「……ラブホと伊香保は似てるね」 ……聞くんじゃなかった(-_-;)。
2001年06月21日(木) つーきも、おぼーろに、しらーああうおの、/舞台『黙阿弥オペラ』(井上ひさし)
| 2002年06月20日(木) |
癒してくれなくていいってば/映画『怪盗ジゴマ 音楽編』/『夏のロケット』(川端裕人)ほか |
朝方、寝床の方からヘンな呻き声が聞こえる。 なんとなくリズムはダース・ヴェーダーの「すーぱー・すーぱー」(私にはそう聞こえるんですけれど、みなさんにはどう聞こえてますか?)に似ている。しかし朝目覚めてみたら側にダース・ヴェーダーが寝てたって、こんなにエズイ(=怖い)ことはないな。 そんな声を出すのはもちろんしげ以外にはいないのだが、いったい何を言ってるんだと思って耳を傾けてみると、「すーぱー」ではなくて、「はーげー。はーげー」。 ……誰がハゲやねん! そりゃな、確かに最近、天頂あたりが薄いよ。抜け毛も多いし、だんだん額も後退してきてるし、髪の毛自体も細くなってきてるよ。こないだ散髪したときにオヤジから「オレそっくりの頭になってきたなあ♪」なんて言われちゃったよ(そんなとこまでムスコが似てきたのが嬉しいか、父よ)。 けどなけどな、「まだ」ハゲちゃいないんだよ。 谷村新司にもさだまさしにもなっちゃいないんだよ。 いや、ハゲになったっていいじゃん。ハゲのどこがいかんのよ。ハゲが魅力的だった人たちだって、今までにたくさんいたぞ。ユル・ブリンナーの立場はどうなる。島田勘兵衛(←『七人の侍』)はあえてハゲになったぞ。宇宙刑事ギャバンだって一時期はハゲだったのだ。コペンハーゲンは立派な都市じゃないか(意味不明)。 くそ、今度はしげが起きてるときにしげのことを○○○○とか○○○○○とか○○○○○○って寝言言ってやる。
今日も今日とて、しげに車で職場まで迎えに来てもらう日々。 これが職場の同僚に羨ましがられることが多いんだけども、困ったことに、「私に視力がないから車の免許取れないんですよ」とか「以前、自転車で子供ハネちゃったもので、通勤に自転車使いづらくなっちゃって」とか、正直に事情を話すと、たいてい相手が「引く」ことである。 軽い会話を楽しむつもりがいきなり重くなったと感じるんだろうけれども、私ゃ別に重い話題を振ったつもりはないんだけどなあ。
病人が病気なのは実はカラダだけではなく、ココロが病気って場合がほとんどなので、だからこそ周囲の人間は病人を「気」遣ってしまうのである。重病患者に「オレはもうすぐ死ぬんだ」とか沈鬱な表情で言われたら、たとえ家族だって声のかけようもないだろう。「オレ、もうすぐ死ぬけどそれまで精一杯生きるよ!」と言ってくれりゃ、「その意気で頑張れ!」ってエールを送ることもできるんだけどね。でもそういう覚悟ができてる病人は少ない。たいていは内心どこかで同情を買いたがってるからねえ。
私にしたところで、病気だのケガだので余命いくばくもないと医者に言われてから既に30年が経っているが(^_^;)、自分で自分の病気を吹聴するのは「これが『憎まれっ子世に憚る』ってことか」、と笑ってもらえりゃいいと思っているからなんである。同情はしなくていいし、惜しまれるだけの価値のある人間でもないから、実は激励だって要らない。 世の中、苦労してない人間なんていないのだから、病気だからって他人と比べで自分は不幸だなんて悲観するこたあないのだ。「なんでオレだけこんな目に」ってブルース・ウィリスみたいなこと言ってるからかえって落ちこんでしまう。その「オレだけ」ってのが傲慢というものなのである。周囲も遠慮は要らないから「別にアンタだけが苦労してるわけじゃないよ」って言ってやれや。 他人より早死にする人間だって、いくらでもいるんだから、死期が迫れば「ここまでってことか。まあ、自分なりによくやったほうかな」と本人が素直に諦めりゃすむことなんである。
私の言質に周囲が引いちゃうのも、「そんな強がり言ってるけれど、本当は心の奥底ではツライに違いない」と勝手に憶測して対応に困ってるせいなんだろうね。かと言って、私が「ホントはつらくてつらくてたまらないんです、ボクはこれからどうなってしまうんでしょう」なんて言ったら、そっちの方がどんな態度を取ったらいいかすっごく困っちゃうと思うんですが、いかがですか(誰に向かって言っとんの)。 実際に死にかけたら、私ゃ根性ナシだから、ホントに「し、死にたくねえよう、た、助けてくれよう」とか言って慌てふためくかもしれないけれども、そのときゃそのときで「みっともねえなあ」と蔑んで突き離して「勝手に死ねば?」とか言って頂ければいいのである。どんな形であれ、他人に関わろうとする行為には、「甘え」が生じるのだ。「甘え」をムリに受け容れなくたっていいでしょう。 私なんかより、しげの方がよっぽど地獄を見てきている。 しげのすごいところは、話を聞くだに「そんな経験したら生きちゃおれんわ」と思うようなことでも、サラリと受け流すというか、場合によっては忘れようとしてホントに忘れてしまっていることだ。別に偉いわけではないどころか、ハッキリ言ってバカなんだけれども、自分の不幸に執着してる人間よりはよっぽどマシだ。 しげもまた、かつて「かわいそう」と言われたことが何度もあったそうであるが、もちろんしげは少しも喜びはしなかった。そんなこと言ってたやつにしげの心が理解できるはずもないし、実のところ本気で「かわいそう」なんて思ってたかどうかもアヤシイ。 全く、世間の人々はどうしてああも平気で病人や身障者に対して「かわいそう」とか「お気持ち分ります」とか言ってしまえるのかね。テレパスかお前は。分るはずもないことを簡単に口にできることに、偽善と相手に対する優越感と差別意識が含まれていることに気付かんのか。ほかに言うコトバがないから、気付いててもあえて言ってるとしたら、よっぽどアンタらのほうがココロの不自由な人だよ。かわいそうだね同情しちゃうね。 ……ね、「かわいそう」って、実質的な「拒絶」でしょ?
そんな埒もないことを車の中でぼんやり考えていたら、しげが、「どうしたと?」と聞いてくる。 しげは私が考え事をしていると必ず声をかけてくるが、考えてるのはたいていはこんな取りとめもない「よしなしごと」だし、聞かれたときには相当頭の中で未整理な考えが乱舞している状態になっているので、返事のしようがないのだ。 それを愛想がないとか嫌ってるとか言われてもこっちが困る。 で、今度はこちらが「メシはどうする?」と聞くと、「どうしよっか?」と聞き返してくるのだ。質問に対して質問で返されたんだから、自分では意見がないのかと思って、じゃあ、『すきや』にしようか」と言うと、不満そうな顔をして「アンタだけ行きぃ、オレは行かんから」と言う。 「なんだよ、文句つけるんなら最初から聞くなよ」 「オレ、言ったよ、『どうしよっか? 王将?』って」 「聞こえてねーよ。『王将』がいいなら、『どうしよっか』なんて言う必要ないじゃん。最初から『王将』に行きたいって素直に言えよ。テキトーな日本語使うな」 日記にも「いい加減『王将』に飽きた」みたいなこと書いてたから、しげも言葉を濁したのかもしれないけれど、言葉を濁そうが、「ここに行く!」と決めたら、しげは私の意見なんか聞きゃしないのである。 私もそれが分ってるから、食事をどこでするかなんて主張、日頃はしていないんである。そんな態度でエスコートだけはしてほしいってのは、思いあがりも甚だしい。頑固なくせに優柔不断な態度を取るって、支離滅裂じゃんかよ。 ……で、しげが車を乗り入れたのは「すきや」でなくて「王将」。 ほら、私に聞く意味なかったじゃん。 昨日、急にラーメンを食いたくなったしげ、いつものなんとかセットのほかに更にラーメンを頼む。「食い切れねえだろう」と止めるが、ヤケになってるしげ、口に目いっぱいコメツブを詰めこんで、グチャグチャ小汚く食っている。……そんな食い方したって美味くもなんともないと思うが。いつもいつも思うことだが、ヒステリー起こしたって自分が損するだけだとわかってるのに、どうしてこう、自分のコントロールができなくなるのかなあ。
『クレヨンしんちゃん』の映画版に飢えるあまり(シンエイ動画、早くDVD出せ)、LDで『ヘンダーランドの大冒険』を見返す。 エンディングテーマの雛形あきこ『SIX COLORS BOY』はすっげえ名曲なんだけれども、何度練習しても音程をうまく調節できなくて歌えない。男が歌って楽しい曲でもないんで、しげが歌ってくれると嬉しいんだけどなあ。……ってカラオケにそうそうしょっちゅう行く余裕はないのだけれども。
音楽に飢えてるのかな、ついでにビデオ『怪盗ジゴマ 音楽編』も見返す。 和田誠のアニメ、というより、寺山修司の短編ミュージカルに監督の和田誠自身が「曲」をつけたという、もう私にしてみればこんなゼイタクな作品はないってなくらいの傑作なんだけれども、当然、カラオケにこんな曲が入ってるわけもない。 由起さおりの演技力は、『家族ゲーム』やドリフのコントや『お江戸でござる』なんかでも証明ずみだが、その最高傑作はこのアテレコだと断言する。最初にこのアニメ見たのは広島アニメーションフェスティバルでだったけれども、前説に出てきた和田監督が、「キャスト見たら驚きますよ」と言っていたのが、事実、「由起さおり」の名前がテロップで出た途端に「おおおおおっ!」と歓声があがった。 全詩をご紹介したいところだが、怪盗ジゴマに盗まれた、少女の歌を一曲だけ。
呼ばないで 流れ行く雲を 呼ばないで さすらいの町を ああ 呼ばないで 私の名前を
呼ばないで 悲しい酒場を 呼ばないで 古いピアノを ああ 呼ばないで 私の名前を
いくら呼んでも振り向かない 私の心は闇だから 闇だから
……実は私が寺山修司ファンになったのは、この詩に感銘したからである。闇を持つ女じゃなきゃ、魅力なんてないよな(だから誰に同意求めてるんだよ)。
マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』25巻(小学館/ビッグスピリッツコミックス・530円)。 表紙のフジタ、クチビルがえらく赤くてカマっぽいんですけど、何かあったんですか、細野さん(^_^;)。 「ジョコンダの姉妹」を読んで初めて知ったのだけれど、盗難にあった美術品は、それと知らずに購入して二年経つと、もとの所有者に返さなくていいって法律があるんだね。しかもそんな泥棒天国な法律作ってるの日本だけなんで、美術窃盗犯は、せっせと絵画なんかを日本に持ちこんで「二年間」寝かせてるんだとか。 こりゃアレだね、そんな法律が有効だってことは、もしも「盗難されたものは須らくもとの持ち主に返さなければならない」って法律ができちゃったら、お偉いさんで、コレクションを手放さなきゃならなくなる奴がやたらいるってことなんだろうね。でもそれだけ日本人には本当の審美眼がなかったってことじゃないの。ツケは返そうよ。 ……って全然作品批評になってないけど、最近は知識的な好奇心でしかこのマンガ、読んでないからなあ。どうしてもこういう感想になっちゃうのよ、ご勘弁。
川端裕人『夏のロケット』(文春文庫・670円)。 あさりよしとおのマンガ、『なつのロケット』が本作の影響化に書かれていたことは知っていたのだが、実はそれほど期待していたわけではなかった。改作されたマンガがおもしろかったからと言って、そのもとネタたる小説もまたおもしろいとは限らないからである。 ……いや、狭量な考えでした。これもまた「男の子必読」の小説です。と言っても女性を差別するわけではないけれども、「なぜ人は宇宙を目指すのか?」という質問に対して、「考えるまでもない、そこに宇宙があるからだ」と言いきれる人間でないと、この小説、楽しめないのではないか。
新聞社の科学部担当記者である「ぼく」=高野は、過激派のミサイル爆発事件を調査しているうちに、そのミサイル製造に、かつて所属していた高校天文部の友人が関わっているのではないか、と疑問を抱くようになる。 「ぼく」と四人の仲間は、かつて、本気でロケットを打ち上げようとしていた過去があったのだ(もちろん非合法)。そして今、オトナになり、科学者、技術屋、企業家、歌手となった彼らは再び結集し、「個人レベルで飛ばせるロケット」の開発・打ち上げを計画していた。 いつか火星に行くために。
常識的に考えれば、たった五人で有人宇宙ロケットを打ち上げるなんてことは絶対に不可能であろう。これを一つのファンタジーとして考えるなら、それはそれでドラマとして成り立たせる方法はいくらでもある。細かい設定は無視して、「こんなこともあろうかと」、新開発の技術でも超合金Zでもでっちあげればいいのだ。 しかし、作者はあくまで、「現在の技術だけでも、宇宙ロケットを製造することは可能」という点に徹底的に拘った。資金、材料、ロケットの規模、実効性、全てに拘り、そのディテールを重ねて行くことによって、企業にその気さえあれば、超低予算(と言っても何十億かはかかるけど)でロケットを打ち上げることが可能であり充分ペイすることを証明していくのだ。何しろ、合金製造のために日本の「刀鍛治」に依頼にまで行くのである。そのアクロバティックだがリアリティのある設定に何度酔いしらされたことか。 もしあなたが、かつて「流線型のロケット」に憧れた過去を持つなら、本書を読みながら、知らず知らずのうちに五人に感情移入しながらロケットの実現を「本気で」応援している自分の姿を発見していることだろう。実際、読了後に思ったものだ。どこぞの企業、法律違反無視、会社つぶす覚悟でロケット打ち上げる度胸を示してはくれないものかと。 物語中、彼らの計画は何度も頓挫しかける。最大のピンチは、爆破事件を追う警察に、ロケット製造をミサイル製造と勘違いされ、秘密の実験を繰り返している島を発見されそうになるクライマックスである。 時間との戦い。近づく嵐。マスコミのヘリコプターが上空を迂回して行く。警察はもうすぐそこだ、早く打ち上げなくては間に合わない、ところがそんなギリギリの状態のときに、メンバーの一人がとんでもないことを言い出す。果たして打ち上げは成功するのか。 ……これ以上はネタバレになるので言わないが、彼がある瞬間「笑った」時、私は読みながら「泣いて」いた。
プロローグでは、火星に着陸しようとする宇宙飛行士たちの描写が紹介されているが、この小説のラストは、直接このプロローグにリンクしてはいない。このプロローグがただの夢なのか、それとも主人公たちの未来の姿なのかは明示されないまま終わる。その間の物語を補完するのは読者の手に委ねられた。ということなのだろう。
2001年06月20日(水) べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)
| 2002年06月19日(水) |
VS借金取り(^o^)。って、笑ってる場合かよ/『卓球戦隊ぴんぽん5』(桑田乃梨子)ほか |
指揮者・作曲家の山本直純さんが18日、急性心不全のため死去。享年69。 どの記事を見ても、音楽番組『オーケストラがやってきた』とか、「大きいことはいいことだ」の森永のCMとか、『男はつらいよ』の作曲とか、長髪、口ひげ、黒縁眼鏡とか、小沢征爾とのやりとりとか、そんなもんばかり取り上げているが、オタクとして真っ先に挙げなければならないのは、東映動画『どうぶつ宝島』の作曲だろう。山本さん、この映画ではムッツリの声までアテている。ムッツリだからほとんど喋らないんだけれども(^_^;)。 カラオケに入ってないのが悔しくてしかたがないのだが、『ちっちゃい船だって』はアニソンベストテンを選出するなら私は絶対に上位に入れる。もっとも入ってても私が歌っちゃ雰囲気ぶち壊しだが。しげはコドモみたいな声してるんで、いっぺん聞いてみたいんだがなあ。 ……歌を知っている人がいたら、私のために歌ってください(←黒澤明『素晴らしき日曜日』的演出)。
(作詞:石井浩一 作曲:山本直純 歌:ヤングフレッシュ) ちっちゃい ちっちゃい ちっちゃい ちっちゃい船だって 大きい 大きい 大きい 大きい夢のせて どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号 ちゃっぷん ちゃっぷん ちゃっぷん ちゃっぷん 波のうえ ざんぶら ざんぶら ざんぶら ざんぶら こいでゆく どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号
なみも かぜも おひさまも みんな みんな みんな みんなともだちだ ゆくぞ ぼくらのパイオニア号 ひゅう ひゅう ひゅう ひゅう 風きって 希望を 希望を 希望を 希望をおいかける どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号
なみも かぜも おひさまも みんな みんな みんな みんなともだちだ ゆくぞ ぼくらのパイオニア号
昔はこの「パイオニア号」というところが聞き取れなくて、てっきり「フロンティア号」だと思っていた。『宇宙大作戦』の連想でそう思っていたのかも。 でも本気で思ってるんだよ、200本を越える山本さんの映画音楽の中で、これが最高傑作だったって。……あ、涙出てきちゃった(T.T)。 アニメの最高傑作が『ど宝』なら、特撮の代表作は『怪奇大作戦』。 主題歌の「恐怖の町」は、作詞・金城“ウルトラマンの生みの親”哲夫&作・編曲・山本直純という超強力コンビ。サニートーンズの低い声を思い出して歌ってください。
「ギャーッ!」
闇を引き裂く 怪しい悲鳴 誰だ 誰だ 誰だ 悪魔が今夜も 騒ぐのか オー! SRI SRI 謎を追え SRI SRI 怪奇を暴け Let's go!
「フフフ・・・」
墓場の影で 怪しい笑い 誰だ 誰だ 誰だ 死神が 歌い踊るのか オー! SRI SRI 悪を討て SRI SRI 正義を守れ Let's go!Yeah!
「ウグッ!ア アアーッ!」
街角を走る 怪しい影が 誰だ 誰だ 誰だ 妖怪が獲物を 狙うのか オー! SRI SRI 謎を解け SRI SRI 平和を築け Let's go!
あと、『マグマ大使』(テーマソングよりガムの歌の方が好きって人、多いような)や、あの伝説の時代考証無視のトンデモ番組、NHK『天下御免』(平賀源内=山口崇&杉田玄白=坂本九!)も山本さんの作曲。「船出だぞ〜、船出だぞ、この浦ふ〜ねに帆をあげて♪」って覚えてる人いるかな? なんだかね、山本さんの曲って、どれもサビの部分でちょっと転調するところがあるんだけれど、そこがなぜか切なくて泣けてくるのよ。鈴木清順の『殺しの烙印』も山本さん。あのダークな音楽が山本さんとはちょっと信じられないくらいだが、こうなるとその作品世界の広さに驚嘆しないわけにはいかない。 オタクにカルト、御用達って感じな人なのに、意外にオタクな人たちがその死に反応しないのは、やっぱりご本人のキャラクターの印象が強すぎて、曲の価値を我々が見誤っていたということではないのか。
某信販会社から職場に電話。 「あなた冷蔵庫の代金払ってないでしょ。払ってよ払ってよ払ってよ」 「……あれ? 振込用紙で払いましたけど」 「それは5月分でしょ? 4月分がまだなのよ。払ってよ払ってよ払ってよ」 「4月分の振込用紙って届いてないんですけど」 「送ったわよ。今日までに払わないと、後は一括で払ってもらうわよ」 「用紙があればお送りするんですけど」 「4月分のはもう送れないのよ。後は銀行振込しかないの。払ってよ払ってよ払ってよ」 「でも銀行に行く時間ないんですが」 「だったら来月まとめて十万払ってね払ってね払ってね」 で、ガチャッと電話切られた。払ってないこっちが悪いんだろうけど、振込用紙の再発行もできないってどういうリクツなのか。 察するに4月分の振込用紙、新聞かなんかの間に挟んで捨てちゃったんだろう。本とビデオとゴミの中に暮らしてるとこういうことはままある(だから片付けろよ)。しかしいきなり十万の出費は痛いことは痛いが、もともとローンでものを買うのって嫌いなので、一括して払っちまえるんならそっちのほうが楽だ。今回はいきなり冷蔵庫がぶっ壊れて仕方なくローン組んだんだけど、今後はローンでものを買うことなんてまずなかろうから、実際ほとんど痛痒はないのである。 けれど今月はDVD買うのはちと控えよう(^_^;)。来月はまた別だが。
しげ、迎えの車の中で延々と職場の愚痴を垂れる。 なんでもただでさえクソ忙しいところにもってきて、いきなり人件費削減のお達しが出たそうで、時給も出ないのに残業させられることが増えそうなんだと。 「夜2時半で上がるはずが1時間もただばたらきしなきゃなんないんだよ」 景気は底入れしたはずじゃなかったのかなあ。客が来てるから忙しいんであって、更に人件費を減らそうってのは単にけち臭くなってるだけって気もするが。 バイトやパートが辞めようかどうしようか相談してるそうだけれど、経営の基本間違えてんじゃないか、リ○○○ハ○ト(今更伏字にする意味もないな)。
帰宅したら、ちょうど新聞屋さんが契約更新のお願いに来ていた。 新聞に特に好みというのはないので、引っ越し以来10年、某新聞を取っているのだが、更新のたびごとに結構なモノをくれる。確かあまり高価なものはあげちゃいけなかったんじゃないかと思うんだが、実際にはいろいろ貰っている。 今回貰ったのはダイエー戦のチケット。けどしげは広島カープ以外の球団はクソだと思ってるからなあ。一緒に行ってくれるかどうかは心許ないのである。
アニメ『ヒカルの碁』第三十六局「オレの名は」。 各話ごとにヒカルがオトナになったりコドモになったり激しいけれど、今回はまた随分と丸っこくて目の大きいヒカルになっちゃって……と思ってスタッフを見たら原画がみんな中国の人。けれど、一昔前だったら「外注=どヘタクソ」という図式が成り立っていたものだったけれど、今や技術の彼我の差はそれほどでもない。 今回もやや演技の付け方にぎこちなさは残るものの、外注だとは言わなければ分らないのではないか。もっとも、演出や絵コンテ自体は日本でえんどうてつやさんが担当している。原作とは微妙に構図を変えて、ヒカルに置いていかれそうになる佐為の不安を演出しているあたり、ちょっとした工夫だけれど効果が効いている。 けれど気がついたら、原作もかなりの量を消化している。この分だとクライマックスは案外近いかも。
ドラマ、『女と愛とミステリー 痴漢冤罪殺人連鎖 私はやってない! 教師現行犯逮捕の恐怖体験 伊良湖岬の変死体は痴漢を自供した銀行マン 二つの事件を結ぶ謎に挑む美人弁護士』。 ……タイトルなげーよ(-_-;)。 つーか、これだけで充分ストーリーの説明ができちゃってるよ(^_^;)。 痴漢に間違えられる教師役は、村上“今更言われたくないだろうがスカイライダー”弘明。 で、美人弁護士役が田中“ゴジラ×メガギラス”美里。 てっきり法廷ものになるかと思ったら、途中から痴漢に間違われて自殺した会社員の謎を、裁判ほったらかしで追いかけることになるアクロバットな展開。……っつーか脚本がデタラメだよ、これ。 石野真子と故・伊藤俊人さんが出演していたので、つい見ちゃったけど、こんなテキトーなのが伊藤さんの遺作だとしたら悲しいなあ。
マンガ、桑田乃梨子『卓球戦隊ぴんぽん5』(白泉社文庫・630円)。 おおおう、ついについに、くわ太さん(←桑田乃梨子さんの愛称だよ)が文庫に! でもてっきり、『ひみつの犬神くん』か『おそろしくて言えない』が先だと思ってたけどな。特に『おそろしくて』はCDにまでなったし(塩沢兼人さん主演。合掌)。けれど出たら出たで、あとがき書き下ろし魔の桑田さんのことだから、また、オマケマンガ描いちゃうんだろうな。実際描いてたから新書版持ってるのにまた文庫版まで買っちゃったわけなんだけども(もっとも買ったのはしげだ)。 しかし、オマケマンガが描ける、ということは、それだけキャラクターに「余韻」があるってことでもあるのだ。桑田さんの物語は、一応の結末を迎えはするのだけれど、いつも「このキャラはこれからどうなるのかな?」ということが気になる。このマンガも、なんたって連載時は「ぴんぽん5」が結成されるところで終わっていたのだ。……これから話が始まるとこやん。というわけで、短期連載された続編、『超卓球戦隊ぴんぽん5R』と『合宿戦隊ぴんぽん5』、それに描き下ろし『戦隊だもの』を加えて全1冊に構成した「完全版」がこれ。でも、描き下ろし加えても、まだ「先」がありそうな感じで終わってるんだよなあ。主役の兄まで登場させるし(主役が裕次郎だから兄さんは当然、慎太郎。弟が軟派だから、兄さんは……って結構アブないネタになりそうだよ、コレ)。 ……続編描こうよ、桑田さん。タイトルは『卓球戦隊ぴんぽん5すーぱーず』とかで(^o^)。
昨日の『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』の続き。
乱歩と正史の因縁は更に続く。 戦後の金田一耕助のシリーズ化は、かつての明智のシリーズ化の時と実に事情が似ている。初め、シリーズ化の予定がなかったのを、増刷が出るほどのヒットを飛ばし、金田一は続編が書かれるようになった。類似点はそれだけではない、金田一の第一作『本陣殺人事件』、第二作『獄門島』と続くあの傑作群を、江戸川乱歩は手厳しく酷評したのだ。曰く、「殺人の動機が不自然過ぎる。もっと穏便な方法がとれたはずだ」。 ……ハッキリ言って、難癖に近い。その穏便な方法が取れないことが『本陣』のメイントリックと言ってもいいので、それを否定されたとなれば、他の点をどんなに誉められても「駄作だ」と言われたのと同じだからだ。 その批評を読んだあと、正史が「エドランめ、エドランめ」と絶叫して激怒する様子を、家族が目撃している。正史は、「もうそろそろパクってもよかろう、もう自分は江戸川乱歩を越えたのだ」と思っていたところに、「動機が弱い」などと言われて、乱歩がかつて自分に作品を酷評されたことの復讐をしている、と感じたのではないだろうか。いや、それまでにも乱歩は、正史の『真珠郎』などを「本格探偵小説ではない」と切って捨てていたのだが、自信作をそこまで断じられた場合、恨みは骨髄だろう。 もちろん、そこには愛憎両方の感情が渦巻いていると思われる。乱歩に負けたくない、乱歩を落とし入れたいという思いと、乱歩にもっと書いてほしい、叱咤激励したい気持ちも当然あっただろう。 実際に戦後の乱歩は、『怪人二十面相』シリーズのほかはほとんど小説を書かなくなっていた。雑誌『宝石』の編集長となったことをきっかけに、正史に対抗する気概に燃えて、ようやく長編本格探偵小説『化人幻戯』を書いた。そして、通俗アクション小説の主役となっていた明智小五郎が、初期の理知的な名探偵として帰ってきたのだ。 誰もがこれを誉めそやし、乱歩に次作を書かせようとした。しかし、乱歩の「誉められないと書かない」クセを知らない若手作家が、あるとき『化人幻戯』を酷評してしまった。 乱歩の本格探偵小説は、これが最後になった。
横溝正史は、乱歩が死んだ時、遺体にしがみつき、号泣した。 以後、正史は10年間、創作の筆を折る。角川書店が仕掛けた横溝正史ブームにより、再び新作を書きはじめるが、実はその正史ブームの前に「江戸川乱歩ブーム」があった。 正史の、本当の復活の理由は実はそこにあったのではないか。 70歳を越えた作家が、なおも創作意欲を抑えることができなかった理由は、死ぬまで乱歩に勝つことだけを創作のモチベーションにしていたからではなかったか。
正史の長編最後の遺作、『悪霊島』は、乱歩が、そして乱歩の尊敬する谷崎潤一郎が、そして正史自身もかつて題材として扱った、「双生児」にまつわる確執の物語である。 乱歩と正史が、同じ探偵小説の両巨頭として、常にずっと、お互いを鏡のように映しあっていたように。
2001年06月19日(火) 孤独な自転車乗り/『となりのののちゃん』(いしいひさいち)
| 2002年06月18日(火) |
狂乱の終わり……始まり?/『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)ほか |
職場で今日はほほを紅潮させてる人というか、やたら興奮気味な人が目立つなあ、なんぞ悪い病気でも流行ってるのかと思っていたらと、今日は例のアレだ、ワールドカップ決勝リーグの日本対トルコ戦があるんだったね。 結果は1−0で負け。これで俄かナショナリストたちの狂乱が収まるとなればこちらも安心して日々の生活を営めるというものだ。 サッカー自体は嫌いじゃないが、サッカーファンは嫌い、というのは、アニメは好きだがアニメオタクは嫌い、というしげなんかのスタンスによく似ている気がする。人のシュミに文句をつける気は毛頭ないが、押しつけがましくて「自分が世界の中心」てな態度を取られてると確かに困りもんなのである。 具体的にあまり詳しいことは書けないが、ウチの職場でも今回のワールドカップに関して、下らん諍いが二、三件、起きちゃっててね。バカらしいったらありゃしないのよ。……たかがサッカーだぞ、仕事優先しろって。 サポーターだかフーリガンだか、サッカー応援してれば、それに付随した行為はたとえ社会の規範に抵触するものであっても許されると踏んでるフシがあるんだよな。んなバカなこと許されるわきゃないんだけども。 しかし私は、そういうバカ行為すら、あえて否定はしないでいようと思う。 川に飛びこむなら飛びこめ。暴動も起こして構わない。イベントとか祭というものは基本的に秩序の破壊だ。応援に熱中してりゃあ、そういうバカが出てくるのはイベントの必然なんだってば。そういうバカが出てきちゃ困るってんなら、最初からワールドカップを開催なんてしなけりゃいい。 バカを煽って作り出してきたのはまさしく過剰報道してきたマスコミなんだから、今更、「もっとマナーを」なんてったって、誰も聞きゃしないのである。コメンテーターとかいった連中がサポーターたちを糾弾するのは間違っちゃいないか? けどねえ、俄かサッカーファンのみなさんよ、バカならバカでいいから、自分がバカであるという認識くらいは持っててほしいんだよ。だってそうじゃないと、アンタら、自分がやったことのオトシマエすら付けられないじゃん。タイホされる覚悟くらいはしとけよ。警察に捕まったからって暴れてんじゃねーや。みっともない。
その狂乱騒ぎも日本敗退でようやく収束するだろう。ニュースでも、「気が抜けた」と言ってたファンが結構いたし。 考えて見れば日本は実に「ちょうどいいところ」で負けたのではないか。 予選リーグで敗退せず、ベスト16までは生き残った。これで一応の満足は日本人に与えたし、未来への希望も与えた。 韓国を先に立てた恰好になったから、韓国から「日本があんなに勝つのはケシカラン」とか難癖付けられる心配もないし、ジャッジの不公平や開催国の有利さに対する批判とかも全部、韓国に押しつけられる。 案外、計算した「負け」じゃなかったのか、今回の負け試合。もっとも、選手たちは無心に戦っていた者が多いと思うし、お膳立てをした黒幕がいるとしたらトルシェ意外にはいないだろうが。いや、黒幕のワリにゃ目立ってるが(^o^)。もし、この邪推が当たってるとしたら、なかなかの策士だね、トルシェは。サッカーの監督としてはどうかとは思うが。 でもこれでようやく、遠慮せずに「サッカーファンの9割は猿だ」と堂々と言えるようになるな。やつらが興奮してた時には、下手なこと言ったらマジで闇討ちされそうな気配だったし。 ……え? そんな「遠慮」なんか、これまでだってしてないだろうって? そんなことないですよぉ、ちゃんと人のこと気遣って、遠回しないい方しかしてませんよぉ。だって「猿」なのは「サッカーファン」だけに限定してるし(^o^)。 けど、ホントに自覚しておけよ。今回のワールドカップ、「選手と選手」の純粋なゲームでなく、「国と国」との「代理戦争」になってたことは否定できない事実なんだってことをな。サッカーファンの連中が、潜在的なナショナリストだってこと、証明されてるでしょ?。
今日もまた晩飯は「王将」。 ラーメンと天津飯のセットを頼む。 日頃は晩飯にとんこつラーメンなど食べないのだが、いつもいつも定食ばかりでは飽きが来ていたのだ。 しげは相変わらずのスタミナセットで、唐揚げだの餃子だのにパクついていたが、私がラーメンを食べ終わったころになって、いきなり箸を私のラーメンドンブリに突っ込んできた。 「何するんだよ!」 「……ラーメン、残ってないかと思って」 「ほしいなら、先に言えばよかったのに。でなきゃ自分で注文するとか」 「アンタが食べてるの見たらほしくなったんよ!」 やっと短い麺の切れ端を見つけると、舌先に乗せてにちゃにちゃ噛みながらニカッと笑うしげ。 ……人の物がほしくなるって、そりゃ誰にでもあることだろうけれど、まさか実行に移すとは思わない。いくら夫婦の間柄だからって、しげの精神年齢、ちょっと低過ぎないか。 最近しげは、職場で一緒に働いてるオジサンから「クッカーって、料理全部作れるの? 偉いねえ」と誉められたそうだが、幼稚な仕草から10代くらいに見られてるのではないか。そのことをしげは憤慨しているが、だったら、もちっとオトナな行動取れよ。たかが一本の麺を食べるのに、人のドンブリまで浚うなよ。 いや、別に私ゃ、盗まれた一本の麺が惜しかったから言ってるワケじゃなくて(^_^;)。
ドラマ『盤嶽の一生』<第8回>(最終回)「男と女」。 全9回、とあったが、新聞には今日が最終回、とあったぞ。「幻の1話」でもあるのか。どっちにしろ、8回で終わり、というのは短か過ぎる印象だが、別に打ち切りにあったというわけではないらしい。 ともかく、ここしばらくで一番上質な時代劇を見せてもらったって感じである。白井喬二の原作が入手困難な現在(それどころか山中貞雄の脚本集まで本屋で全然見かけねーぞ。タイアップぐらい考えてないのか)、貴重な映像化だった。 『盤嶽の一生』というタイトルを昔聞いたときには、主人公の侍が、死んじゃうまでを描くのか、と思っていたが、『女の一生』などとはやや趣きが違っていたようだ。つまりはこのタイトル、騙されて騙されて、それでも人を信じずにはいられないお人好しの、一生コイツは呑気なまま青空のように生きていくんだろうな、と思わせる侍の「性格」を象徴しているのであった。 融通が利かない無骨さ、それでもどこか爽やか、というキャラクターならば、本当に往年の三船敏郎に演じてもらいたかった感じではある。けれども役所広司、無骨さの中の軽みを今一つ出しきれていない恨みはあるものの、通して見れば、よく頑張ったと言えるのではないか。 コアな時代劇ファンなら、殺陣などにもいろいろ注文をつけたくなるところだろうが、役所広司の殺陣は近年の腰の座っていない役者の中では、随分見応えがあるほうである。至芸とも言うべき戦前の嵐寛寿郎、近衛十四郎、昭和3、40年代の三船敏郎、若山富三郎あたりと比較したりするのは酷というものだろう。
「騙す」物語となればいつかは出てくるだろうと思っていた宗教ネタ。 教祖が桃井かおりってのは、どうなんだか。人を騙す新興宗教の教祖としては 呑気過ぎるんじゃないかと思ったが、教祖自身も騙されてたって役だから、まあいいのか。昔と違って、近年の桃井かおり、悪女役が似合わなくなってきてるけど、役者として小ぢんまりと収まってしまいそうで、ちょっと心配である。 阿地川盤嶽(役所広司)は、源助(梨本謙次郎)とおりん(広岡由里子)という農民夫婦の家に厄介になっていた。 村の周辺では、お蝶(桃井かおり)という女が「正直庵」という額を掲げて、霊験あらたかというお札を農民たちに売りつけ、農民たちから「生き神様」とあがめられていた。盤嶽は珍しくも、お蝶に疑いをかける。実際、「正直庵」は裏で久左衛門(國村隼)という、怪しげな男が糸を引いていた。 盤嶽はお蝶に、「人の弱みにつけこんでお札を売るとは」と怒るが、お蝶に「盤嶽さんは強いからいいが、弱い人には神様との間を仲立ちする人が必要」と言い返す。 実はウチの母親も、晩年、似たようなことを言っていた。若いころは死ぬのも怖くない、と嘯いていたものだったが、病状が進んで、死を覚悟しなければならなくなってきて、信心が芽生えたらしい。気持ちは分らないではない。母が危篤状態に陥った時、私も神様にマジで祈ったし。もっとも、結局、母は助からなかったから、キリストさんもお釈迦様もマホメットさんも、「アンタは神様なんて信じなくていいよ」と言ってくれたんだなと思って、無宗教なまま、今に至っているが。 もちろん、盤嶽もまた強くなんかない。だから騙され続けている。人を信じないではいられないのは、とりもなおさず自分自身が弱いからだ。 あえて騙されることに身を投じる人間がこの世に存在するのは、人がみな弱いことの証明である。その何か強いもの、自分のようなちっぽけな存在をすら包んでくれる大きなものに包まれたいという願望は、誰にだってあるのだ。そういった人のニーズに一番手っ取り早い形で答えているのが宗教なのだから、一概に否定できないってのは私にだって分るのである。 しかし、盤嶽同様、私は自問自答せざるを得ない。 ならばなぜ宗教は庶民に安易な夢を見させる方向にばかり転んでいくのか? 人間の苦しみは、そう簡単に消えてなくなるものではない、信心すれば救われるというのは幻想だ。実は有名どころの宗教の教祖はキリスト教にしろ仏教にしろ、たいていそんなシビアなことを語っている。「人間、諦めが肝心」。宗教の教義は実はこんなものだったりするのだ。 しかし、それでは宗教は広がらない。儲かりもしない。だから「継承者たち」は、たいてい民衆に甘いことばかりを言う。呪文だけ唱えてれば、お布施をあげてれば、それだけで救われる、という安易さは何なのだろう。 そんな安易さに引っかかってしまうほど、追いつめられている人が多いのか。そんなに自分に自信のない生き方を、覚悟のない生き方をして来た人が世の中には多いのか。それはその人の強さ、弱さとは関係がないようにも思うのだがどうか。 例えばしげはムチャクチャ弱くてバカな人間だが、それでも宗教にハマることだけはないと思う。人間、どんなに弱っちくても、神様に頼ったって損するだけじゃん、くらいの理性は働かないものなのか。
生糸問屋の清兵衛(石橋蓮司)が、自分の娘・お糸(田中規子)と久左衛門を娶わせるために、邪魔なお蝶を始末しようと企む。盤嶽の活躍で、清兵衛の陰謀は阻止されるが、不思議なことに、お蝶を殺そうとまでした久左衛門が、またお蝶とヨリを戻し、旅に出る。 「男と女とは何だ」と考え込む盤嶽。 男女の中に疎いのはこういうキャラクターの定番だけれど、『人情紙風船』の山中貞雄脚本を元にしているのなら、もう少し深刻な展開になっても、というのはまあ無理な希望か。『紙風船』は山中貞雄の遺作だし、到達点をもって過去の作品を評価していいはずもない。 サラリと流したその手際も、リライトした脚本家に帰されるべき称賛だろう。
本を少し片付けようと、書庫に篭ったら、つい、藤原昌幸(現・富士原昌幸)の『刑事戦士Xカリバー』全4巻とか、蛭田達也の『コータローまかりとおる!』全59巻とか読み返してしまう。 そんなことやってたら、本の整理なんかできねえって(-_-;)。 けれど『コータロー』、やっぱりおもしれーわ。自慢じゃないが、私はテコンドーもグレイシー柔術の存在もこのマンガから学んだ。っつーか、日本でそれらの武道が人口に膾炙するようになったのは、このマンガが取り上げた以後のことだ。『コータロー』は、明らかに、日本に武道を普及させるのに一役買っているんであるが、そのワケは、しょーもないギャグを交えながらも、そのアクション描写が的確であるからにほかならない。……実はホントに「的確」かどうか、格闘技に詳しくない私には断定はできないんだけれど、少なくともそう思わせるだけの密度を持った描写をしていることは間違いないのだ。 けど、KCコミックス版はもう絶版なのかね。ワイド版だけでも30巻越えてるから、全59巻なんてとても新しい人の購買意欲をそそらないってのは分るんだけども。
角川書店編『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店・1995円)。 横溝正史生誕100年を記念して出版された三冊のうちの一冊。そうだよなあ、まず角川がこういう本を出さないとなあ。何しろ金田一耕助シリーズはおろか、『蔵の中』まで映画化くらい入れこんでたんだし(もっともコレだけはさすがにヒットしなかったが)。 文庫もカバー一新で12冊が復刊されるみたいだし、今まで横溝正史の探偵小説(やっぱりホントはミステリーとか推理小説って言いかたじゃなくて、この表現に拘りたいよな)に触れたことがない若い方には、ぜひ、この機会に一冊でも多く、横溝作品を読んでほしいのである。 坂口安吾が「アガサ・クリスティーに匹敵する実力」と評価した世界探偵小説のベストテンに入れてもおかしくない傑作群を横溝氏は量産してきたのだ。 復刻される文庫本を、名探偵金田一耕助の事件簿順に並べてみる。 昭和12年『本陣殺人事件』 21年『獄門島』 22年『悪魔が来りて笛を吹く』 23年『夜歩く』 『八つ墓村』 24年『犬神家の一族』 25年『迷路荘の惨劇』 26年『女王蜂』 30年『悪魔の手毬唄』 『三つ首塔』 34年『仮面舞踏会』 35年『白と黒』 『悪霊島』と最後の事件である『病院坂の首縊りの家』が復刻されないのは残念だが、これだけでも充分横溝正史の真骨頂は伺えるラインナップだ。 特に、これまで過小評価されることの多かった『白と黒』が含まれているのは、その慧眼を声を大にして称えたい。横溝正史賞を受賞した小川勝己が、本書のインタビューで、「おそろしくフェアに書かれている」と評価してくれているのがラインナップに影響を与えたのかもしれない。 しかも、カバーデザインまでが「白と黒」のシンプルなカラーで統一されているのだ。これがもう、美しいったらない。横溝正史は全冊持ってるけど、もう一冊、買っちゃおうかな。 未読の方は、この機会にぜひ、時代順に読んでもらいたい。
特集記事の中で、個人的に一番の目玉だったのは、やはり江戸川乱歩との往復書簡だろう。乱歩と正史のほぼ全作を読んでいる私も、書簡までは手が回らない。これだけで、しょうもないインタビューだの対談記事の多いこの本を買った甲斐があったというものだ。 この偉大なる二人の探偵作家が、終生親友であり、同時に憎悪も抱きあったライバルであることは、意外に知られていない。丹念に両作家の作品を見ていけば、必ずしも関係者から話を聞かなくても、お互いを意識しながら作品を書いていったことが分るのだが。
驚いたのは、正史が、『屋根裏の散歩者』を乱歩が書いた時点で「『明智(小五郎)』はもうそろそろお止めになってはどうでせう」と書き送っていることだ。 もうそろそろも何も、『屋根裏』は、『D坂の殺人事件』『心理試験』『黒手組』『幽霊』に続く明智小五郎シリーズ第五作、「もう止めたら」というほど作品を重ねているわけではない。これらは全て大正14年に一気に書かれたが、第一作の『D坂』が「いい主人公を考えつきましたね」と人から口々に誉められたから、本来初めの二作で終わる予定だったのがシリーズ化されたのである。乱歩は「誉められないと書かない」といういささか困った性格の作家だったが、つまり誉められれば誉められただけ、傑作を書いてしまう人だったということだ。 横溝正史がそれを知らないわけはない。しかも、『屋根裏』は、前二作の『黒手組』『幽霊』のような腑抜けた凡作と違って、紛れもなく明智小五郎の事件簿の代表作でもあるのだ。 横溝正史はこのとき江戸川乱歩の才能に嫉妬し、彼を落とし入れたのではないか。あまり信用してはもらえないかもしれないが、一応、根拠と言えるものがいくつかはある。 一つは、この直後、乱歩が長いスランプに入ったことである。 次作『一寸法師』で明智はいきなりそれまでの和服の貧乏書生から、洋装のハンサムに変身する。しかも、どうやら本作を明智シリーズ完結編にしようとしたフシまであるのだ(何しろ最後にはあんなことしちゃうし)。更に『一寸法師』の出来映えに嫌悪を覚えた乱歩は、このあとなんと失踪してしまう。これも正史の手紙がきっかけになったと考えるのは穿ち過ぎだろうか。 もう一つ、正史は、金田一耕助の造型に明らかに初期の明智を流用している。随筆では一切そのことに触れようとしなかった正史だが、『横溝正史読本』での小林信彦との対談で、「明智が変わったから、金田一をああいう男にできた」とハッキリ語っている。……常識的に考えたら、「金田一は明智のパクリですか?」とは分っててもとても聞けない。小林信彦、よくぞ聞いてくれたってなものだ。
正史が金田一を造型したのは、明智が変わってから20年を経過した戦後のことだから、その連関性は薄いようにも思える。 しかし、その「変わった」明智シリーズに、実は横溝正史をモデルにした人物が新たに登場していた、と言えば、驚く方もおられようか。と言っても、それなりに根拠はあるのだが、これもまた私の邪推ではあることを先にお断りしておきたい。でないと熱心な正史ファンの方の中には、ショックを受ける方もいらっしゃるかもしれないので。 それは明智の妻、文代夫人である。 ……あ、そこの人、コケたりしない(^_^;)。 女じゃん、と突っ込まれそうだが、この文代夫人、初登場からしばらくは、スパイ顔負けの女探偵として活躍していたのだが、小林少年が登場してからは体を悪くして療養生活に入ってしまうのである。 実は正史のデビューは乱歩より早い。しかし、横溝正史は若いころから結核を患っていて、乱歩が招聘するまで、兵庫で引退して薬局の主人をしていた。それを乱歩の旺盛な活動に触発されて、上京してきた。雑誌『新青年』の編集長もやった。作家活動も再開したにもかかわらず、再び喀血して、正史は岡山に隠棲してしまう。 そのあと、乱歩は衆道趣味の知人である岩田準一と、ソチラ方面の資料収集に深く関わっていく。しかし、もともと乱歩が「美少年に会いに行く」趣味を共通して持っていたのは、正史とであったのだ。しかし正史は乱歩から「捨てられた」。明智が、その伴侶を文代夫人から小林少年に移していったように。 これを正史はどう受け取ったか。 明智は乱歩だ。 文代は正史だ。 乱歩が呼んでくれたから、正史は作家になった。なのに乱歩は、もう自分のことは忘れているかもしれない。 戦後、正史の体調が回復し、明智を自分のものにしようと考えたのは、乱歩自身を取り戻したいとする、モトカレとしての代償行為ではなかったか。 ……長くなったので、続きはまた明日の日記で。
2001年06月18日(月) オンナノウラミ/『うる星やつら 努力、女の道!!』(高橋留美子)
| 2002年06月17日(月) |
范文雀はプロレスラー!?/『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを造った男たち』(武田康廣) |
仕事が立て込んで来ているので、チョイと気張ってバタバタと片付ける。 体調がいいときはこの程度の仕事、難なくこなせるのだ。 迎えの車の中で「オレってやればできるよな」と言ったら、しげが「つまり普段はやってないってことじゃん」と突っ込む。 やってないんじゃなくて、やりたくてもできないんだよ。仕事遅らせてる事実に変わりはないが。
しげが「今日はなんだかスシ気分」と言うので、回転すし屋を目指す。 もっとも、夫婦揃って金欠病なので、いつものボッタクリの「すし大臣」には行かない。一皿100円オンリーの「しーじゃっく」に向かう。3号バイパス沿いには適当な間隔を置いてメシ屋の類が結構あるので、食事には事欠かないのである。これで本屋さえあればなあ、というのが我々夫婦のいつもの述懐。マトモに本を買おうと思えばどうしても博多駅かキャナルか天神まで出ねばならぬのである。 細野不二彦の『ギャラリー・フェイク』の新刊も浦沢直樹の『アナザーモンスター』も未購入。週末は本屋回りしないとなあ。
「マリンポリス」と前は言ってた「しーじゃっく」。結構あちこちにあるチェーン店だけど本社はどこなんだろな。ネタはやはり「すし大臣」とは比べものにならないくらい「薄い」。厚さも味も。 けれどマズイと言うほどではないし、何より安いので庶民は本来こんなもんで充分なのである。「すし大臣」を行き付けの店にするなど、言語道断。と言っても所詮はどっちも回転寿司なんだけどさ。そう言えば普通の寿司屋もすっかりなくなっちゃったねえ。 ふと気づくと、しげが店内のソフトクリーム販売機をチラチラと物欲しげに見ている。 その態度で何を望んでいるかは一目瞭然だが、無視するのも何なので、一応「食べたいの?」と聞いてみる。しげ、コクンと頷いたあと「アレ、食べ放題かなあ」とつぶやいて指を舐めている。 「シズラー」じゃあるまいし、ソフトクリームだけバイキングってわけないじゃん、と思うが、しげがいつまで経っても販売機から目を離さないので、仕方なく従業員のねーちゃんに「あれ、おかわり自由なの?」と聞く。 ねーちゃん、「あの、1回だけなんですけど」と困ったように答える。ほーら見ろ、店のねーちゃん困らせちゃった。ある意味、私よりもしげの方がよっぽどクレーマーだ。 でも結局、一回こっきりのソフトクリームも注文。二人で1個を分ける。 味はまあ、普通のバニラでしたね。それで値段が210円というのはちょっと高いぞ。
唐沢俊一さんの裏モノ日記を読んでいたら、奥様のソルボンヌK子さんが、酔っ払って「ジュン・サンダー杉山清貴とオメガトライブ」とダジャレを飛ばしているのを読んで、大笑いする。 いやね、ギャグが面白いからってんじゃなくて、このギャグ、しげもしょっちゅう言ってるからなんだけどね。もっともしげは「ジュン・サンダー杉山」までしか言わないけど。 「おい、ちょっとこっち来てみな、ソルボンヌさん、オマエと同レベルのギャグ言ってるよ」 「なに? なんのこと?」 面倒臭そうにパソコンの画面を覗きこんだしげ、憮然とした顔をする。 「思いついてもフツーは言わないけどなあ。ソルボンヌさんも酔っ払ってるからこんなしょーもないこと言ってるんだよな。つまりシラフのお前とヨッパライのソルボンヌさんのギャグレベルがどっこいどっこいってなワケで……」 「オレ、ギャグなんか言ってないよ」 「……え?」 「だから、ジュン・サンダー杉山でいいじゃん」 「……マジか? お前」 「だって、どこで名前を切ったらいいかわかんないし」 「自分で勝手に名前くっつけてんだろうが!」 どうやらしげのアタマのなかでは范文雀とサンダー杉山は同一人物らしい。なんでや(-_-;)。
俳優、室田日出男が15日、肺がんのため死去。享年64。 まだ64だったのか。ここしばらくの老け込み方がひどくて、見た目は80歳くらいに見えていたのだが、やはり病気だったんだろうなあ。 室田さんについては「ワリを食ってる人」という印象が常にあった。 役者として演技力はあるし、幅の広い人だったとも思う。なのにその実力を生かす役に恵まれてはいなかった。ピラニア軍団の中では、川谷拓三はドラマで主役を張るほどに「出世」したが、本来、室田さんがそのあとに続くべきではなかったか。悪役・脇役に留まらない存在感が確実にあったからだ。 なのに、映画での使われ方は主役の「引き立て役」以上の役が与えられない。代表作のように言われている『仁義なき戦い』シリーズをまともに通して見たことがないので、何とも言えないが、ほかの『白昼の死角』『影武者』『マルサの女』と言った作品も、室田さんが何の役で出ていたのか、すぐには思い出せないのだ。 今、思い出せるのは『魔界転生』の宝蔵院胤舜。魔界衆の一人だと言うのに、何ら見せ場を作る所がなくやられていた。あんな役なら出す必要もないだろう、というくらいの軽い扱いである。 『悪霊島』などはもっとひどい。室田さんが演じた磯川警部は、原作では「磯川警部自身の事件」と言ってもいいくらい、重要な役割を担っている。なのに映画ではただの刑事役に格下げされて全く見せ場がなかった。 重要な役でも、室田さんが演じるとなると、役が小さくされてしまう。アクが強過ぎて監督たちに嫌われてるんじゃないか、と邪推したくなるくらいである。室田さん自身はそのことをどう考えていたのだろうか。
武田康廣『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを造った男たち』(ワニブックス・1470円)。 今でも覚えているのは、ガイナックスが『王立宇宙軍』を製作している最中に、宮崎駿が「アレは若い人たちがバンダイを騙して作ってるんです」とかなんとか『アニメージュ』にコメントを寄せていたことだ。宮崎さんはほかにも「まさかアニメーターでメカや爆発は描けても人間が描けないやつがいるとは思わなかった」とか、庵野秀明さんを想定して揶揄したりしている。 宮崎さんの韜晦癖を知っている人には、これが遠回しな援護射撃であることはわかるだろう。「DAICON」オープニングアニメなどで、その実力はオタクにこそ浸透していたものの、世間的には、全く無名の新人たちがいきなり8億の巨費を投じて長編アニメを作ったのである。ヒットする保証はどこにもない。しかし、成功しなければ、彼らに未来はない。 当時、『アニメージュ』は『王立宇宙軍』に破格のページを割いていた。人気アニメーターの新作や声優がらみならばともかく、このようなことは異例だったが、恐らくそこにも宮崎駿の「押し」があったのだろう。 『王立』は、当時のアニメファンに、なんとしても見ておかなければならない作品だと刷り込まれることになった。そして、『王立』で盛名を馳せたガイナックスは、その後も『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』というヒット作、超ヒット作を生み出して行くことになる。
著者の武田康廣氏は、ガイナックスの取締役で、ガイナックスの前身、ダイコンフィルムで『快傑のーてんき』を演じたその人でもある。 アニメ創世記ならばともかく、一介のアマチュアグループがプロダクションを作り、世界的にも最高レベルのアニメを連発することになるとは、まさに奇跡。その裏事情が読めるとなれば、矢も楯もたまらず飛びついてしまうのはアニメオタクならば当然だろう。 モノ造りに順風満帆ということはない。 人は常に離合集散を繰り返す。それはアマだろうとプロだろうと、モノ造りに集った者たちの運命なのである。今やガイナックスの顔となった庵野秀明、山賀博之、赤井孝美の各氏も、常にガイナックスの中心にいたわけではない。自ら恃む者たちが集まれば、イニシアチブを誰がとるかという命題から目を背けるわけには行かないのである。 結果、多くの人々がガイナックスから去った。追い出された人も大勢いる。元ガイナックス社長の岡田斗司夫さんもその一人だ。「何もしない社長を社長として頂くわけにはいかない」、武田氏の主張は確かに正論だが、正論なだけにそこにはかえって「逃げ」の姿勢が見られる。負い目のある人間は、攻撃的に出ることが往々にしてある。さりげなく自分のことはオブラートに包んだように書かれているが、武田氏も相当各方面から「何もしない」ことで憎まれていたのではないか。例の脱税事件において、同じく取締役の澤村武伺氏に「任せきり」で、「経営に対する無関心」を生んだことが事件の原因、と殊勝に聞こえるようなことを書いているが、反省しているようでいて、責任を澤村氏に押しつけた恰好になっている。こういう「優しげな逃げ腰」の文章は、読んでいてあまり気持ちのいいものではない。 しかし、誰が悪者か、なんてことを追及したところでそれはしかたがないことだ。確かに、どんなに丹念に読んでいっても、武田氏がガイナックスにおいてどれだけ重要なのかさっぱり分らない。要らないんじゃないか、このヒト、とも思う。おかげで、批評のしようがないのだが、そういう「何の仕事をしているのか分らないヒト」も組織には必要なのだ。人と人との緩衝地帯として。
それにしても、『おたくのビデオ』も脚本は岡田斗司夫さんになってるけど、実は山賀博之さんだったとはねえ。岡田さん、もしかしたら自分では一本も脚本書いてないのかも。
2001年06月17日(日) 父の日延期(^_^;)/映画『高校教師』
| 2002年06月16日(日) |
悪態つくのは照れ隠し/『おしのび倶楽部』(横山えいじ)ほか |
朝、10時ごろ、父から電話。 ちょうど仕事が空いたので、しげの散髪をしてやろうとのこと。 もともと今夜は、父の日ということで一緒に食事をする予定にしていた。しげが、「ピアノの生演奏を聞きながらステーキが食べられる店」というのをワザワザ予約して、この日に備えていたのである。 ホントは、夕方5時頃に、店でしげを散髪してもらうように約束していたのだが、もしかして夕方、客がたて込んで忙しくなるかも、と気を遣ってくれたのだ。 本来第三日曜は姉の店は休日なのである。 なのに今日もしっかり開店しているのは、冗談ではなく、休日も営業しないことにはやっていけないということらしい。客商売の浮き沈みはとことん激しいのだ。 早目に出かけるのに私の方は否やもないが、あいにく肝心のしげがまだ寝ている(-_-;)。休日となるホントにとことん寝やがる。 寝てて起きないから、昼ごろになると思う、と伝えて、あとはしげの覚醒待ち。20時間くらい軽く寝るときもあるやつなので、果たして昼までに起きられるか、と懸念していたが、幸い、ちょうど12時にトイレに起きてくる。しげを早く起こすためには、寝る前に水分をたっぷり取らせておく必要があるのかも。
しげを散髪してもらったあと、一旦ウチに帰って昼寝。 DVDで『ラヂオの時間』を見返す。舞台版より面白くなっているところもあるが、減っているのもあるので、評価はトントンというところか。 ちょうど見終わろうかというあたりで、父から再度電話。 仕事が忙しくて、約束の時間に間にあわないとのこと。だったら慌ててでかけることもないかと思い、ゆっくりしていたら、今度はしげが「まだ出掛けんと!?」とやきもきし始める。 「遅れるって言ってたから、時間ちょうどに出掛けりゃ間に合うよ」 「そう言っといて、時間通りに来たらどうするん!」 あまりうるさく言うので、仕方なく腰を上げる。……けど、こういう時の女のカンというものは当たるようになっているのだろうか。「遅れる」と言っていた父と姉、ちょうど私たちと同じ時間、8時ぴったりに予約していた店に自転車で来ていた。 私の顔を見るなり、「時間より早目に来とかんや!」 と、父に怒鳴られる。 しげは「ほら見てん」と勝ち誇ったよう。でも時間に遅れたわけじゃなし、なんでこうも悪し様に言われなきゃならんのだ。
ピアノ演奏は10分程度の間を置いて、数曲ずつ、やはり10分程度演奏される。 ピアニストの方の物腰が柔らかいので、父は「あれ、女か?」とシツレイなことを言う。田舎オヤジはこれだから(^_^;)。 でも確かに、ちょっとアレ入ってる感じはあった。姉がまた、ワザワザ手首をくねらせて、おかまポーズを取って見せるものだから、こちらはピアニストの方に気付かれやしないかとヒヤヒヤもの。どうしてこう、オヤジ世代は無遠慮なんだか。 明りが暗い、とか、童謡ばっかり演奏してる、とか、父、自分が招待されてる立場なのに文句をつける。 普通、こういうところの明りが煌々としてたら、ムードもへったくれもないと思うのだが。例えば、店に来たカップルは、暗いからこそ、必然的に顔を近づけあって喋ることになり、そこでまあ、何やかやと気分が盛り上がって、次は二人っきりになれる場所へ……となるのである。 もっとも父とムードが盛りあがったってしょうがないのだが。 演奏だって、その日その日でいろんな曲を弾いているんだろう。たまたま今日が童謡が多かった(厳密に言えば唱歌ばかり)ってだけの話だ。『早春譜』とか、そんなのね。 これって、いちいち文句の付けるほどのことじゃないよな。昔から父は、どーでもいいことに細かいのである。 コース料理はまあ、こんなもの。出された酒が美味しいと、これは父も気に入ったよう。最後に「ありがとうね」と言ってたから、まあ、満足してもらえたのだろう。 姉が「自分の分は払う」というのを断って、全額四人分払う。このときのためにナケナシの金を取っておいたのだが、これでまたしばらくは食事も切り詰めた生活を続けなけりゃならない。少しは計画性を持たなきゃなあ……って、できたためしもないことを夢想(^_^;)。 しげ、父に喜んでもらえたかどうかをやたら気にするが、よっぽどひどいところでない限り、怒ったりはしないものだ。やたら愚痴を言うのは、ウチの血なんでしかたがない。アレで実は喜んでるのよ、オヤジは。 腹蔵があるわけではないので、聞き流してりゃいいだけなんだけどね。
アニメ『サイボーグ009』第34話「ファラオウィルス」。 一応原作にあるエピソードなんだけれど、より003がフィーチャーされているストーリーになっている。ブラックゴーストはまだ復活していないので、ウィルス培養の真犯人は企業の陰謀という形に変更。原作ではブラックゴーストが単なる死の商人ではないことを示すエピソードの一つだったので、この変更はちょっと惜しい。敵のボスキャラも、石森さんの別の短編からの流用。 オリジナルな味付けをするのを否定するつもりはないけれど、たいした能力のない003が一人で飛び出していく動機付けが今一つ弱い。脚本も少し疲れてきてるんじゃないか。そろそろ短編シリーズは一区切りして、長編シリーズに入ってほしいんだけどなあ。
マンガ、横山えいじ『おしのび倶楽部』(秋田書店・897円)。 出版されたのは昭和60年、おいおい、もう17年も前かよ(-_-;)。 ずっと買い損なっていたこの本、単行本リストには載っていたので、欲しくてたまらなかったのだが、横山えいじの本が再刊されることなどありえようか(断定しちゃいかんが、実際、二刷されてたのなんて見たことないぞ)。 吾妻ひでおの遺髪を継ぐ(まだ死んでないって)のはとり・みきと横山えいじだと、私は常々主張していて、衆目も一致するところだろうが、悲しいことに、その「衆」に会ったことがない。え、えすえふまがじんに連載までしていたというのに、ど〜して横山えいじの知名度はこんなに低いのだ。 だから、ジュンク堂でこの本を見つけた時にはマジで狂喜した。初版だったのでちょっと泣きたくなったが。 人の変身願望を満たすための秘密の地下組織・「おしのび倶楽部」。虐待願望を持つ女子高生・佐渡密子、説教魔のヤクザ、二宮金次、水戸黄門願望の「おやじ」、そしてムリヤリ仲間に引き入れられたヒーローマニアの浪人生、中野大作。四人は人の迷惑顧みず、自らの願望を満たすためとちょっだけ世の中の平和を守るために、もっぱら夜ばっかり戦い続けているのだ!……何と? マニアックなSFギャグが炸裂する『マンスリー・プラネット』や『ルンナ姫放浪記』と違って、キッチリとシチュエーションコメディをやってる本作は、近作のファンにはチト物足りなく感じるかもしれないが、やはりSFオタクな味わいは「さりげなく」散りばめられている。恐らく連載当時は、マニア嫌いな編集部と横山さんとの間で丁々発止の戦いが繰り広げていただろうことは想像に難くない。そんな作者の苦労を思うと、涙を禁じえない。 『七色仮面』も『鉄人28号』も『まぼろし探偵』も、今時の若い子はじぇんじぇん知らないからな〜。 え? それはSFじゃなくて、ただの「なつかし番組」だろうって? その偏狭な発想がSFをマニアでオタクな範疇に閉じこめちゃってるんだよ。「ガンダムはSFじゃない」とか「ゴジラはSFじゃない」なんてタワゴトこきゃあがるスットコドッコイは、エセハードSFファンと野原ひろしだけでたくさんだ。
『アニメージュ』(徳間書店)7月号、富野由悠季の新作、『オーバーマン キングゲイナー』にタイアップして、「ニュータイプ人生相談 富野に訊け!」といういささか熱過ぎる連載が始まっている。 山本弘さんのSF秘密基地の掲示板で、富野さんがまたトンデモなことを言ってる、とかなんとか書き込みがあったので、そんなにヒドいこと言ってるのかと思って読んでみたが、別に全然トンデモじゃなかった。 「29歳でアニメーターに転職したいんですけど、甘いですか?」という質問に対して、富野さんの答えは「甘い! そんな根性のやつは来るな!」ってなもの。身もフタもないと言われりゃそれまでだけれど、私だって、富野さんの立場だったら「今の仕事を続けなさい」と同じことを言うがね。どうもSF秘密基地に集まってる人たち、トンデモ漁りをするあまり、自分自身がトンデモになっちゃってることに気づかなくなってんじゃないか。ミイラ取りがなんとやらだね。 2ページだけだけれど、水民玉蘭さんが『クレヨンしんちゃん アッパレ! 戦国大合戦』の美術を特集している。当たり前の話だが、美術についても戦国時代の考証は綿密に行われている。当時の関東地方では城に石垣を作らずに土塁の上に城を建てていたこと(小田原北条氏の拠点だった逆井城というのがモデルだとか)など、感心したことも多い。濃い特集をやってくれてるよなあ。アニメ雑誌もようやく『クレヨンしんちゃん』の価値を認識してきたってことかな。
2001年06月16日(土) 通産12時間睡眠/『QUIZ』下巻(浅田寅ヲ)
| 2002年06月15日(土) |
大宰府の赤い橋/DVD『幕末未来人』1〜3/DVD『ピンクレディ&ジェフ』 |
数少ない読者のみな様がた、休日はいかがお過ごしでしょうか。 私の休日の過ごし方は基本的には決まっています。 寝ることです。カラダを休めることです。だから「休」日と言うのです。 違いますか違いますか違いますか? でも、しげの考え方は違うのです。 休日は夫婦でやたらべたべたいちゃいちゃらぶらぶする日だと言うのです。 そんな理不尽かつ非道な行為をしていいものなのでしょうか。 私も経験がありますが、他人の日記を覗いてみて、「今日は、彼と初めてのデート。ホントは私の手を握りたいくせに、ちょっと偶然指先が触れただけで、あわてて真っ赤になって、飛びのいちゃうの。ウブなんだからぁ。うふっ」なんて記述があったりしたら、握りっ屁カマしたくなります(まあ、こんな古臭い文章マジで書くヤツもそうそういませんが)。 妻帯者である私ですら、そう思うのです。 ましてや、毎夜サビシイひとり寝をかこち、火照るカラダを抑えながら悶々と○○○○○○○○○過ごしているチョンガーのヒトが(いえ、アナタのことではありません。ありませんったら)、「バカだなあ、オマエって」「いやーん、アナタこそ(はあと)」みたいなクソタワケな会話を聞いたり読んだりした日には、いったいどんな気持ちになることでしょうか。 殺意を抱いても仕方がないのではないでしょうか。 ですから、私は、これまで極力、しげとはらぶな関係になるまいと努力してきました。 一所懸命、しげを罵倒し虐げ、暴力亭主を演じて来ました。 それも全て、「ほーら、私たちは仲良くなんかないんだよ、だからジェラシって私たちを付け狙ったりストーカーったりしないでね」というささやかな意志表示であったのです。 なのに、なのにです。 今日、しげが突然、感極まったように「どこかに出かけたい!」などと言いだしたのです。 「どこかって映画?」 「映画とかそう言うんじゃなくてどこか!」 つまりしげにとって「映画に行く」はデートではないということらしいのです。「もっとらぶなデートがしたい」、そんなオソロシイことを言いだしたのです。 そう言えば、最近しげはストレスが溜まっていたようでした。なんだか落ちつかなくって、急に泣きだしたこともありました。 「どうして私たちは夫婦なのにらぶじゃないの?」 そんなことをしばしば口にしていました。 いまやしげの目は、イモリの黒焼きを盛られた大奥の女のように(なんちゅータトエじゃ)ランランと輝き、その瞳の奥で情欲の炎を燃やしています。 ここで逆らったら、チョンガーのストーカーに殺される前に、しげに私が殺されてしまいます。 仕方がありません。 今日は、「デート」をします。しなければならなくなってしまいました。道を歩きながら手なんかも握っちゃうのです。けれど、それは私の本意ではありません。 お願いですから、ストーカーのみなさん(←断定するなよ)、狙うなら私ではなくしげだけにしてください(←外道)。
「で、どこに行きたい?」 「太宰府!」 福岡・博多の人間が「太宰府」と言えば、それは即、「太宰府天満宮」のことを指す。 みなさん、ご存知だろうか。博多人には有名なフォークロアが太宰府にはあることを。 天満宮の祭神は、言わずと知れた学問の神様・菅原道真である。 同時に道真は、平安京最大の怨霊でもある。藤原氏の策略で大宰府に左遷され不遇のうちに死んだ道真は、死後、次々と天変地異や疫病を起こし、藤原一族に祟りをなしたと言う(事実、そのころ藤原四家がバタバタと連続して死んでいる)。もともと天満宮は、怨霊道真を鎮魂する意図で建立されたものだ。夢枕獏の『陰陽師』のおかげで、そのことも随分有名になった。 しかし、それで道真公のウラミが消えたわけではない。 天満宮に向かう赤い太鼓橋。 あれをカップルが手をつないでわたると、呪いがかかるのである。 笑うんじゃないぞ、そこ。 武田鉄矢は、若いころその伝説を知らなかった。ために、彼女ができるたびに天満宮に参っていたのだが、呪いは確実に武田鉄矢の身を襲っていたのである。 鉄矢はフラレた。次々に肘鉄を食らった。そして、「呪い」の存在を知り、次にできた彼女とは「これを逃したらあとはない!」とコブシを握りしめ、決して、太宰府には行かなかったのだ。 その最後の彼女が、今の武田鉄矢の奥さんなのである。 恐ろしい話である。 実は私も、若いころ、当時の彼女と大宰府に参ったことがある。 しかし、私はかつて、神様をナメていた。 そのウワサを知ってはいたが、「ボクラの仲は誰も引き裂くことはできないさあ!」とかなんとか腑抜けたタワゴトをほざいていて、平気で手なんか握ったりして、るんたるんたと赤い太鼓橋を渡っていた。 結果はどうだったか。 別れちゃったのである。マジで、その直後に。 なんとオソロシイ話であろうか。 千年の時を越え、道真公の呪いは武田鉄矢と私を奈落の底に突き落としたのだ。 他に楽しみないのか道真、とか考えてて、ハッと気付いたのだ。 私は藤原氏の子孫なのである。藤原姓だった祖父が四国生まれだったから、本家じゃなくて、純友系じゃないかという気もするが、先祖が藤原を名乗っていたのは事実だ。つまり道真とは仇敵の間柄。呪いがかかっても仕方がない立場だったのだ(じゃあ、武田鉄矢は? とかそこで突っ込まないように)。 私は迷信ぶかい方ではない。 しかし、偶然であろうと、呪いの結果は確実に出ている。 しげが「太宰府に行きたい」と言い出したのを聞いて、私はマジでビビッたのだ。 私は悩んだ。 私が「太宰府になんか行きたくない」とゴネた場合、しげのウラミがどれほどのものになるか。 悩んだ末に結論を出した。 たかが左遷で怨霊になれるくらいなら、しげのウラミは道真を越えるだろう。 これは道真対しげの戦いである。ゴジラとガメラのどっちが強いかってなものである。 よし、賭けよう。しげに。 しげが勝つ。夫である私がしげを信用せずにどうするのか。 行くぞ、太宰府に。 来るなら来てみろ道真。 だから祟りはしげ一人にかけてね(←ド外道)。 というわけでここは太宰府である。 随分早く着いたようだが、交通期間を使って行くと、乗換えやら何やらで、1時間以上かかるのに、車だとウチから一本道で20分ほどで着くのだ。こんなに近かったのか、太宰府。って、ほとんど隣町だから当たり前なんだけど。 以前、仕事の関係で天満宮に来たときには結構参道も混んでたように記憶するが、今日は時間が昼前なせいか、人通りはそれほどでもない。 「このくらいがちょうどいいね」と言いながらしげは私にひっついてくるが、客が毎日この程度じゃ商売上がったりだろう。道すがら、店先を覗いて行くが、昔ながらの梅が枝餅屋が軒を並べているが、子供のころには多分なかった店も結構ある。オルゴール専門店なんて、なぜそんなものが太宰府に。こないだ来た時にあったガラス細工の店は見当たらない。短い時間の流れの中でも少しずつ様変わりしていっている感じだ。 しげは、「テレビで紹介されたコロッケ」とか、「ヤキトリ」とか、縁日っぽい食いものにばかり興味を示す。「どこかの店に入って食事する?」と聞くが、気に染む店がないのか、べたべたしてたいのか、生返事。 ともかく、鳥居をくぐって中へ入ると、左手にもう例の赤い太鼓橋が。 「その昔の彼女と、ここへ来てからどれくらいで別れたん?」 「……二ヶ月くらい?」 「ああ、なら効き目あるねえ」 効き目って言うのか、そういうの。 ともかく、まるで何かに挑戦するように「手をつないで」橋を渡る。来るか道真、と思ったが、特に悪寒も何も感じるものはナシ。今日が6月15日だから、破局が訪れるとしたら、8月15日だ。……終戦記念日じゃん。勝負を決するにはいい日和……なのか? お参りしたあと、だざいふえんの方まで足を伸ばしてみるが、中には入らず。さすがに遊園地で遊ぶほどのカネはない(トシの問題じゃないのかよ)。代わりといってはなんだが、池があるところでは必ずやってる鯉のエサ巻き。店先にパンが しげは「またあ?」とか言うが、なぜか止められないのよ、コレが。 風が少し強かったので、買ったパンくずが吹き飛ばされてなかなか池に落ちない。しかたなく、大きめにパンをちぎって投げ入れると、鯉がもう、寄ってくるわ寄ってくるわ。とても一口じゃ食いきれなかろうってほどの大きさなのに、突っつきあってるうちに手ごろな大きさになってくから面白い。面白がってるのは私だけで、しげは退屈かもしれんが。 池には亀もいて、鯉と競争するとやっぱり負けるのである。できるだけ亀にエサがいくように投げるが、そのたびに鯉に横取りされている。弱肉強食の原理からいけば、こんなトロいカメが長生きというのも理不尽な気がするが、あまり食わずにすむからこそ長生きできるのかも。 食うやつほど早く死ぬなら、食わなきゃ食わないほど長生きできるのか。中国の仙人思想ってそういう発想から生まれたのかもな。こういうどーでもいいことを考えていると、何となく休日っぽい気分になってくる。 帰りにタコ焼きとヤキトリとコロッケを買って、車の中で食う。なんとなくピクニック気分である。こういうチープな食事が、縁日の醍醐味であろう。今日は別に縁日じゃないけど。
せっかくここまで来たのだから、近所の都府楼跡にも回ってみる。ここが本来の太宰府である。 といってももう、土台の石しか残っていない。それも、見たところ発掘したあとになって並べられたものも多いような感じだ。どうせなら何十億かカネ掛けて、都府楼の建物自体、復元したらどうかと思うが、そこまでの予算は大宰府市にはないのだろうな。あちこち「まほろばの里」とか、市全体で観光地を売りものにしていながら、もう一つ目玉をって気にはならんものかね。 そんな訳で、今は日向ぼっこのための広場みたいな感じになっていて、今日も手作りのグライダー(ゴムで飛ばすやつな)で遊んでるオジサンたちが数人来ている。 こういう何もないような所を、ただぐるっと散歩したりするのがしげは好きなので、結構気に入った様子。側溝の水に入って遊びたそうだったが、ツッカケで来ているしげはともかく、穴の空いた靴履きの私は一緒になって入るわけにはいかない。っつーか、一応史跡なんだから、そういう遊びはマズいような。 しばらくブラブラして帰宅。 しげ、「またお出かけしようね」と言うので、「しょっちゅう出かけてるじゃん」とぶっきらぼうに言ったら、「だから、映画とかじゃなくて、こういうの!」と怒る。 こういうのもどういうのも、これだけ一緒につるんでて、まだ不満があるというのが、贅沢というものだと思うんだがなあ。
帰宅しても、しげはまだ何か物足りなげに、「一緒に何かビデオ見る?」と聞いてくる。「何かを見よう」じゃなくて、「見る?」と、私に責任をおっかぶせてくるのがヒキョーだが、私もゆっくりしたかったので、買ったまままだパッケージも開けていなかったDVD『少年ドラマシリーズ 幕末未来人』1〜3巻を一気に掛ける。 本放送は1977年(昭和52年)。これをリアルタイムで見てたの、もう25年前になるのか。感覚的にはついこの間なのに、なんだか信じられないな。 けれど、今や疲れたオバサン顔になってしまった小手川祐子の凛々しい美しさや、顔出ししていた納谷悟朗のシワのない顔なんかを見ていると、確かにそれだけの年月が経ってしまったことを実感せざるを得ないのである。再放送の機会がほとんどなかった本作などは、いくらなつかし番組の好きなしげとても、さすがに幼すぎて見ていない。少年ドラマシリーズの中でも脚本・演出がしっかりしているほうなので、今見ても面白いようだ。 原作は眉村卓。テロップには「『思いあがりの夏』より」とあるが、これは当時の短編集の表題で、実際の原作は所収の『名残の雪』。原作の方は大人向けの小説で、かつて幕末にタイムスリップしたことのある主人公の回想、という形になっている。ドラマの方は、その帰ってきた現代のことを一切省いているので、本放送当時は随分物足りなく思ったものだったが、今、見返してみると、あの唐突な終わり方のほうがかえってこれからのシビアな現実を予感させていいんじゃないか、という感想に変わってしまった。年月が経つと本当に見方が変わるものである。 特典で、主演の星野利晴のインタビューで、「今だから明かしますけれど、当時、主演の三人で、夜中に酔っ払って渋谷の大通りを歌うたって夜明けまで騒ぎました。あのときは、ぼくも沢村正一くんも、ともかく古手川さんとずっと一緒にいたかったんです」とのこと。 青春だなあ(* ̄∇ ̄*)。 っつーか、『なぞの転校生』の時も別れのシーンで岡田可愛の手を握りつづけてたって言うから、星野利晴、えらく色気づいてたんだな(^o^)。でも確かに岡田可愛と古手川祐子なら、私でもそうしたろう。いや、だから「青春のヒロイン」ってやつはあるんだってば。 予算の関係だろうか、タイムスリップシーンなど、今ならデジタル映像などをハデに使うところだろうが、全くない。戦艦三笠に乗り込んで、暗闇の中から出て来たと思ったら、そこは既に幕末の黒船の甲板なのである。 けれど、その静かな変化がしげにはかえって気に入った模様である。私も、ありきたりな歪んだ空間の表現には食傷している。SFはセンスであって派手な映像じゃないのだ。このあたり、現代のSFドラマの作り手も少しは考えてみたらどうか……って、『クレヨンしんちゃん アッパレ! 戦国大合戦』がそうだったね。
夜、エロの冒険者さん宅で、DVDの上映回あり。 その前に汗をかいてるからひとっ風呂浴びようということで、平尾の「やまとの湯」と言う温泉センターに寄る。 食事もそこでして行こうと思ったのだが、なんだか体育会系のジャージ軍団が座敷にいて、そいつらの注文で調理場はてんてこ舞い、30分経っても料理が出て来ないので、どうしたことかと思ったら、バタバタしていたせいかチケットを無くされていた。 怒って払い戻しをしてもらい、あわててエロさんちに向かったが、8時を少し過ぎてしまった。 お集まりになっていたのは、しおやさん、ぴんでんさん。 「さっぱりしてますね」と聞かれたので、「ひとっ風呂浴びてきまして。何しろガス代払ってないんで、ウチ、今、風呂には入れないんですよ」と言わずもがななことを言う。でも、私って隠しごとやキレイごとは嫌いだし(そういう問題ではないか)。しおやさん、「まるで大学生のような」と笑われる。受けて頂いて恐縮です(^_^;)。ああ、そろそろ意地張るのやめて、カネ入れんとなあ。
上映されたのは、結局こちらでは輸入放映されなかった、あの幻のピンクレディアメリカ進出番組、NBC特番『ピンクレディ&ジェフ』。 今ならともかく、当時はややオチメとは言え、まだまだ日本でのピンクレディ人気はあったころだったから、ピンクレディを明らかにイロモノ扱いしているこの番組がおクラ入りしてしまったのは分らないでもない。 何しろあの『UFO』の振付を、アメリカの本物のバックダンサーたちを10人くらい並べて、一緒に踊らせてるんである。もちろん、あのやたらラメの入ったヘンテコな衣装もつけて。なぜかいきなりミスター・スモーと名乗る相撲取りが乱入してくるところもさすが国辱番組。 ああ、あのキテレツな雰囲気は、とても言葉では表せませんがな。 ヒアリングができなくても何やってるかが一発で分るのは、それだけギャグが単純だからである。単純=バカとは必ずしも言いきれないものだが、芸ナシのピンクレディーにギャグを担当させられるわけもなく、結局、もう一人のホスト、ジェフ・アルトマン(まさかあの『クッキー・フォーチュン』のロバート・アルトマン監督と関係はないだろうな)にほとんどスケッチの進行は任せてしまっている。 けれど、正直な話、このジェフ氏、あちらでも二流どころなんじゃなかろうか。デクノボーのピンクレディーをカバーしようと一所懸命なんだけれど、カバーしきれるものでもない。最初からワリ食うとわかってて、起用された気配が濃厚だ。 けれどゲストはすごいね。いきなり「プレイボーイ」社長の(今は会長かな)ヒュー・ヘフナーが出て来たときにゃ驚いたが、そう言えばこの人、サタデー・ナイト・ライブにもゲストで出てたことあったよな。結構、バラエテイに顔出しするのが好きだったみたいね。 思うに、SNLの影響は相当受けてるんだが、1980年と言えばちょうどベルーシ、エイクロイドほか、SNLの第1期のメンバーが抜けた直後だから、「こんなんでもイケる」と、アチラのプロデューサーも踏んだのかも知れない。もちろんSNLは第2期もエディ・マーフィほかを擁してさらに人気を拡大していくので、こんなもんが太刀打ちできるはずもなかったのだが。 けど、水着になると、ミーもケイもホントにムネないねえ。アチラのグラマラスなボディと比べたらマジで二人とも小学生に見えるぞ。向こうにもコアなファンがいたからこそ、こんなDVDが出たんだろうけれど、向こうじゃロリコンシュミの男どもに受けてたんではないのか。もういっぺん向こうでリバイバル特番組んだら高視聴率取れるんとちゃうかな。 その前にオタクアミーゴスのお三方にお送りして、公演に使っていただくという手もありか(^o^)。
金欠病、いよいよ深刻化しているので、今日は飲み会には付き合わず。 帰りの車の中で、しげ、また落ちこんで、「オレが顔出しても、みんな嬉しくないかなあ」なんて言い出す。「話を聞いてるのはすごく楽しいけど、オレの方からは喋らないから」。 いつものことだなあ、と思いながらも、午前中陽気だった反動が来てるのかな、と思って、少しは気を遣った返事を返す。 「別に楽しくないと思っちゃいないんじゃない? オマエの方から喋ってくれりゃそりゃ嬉しいだろうけど、喋らなきゃならないってものでもないし」 しげは以前の某オフ会でもほとんど人と会話しなかったのが気になってるらしい。しかし自分自身が会話しようとしなかったものを今更後悔してどうしようというのか。 思うに、しげは基本的に強欲なのである。 自分の思い描く「理想の自分」、「理想の人間関係」というものが常にアタマにあるのだが、当然、理想は理想にすぎないのであって、それに近づけるはずもない。 明るく如才のない自分、というのが「理想のしげ」だとしたら、それに近づくべく、失敗しつつも努力するのがフツーの人間なのだが、欲深なしげは一片の瑕瑾すらそこに許せない。結果として、ナゲヤリになるか、あるいは萎縮する。まさに自縄自縛である。 プラスで開き直りゃいいのに、マイナスで開き直ってしまって、それでもなんとか日々を暮らしていけているのは、ひと寝入りするとしげは自分が落ちこんでたことすら忘れてしまうからだ。 情緒不安定なんだかそうじゃないんだか全然わからん(-_-;)。
2001年06月15日(金) 毎日がクイズです/映画『大菩薩峠 第二部』(1958・東映)
| 2002年06月14日(金) |
狂ったヒトふたり。片方は軽いけどね/映画『模倣犯』 |
今日はマトモな神経を持った人間なら、繁華街に近づくことを避けたことだろう。 言わずと知れたサッカー・ワールドカップ(W杯)のことである。 このあたりがねー、ホントは潮時だと思うんだけどねー、悪い予感が当たって、日本がチュニジアに勝っちまいやがった。よりによって新聞の一面にデカデカと載ってやがるんだぜ、一面。日本全国、何か勘違いしてないかい? これでまたしばらく、ウチの職場でもサッカーの話題が喧しくなることだろうな。それは別に構わないんだが、こっちにネタ振ってくるのはやめてくれ。私ゃ、中田英寿以外のサッカー選手なんて、ペレとベッケンバウアーしか知らんのだ。私がサッカーに全然興味がないって顔をすると、「こいつ人間か?」みたいなジト目で見られるんだからたまったもんじゃない。 私を興奮させたいんなら、宇宙人とのファーストコンタクトのニュースでも知らせてくれ。だいたいおまえらだって、ついこないだまでサッカーのサの字も知らなかった俄かファンだろうに、どうしてそこまでサッカーのオーソリティーみたいなデカイ面ができるのだ。知ったかぶるな。酢豆腐でも食わしたろか。~凸(-~~- )
全国各地では、繁華街に警官が出張る騒ぎになったところも多かったようだ。 「サポーター」なんて包帯みたいな名前付けられて喜んでる馬鹿も多いが、何をサポートしてるんだ。川や池に飛び込んだり、店のショーウィンドーぶちやぶったり、電柱や信号機にぶら下がったりするのの、どこがサポーターなんだ。ただの猿ではないか。 けれど、そういう猿が大挙して出現してくれないと、イベントは儲からないんだよね。純粋にサッカーを楽しみ応援するファンの方々は猿どもの暴挙を苦々しく思っておられることと思うが、猿どもがゼニを落としてくれないと、ツケはあとで市民、国民に負担させられちゃうんである。 マジメに考えて、ゼニを落としてくれるついでにサッカーの評判も落とすのと、落ちついて観戦はできるけれど客席は閑古鳥が鳴いてて全然盛りあがらないのと、ハテ、どっちがいいのかね。
この騒ぎのおかげで、いろんなニュースが陰に隠れてしまっている。 いや、政治の話も私にはどーでもいいんで、もっぱら下世話な方面ね。 大阪教育大付属池田小学校での児童殺傷事件の犯人、宅間守被告が、捜査段階での供述で、「児童のめい福を祈るとか悪いことをしたとかいう気持ちはない。百人殺そうが千人殺そうが、私は自分のことしか考えない」とか、「事故で大勢死ぬのと私に殺されたのと、何も変わりはないのに、マスコミは騒ぎすぎだと思う」などと語っていたことが公判で明らかになった。 ご遺族の方はもう怒り心頭に発する証言だろうが、皮肉なことに、これで宅間被告が近来稀に見る正直者であることが証明されてしまった。ここには一片の虚飾も虚偽もない。宅間被告は全く嘘偽りなく自分の気持ちをストレートに語っている。 しかもその分析がまた正鵠を射ているんだよね。だって、今や日本人はみんなサッカーに狂っていて、池田小の事件のことなんて、遠くで起こった交通事故並にしかもう見ていないから。今のサッカー狂いに対して、「少しは頭冷やせよ」と言ったところで馬耳東風だろう。まさしく「(ずっと前に死んだ)児童のめい福を祈るとかいう気持ちは(オレはサッカー見てなきゃならないから)ない。(自分に関係ないヤツが誰かを)百人殺そうが千人殺そうが、私は自分のことしか考えない(から気にしない)」心理状態にないか。 不謹慎な発言であることを承知の上で言うが、なんかデカイ事件が起きて、世間のサッカー熱を吹き飛ばしてくれないもんかね。こんなもんを国民的行事にしてしまっちゃいかんという気がマジでしてきたぞ。
も一つ、これはオタク関連のニュース。 テレビ『ウルトラマンコスモス』の主役、杉浦太陽が、二年前の2000年9月、弟の友人の専門学校生が自宅から4万円の現金を盗んだことを理由に暴行。更に迷惑料として自分の口座に45万円を振り込ませたということで逮捕された。 爽やかそうな顔してて、エライヤンキーなことやってたんだなあ。 TBSは早々と番組の打ち切りを決めたそうだけど、一応、最終回までは収録がすんでいたそうである。するってーと、杉浦太陽がカムバックするまで、コスモス最終回は幻のフィルムになるってわけかな。けれどこれは差別の問題に絡んでるわけじゃなし、復帰した時に「申し訳ありませんでした」とアタマ下げときゃ、ミソギはすんだってことになるのが芸能界ってとこだから、いずれ解禁になるでしょうよ。慌てて今見とかなきゃならないほどの番組でもないし(隊員のユニフォームがだぶつき過ぎてて女性隊員のボディーラインがわからんじゃないか)、それこそ大騒ぎすることもなかんべさ。 芸能人の何人かが、「先に金取った方が悪い」とか擁護してるらしいけど、じゃあ、「カネ脅迫して取っていい」ってことになるの? ただのバカなのか、それとも何らかの裏事情を知ってての発言なのか、わからんねえ。 いっそのこと、今までのフィルムも全て杉浦太陽の出演シーンだけ他の役者に差し換えて作りなおしたらどうだい。で、その代理の役者がまた不祥事起こしたりしてたら笑えるんだが。
今日はしげの仕事が休みになったので、夜、映画を見に行くことにする。 けれど、9時台の映画まではまだまだ時間があるので、父の店によって、散髪をしてもらう。 野球好きでもサッカーには興味がない父、「映画に行くとや? ばってん今日は天神には出ん方がよかぞ」と言う。話によると、先日、日本が勝ったときもやっぱり「打ちこわし」があったらしい。 天神にもあちこちに大画面のクリアビジョンがあるが、ほとんどサッカーを放映していないそうである。映せば、日本が勝った途端に石だのなんだの画面にぶつけたりするからだそうだが、賢明な判断だろう。 父も「バカが多すぎる」と憤慨している。……やっぱなあ、この騒ぎにシラけテル人間って、案外多いと思うぞ。
映画は久しぶりに大野城のワーナーマイカル。 サティの4階にあるので、上映時間まで時間がつぶしやすい。 しげの大好きな「銀だこ」、ここでも売っていたが、買って食べてみると、しげの舌には合わなかったそうな。 「香椎の銀だこのほうが美味しかった」……って、タコヤキにそうたいした差があるのかって。
映画『模倣犯』。 宮部みゆきの原作は未だに読んでいないが、私以上に審美眼のハードルの高い しげが、珍しく「面白いよ」と言っていたので、ホントに面白いんじゃないかと思う。 私も、原作を読んでから映画を見るか、映画を見てから原作を読むか、往年の角川映画のキャッチコピーのようにしばし悩んだが、映画のスタッフ・キャストを知って、「原作を読むのはあとにしよう」と思った。 もちろん、森田芳光と中居正広が組んで、ロクな映画ができるはずがない、と踏んだからである。面白い方を後回しにするのは自然な発想だろう。
冒頭、なんだかよく判らないデジタルな映像の合間に、「……模倣犯……模倣犯……」と、これも人間の声を機械を通して加工したらしい音が流れる。何つーか、ミエミエのアナロジーで、これだけで幻滅してしまう。 実際、本編中にもやたらデジタルな映像が使われてるんだけれど、これがウルサイばっかり。しげは見てて目がチカチカしてキツかったらしい。 カントクはさあ、デジタルな価値観が人間性を侵食している象徴として作ったオープニングだ、とかなんとかコリクツこねてるんじゃないかと思うけど、単に目がチカチカして気分が悪くなるだけだって。「ポケモン事件」のマネかよ(多分そんなとこにまで知恵が回ってるとは思えんが)。 事件を二度なぞるのも、斬新な演出のつもりかもしれないが、別に珍しいものでもない。もともとぶつ切りになってた話を二度繰り返されたって、ただひたすらクドイだけだ。このカントク、今まで映画撮ったことないんじゃないか。
何がダメって、主役の中居ほか1名が、ただの「本人はアタマがいいと思いこんでるけれど、実は中身のない、えらそうにしてるだけのバカ」だってこと。サスペンスも何も感じさせないどころか、見ていて不快だ。犯罪は雑だし、証拠は残しまくってるし、あまつさえ、事件の直後に堂々とテレビに出るし、全身で「私は犯人です」と言っているようなもの。ミステリーの知的興奮はどこにある。 世間がまた、中居が犯人だってことに気付かないってのも不自然すぎる。だって、中居、演技力なんてまるでないんだから。 ワキの役者は結構いい人揃えてるんだがなあ。キャラクターがあれだけ薄いのに、山崎努も木村佳乃もよく頑張って演じてくれてるよ。森田カントク、せめて脚本をプロに任せとけばよかったのになあ。 パンフレットを読んでみても、監督が、その場の思いつきで、演出をコロコロ変えていった様子がよくわかる。それがハマってりゃいいんだけど、ほとんどが外してるか、あるいは意味不明。 犯人が、魚を釣り上げるシーンに「軍靴の音をダブらせてくれ」って音響監督に頼んだそうだけれど、その理屈が「魚を釣るのも戦争と同じだ」からだそうな。……イカレたか? ラスト、中居が木村佳乃から「あなたは模倣犯よ!」と言われて「オレはオリジナルだ!」と言い返して墓穴掘るシーン、ミステリーの幕切れとしてはあまりに陳腐じゃないか。火サスや土ワイ以下じゃん。この監督、ミステリーを読んだことないんじゃないのか。 しかも、なぜか突然、中居は爆死。自分が犯人だとバレるとは思ってなかったのだから、自殺の準備を予めしているはずがない。つまりそれって自然発火? わはは、プラズマだプラズマだ(^o^)。宙に舞い飛んだ首がテレビカメラに向かってニヤッと笑い、血飛沫が木村佳乃の顔にかかるって……『パノラマ島奇談』がやりたかったのかよう。 ほかにも欠点をあげつらっていったら、キリがない。これくらいわかりやすい欠点だらけのダメ映画も、近来稀に見るほどではないだろうか。 ところが、これだけクソな映画でも、マジメに誉めるアホウはいるようなんである。……中居のファンか?
2001年06月14日(木) ミステリー波止場の片足/『あひるの王子さま』1巻(森永あい)
| 2002年06月13日(木) |
暗い木曜日/『名探偵コナン』37巻(青山剛昌)ほか |
歌手、村田英雄氏が肺炎のため死去。享年73。 直接の死因は肺炎でも、重度の糖尿病を患って、両足を切断していた。 昨日のナンシー関さんの死去と言い、なんでこう、落ちこむような死去のニュースばかり続くのだ。 私ゃ去年の夏の入院の時に、この人の両足切断写真を何枚も見せられたってのに。 もう長くないことは随分前から判っていた。 にもかかわらず一時は復活し、平均寿命までは生きたのだ。 だから、よく持ったほうだとは思うのだけれど、気持ちはもう「そうだよな、オレも明日死んでもおかしくないもんな」ってな具合に、暗い方へ暗いほうへとベクトルが向いてしまっている。
「オレ、鬱だよ」 としげに言ったら、「ふーん」とヒトコト、「なにをナマイキな」という顔をされた。 けれど実際に鬱なので、しげに文句を言い返す元気もない。 ナンシーさんのホームページ「ボン研究所」を覗いたら、5月1日付けの日記で、「今年は書きたいと思うネタがGWに集中してるかも。まだ何かあるな。誰か死ぬか?」と書いてあった。「2ちゃんねる」では、さっそくこれを笑いのネタにしている。怒る気はないが、悲しい。
あずまきよひこさんのHP、例の「お詫び」の文章が削除されている。 結局、FAQの「あれ、うそ」というギャグそのものが「なかったこと」にされた形だ。 けれど、これが間接的な表現の自由の束縛・弾圧でなくてなんだと言うのだ。 「日本では傷ついた者が勝つ」とは金美齢さんの名言だが、自分が被害者になれば何でも言って構わないと思いこんでるアホウをここまで量産したのはいったい誰の責任だ。 こうなると、誰かナマイキだと思った作家がいたら、編集部気付で「アナタの作品にショックを受けました」と手紙を送りつければ、即、連載中止に追い込むこともできるようになってくるぞ。 『こち亀』だって、亀有の人間を騙って「亀有のイメージを落とさないでくれ!」なんて抗議の手紙を送ったら、連載を終了させられるかもしれない。笑いごとではないのだ。こういう「被害者ぶりっこ」は年々、少しずつ少しずつ、澱が溜まるように増えつつあるのだ。 そういう「被害者のフリをしただけの実は加害者」に出会った経験は、私もこれまでに数限りなくある。そういう人からは今のところ「逃げる」ことでしか対処できないんだよね。話、まるで通じないから。 けれど、こちらが逃げてると図に乗って、「自分はやっぱり正しかった」って思うんだよ、そいつらは。 だからあずまさんも、ホントならガンとして削除なんかしないでいてくれたほうがよかったんだけど、編集部にまで迷惑はかけられないと判断したんじゃないかなあ。……だから悲しいことが多すぎるよ。
夜間業務のしげは、当然、昼間が睡眠時間だ。 私を車で送り迎えしなければならないので、朝、9時過ぎに寝て、夕方4時くらいに起きる。6、7時間まとまって寝たあと、仕事に行く前か帰ってきてからか、2、3時間ほど寝る。 実によく寝ているし、相変わらず全く家事をしないが、これでもしげ本人には寝たりないらしい。 というか、時間を無駄に使いまくっているのである。 9時過ぎに寝る、とは言っても、「ベッドに横になる」だけで、なかなか寝つけない。そうなのだ。しげは異常に寝つきの悪い女なのである。 いろいろ本人も努力はしているのである。羊を数えると、一生懸命になってかえって眠れないので、前に読んだ本を何度か読み返す。一度読んだ本なので、熱中して読むということもなく、気がついたら眠りに落ちている。だから、実際のところ昼間はギリギリ6時間眠るのが限度、という感じらしい。 最近は吉田戦車の『つやつや先生』を読んでいるとすぐに落ちれるそうだ。何となく納得できるような。
しかし、どうしたはずみか、今日はほとんど昼間、眠れなかったらしい。 眉間にシワを寄せていかにも不機嫌そうである。 「なんで寝なかったんだよ」 「寝ようとしたんだよ。でも寝れなかったんだよ」 「寝ようという意志が足りないからだろう」 「本を読んで寝ようとしたんだよ」 「寝つけないなら黙って、ジッとしてりゃいいじゃないかよ」 「ジッとしてたら怖いやん!」 「怖いこと妄想するからだろ!?」 私にはしげが自ら眠らないように眠らないようにしているようにしか思えないんだが。私のように、寝ようと思ったら一瞬で落ちることのできる人間には、しげの悩みがよく解らない。すぐに睡眠に入れるいい方法というものはないものだろうか。
寝不足でも腹は減る。 しげはまた「王将」。……よりによって、村田英雄が死んだ日に「王将」かよ、と思うが、冷静に考えれば、そんなことを関連付けて気にする方が神経をヤラレている。そうだよ、だから鬱なんだってば。 こういうときは具合が悪くなるとわかっていてもドカ食いしてしまうものである。 私はスタミナセット、酢豚と餃子と唐揚げ定食。 しげもなんとかセットで、炒飯と餃子と唐揚げ。 これだけ食ってもなんとか体重は82キロ前後でキープ。食い控えれば、確実に痩せられるはずなんだけど、それをついつい食っちゃうのはやっぱりストレスが溜まってるんだよなあ。
夜、気分悪いと言ってたわりには、しげ、寝つけないで甘えてくる。 「なんだよ鬱陶しいな」 「眠いとよ、眠いけど寝れんとよ」 「眠いなら寝れるやろ」 「だけん寝れんて」 「俺は眠いから寝れるぞ」 と言って、次の瞬間には寝た(^o^)。だから、そのあとしげがどうしたかは知らない。 冷たいようだが、しげの甘えに付き合ってやると、今度は私が寝不足になるのだ。そこはどうしてもしげに泣いてもらうしかないんである。 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』37巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。 あー、買ったまんま、読むの忘れてた。 もう来月には38巻出るぞ。 毎回、中身をコキ下ろしながら、それでも37巻までよくも買い続けているものだと自分でも感心。誤解のないように言っとくと、『コナン』はミステリマニアの視点で見たらとことんバカバカしいんだけど、少年マンガを楽しむムキには全く問題ないんだからね。 『コナン』ファンのサイトや日記を覗いてみても、ミステリとしてトリックがどうだとか、動機は自然かとか、そんなことほとんど触れられてないし。 だから今巻でも、毛利小五郎と妃英理のナレソメのころが語られたりすると、それだけで充分満足しちゃうんだろうね。 しかし、いい加減、ダイイングメッセージものはやめよう。マトモなミステリ作家なら、こんな不自然なモノはないと知ってるから、よっぽどいいトリックを思いついたんじゃなきゃ、イマドキは新本格の作家だって、こんなネタは扱わないよ。 黒の組織の手がかりを入手ってことは、そろそろ『コナン』も最終シリーズに突入か? って感じだけど、映画『ベイカー街の亡霊』もシリーズ最大のヒットを飛ばしたそうだし、こんなドル箱を今のサンデーが手放すかね? もしかして作者は40巻で切りよく終わりたいとか考えてるかもしれないけれど、あと3年、50巻までは続くんじゃないか。 これもどーせ、時の流れは止まってるんだし(それだけでも本格ミステリとしちゃ許せないよな)、新一が帰ってこなくても、出席日数不足で退学になったりはしないだろうよ(^o^)。
2001年06月13日(水) とんでもございません(←これも誤用)/『少女鮫』6〜9巻(和田慎二)ほか
| 2002年06月12日(水) |
悲しい日/『B型平次捕物控』(いしいひさいち)/舞台『笑の大学』ほか |
こんな夢を見た。 私はある女の子とつきあっている。 ヤバいことにこれが女房ではない(^_^;)。夢だから怒るなよ、しげ。 髪の毛を右と左で結んで垂らして(つまりシッポが二つってわけやね。『メガロマン』の高嶺ラン(杉まどか)を思い浮かべてくれい。……って知ってるヤツどれだけいるんだ)、ちょっと小生意気そうな彼女だ。 学校帰りの彼女(どうやら女子高生らしい。なんてことしてんだ、私)を出迎えて、一緒にさびしい田舎道を歩く。あたりは一面、田んぼしかない。はるか彼方に山並みが見えるだけ。 私は彼女のことが好きなのだが、彼女は私の気持ちに気付いていながらはぐらかしてばかりいる。えいくそ、この小生意気な悪魔っ子め。 突然、彼女がこんなことを言い出す。 「知ってた? 藤井隆って、この辺の生まれなんだよ?」 「知らなかったな」 「私、よく知ってんの。彼のこと」 「ふーん、よく会うの?」 「うん」 私の心の中に嫉妬の気持ちがムクムクと湧いてくる。 ふと、向こうを見ると、ポツンとバス停があって、そこにひとりの男が立っている。 藤井隆だ。 サングラスをかけていたが、それを外してこちらを見ると、彼女に挨拶をした。彼女は返事をしない。 私は少しホッとする。彼女が愛想がないのは、なにも私相手に限ったことではないのだ。あの藤井隆に対してですら(なぜそこまで藤井隆を持ち上げているのかは謎)、彼女はツンとした顔しか見せないのだ。 ちょうどそこにバスが来て、彼女はそくさと乗りこむ。 彼女は、私を無視して、藤井隆にだけ「じゃあね」と声をかける。 てっきりバスを待ってたと思っていたのに、藤井隆は立ったままだ。何しに来たんだ、藤井隆。 バスは彼女を乗せて彼方に去って行く。 私は藤井隆と二人きり、バス停に残された。 ……ここに置いてきぼりにされた方が負けだ! そう察した私は、別に帰り道にでもないのに、藤井隆をそこに置いてバスの去った道を歩いていった。
で、どういう夢なんだ、これ。 何かそんなに藤井隆を気にしなきゃならない理由でもあるのかなあ……と思って気がついたんだけど、こないだ見た映画『少林寺サッカー』で、ハナクソほじってるオカマの美容師が出て来たんだけど、あれがちょっと藤井隆に似てたんだね。 で、多分私は、「藤井隆って、オカマ演技してるけど、ホントにそうじゃないよなあ」とか考えてたんで、「藤井隆はちゃんと男だ」ということを証明するために、こんな夢を見たらしい。 そんな藤井隆の弁護してやるためだけに夢なんか見るなよ、私(-_-;)。
腹が減ったがカネがない。 一応カネの出所は某所にあるのだが、忙しさにかまけて、取りに行っていない(こういう書き方したら不正なカネみたいだがそんなことはありません)。 しかたなく、しげにココアとサンドイッチ分けてもらう。 今日の食事はこれだけだ。少しは私のカラダ、痩せてくれるかな?
アニメ『ヒカルの碁』第三十五局「勝者はひとり」。 ヒカルと佐為の分岐点を示すエピソード、韓国の少年棋士、洪秀英(ホンスヨン)との対戦編。 マンガ版では、韓国語をカタカナ表記にして、日本語との違いを表してたが、さて、アニメではどうするかと思ったら、日本語のまんまでやりやがった(-_-;)。 子供も見てるし、韓国語で字幕を流すのもどうかって判断したんだろうけど、こういうところを安易に吹替えにしないって姿勢も大事だと思うけどなあ。 洪秀英役の伊東みやこさん、なかなか個性的なイイ声をしている。少し小生意気な少年のオファーが続けば人気が出るんじゃないか。
夕刊を読んで驚愕。 消しゴム版画家のナンシー関さんが死んだ。 1962年生まれの同い年、しかも大学が同窓(私は一部で向こうは二部だけど)。 先日の伊藤俊人さんの死去のニュースもショックだったが、これはもう、なんといったら言いのか言葉が見つからない。 「11日夜、知人と食事の後、帰りのタクシーの中で具合が悪くなり、そのまま都内の病院に入院、急死した」とのこと。 死因は「虚血性心不全」と言うことだが、そんなよく判らん病名で説明しなくても死因はハッキリしている。太りすぎだ。見るからに100キロは越していたし、100メートル歩いただけで息切れがしてたって言うし、あれで心臓が持つほうが奇跡のようなものだ。 けれどまさかナンシーさんが死ぬなんて予想もしていなかった。 あの人の消しゴム版画は全然おもしろくなかったけれども、社会に対するキャッチーとしては有効だった。そしてあの毒舌たっぷりのエッセイ。 同じ「毒」でも、ビートたけしのエッセイとは明らかに質が違う。 たけしの時評は「いっそのこと○○しちゃえば」みたいなムリヤリギャグに仕立てようとして、失敗してハズしてるところが多々あるが、ナンシーさんの毒舌は実は「芸」ではなかった。いや、「芸」には違いないのだが、「芸」であるようには見せていなかったのだ。
厳密に言えば、ナンシーさんのエッセイは「批評」でも「評論」でも「解説」でもなかった。客観的な真実を探ろうとするのが「評論」なら、ナンシーさんのは主観的な「印象」に過ぎない。 しかし、ヒョーロンなんてシチメンドクサイ行為を日常行ってる庶民なんていはしない。ナンシーさんのエッセイに我々が拍手を送ったのは、それがどんなに主観的な思い込みに見えようと、誰もが「そうだよな」と納得する「絶対多数の」主観だったからである。主観も、そう思う人間が多ければ、客観となる。 それゆえにナンシーさんの文章は、まさしく「時代観察者の証言」たりえていたのだ。
ナンシーさんの文章は、テレビを見たときのストレートな庶民感情の発露であり、そこには、マジメな人間なら自分が悪人に見られたくなくて言い控えてしまう悪口を「思ったこと言って何が悪いの? みんな同じこと思ってんでしょ?」とサラリと言ってのける「粋」さがあったのだ。 ああ、そうだよ! ナンシーさんは「粋」だったんだ! もちろん、ナンシーさんに対して批判がなかったわけではないだろう。 ネットを散策してみると、小倉智明が「事実無根のことを書かれて……」とかコメントしてたそうな。ファンが追悼してる最中に自分のこと弁解するのか、小倉。……まあ、小倉は言うよな、そういうヤツだってことはナンシーさんも指摘していたことだ。 「事実無根」って、おまえのヅラ疑惑か?(`▽´) 別におまえが本当にヅラかどうかなんてどーでもいいんだよ。 「ヅラに見える」、つまりは、エラソウなことコイてるけど、お前みたいなソトヅラだけ作ってるのがミエミエの胡散臭いヤツの喋くりの中身なんか、いっこも信用しちゃいねーよってことを言ってるんだよ。 だからナンシーさんの言ってたことは「事実無根」でもなんでもないのだ。 コラ小倉、テレビに出て、大衆の好奇の目に晒されるのは当たり前なのに、悪口言われたり陰口言われることにいちいち憤慨してんじゃねーよ、みっともないぞ。その程度の悪口を受け止める覚悟もねーのに、キャスターなんてやってんじゃねーや。
いろんな人のナンシーさん追悼の言葉がネットに散乱している。 大月隆寛のコメント、「単なるテレビコラムニストの死ではなく、思想的な事件であると思う」。それはその通りだけど、今それを言うか。そんな人が死ねば「持ち上げる」行為をナンシーさん自身が、嫌ってたんじゃないのか。 なんだかピント外れなコメントが多い中、岡田斗司夫さんのコメントには打たれた。
「コラムニストのナンシー関さんが亡くなりました。 ショックで悲しいです。 単行本は全て持っていました。 でも、いま悲しいのは「新作が読めない」というのとは、違う気がします。 ああ、僕はナンシー関が好きだったんだなぁ。」
ナンシーさんのことを「消しゴム版画家」と言ってない(大月さんも「コラムニスト」と言ってるけれど、「テレビ」と付けていたのが惜しい)。 わかってらっしゃるのだ、この方は。 なんだかもう、一緒に生きてた人が亡くなった。そんな気持ち。 悲しいよ。
マンガ、いしいひさいち『B型平次捕物控』(東京創元社・630円)。 いしいさんのマンガにはまとめてみると面白いものとつまらないものとの二種類があるが、『B型平次』は後者。 だってハチが「てーへんだっ!」って言って、ダジャレが入って、平次がハチを蹴飛ばすだけのギャグが延々続くんだもの。なんだか鈴木義司『サンワリくん』並のツマラナサだ。 4コマ漫画を革新させたのがいしいひさいちさんであることは言を待たないが、それが『バイトくん』や『がんばれ! タブチくん』ではなく、この『B型平次』だったら、ブームになるのはちょっと苦しかったのではないか。 後半『忍者無芸帖』も収録されていて、こちらの方は相変わらずの忍者の間抜けぶりが楽しくて、買って損したって思わずにすんだけれど、結構やっつけ仕事もしてるんだな、いしいさん。
ビデオで録画してた三谷幸喜の『笑の大学』を見返す。 西村雅彦と近藤芳正の二人芝居。 太平洋戦争時、浅草の喜劇団の座付き作者をしている椿(近藤)が、なんとか上演中止に持ちこもうとしている検閲官の向坂(西村)の支持通りに台本を改訂していくうちに、なぜか話がどんどん面白くなってしまうというもの。 1996年の読売演劇大賞を受賞した作品だけれど、案外構成に破綻のあることが多い三谷さんの喜劇の中では、よくまとまっているほうだ。 ことに、近藤芳正の熱演は、今までの中でもベストではないだろうか。映画やドラマでは気弱な小市民を演じることが多いけれど、その影に秘めたる熱意、演劇に賭ける情熱、そんなものまで感じさせてくれたってのは、もう、演劇関係者にとっては応援のエールを送られたようなもの。大感激だ。 ……急に見返したくなったのは、やっぱり自分の心を慰めたくなったってことなのかなあ。 しげが、仕事から帰ってきて、「また見よん」とかほざきやがった。 そうしょっちゅう見返してるわけでもないのに、何を文句つける必要がある。それに見返すこと自体、別に悪いことでもなんでもないじゃないか。 『ブルースブラザース2000』を20回以上劇場に見に行ったアホに言われたくなんかないんである。
2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)
| 2002年06月11日(火) |
有久家の崩壊……直前?/『パタリロ西遊記』4巻(魔夜峰央)/『くらたまのお蔵だし』(倉田真由美)ほか |
今日も残業も頼まれるがきっぱり断る。 いくら私がお人好しだからって、二日も連続して騙されやしないって。 しげから「今日はちゃんと断ったの?」と聞かれたので、「ああ。もちろん!」と威張って言う。 別に威張ることでもないどころか、同僚との間に気まずい関係を作っただけなんだが(^_^;)。
なんだか急に気温が高くなって暑い。 日中、びっしょり汗を書いてしまったが、お風呂はやっぱり水のまま。 水風呂も気持ちよくはあるのだが、熱くなったと言っても、真夏日ほどではないから、腰から下までつかるのが限度。 心臓の上までだと死ぬかも。 早いとこカネ入れてガス復帰させてもらえりゃいいじゃん、と言われそうだが、あともうしばらく日々の生活をやり過ごさなきゃならんのと、しげに「どうせガス来なくっても平気なんでしょ」なんて言われたので、私も意地になっているのだ。
そのしげ、私に言われた通り、ポットのお湯を使って、体を流そうとしたらしい。 「湯舟にお湯入れたけど、暖かくならんかったよ!」 「当たり前だろ!? ポットのお湯の量じゃ、焼け石に水じゃん(←タトエが逆だが)」 「じゃあアンタどうやったん!?」 「洗面器にお湯移して、水で薄めて使うんだよ!」 口で言ってもよく理解できないようなので、実演して見せる。 「ホラ、こうやって、お湯と水の量を加減して……」 「そんなん、水の量間違えたら熱いやん!」 「間違えなきゃいいだろ!」 「間違えるんよ! オレは!」 「威張って言うなあ!」 その後もお湯の量が足りないとか文句を言うので、タオルにお湯を浸してカラダを拭けばそれで充分、と教える。 「な、これでお湯が少なくても充分カラダが拭けるやろ?」 「そんなんで大丈夫と?」 「大丈夫だよ。オレは大学時代、こうやって半年にいっぺんしか風呂に入らんかったけど、別に病気にもならんかった」 「……うそくさ」 まあ、ホントはちょっと病気になったが。
昨日覗いてみた、あずまきよひこさんのHP『A−ZONE』。 今日覗いてみたら、「雑誌に載っていた『九月から新連載』というのはホントですか?」という質問に対して、あずまさんがおーさかの口を借りて「あれ、うそ」と答えていたのが、ちょっと問題になっている。 つまり、これを本気に取った読者の一人が、「出版社がウソの情報を流したのか?!」と怒ってきたというのだ。 ……ギャグマンガのファンなのに、ギャグが理解出来ないのかよ、コイツは。 表紙であずまさん、「雑誌に載ったときは、編集者さんとの間で『できたらいいですね』というやり取りをしていた段階なので、確実とは言えませんでした」と謝罪しているが、謝罪しなければならないことじゃないよ。 だいたい新連載を始める時期が遅れたからと言って、そんなに騒がなきゃならないことなのか。もともと、連載予告、とは言ってもどうやら正式な発表ではなくて、そのころになるかもって情報にすぎなかったみたいだし。なのに作者にメールを送りつける神経過敏さ、これだけでも充分トンデモさんだと思うのだが、どうか。 ギャグをギャグとして受け取れない人間には、私もしょっちゅう出会っているが、なにが困るって、こういう「マジメな奴」ほど「自分は善人」だと思いこんでるから、自分の方こそ世の中をキュウクツにしている加害者だってことにも自分の愚かさにも、いっこうに気付かないのだ。 昔はこういう連中をバカにする「野暮」っていう適切な言葉が日本語にはあったんだけど、最近は通用しなくなってるからねえ。つ〜か意味自体知らないやつばっかだし。「野暮」に替わるイイ言葉を発明しないといかんかなあ。
買い置きの食料がもはやラーメンしかない。 しかし金欠病がいよいよ深刻になってきているので、ここでムダ遣いは出来ないのだ。 喜多方ラーメンのコシのある麺を一本一本啜りながら思う。 生活がどんどん大学時代の貧乏なころに近づいてきているが、内心、それを楽しんでる部分が自分にないか。 あのころに戻ってみたい、バイトをしながら、今とは比べモノにならないくらいの微々たる給料でも、おカネを手渡されるのを心待ちにしていた日々を懐かしんではいないか。 ある意味これもまた緩やかな現実逃避なのだろう。 トバッチリはしげに来てるみたいだけれども(^_^;)。
マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』4巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。 原作にもある三蔵法師の妊娠話(^o^)。 昔のドラマじゃ、夏目雅子がウンウン唸ってたなあ。あのドラマの功罪はいろいろあって、あれ以来、三蔵法師は女性が演じるものと決まっちゃった。ホントの三蔵は、ガッシリした肉体派だったらしいけど。女が男のフリして臨月シーン演じるのって、なんだか妙に可笑しかったな。 マライヒは一応男だから問題ないのか。 でも本編ではフィガロ生んでるし、もしかしてフィガロをここで生んで一行に加わるなんてことになりゃしないかって、心配しちゃったよ。 このペースで行くと、原作を消化するのに軽く10巻以上はかかりそうだけど、ちゃんとそこまで連載を続けさせてもらえるのかなあ。『パタリロ』本編は確かに70巻を越して未だに終りそうな気配もないけど、それ以外の連載は『ラシャーヌ!』と『妖怪始末人トラウマ』(&『トラ貧』)がちょっと続いただけで、あとは軒並み数巻で打ち切られてるからねえ。 私は魔夜さんのしょーもないギャグが好きなので、ぜひ人気が出て続いてほしいんだけど。 ついでに山本貴嗣の『西遊少女隊・完全版』も読み返す。これも続いてほしかったのに打ち切られちゃったやつ。美少女三人組と「最終教師」こと茶羽顔八のバリエーションであるアルピニスト三蔵とのコントラストが楽しかったんだけど、牛魔王も金角銀角も出せずに終わっちゃったんだよね。残念。
マンガ、倉田真由美『くらたまのお蔵だし』(扶桑社・900円)。 『だめんずうぉーかー』がヒットしなければ出るはずもなかったことが確実なくらたまさんの初期作品集。 けど、出なくてもおかしかないよな、くらたまさん本人が「西原理恵子のマネをした」と告白してたけど、どうしてどうして、まついなつきやら中崎タツヤやら内田春菊やら臼井儀人までパクリまくってるよ。 「どこかで見たような」マンガじゃオリジナルとして評価はしてもらえないよねえ、やっぱし。 けれど、私がくらたまさんを「面白い」と思ったのも、昔、巻頭収録の『マンガ家への道』を読んでからだった(『だめんず』以前から注目はしてたんである)。 有名大学を出ているというだけで就職は楽勝!と錯覚し、受ける会社受ける会社ことごとく落ち続け、藁にもすがる思いで描いたマンガが「ヤンマガ」の奨励賞に引っかかり、なんとかマンガ家デビューはしたものの、全く単行本が出る気配もなく、カツカツの生活をしながらいつかヨメに行ける日が来るのだろうかと不安な日々を過ごしているって……。 なんだかねー、ここまで馬鹿女だとねー、むしろかわいく思っちゃうのよ、男は。つきあうとしつこそうだからコナかけはしないけど。 やっぱり作ったマンガはたいしたことない。くらたまさんの真骨頂は自分切り売りマンガである。せっかくリコンという楽しいイベントも経験したんだし、そのへんの事情をマンガにすればまた化けると思うんだけどな。今こそ内田春菊を見習おう(^o^)。
なんだか三谷幸喜を見返したくなって、劇場映画第一作でキネマ旬報の脚本賞を受賞した映画、『12人の優しい日本人』を見返す。 今は亡き演劇雑誌『しんげき』にこれの舞台版の脚本が載っているのだが、それと比較しても細部に渡って変更が加えられているので、俄然面白くなっている。本家の『十二人の怒れる男』ほどのインパクトはないけれど、実は同じ陪審員劇とは言っても、社会派ドラマを目指した『怒れる男』と、単純な推理劇である『優しい』とは似て非なるものなので、比較してもあまり意味はないのだ。 映画用にキャストを一新(オリジナルキャストは相沢一之と梶原善のみ)したとは言っても、そのほとんどは舞台俳優。故・村松克己のような重鎮もいるが、一般の人はほとんどキャストの名前を知るまい。けれど、だからこそいかにも陪審員として集まりそうな普通の人たちが集っている、という印象があって、穏やかないい映画になっている。 かつての東宝「金田一耕助」映画『悪魔の手毬唄』に出ていた林美智子と、後に『八つ墓村』で「金田一耕助」を演じることになる無名時代の豊川悦司が共演し、協力し合っているのも面白い。 何より「優しい」と言いながら、登場人物がみな島国根性まるだしの小市民と言うのがコメディタッチの中にもリアルさを出している。 三谷幸喜の原点はここにあるな。
2001年06月11日(月) 誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)
| 2002年06月10日(月) |
騙されて騙されてどこへ行く/『ありえない物語』(ポール・ジェニングス)/『マンガ狂につける薬21』(呉智英)ほか |
同僚の一人から、仕事の都合とやらで、急な仕事を頼まれる。 「たいして時間がかからないから」という言葉に騙されて、気がついたら、勤務時間を1時間もオーバーしてしまう。 おかげで駐車場で待ってたしげが怒るまいことか。 「いや、騙されたんだよ、同僚に」 「つまりあんたは悪くないっちゃろ! そこで謝らんやん! だけん怒っとうとよ!」 「だってオレのせいじゃないし」 「ほら見てん!」 なにが「見てん」なんだか。 「仕事なんだから仕方ないじゃん」 「仕事なのはわかっとうよ。アンタが謝らんのがハラ立つと!」 「謝ったよ」 「謝ってない!」 「謝ったよ」 「謝ってない!」 キリがないのでやめよう。 ともかくこちらは迎えに来てもらわなければならない立場なので、あまり強くは言えない。最近はあまりしげを待たせることがなかったから、つい油断したのが敗因だった。もう少し状況を聞いていたら同僚の申し出、断っていたろうに。 「じゃあ、お前は絶対オレを許さんってこと?」 「アンタが優しくないんやん」 しげはすっかりご機嫌斜めだが、いつものことで数時間もすれば怒りもたいてい忘れてしまう。とりあえずこの場をやり過ごせばなんとかなる。 「じゃあ、明日、同僚に文句言っとくよ」 「『騙された』って?」 「言うよ。その通りなんだから。時間とかそういうのはちゃんと言ってください、困りますって」 しげ、ようやく機嫌を直したよう。 しかし職場のことで家庭にこれだけトラブルが起きるってのは、困りものだ。 いっそのこと転職しようかとも考えるが、転職するにはもうトシがイッちゃってるからなあ。今日の件でも分る通り、簡単に騙されちゃうタイプだから、お人好しは使いものにならんと判断されちゃうかも。阿地川盤嶽か。 っつーより病気持ち雇ってくれる奇特な会社なんてそうそうないよなあ。 え? 病気のことよりオマエの根性悪の方が問題だって? コリャマタ、シツレイイタシマシタ。
しげ、今日は早出で私を家の前で落とすなり、リンガーハットに向かう。。 これから、早い時間の出勤が多くなるそうで、そうなるとますます残業ができなくなる。仕事のスピード自体をアップしていくしかないんだよなあ。でもそんなに簡単に行くこっちゃないのよ、これが。 晩飯に買い置きの冷凍ラーメンを作る。 ガスは止まったままなのでポットのお湯を注いで、電子レンジにかけるだけ。 一度のお湯では解凍しきれないので、二度注いで、電子レンジは30秒。 これだけでラーメンは充分美味しいどころか、茹ですぎることがないので、麺も伸びずコシがあるまま。……ホントにガス要らないんじゃないか。
山本弘さんのHP「SF秘密基地」の掲示板で、『あずまんが大王』のあずまきよひこさんのHP「A‐ZONE」が紹介されていたので、覗きに行ってみる。 コンテンツは少ないけれど、センスがすごくいい。 コンテンツをたくさん設けるだけ設けて一つ一つの内容が薄くなり、ゴタゴタし過ぎて見るに耐えなくなってるHPがザラである中で、このセンスのよさは貴重だ。こんなHPが作れたらなあ(性格的にムリだろうけど)。 特にFAQ(よーするに質問コーナーのことなんだが、私ゃてっきりFは“fan”、Aは“answer”、Qは“question”だって思いこんでたよ。ホントは“frequently asked questions”「しょっちゅう聞かれる質問」ってことなのね)がよくできてる。 Q.このホームページにリンクしてもいいですか? Q.あずまんが大王のコミックスの絵を私のHPに載せていいですか? 許可はもらえませんか? Q.メールの返事がきません。 Q.榊や神楽の名前はなんていうんですか? Q.「あずまんが大王」の主人公は誰ですか? ちよちゃんが主人公ですか? などなどの質問に対して、全て『あずまんが大王』のひとコマで答えているのだ。 例えば最初の「リンクさせて」の答えは、おーさかの「ええよー私は心が広いから許したげるでー 海のように広い心ー」。 いいなあ(^^*)。 あとの答えはどうぞみなさんで確かめてください。
http://www15.xdsl.ne.jp/~azuma/menu210.htm
しげ、12時前に帰宅、二人で「めしや丼」に向かう。 とっくの昔にしげはウキウキしていて「これからラブラブになろうね」とかアホなことをこいている。 これだからしげと真剣にケンカになることがないのだ。
ポール・ジェニングス、吉田映子訳『PJ傑作集1 ありえない物語』(トパーズプレス・1121円)。 オーストラリアの作家、ジェニングスの短編集第1弾。 あと『とても書けない物語』『がまんできない物語』『想像もつかない物語』『先の読めない物語』『信じられない物語』『やってられない物語』と続いてるらしい。 ヒトコトで言えば、現代版オー・ヘンリーと言った趣きのアイデア小説集。 なぜか言葉の最後に「シャツも着ないで」と付けなければ喋れなくなってしまった少年の物語や、時限つき接着剤を売りつける詐欺師の運命を語る話や、便所に出る幽霊の話など、設定は面白いんだけれど、「どれもどこかで読んだことがあるような」という印象がしてしまうのがちょっとネックか。 もうここ7、8年のロングセラーになってるらしいけれど、この手の小説が読みたければ、フレドリック・ブラウンの短編集をまず読んでほしいね。『天使と宇宙船』とか。
マンガ、石ノ森章太郎『歯車 石ノ森章太郎プレミアムコレクション』(角川ホラー文庫・820円)。 『マスカーワールド』に続く角川ホラー文庫の石森章太郎アンソロジーの第2弾。第1弾の方は全作読んでたんで買わなかったのだけれど、今回は『石森章太郎読切劇場』の完全収録を初めとした、雑誌掲載のみの作品の単行本化。これが嬉しいね。 何より巻頭が名のみ有名であった小松左京原作による『くだんのはは』! 正直な話、私は『くだんのはは』がそれなりの佳作だとは思うけれど、ホラー中のホラー、大傑作とまでは思ってない。ギャグとホラーは紙一重、とは言うが、その「ギャグ」の方にちょっと傾いちゃったかな、というのが私の印象だ。 ましてや「絵」で見せるマンガが、アレを笑わずに見せることができるのか、と考えたら、むこりゃ結構難しいんじゃないかと私が危惧するのも原作を読まれてる方にはご理解いただけると思う。 一読して見て、途中までの展開はナレーションに頼り過ぎている面はあるものの、油の乗りきっていたころの石森さんのテクニックが縦横無尽に駆使されていて、戦時中を舞台にした原作の厚い雲に閉ざされているかのようなどんよりとした雰囲気をうまく出している。でも肝心のラストは……やっぱりいただけない。やっぱりちょっと笑ってしまった。怖い人には怖いのだろうけれど、アレを怖く見せるにはやはりページが足りなかったのではないか。つーか、アレをはっきり絵にしちゃ、やっぱり笑いしか起こんないような気がするんだけれど。 ホラーとしては『読切劇場』のいくつかの短編の方がよっぽど怖い。 石森章太郎自身をモデルにした『鋏』。新進マンガ家と、そのファンである二人の少女の淡い恋。けれどそれはマンガ家の婚約で無残にも引き裂かれる。 その大半はフィクションだろうが、もしかして本当にあったことかも、と思わせるのは、少女の一人が、自分の身に起こったことを、まるでもう一人の少女の身に起こったことのように語る、その「虚構性」のゆえにである。 ほかにも『怪談雪女郎』や『遠い日の紅』などはまるで一編の映画のようだ。 これだけの傑作シリーズが今まで一部を除いて埋もれていたというのは、なんとモッタイナイことであったか。 ラストの『マタンゴ』はもちろん東宝映画とのタイアップ企画。 ページ数が少なすぎてとても映画ほどのインパクトは与えられないが、これはまあ、CDならボーナストラックと言ったところか。
呉智英『マンガ狂につける薬21』(メディアファクトリー・1260円)。 日本にはこれだけマンガが氾濫してるってのに、マンガ評論家としてコンスタントに本を発行してる人は意外と少ない。 雑誌の書評自体はあちこちで見かけるんだけれど、単行本として纏まっちゃうと売れなくなるのかもなあ。 だいたい、評論ってのは読んでてそんなに面白いものではない。 ただの感想なら「ふーん、アンタがそう思ってるだけでしょ?」と言われりゃそれまでだから、評論それ自体が「読み物」として面白くないと読者はワザワザ手に取って見ようという気にならないのである。 いしかわじゅん・唐沢俊一・米沢義博の諸氏も、それぞれにマンガ評論があるが、あとが続かない。となると、今、最も意欲的かつラディカルに評論本を出し続けているのは「呉智英」ということになるのではないか。 呉氏は評論の有効性について次のように語る。 「もちろん、最終的な評価は読者一人一人が決めることである。しかし、評価を決めるに際し、適切な評論や解説は必要なのだ。外国の小説を原書で読むには辞書が必要である。これと同じことだ」 当たり前のことを普通に語ってるだけなんだけれど、これが現実問題として過激な言質に受け取られてしまうのは、それだけ受け手である読者が傲慢になっている証拠だろう。あるいは脆弱な自分の精神を守るために頑なになっているのか、自分の好き嫌いだけを絶対に主張して、他人の価値観を入れようとしない。 マンガ読者にはその傾向が特に強いように思う。その風潮を吹き飛ばすためにも呉さんにはもっともっと頑張ってほしい。
『ダ・ヴィンチ』連載のこのマンガ評論集、秀逸なのはマンガと活字本とを同一の俎上に乗せて、多角的な視点で作品世界のモチーフを浮かびあがらせていく手法だ。 作品世界の中には実に様々な情報があり、必ずしもそれがメインテーマとは関わりがなくとも、「時代の象徴」として作者自身、無意識のうちに表出してくることがある。それを小説との比較によって明確化することで、飛ばし読みをしていた時には気づかなかった新しい視点を読者は得ることができるのだ。 例えば唐沢なをきの『怪奇版画男』と森鴎外の『百物語』を比較し、「くだらない、意味がないから面白い」と説く。活字史上主義者が聞けば、「文豪鴎外とどこの馬の骨かわからぬマンガ家とを同等に扱うとは何ごとか!」と激昂しそうだが、ホントにこの『百物語』という小説、徹頭徹尾作者の分身と思しい主人公がぼんやり取りとめもないことを考えてるだけの作品なのだ。 というか、実は鴎外にはこの手の小説が意外に多い。『舞姫』や『阿部一族』、『高瀬舟』と言った作品ばかりが云々されて、鴎外は近代の苦悩の象徴みたいに言われることが多いが、「別に難しいこと考えたって人生面白くないしー」と、本作や『寒山拾得』みたいな小説も書いているんである(『寒山拾得』は日本文学史上屈指のまぬけ小説なので、まぬけギャグが好きな人は読んでみよう)。 人生の苦悩を描くものがブンガクだ、と思い込んでいた人にとっては、目からウロコであろう。多分この本読んだあとはウロコが軽く10枚くらいは落ちると思うから、マンガ好きはぜひ読んでみよう。ただし、評論という性格上、ネタバレが圧倒的に多いので、まだ読んだことない本の批評を読む時には気を付けるように。 『くだんのはは』も、引用の絵も文章でも、しっかりオチをバラしてるんだもんなあ。
2001年06月10日(日) ハカセ、負傷?!/『少女鮫』2〜5巻(和田慎二)ほか
| 2002年06月09日(日) |
チキュウは狂気で回ってる。/『全日本妹選手権!!』1・2巻(堂高しげる)/『おごってジャンケン隊』5巻(完結/現代洋子)ほか |
昼過ぎまでみんな爆睡。 よしひと嬢も昨夜「ワールドカップまでに帰れたらいいですから」ということなのでゆっくり寝てもらう。風呂には入れてあげられなかったけれども(^_^;)。 天神を回りたいと言うので、1時にまだ寝ていたしげを叩き起こして車で送らせる。しげは近くの駅まで送って帰ってくるがそのまままた寝る。ホントによく寝てられるもんだ。
ネットサーフィンしている最中に、突然、よしひと嬢から電話。 「あれ? どうしたの?」 「あの、道に迷って……」 やっぱりかあ! いや、帰りまでは油断してたな、こちらも。 「今どこにいるの?」 「ショッパーズプラザです」 「行きたいのは?」 「ジュンク堂」 これもちょっと裏道に入るだけで、ほとんど一本道じゃん(-_-;)。 初めての道じゃないはずなのに、この子はなんというかもう。 なんとか道を教えたけれど、さて、ちゃんとたどりつけたかどうか。
アニメ、『サイボーグ009』第33話「結晶時間」。 原作短編の中でも人気の高い一作を内容を膨らませて初の映像化。 ある日、ギルモア博士に身体のメンテナンスを受けた009、目覚めた彼は、まるで時が凍りついたかのように静止しているギルモア博士や003の姿に気付く。加速装置の故障!? 一人取り残され、絶叫する009。 そんな中、彼は街中で今まさに大爆発が起ころうとしている事故を目撃して……。 爆発事故を阻止するエピソードはやや余計な印象も受けるが、止まっている人々を動かそうとすれば空気の摩擦で燃えてしまう、というのはシバリとしてはなかなか面白い。摩擦熱はスピードだけの問題じゃなくて移動の距離にもよるからそんなに簡単に発火しないんじゃないかとは思うけれど、要はいかに犠牲者を出さないかってことが眼目なんだから、アイデアとしては悪くない。 作画もよく動いてるし、ここしばらくのエピソードの中でも、佳作の部類に入るだろう。このレベルを落とさずにいてくれたら嬉しいんだけどもなあ。 サッカーワールドカップ、で日本がロシアに1‐0で勝利。 案の定、川に飛びこむバカや打ちこわしするバカや交通違反しまくるバカが全国で続出、もう日本中が狂い始めた。 あちこちの日記見てると、この状況に熱狂してる人、嫌悪してる人、いろいろだけれど、所詮は個人的な感想のレベルに留まっている。 本来は、数あるスポーツの中での一つに過ぎないサッカー、たいした規模のイベントになるはずもないものが、なぜか大々的に、それこそ歴史的イベントででもあるかのようにイメージ戦略が繰り広げられている異常さ、危険さについて指摘する人がもうちょっといてもいいんじゃないのか。 この狂気はいったい誰が何のために仕組んでいることなのだ。
ロシアでは負けた途端、暴動が起こったとか。ニュースでは「日本人はおとなしい方ですね」とか言ってるけど、負けてりゃ日本にもそんな奴が出るって。どうせそんな闇の部分は報道しないだろうが。 ロシアでは極右翼として知られるジリノフスキーというおっさん、日頃から「日本に北方領土は渡さん!」とか絶叫してたんだけど、「最も危険なサポーター」として来日、「日本が勝ったら北方領土返してやるよ」と豪語。こういうおっさんが堂々と政治家やれてるってことは、それだけロシアの反日感情も強いってことなんだろう。日本の政治家の失言だけが問題なわけじゃないね。 試合の前は「ロシアが負ける可能性? 有り得んね」とかハナで嗤ってたのが、ロシアが負けた途端、アタマ抱えて「オーノー!」とか(いや、ロシア人だからそうは言わないが)叫ぶパフォーマンスぶり。 で、政治家として公約は守ると言わんばかりに「一点負けたから島一つ返してやるよ」と約束。おう、今、ジリさんに政権取らせてあげたら北方領土帰ってくるぜ。誰かロシアに行って運動しないか(^o^)。
マンガ、堂高しげる『全日本妹選手権!!』1・2巻(講談社/アッパーズKC・各530円)。 岡田斗司夫さんがハマってたり、「ちゆ12歳」なんかで誉められてたので、つい買う。 おう、なかなかのアタリ(^^)。 オタクマンガとしては『濃爆おたく先生』をライトサイドとすれば、本作は全く逆のダークサイドへのベクトルを持っている。 第1巻の最初のマンガこそ、「理想の妹は?!」ってのをエロギャグ交えながら描いてたんだけど、ヒロインたちが漫研に所属してから、俄然「同人オタク女の生活と意見」って感じになってしまった。いや、この「意見」ってヤツがね……ムネにね……グサッと来るのよ(-_-;)。 現実でも、同人女のオタク男に対する嫌いっぷりは、同じオタクだと言うのに(だからか?)度を越してる場合が多い。けれど、そのホンネを聞く機会はなかなかなかろう。それを描いてくれてるのよ、このマンガは。……いや、だからって嬉しいわけではないが。 さて、この日記の数少ない読者(男性)のみなさん、多分全員がオタクであると思われるが(^^)、次のようなことを好きな彼女から言われたとしたら、果たして全く傷つかずに耐えることができるだろうか?
ドイツからの交換留学生マリー(名前からすると女っぽいが男。しかもバリバリの超オタク)が漫研の女の子たちに詰めよって、「な……なぜオタクはそれほどまでに忌み嫌われてるんです?」。
「外見から中身まで、すべてが女に嫌われる要素のみで成り立ってるからに決まってるじゃない」 「まず第一に臭い!」 「身なりに気を遣わなすぎよね、ツメも真っ黒いし」 「2つ目にウザい!」 「理屈っぽいヤツが多いのよね、てゆーかほとんど」 「3つ! 女の好みがウルサイ!!」 「自分のことタナに上げて清純そーで童顔な娘にしか興味ないでしょ」 「その4! 人の顔は覚えんクセして声優の声は一発で聞き分ける!!」 「まあある種の特殊技能と言えなくもないけど」 「その5! アニキャラと声優を完全にダブらせてる!!」 「だから声優とヤルのを究極の夢にしている奴がやたらと多いって話よ」 「その6! 寝室には美少女キャラのカバーの等身大抱き枕!!」 「しかも汗やヨダレのほかいろんな液体で汚れてるからカビ臭いらしい」 「その7! そのカバーを何枚も持っている!!」 「自分の服より多いって話だわ」 「その8! 会話のふしぶしにアニメのセリフを入れたがる!」 「特に富野言葉は多いよね。『ボウヤだからさ』とか『認めたくないものだな』とかね」 「その9! 夏休みじゅう美少女ゲームやってただけでひと夏の経験をした気になってる!!」 「そんなインドアな夏の思い出があるかってのよ」 「その10! 現実と虚構の区別が極めてあいまいである!!」 「コナ○に電話して『し○りちゃんに会わせて』とかマジで言うからね……」 「その11! 自分の作ったキャラの設定や世界観を他人に聞かせたがる!!」 「自己満足の世界観を聞かされ続けるのってホント地獄よね」 「その12! 他人の価値観は認めない!!」 「自分の気に入らない作品を支持する人がいると親のカタキのように攻撃するわ」 「その13! 外ではおとなしいが実の親にはウルサイ!!」 「内ベンケーというやつネ」 「その14! 非常に自虐的である!!」 「開きなおっちゃって他人の迷惑かえりみないのよねっ」 「その15! アニメキャラでしかオナニーできない!!」 「……っていつまで続けんの、コレ?」
さあ、君はいったいいくつ当てはまっているかな? ちなみに私は四つだ! 意外と少ないみたいだが若いころはもっと多かったぞ! 全然威張れることじゃないけど! 散々男がバカにされてる感じだけど、これ、ちょっと設定変えれば、全部女側にも当てはまることじゃないのか。『サイボーグ009』に入れこんでた高校生のころのくらた○こと倉○真○美なんか、モロ全部クリアしちゃうんじゃないかね。男にいろいろ注文つけたりしてるからかえって軽く見られてだめんずに引っかかったりするのだよ。 モテる女がいい女とは限らない。 本人は「私ってそんなにステキ?」とか思ってて悦に入ってるけど、男から見たら「すぐヤラせてくれそうな女」「いくら虐待しても罪悪感感じずにすむ女」って思われてるんだよ、実際はよ! そのクセ、ヒトのこと汚いものでも見るような目で見下しやがってよう! 女のほうがよっぽど自分のこと棚にあげてるぞ! 女なんて女なんて女なんてなあああああ! ……って何かツライことがあったのか、私。 ……うん……。[壁]TT)
……ヤオイ同人誌作ってるお嬢さまがた、2巻は特に必読ですぞ。
マンガ、現代洋子『領収書不可の自腹お食事コミック おごってジャンケン隊』5巻(完結/小学館/スピリッツコミックススペシャル・780円)。 現代さん、やっと産休空けしたかと思ったらまた産休で結局連載終了。最後まで似顔絵下手なままだったなあ(どのキャラクターも表情のつけ方が全部同じなんだよね)。 全部で6ページのうち、前フリとかジャンケンの部分で数ページ使ってるから、純粋なインタビューの部分が正味2、3ページ程度しかない。1巻のころからそのあたりが不満だったけど、結局最後までページは増えないまま。おもしろくなりそうなのにいつも何かが物足りないまま連載終了って印象だったね。 でもこれは現代さん一人の責任じゃないような。増ページ一つさせられなかった編集の八巻さんの実力不足ってことになりはしないか。 ゲストの一人一人にはとても触れてられないが、映画『ウォーターボーイズ』の矢口史靖監督とヒロインの平山綾の話は面白かった。綾ちゃんは宇宙人を見た経験もサムライの幽霊を見た経験もあるそうである。イロもの系はともかく、アイドルでこういうトンデモ系のカミングアウトする子っていい味出してるよなあ。ヨコオさんやツチヤさんと話が合うんじゃないか(^^)。 『仮面ライダーアギト』三人組や『忍風戦隊ハリケンジャー』などオタク度も高く、篠山紀信をデジキシンとして呼ぶなど(しかも七万近くおごらせてやがるし)、なかなか面白い企画もあったのにこれで終わりってのはやっぱり惜しいなあ。まだまだいろんなゲストに会ってほしかったのに。 最後のゲストはちばてつや(&古谷三敏&高井研一郎)。 ……ちばさん、もうエッセイやイラスト、お偉いさんの仕事なんかでマンガ描いてないんだなあ。これもたった6ページしかないのが残念。『蛍三七子』のエピソード、もっと聞きたかったのに。 ……で、結局収支計算では儲かったの? 損したの?
昨日の疲れがまだ残ってて午後にはぐったりと寝る。風呂に入ってないせいもあるかな(^o^)。
2001年06月09日(土) イカレポンチ天国/映画『大菩薩峠 第一部』(1957東映)ほか
| 2002年06月08日(土) |
いろいろあって書ききれねー/『あずまんが大王』4巻(完結/あずまきよひこ)/映画『少林サッカー』 |
ホントは休日なんだけれども、珍しく出勤。 午前中ちゃちゃっと働いて、午後から職場の前でしげと待ち合わせ。 今日はよしひと嬢も一緒に、キャナルシティで『少林サッカー』を見る予定なのである。 丁度、よしひと嬢が仕事の関係で北九州から福岡まで出て来ているので、映画に、更には公演の打ち上げまでやっちゃおうというハードスケジュールを組んでいるのだ。 繊細で病弱な私のカラダが持つのかどうか心配だが、風邪だのなんだのでしばらくクサクサすることが多かったので、私も今日はいっちょ、ぶわあーっと行こうか、って気になっている。 もっとも今日は、昨夜も仕事であまり寝ていないしげのカラダの方が心配だ。今のところ本人は「ちょっと眠いけど映画見てる間は眠らないよ」と一応は平気そうなことを言う。 夫婦揃って今日は耐久レースになるかも。
よしひと嬢の仕事が終わるのも午後。 12時半ごろ、車の中からよしひと嬢の携帯に連絡を入れる。 まだ仕事が終っていなかったので、待ち合わせ場所のみ相談。 「キャナルシティに直接集合、でいいかな?」 「はい、いいですけど」 「んじゃ、時間は何時に?」 「あの、いいんですけど……」 「何?」 「キャナルシティまで、どうやって行けばいいんでしょう?」 そうなのであった。 よしひと嬢は何度福岡に来ても、その都度道を忘れる名人なのであった(治んねーよな、この病気も)。 仕方なく道順を説明したのだが、そのうちにだんだん面倒臭くなって来た。 「……今どこにいるの?」 「あ、国際センターですけれど」 年季の入った同人オタク女であらせられるよしひと嬢が国際センターに、と聞くと、すわコミケか? と錯覚するが、ちゃんと職業関連で来られているらしい。そうかそうか、国際センターって、相撲とコミケしかやらないわけじゃなかったんだ。 「それなら15分くらいで着くから、キャナルまで乗せて行こうか?」 「あ、お願いします!」 実は、国際センターからキャナルまではバスで一本(ただし、祇園で降りて10分ほど歩く)なのである。しかし、まず絶対に確実にキッパリと紛れもなく言えることだが、よしひと嬢だけで行かせたら、絶対に迷う。たとえ一本道でも(力説)。 ウチの身内はなんでこう、難儀な連中ばかりなんだか。
よしひと嬢のお友達二人も同乗させて、キャナルシティへ向かう。 お友達のうちのお一人は、先日の公演にも来てくださった方のようで、しげの声を聞くなり、「あ、ネコの人!」と驚いたような喜んだような声をあげる。 確かにしげはネコの役だったんだけど、道端でいきなリ「ネコの人」と言われちゃまるでしげが化け猫のような。……昔、私はおカマを演じたことがあったが、その伝で行けば私は、「オカマの人」と呼ばれることになるのだよなあ。 藤田くんなどは死人の役ばかり演じてるから、「死人の人」と言われるのだ。つくづく役者というのは因果なモノである。
キャナルに到着したのが1時過ぎ。 映画が始まるまで二時間ほど間が空いているので、よしひと嬢とは一旦別れて、あとで待ち合わせすることに。 福家書店を回って、ウェンディーズで買ったマンガを読みながら時間をつぶす。 ウェンディーズも若いころは好きな店だったのだが、トシを取ってあっさりした味の方が好みになってくると、ここのハンバーガーのチーズ臭さが鼻について仕方がない。ほかのバーガー屋よりもなんだか臭みが強いように感じるんだが気のせいか?
あずまきよひこ『あずまんが大王』4巻(完結/メディアワークス・電撃コミックス・714円)。 え……? もう完結? ああ、ちゃんと進級してたんだなあ、ちよちゃんたち。 4コマものは登場人物たちがトシを取らない、というのが不文律のようになっているが、別にそうしなきゃならないと決まったものではない。もともと日本の場合、4コマは新聞掲載を中心に時事漫画としての性格を強く持っていたので、最大公約数的なキャラクターを必要としていた登場人物のトシを取らせるわけにはいかなかった。 けれど、そういう制約のない雑誌媒体の場合、人物のトシを取らせるか否かは本来自由のはずだ。なのに、現実にはキャラが無自覚なままに10代や三十路前を過ごしているのーてんきなマンガがどれだけ多いことか。中には、キャラの性格上、トシを取らせた方がいいマンガですら、十年一日の生活を続けているものもあるのだ。 それが、ちよちゃんたちはしっかり卒業してくれた。 そのことだけが原因ではないが、あずまんがのキャラたちには、見事に「命」が吹きこまれている。大きな事件も起こらず、まったりとした時間が流れていくだけの物語に、微笑し、突っ込み、切なくなるドラマがぎっしりと詰めこまれている。 ネコが好きで好きでたまらないのに、どうしてもネコからは嫌われてしまう榊さん。修学旅行先の西表島で、イリオモテヤマネコのヤママヤーに初めてなつかれた時の榊さんの表情(37ページ・ラスト)、あれは4コマ漫画史上最高のヒトコマだ。驚愕と、困惑と、歓喜が固まったあの顔。あんな絵を描ける4コママンガ家が、これまでに誰がいたというのか。これはいしいひさいち以来の4コマの快挙と言ってもいい。 凡百の4コママンガ家たち、あずまきよひこのマンガを読んで刮目せよ。
完結を記念して、キャラクターたちに勝手にファンからのヒトコト。 美浜ちよちゃん。 私がゆかり先生の立場だったら、やっぱりあなたを苛めます。飛び級なんてナマイキだぞ。けど、髪を下ろしたあなたは好きでした。 榊さん。 ヤママヤーと仲よく。多分かみねこくんも、ほんとはあなたを好きです。4コマ読んでて初めて泣かされました。 おーさか(春日歩)。 うちの妻に一番近いのがあなたでしょう。雨の日もあなたがいれば教室はお天気。人気投票1位おめでとうございます。 よみ(水原暦)。 唯一の眼鏡ッ子なのにねー、性格がも少しよかったらねー。でも、ともと付き合ったりしてたら、確かにマジメな人は性格歪むよねー。 とも(滝野智)。 意地悪だけど、男の子が一番付き合いやすいのはあなたみたいな人です。でもホントはちょっとくじけやすいところがあると見た。がんばれ。 神楽。 体育系の女の子は実はちょっと苦手。でも最後にやっぱり泣いてたねえ、女の子なんだねえ。遠くから応援してます。 かおりん。 好きな人には気付いてもらえないしヘンなやつからは好かれるし大変でしたね。いいことあるさ、きっと。 谷崎ゆかり先生。 あなたは教師の鑑です。本気でそう思います。私も学生のころ、あなたみたいな先生に教わりたかった。 にゃも(黒沢みなも)先生。 体育教師ってやっぱりバカなんですか?(^o^) 木村先生。奥さんにもう一回再登場して欲しかった(^^)。
……入れこんでるなあ、私。
3時40分からAMCで映画『少林サッカー』。 オープニング、少林寺の修行僧たちの線画が、どんどこどんどん、どどん、と太鼓のリズムで乱舞する映像がいかにもチープなツクリで、そこが映画のバカバカしさを予感させていて期待させられる。 かつて八百長試合で引退を余儀なくされたサッカーコーチが、起死回生を図って、少林寺拳法を広めようと街に出て来た青年“鋼鉄の脚”シン(監督・主演兼任の周星馳<チャウ・シンチー>)をスカウトして、最強のサッカーチームを作るってお話。 ストーリーが単純なのだから、ギャグを畳みかけるように連発して勢いをつけなきゃならないのに、前半はそれがイマイチ。伏線の張り方がミエミエなのと、説明的になりすぎてクドくなってるところが多いのだ。 シンが蹴った缶が、空の彼方に消えてキラリと星になる。高橋留美子のアニメで散々見慣れたこのギャグ、香港映画のギャグセンスが十年一日で進歩してないことが分ってちょっと落胆。日本で今これをやったら、センスを疑われることは必定だけれど、向こうじゃまだ新鮮なんだろうな。 それはまあ仕方ないことだとしても、あとでコーチのファン(呉孟達<ン・マンタ>)が、壁にめり込んだ缶を発見するシーンで、もう一度さっき缶を蹴った時のシーンをインサートするのはクドイだけで無駄。観客がそんな説明的なシーンがないと判らないとでも思ってるのかね。もしそうなら、香港の観客って、世界の映画を全然見てないんじゃないか。 太極拳を使って饅頭を作る少女ムイ(趙薇<ヴィッキー・チャオ>)とシンが出会うシーン、シンが「君の太極拳には音楽がある!」と絶賛すると、突然何の脈絡もなく異様にデカイ坊主頭の少年が立ち上がって、「ワタシもそう思う!」と主張するや否や、その場でクネクネダンスを踊り出す。 それになぜか触発された通りすがりの人々、「実は俺もダンサーになりたかったんだ!」と目の中に火を燃やし、踊り出す。ここまではいい。 シンもムイも踊りだし、路上で一大ミュージカルシーンが展開されるかと思いきや……いきなり饅頭屋の女主人が怒鳴って、「アンタたち何やってんだい!」。 途端にみんな日常に帰ってしまう。 ……何それ?(・・;) ミュージカルシーンのネタ振りだけしといて、踊りがナシって……意味ないじゃん。それに、あの坊主頭、てっきり少林チームに入るための伏線だと思ってたら、このシーンのみの出演で、あと全然出て来ないんでやんの。 なんのためのシーンだったんだ? と思っていたんだけど、あとでパンフ読んだら、このシーン、『少林サッカー』がヒットしたんであとで撮り足したボーナスシーンなんだそうな。道理で前後の流れを中断してる。 ギャグシーンをワザワザ足しといて、笑いを堰き止めてどうするかな。せめてあそこでランチキミュージカルをたっぷり見せてくれてたら、すっげーいいシーンになってたろうに。なんだか高校の映画部あたりがノリでギャグ映画作るけど、詰めが甘いって言うか、そんな感じね。 そんなこんなで、前半は相当辛かったんだけど、後半、試合のシーンになるとバカっぷりが本領発揮。ようやく画面に躍動感が生まれてくる。 “鉄頭功”一番上の兄弟子(黄一飛<ウォン・ヤッフェイ>)。 “旋風脚”二番目の兄弟子(莫美林<モー・メイリン>)。 “鎧の肌”三番目の兄弟子(田啓文<ティン・カイマン>)。 “魔の手”四番目の兄弟子(陳国坤<チェン・グォクン>)。 “軽功”六番目の弟子(林子聡<リン・ヅーソォン>)。 それぞれのキャラクターが明確なので、そのコンビネーションが楽しい。 いやもう、デブは飛ぶわ地面にめり込むわ、オヤジたちが華麗なフットワークを見せるわ、炎のボールを跳ね飛ばすわ、その見た目と技とのギャップと言うか違和感が見ていて心地よいのよ。 ドーピングで強化人間(^o^)と化した敵(こいつがまた、いかにも憎々しいヤツでいいね)の卑怯な手に、続々と倒れていく少林チーム。もはや放棄試合か、というピンチの起死回生策がなんと……! ……うまかったねえ。 それまで伏線の張り方がデタラメだったから、かえってこの手があるとは気付かなかった。もしかしたら前半、とことんタルかったのは、この結末を予測させないためにワザとやってたの?(んなワケないな) 嵐を呼ぶシュートがホントに嵐を呼んで(^o^)、試合は少林チームの優勝。敵のチームのボスを倒すのにもう一つアイデアがなかったのが惜しかったけれど。 大ブームを呼ぶことになった少林寺拳法、バナナの皮で転んでも、少林寺で宙がえり、植木を刈るのも少林寺、バスに飛び乗るのも少林寺、オチとしては予測がつく上に、これを全てCGでやってるのがバレバレだから、ちょっと白ける。けど本物の少林寺でも植木は刈れないと思うから、これは仕方がないか。どうせCGでやるならもっと派手な動きをさせてもよかったと思うけど。 前評判ほどにスゴイとは思わなかったけれど、バカ映画としては『オースティン・パワーズ』よりよっぽど面白い(ミュージカルシーンだけ負けてるけど)。 何より、三段変化する(^o^)ヴィッキー・チャオの魅力! 饅頭屋に勤めてる時には吹き出物だらけでブサイクなのに、シンは「君は美人だ」と言う。まさしくその通り。「痘痕もえくぼ」でも「主観的には美人」でもない。あのブサイクさが本物の女の美しさなのだ。あのヴィッキーを「美しい」と思えない男は、一生、女には縁がないと思え。 ……え? あなた、既婚者だけど、ヴィッキーをあまり美人だと思えなかったって? それはいずれ奥さんに愛想つかされますね。断言します。 ヴィッキー・チャオ、例の旭日旗ドレスで顰蹙買って、アイドル生命も危うかったらしいけど、この『少林寺サッカー』ですっかり持ち直したんじゃないかな。
見終わって、よしひと嬢、「笑いすぎて涙が出た」と言いつつ、まだ涙を拭っている。こういうバカ映画が彼女の笑いのツボらしい。 例のミュージカルなりそこないシーンが面白かったと言うので、「アイデアはいいけど、もっと踊らせなきゃ」と率直に意見を言う。 映画を見たあと、人と意見が異なることはあるけれど、これはどちらが正しくてどちらが間違ってるということではない。笑いの感性も一人一人違うのは当然なので、私が面白いと思ったものを人が貶しても別に気にはならないのだ。 多分、よしひと嬢も、面白かったシーンが私と違ってたからと言って、別に傷ついたりはしていないだろう。しげもそうだが、自分の感じたことを遠慮せずに言える相手がいるということは心地よいことである。
公演打ち上げまでもう少し時間があるので、よしひと嬢ともう一度、福家書店を回る。 「いつも本屋ばかりで悪いけれど」とよしひと嬢は謝るけれど、私が「本屋に行くぞ」と言うと「え〜、またぁ?」とふてくされるしげがヒトコトも文句を言わない。差別だ。 でもしげに文句言えばきっと「差別して何が悪い」と言い返すに決まってるんだよな(-_-;)。
よしひと嬢の話によれば、ワールドカップの会場近くのコンビニが、一日で一年分以上の売り上げを記録したそうである。 試合の勝敗より、こういうゴシップの方が私にはよっぽど面白い。 これだけ日本全国が騒いでくれてれば、バカ話の一つや二つは絶対出てくるはずで、そういう騒動がニュースになることをワクワクしながら期待している。 我ながら悪趣味なことだ。
飲み会の会場のある場所については、ちょっと差し障りがありそうなので、書かない。 なぜ書かないかは最後まで読んでいただければ判ります(^_^;)。 1次会はカラオケ居酒屋で、参加者は、私、しげ、よしひと嬢、鴉丸嬢、桜雅嬢、其ノ他君、つぶらや君の七名。鈴邑夫妻、ハカセこと穂稀嬢はドタキャン。ハカセは突然ウチの中でコケて捻挫したとかで、「部屋の中でどうやったらコケられるんだ」とみんな口々にここにいない穂稀嬢の悪口を言う。 みんな、つくづくいい性格をしていること(^_^;)。 藤田君はまたもや音信不通。人生転落街道を着実に降りて行ってるなあ(^o^)。
桜雅嬢が髪をシャギーにしてちょっとアヤナミレイ風にして、眼鏡もコンタクトに変えてきたので、印象が随分変わった。 「いやあ、雰囲気違うねえ」 と言ったら、「どう違うんですかあ?」と聞き返されたので、思わず返答に詰まる。 すかさずよしひと嬢が、「普通の人になっちゃったよ」と落胆したような突っ込み。 それを聞いて桜雅嬢、「普通の人って???」とキョトンとする。 ああ、桜雅嬢がニブくてよかった(´。`;)。 しかし、よしひと嬢もさりげなくスゲエこと言わはりまんなあ(^_^;)。
刺身だの揚げ物だのミニおこわだのを食いつくしながら、大カラオケ大会。 けれどつぶらや君、どういうわけか順番が回ってきてもなかなか歌おうとしない。 理由を聞いたら「今日悲しいことがあったんです」と言う。 詳しく聞いてみると、なるほど、悲しいことであった(^o^)。 「そりゃあ悲しいなあ」とかなんとか私もますますつぶらや君の心の傷をエグるようなことを言う。 本人が落ちこみたいときはどんどん落ちこんでもらったほうが親切だろうという判断なのだが、なぜかつぶらや君、急に「……歌いたい気分になってきました」と熱唱し始めた。 なんだ、ホントは元気だったのか(^o^)。
其ノ他君のリクエストで、最初から『グレートマジンガー』なんか熱唱させられてテンション高い。私と其ノ他君の二人に挟まれてる鴉丸嬢、「両脇が熱い〜」とメゲている。 途中から、カラオケに点数機能がついてることに気付いて、ボタンを押す。 途端に鴉丸嬢、「誰だよ、点数機能押したのは!」と文句をつける。「遊びでいいじゃん」と答えると、「歌手本人が歌ってもカラオケって高得点出ないんだよ」とか一生懸命言い訳しながら歌う。 ……なるほど、低くはないが、そんなに高くない点数。私より歌はずっとうまいと思うんだが、機械は非情だ(^^)。 どうやら鴉丸嬢、ホンネは負けず嫌いな性格だな。 カラオケではできるだけアニソンシバリをしているので、『めぐりあい』を歌ったら、85点でその日の最高点数。更に『乙女のポリシー』をダミ声で歌ったら(以前、ZUBATさんが歌って受けてたのでパクりました)、みんな抱腹絶倒。其ノ他君などは腹を押さえて倒れている。……いや、みなさんの耳に悪いものを歌ってしまいました(^_^;)。でもこれで持ちネタが増えた。 つぶらや君、「『乙女のポリシー』にだけは負けたくない!」と熱唱するが、どうしても勝てない。「すげー口惜しい!」と未練が残るうちにオヒラキの時間。
よしひと嬢の「もう一軒行こう!」の鶴のヒト声で2次会に雪崩れこみ。 明日が仕事だという其の他君だけ、ここでお別れ。 このあたりは鴉丸嬢のシマなので(^^)、「あ、安いとこ知ってるよ」の言葉を信じて、なんだか細くて暗い階段の上にある秘密クラブみたいなところに入りこむ。この階段がまた悪趣味で、階段踏むたびに不気味な音がびいーん、びいーんと鳴る。 おかげで階段昇ってる間、オバケ屋敷の類が大の苦手のしげ、よしひと嬢に手を引いてもらって、目をつぶりながらビクビク昇っている。 登りきったドアの向こうもムチャクチャ悪趣味。壁はどす黒い洞窟風だわ、髑髏だの化け物だのがディスプレイされてるわ、床は死体検分の跡が白線で描かれてるわ、カラオケボックスとしてのコンセプト勘違いしてないか? 値段を聞いてビックリ。三時間で千円って……、どうしてそこまで安い? 「ここねー、こないだレイプ事件があったのー。女の子が彼氏と来てたんだけどー、男二人で彼氏の方押さえつけてー、そのスキに女の子のほうやっちゃったってー。だからこんなに安くなったんだよー。でもやっぱり客来ないのー」 そんなとこ連れて来るなよ、オイ(-_-;)。 鴉丸嬢もわざとのほほんとこんなこと喋ってみせてるけど、こういう自分はしっかりしてるつもりで実は全然無防備なところが悪いヤツにつけこまれやすい点なんだってこと、まだ気付かんのかな。 でも来ちゃったものはしょうがないので、3時間歌いっぱなし。 私はやっぱりアニソンシバリだし、桜雅嬢はなぜかラテンな歌ばかり歌うし、部屋のムードに合わないことったら。別にレイプ魔が襲いかかってくることもなく、散会。時間はもう夜中の2時。
しげ、もう眠くてフラフラだが、後部座席にみんなをムリヤリ押しこんで、それぞれの住まいに送る。 「大丈夫だよ〜、居眠り運転、まだ2回しかしたことないから〜」ってオイ(・・;)。 鴉丸嬢、桜雅嬢、つぶらや君と送って、ウチに向かうころにはもう、よしひと嬢は後ろで舟を漕いでいた。コンビニで簡単な食料を買って帰宅。我々もさすがに疲れ果てて、グッスリ寝る。 ……なんとか持ったな、今日一日。ほっ。
2001年06月08日(金) 子供の命は地球より軽い/映画『ハンニバル』
| 2002年06月07日(金) |
野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』 |
まだ月初めだというのにもう貧乏。 仕方なく晩飯は買い置きのコンビニ弁当を食う。 コンビニの弁当のメニュー、どこでも一定の割合で中身を切り替えてるみたいだけれど、最近は幕の内の値段が高くなってきてやしないか。 同じ幕の内でも昔は300円くらいのと500円くらいのと、に、3種類はあったものだが、ウチの近所のコンビニでは500円程度のものばかり。けれど栄養のバランス考えると、これしか食べられるものがないんだよなあ。
椅子の肘置きに寄りかかりながらネットを散策していたら、突然、その肘置きのネジが外れる。どうやら私の体重を支えきれなくなっていたらしい。 慌ててねじ回しを探すが、しげが思いついた時にいきなリ間取りを変えたりしてるので、どこにあるんだか解らない。 しげは帰宅そうそう、グーグー寝入ってしまっているので、場所を聞いても寝惚けてフガフガ言ってるだけである。 なんとかプラスのねじ回しを探し出して、ネジを嵌めたが、なんだかそれでも椅子が心持ち傾いているように感じる。 やっぱり体重が増加してきてるんだろうか。
岡田斗司夫さんの「オタク日記」、4月29日(月)に、押井守についての記述があるのを見つける。 『うる星やつら』以降、私は押井守作品はアニメ・実写を含めて、見られるものは可能な限り見てきている。『パトレイバー』や『攻殻機動隊』のような有名どころはおろか、必ずしも押井守の個性が出ているとは言い難い『ダロス』や『ニルスの不思議な旅』や『レムナント6』あたりまでチェックしているから、一応、「押井フリーク」と自認しても構わないだろうとは思っている。 ただし、「ファン」ではあっても、「信者」じゃないことは先に明言しておく。でないと、あとあといろいろとモンダイが生じそうなんで(^^)。 さて、やたらテツガクしたがる押井作品が、オタク的エンタテインメントに徹するアニメを作り続けてきたガイナックスの元社長である岡田さんのシュミに合わないことは予め容易に想像がつくことである。果たしてどんな悪口を展開してくれてることやら、とワクワクしながら読んでみたら……。 うーむ、意外にもある程度感情が抑制されてるきちんとした批評。押井守信者から攻撃されることを懸念して舌鋒を緩めたのか、まだなにか含むところがあるけれども口に出せない事情でもあるのか。 ちょっといくつが疑問もあるので、引用しながら考えてみる。
>「僕はオシイストではない。かと言って、自分をアンチ・オシイストとも思わない。」
立場を最初に明確にしなければならないと言うのが、ファン(あるいはファンでない人)に「気を遣っている」んじゃないかと感じるところ。 いや、特に気を遣ってるわけではなくて、単に「私は押井作品を完全否定するような偏狭な人間でもないし、かと言って絶賛するほどのバカでもないよ」と言いたいだけかもしれない。けれど、私自身の経験から言っても、「信者」のいる人に対して、自分の立場を明確にせずに何かを語ると、それがちょっとした否定(肯定でも同じだけど)であっても、肯定派否定派の両方から拡大解釈されてヒステリックな攻撃を受けてしまうのである。 わかりやすい例が「小林よしのり」について語ること(^_^;)。「いくらなんでも三十万は殺してないよな」と言っただけで、私ゃ職場で「南京大虐殺否定派」の「軍国主義者」と見なされた経験があるからね。 要するにノンポリがウヨクサヨクの対立に巻きこまれる苦労を想定していただければいいわけなんである。アニメファンにとって押井守はなぜか「思想」を語るための作家になっちゃってるのだな。だから「押井のどこがいいんだよ。似たような映画しか作れねえクセに」とか言おうものなら、ヘタすりゃ一時間がかりで読まなきゃならないようなメール送りつけられちゃうことになるのである。世の中、粘着質の人も多いから。 私ももう一度繰り返しますが、押井「ファン」ではあっても「信者」じゃありません。だから、私が誉めたり貶したりしたことに対して、過剰な同意、ないしは反論を寄せられても返事のしようがないからね。
>「UFO信者は、信じない人をすべて『否定派』と括ってしまう。しかし実際に議論してるのは『信者』『否定派』『懐疑派』の3種であろう。この意味で僕自身は『押井懐疑派』だと思う。押井作品の素晴らしい部分を褒め称えるにはやぶさかではないけど、だからといってダメな部分までも『確信犯だから』とイイワケしてやる気にはなれない。
ああ、私も「押井さんのアレは『確信犯』だから」と擁護することあるなあ(^_^;)。 例えば、いつものあの「もしかしたら、今、私がここにいる現実の世界は現実の世界ではないのかもしれない」というヤツだけどね。一度や二度ならともかくも毎回に近いからねえ。「しつけ〜ぞ」という声が出てくるのも判る。 ただ、ここで考えておかなきゃならないことは、批評するにあたっては二つの立場があり、批評者自身、自分がどちらの立場でモノを語っているのか、ハッキリと自覚しておかねばならない、ということだ。 一つは、自分に確固とした思想信条があり、その視点で対象を批評する立場。 もう一つは、自分の思想はともかく、作者の意図を分析して、その意図通りに作品が成立しているかを批評する立場。 どちらが批評として有効性を持つかというのは一概には言いきれない。 しかし大事なことは、片方の立場のみで対象を判断すれば、それは明らかに「方手落ち」な批評になってしまうということだ。 前者のみの立場でものを見ると、極端な話、「私はアニメが嫌いだから全てのアニメを否定します」「私はSFなんてクダラナイと思うから」「私はミステリなんてツマラナイと思うから」なんて偏見が「批評」として成り立ってしまう。 後者のみだと、ヒトラーの『わが闘争』なんかも全面肯定しなければならなくなる。文章の論理性、という点でのみ評価すれば、あれも「名著」と評価しなけりゃならなくなるからねえ。 特に前者の批評方法は、まずもって作者の心には響くものではない。 「そりゃアンタは自分の見方でモノを言ってんだろうけど、俺には俺の見方があるんだから」で一蹴されてしまう。押井さんが同じような作品ばかり続けていること自体を批判したって、屁とも感じられはしないのだ(誰かスタッフが「また犬か鳥を出すんでしょ」って言ったら怒ってたそうだが)。 私は、押井さんが「似たような」モチーフばかりを使ってはいても、その表現効果については『うる星2』のころと『アヴァロン』とでは格段に上達してるなあと思ってるので、全く気にはならないんだけども。岡田さんの言う「ダメ」な部分には多分に前者の見方に偏ってる気がするな。
>「映画作家としてみれば、僕にとっての押井守は『バランスが悪いけど才能が凄いので、そんな欠点は無視できる』というあたりだろうか。才能、というのはケレンみのある、ハッタリのきいた絵を作らせればおそらく世界一、という部分だ。ハリウッドの監督たちがインスパイアされるのもムリはない。とにかく『圧倒的にカッコいい!』のが押井作品の特徴だ。 バランスの悪さ、というのは、たとえば音響設計のセンスが悪いというところ。『攻殻機動隊』のタイトル見たときは笑った。超精密機械であるはずのアンドロイド組み立てシーンで、鳴るSEが『シャキーン』『ガシャコーン』だもんなぁ。」
「ケレンみのある、ハッタリのきいた絵」というのがどのあたりを指してのモノイイか分らないから、「世界一」と言われても、逆に「そりゃどうかな?」という疑問が湧く。 映像作家は基本的にみんなそういう絵を作ろうとしてるんだからねえ。バスター・キートンは? オーソン・ウェルズは? スタンリー・キューブリックは? フランソワ・トリュフォーは? 黒澤明は?(キリがないからやめよう)そういう人たちは「ハッタリの利いた絵」を作ってきてはいないの? それともこれは「現役作家」に限定されてのモノイイ? それなら、ジャン・リュック・ゴダールは? リュック・ベッソンは? 宮崎駿は? 私は「押井さんらしさ」が出ている「絵」と言われると、『御先祖様万々歳』や『パトレイバー2』他でも頻繁に使う「凸レンズ越しの映像」が真っ先に思い浮かぶんだが、あれは「圧倒的にカッコいい!」かね。覗いてる方が実は覗かれてて(映画の中での役者と観客との関係が置換される)そのおかしな姿が曝け出されてる状況が面白いのである。そういうのって、どっちかっつーと、「適度にダサくて情けない」からイイと思うんだけどね。 だから、『攻殻』のSEが「ガシャコーン」でも一向に構わない(もっとも私には「チュイーン」と聞こえるけど)。いや、「ガシャコーン」のほうがずっといい。押井作品ではリアルに見えるもの全てが実は現実じゃなくて、寓意なんだから。でなきゃ、それこそ近未来SFのテーマソングに「祝詞」なんて古臭いモノを使うわけないし。 押井さん自身が巧む、あるいは巧まざるに関わらず、押井作品においては、現実との「違和感」はあったほうがいいんである。
>「これは個人的な好き嫌いになるけど、押井作品の小児的なところは苦手だ。 たとえば『パトレイバー2』というアニメ。 映像は素晴らしい。もうセルアニメの頂点じゃないか,と思う。 しかしシナリオというかキャラクター造型がいただけない。柘植という登場人物は映画冒頭、『部下を見殺しにしなければいけなかった』という事件で、心に傷を負う。しかし彼は『日本に復讐する』なる心情的というかロマンチックな革命ごっこを実行し、当然ながらそれは破綻して逮捕される。行動原理がダダっ子というか、全共闘世代特有の『甘え』に満ちているので、僕は感情移入できなかったのだ。 (彼の主張を良し、とできるなら、上層部の理不尽な命令でリストラをしている人事課長には,すべてテロルの権利があることになる。バカな。甘えるのもいいかげんにしなさい。こういう理屈をこねるヤカラと、それに同調する自称『弱者の味方』があんがい多いから、ゆうきまさみ版『パトレイバー』では、内海課長は倒れなければならなかったんだけどね)」
柘植、主役じゃないから感情移入できないって言われてもなあ。 だいたい「小児的」だからこそクーデターなんてことを起こすわけで、そんなこたー、三島由紀夫や麻原彰晃を見てればよく分る。 この雑然としていて混乱の象徴でもある東京って街を、いっぺんぶっ壊してみたいってのは、多分いろんな人が思ってることで、それは例えば怪獣映画という形になって表れているわけだ。『ガメラ』シリーズの脚本家である伊藤和典さんは、『パト2』を明らかに「怪獣のでない怪獣映画」として構成している。 東京を破壊したい。 破壊できるものがあるとすればそれは自衛隊である。 自衛隊にクーデターを起こさせる動機はなにか。 そう考えていった結果があの動機なわけで、脚本としては全く問題がない。 もっとも、この部分の感想は岡田さんも「個人的な意見」と断ってるから、物語上の人物造型としてはあれでいいってことはご理解されているのだろう。 確かに感情だけで言えば、私も「南雲さん、アンタ男を見る目ないよ、柘植見たいなバカより後藤さんのほうがよっぽどイイじゃん」と言いたくなるけどね。もっとも「南雲さんに男を見る目がない」というのも、設定にあることだから仕方がないんだけど。 だからあの映画は後藤さんと荒川さんを見て楽しまなきゃ(^^)。
>「僕の感じる違和感は『なんか尾崎豊みたいでイヤ』、といえばわかってもらえるだろうか。 『中間管理職の恨みをロマンチックな革命ごっこでウサ晴らし』、というのと、『管理社会が嫌だからといって、夜に校舎の窓ガラスを割る』というのは、同種の小児的甘えである。熱狂的な『信者』が多いのも共通している。 いや、尾崎の音楽や押井の映画を全否定しようとは思わない。そういう音楽や映画が必要な時期は誰しもあるし、そういうものに傾倒する人は人一倍感受性の強い人だというのも理解できる。しかし、周囲に迷惑をかけることによってのみ自己をアピールし、しかもそのダメさ加減を『確信犯』と言い繕うことでなにか弁明した気になっている。そういうメンタリティを僕は共有できない。要するにそのあたりで僕は『押井信者』になりそこなっているのだろう。」
押井守が死んでも、葬式に長蛇の列はできんと思うが(^o^)。 「中間管理職」ってのがつまりは「犬」ってことなんだろうけれど、さて、押井さんは「犬」であることにウラミを持っているのかな。押井作品の大半が「革命の挫折」から物語は始まっているので、「革命」自体がまさしく「ロマン」というか「幻想」に過ぎなくて、そんなものじゃウサバラシにもならないってことを描いてるのが、押井作品だと思うけどな。 『紅い眼鏡』でも、繰り返される百々目紅一の「帰還ごっこ」に対して、「全くいつまでこんなことが続くんだ」と室戸文明に言わせてるし、『人狼』でも革命家の「赤ずきん」は二人とも狼に食われるし、「革命ごっこ」してる連中への「制裁」は厳しい。 もちろん、イマドキ「革命」を描こうとしている作家活動自体、押井さんの心の隅のどこかに、チラリと「この平和ボケの日本で革命が成功したらいいな」という「甘え」があることは事実だろうけれど、形の上で一応は否定しているものを「実はホントは革命好きなんだよな、押井さん」と言っちゃうのはどうか。 それに「心の隅」ということで指摘するなら、「犬でいいじゃん、革命なんかしなくっても」って相反する思いも押井さんの中には確実にあるんで(っつーかそのアンビバレンツが押井作品のモチベーションになっている)、そちらの方を無視して、一方だけを掬い上げるのは、批評としてはどうだろうか。 そんな中途半端な批判のしかたが成り立つなら、「岡田さん、ホントはあなた、押井さんが羨ましいだけなんでしょ」ってのも批評としてアリになっちゃうけど。 「周囲に迷惑をかけることによってのみ自己をアピール」というのも、果たして本当に「迷惑」かけてるのはどっちなんだってことを考察しないと、意味ないと思うけどね。既成の概念に疑義を差し挟む(あるいはひっくり返す)のがSFの普通の手法なんだし。
>「じぶんなりにまとめると、押井監督はアニメ監督としてはベスト3とは言えないだろうが、充分ベスト5に入る、と思う。りんたろうより上だけど、富野カントクより下、というあたりだろうか。」
押井さんはアニメより演劇やったほうがいいよな、とは私も思う。 けれど「オウム真理教は自分が生み出した」と責任感じてる人よりも下かねえ。 いや、作品と作者の信条は別、とご批判される向きもあろうが、『ブレンパワード』みたいなノーテンキ「話しあいましょう」アニメを誉めるくらいなら、私ゃ押井アニメの方をずっと見たいぞ。まあトミノさんが壊れてく様子を追っかけるのはそれはそれで楽しいけれども。『∀ガンダム』、途中までしかまだ見てなかったなあ。DVDは全巻揃えてるのに。
>「ああ、こんな金にもならない原稿を延々と書けるなんて、本当に鬱が治ったんだなぁ。」
そう言えば個人のHPって、みんなホントにカネにならないのに気を入れて書いてるよなあ。 私もこれだけ書き続けてる以上、口が裂けても自分が「鬱」だとは言えない。時々言ってるけど(^_^;)。
録画ビデオで映画『血とバラ』(1960・仏=伊合作)。 言わずと知れたジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュのゴシックホラー『吸血鬼カーミラ』のロジェ・ヴァディム監督による映画化である。 ゴメン、こんな有名な映画、今まで未見でした(^_^;)。小説の方も実は子供のころにダイジェスト版でしか読んだことない。あとは『ガラスの仮面』の劇中劇か? 姫川亜弓がカーミラだったねえ(鴻上尚史はこの乙部のりえがとっちめられるエピソードが大好きらしい)。 「カミーラ」とか「カーミラ」とか、日本語表記は一定してないけれど、発音を聞いてみると、「カ(ル)ミーラ」(アクセントは「ミ」にあり)って感じ。 こりゃ表記不可能だわな。フルネームはカーミラ・フォン・カーンシュタイン(カーミラ・フォン・カルンスタイン)。なんだか名前だけ聞くと吸血鬼の系列より人造人間の系列みたいに聞こえるね。 冒頭、いきなり飛行機の滑走路か現れて度肝を抜かれるが、これ、なんと現代(第2次大戦後のローマ近郊)の物語にアレンジしてあるんだね。けれど、古いカーンシュタイン家の描写が始まると、これってホントに現代? と言いたくなるような屋敷、衣装、風俗がバンバン登場してきて、監督がやはりこの映画を現代の「御伽話」として描こうとしているのだということが伝わってくる。 語り手はカーミラ(アネット・ヴァディム<ストロイベルグ>)自身。このあたりも原作を脚色。原作はローラという少女の一人語りなんだけれど、これが映画ではジョルジア(エルザ・マルティネリ)という女性に置き換えられて、彼女の婚約者・レオポルド(メル・ファラー)を、この二人の女性が奪い合う展開になっている。 カーミラはこの争いに敗れて、失意のうちに先祖のミラーカの墓に赴くのだけれど、ここでかつての吸血鬼の悪霊に乗り移られる……ということになるのだね。「表面的」には。 「表面的」と言ったのにはわけがあって、実はこの映画、明確な吸血シーンは全くないのだ。 カーミラが「血が欲しい」と言って召使の少女を追いつめる。迫るカーミラのアップで画面は切り替わる。あとで崖から転落して死んでいる少女が発見され、首筋に傷が残っていることが確認されるが、「崖から落ちた時に付いたのだろう」と判断される。 作男は、森で「自分の体をすりぬけて行った女の幽霊を見た」と騒ぐが、実際はカーミラは横を通りすぎただけだ。 カーミラは自らの衣服についた血に恐怖するが、それは鏡に映った時にしか見えない(つまり、本当は血などついていなくて、それが見えるのはカーミラだけ)。 つまり、カーミラが吸血鬼であった証拠はどこにもないのだ。主治医は、最後に判断し、レオポルドに告げる。「君が彼女の気持ちに答えなかったことが彼女を追いつめ、自分を吸血鬼だと思いこませた」と。即ち「吸血鬼」とはカーミラ自身の妄想だったというのである! しかし、カーミラは最後に語る。信じようと信じまいと、自分はこうして長い年月を生きて来たのだと。新婚旅行に旅立つ飛行機の中で彼女はそう呟いたのだ。ジョルジアのカラダに乗り移って。 この結末も、心理学的には「カーミラを死に追いやった罪の意識から、ジョルジアは自分がカーミラ自身だと妄想するになった」ということなのだろうか。そう取れなくもない結末ではある。しかし、だとしたら女はなぜ永遠の命を夢想してしまうのか。それは女が「愛」という「無形」のものに自らの命を賭けているからだろう。少なくとも、カーミラとジョルジアという二人の女性に関してはそのようにしか見えない。 ジョルジアは、カーミラがレオポルドを愛していると知りながら、「でも、私、カーミラのこと嫌いになれないの」と呟く。果たしてそれは真実の言葉であったか。もしや、無意識のうちに発せられた勝者の余裕の発言ではなかったか。 その言葉を聞いたカーミラがどのような思いに駆られるかを想定すれば、到底口に出せないはずの言葉であるからだ。 一つだけ、「吸血鬼=妄想」説に疑問を抱く余地のある描写があった。カーミラの持ったバラが、一度だけ色褪せ、散ったのだ。……これだけは「妄想」では片付かない。それとも、これはただの偶然なのだろうか。
2001年06月07日(木) MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか
| 2002年06月06日(木) |
つまりシロクマって保護色?/『愛はめんどくさい』(まついなつき)/映画『原子怪獣現わる』ほか |
今日は職場で敷地内の除草をする。 ウチの職場では定期的な作業なんだが、私が「今日はオレ、ジョソウするよ」と口にするたびにしげは笑うのだ(説明の必要はないですね)。けれど笑われるこちらのほうがいい加減シラケてるんだが。 作業が遅れて、しげ、また駐車場で待たされる。 けれど、今日は予め「遅くなるかもしれない」と言っておいたにもかかわらず、しげ、またブチブチと文句を垂れる。気を遣っても遣わなくても結局は文句言われるんだったら、最初から何も言わないほうがマシじゃん。 こういうときは会話するのも億劫になるので、車の中ではずっとそっぽ向いてた。おかげでしげ、ますます機嫌が悪くなるが、こちらも付き合えるエネルギーがないときはどうにも仕方がない。
一応、嫌ってるわけじゃないことを示すために、今日もしげのバイト中にリンガーで食事。 西日本限定(これが多いな)の「麺'sサラダの中華タレ味」のBセット。要するに皿うどんをクレソンやらプチトマトやら生野菜であっさり仕上げたということなのだが、これが結構な美味。「ひとくち餃子(9個)〜特製からかじゃん味〜」をつけて930円だけど、社員割り引き券をもらってるので20%引きの744円。 しかも今日はどういうわけだかコールドドリンクもサービスしてもらえた。素直にラッキー♪ と思ったけれど、しげの身内だってことは知られてても、こういうサービスを受けたことは今までに一度もない。どうして今日に限って? と首を捻ったが、もしかしたら、こないだここで『クレヨンしんちゃん大全』を読んでるのを店員さんに見られてたのが原因だろうか。しげの話によれば、相当ウケてたみたいなんである。そのお礼(?)だとしたらトシを顧みず(顧みたことなんてないが)『クレしん』ファンでい続けたことによる唯一の幸運であろうか。ホントに唯一だったらサビシイが。 けれど、こういうタナボタ的幸運があると、それがどんなに些細なことであっても、なんだか随分得した気分になる。この程度で機嫌がよくなるんだから私の脳も単純な構造してるけどな。
唐沢俊一さんの「一行知識掲示板」に、ご本人が「白熊は自分の体で唯一黒い鼻の頭を見つけられないよう、アザラシなどを狩るときは片前足で鼻を隠しながら近づく」と書きこまれていた。 あっ、これはシティボーイズライブでいとうせいこうさんが言ってたギャグではないか。私ゃてっきりこれ、いとうさんご謹製のギャグだとばっかり思ってたのだが、もしかしたら有名な都市伝説(都市じゃないけど)なのだろうか。 この書きこみにも早速レスが付いたのだが、「第7回アメリカ横断ウルトラクイズの後楽園第一次予選(○×クイズ)で出題された問題です。ちなみに正解は×でした(笑)」とのこと。するってえと、ウルトラクイズの作者の創作なのかな。フォークロアはそのルーツを探るのが容易じゃないんだが、これはなんとかもとネタが手繰れないものかな。 いや、「そんなん調べてどうする」って言われりゃそれまでだけど、こういう無意味なことを調べるのが楽しいのよ。早速、ネットで調べてみると、第7回の放映は1983年8月14日。当然の如くいとうさんがライブで披露する10年以上も前だ。問題はそのクイズを作ってたのが誰かってことだけど、これが誰かが解らない(いとうさん本人だったりして)。仮にスタッフの資料が見つかっても、多分何十人もの放送作家が関わっているから、その中の誰がこのネタの作者であるかを特定するのは難しかろう。 というわけで早々と調査は挫折(^_^;)。誰かヒマ人、調べてくれ。
しかし考えてみたらシロクマ、これじゃ鼻隠すだけじゃなくて目もつぶらないといけないよな。ハナからムリじゃん(おお、シャレが決まった♪)。
泡坂妻夫・折原一・霞流一・柴田よしき『ミステリ・アンソロジー�掘〔�室レシピ』(角川スニーカー文庫・560円)。 泡坂さんの名前に釣られて買ったようなもんだけど、見事なくらいに他の作品がカス。しかもみんな『名探偵コナン』や『金田一少年』以下の超低レベル。よくこれで作家やってられるなあって腹立つくらいだ。 そんなクソ作品でも、ネタバラシだけは礼儀としてしないが、全作について言えるのは、もちっと「密室」がなぜ作られねばならなかったかってこと、マジメに考えろってことだ。 折原一『トロイの密室』。現場にいりゃ、そんなトリック、ガキでも見抜くわ。 霞流一『タワーに死す』。だから誰でも思いつくけどバカバカしいから誰も書かないトリックを堂々と書くなって。 柴田よしき『正太郎と冷たい方程式』。宇宙モノにする意味ないよ。それどころか、この作者、小学生程度の算数能力もない。寝惚けてこれ書いたかトチ狂ってたかのどっちかだ。これまで読んできたミステリの中でも最下層に位置するクソ作品。SFファンのみなさん、間違っても『方程式』シリーズを期待しないようにね。 泡坂妻夫『雪の絵画教室』。唯一のオアシス(^_^;)。 けれどこれも泡坂さんのチェスタートン式ミステリに慣れてないと、まず現実離れしたキャラクター自体に感情移入できない読者も多かろうなあ。これもトリック的にはたいしたことないし。 名作アンソロジーならともかく、こういう新作競演って、クソになる場合が多いが、「傑作を書いてはいけない」なんて不文律でもあるのか。
まついなつき『愛はめんどくさい』(メディアワークス・1050円)。 実はまついなつきの本を読んだのはこれが初めて。 興味はあったんだけど、あまり本屋で見かけないもんでさあ(^_^;)。イラストとかでは見たことあるんだけどね。でもこれもエッセイ本なんで、マンガ本は未だに読んでないんだよな。 エッセイ本というとオシャレに聞こえるけど(そうか?)、中身は嫁姑戦争を楽しく描くってコンセプトがなぜか最後は離婚になっちゃったという、笑っていいのかいけないのか、これはこれでまあ楽しいのかもって感じのバクロ本。バクロ本なんて人聞きの悪い呼び方は作者には失礼かもしれないけれど、なんかそんな雰囲気漂ってるんで(^_^;)。 率直なこと言っちゃうと、ヨメとシュウトメどっちが正しいか、なんて真剣に考えてもしょうがない。正しかろうが間違ってようが、付き合わなきゃならない相手とは付き合わなきゃなんないんだからね。だから実はまついさんがヒス起こしてコワレていく過程なんてのは「ふーん」てなもんで読んでた。 面白いと思ったのは、そういうメインの部分ではなくて、夫のマチダさんのグータラぶりだったりする。ともかく結婚して以来、まついさんの稼いだおカネで暮らせるものだから、どんどん仕事をしなくなっていくってのが男のホンネを覗かせていて微笑ましいね(←皮肉だ、皮肉)。カメラマンって職業、仕事があるときはあるけれどもないときは徹底的にないってことを妻のまついさんは一所懸命理解しようとするんだけれど、それが幻想と言うもの。自分を騙して誤魔化しているのだね。 私は写真の良し悪しなんぞ全くワカランどころか、シロウトとプロの差なんて実はたいしてないんじゃないかとか、不遜なこと考えてるやつなんで、仕事がないのは腕がどうこう言う前に、単にサボってるだけだろう、としか思えない。よく八年もガマンしてたよな、まついさん。旧弊な家族のしがらみなどとは全く無縁そうに見えるまついさんにして、やっぱりどこか「幸せな家庭」なんてのを夢見てた部分があったんだろうなあ。結婚にそんな幻想は邪魔なだけだと思うけど。 出版されたのは一年前なので、今は三人の男の子を女手一つで育ててるってことなのかな。まついさんのホームページでの近況報告では、元ご主人は別れたらちゃんと仕事をするようになったそうである。そりゃ養ってくれる人がいなくなればそうするしかないわな。だから亭主がグータラだったり女房がグータラだったりしたら、何も気にせずさっさと別れちまえばいいのである。 え? オマエのウチはどうだって? 今んとこどっちもグータラだからなあ。別れて背中向けて歩いてったらまた地球の裏側で出会ったような感じですかね。まあリコンするようなことがあったらその過程も正直に日記に書きますわな。
以前録画していたビデオ『原子怪獣現わる』を見る。 説明するまでもなく、日本の『ゴジラ』に先立つこと1年、放射能怪獣の元祖映画である。架空の恐竜、リドサウルスをアニメートするはこれも説明いらずのレイ・ハリーハウゼン。このころはまだ「ダイナメーション」って言い方はしてなかったんじゃないかな。 部分的には見ていたけど、じっくりと最初から最後まで見るのは初めて。 けれど映画としてみると『ゴジラ』の足元にも及ばないのは一目瞭然。ブラッドベリの『霧笛』そのままに映像化しとけばよかったのになあ。 そのあたりが、明らかにこの『原子怪獣』にインスパイアされたと思しい後発の『ゴジラ』の方が、世界的にも圧倒的に評価されている原因の一つになっているのだろう(ただし、『原子怪獣』の日本公開自体は『ゴジラ』の一年後なので、明確なパクリとは言えない。田中友幸プロデューサーは、「原子怪獣の映画がアメリカで作られている」という情報のみで製作を支持しただけだから。ましてや円谷英二は全く見ていないだろう)。 やっぱり、あのテレビ塔を襲うゴジラのシーンに代表されるような、怪獣と人間との絡みが、ほとんどこの映画にはケツラクしているのだね。つまりこの映画には映画を成立させるためのドラマがないのだ。 誰ぞが「放射能の恐怖はこの『原子怪獣』の方がより表現されていた」とか言ってたが、全然そんなシーンないぞ。出てくるアメ公、核に対しても全然警鐘を鳴らそうとしてないし。恐竜の血で人がバタバタ倒れて行くのだって放射能のせいじゃなくて、「病原菌のせい」とハッキリ言ってた。 ともかく恐竜が簡単にやられすぎ。特撮費ケチったんじゃないかと言いたいくらいラストのシーンもあっという間に終わる。当時のモデルアニメーションの技術では、画面を動かすこと自体ができないから、その点でも迫力に欠ける。アメリカが『ゴジラ』をリメイクしながら、実はその設定やストーリーライン、デザインなどを多く『原子怪獣』の方に寄ったのは、やっぱり自分とこの映画が『ゴジラ』に負けたウラミを晴らそうとした結果なんじゃなかろうか。まあ、結局また負けちゃったわけだけれど(^o^)。
夜中、寝ていると、突然しげが泣いてすがりついてくる。 ビックリして目が覚めたが、どうやらまたいつもの情緒不安定らしい。いつものとは言っても、ここしばらくはそういうことがあまりなかったので、油断していた。やっぱり今日、無視したりしてたんで、淋しくなったんだろうか。 おかげでまた眠れなったが、だからこういうのは私の体力がある時にしてくれって(-_-;)。
2001年06月06日(水) フォークって民謡って意味なんだが/『メトロポリス』(手塚治虫)ほか
| 2002年06月05日(水) |
人間失格かな、やっぱ/『『鉄人28号』大研究』(飯城勇三)/『ちょびっツ』3・4・5巻(CLAMP) |
わはは。ウチのガスが止まっちまったい(^_^;)。 いや、事故でもなんでもなくて、単にガス料金滞納しただけだけど。 通帳にカネ入れ忘れていたと言い訳したって、ガスが改めて出るわけでもない。入れる予定のカネ、しげの治療代でン万円吹っ飛んじまったのが予定外の出費。これが響いた。でも、DVDを買うのを一枚諦めればすんでた話なので、これはやはり無計画の謗りを受けても仕方がない。みなさん、こんなだらしないオトナにはならないようにしましょう(笑いごっちゃないぞ)。
しげが怒り狂って、「なんで入れとかないんだよ!」と怒るが、悪いのは全面的に私なので反論のしようがない。 ムニャムニャ言いかけたが、ゴメンと謝る。謝るけれどしげは許す気配もないので、つい「お前も少しくらいウチにカネ入れてくれてればよう」とボソッと言ったもんだから、またしげの怒髪が天を突いた(墓穴掘り)。 ケガして仕事を随分休んでたんだから、しげだってカネはないのである。 慌ててまた底の浅い言い訳。 「でも、どうせもともと料理はほとんどしないし、水はポットで湧かせるし」 「湧かせてどうすんだよ! フロは!」 「お湯かぶるくらいはできるよ。一人暮らしのときはそうしてたし」 「どうやって!」 「洗面器にお湯入れて風呂場に持ってくんだよ。それを水で適度な温度にしてかぶるの。これで充分カラダは洗える」 「……じゃあ、ガス代払わん気やね!」 「いや、そうじゃないよ。明日払うよ」 「払わんでもアンタは平気っちゃろ!? だったら払わんどけばいいやん! そうすればこれ以上、ガス代引かれなくてすむし!」 「おお、なるほど!」 いや、なるほどじゃないというのは判ってんだが、実際、ウチじゃ風呂以外でガス使うことってほとんどないんだよな。これは意外と節約になるかも……って、だからDVD買うのやめろって(-_-;)。 私のヒトコトが地雷を踏んだ結果になったらしく(当たり前だ)、しげはしきりと「リコン」を口にする。 「もう、リコンやん、アンタと暮らせんやん! オレ、車で暮らす!」 「お前がそういうならしょうがないなあ(←また地雷踏み)」 「別れたいんやね!?」 「そうじゃなくて、お前が俺と暮らせないって言うんならしかたないと」 「だから一緒にいたくないっちゃろ!?」 「別にお前がいたいならいればいいんで……(←またまた地雷踏み。気付けよバカ)」 「いつもそうやん! オレにだけ優しくせんやん!」 既に論点はガス代の話からどこか遠くへ行ってしまっていることにお気づきであろうか(^_^;)。しかし貧乏に悲惨さのカケラも感じられない(同情の余地がないとも言う)家庭であることだ。
しげがリンガーハットの「クッカー試験」とやらに合格。 つまりこれまでウェイトレスしかやってなかったのが、今度から料理人もやると言うことなのだ。 この試験、メニューの料理は一通りできねばならないと言うことなので、つまりチャンポンも皿うどんも炒飯も餃子も全部作れるようになったってことなんだな。 これはぜひ食べてみたいと、晩飯はリンガー。 皿うどんに一口餃子を頼むが、後で聞いたら、このときは料理を担当しなかったそうな。ガスが来てても料理をウチですることがないしげだから、せめて外でしげの手料理を食べたかったんだがなあ。
飯城勇三『『鉄人28号』大研究 操縦機(リモコン)の夢』(講談社ソフィアブックス・1785円)。 いわゆる「謎本」とは一線を画している立派な研究資料本。 原作の詳細な解説、単行本化による改訂(手塚治虫のそれが有名だが、横山さんもストーリーそのものを変えることが結構あったのだな)、実写テレビ版、三度のアニメ化の紹介もしっかり押さえてある。 ゲストの評論分析の類も充実していて、唐沢俊一・なをきご兄弟、菊地秀行、永井豪、米沢義博ほか各氏が健筆を振るう。 ちょっとかわいそうなのは、カラー版のテレビアニメ(『太陽の使者 鉄人28号』『超電動ロボ・鉄人28号FX』)の監督を務めた今沢哲夫のインタビューで、苦しい制作態勢やスポンサーの意向に振り回されていいものを作れなかった事情は分かるのだが、本文の解説でも横山光輝御大のインタビューでも「あれは最低だ」と言い切られている。 「正太郎が成長して結婚して子供がいて」という設定は、かつてモノクロ版の『鉄人』に親しんだ世代であれば、「ふざけんなバカ」とスタッフを殴り殺したくなるような噴飯物であったが、その最低な設定を案出したのが脚本の園田秀樹である。この一事をもって、たとえほかにどんなすばらしい脚本を書いていようとも(多分ないが)、「バカ」のヒトコトで括られることになるのだ。 たとえ時代が下ろうと、今に合わせるんじゃなくてあくまで当時の風俗で作るんでなきゃ意味がない。それができないなら『鉄人』をリメイクする意味自体がないのだ。 ……けれど、モノクロアニメ見てたころの私って、1歳だったんだなあ。 その頃の記憶、はっきり残ってるのも多いんだけど、それくらいテレビのインパクトって我々の世代にとっちゃすごく強かったんだなあ。
マンガ、CLAMP『ちょびっツ』3・4・5巻(講談社/KCキャラクターブックス・各1375円)。 初回限定版で、それぞれ、クリアファイルブック、システム手帳、六角パズル付き。フロク付きとは言え、ちとボッてないか。 うーむ、ただのロリコンエロマンガかと思ってたら、俄然面白くなってきたぞ。意外や意外。 『エンジェリックレイヤー』はテレビとの連動企画であったせいか、ダイジェストっていうよりテンからドラマになりきれてないウラミがあったが、今回は実にじっくりゆっくりと話を進めている。何しろ未だに「ちょびっツ」シリーズってのがどんなパソコンなんだか解らない(^_^;)。判ったのは「ちぃ」の本名(?)が「エルダ」ってことくらいだ。 「ちょびっツ」開発に関わったらしい管理人の日比谷さんが語る「あなた」とは誰なのか。 ちぃの記憶はなぜ封印されなければならなかったのか。 ちぃを探しているらしいディタとジーマもパソコンなのか。 謎の答えが出かかるたびに後から後から新たな謎も増えてるから、こんなん、あと何巻かければ全部説明し終われるんだろうかって心配になるが(『エヴァ』モドキになるなよ〜。ちぃも何となくアヤナミチルドレンだからなあ)。 こういう謎って、全部ただのマクガフィンで、もしかしたら作者もあまり細かい設定を考えてないのかもしれないけれど、「なぜパソコンが人型をしているのか」って謎の答えと関連はしているのだろうな。
機会と人間の関わりを考える、という命題は、もちろん『鉄腕アトム』以来の、あるいはアシモフの『われはロボット』ほかの諸作以来の、あるいはドイツ映画『メトロポリス』以来の、SFの正統的なモチーフである。 『X』にも『レイアース』にも、同人誌クサさ(イメージ先行でドラマがおざなりって意味ね)が強すぎて、今いちハマれなかったのだが、今回は何よりまず「語り口」のうまさに感心した。キャラクターが薄っぺらだった『エンジェリック』に比べても、一人一人に深みがある。 秀樹とちぃはもとより、新保と清水先生のカップルも本筋に直接関わらないまでもいい味出してる。 ウマイなあと膝を叩いたのは、「チロル」の店長の植田さんと、裕美ちゃんの関係だ。パソコンと結婚した過去のある店長、人がなぜパソコンに惹かれるのか理解できず極度にパソコンを(パソコンに感情移入する人間をも)敬遠する裕美。この命題、突き詰めて行けば当然「心とは何か?」というSF究極のテーマにも行きつく。 CLAMPマンガがそこまで描いたりするもんかい、とツッコミも入りそうだが、本に夢中になる動機は、なにより「予感」がすることにある。少なくとも、「面白くなりそうな」要素は目いっぱいぶちこんであるのだ。これは期待しちゃいますよ、やっぱし。 ……しかし、これをまたテレビアニメ化って、話が全然進んでないのに、どうやってるんだろうね。
2001年06月05日(火) 一日本しか読んでません/『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』(長谷川町子)ほか
| 2002年06月04日(火) |
日常ってつまんない?/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』1巻(安彦良和)/『ヒカルの碁』17巻(ほったゆみ・小畑健)ほか |
日中、気温が30℃を越えたそうな。 道理で頭痛がすると思った。 ようやく席も出なくなったと言うのに、今度は気温でやられるか。せめて風が吹いてくれればいいのに。
ワールドカップ、日本がベルギーと引き分けた途端に新聞各紙は「快挙」の報道。……よっぽど娯楽がねーのかな、日本には。いやマジで。 なんだかこの国中の燃え方がだよ、私にゃどうにも「イビツ」に見えて仕方がないんだけどね。私の今の気分をたとえてみれば、高校3年の体育祭でブロックリーダーが「これが最後の体育祭なんだー!」って無理やり盛り上げてるけど、下級生はシラケてるってゆーか、そんな感じ。同じようにシラケてると思ってた同級生の友達が一緒になって「オーッ!」て叫んでるの見ちゃって、つい、「こいつ正気か?」ってビビってる気分かな。あえてこの「騒動」と呼ぶが、これにどこか「作り物」めいた印象を浮けてるのは私だけかねえ。 だって、この国にそんなにサッカーファンがいたか? ついこの間までのJリーグの不人気は何だったの? 世界的なイベントというのはこれまでにもいろいろあったけどさ、それこそアポロの月着陸だの東京オリンピックだの万博だの、そんなのになら私だって燃えましたよ。時代の象徴だったからね。 けれどワールドカップは一体、何の象徴なの? 私にゃ、「これを逃すとオレたちの時代のイベントはもうない」とサッカーに別段興味もない有象無象が群れ集まってるだけにしか見えないんだが。日常のストレスがたまってて、ここを先途とウサを晴らしたかったんじゃないかね、ホントの話。こういうやつらを乗せるのは実に簡単だ。 マスコミはもちろんそういう有象無象を煽動したいんだろうね。そういうアホなやつらがカネを落としてくれるわけだからさ。 私だって楽しけりゃアホになってもかまわねーけど、数あるスポーツの中でサッカーだけに入れこむ気がしないのよ。 未だにチケットが入手できない、席は余ってるのにどういうわけだ、政治家が優先されるのはおかしいじゃないかと喧しいが、そんなトラブルはこの手のイベントにはザラにあることだ。今回だけやたら不手際を云々するのはみんなアタマに血が上ってるよ。 博多って土地柄は、ともかく興奮しやすい人間がゴマンといる。 一人既知外が出ると、その既知外が隣の人間にも伝播し、それがまた隣の……と、気がついたら周りがみんな既知外ってことになりかねないところなんである。……あまりのぼせあがった人の中で暮らしたくないなあ(-_-;)。
しげが、フトンに寝っ転がったまま、深刻な面持ちで声をかけてくる。 「ねえ、聞いていい?」 しげの「深刻な表情」というのは、「何も考えていない」ことと同義なので、別に構えることもなく「なんだよ」と聞き返す。 「こないだの飲み会(1日のAIQの集まりのことらしい)でさあ、みんな『おたく先生』が好きって言ってたやん?」 どうやらしげには、AIQのみなさんが徳光康之の『濃爆おたく先生』を誉めていることが気に入らないらしい。 「それが? おまえは面白くないんだろ?」 「うん」 「でもそれは単に趣味の問題なんだし」 確かにギャグを外しまくっているところは多々あるが(ドリル番長は……ねえ)、妄想が暴走してかえって顰蹙を買うのもオタクの微笑ましい特徴である(そうか?)。何も目くじら立てることはなかろう、と私は思っていたのだが、しげはあえて何と文句をつけようと言うのか。 「『ガンダム』に入れこむのはいいんよ。『ドム一筋』とか、オタクだなあって思うし」 「じゃあ何が気に入らんの」 「……『サクラ』好きって言ってる時点でオタクじゃないよ」 うひゃあ、そう来るか(^_^;)。 もちろん『サクラ』と言うのは『サクラ大戦』のことである。徳光さん、このゲームとゆーかアニメとゆーかのクールビューティ、マリア・タチバナに「萌え」ているのである。 で、しげが『サクラ大戦』を蛇蝎の如く嫌っている(つーか、アンチあかほりさとる)のは、何度かこの日記にも書いた通り。……やっぱり単に趣味の問題じゃないのか。 けれど確かに『ガンダム』から『サクラ』へ転ぶという行為については、コアなアニメオタクとしては許せないものがあるのも分らないではない。『ガンダム』にドラマはあるが、『サクラ』にはご都合主義しかない。『ガンダム』にキャラクターはいるが、『サクラ』にはデザインしかない。こりゃしげならずとも、転ぶにしてももう少し相手を選べなかったのかって言いたくなるよなあ。 「まあ、確かに……『サクラ』はねえ。けど、AIQのみなさんはあくまで『ガンダム』ネタで笑ってるんで、『サクラ』のことはよく知らないんじゃないか」 そう言ってて実はAIQに『サクラ』のファンの方がいらっしゃったらどうしよう(^_^;)。
マンガ、矢立肇・富野由悠季原案・安彦良和漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN ―始動編―』1巻(角川書店・588円)。 もう『ガンダムエース』の方で一回読んじゃってるので、いちいち単行本買わなくてもいいような気もするが、やっぱりそれはそれ、これはこれである。 表紙のカバーも描き下ろしだし。 安彦さんのコメント、「『ガンダム』というのは、こういう物語です」という短いセリフに万感の思いを感じるのは、やはり何だかんだ言いながら、私がファーストガンダム世代だってことなんだろうなあ。 だいたい、あのころ高校生だった我々は、好むと好まざるとに関わらず否応なしに「『ガンダム』はSFや否や」、「『ガンダム』は戦争アニメか反戦アニメか」みたいな論争に巻き込まれていったのである。 お若い人々にはピンと来ないだろうが、「どーだっていいやん、そんなこと」などと言える雰囲気ではなかったのだ。ある意味、後の『エヴァ』論争よりも熱かったと言っても過言ではない。 そんな中で私は終始、「SFは手法であって、ジャンルではない、したがって『ガンダム』がSFであるか否かはその問い自体が無意味である」、「戦争を描いている作品について、肯定的な意味と否定的な意味の両方の受け取られ方が生まれるのは、それだけその作品が『リアル』である証拠である。従って、『ガンダム』が戦争を肯定しているか否かという視点ではなく、リアルかそうでないか、という視点で見るべきである」と語っていた。 もちろんこれは遠回しに仲間を「オマエらはバカだ」と言っているわけで、当時から私が、マスコミやムーブメントに乗せられやすい連中を軽蔑していたことがよく分る。ところがこんな見え透いた詭弁に簡単に乗せられる友人も結構いて、ウンウン頷いたりしてたんだから、みんな本当に熱に浮かされていたのだ。 もちろん友達もいつまでもバカではないので、私からバカにされていると気付いた時点で口を利かなくなった。おかげで私の友人は今、ホントに少ない(-_-;)。 けれど、私は実のところ本気でハラを立てていたのだ。 それまでアニメや特撮をバカにしていた連中が、いきなり『ヤマト』『ガンダム』と浮かれ出した様子に。 それまでアニメーションという言葉すら知らなかった連中が、「マンガ映画」あるいは「動画」という言葉を簡単に捨てていったことに(当たり前だがアニメブーム以前に「アニメーション」という言葉はアニメファンの間では普通に使われていた)。 ここで、きっちり言っておかねばならないと思うが、半可通なアニメファンが、よく「『ヤマト』『ガンダム』によって、日本のテレビアニメに大人の鑑賞に耐えるSF作品が生まれた」とか言ってるが、そんなことは大ウソである。 創世記のテレビアニメがほとんどSF作品だったことを忘れちゃいないか。正確には「世間に対してSFアニメをオトナが見てもいいと認知させた」という点において『ヤマト』や『ガンダム』には価値があるんであって、だからそれ以前にロクなSFアニメがなかったなんてのは勘違いも甚だしいのである。 だったらどうして今でも『鉄腕アトム』や『サイボーグ009』がリメイクされるのだ。『鉄腕アトム』で描かれた未来、意外と当たってるぞ(21世紀になつても未だに学生はツメエリ着てるし。それは違うか)。 ……『ガンダム』の感想じゃなくなっちゃったけど、一回読んだやつだから話が本編から外れるのもご勘弁ね。
マンガ、ほったゆみ原作・小畑健漫画『ヒカルの碁』17巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。 これも雑誌連載の時に読んでて、感想書いてるしなあ。 けれどまとめて読むと、実によく構成されてることが分るね。これまで『ヒカルの碁』を読んでなくて、これから読む、という人には、まとめて一気に読む楽しみが味わえるんだから羨ましいね。もう、毎週毎週ドキドキワクワクするのも嫌いじゃないけど、トシを取ってくるといささか心臓に悪い。『ジャンプ』片手にコンビニで心臓発作なんて起こしたくないぞ。 連載の方もついに第2部再開でなんだかジャンプシステムの「対決もの」に取りこまれそうな気配なんで、「ここで終わっておけばな」ってのは誰もが感じてることなんだけども、そうなると私は天邪鬼なもので、「これからが『ヒカ碁』の真骨頂」と言いたくなる。 『ヒカ碁』はこの17貫で一旦、あまりにきれいに終わりすぎた。 けれど、もともとこの物語は『終わりのない物語』なのである。佐為は千年の時をかけて神の一手を極められなかったが、ではそれがヒカルに可能なのか? そうではあるまい。ヒカルにも神の一手は極められない。それはもう分っている結果だ。だとすれば、ヒカルがその一手を極めて物語が閉じるのではなく、佐為がヒカルにそうしたように、ヒカルもまた誰かにその扇子を渡す時が来る……。 それを描いてこそ、初めて『ヒカルの碁』はその果てしない物語の先を示す形で終わることができるのではないか。 これまでは佐為の庇護のもと、ヒカルに大きな挫折はなかった。けれどこれからは違う。もうヒカルは大人に一歩足を踏み入れている。これまでとは比べものにならない挫折を味わうこともあるだろう。あかりちゃんとの初めての経験もあるだろう(あるのか?)。 もとい。 それまでの紆余曲折を私は見てみたいのである。 ……っていつまで続くんだよ。人気落ちて打ち切られたらどうするんだ。いきなりヒカル死んだりしてな。いや、ジャンプじゃよくある例だし(『侍ジャイアンツ』の打ち切りんときはすごかったよなあ)。ヒカルに早死にはさせないでほしいけど、虎次郎って前例があるから油断できないぞ(^_^;)。
マンガ、藤子・F・不二雄『パーマン/パーマン大暴れ!!』(小学館/My First Big・300円)。 前巻で「超人」だった「スーパーマン」が今巻では「バードマン」に。 改訂がいい加減になってるあたり、出版社の混乱ぶりが見えるなあ。多分「どうしてバードマンはバードマンじゃないんだ!?」とか苦情が行ったんだろうな。 昭和46年発行の虫コミ版と比べてみても、スーパーマンがバードマンになって、「くるった」が「へんになった」に変わっているくらいで大きな変化はナシ。完全カットの回がある「オバケのQ太郎」に比べればムキズですんでいる面はあるのである(それにしても藤子不二雄ランド版で全12巻分はある『パーマン』をたった3巻で出すというのは少なすぎるが)。 ほかにも改訂のせいで起きた矛盾。「ゆうれい船」の巻で新聞記事の「昭和四十二年」という記述を訂正し損なっているけれど、「パーマンはつらいよ」ではしっかり「昭和58年」の記述が。パーマンは15年も子供のままか。 もっとも、このへんは「ドラハッパー」が存在してるのに、『ドラえもん』に大人になった星野スミレが登場したりと、設定はいい加減なんで、気にしてもしようがないんだけどね。
マンガ、赤塚不二夫『天才バカボンとおそ松くんとアッコちゃん』(小学館/My First Big・300円)。 『週刊アカツカ』以来久しぶりの赤塚不二夫短編集。 できたら、こういう有名どころを3種類合わせるんなら、中に1本くらい、単行本未収録の作品とかマイナーな作品を入れてほしいもんだ。 赤塚不二夫漫画大全集DVD‐ROM発売記念第1弾だそうだけれど、全作品をDVDでってアイデアはイイよな。場所を取らないし。けれどもう私は買わない(買えないだろ)。誰か買って見せて(^_^;)。 マンガ、高橋留美子『うる星やつら/決闘!女VS女』(小学館/My First Big・300円)。 あー、このシリーズも20冊目か。買い損ないはないかな。読んでも日記に感想書いてないこと多いから、見返しても何冊買ったか確認取れないし。 ゲストは藤田和日郎氏。『うる星やつら』を読んでた当時が中学生ってことは、私とだいたい同世代か年下なんだな。一本調子過ぎて、藤田さんのマンガは最近それほど熱心には読んでいないんだけれども、マンガに対する真摯な姿勢は嫌いではない。でも、もういいトシなんだから熱血だけじゃなくってもう少し知恵のある展開を考えたほうがいいと思うぞ(^_^;)。 高橋留美子のインタビュー、『うる星』も『めぞん』も語り終わって、『闇をかけるまなざし』。当時、子供のファンからの手紙で「ギャグが少ない」とお叱りを受けたというのが微笑ましいというかなんというか。『うる星』を読めばわかることだが、ギャグとはいってもこの人の作品はあくまでシチュエーションコメディなので、当然、ギャグ以外も描けることは、私たちのような高校生くらいのトシの入ったファンには見当がついていたのである。 るーみっくわーるどシリーズも今や隠れた名作になってしまった(『人魚』シリーズの再開はまだか)。高橋作品は短編も結構な数がアニメになってるけれど、シリアス第一作のこれがアニメ化されてないのはもったいないよなあ。『犬夜叉』の併映で一本つけるくらいのことしてくれると嬉しいんだけどな。
2001年06月04日(月) Nobles oblige/『韃靼タイフーン』1・2巻(安彦良和)
| 2002年06月03日(月) |
「八手三郎」は「やつでさぶろう」/『ふたつのスピカ』1・2巻(柳沼行)/『僕らのスーパーヒーロー伝説』(堤哲哉)ほか |
なんだか最近「王将」で晩飯食うことが増えている。 安価で手ごろってこともあるんだろうけれど、それなら定食屋のほうが私は好みなんだがなあ。 てなわけで今日も仕事帰りに「王将」。ひこねのりおキャラデザインの四神が出迎えてくれるが、どうして玄武の尻尾はヘビじゃないのだ。あれじゃただの亀じゃん。それに色も黒でないと。マンガキャラにツッコミ入れたってしょうがないけど。 先日から揚げ食った時、すごく美味かったそうで、しげは「から揚げ食いたいから揚げ食いたいから揚げ食いたい」とうるさい。しかし私に言わせれば、この店のから揚げは、身がややパスパスで、マズイとまでは言わないが特に足繁く通わねばならないほどの味とも思えない。まだケンタッキーフライドチキンやほっかほっか亭のチキンバスケットのほうがマシのような気がするが。 考えてみたら、福岡は中華料理の店は多いけれど、チェーン店が増えすぎてどこも似たような味になっちゃってるのである。 八仙閣も鹿鳴春も一品香も、どれも冷凍ものが主流だってのは一目瞭然。餃子も「ここのは美味い」って言えるものにとんと当たってないしなあ。そのうち中華料理屋巡りをしてみたいものだが。
マンガ、柳沼行『ふたつのスピカ』1・2巻(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・各540円)。 『ダ・ヴィンチ』ほかで評判になってたんで、興味はあった。 どうして今まで買わないでいたかってのは、表紙絵の「古臭さ」に一抹の不安を感じていて、ヘタすりゃ大ハズレかもって予感がしてたからなんだね。 幸いなことに、読んでみた感じはそこまでひどくはなかった。けれど評判になるほどのものかって印象も同時にしたもんだ。全体的にはストーリーも含めて、可もなく不可もなくってとこかねえ。 いや、「絵が稚拙」ってことが理由じゃない。 稚拙は稚拙なんだけども、それが巧まざる稚拙さであるなら、特に嫌悪感は感じないのよ。 絵本なんかで子供に合わせてるつもりなのか、ワザと絵を子供っぽくヘタに描く画家がいるけど、そんな意図で描かれてるんじゃないかって印象なんだね。 古臭くて野暮ったい絵柄は多分、「懐かしさ」の演出なんだろう。トーンを極力減らして斜線や網掛けで陰をつけたりするカットが多いのも、60年代、70年代を彷彿とさせる。けれど、月に空気があっても、火星に宇宙人がいても別におかしくなかった時代はとうの昔に過ぎ去っているのだ。パロディならばともかく、絵柄ばかりかキャラクターもストーリーもまるで60年代、70年代なんじゃ、今更この作家は何をしようとしているのか、という疑問がどうしても沸いてしまう。 これは未来の物語なのである。 設定自体は宇宙飛行士を夢見る少年少女たちの、「リアル」な物語なのだ。 なのに、登場人物がまるで『青春とはなんだ』とか『飛び出せ!青春』レベルの感情先行型の人間ばかりで、展開もそれに追従した不自然なものになってしまっている。 忍耐力と協調性を試されるドミノ立てのテスト、監視カメラで見てたのなら、たとえ最終的にドミノを完成させたとしても、途中でパニックを起こしたアスミが合格になるはずがない。ハンデを乗り越えさせるという熱血ドラマを優先させるあまり、非リアルな展開を無理強いしているのだ。 結局、そういう古臭いドラマしか作れないってのは、大人子供というか、いいトシして未だに夢見がちな純情ぶりっこの読者に媚びてみせてるだけなんだね。それってなんかイヤラシくないか? これが西原理恵子だったら稚拙な絵でも展開がリアルだから感動できるんだけどねえ。
私のことを、日頃悪態ばっかりついてるけど、根は純情で涙もろいイイ人、だなんて考えてる人は(たまにいるのだ、そんなやつが)、私がこれ読んですごく気に入るんじゃないかと思うんだろうな。 でも、ただの一人もステロタイプでない人間がいないんじゃ、感情移入のしようがない。こんな安っぽいドラマで感動できるほど私ゃ夢見る夢子さんじゃないのよ。
堤哲哉・編『僕らのスーパーヒーロー伝説 昭和40年代アニメ・ヒーロー大研究』(扶桑社・1400円)。 この手の本はもう腐るほど出ているので、書かれてあるエピソードも殆ど既知のもの。けれど、昭和40年代のことを、特撮・アニメ黎明期の古きよき時代と勘違いしている若い人たちにとっては、読み物としては適度にオタクかつノスタルジックな雰囲気が味わえていいのではないか。 私が買ったワケは、関係者のインタビューの分量が結構充実していたからである。 取り上げられている作品は『仮面ライダー』『ウルトラマン』『悪魔くん』『サスケ』『リボンの騎士』『仮面の忍者赤影』『超人バロム・1』『巨人の星』。ラインナップは「ほとんどテキトー」だが、この本が特徴的なのは、当時タイアップとして雑誌等に連載されていたマンガ版にいちいち言及しているところだろう。 『仮面ライダー』の「ゲル・ショッカー」が、すがやみつるの『テレビマガジン』連載時においてのみ、「ゴースト・ショッカー」であったことなど、当時毎月テレビマガジンを買ってたものしか知らない事実である。もちろんかつてテレビマガジンに応募して「少年仮面ライダー隊」に入っていた私が知らぬはずもない(威張るほどのことか)。 あと楳図かずお版『ウルトラマン』のセリフの変更の過程や、『悪魔くん』マンガ版の変遷についても詳細な考察をしてくれているが、多少、ウラを取っていなくて惜しい面もある。昭和63年版『悪魔くん』は、多分、水木しげる御大が描いてるんじゃないと思われるが(森野達哉さんじゃないかと推察)、そのあたり、水木プロに確かめられなかったのかなあ。 あと、平山亨さんが、「八手三郎」は「やつでさぶろう」と読む、とインタビューで明言されたので、これまで「はってさぶろう」と読んでた人は、改めるように。「(仕事を)やって候」のシャレなんだと。
藤子・F・不二雄原作『芝山努と映画ドラえもん『のび太とロボット王国』の世界』(小学館・2415円)。 どうして今回の作品に限りこんな設定資料集が出たのかよく分らないけれど(単に私が知らんだけかもしれんが)、以前から芝山さんのキャラはアニメートされると魅力が半減すると思ってたので、映画本体見るよりもこっちのほうがよっぽど感動できる。 アニメになるとデフォルメが押さえられちゃうんだよな。 それで原作の絵に近づくならともかく、最大公約数的な絵というか、無個性な絵に落ち着いちゃうから、初期の映画はまだしも、近年の長編『ドラえもん』はもう全く見に行っていないのである。 けれど、ラストの「もしも『ドラえもん』が実写で撮られていたら」は蛇足。 ピクサーのNG集と同じで、ヤラセと解りきった遊びは自己満足でしかないって。
マンガ、にわのまこと『THE MOMOTARO』1〜10巻(集英社/ジャンプコミックス・各370円)。 こないだ『ボンバーガール』読んだので懐かしくなって再読。 桃太郎や金太郎、牛若丸に弁慶、浦島太郎や一寸法師や酒呑童子やかぐや姫やヤマトタケルとか、プロレスラーがみんな御伽噺のキャラクターの子孫って設定だったんだよ、って説明しないと、このマンガ知ってる人も少なくなったろうな。平成元年なんて私にとっちゃついこの間なんだけども(^_^;)。 でも、「三年寝太郎」まで出したのに「鶴の恩返し」も「文福茶釜」も「カチカチ山」もなかったなあ……とか当時は思ってたけど、考えてみりゃ、鶴や狸や兎の子孫は出せんわな。「花咲か爺さん」は爺さんだからダメだったのかなあ。 アシスタント時代の小畑健(当時の名前は土方茂。……どっちが本名だ?)がキャラクターとしてしばしば登場している(中には黒武術の幽霊なんてもあったりする)ほか、本人が1ページだけだけれども4コマを描いたりもしているので、小畑ファンには必読書かもしれない。 でもこれも多分絶版。再刊されても権利の関係でアシスタントのマンガまで復刊されることもなかろうから、まさしく幻のデビューマンガってことになるんじゃないかな(リミックス版が6/24日発売だそうな。……買うか?)。 コピーがほしい人は送ってあげてもいいよ(古本屋で探した方が早いか)。 しかし、「次原隆二→にわのまこと→小畑健→和月和宏→尾田栄一郎&武井宏之」って師弟の流れ、ジャンプのマンガ家が昔ながらの徒弟制度で成り立ってるってのがよくわかるな。良くも悪くもジャンプシステムの枷からは逃れられない人たちだってことなのかも。『ワンピース』や『シャーマンキング』がつまんなくなっていくのも宜なるかな。 ジャンプの師弟関係を詳しく知りたい方は以下のサイトをどーぞ。
http://www.ktr.to/Comic/assistant.html
2001年06月03日(日) 全集員合(←解る人には解るね)/『だめだこりゃ』(いかりや長介)
| 2002年06月02日(日) |
天動説健在/『ブレーメン�供截慨�(川原泉)/『殉教カテリナ車輪』(飛鳥部勝則)ほか |
外出の予定が、しげ、具合が悪いと言って起きてこない。 おかげでまた『少林サッカー』に行き損なうが、どうやらヒットしているようなので、いきなり打ち切りにあったりすることはないだろう。 来週行ったって構わないのだが、問題はこちらの財布の中身が来週まで持ってくれてるかどうかだ(^_^;)。 平日、やたらバカ忙しくなっているので、休日はゆっくり休みたいが、日記の更新が残っている。休日のうちにできるだけ更新しておこうと思うが、不思議なもので、平日よりも書くスピードが遅くなってしまう。やはり気分が休日モードに入っていて、集中できないせいなんだろうか。
アニメ『サイボーグ009』第32話「機々械々」。 制作がスタジオライブに外注されてるので、キャラクターがいきなり前シリーズの芦田豊雄キャラになっちゃってる。格闘シーンはそれなりに動いちゃいるけど、止め絵は崩れてるなー。もともと丸っこすぎて、石森章太郎キャラには不適切だった芦田キャラだけど、寄りによって004の登場エピソードに使うかよ。007にしときゃいいのに。 制作態勢が少しは整って来たのか、作画のヒドイ回は少なくなったけど、同時に目を見張るような回もなくなった。しばらくは番外編シリーズが続くみたいだけど、そうなると『ヨミ編』は最終回近くまで取っておくつもりなんだろう。だったら、『移民編』や『海底ピラミッド編』を早いとこやってほしいもんだけどな。
テレビで『行列のできる法律相談所』など漫然と見る。 他人の家の物置の壁にラクガキをしたところ、それに500万円の値打ちが付いた、それは物置の持ち主のものか、執筆者のものか、という問題、なんかムリヤリ作りすぎてないか。現実にあった事件だと差し障りがあるのかもしれないけれど、かと言って架空の事件でっち上げても視聴者は「そんなんどーだっていいじゃん」としか思わないんだが。 『おしゃれ関係』のゲストはオセロ。この番組もちょくちょく見てるんだけど、いちいち日記に感想は書いてなかった。なんで今日だけ書く気になったかと言うと、オセロの松嶋尚美がつい最近まで「太陽と月の区別がつかなかった」と発言したからだ。……いや、この二人、漫才師だったんだね。バラエティのゲストに出てるとこと、『サイバーシックス』の声優としてしか知らなかったから、てっきりタレントだと思ってた。 それはそれとして、なんで太陽と月を同じものと思ってたかと言うと、昼は太陽しか出てなくて、夜は月しか出てないから、夜は太陽がぐるっと一巡りして月に変わって出て来てると思ってたんだと。 古館伊知郎から「太陽と月が一緒に出てるとこ、見たことないの?」と聞かれて、「見たことない」と堂々と返事してるんだからすごいものだ。つまりこの人、地球が太陽の回りを回ってるってことも分ってないってことなんだよな。 恐らくこれはモノホンの天然ボケだろう。山瀬まみや篠原ともえの「天然」に演技が相当入ってることは、それが「笑ってすませられる」範囲に留まっている点からそれと知れる。けれど松嶋尚美のボケは笑うに笑えない。言うに事欠いて、こんなナンタラと紙一重のボケは放送作家だって作るにゃ相当勇気が要ることだ。 非常識と切って捨てるのは簡単だけど、普通は起こり得ない勘違いがどうして起こるかってことを考えると、この件はなかなか興味深い。学校で地動説教えてる時によそ見してたかサボってたか、家族や友達と喋ってるときにそんな話題が出なかったのか、テレビや本でそういう知識に触れたことがなかったのか、彼女の生活範囲の「狭さ」が原因であることは想像がつく。 ……つまりは、太陽が地球の周りを回っていようが、地球が太陽の周りを回っていようが、そんなこと知らなくったって、生きて行ける環境が現代だと言うことだ。それって、中世と変わらないじゃん。 知性って何なんだろうね。
マンガ、今市子『岸辺の歌』(集英社/EYES COMICS・720円)。 オビに「ミステリーコミックの名手」とあるのを見て、しげが「今さんって、ミステリーの人だったの?」と聞いてくる。 確かに『百鬼夜行抄』などは扱っている題材は狐狸妖怪の類であっても、ミステリとしての骨格を供えていることは確かなので、間違いとは言いきれないが、適切な惹句とは言い切れまい。 ましてや、この話は中国かペルシャあたりを舞台にしたファンタジーだから(もっとも作者ご本人は「インチキファンタジーだから時代考証要らないしなんでもあり」とか言ってる)、ミステリと銘打つのはちょっと違和感がないでもない。
水乞いの儀式のために河伯に捧げられる12歳の孤児の少女、スリジャ。けなげにもその役目を受け入れ、馬にも船にも乗らず、自らの足で遠い河伯の住む川へ旅をする彼女と、その護衛として付き従う鬼人エン。 今さんの描くキャラにはどこか「遠い目」をした人が多いのだけれど、それは彼ら彼女らの見つめる未来が、常に一種の「異界」であることに起因しているからなのかも知れない。形骸化して、果たして本当に水乞いが叶うかどうか術を知る方士にもわからぬのに、スリジャは「誰からも必要とされなかった私に、誰かを救えるかもしれない」とただ前を見つめて歩く。そして、その大地を踏みしめた一歩一歩の足跡から草が生え、川が生まれる。 この結末はなかなかに寓意を含んでいる。 まるで高村光太郎の『道程』だが、彼方を見つめるスリジャには、自らが作った川を振り帰ることは決してない。 スリジャにも幸せな未来が訪れたように今さんは物語を締めくくるが、多くの童話のハッピーエンド、「お姫様と王子様は幸せに暮らしました」というのが、実は我々の世界から遠く離れた異界へと物語の登場人物たちが旅立って行ったことを示すように、彼女は決して現世で救済されたわけではなく、視点を変えれば「死」にも等しい境遇に自らを置いたことが分る。 スリジャは一度も振り返らなかった。かつて住んでいた街のことも、そして読者にも背を向けて。そして我々はもう二度とスリジャには会えない。エンの未来は第二話、第三話でも描かれるが、スリジャはもう登場しない。彼女は彼女で「ここではないどこか」で自分自身の物語を紡いでいるのだろうが、我々に「置き土産」として残された物語はこれで終わりなのである。 今さんのマンガはいつも「優しい」。 けれど、それと同時にどうしようもない「淋しさ」をも我々の心に否応なしに残していく。 「優しさ」を感じるのは、人にであれ妖怪にであれ、「ここにいてはならぬもの」とされている者たちに今さんがきちんと「居場所」を与えてくれているところだ。けれど、彼らの住む場所は常に「遠い目」の先、遥か彼方にしかない。我々の住むところにはないのだ。 そこに行けぬ我々にとっては、置いてきぼりを食らったような「淋しさ」を覚えざるを得ない。でも、恐らくはそれが誰もが経験せねばならない「孤独」の本質なのだ。
マンガ、川原泉『ブレーメン�供截慨�(白泉社/ジェッツコミックス・630円)。 おお! 3巻で終わってない! ということは本作が川原泉さんの最長作品になることはこれで決定! 御承知のこととは思うが、川原さんという作家は、極めて繊細な心の持ち主で、もともと寡作な上に連載の中断、未完はザラで、ファンとしては連載を起こすたびに「今度は落とさないか、作者が失踪したりしないか」と半ば本気で心配しているのである。
しかし面白い。 言っちゃなんだが、少女マンガ家さんの作品世界って、ムチャクチャ狭い人が多くて、私の好きな作家さんであっても、「また前と似たようなマンガだな」という印象を持つ人も少なくないんだけど、川原さんは着実に一作ごとに変容してきている。 少女マンガにありがちな恋愛ものばかりとは限らない。 むしろ「恋愛に留まらない人と人との心の関わりあい」に作者の視点が向けられているからではないかと思うが、その作品世界はやたらだだっ広いのである。 スポーツものは『甲子園の空に笑え!』『メイプル戦記』では野球、『銀のロマンティック…わはは』ではフィギュアスケート。もちろんも巷にありふれた熱血ものなどではなく、「のほほんと一生懸命」、と一見矛盾しているようだがまさにそう評すしかない独特の川原ワールドを展開。 『ゲートボール殺人事件』は冗談ではなくちゃんとした本格ミステリもの。 『中国の壷』はファンタジー、『殿様は空のお城に住んでいる』は時代もの、『バビロンまでは何マイル?』はタイムスリップSF。 『笑う大天使』は初めコミュニケーション不全みたいな少女たちの猫かぶり人生を描きながら、SF、ファンタジーの要素を徐々に加味していき、最後は何とも言えない夢のような男女のありようを示して完結した。川原さんの才能の凄まじさを私が感じたのは本作である。 これで作品数が多かったらまさに「少女マンガの手塚治虫」と評してもいいくらいだ。
そして川原さんが本格的宇宙SFに挑戦しているのがこの『ブレーメン�供戞� いよいよ悪魔の科学者エルンスト・ヘルツォークとの対決が迫りつつある第3巻、新たな人物、虎のブレーメン(バイオテクノロジーで知性を獲得した動物たち)連邦捜査官シャキールが登場する。 このキャラが最高にいいんだ! ブレーメン�兇貌云茲垢襪海箸砲覆詒爐蓮¬宜�なまでに職務に忠実、飛びぬけて優れた知性で感情を抑制し、愚かな人間たちのブレーメンに対する偏見、差別、迫害にも決して怒ることなく静かに対処し、そして現在の立場を堅持して来た。 彼が唯一友と認めた相棒、こちらは人間のアレン・ハークネスは、ヘルツォークを追ってその組織に潜入したまま行方不明になっていた。アレンを追って、シャキールは自らもヘルツォークの潜む惑星プレリアに降り立つ。 ……いや、これまで登場して来たブレーメンは、みんな簡略化された動物キャラだったんだけどね、このシャキール、実に細密にリアルに、モノホンそっくりに描かれてるのよ。必然的に表情は殆ど動かないんだけれど、なのに感情がちゃんと伝わってくるんだよ! ほんのちょっとした目の動き、顔の角度、構図、これで彼のストイックな態度の中に隠されている悲しみを表現している! これはすごい! 捜査官としての優秀な成績が災いして、かえって相棒の見つからないシャキールの前に、アランが「新しいパートナーだ、よろしく!」と微笑みかけた瞬間のシャキールの驚きと喜びの入り混じった顔はどうだ! 白目をいつもよりほんの少し大きくしただけで、川原さんはそれを表現したのだ! ああ、その絵をそのままここに紹介したいなあ……。
飛鳥部勝則『殉教カテリナ車輪』(創元推理文庫・777円)。 第9回鮎川哲也賞受賞作というオビのにちょっとだけ期待して購入。 「ちょっとだけ」というのは、受賞作=傑作とは限らない例をいくらでも知ってるからでね。 それでも江戸川乱歩賞と鮎川哲也賞は、応募者にある「拘り」があるように感じられるので、つい手を伸ばしてしまうことが多い。これがメフィスト賞や横溝正史賞になると、これまで随分と辛酸を舐めさせられて来たので(んな大袈裟な)今一つ食指が動かないんだけどね(^^)。 つまり私の好みは「本格ミステリをベースにしたエンタテインメント」ということなんである。まあ、ごく普通のミステリファンですな。
表紙をめくって驚いたのは、そこにカラー綴じこみで油彩画の口絵が付いていたからである。これがただの飾りではなく、事件に関係してくることは容易に想像される。事件現場の見取り図とか、登場人物の家系図が付いている例はあるけれども、こういうのは滅多にお目にかからない。これだけでもこの作者が意欲的というか、読者に果敢に挑戦するタイプの作家だということがわかる。期待は必然的に弥増すというものだ。
美術館の事務員、井村は学芸員の矢部に、ある殺人事件の記録を見せられる。 矢部はかつて、ふとしたことから東城寺桂という無名の画家に興味を持ったことがあるのだが、その画家はわずか5年の間に五百点もの絵を描き上げた後、自殺していたのだ。 そして東城寺が絵を描き始めるきっかけになったのが、「同一の凶器」で、「同時に」二つの密室殺人が行われたという奇妙な事件だった。 矢部はその謎を解くべく、散逸した東城寺の絵画の行方を追う……。
謎の設定は実に魅力的である。 不可能犯罪が一つ提示されるだけでもミステリファンはワクワクするものなのに、それがダブルでとはなんとサービス精神の旺盛なことか。 しかも本作には、更に大きな仕掛けが一つ仕掛けられているのだが、これは私自身の少ない読書量では判断がつきかねるところだけれども、恐らくは古今のミステリ中、全く類例を見ない新しいトリックを創案したと言えるのではないか(ある有名作品をベースにしているとは言えるが、単なるバリエーションを超えていると判断する)。 その解明についても、一歩間違えばトリックのためのトリックに堕するところだけれども、ギリギリの線で踏み止まって、本格ミステリとして成り立っていると思う。フェアかアンフェアか、ということを聞かれれば「フェアである」との立場を私は取りたい。
しかしである。 それだけプラスポイントが高いにもかかわらず、本作を傑作か、と問われれば、私はせいぜい「力作」である、としか評価しきれない。 殺人に至った過程に無理があるし、犯人の心理も説明不足。 なにより、私の期待のきっかけになった口絵の油彩画。 あれが謎の解明にひと役買っていることはいるのだが、それをイコノグラフィー(図像学)の立場で心理分析する方法が、どれだけ実証的なものと言えるのか、はなはだ眉唾で、胡散臭いのである。それは解説の有栖川有栖が「象徴を解くという作業は、論理を重要視する本格ミステリの探偵に期待されていることではない」と指摘されていることなのである(創元ミステリに信用がおけるのは、ヨイショ記事になりかねない解説の文章に、ちゃんとこういう批判が載るところだ)。 だからこそ私は初め、推理の材料としては向かない「絵画」をあえてミステリに持ちこんだところに作者の新しい「仕掛け」があるのではないかと、期待したのだ。もちろんそこに「仕掛け」はあったのだが、残念なことにそれは本格ミステリとして考えた場合、今一つ、と言わざるを得ないものであった。 それは小説としての語り口が未熟であるがゆえのことでもあるので、もう少し感情に流されない筆致で書いておけばそういった印象は随分軽減されたのではないか、と思われる。
全ての謎が解明されるわけではない、人の心は常に闇を持っている、という考え方を作者がしているらしいことは見当がつく。しかし現実がそうであるからこそ、本格ミステリの読者は虚構であるはずの「小説」に「真実」を求めるのである。 本作の犯人は語る。 「私は豪徳二を殺した。 理由はない。 私は佐野美香を殺してしまった。 理由はない。」 もちろんこの告白自体にもトリックがある。 当たり前の話だが「理由のない犯罪」などというものは存在しない。現実の犯罪においてもたとえそれが衝動的な犯罪であったとしても何らかの「理由」は必ずある。犯人の心理に謎が残るように感じるのは、あくまで「理由をうまく言語化できない」からにすぎない。 しかし、それをあえて言語化しよう、というのがミステリの醍醐味なのである。 言語化できないものを言語化しようというのだから、ムチャと言えばムチャなのだが、「不可能への挑戦」は、単に作中の探偵の行動のみに限定されることではなく、ミステリ作家自身の小説を書く上での姿勢でもあるのだ。そこにこそミステリファンは感動を覚えるのだと言っていい。 そのことをこの小説の作者は軽視している。あるいは放棄している。 それは、つまるところ本格ミステリに対する作者の姿勢の「甘さ」を示していることになるのだ。 惜しいなあ、あともう一歩、ディテールを考えればすごく面白い小説になっただろうに。
……しかし相変わらずトリックの具体的内容に触れずにミステリを批評するのは難しいよ(´。`;)。
2001年06月02日(土) レトロポリス/アニメ映画『メトロポリス』(2001)
| 2002年06月01日(土) |
マトンウォーズエピソード0(^o^)/『ボンバーガール』1・2巻(にわのまこと)ほか |
今日は朝から初日一番で『少林サッカー』を見に行く予定だったのに、しげのばかちんが「アタマがイタイ」とか抜かしやがるんで中止。 けれどそのおかげでこちらもゆっくり朝寝ができた。 体調はまあまあ。 まだたまに咳は出るし鼻も詰まってるけど、ここまで来れば、ほぼ治ったと言ってもよさそうである。読者各位にはご心配おかけしました。 ニュースを見ると、もうフィファだかティファだか、ともかくサッカー一色である(最初、「ワールドカップだか○○○○だか」ってギャグを思いついたけど、下品なのでやめました。けどこのシャレも何のことだかわからんヒト多いだろうな)。 私はサッカーには全く興味はないけど、世間の方々がなんだかえらく盛り上がってるのに対して、いちいち目くじら立てて水を差すようなことを言うつもりはない。 けれど、世間の動きを斜に見てる私だって、一応ニュースくらいは見てるんだよ。なのに、ホントに朝から晩までサッカーのことしか放送してないと、「ほかに伝えなきゃならないことあるんじゃないのか」と突っ込み入れたくなるね。 「三遊亭円生の死が上の動物園のパンダの死でかすんだ」って、円丈が『ご乱心!』の中で嘆いてたけど、そんな感じかな。
けれどワールドカップを国を上げてウカレてるのが、開催国の日韓両国だけじゃないってのには驚いたね。「世界」って、日本に比べりゃもちっと落ちついてるもんだと思ってたけど、そうでもないのか。 昨日、初戦でいきなり優勝候補のフランスを破ったセネガル、大統領自らがパレードでバンザイしてる様子を映してたけど、この程度のことでそこまで喜べるものなのか。大統領だろアンタ、ホントにほかにすることないのかって気になるぞ。開会式で小泉総理がノーテンキな挨拶してるの見て、腹立ててた日本人は多いと思うけど、セネガルじゃあれだけハデなことしても国民は何も文句言わないんだろうねえ。出る杭が打たれないとは羨ましいお国柄だこと。 でも、総理とか大統領みたいな政治家が、個人で応援するならともかく、ああも表に出て来て「日韓友好」をアピールしてるってのは、スポーツの世界に政治を持ちこんでることじゃないかって文句つける人間はいないのか。靖国参拝であれだけ不快感示した連中が、スポーツを政治に利用されてるのに寛容なのはおかしかないか。 まあウカレてイカレた連中に何言ったって無駄なんだろうがね。 ……おっと、やっぱりイヤゴト言っちゃったかな、私(今更)。
夕方、アサヒビール園でAIQの飲み会。 「早目に行かんと道に迷うよ」とのしげの言葉に従って30分前に近くまで行ったのだが、駐車場を見つけられずにぐるぐる回る。 「ね。やっぱり迷ったやろ?」って、威張るなよ(-_-;)。 結局、到着したのは15分前。でも一番乗りだったので、予約席を看板を見て確かめる。エロさんの名前で3階と表示されていたので(もちろん「エロの冒険者」なんて書いてなくて、ご本名なのだが。でも「エロ」で予約してたらそれはそれですごいよなあ)、3階で待っていたのだが、実際の予約席は2階だった。どういうこっちゃねん。 三々五々、エロさん、ぴんでんさん、獅子児さん、ちゃかさん、ゆたかさんと集まる。 この店に来るのは初めてなので、どんな料理を出すのか全く知らなかったのだが、ジンギスカン食い放題の店であった。しげが「『ジンギスカン』って焼肉?」と聞くので、「モンゴルの焼肉だよ。肉はマトンだけど」と答える。肉で食い放題ならしげには文句はあるまい。このとき、しげの口の端に不敵な笑みが浮かんでいたのを私は見逃さなかった。 ボーイさんが「高い肉と安い肉とどちらがいいですか?」と聞いてくるが、軽い逡巡の後、安い方を選ぶ。ぴんでんさんが「どうせ五十円の差なら高いほうでは?」と問いかけたのだが誰も返事しなかったためだ。……もしかしてAIQのみなさん、我々並に貧乏性なのか?(^_^;) それからがもう、モノスゴイことになる。 隣のテーブルは獅子児さん、ちゃかさん、ゆたかさんの三人、こちらは我々夫婦とエロさん、ぴんでんさんの四人なのだが、一人多いとは言え、明らかに肉の消費量が違う。掛け値ナシに、隣の「5倍」のペースで進んでいる。矢継ぎ早、どころの話ではない、私が一生懸命野菜を片付けている間、しげは肉をわんこそばを吸いこむごとく胃袋に収めて行く。 皿がカラになると間髪を入れず「肉の追加をお願いします」とボーイさんに頼む。 「少しはペース考えろよ、俺、さっきから野菜しか食ってないんだぞ」としげをたしなめるのだが、「だって二時間しかないんだよ」と言い返される。その様子を見て、ぴんでんさん、呵々大笑しながら、「いやあ、こんや初めてしげちゃんをイイ女だと思いましたよ」と喜ぶ。ああ、そういうことを言うからしげが図に乗る。しげのテンション、ますます上がり、もはや何皿取り換えたかわからない(5皿以上は替えているのは確か……って、20人前!?)。 その間、話も盛りあがっているが、隣では『猛爆おたく先生』の話題で持ち切り。ファーストガンダム直撃世代にとって、アレは心臓打ちぬかれたみたいに面白いのだが、実はしげはあのマンガが大嫌いなのである。話を聞きながら、しげの機嫌が悪くなりはしないかとヒヤヒヤするが、会話の矛先を向けられたりしない限り、しげは場を固まらせる発言をすることはなさそうなので、とりあえずは安心する。 相変わらずこの集まりは危ない話や人の悪口で盛り上がるので、あまりこの日記に詳細は書けないのだが、ぴんでんさんは「全然書いて構わないですよ」とおっしゃる。でもその口で「でも私が人の悪口を言う人間だと思われるとなあ」とうなだれて気になさっている。 別に他人の悪口を言うのなんて、人の業のようなものだ。恥ずかしいことでもなんでもないので(人の陰口を叩くべきではない、なんてキレイゴトを言ってる人間の方がよっぽど信用できるものではない)、具体的に書いたっていいのだが、これはぴんでんさんの語り口を借りねば笑えない性質のものなので、とりあえずは遠慮しておこう。 こちらもあまり喋りを聞くのに熱中しすぎて油断をしていると、延々と野菜だけを食い続けることになりかねないので、なんとか肉を選り分けて食う。おかげで久しぶりに腹が膨れあがるほどに満腹する。 そのあと全員でシダックスでカラオケ大会。 ホントは今月は手元不如意なので、予めしげと「カラオケは今日は控えようか」と相談していたのだが、泣く子と酔っ払いには勝てない(^_^;)。 ……しかし、自分でも歌うことあるから人のことは言えないのだが、男の声で「名作劇場」を延々と聞くのはちょっとツライものがあるかも(^o^)。 気がついたら歌いまくってすっかり午前様。 エロさんとぴんでんさんをご自宅にお送りしたあと、帰宅した時にはもう4時近く。疲れ果てて泥のように眠る。
マンガ、にわのまこと『ボンバーガール』1・2巻(完結/少年画報社/ヤングコミックコミックス・各620円)。 かつて「少年ジャンプ」で打ち切りになったマンガの完結編を加筆しての再刊。にわのさんのマンガは『THE MOMOTAROH』のころから結構好きは好きだったのだけれど、何しろコマは小さいし描き込みは多いしセリフも多くて説明的だしギャグは濃くてシツコイし設定やストーリーはいい加減だし、キャラは作りこみすぎててかえって個性を感じられないし、まあ、打ち切りになったのも当然、というマンガではあったのだ。 近未来、犯罪増加に伴うバウンティハンター制の施行、そして主人公が装甲服に身を包んだナイスバディの美女(それにしても「羅生門エミー」ってネーミング、なんとかならなかったのか。センスねーと思うけど)って設定、それだけじゃ魅力に乏しいってんで持たせた武器が「改造トンファー」だけど、ポーズは決めてるけどコマとコマの間が飛んでるので、アクションがどうなってんだかよく解らない。これじゃ読者は惹き込まれないよ(山本貴嗣を見習うべし)。 それと、言っちゃなんだがタカビーで自己中でナイスバディなヒロインって、もろ、『少年サンデー』の『GS美神 極楽大作戦!!』のパクリだしな。「あたしが一番強くて偉くて美しいんだもん!!」ってセリフ、堂々と言っちゃうたあたりもな。 完結編を付けたといっても、もともと連載最後の1ページでむりやりボスキャラ倒して終わってたので、収集の付けようがない。いきなりそれまでの敵「メガリス」に代わって「ネオ・メガリス」が新組織される結末。で、敵基地の爆発とともにヒロイン二人は行方不明……で、「新シリーズ『ボンバーガールクラッシュ!』に続く!」って、まるで『トライガン・マキシマム』。 ……いや、散々貶してるけど、ちょっとしたポーズや表情の付け方にキラメキはあるのよ、この人。 以前に比べて絵もグッとうまくなってるから今度は打ちきられずに続いてほしいけどなあ。 そう言えばこれ、『雷神』って雑誌でアメリカでも出版されるんだよな。うーん、アメリカ向けに受けるとはちょっと思いにくいけど、度胸はあるよな。
マンガ、さくらももこ『COJI‐COJI コジコジ』3巻(幻冬社コミックス・1260円)。 うーん、これってやっぱり一種の「宗教マンガ」なんだろうなあ。 説教臭いマンガというのはいくらでもあるから、「哲学マンガ」というのはザラにあるんだけれど、ある一線から「これは宗教マンガだ」と言えるようになるのは、「神」の概念が明確かどうかにかかっていると思う。 能天気でその場限りでまあナチュラルだとは言えるけれどもやっぱり何も考えていないような謎の生物コジコジが、実は「神の子」(作中、「宇宙の子」の表現あり)であり、この物語における「理想」の体現者であることは論を待たない。 この第3巻でも、やたら「神」や「宇宙」や、この世の成り立ちに関することを暗示するようなエピソードやセリフがやたらと見受けられるのだが、そこには「神様はこの世の人々に無理して生きろなんて言ってないよ、ぼんやり生きてくのが一番いいよ」という「思想」が底流に流れていると感じられるものが多い。 誰もが魔法を使えるメルヘンの国で、まんじゅう一つ出せないコジコジが、なぜか満天の星を空に映し出したり、何の気なしにこの世のすべてを消し去ろうとしたり(おいおい)。 もの知り爺さん(そんなのもメルヘンの国にはいるのである)に騙されて、国中の人間が「江戸っ子のゲタ屋の家族」を「神様」だと信じこまされてるエピソードの中では、コジコジ一人だけが、「神様は心の中をウロウロしているのでこの辺をウロウロしていません」と言うのだ。もっともそれはゲタ屋さんのコトバの受け売りではあるんだけど。 洗脳や折伏目的の宗教マンガ(っ―か布教マンガ)は私はご免被りたいが、この程度の漠然とした「神様マンガ」ならば多少は鼻につくところがあるけれど、なんとかセーフである。押しつけがましくなる一歩手前で押さえてあるし、実際に特定の宗教に勧誘されるわけじゃないからね。 けれど、さくらさんって、何となく何かの宗教にハマってるような雰囲気はあるよなあ。いや、もちろん業界の裏事情なんて知らないから、ただの憶測でもの言ってるだけなんだけどさ。 でも実際、少女マンガ家さんでアチラ方面に行っちゃう人って多い。何よりさくらサンは「ハマリもの」に弱いのだ。かつては「飲尿療法」までやってたそうだから、ヘンな道にはハマらないでいてほしいもんである。
2001年06月01日(金) あえて美人殺しの汚名をきて/『「彼女たち」の連合赤軍』(大塚英志)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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