無責任賛歌
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貫井徳郎『迷宮遡行』(新潮文庫・580円)。 なんだかひと昔前の日活のプログラムピクチャーみたいな出来。 失踪した妻のあとを追い掛けるサラリーマンが暴力団の抗争に巻き込まれるのだけれど、キャラクターの描写とその行動に一貫性がなく、なんだかつまらない。 この作家さん随分評価が高いんだけど、まだ私ゃアタリに出会ったことないぞ。
テレビで『第69回仮装大賞』を見る。久しぶりに見ると意外に面白い。 モー娘。のブラックマジックが、一応はプロの技なのに陳腐。 大賞の「ピンポン」は、アングルが変わったりCG的な演出が付けられてて、もちろん映画の『ピンポン』を意識してるのだが、そのコメントがなかったのが残念。
こうたろう君にオフ会のことで電話。 世間ばなしになったときに「『アルマゲドン』ってそう貶すほどじゃないんじゃない?」なんて言うので人格を疑う(^o^)。
2001年03月31日(土) 藤村俊二はよかったけれど/舞台『ラ・テラス』ほか
録画しておいた映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』を見る。テレビに合わせて多分カットがあるはずだが、それがどのあたりかは気づかず。
斎藤明美『高峰秀子の捨てられない荷物』(文春文庫・580円)。 高峰秀子の『私の渡世日記』の続編とも言うべき評伝。斎藤さんは高峰秀子の編集者から個人的な付き合いを深め、彼女を「お母さん」と呼ぶまでになった。 にもかかわらず、彼女のまとめたこの評伝を、高峰秀子自身があとがきで「自分のことは自分にしか分らないものだ」というムネの発言をしているのが面白い。 地獄を見てきた人にしか言えない言葉であろう。 母が高峰秀子のファンだったのはこういうところだ。
2001年03月30日(金) シラフでも酔える夜/『怪奇探偵小説傑作選2 横溝正史集/面影双紙』
天神、KBCシネマに映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』を見に行く。 しげが「11時30分の回に行く」と言ったので、出かけてみたら、特別チャリティー興行の講演つきということで、前売券が使えない。 しかもしげは本当は「2時の回に行く」つもりで来ていたと判明。 2時の回に行くつもりでどうして10時に家を出たのか、しげの言ってる意味がよくわからない。本人にも謎だそうである。 福家書店、ジュンク堂を回って時間つぶし。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』、ドキュメンタリーとしては監督の思想が全面に出すぎていてつまらない。何だか『柳川堀割物語』を見せられているような。 全米銃協会のチャールトン・ヘストン本人はあまり好きじゃないが、だからと言って、銃の犠牲者となった少女の写真を家に置いて去るっていうマイケル・ムーア監督のパフォーマンスは鼻につく。
父の店に寄って、散髪してもらう。 父はなんと『ガンダムSEED』を見ていた。戦争嫌いの父はイラク戦争のニュースを見るのが嫌いでアニメにチャンネルを合わせていたのだ。 しかも「今日はクレヨンしんちゃんの映画があろうが。ビデオ録画しかけたぜ」ときたもんだ。いったい何があった、オヤジ(・・;)。 「あっ、俺、『しんちゃん』録画し忘れた!」 「だったらすぐ録画してこい!」 というわけで散髪を途中で中断していったん、家に帰る。ホントにどうしたんだだ、オヤジ(°θ°;)。 父の店に戻ったあと、「五風」で食事。 父は「前に来たときより、店の雰囲気が前より明るくなったなあ」と言ってたが、単に照明の暗い席に案内されただけじゃないのかな。 父と姉、見ようによっては不倫カップルに見えるし(^_^;)。
「山本弘のSF秘密基地」のイラク戦争に関する書きこみと、「唐沢俊一の裏モノ日記」の記事を比べてみると、その意見の食い違いが面白い。 まずは山本さんの方を引用。
> 確かにアメリカがほとんど無傷で勝利するのは、後のことを考えると危険ですね。非情かもしれませんが、「民間人の被害は最小限」「戦闘員に多大な犠牲」が、この戦争における最善の結果(嫌な言葉だなあ……)かもしれません。 > しかし、泥沼化するのもまずいと思います。戦争にかまけてアメリカ経済が破綻すれば、世界恐慌が起きる危険だってあります。そうなれば戦争に匹敵する犠牲者が出るかもしれない。 > 日本だって対岸の火事じゃないですよ。恐慌が起きたら、今以上に景気が悪化、会社がばたばた倒産、一家心中が続出……というシナリオだってありえるんだから。 > うーん、とてつもなく危険な綱渡りをやってるよなあ、ブッシュ。
> そうそう、この戦争がはじまる1月ほど前、『ブッシュ妄言録』(ぺんぎん書房)という本を読みました。いわば「トンデモブッシュの世界」。これまでブッシュがやってきたトンデモ発言を集めたものなんだけど、
> 「カナダとメキシコの国境関係が良好だったことはない」 > 「(ブラジルの大統領に)ブラジルにも黒人はいるの?」 > 「アメリカと日本は150年もの間、素晴らしい同盟関係を結んでいます」 > 「ワシントンDCとカリフォルニアも近いですが」 > 「アフリカは深刻な病に苦しめられている国家だ」 > 「(記者団の質問に)フランス語でも、英語でも、メキシコ語でもいいですよ」
> その他にも、ギリシャ人のことを「the Grecians」と呼んだとか、isとareの区別がついてなかったとか、スティーヴィー・ワンダーに手を振って呼びかけたとか。 > ……こんな奴に、今の世界の運命は委ねられているのですねえ(ため息)。
続いて唐沢さんの28日の日記。
> (前略) > まあその先生、ぺんぎん社の『ブッシュ妄言録』に書いてあるようなことを引用して、いかにブッシュがバカかと強調していた。典型的なインテリのブッシュ批判であ る。さて、そのバカ・ブッシュの支持率は現在、アメリカで7割以上。この先生はアメリカ人の大部分を敵に回しているわけだ。N.Y.や西海岸あたりの知識人がブッシュの無知をあざ笑えばあざ笑うほど、彼の支持基盤であるテキサス等、中央部でのブッシュへの肩入れは強固なものになっていく。忘れてはいけないが、アメリカという国は基本的に田舎者が大多数の国なのだ。知識をひけらかし自分たちをバカにする都会ものに対する、純朴な良き農民、牛飼い、季節労働者たち非エリート層の反発がブッシュの力だ。彼らは、アメリカ人のアイデンティティを奪おうとするインテリたちに、根本的なところで抜きがたい不信感を持っている。ブッシュはそこをうまい具合にすくい上げ、強いアメリカ、不正の前に屈するよりは名誉ある孤立を選ぶアメリカのイメージを自らの上に重ね合わせている。
> ものを知らない、よく言い間違いをする、文法を誤って使う、しょっちゅうジョークをハズす、嗜好が幼稚である、というようなことでマスコミはブッシュを笑い者にする。これは平清盛がノシ上がってきたときの宮中公家たちの態度、ヒトラーが台頭してきたときの旧プロイセン貴族たちの態度と同じだ。彼らの立場がその後どう逆転 したかは、歴史の教えるところである。ブッシュを甘くみてはいけない。彼のようなタイプのリーダーは、本当に恐ろしいのだよと、私はこれまでもこの日記で再三、言及している。世間の人々は一様に、この戦争が一日も早く終わって欲しい、と口にする。私は全く逆で、出来るだけこの戦争が長引き、アメリカ・イラク双方に被害が甚大であってほしい、と、ひそかに(さすがにあまり声を大にしては言えない)願う。なぜならば、戦争が長引けば長引くほど、ブッシュの評価は落ちていくからだ。この戦争が短期にして一方的なアメリカの勝利に終わったが最後、ブッシュは反対勢力すべてを黙らせるだけの絶対権力をその掌中にする。そのとき、この敬虔なキリスト教原理主義者は、いったい何を次の目標とするか。まさか21世紀に生きるものが、いかにファンダメンタリストとはいえ、異教徒の殲滅(ジェノサイド)を企むとは思えない、と信じたい。しかし、そのとき彼にはそれが出来るだけの力が、すでに与えられているのである。
> アメリカは公平に見て、素晴らしい国である。独裁者を生まないだけの知恵を、システムの中に組み入れている。今のブッシュの父であるブッシュは、湾岸戦争に勝利をおさめ、アメリカに栄光を取り戻し、95パーセントの支持率を得ていながら、再選されることなくクリントンに破れている。経済問題の失敗をつかれたから、というのが表向きの理由だが、意識下で、英雄に力を与えすぎてはいけない、という国民の良識が働いたためと見ていいだろう。しかし、現在のアメリカは、この開戦の際の国連、仏独、ロシア等の態度に、大きな失望を抱いている。誰も頼りにならぬ。なら、いっそそんな連中との連携なんかやめちまえ、オレたちは助けなんか借りず、勝手にやっていけるんだから、と、今アメリカ国民はそのセリフが喉元まで出かかっているだろう。それに伴うかの国の暴走をかろうじて押しとどめているのは、皮肉な話であるが、今度の戦争に賛同しているイギリス、スペイン、そして日本のコイズミさんなのだ。
唐沢さんは直接山本さんを揶揄してるわけではないが、山本さんのマジメな視点が見落としているものを指摘してる格好になってないか。こういうところを山本弘連絡会も指摘すればいいのになあ。揚げ足取り的な批判じゃ山本さんは全く動じないよ。 でも私は唐沢さんの意見に全面的には組しない。「戦争が早く終わってほしい」と私も思いはするからだ。がもちろんその理由は「テレビがつまらなくなるから」だけど(^o^)。
2001年03月29日(木) 血の収穫/ドラマ『六番目の小夜子』ほか
銀行にマンションの管理費を振り込み忘れてたので請求書が来る。 しげから怒られつつ振込み。DVD買うんでつい余計に卸してたんだな。こういうのがしょっちゅうなんで、もういい加減無駄遣いはやめようと思ってるのだが(信憑性ゼロ)。
夜、突然、しげに電話。 穂稀嬢のおトモダチのM子さんから呼び出される。 小1時間ほどで帰ってきたので、「何の用事だったの?」と聞いたら、布団かなにかのセミナー販売だったらしい。何かの身の上相談かと思って出かけたしげは拍子抜け。 「ここで帰ったら、M子さん困る?」 「そんなことないけど」 「じゃあ帰るね」 しげもあっさりしたものである。 カネに絡んだ話にはしげはトコトン汚くて、乗ることは絶対にないので、たとえしげが宝くじにあたって億万長者になっても期待なんかしないように。 その前に、宝くじ自体しげは買わんが。
ワーナーマイカル福岡東で映画『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』。 いきなりしげに誘われて行ったんで、カラダの準備ができていなかった。見ながら途中でウトウトと寝る。 でもリブ・タイラーはきれいだったなあ。ご贔屓のクリストファー・リー、今回は右往左往しててちょっと期待外れ。 モブシーンがえらく『ムーラン』に似て見えたんだけど、気のせい?
2001年03月28日(水) 悪役NO.1/映画『隠密剣士』/『名探偵コナン 科学トリックBOOK』ほか
本日、この日記を移転しなきゃならないハメになった原因を作ってくれた某幹部が、めでたく他の出店(支店だなんて言ってやらない)にすっ飛ばされることになった。 その幹部上司、私のやることなすことに難癖つけ続けてくれてさあ、おかげで私、このトシで窓際に送られてたんだよねえ。でも、どうせ何やっても足引っ張られるだけなら窓際もいっかー、ヒマなら本も読めるしってなもんで、ほぼ毎日定時に帰ってたんだけどねえ、何しろウチの放埓経営の元凶みたいなヤツだったから、もうマトモに言うこと聞く家来もいなくってね、クーデターが起こるんじゃないかってくらいの雰囲気だったから、親会社の方も「こりゃイカン」とようやく動いてくれたらしい。 で、そいつの転勤が決まった途端に、別の上司が私を窓際から引き抜いてきやがんの。 あああ、何も考えずにいただけなのに(何も考えてなかったからなんだけど)、いつの間にか派閥争いに巻き込まれていたのかああああ!\((;◎o◎)/! いや、マジで「期待してるよ」なんて、松本清張か高杉良の小説に出て来そうなセリフを言われちゃったよ。アンタ、こんな病人に何を期待しようって言うのよ(-_-;)。 でも実際に四月から仕事が増えることになっちゃったし、愚痴は言ってられないのである。これで今までみたいにドジ踏みまくってたら、引き抜いてくれた上司ともども共倒れなのである。熱を出しても血便出しても休めないのである。早死にしたくないなんて言ってられないのだ。 窓際だったときの方がマシだったかも……?
マンガ家、椎名高志さんのホームページ、『(有)椎名百貨店 THE WEB 』のトップページがいきなりえっちに変わっていてとっても嬉しい。 でもって、3月25日の日記で、『ほしのこえ』を見て大感動した旨が書かれてある。どれくらい感動したかと言うと、「すごい」とか「号泣した」とか、そのへんはまだいいんだが、「天才って、出てくるもんなんですねー。レベルが違いすぎて嫉妬する気も起きません」なんて書いてるのを見ると、ちょっと心配になってくる。我々のようなシロウトならともかく、プロがアレを素直に誉めちゃマズイんじゃないか。 モノを誉めるには、どの視点で、どういう立場で、どのレベルで誉めるのかってことを考えないと、その作品の価値を人に伝えることはできないと思うんである。新海誠監督に才能がないとは言わないが、それが「天才」であるとか、「レベルが違いすぎる」とまで誉めちゃうのはかえって「眉唾」って印象を与えないか。しかもそれをプロである椎名さんが言っちゃ、「椎名高志、スランプが続きすぎて、もうモノを見る目自体なくしたかな」と思われても仕方がないと思うぞ。 アレにだって、欠点はいくらでもある。というか、冷静な目で見れば、欠点の方が確実に目立っている。実写感覚の映像、と言えば聞こえはいいが、要するにアニメとしてのカタルシスには乏しいということだ。キャラクター造型も表現に乏しいし、ヒロインが宇宙空間で制服着てるのも滑稽だ。学校帰りにいきなリ徴集されて着替えるヒマがなかったのか? 『マクロス』や『トップをねらえ!』からの引用で成り立ってる点も、「プロの作品」として見れば批判の対象でしかない。厳しい目で見れば、「素人コンテスト」でなら優勝しても、プロの舞台には立てない、そういうレベルの作品なのだ。 にもかかわらず、『ほしのこえ』を称賛することに私は躊躇しない。新海監督はシロウトに毛が生えた程度の人でしかない。なのに、あれだけのモノが作れたのだ。しかもたった一人で。それがアニメを作りたいと考える若い人たちに、どれだけ希望を与えたことか。 「オタク大賞」で、唐沢俊一さんが「プロの方がアレを作られてかえって動揺している」と語っておられたが、本来プロは『ほしのこえ』をとっくの昔に通りすぎてなければいけなかったのではないか。 椎名高志さんは、時としてプロらしからぬ発言をする。BSマンガ夜話で『うしおととら』をパネラーのみんなが誉めちぎったのに、作者の藤田和日郎と椎名高志だけが貶されたと勘違いして怒った。その当時は椎名さんは藤田さんをなだめるためにワザと怒ってみせたのかな、と穿った見方もしてみたが、こういうストレートな発言をする人だと、あの時も単純に怒っていただけかもしれない。 となると確かに「レベルが違う」って自評は当たってるか。でも『ほしのこえ』以下の才能しかないなら、椎名さんに未来はないと思うが。
日本映画専門チャンネルで映画『日本の黒い夏 冤罪』。 舞台劇の演出法を映画に持ちこんでるのが失敗。 中井貴一の主役もなあ。ヒロインの遠野凪子はいい役者に育ちそうだけれど、ここでのセリフは全てリアリティに欠ける。
2001年03月27日(火) 今日も伏字、明日も伏字/『トランジスタにヴィーナス』2巻(竹本泉)ほか
体調崩して仕事休み。
DVD『必殺仕掛人』『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』『必殺仕掛人 春雪仕掛針』。これは映画シリーズ。 テレビシリーズのDVD『必殺仕掛人』と中身を見比べる。 テレビは原作自体がまだ二、三作しかなかったおかげで、設定借りただけのオリジナルだったんだなあ。 映画にも梅安の相棒の彦次郎は出てないのはそのため。 田宮二郎と緒形拳が映画とテレビとで全く同じシーンを演じてるのに、雰囲気は全く違うのが面白い。 岩下志麻って演技ヘタだと思うんだけど、どうよ。
金成陽三郎原作・山口譲司漫画『ミステリー 民俗学者八雲樹�ぁ_礁未隆杙�人事件』(集英社/ヤングジャンプコミックス・580円)。 もう読むのやめたがいいかな。『金田一』のトリック、使いまわすなよ。
2001年03月26日(月) アカデミーよりラズベリー/『幽霊暗殺者』(赤川次郎)/ほか
DVD黒澤明ボックス3を購入、これで全巻揃い。 まずは『天国と地獄』。 メイキングを見て、窓の外の夜景が全てミニチュアと知り、驚く。 魚市場の男の声アテ、明らかに熊倉一雄だがクレジットには名前なし。
ドラマ『金田一耕助シリーズ 人面瘡』。 古谷一行の老け具合ももう無理がありすぎるが、斉藤由貴に横溝ヒロインは無理。 これが生誕100年記念作品かよ(T∇T)。
2001年03月25日(日) ハカセ登場!/『カムナガラ』1・2巻(やまむらはじめ)ほか
部屋を掃除。 三谷幸喜の舞台『出口なし!』と『君となら』を見つける。 久しぶりに見返すと、このころの三谷幸喜が一番よかったと思える。 森口瑶子が美しい。
2001年03月24日(土) 女の子が好き!/アニメ『フリクリ』6巻/『低俗霊DAYDREAM』1巻(奥瀬サキ・目黒三太)ほか
天本英世さん死去。 終日、鬱。
2001年03月23日(金) ストレス解消!/映画『サトラレ』/『犬夜叉』20巻(高橋留美子)ほか
トリアス久山、ヴァージンシネマズで映画のハシゴ。 連休じゃなきゃ、こんな体力勝負はやってられなくなっている。でもマジで貯金が底ついてるし、休日出勤して日銭を枷がにゃならんかな、とも思っている今日この頃、医者にはいったいいつ行くんだ。
一本目、映画『キャッチミー・イフユーキャン』。 実話を改変した部分がつまらん。これだけ女がバカにされてる映画も珍しいな。
合間にレストランで天丼食う。
二本目『呪恩』。描写だけでドラマはない。市川由衣がかわいかったのがまあ収穫か。 しげ、私の手を握りつぶす。イタイ。
2001年03月22日(木) DO YOU REMEMBER?/『梶原一騎伝』(斎藤貴男)ほか
| 2003年03月21日(金) |
何だかクレームがついたゾ/『ネコの王』4巻(小野敏洋)/DVD『プリンプリン物語 友永詔三の世界』 |
さてまあ、一昨日、掲示板の方に戦争のことについて書いちゃったもんで、なんぞ反応があるやろかと思っていたら、早速掲示板にレスがついたのであった。 ただ、私自身が想定していた書きこみとは全く内容が異なっていたので、いささか面食らいはしたのであるが。
だいたいにおいて、私の時事に対する雑感なんてものは無責任極まりないものであって、揶揄と皮肉と悪口だけで成り立ってるようなところがあるから、マジメで純粋でラピスラズリの原石のような輝きを持つ人にとっては、いささかならずハラの立つものだろうと思うのである。 けれど私としてはこれでも「抑えてる」つもりなんですね。なんたって私自身、道徳観というものが全くない人間なので(犯罪者に対して倫理的嫌悪感を持ったことは一度もござんせん)、自分にある程度の枷をかけておかないと、どこまで筆が暴走するかわからないのですよ。なんか2ちゃんねるよりタチが悪い?(^_^;) だもんで、これまでにも何度となく、小さなものから大きなものまでトラブルを起こしちゃいるのだが、未だに懲りもせずにどこまで好き勝手書けるものなのかなあ、ということを実験したりしているのである。
戦争について書いたのも、その事象自体に興味があったわけではありません。 「こういう書き方をしたら反応があるかどうか」ってことを見るのに丁度いい題材だったから、ってことなんですね。 実際、「戦争そのものについては賛成でも反対でもない」=「興味がない」ってことをハッキリ書いとります。俎上に上げたのは「人間の盾」の連中の馬鹿っぷり。けどマジメなヤツ(っつーか、感情的戦争反対論者)はきっと、そこんとこだけ取り上げて、トンチンカンなこと書いてくるんじゃないかと予想してたのね。 「今までROM専門で参ってきましたが、今度のあなたの書き方だけはどうにも許せません。命をかけてイラクに行かれた方の気持ちを考えていらっしゃるのでしょうか」とかなんとかな(^o^)。「これだけは言っとかなくちゃ」って発想自体がただの自己陶酔なんだけどねえ。
予想外の書きこみの一つはヨナさん。 「正義を求めず、国益を追求しましょう」と、日本のアメリカ追従の立場を肯定せざるを得ない、というご意見。もちろん「感情的戦争反対論者」では全くないのだが、「戦争」についての意見であることには違いない。 書きこみ頂いた意見についてのレスは極力付けるようにしてるのだが、これは困った。なにしろこれに返事をしようにも、先に「戦争に興味なんかない」趣旨のことを書いちゃってるんである。どう返事をしたらいいものか迷っていたら、またもや今日になって予想外のレスがついた。
"裏"モノ会議室定連の見えない世代さんが、私の「戦争反対を唱える誰一人として今度の戦争を止められなかったのですから、個人の力なんて所詮国家の前では屁だということが改めて証明されただけではないですか。そういう無責任な人間が、過去の戦争の罪を断罪したりしているのは、あまりにおこがましいというもの」という記述について、「ここは『無責任賛歌』ではなかったのですか?」と突っ込みをされたのである。
さあ、これがまた、何をどう突っ込みたいのかわからなかった。 私としては、日記のタイトルに齟齬のあることを書いたつもりは全くなかったからである。 記述の最後に「これからも今まで通り、『ヨソの国で誰が何人が死のうとかまわねえ』の姿勢を貫きなさいよ」とも書いている通り、私ゃ「無責任を通しなさいよ」と言ってるんであって、「無責任になるな」とはヒトコトも書いちゃいないのである。「『無責任賛歌』のタイトルにもとる」と言われても、「もとりませんよ」としか答えようがないのである。 単純な話、私は「バカがリコウぶるな」と言ってるわけなんだけれども、それは私が「バカ」を肯定的に捉えているからである。「バカはバカでいいじゃないの」ということなのだけれど、「バカ」を否定的に捉えている人ならば、この言葉を「バカをバカにしている」と捉えるだろう。しかし“裏”モノ定連である見えない世代さんがそんな捉え方をしているとはとても思えない。 なんだかよく分らないので、当初の予定通り、「もしもマジメな人が突っ込み入れてきたら」という想定のもとでどう返事しようか考えておいた内容をアレンジして以下のように書いた。見えない世代さん宛てに書いているように見えるが、実はそうではない。
> 彼らは自分が「無責任」だなんて自覚は持ってませんから。「戦争をなんとしてでも止めることに『責任』がある」、そう信じているんだと思います。 > でも、戦車の前に寝転んでプチッと死んじゃう行為を、私は誉めたたえる気にはなれません。そんなことをしてもムダだということがなぜわからないのか。自分に酔ってるんでなければできる行為ではないと思います。 > いったい、彼らに親はいないのか。彼らの親は喜んで彼らを送り出したのか。そういう親もいるかもしれませんし、それはそれで「立派」な行為なのかもしれませんが、全員が全員そういうわけでもないでしょう。親の悲しみ一つ理解できない人間に、何をどう止められるというのか。 > 「大義のために子供が死んでも構わない」というのなら、戦前の軍国主義思想と本質的になんの変わりがあるというのでしょう。 > 彼らを「英雄視」するなら、今、イラクを脱出し、海外旅行を控えたりする人間や、修学旅行を取りやめる学校は、「卑怯者だ」ということになってしまうのか。そこまで難癖をつける人間はそうそういないにしても、子供に死んでほしくないと思う親を「非国民」だと考える人間は、今でもこの日本に「実際に」生息しています。 > 戦争なんて、無責任に傍観してりゃいいじゃないですかってことですから、本サイトの趣旨に反することは語っていないつもりです。 > 見えない世代さんが揶揄するつもりでこういうことを書かれた訳ではないことは理解できますが、戦争の何がよくないかって、それは「人の命がなくなるから」ではなくて、「不謹慎なこと」も含めて、モノが自由に言えなくなることです(ということは日記の中でも何度となく書いています)。 > 私が戦争に賛成でも反対でもない、と書いたのは、どちらの立場の人たちも、自らを「正義」と信じ、ヒステリックに言論を封殺しようという意志において、同レベルだからです。もちろん、冷静に戦争を見ようとしている人もたくさんいらっしゃいますが、私が俎上に挙げているのはそういう人たちではありません。 > 私はあえて過激な書き方をしていますが、もっと柔らかい「戦争か。やだねえ。でも起きるときゃ起きるわなあ」程度のことを言っても「おまえは事態をなんと考えているのか」と本気で突っかかってくる人、現実にいます。逆に、「イラクなんぞさっさと潰してしまえや」と放言する人をさも極悪人のように毛嫌いする人もいます。 > もちろん、時と場合によっては言葉を控える、ということも現実ては常識でしょう。ヤなやつが死んでも、さすがに葬式の席上で「ザマを見ろ」なんてことは普通、言わない。しかし、「事態」が国家単位になってしまったら、いつ、どこででもモノが言えなくなる。マス・ヒステリーに乗せられて、ほんの些細な無責任発言を見逃せなくなるような事態になってしまう危険がある。 > それは、日本人全員が再び「警察国家化」することにもなりかねません。そのことの恐ろしさを、我々は先の戦争で学んだはずではなかったのか、ということを私は言いたいわけです。 > 見えない世代さんは、私の発言について、「危険思想」だとか「国賊だ」とまではお考えにならないとは思いますが、そう「思いたがる」人が増えることを私は危惧しているのです。 > 先の発言で、私は自分の言いたいことは言ったつもりで、あとは付け加えることないなあ、と思ったんで「あとは沈黙」(←もちろんこれは『ハムレット』の「死」のセリフであります。そこにも皮肉をこめたつもりでした)と書いたのですが、舌足らずで誤解を生んでしまったようですので、以上の通り、説明させていただきました。 > もし、見えない世代さんが「不謹慎な発言は慎んだ方が身のためにはいいのではないか」と私の立場などを心配してくださっているのでしたら、「まあ、もちっとだけがんばってみます」とお答えしたいと思います。 > でも『社会派くんが行く!』が堂々と版を重ねているのですから、まだ日本人にも理性は残ってるから大丈夫だろう、と楽観はしているのですが。
先の文章よりも「どっちとも取れる」文章になっている点にお気づきの方もあろうか。何の「どっち」なんだ、と疑問に思われる方もおられようが、あまり詳しくネタバラシするわけにもいかないので、察することのできる人だけ察していただきたいのである。
仕事帰り、天神を回る。 ベスト電器のLIMBで予約しておいたDVDをいくつか。ついうっかりカウンターで紀伊國屋のカードを出してしまい、「違いますよ」と言われて恥ずかしい思いをする。なんかアレだね、女房とナニしてる最中にうっかりほかの女の名前を呼んでしまったような気分だね。いや、ただの例えです。浮気はしたことないし、する気もないと強調しておこう(^o^)。 ジュンク堂で、長いこと探し回っていたいしかわじゅんの『秘密の手帖』をようやく見つける。部数、あんまし出てないらしくて、紀伊國屋にも福家にも見当たらなかったからなあ。
マンガ、小野敏洋『ネコの王』4巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 サハとコレットのエルフ姉妹が新キャラクターとしてレギュラー入り。サハさん、なんだかすごく井上喜久子の声で喋ってる気がするんですけど気のせいでしょうか。コレットはまあ、ロリです。胸ないし。今時の声優なら野川さくらあたりがアテりゃいいんじゃないですかね。 でもそんなことより今巻のメダマはなんたって猫女神様の素顔ですね。仮面かぶってたときは吊り目だったけど、ホントはタレ目でした。これが出たってことは次巻あたりで完結なんでしょうか。
DVD『プリンプリン物語 友永詔三の世界』。 なんか四月からも再放送するらしいけれど、一番好きだった「アクタ共和国編」は殆ど残ってないんだね。 だいたい『プリンプリン』が放映されてた1979〜1982年ごろは、NHKの放送作品の保存が雑だって相当批判を受けてたはずなのに、なおもどんどんビデオテープを重ね録りしてたんだから、ふざけんなって感じなんだが。 このDVDには、その貴重な「アクタ共和国編」最終回である第164回も収録。当時はボンボンとルチ将軍が同じ神谷明の声とは気がつかなかった。 ……と言ったらしげが「何で?」と突っ込んできた。そりゃ、今ならすぐにそうだってわかるけれど、当時はたいして声優で番組見るようなことしてなかったんだよ。まあ、私がオタクとしては超薄型だってことが、このあたりからもバレバレなんである。 結局プリンプリンは故郷を見つけられないままで終わっちゃったんだよなあ。続編を想定してたのかもしれないけれど、NHKがそんなに番組を大切にするんだったら『ひょっこりひょうたん島』だって全話残ってるって。結局、作者の石山透さんがなくなって、続編の夢は消える。 何分、今から20年以上昔の作品なので、なぜか勘違いしていたお茶目な話。 ランカー役の滝口順平が歌う「星よスミレよ蝶々よ 薔薇よ蛍よ太陽よ なおそれよりも美しい 愛を求める男の心 ああ 純情一路 どこまでも ああ プリンプリンプリンセス」ってやつ、なぜか私はこの歌だけクロード・チアリが吹き替えてると思いこんでいた。改めて聞くとちゃんと滝口さんの声である。なんでそんな勘違いをしたのか、サッパリわからんのである。
2001年03月21日(水) 『GQ』余燼/映画『アンブレイカブル』/『さすらいエマノン』(梶尾真治)ほか
| 2003年03月20日(木) |
ヨッパライがいたゾ/DVD『サイボーグ009 第2章 地上より永遠に2』/『帰ってきたウルトラマン』vol.6 |
遠いお空ではドカンドカンやり始めたらしいが、仕事はしなきゃな。 職場で昼どき、「始まりましたかね?」と同僚の一人に聞いたら、「なんか始まったみたいってニュースで言ってましたがね」との返事。 ウチの職場、テレビもないしラジオもない(新聞はある)。もちろんその手の類のものの持ち込みも認められちゃいないんだが、この人どうして知ったか。 カマかけに引っかかりやすい人だなあ。
戦争はもう、勝手にやっちゃっててください、という心境なのだが、これのせいでテレビ番組が流動的になったり、本来もちっと大きく扱われていたはずのニュースが囲み記事になっちゃったりするのが困るんである。 香ばしいニュースがいろいろとカットされてる気がするなあ。
何だかここんとこ早出の仕事が増えてきてるしげである。 食事の時間も取れないと言うので、「なんでそんなに早く出なきゃならんのだ?」と聞く。勤務時間は8時からだと言うのに、6時には出てなきゃならんというのはいくらなんでも早出が過ぎやしないか。 細かい事情はよくわからんが、物品の搬入、受け取りを早めにして置かないと、夜、客が増えて忙しくなってからだと間に合わないらしい。なんかパソコンの準備もどうたらとか言ってたな。 でも、仕事が忙しいのは仕方ないとしても、帰りも遅くなって朝までカラオケなんかして遊んで、家事ほっぽらかしじゃあ言い訳にならんだろう、と突っ込んだもんだから、またもや口論になる。口論しても、結局謝るのはしげなので(だって実際、家事なーんもしとらんし)、ケンカするだけ無駄だと思うのだが、全然懲りないのである。 「なんね、謝ればいいとね?」なんて憎まれ口さえ叩かなけりゃ、「がんばれよ」くらい言ってやるんだがなあ。 あ、今気がついたけど、私、しげに「がんばれ」って声かけたこと、結婚して以来一度もないなあ。いや、これは別に「がんばれ」なんて気休めにもならんキレイゴトを愛する妻に向かっては言いたくない、なんてことではなくって、しげががんばったことなんて一度もないからなんだが。 どうして「忙しくて家事できなくてごめんね」ってヒトコトが言えないかなあ。「悪かった」って気持ちさえ表してくれりゃ、別に私だって怒りゃしないのである。 「ウソ、絶対怒るもん」 「怒んないよ。実際おまえが素直に謝ったときには怒ってないし。おまえ、記憶力ないから怒られたときのことだけ覚えてて、怒られなかったときのこと忘れてんだよ」 「オレが忘れてるときのことを証拠に持ち出されても、オレわからんやん! そんなんズルいやん!」 「どこがズルイか! 忘れてるおまえが悪いんだろが! そうやってさあ、自分が馬鹿なのをまるでオレの方が悪い、みたいな言い方するの、いい加減でやめてくれん?」 脳ミソ膿んでるやつに何言っても無駄かという徒労感はあるのだが、言わなきゃこの馬鹿、ますます増長するし、言うしかないのである。 なんでしげが素直になれないかっつーと、しげが自分で自分のことを「そういうキャラクターじゃない」と規定しているからである。「素直になること」=「相手に負けること」って図式が脳にインプットされてるんだね。負けず嫌いなのはわかるんだが、だからって、私に対抗するためにどうしてあえて「家事も出来ない馬鹿妻」を演じなきゃならんのか。私を見下したいなら、家事もなんでもこなすスーパー奥さんになって、「この家を取り仕切ってるのは私なのよ、おーほほほ」とやれば私はヘイコラするしかないのである。しろよ。 馬鹿やってたって、自分だって損するだけだろうに(なのにやってるから、心底、馬鹿妻なんだが)。 素直に謝りゃ、家の近くで落としてもらって、小遣いくらいやろうかと思ってたんだが、やめた。不貞腐れた罰に、博多駅まで送らせる。仕事に行くのが遅れるんだろうが、遅刻になるわけじゃない。早めにやらなきゃなんない仕事は猛スピードで片付けりゃいいのだ。自業自得。
バスセンター上の紀伊國屋書店でDVDと本を買った帰り、「バスチカ」のラーメン屋でチャーシューメン。例の餃子激マズの店だが、ラーメンは下の上くらいで、まあ食えなくはない。替え玉したら確実に胃にもたれるが。 バス停で待ってると、ヨッパライの爺ちゃんが急に絡んできた。 と言っても、乱暴なことをされたわけじゃなくて、選挙の宣伝である。 「○○○○さんのところで働いとうとですよ」とかなんとか言いながらハガキを渡してくるのだが、見てみると下馬評ではまあ当選は無理だろうな、と思える方のものである。まだ夜になって間もないってのに、すっすり出来あがっちゃってる人をスタッフにしてちゃなあ(^_^;)。 酔っ払いは嫌いじゃないし、こういう呑気な爺さんは好きである。だもんで、適当に相槌を打ってるとうちにバスがやってきた。気がついたら10分くらい○○○○さんの話を聞いてたのである。呑気なのは私の方か(^o^)。 爺ちゃんに挨拶して、バスに乗り込んだが、話の間中、どうしても気になったことがある。この爺ちゃん、私に向かって「お爺さん」と呼び掛けるのである。 あの、多分私、アナタより10歳から20歳は若いと思うんですけど。そりゃ白髪は増えちゃったけどなあ。
DVD『サイボーグ009 第2章 地上より永遠に2』。 第31話『怪物島』、第32話『機々械々』、第33話『結晶時間』を収録。 テレビ放映時との違いは、5.1チャンネル仕様にした以外は大してない模様。 第2部に入って、パンフを付けてくれるようになったのはありがたいのだが、だったらスタッフリストをちゃんと完全掲載してほしいものである。 それから『機々械々』の脚本の「江古田豊」が芦田豊雄のペンネームだってことも解説で触れておいていいんじゃないか。資料的にはちょっと物足りないのである。
DVD『帰ってきたウルトラマン』vol.6。 第21話『怪獣チャンネル』、第22話『この怪獣は俺が殺る』、第23話『暗黒怪獣星を吐け!』、第24話『戦慄!マンション怪獣誕生』の4話を収録。 本放送時は、このあたりから出来の悪いエピソードが多くなってきたんで随分腹を立ててたことを思い出した。 第22話で、加藤隊長があっさり転任、特に感動的なエピソード一つ描かれなかったのも不満だったが、第23話の小学生でもわかる科学考証のデタラメさには「シナリオ書いたの馬鹿?」とか思ってたが(山本弘さんも全く同じ感想を抱いていたことが『こんなにヘンだぞ空想科学読本』を読んで知った)、実相寺昭雄組や大島渚組の石堂淑朗だったのである。ならしゃあないか。もともと特撮だのSFだのに思い入れがある人じゃないもんなあ。でも、いくらなんでも「かに座生まれだから怪獣は『ザニカ』」なんて名前の付け方、センスなさすぎじゃないか。いや、本人もかに座生まれだそうだけど。 しかし、ゲストにはなかなかいいキャスティングしてるねえ。22話にはストーリーに全く関係なく、ピエロ役で三谷昇が出て飛び撥ねてるし(メイクしててもすぐ三谷さんとわかるな)、23話は横山リエに天本英世。ただ、横山リエを「少女」って呼ぶのにはちょっと無理があるが。 天本さんも石堂淑朗脚本ということもあるのか、この時期ではなかなかの熱演で、ちょっともったいないくらいである。バキューモンに地球が呑み込まれることを知った天文研究所所長、「どうせ死ぬなら何も知らないまま死んだ方がいい」って、あんたそこまで悲痛にならんでも。悲壮感ありすぎである。 第24話の怪獣キングストロン、『ウルトラマン』のガヴァドンとイメージかぶっちゃってて、これも白けてたなあ。
2001年03月20日(火) オタクの花道/映画『ギャラクシー・クエスト』/『Q.E.D.』9巻(加藤元浩)ほか
| 2003年03月19日(水) |
言わずもがなのお話/『社会派くんが行く! 激動編』(唐沢俊一×村崎百郎) |
この日記、リアルタイムでお読みの方ならお分りだと思うが、更新がしょっちゅう遅れているのである。どれくらい遅れるかというと、ひと月くらいはザラ。あまりに遅れすぎて、途中すっ飛ばすこともあるのだが、するってえと、「飛んだ分の日記はいつ書くんだ」とお叱りを受けることもしばしば。 しょうがないので、とりあえず掲示板を代理日記にしてチョコチョコっとその日に思ったことを書いたりもする。でも、簡単なメモ程度のものや、紋切型の文章だったりするものだから、改めて日記で記述を書き直したり加筆訂正したりしなきゃならない。二度手間でかえって苦労するハメになるのだ。 だったらダラダラと長ったらしいだけで中身のない文なんて書いてないで、さっさと進めたらいいじゃん、とみなさんご指摘なさるでしょうね。ハイ、その通りです。なんも反論できまへん。でもそれができりゃ苦労はしない。誰から頼まれたわけでもないのに、気がついたら長ったらしい文を書いてしまう癖、学生のころから変わってないのだ。 まあ、何とかしよう、という意志だけはあるので、その気持ちを汲んでいただけたらありがたいんですが、ダメですか。
政治ネタはあまり日記に書きたないなあ、と思っちゃいたんだが、まあ、こればっかりは一応書いとかんといかんかな。 ブッシュさんがついにフセインさんに最後通告出した件ね。 とりあえず、掲示板に以下の通りの書きこみをする。
> 私ゃ、ブッシュとフセインのどちらの立場にも組みしません。戦争に賛成でも反対でもないです。 > 「無辜の民が死ぬから」という感情論だけで戦争反対を唱える人も好きにはなれません。そういう人は、ブッシュが勝てば沈黙するに決まってるから。 > 「人間の盾」なんてのも、どんなに命をかけようと、所詮は安っぽいヒロイズムでしかない。死ぬなら勝手に死になさい。命を軽視してるのは果たして誰か。 > 結局、戦争反対を唱える誰一人として今度の戦争を止められなかったのですから、個人の力なんて所詮国家の前では屁だということが改めて証明されただけではないですか。そういう無責任な人間が、過去の戦争の罪を断罪したりしているのは、あまりにおこがましいというもの。 > あの人たちがすっかり忘れているのは、最近初めて戦争が起こったように錯覚してますが、戦争は敗戦からこっち、絶えず世界中のどこかで休むことなく行われていました。カンボジア紛争にもコソボ紛争にも全く関心を示さなかった連中が、どの口で今更戦争反対を唱えるのか。これまでもずっと対岸の火事を決めこんできたんだから、今更正義派ヅラしなさんな、見苦しい。 > これからも今まで通り、「ヨソの国で誰が何人が死のうとかまわねえ」の姿勢を貫きなさいよ。
> あとは、沈黙。
書きながら「まだまだ舌足らずだなあ」とは思うが、これ以上長く書くとなると、マジで『戦争論』でも書かなきゃならないハメになる。いや、書いても構わないのだが、その場合、日記の更新がまず確実に1年遅れになってしまうだろう。さすがにそれはちょっとな(^_^;)。 けど、この「戦争に賛成も反対もしない」って態度、コウモリみたいでどっち付かずって捉えちゃう人いるんだろうなあ。ある意味その通りなんで、反論もできないけどな(^o^)。かと言って、明確な態度を取ったからって、それが何か意味のあることかどうかって気はするんである。 「自分の意見を明確にする」って行為、自分の「社会的な立場」を考えなきゃならない場合以外には余計なことなんじゃないのかね?
晩飯はたまごかけご飯と冷凍からあげ。 冷蔵庫のありものである。しげが一緒に食事する時間がないってんでこうなった。何だか独身時代に戻った気がする……というより、未だに私ゃ結婚してる気文になれてないんだが。 メシ食いながら、アニメ『ヒカルの碁』を見る。最終回直前で作画もまあまあキレイだけど、結局、最後まで川上とも子さんのヒカルの声の演技には慣れなかったなあ。特にこう等身が伸びてきちゃあねえ。……もう、声変わりしてるだろう、ヒカル。
シティボーイズのライブ『NOTA』のチケットが届く。 今回は私としげの二人のみ。こうたろう君は残念ながら不参加だが、家族の手前、しょっちゅう芝居にも行ってられないだろうからなあ。もしギリギリで時間の調整がついたりして、当日券がキャンセルされてたりしたら、一緒に見たいんだがなあ。
雑誌『言語』四月号の「斎藤美奈子のピンポンダッシュ」で、「空襲」と「空爆」の意味の違いについての考察あり。 つまり、「空襲」は被害を受ける側からの視点での、「空爆」は加害者側からの視点での用語ってことだけど、そう言われりゃ新聞・ニュースの類、最近の戦争については全て「空爆」を使ってるな。「空襲された」じゃなくて「空爆した」なわけだね(「空爆された」という言い方もあるが、やはり意識としては加害者寄りなんである)。 なんだかこのあたりの言葉の使い方にも無意識のうちに「加害者寄り」になってる日本のマスコミの姿勢がありそうだよねえ。だから日本人そのものが「対岸の火事」を決めこんでんだから、きれいごとだけの「正論」吐いたって意味はないのさ。
唐沢俊一×村崎百郎『社会派くんが行く! 激動編』(アスペクト・1365円)。 表紙の作者表記を見て、「そうか、村崎さんの方がウケか」と思った方は私のトモダチです(平成ゴジラ『×』シリーズでも似たようなこと思った記憶があるな)。 お二人の「鬼畜対談」第2弾だが、世間の良識、キレイゴトに対して悪口雑言の限りを尽くした前作には、全くと言っていいほどクレームがつかなかったそうな。 でもこうして第2弾が出た以上は、結構な部数は売れたのだろう。読者の中に「識者」とやらが全くいなかったとは考えられないから、どうしてクレームをつけなかったかって言うと、クレームつけてかえって村崎さんにストーカーされたら怖いとか、あるいは「誹謗中傷してるように見せかけてて、実はこの人たち、社会の悪を糾弾してるんだわ」(←女言葉にしてるのにさしたる意味はあらず)、とか、勝手に脳内変換しているのであろう。 まあ、大半の読者は「キレイゴト」は嫌いだろうから、喝采を挙げていたと思うが。 「時事批評は古くなる」とはよく言われることだが、古くなっていいのである。それは「古典」になるってことだから。何度となくこの日記でも書いてるが、当時の出来事についての「キレイゴトの批評」しかなくて、「悪口」ってものが残されてないと、いったい庶民はこういう事件に対して本音でどんな感想を持っているのか、「時代の感覚」というものが分らぬのである。 現在ならこういった「悪口本」は不謹慎かも知れないが、未来ならこれはまさしく第一級の資料である。西鶴が『日本永代蔵』や『世間胸算用』を残してくれていたことが後代の研究者にとってどれだけ助かったことか。お二人にはこれからもぜひ、プライバシーの限界に挑戦してほしいものである。 特に、こういう対談本の類はあまりベストセラーになることが少ないし、なっても5年も経てばもう絶版、世間で忘れられることが多い。けれど、とにもかくにも書き残されてさえいれば、「時代の証言」として発掘することはできるのだ。唐沢さんの本が百年後の人間によって古本屋で探し出される風景って、唐沢さんにとっては本望だと思う(^o^)。 唐沢さんも面識のあったアニメ作家・宮沢みきおさんが世田谷で一家揃って惨殺された事件、あれだけ遺留品があって、どうしてなかなか解決しないのかなあ、と思ってたけど、「そういうウラ」があったのね。やっぱり新聞とテレビのニュースだけ見てちゃイカンのだなあ。 ……いや、この調子で内容の感想書いてったら、結構ヤバいことになりそうなのでこのへんで。実際、小心者なんスよ、結構。
夜中にふと目覚めてテレビを点けたら、あ○○りさ○○の『らいむいろ戦奇譚 』をやっていた。前にも何度かチラチラ見てて、エンディングのケツ振り踊りに閉口してたんだが、なんか「今日はお兄ちゃんをずっと休ませて挙げる日なの!」とか言って、主人公の指揮を仰がずに、少女たちが戦闘に行っちゃうって話。もちろん少女はドジッ子なのである。 これ見て殺意が過ぎらないアニメファンはアニメファンではあるまい。 ……なんで夜中にこんなゲンナリする悪夢を見ねばならんのかなあ。いや、テレビ点けた私が悪いんだけどさ。
2001年03月19日(月) 文句ばっかり言いたかないけど/映画『ONE PIECE 〜ねじまき島の冒険〜』ほか
| 2003年03月18日(火) |
第三セクター救済企画(^o^)/『ルパン三世 ある雨の日の午後(前編)』(大塚康生) |
某所よりハウステンボスの割引チケットを入手。 1割2割どころではなくほぼ半額。これは結構な大盤振る舞いだとは思うが、無料招待券もやたら出回っている今、これで普通なのかも。どっちにしろ、正規の値段は泊まりがお一人様24000円(税別)である。 大富豪じゃあるまいし、そんなカネ出せるか。んな暴利を貪ることやってるから潰れるのだ(って、アチラはこれでもカネ取ってないから潰れたんだって言いたいだろうが)。 まあ、半額と言っても二人で行けばやっぱりそれだけのカネが吹っ飛ぶのである。交通費、食費を考えれば、やっぱり五、六万の出費は覚悟せねばなるまい。東京行きも近い今、これだけの出費は正直イタイのだが、でもこの半額チケットがこれまた四月末までの限定チケットと来ている。 今しかないんだよなあ。 しげはやっぱり行きたがるんだろうなあ、と不安に思いながら、仕事帰りに車の中で相談してみると、「父ちゃん誘って行かん?」。 ああ、なるほど、それなら旅費くらいはオヤジにタカれる……って、そうじゃないっつーの(~_~;)。 どうもしげが前々からハウステンボスに行きたい行きたいって言ってたのは、親父と一緒に家族で行きたいってことだったらしい。考えてみたら、ここ数年、オヤジと一緒にどこかに泊まるってこと、なかったからなあ。休みが一緒にならないから仕方ないんだけれど。
せっかくだから、父の店に寄って、半額チケットを見せて誘ってみる。 父、ハウステンボス自体には行きたがってたようだが、やはり休みの日を合わせられない。行くとしたら別々になるだろう、ということで断念。 この日記をお読みになってる方には、私より糖尿病のヒドイ父を私がほったらかしてることに「なんて親不孝なヤツなんだ」と憤ってらっしゃる方もおられるかもしれないが、生活時間が父と私では全く違っちゃってるので、一緒に住むことはおろか、たまに合うことだってそう簡単にできることではないのである。 その分、父の世話は全部姉に押し付けた形になっちゃってるんで、ますます私はヒドいヤツなんであるが、お詫びってわけでもないけれど、父の財産(そんなモノは多分ないが)、全部姉に譲っていいと思ってる。姉とは血が繋がってないんで、その辺りは法的には難しいのかもしれないけれど、何とかならんものかなあ。やっぱ人間ってさ、血よりも縁だと思うんだがなあ。
夜、珍しくしげが早めに帰ってくる。 12時過ぎで早上がりってのも生活逆転なんだけれど。滅多にない機会はできるだけ利用しないと損なので、諸岡まで夜のドライブ。と言っても寄るとこって深夜営業の本屋とロイヤルホストなんだけど。 夜も遅いんだからカロリーは控え目にした方がいいんだが、ハンバーグとロースカツ定食なんて濃いものを頼む。だって新製品だったし(なんでこういう「お試し企画」に弱いかなあ)。
モンキー・パンチ原作監修・山上正月作画『モンキー・パンチ責任編集 ルパン三世公式OFFICIAL magazine WEEKLY漫画アクション4月14日増刊号』(双葉社・500円)。 今号の目玉は、大塚康生描く『ある雨の日の午後(前編)』。 過剰な期待はしなかったけれど、まあ、コマワリがヘタなのはマンガはシロウトだってことで仕方ないかなとは思う。でも、絵自体はねえ、かつての大塚さんの流麗な線を知る者としては、こういう線を見せられるのはチトサビシイ。 銭形、あれじゃ『侍ジャイアンツ』の長嶋だよ。でも「WEB峠の茶屋」の掲示板の大塚さんの書きこみなんかを見ると、試行錯誤しながらの作画の模様である。もうアニメーターを辞められて何年も経つのだから、温かく見守ってった方がいいのかなあ。 あと、おおすみ正秋の『パール・ハーバー』評は映画ファンなら必読。ただ「アメリカ人はバカ」って言い放つだけじゃなくて、「どうバカか」「なんでバカになったか」って、ちゃんと「映画のカット割り」から例証してるんだものなあ。当たり前だが、映像作家としての視点がなきゃ、どんな批評も個人的な感想に過ぎないんである。「ああ、そういう意見もあるね」で終わっちゃうし、説得力ってものはない。「ダン・エイクロイドが出てるから傑作」なんて感想をまかり通らせちゃイカンのである(^o^)。 もうそろそろ『パール・ハーバー』、ちゃんと見るかなあ。
2001年03月18日(日) めおと変態/『セクサドール』(石ノ森章太郎)ほか
| 2003年03月17日(月) |
納豆の光に!(ねば〜)/『TELESCOPE 〜テレスコープ〜』(古川登志夫) |
こないだケンカした時に、しげは「ちゃんと家事はやります」と約束したはずだったが、当然もちろんやっぱり間違いなく全然やらないので、今日もメシは私が作るのであった。 しげに好き嫌いが多いのは(っつーか、肉しか食わない)、この日記で何度も書いていることだが、もう10年も「偏食はやめろ」と言い続けているのであるから、そろそろオトナになってくれてもいいと思うんである。 だもんで、今日はしげの嫌いな納豆をあえてヤキメシの中に混ぜて炒めた。炒めたんだからあの納豆のネバネバはもうきれいサッパリ取れているのである。香ばしさはあっても臭みはない。 でもやっぱり食べないのだ。 「納豆の入ったメシなんてイラン」 と、こうである。 もしもこの世から食料がことごとくなくなってしまって、納豆しか食えなくなったらしげはどうするのか。それでも「納豆は臭い」と食わないのか。「だってアレ腐ってるじゃん」というのはしげの言いぐさだが、そんなこと言い出したら、人間はみんなハラん中で食物を腐らしているのである。そんなに腐ったものが食いたくないなら、テメエがクサい屁をこかなくなってから文句をつけろ。 しょうがなく、私はまたもや二人分のヤキメシを食うハメになったのだった。だから食いすぎだってえの(-_-;)。
コンビニで「週間文春」を立ち読み。 小林信彦の『人生は五十一から』、3/10の東京大空襲についての文章だが、小林さんの筆致、すっかりヒネクレまくっている。 この「3/10」という日付けを聞いても何のことか分らない人も増えたろう、という言い方もなかなかキツイのだが、指揮官のカーティス・E・ルメイ将軍の非道ぶりを微細に追及しながら、ただの一度も「東京大空襲」という語句を本文中では使わないあたり、小林さんの「小言幸兵衛」ぶりにもいよいよ磨きが増して来ている感じだ。もう「イチゲンさんお断り」みたいだ。 「東京大空襲」の事実を知らない若い人は、小林さんの文章を読んだだけでは「何についての記事なのか」、今一つピンと来ないだろう。もちろん、ネットなどで「3月11日」のキーワードで検索すれば、その事実は容易に掴めるだろう。けれどこの文章、「若いヤツらがそこまでの手間をかけて調べるわきゃない」と踏んで書いてることが明白である。もう小林さんは徹底的に若いヤツらをバカにしちゃってるんだね。 でもって情けないことにねえ、若いヤツらは自分たちがバカにされていることにすら気づいてないだろうってことだ。行間を読むチカラ、本気でないし。
演劇雑誌『テアトロ』4月号、声優兼劇作家の古川登志夫氏の新作戯曲、『TELESCOPE 〜テレスコープ〜』を掲載。 スチールも一葉、巻頭グラビアに載っているが、古川氏と奥様の柿沼紫乃さんが仲睦まじく写っておられる。この二人、結構年齢差あるんじゃないかな。 以前、唐沢俊一さんが実際の舞台を観劇されて、「芝居は古川さんの弟子たちの若手発表会という感じ」と簡単に書かれていた(『裏モノ日記』2月15日)。そのときは、ハテ、なして芝居の筋そのものについての記述がないのかいな、と思ったけれど、まあ読んでみると確かにこれはどういう話かってのを批評しようと思ったら、すごく書きにくいのである。唐沢さん、取材で行かれていたのだし、楽屋にもおじゃましていたのだから、正直なところは書けなかったのだろうな(^o^)。 私はそんな遠慮は全くないのでズバッと言っちゃうけれど、戯曲そのものはまあ、押井守の(『うる星やつら2』『御先祖様万々歳』の影響強し)ヘタな模倣なんである。 ホームレスたちのコロニーを、世俗から離れた都会のユートピアのように描く舞台設定もなんだか安易だけれど、実は彼らはめいめいに手前勝手な夢を見ていただけで、主人公の男も潜入ルポライターだったし、厚生労働省のイヌもいたし(室戸文明ですな)、可憐な少女は変質者に刺されて死ぬし、って、状況のひっくり返し方がストレート過ぎるのである。押井守と言ったが、ゴーリキーの『どん底』でもあるね。 実際の舞台はマジックあり歌と踊りありでバラエティーショー風だったらしいが、このウスい内容で2時間40分の上演というのは長過ぎたんじゃないか。 神様が「わしゃ全能なんじゃ!」って言ったら、「全国農業協同組合?」「そうじゃコシヒカリが……違うって!」って寒いヤリトリは好きだったけど。
しげが円谷くんから『ちょびっツ』のゲームを借りてきている。 「ちい目覚める」ってタイトルで、なんかこのちぃにいろいろ言葉を教えて育成するソフトみたいなんだけれど、何だかその育ち方がイビツなんである。どうイビツかは、原作マンガを読みゃわかるんで書かない。っつーか、恥ずかしゅうてよう書けんわ。 でよ、勝手に私の名前で登録してゲームするなって(~_~;)。
2001年03月17日(土) 嫌煙権を振り回す気はないけど/『風雲ライオン丸』(うしおそうじ・一峰大二)ほか
| 2003年03月16日(日) |
出来ない要求/アニメ『ヨコハマ買いだし紀行』/『ななか6/17+』(八神健)/『オタクのピンクサロン』(筋肉胸毛)ほか |
今朝はちゃんと起きたぞ、ということで『アバレンジャー』『仮面ライダー555』『明日のナージャ』と特撮・アニメ三昧。特撮系の女優さんたち、ホントにいい娘が増えてきたなあ。でも私の好みはヒロイン系じゃなくてメガネっ子だったりするんだが。 『ナージャ』第7話「仮面舞踏会のワナ」、金持ちがナージャを舞踏会に招いてバカにしようとするんだけれど、怪盗黒薔薇が現れてナージャの窮地を救うって話。……こないだ『ナージャ』は少女小説、少女マンガの集大成をやるつもりじゃないかって書いたけど、定番過ぎるってのもどうだかなあ。単に薄っぺらい話としか見えなくなってきてるぞ。
外に出てメシ食うカネがないので(高い寿司食ったりするからだ)、スパゲティを作って食う。 ソフト麺をミートソースで炒めるだけだけれど、カレー粉をちょっとだけ焦がして混ぜるのがミソ。トマトソースの酸味がこれで抑えられて、香ばしさが増すのである。所詮は独身料理なんだが。 ……って、どうして結婚してるのに独身料理作ってなきゃならんのかね。
CSキッズステーションでアニメ『ヨコハマ買いだし紀行』。 原作マンガは1巻しか読んでない。絵柄も話も好みだったのに、なぜかハマんなかったね。世界観は好きでも、多分、物語としての発展性を感じられなかったからだろう。みんなが幸せな物語って、実はカタルシスを与えないのである。雰囲気はほんやらしてるので、アロマテラピー的癒しにはなるんだろうけれど、そういうのには私は引っかからないもんで。 作画技術、演出ともに完成度は高いんだけれど、それだけに「山」がないのがツライところ。椎名へきるは最近殆ど声優やってないみたいだけれど、やればやったで悪くはないんだよなあ。プロダクションが声優として売ろうとしてないのがよくないんじゃないか。
『アニメージュ』の押井守の連載、なんと『ゼロウーマン�掘戮鮗茲蠑紊欧討い襦F睛討蓮嵒霤諜徃�子のオッパイすげえ」というだけのもの。 まあ、確かに私もあの映画での武田久美子のオッパイはすげえとは思うが、それをあの押井守が『アニメージュ』で語るってのは、いったい何のイヤガラセなのかね。それともホントにただ単に女に目覚めただけのことなのか。 今度の『イノセンス』、どんな映画になるのかちょっと心配になってきたぞ。
マンガ、八神健『ななか6/17』10巻(秋田書店/少年チャンピオンコミックス・410円)。 スケ番おりんや虹坂さんの片思い話なんかを間に挟んで、いよいよヒロ編も佳境。多重人格とは言え、ヒロが自分自身である七華を自殺に追いこむようなことをするとは思えないので、雨宮さんにも七華にもショックを与えるような行動をなぜ取っているのか、どうにも腑に落ちないんだけれど、そこんとこは上手く11巻で説明してくれるのであろう(^o^)。
マンガ、八神健『ななか6/17+ 〜八神健傑作集〜』(秋田書店/少年チャンピオンコミックス・410円)。 オリジナル読切版『七華』ほか、五編を収録。 『ななか6/17』。 ストーリー展開は第1巻、第2巻あたりをコンパクトにまとめた印象だが、これだけ単独で読んでもよくまとまっている。雨宮さん、最初はホントにただの悪役だったんだなあ。 『鏡の国のジェニファー』。 『ミステリー・ゾーン』の一編のような佳編。昔、友達の家から美しい人形・ジェニファーを盗んだありす。大人になって、ジェニファーに鏡の国にいざなわれるありすだったが、人形に「魂」はあっても「感情」がないことに気づいたときには……。ハッピーエンドともアンハッピーエンドともどちらとも決めかねる微妙な味わいがイイね。 『フォーチュンブレイカー』。 まあ、これは普通のほのぼのSF。 『よい子悪い子』。 同人誌に描かれたもので、編集の制約のない、全く自由に作者の意志のみで描かれたもの。これが八神健の最高傑作ではなかろうか。 人の目を気にしていい子に見られたい少女と、いい子に見られるのが恥ずかしい男の子。自慰に耽るうちに幽体離脱した少女は、男の子のもとに飛んで行くが……。偽善と偽悪の問題をサラリと描いた力量に拍手。 『私のゾンたん』。 子供のころ創作した怪物が、現実に現れてしまうはなし。でもホラーではない。作者はこーゆーのを一番描きたいらしいね。毒が全くないあたり、子供向けマンガとしてはよく出来てるんだよな。とすれば八神さん、発表の舞台を間違えてないか。
マンガ、筋肉胸毛『オタクのピンクサロン』(司書房・900円)。 なんかタイトルだけで衝動的に買ってしまいました。もちろんアダルトです。作者く、すげえ名前だけれど、稲葉晃次という名前でもっとすげえマンガ描いてるらしい。 コスプレピンサロの客と女の子たちの生あったか〜いヤリトリをまったり綴った4コマものです。 でも、主人公の生子ちゃん、オタク相手のピンサロ嬢なのに、たいていのオタク客を毛嫌いしてるんですね。 一例。 オタク客「僕は『新』の方の003を頼んだんだ!『新』の003の方が原作に一番近いと思うんだよね! 平成版は気が強すぎると言うか、作画が外注なのもどうかと。フランソワーズはもっと人の悲しみに自分も心を……」 生子「ごめんなさい透視しちゃった! あなたのち○○小さくってとってもかわいそうだわっ!」 ……ホントに客をこんな風にあしらってたらクビになるんじゃないか(~_~;)。現実のピンサロ嬢も、内心オタク客を蔑んでるとしたら、ちょっと悲しいよなあ。いや、私はピンサロはおろか、ふーぞく店には一切行ったことがないので、実際の彼女たちがどんなこと考えてるかなんて、よく知らないんですが。 生子ちゃん、コミケで同人誌も出してるコスプレイヤーなんだけれど、「ブラのカップのサイズは知られてもそんなに恥ずかしくないけど、ニプレスのサイズを知られるのは恥ずかしい」そうである。なんかすっげーリアルな述懐だなあ。作者、男(多分)なのに。 しげもFカップであることは世間に知られても平気なんだろうが、ニプレスのサイズをバラすぞと言ったらきっと激怒するだろうなあ。仕返しにコンドームのサイズをバラされてしまうかもしれない(^_^;)。 そのしげ、マンガ中で男の客のち○○に、別の男の子のち○○をくっつけて「ち○○キッス!」とやってるシーンを見て、「アンタもやって!」なんて言いやがった。 だれがやるか。
2001年03月16日(金) ワーオ、なんてこったい!/DVD『シックス・センス』ほか
| 2003年03月15日(土) |
まあ、便出しゃ痩せた気にゃなれるか/映画『タキシード』/『神恭一郎事件簿2』(和田慎二) |
ここんとこ、見たい映画が随分重なっちゃってて、ちょっと調整にくたびれているのである。このトシになるとそうそうハシゴはできないが、それでも映画はできるだけ映画館でじっくりと見たい。そう思うのは、私が映画館のことを「コヤ」と呼ぶ最後の世代だろうからだろう。このへんの感覚はもう文化の問題だから、「周りのウルサイ客を気にして集中できないから、一人で自分の部屋で映画を見てる方がいい」とのたまう人とは相容れまいなあ、と言うしかないのである。 本当は朝のうちに映画に行って、夕方にはゆっくりしてるのが私にとっては都合がいいのだが仕事で疲れ切ってるしげ、昼まで寝こいて起きてこない。生活リズムがもう全然違っちゃってるんだものなあ。ようやく2時ぐらいになって、キャナルシティに向かう。 映画は4時からなので、その間、福家書店、マツモトキヨシ、マクドナルドで時間を潰す。 マツモトキヨシじゃ、しげ、ダイエット用品を血眼になって探している。痩せ様という情熱だけは買うが、本気で痩せる気なら、毎日ジョギングでもすればいいのである。運動しないで痩せようって根性自体、初めから間違ってると思うけどなあ。宿便出しただけで痩せれるものなんかね。
映画『タキシード』。 『キネマ旬報』に「アメリカはジャッキー・チェンを発見するのが遅過ぎた」と書かれていたけれど同感。結局、「カンフーと言えばブルース・リー」という固定化されたイメージだけでしか香港アクションを見られなかったせいで、ハリウッドは20代のころのジャッキーの才能を見抜けなかったのだ。 もっとも、ヘタにハリウッドに渡っちゃって、適当に使い捨てられてしまってたら、ジャッキーがあれだけの作品を残せなかったかもしれない。『プロジェクトA』や『ポリス・ストーリー』が作られなかった可能性もあるのだ。そう考えると、ハリウッドの無能もジャッキーにとってはよい方に働いたと考えるべきなのかな。 だってねえ、この『タキシード』を見て思ったことなんだけどさあ、結局、ハリウッドって、カンフーアクションに対して未だにリアリティを見出してないんじゃないかねえ。ごく普通の青年が、ハイテク満載のタキシードを身につけることによって超人に変身するって設定、つまりは「作られたもの」としてしかあのアクションを見てないんじゃないかって思えてねえ……。 まあ、それはいくらなんでも考え過ぎだろうな、とは思うんだよ。けれど、アクションシーンが激減、あっても昔ほどのキレはない、部分的には吹替えも使ってる、それどころかCGでエフェクトかけてるところすらあるってんじゃ、往年のジャッキーアクションを知ってる身にしてみればただただ寂しくてねえ……。 いつかジャッキーが引退する日が来るのは間違いないんだけれど、でもそれも遠くないんだなあと実感しちゃった映画でした。 帰りは「金龍」でラーメン。 しげは普通のラーメンで、私は油そば。こってりしてるので、しげは油そばを避けたのだが、でも我慢しきれなくなったのか、何も言わずにいきなり私の器から麺を一本だけつまんで食べる。この「せめて一本」って感覚がイジマシイよねえ。
マンガ、『神恭一郎事件簿2 オレンジは血の匂い』(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・620円)。 だいたい、既に持ってる単行本を、新編集の新装版が出たからと言って買いなおすのは馬鹿げているのである。じゃあそれほど和田慎二が好きな作家なのかというと、そうでもないんだから何をか言わんや。 だいたいこの「神恭一郎」モノも、高校時代の女友達に奨められて読んだはいいものの、あまりにつまらなくてバカ正直にその子に真実を告げてしまい、大喧嘩をしてしまったという、私にとってはイワクつきの作品なんである(どうして私はこうおべっかを使うということができないのか)。つまんないならなぜ買うか。魔がさしたというしかないんだよねえ。さしすぎじゃん。 第1巻の『愛と死の砂時計』同様、この『オレンジは血の匂い』も某有名ミステリのパクリ。といっても、これはもう腐るほどパクられまくってるパターンだから、もう一つのジャンルと言ってもいいのかもね(-_-;)。
2001年03月15日(木) ナニワの謎/『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』(松村喜雄)ほか
| 2003年03月14日(金) |
夫の威厳なし!(T∇T)/『なるたる』10巻(鬼頭莫宏)/『機動戦士ガンダム Ecole du Ciel』1巻(美樹本晴彦) |
朝方、仕事から帰ってきたしげに父からのホワイトデーのプレゼントを渡す。 てっきりお菓子か何かと思ったら、袋を開けてみたら何とお高そうなネックレスである。 しげ、まさかこんなものが貰えるとは思ってなかったらしく、「いいのかな、こんなの貰っていいのかな」と慌てふためく。かと言って、返すわけにもいかんやん。 「でも、ちゃんと付けれるかな、オレ、首ぶっといし」 そんなのは自分のせいだろう。私にどうしろと言うのだ。 あたふたしながら、早速付けてみるしげ。 「似合うかな、似合うかな」 悪くないんじゃない、と答えておいたが、内心、親父のやつ、厄介なことをしてくれたなあ、とヘコんでしまった。私ゃ、ホワイトデーのお返しはそのへんのコンビニのお菓子にしておこうと思ってたんだが、これじゃムチャクチャ見劣りしてしまうではないか。 かと言って、たいそうなものを買ってやる余裕はないので、しばらくはしげの「フン、情けない夫」という蔑みの視線に堪えるしかないのである。 とほほ(+_;)。
昨年10月に発売された『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』上下巻が、全国の書店に約35万セットも在庫になってダブついてるんだそうな。 一瞬、えっ? ハリポタって実はそんなに売れてないの? と錯覚しそうだけれど、これは初刷りが売り切れちゃって、大量に追加注文したら、その分が売れなかったってことらしい。そりゃ、初刷りだけで230万セットも出したってんだから、いくらベストセラーだからって、人口の1割も買う人はいないんだから、キリのいいところで見極めときゃよかったのに、ってことでしょ。なんかバブル崩壊と全く同じ計算違いしてるよねえ。 出版社の静山社は、岩波書店と同じく返品不可の「買い切り制」を取ってるので、損をするのは書店ばかり、ということになる。業界筋によると、在庫で溢れてるのは35万セットどころか、70万セットに上るんじゃないかって話もあるくらいで、小さな本屋になると、第4巻を返品できなくて在庫スペースが少なくなり、他社の本を返品せざるを得なくなったとか。 出版不況の中で、ついつい絶対確実と思われたヒット商品に飛びつきたくなったってことなんだろうけれど、全国の書店がそこまで追いつめられてたかと思うと、ちょっと寂しい気持ちにさせられちゃうのである。
改装中だったあのバカ高いネタの回転寿司、「すし大臣」が、「大河すし」と名前を変えて新装オープン。 いや、オープン自体はもう何週間も前のことだったんだけれど、まあ、私の財布がしばらく寿司断ちしてたから(^_^;)。 中がどんなに変わったのかな、と思って入ってみたけれど、座席が少なくなっているだけで、あまり変化があったという感じではない。何のための改装だったのか。 久しぶりなので、高いネタも遠慮なく食う。でもウニと大トロは避けちゃうところがやっぱり庶民(^o^)。
夕方、東京のこうたろう君と電話。 日本映画専門チャンネルの話で盛り上がる。 こないだの江利チエミ・渥美清主演の時代劇ミュージカル『唄祭ロマンス道中』、二人とも見ていたので、話が弾む。 こうたろう君が「東宝は東映に比べてミュージカルシーンの画面の使い方が上手くない」と言うので、「カメラワークの癖の違いじゃないか」と答える。更に「屋内から屋外に出た時の空間の撮り方がヘタだ」と言うので、アタマの中で東宝と東映のミュージカルシーンの違いを思い浮かべてみたが、明確な違いがわからない。何となく東映の方が「奥行き」のある映像造りをしていたような気はするが、これは東映の方が時代劇のセットを作るノウハウに長けていたからかもしれない。っつーか、同じセット、常時使い回してたもんな。そら、慣れるやろ(長け過ぎてて「手抜き」の仕方も知ってたせいで、後年『トラ・トラ・トラ』の黒澤明降板事件も起こっちゃったわけだけど)。 「久しぶりに『美女と液体人間』や『大怪獣バラン』も見ちゃったよ」と言ったら「やっぱり」と笑われる。 あのチャンネルは、日本映画ファンにとっては魔窟だ(^_^;)。
マンガ、鬼頭莫宏『なるたる 骸なる星・珠たる子』10巻(講談社/アフタヌーンKC・550円)。 ちょっと距離を置いて読まないと、このマンガもアブナい展開になってきた。大塚英志・田島昭宇の『多重人格探偵サイコ』もそうだけれど、明らかに「出版コード」に対して挑戦する意図のあるマンガってのは、ともすれば作者自身がエキセントリックになって暴走しかねないんである。 マンガ本編よりまず先に、折り返しの作者コメントがもうキちゃってるし。 「一人一人に自分の『神様』。 それ以外の神様はいらないと思います。 自己批判と変革のできない神様とは そろそろ縁を切る時間です。」 言いたいことはわかるけど、言っても詮無いことを。それに「縁を切ったほうがいい」とか「縁を切ろうよ」とかじゃなくて、「縁を切る時間です」だもんなあ。自分自身が神様になっちゃってないか? 本編もあまり意味なくのり夫を殺しちゃったしなあ。シイナはどうせ生き返るんだろうけれど、のり夫はあのまんまだろうし、かわいそうだよなあ。
マンガ、矢立肇・富野由悠季原案・美樹本晴彦『機動戦士ガンダム Ecole du Ciel 天空の学校』1巻(角川書店/角川コミックス・エース・588円)。 「少女が主人公のガンダム」ですな(^o^)。 っつーか、舞台とか人間関係とか、設定がすっごく『トップをねらえ!』に似てるように感じるんだけど。 主役のアスナが親の七光りがあるわりにドジッ子だとか、メガネっ娘の親友がいたり、ライバルでタカビーなおねえさまがいたりとか、厳しいコーチが付いてたりとか……。 いや、『トップ』自体、いろんなモンの寄せ集めなんだけどさ。更に言えば、主役のアスナ・エルマリート、「親に過剰に期待されてる子」ってとこは『エヴァ』のアスカ・ラングレーのイメージもちょっと入ってないかな。 でも、親友の子の名前が「エミル」ってのがちょっとねえ。私ゃこいつがいつ「りゅんりゅん」言い出すかと思ってハラハラしちゃったよ(←わかんない人のために解説。恋愛シミュレーションゲーム『センチメンタルグラフィティ』に、「えみる」って言う「りゅんりゅん」喋る生き物が出て来るんですよ)。 『ガンダムエース』掲載時は、あまり丹念に読んでなかったんだけれど、こうやってまとめて読んでみると、何とか筋は追える。追えただけで面白いとは言わないけどね(^o^)。
2001年03月14日(水) さて、勝ったのはどっち?/『HUNTER×HUNTER』11巻(冨樫義博)ほか
| 2003年03月13日(木) |
スターと役者のはざまで/『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(大月隆寛編) |
「吉永小百合展 五つの扉」ってのがが11日から、日本橋三越本店で始まってて、大盛況なんだそうな。初日から一万人の来場というから、サユリスト健在なりってことか。こんな言葉もう死語かと思ってたが。 その目玉展示ってのが、約30年前に御夫君が撮られたという、本邦初公開、吉永小百合のビキニ姿。もっとも普通のスナップなので、色っぽさとかは全くないんだが、これがそれだけ話題になるってことは、吉永小百合って「キャラクター」がどれだけイメージが固定されて来たかってことの証明みたいなものなんで、役者としては決して嬉しいこっちゃないと思う。 なんたってねえ、『青春の門』でセックスシーンを演じた時に(でも脱いでない)、それまで80本以上の映画に出てたってのに、「演技開眼」とか言われちゃったんだから。演技者としてどうかって意見は多々あろうが、決してどヘタクソというほどじゃないんで、こりゃいくらなんでもヒデエ、と当時も思った。「キレイなだけで演技力なし」なんてイメージを持たせるに至った原因は、サユリストの狂熱ぶりに確実にあったよな、と思うんである。 まあ、確かに少女時代の吉永小百合の代表作というと、『キューポラのある街』ばかりが挙げられて、ほかのプログラムピクチャーは軒並み評価が低い。リメイクものに出たときなんか、どうしても同じ役を演じたほかの役者と比較されちゃうので、損なのである。 『青い山脈』の寺沢新子役、杉葉子(1949)、雪村いずみ(1957)、吉永小百合(1963)、片平なぎさ(1975)、工藤夕貴(1988)、とあるわけだが(テレビシリーズでは加賀まりこや坂口良子も演じてたらしいが私は未見。どんなんだったんでしょうね?)、これは映画自体の完成度(だいたい戦後すぐという設定でないと意味がない物語だし)もあって、杉葉子が他を圧倒している。 も一つ、『伊豆の踊子』の薫役も並べてみると、これがまた錚々たるメンバーである。田中絹代(1932)、美空ひばり(1954)、鰐淵晴子(1960)、吉永小百合(1963)、内藤洋子(1967)、山口百恵(1974)(テレビ版は島本須美(声)、小田茜、早瀬美里、後藤真希。島本版以外は未見)。「大人に見えるけど子供」という設定を考えると、田中絹代と山口百恵がイメージに近い。大人顔と言うよりオバサン顔の美空ひばりや、「外人じゃん」の鰐淵晴子に比べれば、吉永小百合も悪くはないが、色気は全くない。吉永小百合は、後に『映画女優』の中でも「田中絹代」として薫を演じるが、これは悪い冗談だった。 「イメージを崩したくない」「固定化したイメージを崩したい」、この相反する思いを役者は常に心に抱き、その間を揺れ動く。それは吉永小百合にもきっとあったに違いないし、だからこそ、後年になればなるほど「えっ? あの吉永小百合が?」と衆目を驚かすようないろいろな役に挑戦もしていたのだが(『夢千代日記』などはその最たるものだろう)、結局、ファンはその「新しいイメージ」をも旧来のものに取りこんで、どんな「汚れ役」であってもそれを純化させてしまうのである。 「スターがいなくなった」と嘆く人は多いが、役者にとってはイメージの固定化された「スター」などはいない方がいいと思える場合もある(映画界の活性化という意味ではいてくれないと困る面もあるのだが)。吉永小百合は未だに「スター」だ。けれど、彼女が「なりたい(今でも、という意味である)」のは、スターなのか役者なのか。
夜、突然父から電話があり、ホワイトデーのお返しをしたいとのこと。 そう言えば、しげは父にもチョコをあげてたんだった。糖尿なんで小さめにしたとは言ってたけど。 一緒に食事をしたそうな口ぶりではあったが、肝心のしげがもう、仕事に出かけていていない。仕方がないので、贈り物だけ持ってくるとのこと。 「そう言や、昨日、しげさんの店に行ったとぜ」 「姉ちゃんと? どけんやった?」 「うん。忙しそうに働いとった」 「なんか話した?」 「仕事しよるモンに話しかけたりはせんが。よう動きよったし、よかったやないか」 「……まあね〜、ああなるまでには時間がかかったしね〜」 実際、結婚当初は本気で全く働かない、ただ食って寝るだけの文字通りのゴクツブシだったので、それを考えると隔世の感があるのである。それでもまだ全然人並になったとは言えないのだが、他人の1年を3年かけて成長するやつだから、これからもあいつが大人になっていくのを気長に待つしかないのである。 でも、考えたくないことだけど、しげの成長、もうこのへんで止まってるって可能性もあるんだよねえ(-_-;)。
晩飯はカネがないので、目玉焼きのみ。これでも醤油とマヨネーズをかけて混ぜて食うと美味い。なんとか腹が朽ちたところに、父が姉と自転車に乗って、プレゼントを持ってやってきた。 食事を一緒に誘われたが、今、食ったばかりである。……しまった、高いメシたかれるチャンスだったのに(-_-;)。……って、不況で財政の苦しいオヤジに四十ヅラ下げてたかろうって根性がさもしいのである。反省しろよ。 突然、父が、ポケットから何か平べったいものを差し出したので、「何?」と聞いたのだが、予想もしてなかったことを父は言った。 「お母さんの通帳が出て来たったい。おまえの名義になっとるけん、引き出して使え。ばってん、ちょっとしか入っとらんけんな」 そのとき私がどんな表情をしたのか、当然、自分には見えないのだからわからないのだが、多分、いつも以上に無表情になってしまったのではないか。本気でビックリすると、感情自体がホワイトアウトしてしまうのである。 父と姉は用事が済んだらサッサと帰って行ったが、取り残された私はしばし呆然自失の状態が続いた。 通帳の日付を見ると、平成6年。母が死ぬ1年前である。金額は2万円。 母ははまだ60の坂を越えたばかりだったし、体調こそ悪かったが、すぐに死ぬものとも思ってはいなかっただろう。1年に2万円ずつ溜めて行って、5年か10年経ったら、ちょっとした旅行でもしげとさせよう、くらいのことを考えていたのではないか。そう思えるのは、母が死ぬ直前に行った沖縄旅行の金10万円を、私が出しているからである。 母が死んで8年になる。最後に小遣いを貰ったのがいつだったか、もう覚えちゃいないが、もし母がまだ生きていて、本だの映画だのDVDだのと散財している今の私の様子を見たら、「余計な世話をするんじゃなかった」と自分のためにさっさと使っちゃってたかもしれない。 そうしてくれてたほうがよかったのにな。
大月隆寛編『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(鹿砦社・1680円)。 内容よりもその分厚さにちょっと驚嘆。っつーか、引いちゃったんだけどね。 田口ランディは『コンセント』しか読んでないし、確か庵野秀明と対談してたときは一方的に自分の感情をぶつけてたなあ、という印象しかない。だもんで盗作がどうの人格がどうのということは特に感じちゃいなかったのだが(『コンセント』は理屈っぽいポルノだと思っている)、まあこの本、実に詳細に田口ランディの剽窃癖を暴き立てている。 そのなかには「こりゃ確かにマズいよなあ」ってものから「どこがどうマネ?」と首を捻ってしまうものまで、随分細かいところまで追求しているのだが、どっちかと言うと、田口ランディを蛇蝎のごとく憎む筆者たちのエネルギーがどこから来るのかなあ、ということの方が気になっちゃうのね。いや、盗作がイカンというのを批判するのはいいんだけど、なぜここまで粘着質的に絡みつづけなきゃならないのかって考えるとどうにもその理由がサッパリわかんないのよ。編者の大月さん、「深い理由はない」「けったくそ悪いだけ」と言い放ってるけれど、その程度のことでわざわざネット仲間に声をかけて、一冊の本まで作るものなのかね? やっぱり動機は「嫉妬」なんだろうな、と思う。大月さんはやたら「ブンガク」に拘っている。田口ランディの小説、冷静に読んで見れば傑作とは言わないがまあ、普通の出来ではある。けれど「あの程度で作家になれるのかよ」と一旦、思いこんでしまうと、心の内に生じたジェラシーの炎をどうにも抑えきれなくなっちゃうんだろうなあ。 でも、大月さんの目的が「田口ランディを潰す」ことにあるのなら、それはちょいと難しいと思う。本文中、栗原裕一郎さんが記事にしているが、昔ならいざ知らず、今や「盗作」は作家生命を脅かすほどのスキャンダルではなくなっているのである。むしろ、「無意識でやった」と謝罪して改訂すれば、それが宣伝になってまた本が売れる。 こういう批判本を出すことが、ますます田口さんの作家生命を永らえさせることになると思うんだが、大月さん、そこまで考えてるのかね。
2002年03月13日(水) 「かろのうろん」ってわかる?/『博多学』(岩中祥史)ほか……“NEW”! 2001年03月13日(火) 少女しか愛せない/『NOVEL21 少女の空間』(小林泰三ほか)ほか
| 2003年03月12日(水) |
ケダモノに振り回されてる話/映画『美女と液体人間』『大怪獣バラン』 |
まあ、これもどうでもいいニュースですが。 アゴヒゲアザラシの「タマちゃん」を保護しようと、地元市民団体「タマちゃんのことを想う会」とアメリカの動物保護団体「マリンアニマル・ライフライン」が、11日朝に、横浜市の帷子川で、漁網で捕獲しようとしたけれど、あえなく失敗。 それを見ていた「タマちゃんを見守る会」のメンバーや付近住民ら約40人は、「どうしてタマちゃんを刺激するようなことをするのか」と激しい抗議の声をあげたっていう話だけど、ついこないだまで、「体を悪くする前に保護したらどうか」なんて声も多かった気がするが、それを実行しようとした人たちがいたら怒るのか。結局どうしたいのかね。 まあ、ムリヤリな保護がアザラシのためになるとも思えないけど、日本全国の注目がたかが一匹のアザラシに集まっちゃってるってのもなんだかなあ、だ。子の「ほのぼのしたがり」の風潮ってなんなんだろうかね。 もしこのあと、「たまちゃんの味見をする会」ってのが現れて、アザラシ食ったりしたら、「思う会」の人たちは「あの時助けとけばよかったんだ」とか言い出すんだろうな。誰か食ってみろよアザラシ。カラダにゃ悪いかもしれんけど。
しげ、バイトが早出なので、一緒に晩飯を食う時間がないとのこと。 仕方がないので、家の近所のコンビニで弁当を買って食う。なんだかどんどんしげと過ごす時間がなくなってきてるけど、夫婦の危機の予兆であろうか。もう随分前からそんなこと言ってたようにも思うが。
CS日本映画専門チャンネルで、「東宝特撮王国」(こんな大層なタイトルが付いてるんである)『美女と液体人間』、続けて『大怪獣バラン』を見る。 『美女』は特撮ものであるにも関わらず、オトナの雰囲気がまんまんで、子供心にも胸をドキドキさせられたものであった。でも、今見るとラストが随分あっけないねえ。まあ、燃やして殺すってのは定番だけど。 『バラン』も長いこと「幻の映画」って言われてたらしいけど、しょっちゅうテレビでやってたぞ。特に福岡じゃ。でなきゃ安永航一郎が「バラダギさま」をパロディにできるはずないじゃん。
2002年03月12日(火) 「思春期」という名の汚泥/『サブカルチャー反戦論』(大塚英志)ほか……“NEW”! 2001年03月12日(月) 伏字な話/ドラマ『D』episode1 ほか
| 2003年03月11日(火) |
本気のしげ/『イリヤッド 入谷堂見聞録』2巻(東周斎雅楽・魚戸おさむ) |
まだちょっと長めになるなあ。 マジで爆走するぞ(^o^)。
仕事、おお忙し。ぶっくたびれて帰宅するなり寝こいたので、大して書くことなし。それでも腹は減るので、ちょっとだけ起きて来てスパゲティを作って食う。これもしげに残してやったけれど、味見程度につまんだだけ。 おいおい、ホントに痩せる気か?
マンガ、東周斎雅楽作・魚戸おさむ画『イリヤッド 入谷堂見聞録』2巻(小学館/ビッグコミックス・530円)。 1巻読んだときも感じたけど、コマ割りや絵柄がどうしても浦沢直樹を連想させちゃって、損してるよなあ。ストーリー展開も全く『MASTERキートン』。 アトランティスの伝説が余りにも古過ぎることは、マジメな研究をしたくともそれができない最大の要因だと思う。なんたって紀元前1万2千年前である。「物理的にありえない」記述ですら、伝承の過程で変質していったと言えば、いくらでも説明できる。フィクションではあっても、コジツケめいた説ではなく、゜いかにもありそうな」展開を試みてほしいんだけれど、そのために作者が用意したチカラワザが「東方見聞録の原本の発見」。ちょっと苦しかないかなあ。 アトランティスの牝牛信仰が、シュメールのイシュタル信仰に繋がり、更にはマグダラのマリアを通じてイエスの思想に影響を与えていったとするのは、もっともっと証拠がないとなあ。 いや、やっぱり「海底に沈んだ大陸」ってのがウソであっても、アトランティス自体はあったらいいなって思うしさあ。「偽史」に惹かれる人たちの気持ちがわかるね。
2002年03月11日(月) また一人のスケープ・ゴート/『新千年記(ミレニアム)古事記伝 YAMATO』(鯨統一郎)ほか……“NEW”! 2001年03月11日(日) 多分、猫たちにもある愛/『CYBORGじいちゃんG』2巻(小畑健)ほか
| 2003年03月10日(月) |
春天来呀、快天来……字が出ねえや/CD『烏龍歌集 chai[チャイ] 』/『虎よ、虎よ!』(アルフレッド・ベスター) |
サントリー烏龍茶のCMソングを集めたCD『烏龍歌集 chai[チャイ] 』を繰り返し聞く。 いや、これがマジでイイんだよ。透明感があって、どこかユーモラスでもあって。 あぐにさんから奨められて買ったやつだけど、本でも映画でも音楽でも、「これはいいよ」と奨められたものが本当に自分の趣味にピッタリ来たときには嬉しいものである。逆に、私が人にものを差し上げたときには、たいてい喜ばれてないような気がするから尚更である。最近は開き直って、「もらってもちょっと困る」ものを贈ったりもしているが(^_^;)。
CDの収録曲は以下の通り。ご存知の方も多かろうが、全て中国語バージョンである。
1. 大きな河と小さな恋 '03 2. 春一番 '94 3. 暑中お見舞い申し上げます '94 4. 微笑み返し '94 5. 結婚しようよ '93 6. ライク・ア・バージン '01 7. 上海ブギウギ[東京ブギウギ] '02 8. 鱒 '96 9. 遥かなる武夷山 '90 10. 茶林 '00 11. 太湖船 '95 12. 翠湖のほとりで '98 13. 蘇州夜曲 '99 14. 鉄腕アトム '97 15. MEMORY '91
外字ばっかりなんで、歌詞はここに紹介できないが、どれももとの日本語に比較的忠実に訳されているようだ。「アトム」を「阿童木」って書くのは知ってたけど、これ、「原子」の意味だってことは中国の人、わかってるのかな? 『麦畑』や『いつでも夢を』が収録されてなかったのはちょっと残念。
記載されているのはこれだが、実はボーナストラックが3曲。シングル版の『マーとジャンのメリークリスマス 聖誕快楽 馬と姜』を特別収録している。でも、シークレット・トラックだから、記載がパンフに載ってないんだよな(^_^;) ということで、以下にそれを記しておく。
16.ジングル・ベル 作曲:Jack Pierpont 訳詞者不詳 唄:馬平・姜小青 17.もろびと こぞりて 讃美歌112番 作曲:R.Mason 訳詞:姜小青 唄:馬平・姜小青 18.聖しこの夜 讃美歌109番 作曲:F.Gruber 訳詞:姜小青 唄:馬平・姜小青
この訳詞と歌の両方を手がけた姜小青(ジャン・シャオチン)という方、中国の「古筝(こそう)」の奏者でもあるようだ(有名な人なんだろうけれど、私は知りませんでした。すみません)。
http://member.nifty.ne.jp/avocado/Jiang/
こういう美しい歌声を聞いていると、なんだかその演奏も聞いてみたくなるンだよなあ。福岡にも今度演奏に来られるみたいだけれど、ただでさえ出物が多いときに、とても舞台だのコンサートだのに行ってられやしないんである。 ああ、天からお金が降ってこないものか。
アニメ『名探偵コナン』を見たあと(もう感想は書かん)、やきメシを作って食う。仕事帰りのしげに残してあげてたが、ちょっとしか食べなかった。本気でダイエットする気なのか?
アルフレッド・ベスター(中田耕治・訳)『虎よ、虎よ!』(ハヤカワ文庫・714円)。 はい、私ゃ金輪際、「SFファン」だなんて言いません。今回が初読だよ。m(__;)m。あぐにさんに触発された形で、未読のSFを読んで見ようと思ったんだけれど、こんな中高生のときに読んどかなきゃならないものを、今まで放っておいたんだものなあ……(T∇T)。これから「お前、こんなんも読んでなかったのか」という本がちょくちょく出てくるかと思いますが、あまり責めないで下さい。 言い訳になるけど、ヘタに「SF入門」の類のやつ読んでるとさあ、もう、こんなのスジもオチも知ってるからなかなか改めて読む気になれないんだよね。 でも、今回きちんと読んでみて、やっぱり作品ってものはちゃんとハナから読んでおかないとダメだと思った。当たり前だけど。 後発のいろんな作品に影響を与えたってことは、今読むと古臭く感じるんじゃないかと思ってたけど、そんなことはない。やはりオリジナルにはオリジナルの迫力がある。というか、今これを読めて、かえってよかったんじゃないか。もう、日本のSFマンガ、アニメ、もちろん外国のSF作品のエッセンスがオリジナルである本作に原石の輝きを持って凝縮されてるのが、「後発」の作品をある程度見て来てるからこそ、見えてくる。 それに、ガリバー・フォイルの粗暴な人格、中学生の時だったら結構嫌いになってた可能性がある。でも、今はこの復讐の一念に凝り固まった彼の「幼さ」が慕しくも見えるのだ。自らのアイデンティティが崩壊した果てに彼が帰りついた場所は……ってこのラスト、今でも充分新鮮だよなあ。 それはそれとして、中田耕治の訳、読みにくいぞ。いくら原音主義だからって、木星の惑星・「イオ」を「アイオ」なんて書くなよ。
2002年03月10日(日) 象さんパンツの波紋/アニメ『サイボーグ009』第21話「英雄の条件」ほか……“NEW”! 2001年03月10日(土) きのこを手に入れました/アニメ『青山剛昌短編集』
| 2003年03月09日(日) |
誰が痩せるって?/映画『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』/DVD『Manie-Manie 迷宮物語』ほか |
しげがダイエットを始めた。 ちょっと前から、食事を勧めてもあまり食べようとしなかったが、公演に向けて動きをスリムにしたいらしい。意志の弱いしげにそんな奇跡が可能なものか分らないが、生暖かく見守ってあげましょ。
今日もちょっとだけ雨。 気乗りのしないしげを引っ張って、天神東宝へ。
昼飯をまず食べようと、こないだできたばかりの麻婆豆腐の店に入ろうとしたら、もう潰れている。作ったばかりの会員カードの意味がなかったな。
映画『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』。 公開二日目だけれど、最終回であるせいか、そんなに混んではいない。 親子連れ以外にもカップルや若いにーちゃんどうしとか、ご老人がお一人でとか、「なんで『ドラえもん』に?」と疑問に思う人たちも今日は目立つ。 もちろん我々夫婦も端から見ればヘンなカップルだろう。
まずは『PA-Pa-pa ザ☆ムービー パーマン』。 これがもう、原作をツギハギしたシロモノで、その、つまんないことと言ったら。声優が昔のままなんだけれど、1号の三輪勝恵や2号の大竹宏はともかく、さすがにパー子の増山江威子の声、衰えが目立っている。新キャストは魔土災炎を池田秀一が演じてるけど、これも全然ミスキャスト。いかにも添えもの映画って感じなのが悲しいなあ。
だもんで、本編の『ドラえもん』、あまり期待しないで見てたのだが、これがここ数年の不振がウソのような傑作。脚本がありきたりでも、作画と演出で見せられるって好例じゃなかろうか。渡辺歩監督、万歳!である。 1998年の『帰ってきたドラえもん』以来、「大長編よりも併映の短編の方が完成度が高い」とはよく言われていたものの、なぜか5年経っても6年経っても、渡辺監督の長編への抜擢はなく、もしかしたら芝山努監督、渡辺監督と仲が悪いのだろうか、とまで勘繰っていた。 芝山監督ももう還暦を越えている。当然、後継者を育成していかねばならない時期に来ているはずだ。今回の本編の作画監督担当は、そのための布石ではなかろうか。そして、渡辺監督の本領が、作画と演出の両方を担当してこそだということは、今回「演出のみ」の『パーマン』がダメダメだったことからも判明していることだろう。 来年はぜひ渡辺監督に作画だけでなく、演出まで担当してもらいたい。 今回の成功の理由はいろいろ挙げられようが、原作の『台風のフー子』をベースにして、藤子・F・不二雄の世界観を逸脱しないように留意したこと、ディテールの作画に特に気を配ったことの効果が大きいと思われる。 どこでもドアを通りぬけた瞬間に、気圧が変化したんじゃないかと感じさせるような風の表現、のび太の風に細かくなびく前髪、しずかちゃんの「この子には確かに骨格と筋肉がある!」と実感できる微妙な仕草、キャラクターの心情に合わせて変化するアングル、ここまで細部に拘った『ドラえもん』は劇場版シリーズの中でも初めてだろう。 特筆したいのは、悪霊ウランダーに憑依されたスネ夫の悪辣非道な演技。狂気を孕んでいることが如実に伝わってくる歪んだ目と口、その作画も圧倒的なのだが、その兇悪さを弥増しているのが肝付兼太さん一世一代の名演技! 悪役に回ったとは言っても、やっぱりスネ夫はスネ夫なんで、怖くなりすぎないように、ところどころギャグを入れてはいるのが、それでも小さなお子さんにはちょっとトラウマになってしまいそうなほど。 まあ、『風の村』の描写ががなんだかどこかで見たことあるような気がするのはご愛嬌(^_^;)。
ところが、映画館を出て、「今日のはよくなかった?」としげに聞いたら、もう吐き捨てるように「つまんない」のヒトコト。 「藤本さんの原作の味わい、守ってると思うけど?」と言っても、「これまでの映画の使い回しばかりじゃん」。 更には、 「のび太、なんであんなにすぐにフー子に感情移入するの? なにかそういう出来事でもあった?」 「雪山で遭難して助けられるってパターン、どれだけ繰り返されてきたと思うの?」 「マフーガを倒すのに逆向きに回ればいいって、どういうリクツ? 何の『逆回り』なの?」 ……まあ、そのあたりは昨日もマンガを読んで、脚本のヘタなとこだなあ、思ったところだ。スネ夫がウランダーに乗り移られるためには、スネ夫がフー子に執着してなきゃならないんで、そのためにフー子の卵を最初に発見したのはスネ夫ということにした。けれどそのせいで、のび太とフー子の繋がりが薄れてしまっているのである。ジャイアンに襲われたのをフー子に助けられた程度じゃねえ。 「逆回り云々」の説明も、画面見てるとフー子は自分の作った渦の中心にマフーガを飲みこんでるから、何の関係もないし。でもそういう設定の甘さ以上に、画面の緊張感はあったと思うんだけれどもなあ。 筋が多少いい加減でも、「映画のウソ」として許してほしかったんだけど。
帰りにベスト電器のLIMBに寄って、注文しておいたDVD『マイケル・ジャクソン ヒストリー・オン・フィルム』と『迷宮物語』を入手。あと、あぐにさんから奨められてたCD『chai』を注文しようとしたら、店頭にあったので、これも購入。 『マイケル〜』はなんでこんなのを? と思われるかもしれないが、収録されてる『リベリアン・ガール』ってやつに、ダン・エイクロイドがちょっとだけ出ているのである。バイクに乗って現れて、みんなが「マイケルが来たのか?」と思って振り返ったら、エイクロイドだったというギャグ。 こんなんでもしげは大喜びなのである。それで『ドラえもん』を貶したりするなよ(-_-;)。
DVD『Manie-Manie 迷宮物語』。 眉村卓原作、りんたろう・川尻善昭・大友克洋の三人の監督によるオムニバス映画。角川アニメの中じゃ、これが一番好きだったんで購入。もっとも好きなのはりんたろう監督の『ラビリンス・ラビリントス』だけなんだけれど。りんたろうの、と言うより、福島敦子さんのその独特のキャラデザイン、作画技術の高さに圧倒されたのだ。ある意味、実験アニメの部類に入るのかもしれないけれど、これはりんたろう版『千と千尋の神隠し』(『アリス』ネタだし)。でもって、『千と千尋』の千倍面白い。 ジムノペディも、この映画で「いい曲だなあ」って認識しました(^o^)。
2002年03月09日(土) 肉ウドンにすればよかったのか?/『南高裏生徒会』(日下部拓海)/『だめんず・うぉ〜か〜』3巻(倉田真由美) …“NEW”! 2001年03月09日(金) ふうふのしんしつ/『掌の中の小鳥』(加納朋子)ほか
| 2003年03月08日(土) |
急ぐぞ急ぐぞ/舞台『黄金の壷』/『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』(藤子・F・不二雄・岸間信明・岡田康則) |
いい加減、ひと月遅れ日記に憤慨されてる方もいらっしゃるでしようから、本気で爆走します。物足りない人はそう言って下さい。日によっては加筆するかも(^_^;)。
下村美里嬢(塩浦美鳩から改名)の所属する「うずめ劇場」の公演を見に、しげと連れ立って北九州まで。 ホントは昼に行く予定だったのだが、しげが寝こいていたので夜の部になったのである。 でも、方向オンチのしげのこと、道に迷っちゃマズいと明るいうちから出発した。したらばやっぱりしげ、道に迷うし(ーー;)。地図見てたじゃん。真っ直ぐ行く道でどうして脇道に入るかね。こうも期待通りのドジをやらかしてくれると、そのうち本気でマンガの主人公にしてやるぞ。 雨も降りだして、ちょっと気分は憂鬱。
舞台『黄金の壷』。 会場は廃校になった旧陣山中学校の体育館。 のわりには美術がなかなか凝っている。舞台転換を、上に張り巡らしたシーツの上げ下げで表現するアイデアは秀逸で、地方劇団のレベルを越えている。でも、下村さんには悪いけど、役者がみんなシロウトでもうどうにもねえ。 演出兼出演者のペーター・ゲスナー氏、芝居自体は悪くないんだが、やはり日本語がカタコトなので、「地面に」が「人面に」に聞こえるあたりがネック。デビルマンか。 原作はE・T・A・ホフマンの同名小説。岩波文庫で読めるが、ストーリーは驚くほど原作に忠実。だから面白いことは面白いんだけれど、舞台をドレスデンから北九州に変更したのはちょっとねえ。いや、向こうの衣装を用意できるほどの予算がないってのは分る。けど日本ものに翻案すればなんとかなるものでもないのだ。祇園祭の夜をきっかけに、主人公がアトランティスと混交するって、そういう祭りじゃないだろう、あれは(^_^;)。 人物の名も日本風に改変。 主人公アンゼルムスが安西さんで、謎の男リントホルストが竜胆さん。語路合せだな。 アトランティス自体も、今は随分手垢のついた存在になっちゃったけど、ホフマンの時代にはまだまだ神秘性が備わっていたのだろうなあ。 あと、「黒猫」と言ってどう見ても「熊」のぬいぐるみを出すのはやめよう(^_^;)。
芝居がハネて、下村嬢と少し話す。 下村嬢、私のかぶっている帽子を見て、「ノッポさんだ」と笑う。浅見光彦にはやっぱり見えんかな(ホントは親父の真似である)。また福岡においでよ、と会話して辞去。
マンガ、藤子・F・不二雄原作・岸間信明シナリオ・岡田康則まんが『映画ドラえもん第24作 完全コミック化総集編 ドラえもん のび太とふしぎ風使い』(小学館・500円)。 映画を見る前に、とりあえず筋を抑えとくために購入。予告編を見て、作画が異常によかったんで、数年ぶりに劇場版を見に行く気になったんだけれど、期待外れに終わらないよう、筋のダメダメな部分は予め知っておこうということね。 ……まあ、予想通りでした(^_^;)。つまんないとまでは言わないけど、さすがに24作も続くと、過去の作品の焼き直しになっちゃうのは仕方ないのかなあ。
2002年03月08日(金) ○○○○が長いのね♪/『笑うクスリ指』(唐沢俊一)/『ぶたぶたの休日』(矢崎在美)ほか …“NEW”! 2001年03月08日(木) ゴジラ対バラゴン。……地味だ(-_-;)/『Heaven』2巻(佐々木倫子)ほか
| 2003年03月07日(金) |
亡霊ふたたびみたびよた……/映画『Jam Films』/『魔法遣いに大切なこと』2巻(山田典枝・よしづきくみち)ほか |
ちょっと前にですね、「北九州博覧祭」というのがあったんですよ。 まあ万博のすっげえミニサイズなヤツなんですけど、そのメインキャラクターだったのが松本零士のマンガのキャラクターたち。松本さん、北九州は小倉の出身だから。CMじゃ野沢雅子さんや池田昌子さんが久しぶりに鉄郎、メーテルの声を担当して宣伝にひと役買ってたんですが、まあ、これが以前日記にも書いたことだけれどおおコケ。 もっと以前に、長崎ハウステンボスの「アニメワールド」って、「ワールドってほど広くないじゃん、小さな建物の中にガキ向けのアニメ造りの解説部屋があるだけのもので」って感じのミニシアターで「ここでしか見られない」松本アニメの新作が上映されてたこともあったけれど、ハウステンボスも倒産しちゃっいましたよねえ。 松本零士ブームが起きていたのは80年代真っ只中。端緒はもちろん『宇宙戦艦ヤマト』なんだけれど、「松本アニメ」としての人気の中心は『銀河鉄道999』。けれどこの劇場アニメ、コスト減のために普通のセルより小さいセルを使ったりしていて、作画的には荒れが目立っていて、コアなアニメファンの評価はかなり低かった。今でも思い出すけれど、当時私がいた大学の推理研の先輩が、『さよなら』のセルがまたもやミニサイズと聞いて、「ふざけんなよ、りんたろう!」と激怒していた。 で、『さよなら』の出来がもう蛇足以外の何物でもなかったから、これで松本アニメのファンがスゥッと引いていった。そのあとも松本アニメは『わが青春のアルカディア』(石原裕次郎の遺作(^o^))とか作られたけれど、もう誰も見向きもしない。それでも松本さんは「次は『エメラルダス』だ!」と怪気炎を上げたけれど、もうスポンサーがつかなかった(近年ビデオシリーズにはなったけどやっぱり作画はメタメタ)。 それ以来、ちょこちょこと松本アニメは作られているけれども、「原作の新作」が描かれることは殆どなく、たいていは旧作の焼き直し。しかも人気が出ずに打ちきりに合うものばかり。『銀河鉄道999』も『宇宙戦艦ヤマト』も(『ヤマト』などは前作が未完のままなのに時代をすっ飛ばした新作を描くというファンを舐めたマネを晒している)、掲載紙が潰れたあと、本人は描き下ろしで新作を描くとか言っときながら、そのまま音沙汰なし。
もはや、昔からの松本ファンで「怒る」を通りこして、松本零士が何をしようと「無視」するようになってる人も多いのではないか。 私などは作画レベルが低かろうが『999』のラストでメーテルと鉄郎のキスに涙した身だから(-_-;)、まだ未練があって、松本さんが新作の企画をぶち上げるたびに「頼むからもうやめてくれ、アンタの才能はとうの昔に尽きてるよ」と泣き叫びたい心境に駆られていたのである。
……ってところにもってきて、このニュースである。 「BSフジで、10月から松本零士の書き下ろしによる新作アニメ『銀河鉄道物』を放送する」 ……劇場版でプロローグだけ描いた『エターナルストーリー』の続きはどうなったんだよ。今度は『銀河鉄道999』の世界から25年が経過してはいるものの、鉄郎やメーテルは殆ど登場せず、全く新しいキャラクターとストーリーを展開させるんだと。あまりにも旧キャラのリメイクが多すぎたんで、ちっとは反省して「新作を」と考えたのかもしれないけれど、でもやっぱし「焼き直し」なんだよな。 松本零士のコメントがまたねえ、「『999』の中で描き切ってない部分があり、それをフィーチャーしたい」だってよ。同じこと『さよなら』ん時にも言ってたろうがよ。ボケたか松本零士。いや、「この『銀河鉄道物語』は、これまでの私の作品の中で、最もスケールの大きなものとなりますので、楽しみにして下さい」なんてことまで言ってるから、確実に誇大妄想に陥っちゃってるんである。もう老人はそっとしといてあげて、食い物にするのはやめてくれよBSフジ(ToT)。
アメリカ・ロサンゼルスで1981年に起きたいわゆる「ロス銃撃事件」。もう20年以上も経ったかと思うと信じられないくらい過去なんだが、三浦和義被告の無罪が確定する見込みだとか。 三浦さんが本当に事件の真犯人であったかどうかについては私は興味がない。当時、『週刊文春』の「疑惑の銃弾」シリーズを読んだとき(再録本でだけど)、恐らくはSFファンの誰もが感じただろう「これって、筒井康隆の『俺に関する噂』じゃん」という感想を持った。 事件当時、知り合いに「あの報道はないよなあ」と言ったら、「じゃあお前は三浦が犯人じゃないって言うのかよ」とトンチンカンなことを言われて、まさしく「ニュースが価値を決定してるんだなあ」と怖い思いに駆られたものであった。松本サリン事件の冤罪事件もそうだったが、マスコミも大衆も、自分の望む真実に近い報道を求めてるだけなんで、実は「真実の報道」なんてものはハナからないがしろにしているのである。 この国のマスメディアが始末に悪いのは、彼らが語り大衆が需要している「報道」もまた「物語」であり「虚構」に過ぎないのに、それがあたかも「真実」であるかのように錯覚している点である。「情報」が嘘に過ぎないことを自覚してるヨソの国との情報戦に負けちゃうのは仕方がないんだよなあ。 文芸春秋の雨宮秀樹社長室長は、「残念の一語に尽きるが、『三浦事件』が『なかった』ことを意味していない。殴打事件で三浦被告の懲役6年が最高裁で確定していることを忘れてはならない。人権に配慮しつつ闇に隠れた犯罪を明るみに出す役割を今後とも続けていきたい」と発言。 ……悪いけど、その「闇に隠れた」って部分が「予断」なんだよな。正義派を気取る人ってさあ、不正が横行して何の告発もされてないのをやたら憤るけどねえ、その背景にある心理って、たいてい「自分らだけ美味しい思いしやがって」って浅ましい根性に過ぎないんだよねえ。社×党の辻元某が(^o^)不正を追及する立場を標榜しといて、自分もやっぱりセコいちょろまかししてたのでもわかるでしょうに。みんな「バレなきゃ何やってもいい」と本音では思ってるくせに、「上手くやった」ヤツをやっかむってのはあまりにみっともなくないか。 最初に書いた通り、私は三浦さんが本当に誰かを雇って奥さんを殺したのかどうか、その真実に興味はない。「真実はいつも一つ!」と思いこんでる連中に対して嫌気がさしてるだけなのである。
終日、雨ふり。 今日も晩飯はマクドナルドのドライブスルーで、てりたまバーガー。おぜぜがないのでしげのオゴリである。 「なにがすいいと?」と聞かれたので、「昨日と同じでいいよ」と言ったら、「てりたま」は買ってくれたが飲み物は付けてくれなかった。昨日は「QOO」もおごってくれたのに、オゴリが続くと段々とそのオゴリ度が低くなっていくのである。 経済的な妻なことである(←もちろんホメ言葉ではナイ)。
公開終了が本日の映画『Jam Films』。 なんだかズルズルと見るのを引き伸ばしてたのは、時間が合えばしげと一緒に見に行こうと思ってたからなんだが、結局しげは全然興味を示さなかった。 買っといた前売券がもったいないので、そぼふる雨の中、天神の外れのKBCシネマまで。前にも書いたが、ここ、ミニシアターと言えば聞こえはいいが場末の名画座みたいな雰囲気で、ちょっとうら悲しい気分になっちゃうのでちょっとばかし行きにくいのである。
オムニバス映画には二種類ある。 一つは一人の監督がいくつかの短編を映像化するもので、和田誠の『怖がる人々』や石井輝男の『ゲンセンカン主人』『ねじ式』などがこのパターン。オムニバスと呼んでる人は多いけれど、厳密には連作短編集的な色彩が強く、「乗合自動車」としてのオムニバスとはちょっとニュアンスが違う。けれど映画としては一人の監督が統一感を持って映像化するから、秀作、傑作も生まれてくる。 もう一つは、複数の監督がそれぞれ短編を監督する場合で、これは洋画のオムニバス映画に多いパターン。『世にも怪奇な物語』とか『トワイライト・ゾーン』とかね。日本映画でも『明日を作る人々』や『嘘』、『バカヤロー!』などの例があるけれど、洋画に比べると全然少ない。監督の作家性に拘る日本人は、このパターンを嫌うのかもしれない。だって、どうしても他人のものと比較されちゃうからねえ。で、実際に殆どの場合、中に数本は駄作が混じっちゃうのだ。 アニメの『ロボットカーニバル』なんて、単品で見たらそれぞれがそれなりに見られる作品だったんだけれど、ズラリと八本も並べたもんだから、どうしてもマオラムド監督の『CLOUD』と北久保弘之監督の『明治からくり文明奇譚』の日本が傑出して見えた。
で、『Jam Films』は後者のパターンなんだけれど、やっぱりそれぞれの作品がお互いの足を引っ張りあってるんだよなあ。タイトルはジャムセッションの謂なんだろうけれど、やっぱいきなりだから音が合ってないよってなもんで。 全体的なレベルが低い中でマシなのが何本かあるって感じなのがちょっとねえ……。 � �the messenger』(監督・北村龍平/主演・魚谷佳苗) 廃墟のビルを訪れる黒いコートの女。彼女の首には刺青が。それは「メッセンジャー」の印。待っていたギャングの男に、彼女が告げた言葉は……。 オチはまたもや恥ずかしげもなくビアスの『アウル・クリーク』。パクリとまでは言わないでおいてやる。ちょっとだけ工夫があったからね。でも無意味な工夫だったけど。雰囲気だけ作ったってねえ、アイデアが貧困だとかえって一人よがりにしか見えないのよ。 �◆悗韻鷆漫戞粉篤帖�篠原哲雄/主演・山崎まさよし・篠原涼子) 買い物帰りに他人にぶつかられた売れないミュージシャンのあきお。そこで取り違えられた紙袋の中には、けん玉が入っていた。そして、そのけん玉の中には更に……。 なんか映画にしなきゃならんような話じゃないなあ。オチの意外性も全くないし。せめて篠原涼子が脱いでくれてたら(^o^)。 ��『コールドスリープ』(監督・飯田譲治/主演・大沢たかお・角田ともみ) フジオがコールドスリープから目覚めると、そこは木造の校舎の中。彼の周りを走り回っているのは奇矯な格好をした馬鹿たち。そこへ現れた一人の美女は、彼らがもともと人類移住計画のために地球から20光年離れた惑星に送られてきたクルーだと説明するが……。 飯田譲治、才能もないのにSF撮るな。「こういう馬鹿なオチじゃあるまいな」と思ったらその通りだったよ(-_-;)。小学生並のオチである。おかげで筒井康隆の特別出演も白々しい。せめて角田ともみが脱いでくれていたら(寸前までは行くけど)。 �ぁ�Pandora 〜Hong Kong Leg』(監督・望月六郎/吉本多香美・麿赤児) 足の水虫に悩む眉子。彼女は秘伝の薬を求めてある街の裏路地へ。妖しい男の奨める「秘密の治療法」とは……。 足フェチにはたまらない一本だろうな。吉本多香美、全く脱がないけれど、アノ時のスラリと伸びた足と、声と表情は最高だ(まあ、えっち)。ギャグとスケベが融合してる点は、七本中一番面白いし、なにより「映画」になっている。でも欲を言えばもちっとだけ色気のある女優さんに演じてほしかったかな。 �ァ�HIJIKI』(監督・堤幸彦/佐々木蔵之介)。 マンションの一室、ライフルを持った男が、女と妊婦、少女の三人を人質にして立てこもっている。窓の外からは男に懇願する母親の声が聞こえてくる。テーブルの上にはなぜか山盛りのヒジキ。やがて女はヒジキに関する物語を語り始める……。 最低の一本。ただひたすらにつまらない。11分が長いことといったら。字幕のギャグも失笑を買うだけ。堤幸彦、一から出直せ。 �Α�JUSTICE』(監督・行定勲/主演・妻夫木聡) 英語の授業中、東条が、校庭をぼんやり眺めているうちに、ハードル走をしている女子の「ある法則」に気がつく。彼女たちの履いている赤、青、緑のブルマには実は本人たちも知らない秘密が……(^o^)。 惜しいなあ。これが半分の長さだったら、超傑作になっていたのに。こういう一発ギャグ的なネタは短く、キレよく行かなきゃ。 �А�ARITA』(監督・岩井俊ニ/主演・広末涼子) 丸っこく、羽が生えていて、一見、子供のイタズラがきにしか見えない不思議な生き物、「ARITA」。主人公の女の子には、目に触れる全ての紙の上に、その「ARITA」が見える。でも、友だちのノートにはARITAがいないことを知って、女の子は思う。「ARITA」って何?、彼女はついに、ARITAのいる紙に火をつけてみるが……。 設定は面白い。「ARITA」のデザインがいかにもラクガキっぽいのも雰囲気出してるし。 初め、女の子のナレーションだけで、その姿を見せない演出も気が利いている。でも、映画としては、そのままずっと、女の子の顔を見せないままで通した方が絶対によかった。どうせ出すなら、なぜ脱がさん(脱がねーって)。 それと、ラストのセリフはシメとしてはあれしかない感じではあっても蛇足。でもほかの作品に比べると、これがずっとずっとマシな出来なんだよなあ。
帰宅して、風呂に入りながら、神坂一『スレイヤーズすぺしゃる20 ミッション・ポシブル』(富士見書房/富士見ファンタジア文庫・546円)を読む。 疲れていたのか、ウトウトして、風呂場の床に本をポトンと落としてしまう。 慌てて水を切り、タオルで拭き上げたが、なんだか微妙なふやけ具合だ。 風呂場で本読むのやめようかなあ、眠たくなるし、ホントに寝ちゃうし、のぼせたり風邪引いたり、あまり体にいいことないんである。 でもやっぱり、時間が勿体ない気がしちゃうんだよなあ。メシ食ってる時間、どこかに出かけるまでの時間、電車に乗ってるときも歩いてるときも、その間に本が読めたらどれだけ時間がおトクか、なんてことをついつい考えてしまうのだ。さすがに外を歩きながら本を読んでいると電柱にぶつかるのでたまにしかやらないが。 けれどこの本、ちょっとふやけたからって、また500円ちょっと出して買い直したいほどじゃないしなあ。ううむ、どうしたものか。
……と、中身の感想、なんにも書かなかったけど、『スレイヤーズ』はただもう『スレイヤーズ』だから(^o^)。 あ、なぜか今回、ナーガが登場しませんでした。もういい加減で時間をワープさせてアメリアと会わせてやれって思ってんの、私だけじゃないと思うがなあ。
マンガ、山田典枝原作・よしづきくみち作画『魔法遣いに大切なこと』2巻(完結/角川書店/ドラゴンコミックス・779円)。 ……20年前だったら、確実にこういう純真無垢で汚れが無くって前向きでピュアでイノセントなマンガにハマってたに違いないなあ。……って、今に至るもついこんなのを買ってしまうというのは、まだ私の中にそういうものの「残滓」があるってことなんだね。 なんつーか、『ほしのこえ』に感動してしまう自分の中の自分を恥ずかしいと思いながら、それを捨て切ることもできないで、何とか理屈をコネ回して誉める手段はないものかと模索するような往生際の悪さと言うか何と言うか。結局、「ああそうだよ、オレ、こういうのが好きなんだよ、悪いか、クソ」と開き直っちゃうしかないんだが(^_^;)。 でもまあ、主人公のユメみたいなヤツって、現実にいたら確かに鬱陶しいだけなんだよな。
魔法遣いに偏見を持っているタクシーの運転手がいる。ユメたちが魔法遣いだとわかると、「オレは魔法遣いに騙されたことがある」と怒って、乗車拒否をする。ユメは「魔法遣いのごどを全部悪いやづみだいな偏見持づんでねぇ!!」と反駁。その運ちゃんのために、長距離移動したがっている心の客を探してやる。ところがその客はタクシー強盗。運ちゃんは刺されて全治2ヶ月の重症を負う。 ユメはショックを受け、失踪する……。
あー、物語の展開上の「ご都合主義」を私はあまり咎めないんですけれどもね、こういう「設定そのもののいい加減さ」には白けちゃいますね。 あの、魔法遣いに人の心が読めるのなら、「長距離移動したがってる」気持ちだけがわかって、そいつの「強盗してやろう」って気持ちがわからないのって、おかしくないか? まあ、ユメの魔法自体が未熟だからってことなんだろうけれど、じゃあ、熟練の魔法遣いなら、犯罪のし放題ってことじゃない? 魔法が現実社会で認められてるって設定にあちこち「ほころび」があるのが、どうにもこのマンガにノレなかった一番の原因なんだよなあ。 アニメも一回見て、その「ピュアなアニメ作ってますよ」って姿勢にアタマ抱えちゃって続き見る気起きなかったし。やっぱり魔法ものはコメディーにしなきゃねえ。
2002年03月07日(木) ヤァ〜クソクしたジィ〜カンだけがカァ〜ラダをすり抜けるゥ〜♪/『ヒカルの碁』16巻(ほったゆみ・小畑健)ほか 2001年03月07日(水) 優しい妻ごっこ/『てきぱきワーキン▽ラブ』6巻(竹本泉)ほか
| 2003年03月06日(木) |
御乱心!……って、マジなんですけど/『オタクの迷い道』(岡田斗司夫)ほか |
先日の東京行きでヨナさんに頂いたCDを、ここんとこずっとパソコン打ちのBGMにして聞いている。 ずっと通してこの日記を読んでいらっしゃる方ならお分りいただけるだろうが、私は、誰それから何を頂いたとか、私の方から何をお贈りしたということを、この日記にはあまり書かないようにしている。 というのも、実は私、日頃から結構いろんな人にモノを頂いてるのである。もちろん、ご好意は嬉しい限りなので、素直に喜んではしゃいでる様子を書いてもいいのだが、それがあまり度重なるってのもちょっとみっともない、日記の雰囲気が何となく浅ましくなっちゃうような気がして省略してるんである。 それに、あまり喜んでると、贈り物をしてくださった方が、「じゃあ次はもっと喜ばせてあげよう」ってなこと考えて、どんどん豪勢なものをくれたりするので、抑え気味にしないとヤバいんである。 だって、今回ヨナさんが下さったの、CDが3枚ですよ。それだけで6000円越してんですから。ビックリ〜(/'O';)/ ……あまり日記で金がないだの貧乏だなどと書くものではないなあ。あちらこちらから御喜捨が慈雨のごとく……(^_^;)。
頂いたCDはいずれもヴィヴァルディの『四季』である。クラシックの造詣なんぞ全くない私でも、さすがにこれくらいは知ってるし、ウチにもCDは何枚かある。もっとも殆ど映画のサントラに収録されてるものばかりなので、フル演奏のものは少ない。しかも本棚の奥に埋まっていて取り出せないと来ている(いつものことだ)。 唯一フルバージョンで持ってるヤツは、悪名高きディアゴスティーニのシリーズのもの。と言っても中身が悪いわけではなく、アルベルト・リッツィオ指揮、サン・マルコ合奏団の演奏する『四季』は、メロディーラインの強弱がハッキリしていて、わりあい好きな演奏であった。 ヨナさんに頂いた一枚目は、カール・ミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管弦楽団の『四季』。メロディー全体よりも、奏でる音の一つ一つを力強く響かせるタイプ。『春』なんかは全然優しげに聞こえない。『秋』も同様。何となくヴィヴァルディに「挑戦」している雰囲気だ。 二枚目はニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの『四季』。軽快かつ流麗、畳みかけるところは勢いに乗って迫ってくるが、決して「怒涛のごとく」とはならない。『秋』なんてやや高めの浪が落ちつきなく連続してわしゃわしゃとかぶってくる感じで、何だか滑稽だ。「笑える『四季』」なんて初めて聞いたなあ。 三枚目はイ・ムジチ合奏団による『四季』。印象は「豊饒」である。1995年の録音で、3枚の中では一番新しいバージョンであるせいかもしれないが、一つの音に絡む楽器の多さが目立つと言うか、重層的で一番オーケストラっぽい。ただ、その分「いかにも」な演奏になっており、『冬』のように静かなメロディーであれば、深く沈んだ音の中に潜んでいる奥深さを感じ取ることもできるが、『春』あたりだと、かえってオーソドックスすぎるくらいに聞こえてしまう。 まあ、こんなのはシロウトの勝手な印象批評でしかないが、楽団の「個性」によって、「同一曲でもこれだけ印象が違うんですよ」ということを理解させたいヨナさんの意図は伝わった。 だからと言って、これでクラシックにハマるかどうかは分りませんよ、とヨナさんには言っておこう(^o^)。
私も、芝居の脚本で、流す音楽の指定をするときに、同じ曲の別バージョンをいくつか並べる、ということをよくやる。ギャップの違いが狂騒的な笑いを引き出す効果を狙ってるのだが、以前の芝居でナット・キング・コールの『ペーパームーン』と桜田淳子の『ペーパームーン』をオープニングとエンディングで流すというものすごいことをやった。ものすごすぎて、その意図があまり客には伝わらなかったようだが(それどころかウチの演出にもつたわんなかったもんな)。 しかも、音響がドジって音を途中でぶった切りやがったし。やったの其ノ他くんだよ。つくづく使えねえやつめ……(-_-;)。 今度の芝居も、脚本段階でそういう意図を狙った「ある選曲」をしてるんだが、さて、鈴邑君はちゃんと面白く演出してくれるかなあ。
昨日から今日にかけて、職場ではトラブル続き。 私は当事者ではないので、詳しい事情はわからないのだが、「事件」は偶然目にした。 まずは昨日の昼ごろのこと。 私が事務仕事をのんべんだらりとこなしていたら、向こうの方で騒がしい声が。揉めているのは同僚のAさん、Bさんである。 A「……だいたいアンタはオレを馬鹿にしとろうが!」 B「馬鹿になんかしとらんて!」 A「いいや、馬鹿にしとう、どうせオレはパソコンなんて扱いきらんったい!」 どうやら、Aさんがパソコンに入力したデータに間違いがあったので、Bさんが訂正を要求したところ、その言葉使いが悪かったので、口論になったらしい。AさんとBさんは、以前にも似たようなことで諍いを起こしていたが、そのときの憤懣もこの場に持ちこされているようだ。 A「だいたい元々のデータが間違うとったでしょうが。だけん、最初からきちんとデータば確認してくださいて頼んどったでしょうが」 B「そのデータは今更訂正がきかんでしょうが。もういっぺん、各部署からデータば出し直してくれなんて言えんでしょうが」 激昂しているのはAさんであるが、話の筋道はAさんの方が通っている。元々おかしいデータをなんとか整合性を持たせて使えるものに調整しようとして、Aさんは入力に失敗したらしいのである。 ただ、筋を通すにはAさんは人間として感情的に過ぎるのである。日頃から被害妄想的な態度が目立つし、トラブルを起こしたのもBさんとだけではないのだ。 A「もうよか! そげん役に立たんデータなら、全部消しちゃる! コンピュータの中のデータも全部消しちゃる!」 B「やめんね! そげんことしたらどげんなるか、わかっとうとね!」 Aさんが暴れ出したので、周囲も途端に騒然となった。 胸倉を掴んだの掴まないのでケンカになる。 争いを止めようと何人もの同僚が集まってくる。 A「キサマ、殺す! C、殺す!」 Aさん、もう完全に常軌を逸している。いきなりCと別の同僚の名前を叫ぶが、その場にCさんはいないのだ。どうやらAさんの妄想の中では、全てのトラブルはAさんの直接の上司であるCさんの陰謀によるものらしい。BさんをCさんの腰巾着だと思っているらしいが、Aさんの主張をある程度正しいものと認めても、そういう事実はなかろうと思われる。 Aさんの暴言、もう止まらない。 A「ちきしょう、殺してやるからな、C! キサマの家族もみんな殺すぞ! 娘も息子も殺してやる! 首を洗って待っとけよ!」 その場にいた者でAさんは外にムリヤリされて行かれた。 残った同僚のうち、一人の女性が突然痙攣を起こして泣き崩れた。 「……もういや! こんな会社……!」 こういうことがウチの職場では結構起きるのである。 私が、この日記上で私の身分も社名も明かせない理由を少しは御理解いただけたであろうか(^_^;)。 今日、Aさんは会社をクビになった。 あれだけの狂いっぷりを見せた以上、それはもう仕方のないことなのだが、あまり真っ直ぐな人にデータの改竄とか、そんな裏仕事を頼んじゃいけないのである。会社だって、いつでもトカゲのシッポ切りができるように、「クビにしやすい人」を選んでそういう汚い仕事を押し付けているのがヒレツなのである。 給料もらってる身がこういうことを言うのはなんなのだが、ウチの会社、マジで潰れたほうがいいとは思うな。 Aさんのトラブルは、私は管轄違いのところで起こったことなので、傍観するしかなかったのだが、私の部署でも人間関係のトラブルはしょっちゅう起こっている。 今日も若い子が一人、「私もう、この会社辞めます」なんて私に泣きついてきたので、小1時間かかってなだめるハメになった。原因は女同士の陰湿なイジメ、と本人は主張するが、これも見たところ被害妄想がちょびっと入っている。 だからと言って、「考え過ぎだよ」と簡単には言えない。それは頭ごなしにその子の主張を否定しちゃうことになるので、下手をしたらヒステリーを起こされかねない。 ともかく、どんなことをされてるのかを詳しく聞く。それから「陰口ぐらい気にするな」とか「イヤな態度を取られるのなら無理して付き合うことはない」とか、「陰口に負けたくらいのことで会社辞めちゃうなんて損だよ」とか、いつのまにか自分の仕事を中断して、人生相談を始めているのである。 いや、その程度ならまだいい。なかなか泣きやまない彼女を持て余して、気がついたら、「君がいないと、会社も寂しくなっちゃうよ」とか、「君がいなくなっても悲しむヤツはいないなんて言うな。少なくともオレは悲しい、それは確かだ」とか、聞きようによっては口説き文句みたいなことを口走っているのだ。 やばい……( ̄∇ ̄;)。 いや、別にこの程度のことで私とその子の間でナニがナニしてナニになるとは思わない。私は中年である。しかも「冴えない」とか「しがない」とか「むさくるしい」とか、そういう形容詞が上についたほうが似合うようなナリなのだ。 でも、私のその場限りの激励にもそれなりの効果はある。ようやく「明日も……会社に来ます」と言ってくれた彼女のその顔には、明らかに私への感謝の表情が浮かんでいたのだ。 これがきっかけになって、必要以上に私が慕われたりしちゃったりなんかして、仮に例えばもしも万が一、「今度、藤原さんのお宅に遊びに行ってもいいですか?」なんて言われたら、しげに何と言われることになるか。 いや、これは私の妄想ではなく、たまにそんなこと言ってくる若い子が実際にいるのだ。職場は職場、私生活は私生活で厳密に分けておきたいのだが、若い連中の面倒を見て行く過程においては、そうもいかない場合もある。面倒は見るが期待はするなという線引きをちゃんと引いておかないとマズいのである。 読者諸君はここから何か胡乱な展開があるんじゃないかと期待する向きもあるかもしれないが、そういうことは絶対ないので煽らないようにね(~_~;)。
岡田斗司夫『オタクの迷い道』(文春文庫・620円)。 単行本買ってるけど、こんなに特典が付いてたんじゃ、買うしかないですねえ。単行本のときは、表紙のモデルさんがあのインリンだとは気づいてなかった(日本全国で、「あれは『インリン』じゃなくて『インラン』だな」という寒〜いオヤジギャグを思いついたヤツが五万人はいると思われる)。当時はイケてないキャバクラ姉ちゃんみたいだなあ、とか思ってたのに、こんなに売れるとはねえ。かと言って好みになったわけじゃないんだが。
唐沢俊一・宮脇修一両氏との対談は、なんと87ページにも及ぶ。しかもその内容の濃いことと言ったらもう(_△_;)。 対談中に「我々は薄い」発言があるが、もちろん全てのオタク情報を知識として仕入れることなど不可能なことを認識した上での発言である。 岡田さんや唐沢さんが若いオタクに向かってよくする「こんなことも知らないのか」発言にカチンと来て「自分はどうなんだよ、おまえらだってこんなことも知らないし薄いじゃないか」と難癖つけたがる人は結構いるようだが、オタクとしての「濃さ」ってのは、単に知識の多寡にあるのではない。手に入れた情報が、自らの価値判断のフィールドの中でどのような位置に属しているのかを分析できる「能力」、更にはそれを社会的な価値判断の中にも反映させていける「表現力」を言うのであって、ただ単に知識があるだけでは、そりゃ、ただの「知ったかぶり」でしかないのである。 某掲示板の定連さんなんかみんなそうだからなあ(-_-;)。 唐沢さんの「オタク」を標榜するスタンスも、この対談や最近の日記を読んでいると、少しずつ変わってきているなあ、と思う。『オトナ帝国』を誉めていたころには、まだ世代間を越えたオタク的知識の伝達がありえるのではないかと考えておられたようだが、何だか最近は若い世代の無知無教養ぶりに諦めがちのようだ。 私はもう「『オトナ帝国』は万博世代以外には本当には分らない」と思っているし、30代以下の人間の『クレしん』に対する面白がり方は総じてウスいなあと寂しく感じているのだが、でも「実体験」のないヤツに想像力で補えと言っても限界があることは仕方のないことなのだ。 例えば、戦争経験のない人間の反戦の主張がほぼ全て偽善にしか見えないことと状況は同じである。 祖母が目玉の松ちゃんや林長二郎の魅力を熱く語り、母が大川橋蔵の死とともに「青春が終わった」と語った「事実」は伝えられるが、その「実感」は決して祖母や母の中から私に移し替えられはしないのである。 唐沢さんが小林信彦の「リアルタイム経験論」を苦々しく思いつつも受け入れざるをえないと考えておられるのも、自分が「オタク第2世代」として、その時代に生まれていなければ、自らオタクの道を選択することはなかったこと、言い替えれば、時代が「岡田斗司夫」を生み、「唐沢俊一」を生んだことを実感されているからであろう。 だとすれば、これからの「時代」において、「オタク」はどういう「在り様」を作っていけばいいのか、その指針を示すことが唐沢さんのこれからの「仕事」になっていくはずなのだが、唐沢さんはズルイことにそのアタリについてはあえて発言を控えている。 自分の著作でそれは語って行くおつもりなんだろうなあ、つまりこの対談は『唐沢俊一的オタク論』の予告編のようなものなので、人の軒先を借りてちゃっかり伏線を張っているあたり、相変わらず商売上手なことである。
岡田斗司夫さんの本なのに、唐沢さんのことばかり書いちゃったな。 それじゃあんまりなので、岡田さんのことにも触れておこう(^o^)。今回、初めて知ったのだが、この連載の文章を実際に執筆されていたのは、奥さんの岡田和美さんであったのだった。悪く言えば奥さんは旦那さんのゴーストライターであったわけだが、これは夫唱婦随の合作と考えるべきだろう。 こういう夫婦関係って羨ましいなあ。 岡田さんは開田裕治さん夫妻を「オタク同士の理想の夫婦像」と語っているが、どうしてどうして、『フロン』の件でも分る通り、岡田さん夫婦もお互いの人格を理解しあって、あの二人にしかできない夫婦関係をちゃんと築いておられるのである。 夫婦というものが絶対無二のものであり、他との相対的な価値判断で見なすことがどれだけ愚かしいかということを、実践しちゃっているのだ。これから書かれる岡田さんの本も、全部が全部ではないにしろ、岡田さんが語ったものを奥さんがまとめる形で成り立つものもたくさん生まれていくのであろう。「岡田斗司夫」とは実は、「エラリー・クイーン」であったのだ、という嬉しい発見である。
晩飯はしげが仕事に行く時間が迫っていたので、マクドナルドのドライブインでてりたまバーガー。ちょっと簡単過ぎ(~_~;)。 でも、これがわれら夫婦の現在のスタンダードスタイルなのである。別にそうなりたくてなったわけではないのだが。
2002年03月06日(水) 夢のビル・ゲイツ/『金田一耕助の新冒険』(横溝正史) 2001年03月06日(火) 優しい夫ごっこ/『真・無責任艦長タイラー2 奮闘編』(吉岡平)ほか
| 2003年03月05日(水) |
テレビアニメまとめて感想/『TRICK2 THE COMIC』(西川淳)/『ギャラリーフェイク』27巻(細野不二彦)ほか |
長々書くのにちょっと疲れてきてるんで(なら短くしろよ)、今日も他人のフンドシで行を埋めるインケツワザ。 大地丙太郎監督のホームページ「大地丙太郎WEB」の3月4日の記事より。
> 見る方も全部見るのは不可能なのでダメだと思う作品は自然と淘汰されると思うんだけど、1クール放映と言う短い期間で終わってしまうためダメだと気づいた頃には遅かったりするんだよね(笑)見る方の意見としては贅沢な話だけど、やはり本数減らしてクオリティを上げてもらいたいところ。ヤシガニ(この表現嫌いなんだけど)がアニオタの間でしょっちゅう引き合いに出される事自体異常なんだから。
> ちなみに3月現在の録画対象(※録っているモノ≠観ているモノ)。1軍は録り逃がすと後悔するもの。2軍は録れなかったら仕方ないか、くらい。
> 1軍:クラッシュギアNitro、ギャラクシーエンジェル、花田少年史、ボンバーマンジェッターズ、プラトニックチェーン、ビッグオー、天使な小生意気
> 2軍:WOLF'S RAIN、デジモンフロンティア、明日のナージャ、星のカービィ、ミルモでポン、ふぉうちゅんドッグす、ストラトスフォー
> 正直ナージャはそろそろ辛くなってきたので録画対象から外したくなってきた(;´Д`)ただでさえ土日はエンコが立て込んでるし。とっとと島編に行って欲しい。
実際、もう全てのアニメ・特撮を追いかけるのは仕事持ってる身にゃ無理だし、DVD録画したって、見返す時間なんてない。既に私ゃ「日本映画専門チャンネル」を録画して見てないやつが10本越してるんである。ましてや毎週放送のアニメはなあ……。 そのことを考えると、アニメ業界の真っ只中にいて、これだけのアニメを見ようとされてる大地監督は立派なものである(仕事サボってるわけではあるまい)。だいたい、業界の人って、同じ業界の人の仕事って気にしないって人も多いからねえ。 私は必ずしも大地監督の作品を世間ほどには買ってないんだけれど、一見誠実そうに見えて、その実、海千山千魑魅魍魎有象無象百鬼夜行の様相を呈しているらしいアニメ界の中で(ホントにそうかどうかは知らんが)、大地さんは珍しく本当に「誠実」っぽいのだ(だから作るものがつまんないという意見もあるが)。 しかも大地さんは、巷間言うところのピュアな人(『HERMES ヘルメス 愛は風の如く』なんてのを作っちゃうようなスタッフのことね)とは意味が違う。見ている作品の評価の仕方からして、“作品造りに対して誠実”だと思うんである。 『クラッシュギアNitro』に注目してるところなんか特にね。こういう人が推薦してくれる作品なら、ちょいと見てみようか、という気にさせられる。 いや、私もここに挙げられてるアニメ、一応八割方は飛び飛びながらチェックしてるんだけれど(福岡で放映されてないのは除く)、量が多すぎて日記に全部感想なんて書いてられないんだって。 だから今回、大地さんの日記にかこつけていくつか感想書いちゃうけど、『クラッシュギア』は未だにCG部分に慣れないけれど、作画はピカイチ。大地さんがチェックする理由ってのも分るねえ。あのスタッフは、『ミトの大冒険』の流れなのかな? 『ギャラクシーエンジェル』はフザケてるワリにSFテイスト満載なんて回もあって、ついつい見てしまう。堺三保さん脚本のときなんかはやっぱりいいね。 『WOLF'S RAIN』はこの期に及んでまだ『エヴァ』やるかって印象。アニメファンとやおいファンのどっちを狙ってんだか分らない中途半端なキャラデザインもちょっとなあ。 『ストラトスフォー』も期待したほどのできじゃなかった。いや、まあまあの出来ではあるんだけれど、「今更」感が強くってね。もう少し前に見てたんならちっとはハマッたかもしれないけれど、「女の子ばかりの部隊」ってだけでもう、なんというか……。 でも、この人もう死んでいいよと言いたくなるくらいヒドイ、某あ○○り○○るの脱力感しか与えてくれないクソ脚本の某日露戦争アニメよりゃずっとマシなんだよねえ。ロシアがどうのこうの以前に、シナリオとしてクソだよなあ。みんな揃ってのケツ振りエンディングも虚しいよなあ。 ほかのもちょこちょこ見てるのもあるけど、感想は特になし。
晩飯は回転寿司の「しーじゃっく」。 モーニング娘。の歌う『ひょっこりひょうたん島』が流れてくるのを聞いて、その余りの思い入れのなさっぷりに殺意を抱く。 何が「2003年の『ひょっこりひょうたん島』を歌うことになりました」だ。ライオンさんに食わせてやろうか(優しいから食わないだろうけど)。
天神で買い物をしたかったが、しげが「眠い」というので中止。 その代わり、近所の本屋に寄ってもらう。しげはいやがっていたが、そこで明智抄さんの新刊『砂漠に吹く風』(新装版)上下巻を発見する。 実は、しげが一番好きな作家さんが明智さんである。寄り道するのを初めはブツクサ文句を言っていたしげだったが、途端に「買う買う」とウシみたいなことを言い出して、ケロッと機嫌がよくなる。
マンガ、鳥山明『ドラゴンボール完全版』7・8巻(集英社/ジャンプコミックス・各980円)。 このあたりを読み返してると、レッドリボン編が終わったあたりで連載やめときゃ、鳥山さんの作品の幅も広がったろうになあ、と思っちゃうな。これ以降はもう、全てこれまでのパターンの拡大再生産になってくから。 アニメの方は確か、このへんで連載に追いついちゃって、露骨に水増しやオリジナルが増えてったころだね。「ヤッホイ編」なんてどうでもいいのまで差し挟んでたし。それでも人気が落ちなかったのは、鳥山さんにとって不幸だったよなあ。今、鳥山さんが連載できなくなっちゃったのも『ドラゴンボール』の後遺症だろう。
マンガ、堤幸彦監修・蒔田光治原作・西川淳漫画『TRICK2 THE COMIC』(角川書店/単行本コミックス・588円)。 『六つ墓村編』と『妖術使いの森編』を収録。 このままどんどん続くのかな? 絵は相変わらずヘタなんだが、コマ割りのメリハリの付け方はうまいので何とか読めはする。読めるだけで面白いとは言わんが。監督は「これはミステリではない」と言ってるけれと、だったらミステリ仕立てにするなよ。 ……で、小説版読んだときも気になったこと。どうして森のだと毛が伸びるの?
マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』27巻(小学館/ビッグ・スピリッツ・コミックス・530円)。 指名手配の似顔絵までネタにするかなあ。確かに社会の隅々にまで「芸術」はあるんだけれど、これが2巻や3巻のころに描かれてたのならともかく、27巻まで来てるとただの「ネタ切れ」にしか見えないのが残念。 国宝Gメンの知念さんが仏像の指折っちゃう話なんか、別にこのシリーズでやらなきゃならないような話でもないし。 絵も荒れてきてるし、30巻くらいでキリよくケリつけようよ。
2002年03月05日(火) さよなら半村良/ドラマ『盤嶽の一生』第1話/『かりそめエマノン』(梶尾真治) 2001年03月05日(月) SMOKE IN MY EYES/『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(田中啓文)ほか
| 2003年03月04日(火) |
騙されるほうがねえ/『たったひとつの冴えたやりかた』(J・ティプトリー・Jr.)/『ENDZONE』2巻(えんどコイチ)ほか |
訃報が二つ。 ミステリ作家・生島治郎氏が、2日午後、肺炎のため死去。享年70。 氏の「兇悪」シリーズ、これは好きで何冊か読んでたんだが(単行本はよく出てたけど、文庫は数冊しか出なかった。あれだけのヒット作家だったのに、なぜかなあ?)、「日本におけるハードボイルド小説の草分け」とか言われてるわりに、結構ウェルメイドだな、と思った印象がある。 もっとも私は、「ハードボイルド」というジャンル自体、そう信じてはいない。心理描写を全く欠いた、完全に「乾いた」小説など書きようがないと思っている。ダシェル・ハメットだって、ロス・マクドナルドだって、主人公の行動の背景に当然その人物の心理が読み取れるようになっているのである。 「兇悪」シリーズのテレビ映像化『非情のライセンス』は、主役の会田刑事を演じた天知茂の眉間のシワが全てと言っていいような番組だったが、それでも後年のフヤケタ明智小五郎シリーズよりはずっと出来がよかった。もっとも原作の会田はもっと地味で、確かにテレビほどに饒舌ではない。原作のイメージで言えば、どちらかというと仲代達矢に演じさせたかった感じである。 文体が乾いている、という点では、生島治郎の後継者は、北方謙三でも大沢在昌でもなく、ましてやいしかわじゅんではなく(^o^)、赤川次郎なのではないかと思っている。実は赤川次郎のデビュー作は、『幽霊列車』ではなく、この『非情のライセンス』のシナリオなのである。赤川次郎が、誰を範として小説を書き始めたかが分ろうというものだ。 後年の生島さんはあまり好きではない。例によって、『片翼だけの天使』に失望したためだ。在日外国人のソープ嬢との恋愛が成立しないとは思わない。だが生島さんの「思い」はあまりに「甘々」だ。こりゃ破綻するよ、と思っていたら、ホントにそうなった。 映画になった『片翼』も見に行ったが、あまりに退屈でつまらなくて、途中で席を立って帰った。そんなことをしたのは、『暖流』と『プロ野球を100倍楽しく見る方法』の三本しかない。どんな作品にも一人よがりな部分はあるが、それも程を過ぎると、鼻につくのである。 でも、この人も文壇的な評価はキチンとされてないって思うなあ。生島さんばかりでなく、大藪春彦も河野典生も小鷹信光も、日本のハードボイルド系作家たちは、みな過小評価されてるように思えてならない(確かに駄作も多いんだが)。アメリカじゃハードボイルド小説はヘミングウェイの流れに連なる現代小説の1ジャンルとしてちゃんと評価されてるってのにねえ。
もう一つの訃報は、声優兼構成作家の井上瑤さん。2月28日午前、癌で亡くなったことが古谷徹氏のホームページに記載されていた。新聞等に訃報の記事はまだないが、まず間違いなく事実だろう。 掲示板に以下のように書きこみ。 > 塩沢兼人さんが亡くなったときもショックだったけど、井上さんも……。 > 声優さんはあまり誕生年を発表しないから、正確なお年は分らないけれど、まだ50歳とちょっとだったんじゃないか。早いよ。早過ぎるよ。 > 『ガンダム』を「たかがロボットアニメ」と見ている人たちに対して、ムキになって一番熱弁を振るって擁護してたのが井上さんだった。ガンダムへの思い入れが強過ぎて、富野監督とケンカしたこともあった。それくらい作品に全身全霊をかけてぶつかる人だった。 > アニメが好きで、声優が好きで……。 > あえて断言するけれど、『ガンダム』の声優陣で、一番ファンに近かったのが井上さんだったのだ。 > 寂しい。
「思い入れが強すぎて」の部分は、役者としては損な部分だったのではないかと思う。『うる星やつら』で最初の2年ほど、ランを演じていたのが、突然「インドに行って来る」と役を降りてしまった(後任は小宮和枝さん)。絵に描いたような思いこみぶりに、多少の心配を覚えたのも事実だったので、後に『うる星やつら完結編』のカルラ役で復帰したことは嬉しかった。 声優の活動だけでは飽き足らず、『クイズダービー』の問題作成も長い間されていた。ともかく雑多な知識欲の旺盛な方で、唐沢俊一さん以前の一行知識マニアでもいらっしゃったのである。 なぜ声優が構成作家に? そういう疑問を持つ人の方がかつては少なかった。アニメブーム以後にこの世界に入ってきた人たちと違って、自分たちが声優である前に役者であり、役者としてまず何をしなければならないか、ということを真剣に考えている人なら、「声優以外の活動」もごく自然の流れだからである。
『ガンダム』シリーズも、『逆襲のシャア』にセイラさんが出てこないのはどう考えてもおかしいのである。富野監督は、イベントなどで「セイラさんは声優さんがボクを嫌っているので出ません」と冗談めかした発言をしていたが、実際にそうした部分もあったのではないか。 井上さんのエピソードで、こんな話がある。 『ガンダム』関係か何かのパーティで、どこぞの会社のおエライさんが、「どうして『ガンダム』はこんなに人気があるんでしょうかねえ」と井上さんに聞いたとき、井上さんは、「あなたは『ガンダム』を一本でも見たことがありますか? 見たことはないでしょう。見ていればなぜ『ガンダム』に人気があるかは分るはずだからです。何か仰りたいなら、ともかく一本でもいから、まず『ガンダム』を見てみてください」と啖呵を切ったという。 ……カッコイイなあ(T-T)。 役と役者を同一視する愚は避けたいと思いつつ、「セイラさん本人や!」という思いを打ち消すことができない。 そんな井上さんだから、「たかがロボットアニメ」と、自作に対するあまりに自嘲気味な発言を繰り返す富野監督に対して(富野さんがそう言いたがる気持ちも理解できなくはないんだが)、井上さんが不満に近い思いを抱いていたであろうことも見当がつく。 富野さん、どうして『逆シャア』をアムロとシャアとセイラさんの物語として描かなかったんだ。 今更言っても詮無いことではあるのだが。
『未来放浪ガルディーン』のアニメ企画も、火浦功がもちっと作家としてマトモだったら実現してたんだよなあ。塩沢さんも井上さんも亡くなった今となっては、仮に制作されることがあったとしても、全然別物になってしまう。火浦功、なんでちゃんと原作書かなかった。 今更言っても詮無いことではあるのだが。
セイラさん、ランちゃん以外にも、シェリル、香貫花、おそ松くん、天野邪子、ゲベルニッチなど、役は変われど聞いただけで「瑶さんだ」とすぐわかる個性のある声。そんな人が、どんどん少なくなっているように思う。 惜しみても余りある思いが、汲めども尽きぬほどに流れてくるのだ。
仕事帰りの晩飯、「王将」で牛モツラーメンと豚の天ぷら。 ここも間を置いて行くと、いろいろ変わったメニューが増えている。 料理が来るまでの間、例の「ウソ職業」を集めた本、クラフト・エヴィング商會の『じつは、わたくしこういうものです』をしげに「これ、面白いよ」と言って読ませてみたのだが、何ページか読んで、腹立たしそうに「読んだ」と言って、突き返してきた。 「面白くなかった? こういうの好きかと思ったんだけど」 「だって、ふざけとうやん!」 「……何が?」 「妖しいオヤジが『月光密売の方法は秘密です』とか言って、明かそうとせんもん!」 「……何言ってんの? 明かそうったって明かしようがないやん」 「なんで?」 「できるわけないじゃん!」 「だって、ここに『月光密売してます』って書いてるじゃん!」 「……おまえ、もしかして、この本に載ってる職業がホントにあると思ってる?」 「違うと!?」 「『月光』なんて、どうやって密売するんだよ! ウソだってすぐわかるだろ!?」 「だって、写真で杯持ってるじゃん! 何か秘伝のワザがあるのかなって思って……」 「『一瞬にして、地球の裏側の夜のところから、表側の昼のところまで月光を運んでくる』って、できるわけないじゃん……。これは『ウソを楽しむ』本なんだからさあ、少しは気づけよ」 「だってオレが騙されやすいの知っとろ? エロさんとこの『銀河パトロールのジョンさん』にだって騙されたんだから!」 だからなあ、エロさんには誰も読者を騙そうなんて意図はないんだって。勝手に騙されたのはおまえだろうに。 あの、読者のみなさま方の中で、しげのこういった一連の言動を読んで、「いくらなんでもそんなバカな人間はいないだろう、私が話を誇張しているか作ってるんじゃないか?」と思ってらっしゃるかもしれませんが、しげに関する限り誇張は全くありません。まんまです。典型的な天然かつ不思議ちゃんなのです。劇団の連中にはもっと激しい不思議ちゃんが何人もいるので一番マトモに見えるのですが(考えてみたらすげえ劇団だ)、単に総体的な問題でしかありません。 で、思い出したので書いときますが、これも実話です。 以前、空を見上げて、「実はあの空って書き割りなんだよ」としげに言ったら、「へええ」と感心してました。……信じるなよ(-_-;)。
またまたあぐにさんにSF作品を紹介しようと、本棚をひっくり返して、何冊かをセレクト。既読のものでも、やっぱり読み返さないと、とてもレビューなんて書けるものではないのである。
まずは、「これを読んでハンカチを涙で濡らさなかったら人間じゃない」とまで評されたジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『たったひとつの冴えたやりかた』(ハヤカワ文庫・720円)。 作者は「ジェイムズ」と名乗っているが、実は女性。そして本作を遺作として、老齢で寝たきりだった夫を射殺した後に自らも覚悟の自殺を遂げた。人類の過去の歴史を語るこの短編集に込められた、作者の最後の思いを感じながら読むことも可能だろうが、私は余りそういう読み方はしない。作品論と作家論は分けて読むほうなもので。 表紙イラストが川原由美子で、これもポイント高し。 『エヴァ』の最終回はハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』(こちらは余り好きじゃないので奨めない)から取られているが、設定資料だと当初はこの『たった一つ』になる予定だったことが分る。話に共通性は……あるんかなあ?(^_^;)
16歳になったばかりのお転婆娘のコーティー・キャス。親にナイショで憧れの星空に飛び出した彼女は、宇宙の裂け目「リフト」で奇妙なエイリアンに出会う。それは分子なみに超微小なイーアという種族の「少女」で、なんとコーティーの頭に住みついてしまった! なぜか意気投合してしまった二人(?)は、更なる宇宙の冒険に旅立つのだが……。
リリカルなSFが好きな人にはたまらなく切ない物語だが、正直言って、昔、最初に読んだときには、主人公コーティ・キャスの「青二才」……と言うか、はっきりと「バカ」だよねえ、この子。そのバカっぷりがどうにも付いて行けなくて、鼻白んだものだった。ラストの切なく厳しい彼女の決断も、「結局は自業自得じゃん?」てなもんで「『好奇心猫をも殺す』って言葉知らない?」って彼女に言いたくなっちゃったのである。 それに、この物語の基本設定は、トム・ゴドウィンの『冷たい方程式』に属するものなので、少女に対して一片の同情も持たないこちらのオリジナルの方が私には好みだったのである。 ところがトシを取ってくると涙腺が弱くなってくるのか、バカもバカとして赦せるようになってくるというのか。読み返してみると不思議不思議、昔は腹立たしかった主人公「二人」の「バカさ」加減が、妙にいとおしくなってきたのである。 そうだよ、「人」は本来「バカ」な存在なんだ。コーティも、そして「彼女」もやはり自らを知らぬ愚か者。けれど、自らが愚かであることの運命を、受け入れたがらぬ者が、現実の世界にどれだけ蔓延していることだろう。それに比べれば、コーティたちの「決断」がいかに潔いことか。 今回読み返してみて、これならSF嫌いの人にでも推薦できるなあ、と思った次第。けれどあぐにさんはともかく、しげだったらやっぱり『冷たい方程式』の方が好みだろうなあ。
次にR・A・ラファティの『九百人のお祖母さん』(ハヤカワ文庫・699円)。 先日、こうたろう君と電話で会話したときに、「あぐにさんに『九百人のお祖母さん』を奨めるのはどうかな? あれは比較的新しいし」と喋ったら、「新しくねえよ」と言われてしまった。確かにもう30年も前の作品なのである。でもSFの黄金期を1950年代だと思ってる身にとっては、これもつい最近って感覚なんだが。 吾妻ひでおの『不条理日記』の中にこれをパロって「九百人のおばあさんに出合う」というのがあったが、パロディのワリには別になんという捻りもない。でも捻りがなくてストレートだからこれは笑えるのである。 だって、もともと、この原典自体が風変わりでヘンテコで人を食ったSFなのだから、ヘタな捻りを加えるより、「九百人のおばあさん」と言ったほうがそのまま笑えるのである。 一時期、SFファンの間で、何か面白いウワサ話やフォークロアを聞いて、それを伝えようとするのだが、うまく言えない。「おかしいなあ、この話、もっと面白かったはずなんだが」なんて言ってる奴に「そりゃ『馬の首』(小松左京)だろう」なんて言って突っ込んだものだったが、どちらかというと、これ、「『九百人のお祖母さん』かよ」と言った方がピッタリ来るのだ。『馬の首』は怪談だけれど、『九百人』は純然たる「悪趣味小説」だからねえ。何しろ読んでて「足元掬われる」感覚が大きくって、一度ハマっちゃうとこの味わいがたまらない。
“誰も死なない星”プロアヴィタス(藤子・F・不二雄『モジャ公』のジュゲム星はこれがもとネタかな)。 確かにここには墓はない。果たして本当に彼らは死なないのか? 調査員セランは、ふと、「誰も死なないのならば、彼らの祖先は、宇宙の原初から生きているのではないか?」ということに気づく。 そして、彼は、プロアヴィタス人の祖先をたどり、「九百人のお祖母さん」にであうことになるのだった。
え? 出会ってどうなったかって? いや、そんなこと可笑し過ぎて言えませんって(^o^)。
シオドア・スタージョン『夢みる宝石』(ハヤカワ文庫・530円)。 これ、うっかり二冊買っちゃって、1冊はC−1君にあげたんだけれど、感想聞き損なってたなあ。久しぶりに会ってみたいが、老けてるような気がするなあ。いろんな意味で(^o^)。
養父に虐待され、家を飛び出した少年、ホーティ・ブルーイット。 彼が逃げこんだカーニヴァル一座は、フリークス・ショー(かたわ者の見世物)を売り物にしていた。世間から迫害されている奇形児たちの中で、初めて安らぎを覚えるホーティ。しかし、ホーティの不思議な「能力」に気づいた一座の美しき小人・ジーナは、不安を覚え始める。 その一座の団長「人食い」モネートルは、ホーティの「能力」を有する「宝石」の行方を何年も探し続けていたのだった……。
トッド・ブラウニングの映画『フリークス(怪物団)』に着想を得たのか、物語の舞台がカーニヴァル団というのも驚き。何となく江戸川乱歩の『孤島の鬼』をも彷彿とさせるが、これはまあ、『フランケンシュタイン』や『モロー博士の島』からの平行進化だろうな。 「作られしものの悲しみ」というのはもともとは宗教的なテーマなのだけれど、それをSFという形で定着させ、未来の人類の課題としたのは、チャペック、アシモフの功績ももちろん大なのだが、スタージョンの一連の作品も貢献してるのではないか。 なんと言っても胸を打つのは、彼らの自らの犠牲を厭わぬ優しさに満ちた心である。 ラスト近く、ホーティが「宝石」との交信を通じて感じた「存在」に対する問い掛け。その哲学的観想を「意味不明」と取るか、それとも、そこにあるものの「絶対的肯定」と取るか、あるいは……これらの解釈の違いによって、この物語の楽しみ方も様々に変わるだろう。
マンガ、えんどコイチ『ENDZONE』2巻(集英社/ジャンプコミックス・410円)。 「死」をモチーフにしたサプライズ・ストーリー、と来ればどうしてもえんどさんの前作(と言っても相当ムカシだが)『死神くん』を想起しちゃうんだけれど、殆どのエピソードをハッピーエンドにせざるをえなかった『死神くん』に比べれば、この『エンドゾーン』は随分自由になっている。まるでキレイゴトを描き続けた反動が一気に来たように、アンハッピーエンドの連続なのだ。 もっとも、強引にハッピーエンドにしていたときのようなムリな展開がなくなって、オチが随分すっきりとしている。どこかで見たことがあるようなアイデアが多くなってしまうのは、こういうアイデア・ストーリーの場合にはどうしても起こる問題ではあるのだが、1巻のころよりは随分練られてきている。 それこそ、若い人は『ミステリーゾーン』も『アウターリミッツ』も知らないから、新鮮に見えるかもしれないが、我々の世代ともなると、もうオリジナルアイデアなどは期待してなく、元ネタに「いかにアレンジを加えているか」という点にしか興味はないのである。特に、『雪女』などは先行作がゴマンとあるのだからゴマカシが利かない。眼を見張る、とまでは言えないが、えんどさん、なかなか健闘していると思う。 惜しむらくはなあ、これで絵が上達してたらなあ。 やっぱ、『とんちんかん』の絵柄でホラーはちょっとねえ(-_-;)。
2002年03月04日(月) 愛のタコ焼き情話/『八戒の大冒険 2002REMIX』(唐沢なをき)/『ダルタニャンの生涯』(佐藤賢一)ほか 2001年03月04日(日) 一日が短い。寝てるからだな/アニメ『ソル・ビアンカ』1・2話ほか
| 2003年03月03日(月) |
東京始末&ニュースの森(^^)/舞台『奇跡の人』 |
3月2日の日記の続き。
シアターコクーン、初日だけあって、大混雑、花輪の類も目新しい。 まずはパンフレットを買って、パラパラとめくる。大竹しのぶの公演記録が載っているのを見て、こうたろう君が、「あれ? 大竹しのぶ、ヘレン・ケラー演じたことなかったっけ?」と首を捻る。 実は大竹しのぶ、『奇跡の人』でヘレンを演じたことはない。『ガラスの仮面』での劇中劇でヘレンを演じているのだ。でも、デビュー当時の『青春の門』や『事件』のころの大竹しのぶの演じるヘレンを見てみたかったなあ、と真剣に思う。それはパティ・デュークを越えていた可能性があるのだから。 座席に着くなり、こうたろう君、「さあ、オレの鈴木杏はがんばってるかな」とかなんとか、世迷言をほざく。いったいいつから私の鈴木杏がこうたろう君のモノになったというのか。勘違いも甚だしいのである。
舞台『奇跡の人』。 『ガラスの仮面』で有名な、って言ったら、20年前なら「ふざけんな」と演劇関係者からドヤしつけられても仕方がなかったんだけれど、今やそっちのほうが通りがよくなってないかな。 でもやっぱり私は「三重苦から立ち直ったヘレン・ケラーと、その先生のサリバンさんの実話だよ」と、フツーの説明がしたい。何たって、私が子供のころ、ヘレン・ケラーはまだ生きてたんだから。歴史上の人ではなく、今を生きる偉人だったのである。 これは、そのヘレン・ケラーがサリバン先生との「戦い」の末に「言葉」を手に入れるまでを描いたウィリアム・ギブソン作の戯曲であり、アーサー・ペン監督によって、舞台化・映画化もされた文句なしの傑作である。 舞台・映画の両方で主演・助演したサリバン先生役のアン・バンクロフトと、ヘレン役のパティ・デュークは揃ってアカデミー賞を受賞した。 これだけの名作だと、そんじょそこらの役者ではとても勤まるものではない。冗談ではなく、サリバン先生とヘレンの戦いは真剣勝負となる。これまでサリバン先生はずっと大竹しのぶが演じていたが、ヘレンの役はその都度変わっている。1986年・安孫子里香、1987年・荻野目慶子、1992年・中嶋朋子、1998年・寺島しのぶ、2000年・菅野美穂、そして今回の鈴木杏である。 これまでの『奇跡の人』は一本も見ていない。ずっと福岡にいたんだから仕方ないのだが、記録を見ると、98年版は福岡にも来てたのである(気がつかんかったなあ)。 評判を聞く限り、大竹しのぶのサリバン先生は絶賛の嵐であった。「ともかく一度は生で見ねば」。これはここ10年ほどの私の強い思いであったが、菅野美穂の時には上京する気が今一つ起きなかった。菅野美穂がいい役者だということは分る。けれど、ああいう「入り込む」タイプの役者がどういう演技をするかはだいたい見当がつくのだ。大竹しのぶも「入りこむ」タイプではあるが、あの人はそれでいて自分を突き放して見ているところがある。「入りこむ」人は、そこで満足して、それ以上の輝きを見せられぬままに終わることも多い。「自分が観客の眼にどう映るか」。それが計算できないといけないのだ。それを捉えることが鈴木杏にはできるのではないか、『六番目の小夜子』『ジュブナイル』『リターナー』の鈴木杏になら。そう直観したのである。
結論を言えば、私は大竹しのぶにはもちろんのこと、鈴木杏にも充分以上に満足した。ヘレンを演じる上で、何が一番重要か。三重苦の彼女が傍若無人に振舞うための武器は、嗅覚、触覚、そして「慣れ」である。 鈴木杏は、ちゃんと、人形にはそれを突きつけられるまで反応せず、食料には鼻を突き上げて反応した。部屋の中を移動するときには、テーブルの縁を腰で辿りながら自然に動いた。広いところに出ればしゃがんで床を頼りにした。三重苦だからといって、そこはもう何年も住みなれた我が家なのである。不必要に手探りをするとかえって不自然になる。ヘレンは「自分がどう動くか」を知っていなければおかしいのだ。 演出の舞台配置が凄い。回り舞台に、中空の二階。目明きでも、いや、目明きならばこそ、膝ほどの手すりしかない高い場所で演技をするのは足が震え体が泳いでもおかしくないのに、鈴木杏は自然に、しかも大胆に飛び撥ねる。もちろんそんなことは、装置を「信頼」していなければできることではない。鈴木杏は、舞台と装置もまた自らの相手とすべき演技者であることをちゃんと知っていて、見事に自分との間に一つのコードを作りあげたのだ。絶賛されてしかるべきだろう。 大竹しのぶについては言葉を尽くせない。 外国の戯曲が日本化された場合、どうしても違和感が生じるものだが、どう見ても生粋の日本人にしか見えない大竹しのぶがなぜアニー・サリバンに見えてしまうのか。その一挙手、一投足が、観客を弾きつけるワザとして作用し、ムダがない。私にとっては、『屋根の上のバイオリン弾き』の森繁久彌のテヴィエ以来の感動であった。
ほかの役者さんについても触れておかねばね。 辻萬長(アーサー・ケラー)。ただ頑迷なだけではない父親としての威厳を好演。ヘレンとサリバンを引き裂こうとする張本人だから、ヘタな役者が演じると「憎まれ役」になってしまうのだが、彼は絶対憎まれてはならないのである。 しかし辻さん、太ったなあ(^o^)。 キムラ緑子(ケート・ケラー)。これも決して嫌われてはいけないのだが、そこがやや弱い。「サリバン先生にヘレンを預けるのが正しいとは限らない」と思わせるくらいに自らを律する冷静さをも表現してほしかった。 松金よね子(エヴ伯母)。井上ひさしが、パンフの解説でこのキャラクターがステロタイプ過ぎるのが欠点、と言っているが、そんなことはない。アーサーとケートの夫婦の人間としての深みを表すためには、こういう底の浅い人間が対照的に必要となるのだ。底の浅い人間にはその辺がよくわかんないんだよな(^o^)。松金さんのヒステリックな声は役にぴったり。 吉田鋼太郎(アナグノス校長)。サリバン先生の師であるから、普通レベルの人間ではいけない。ご本人はパンフで「ヤンキーっぽく演技した」と語られているが、演技の質は浅草軽演劇に近い。鼻を啜るクセとか、こういうのをセリフの間に使うの、森繁久彌とかのお得意芸だし。悪くはないが、もう少し年上の人の方がよかったんじゃないかと思う。イメージは名古屋章かな。 長塚圭史(ジェイムズ・ケラー)。まあ、これはバカでいい役だから(^o^)。 お父さんの長塚京三さんが見に来られていて、幕間にロビーですれ違ったのだが、すごく険しい顔をされていた。息子さんの演技にもしかしたら腹を立てていたのかも。 それにしても京三さんは背が高い。異相でもある。黒いマントを身に纏い(ホントに全身黒づくめだったのだ)、悠然と闊歩する姿を見ていると、まるでメフィストフェレスのようだ。この人の迫力をドラマや映画は全然生かしてこなかったのだな、ということが、ご本人を目の当たりにしてよーっく、わかった。意外に『魔界転生』の宮本武蔵役、合うかもしれない。
終了は10時。3時間とちょっとだが、その間全く退屈しなかった。 昨日今日と、全く毛色の違う芝居を二日連続で見て、どちらにも大満足というのは滅多にあることではない。ああ、東京に来てよかった! どっちの芝居も福岡で公演してくれたらもっとよかったのだが。 見終わったあと、私もこうたろう君も「ええもん見させてもろうたわ」という顔でホンワカしていたのだが、しげは今一つ、という感触である。 悪いとは思わないが、鈴木杏の動きが自然過ぎるのが気に入らないらしい。 「階段から転げるときはホントに怪我するくらいじゃないと」 ……って、それじゃ、次の公演できなくなるじゃん(^_^;)。
外に出て、近くのレストランで、遅目の夕食。 イタリアンっぽい店で、スバゲティやらハンバーグやらをゴタ混ぜに乗せたサービス定食みたいなのが美味そうだったので、それを注文したら、しげが「自分もそれを頼みたかったのに」という顔をする。頼めばいいじゃん(^_^;)。 食事をしながら、ひとしきり『奇跡の人』を誉めあったあと、こうたろう君ともお別れ。 別れしなにこうたろう君、しげに向かって、「こいつ(私である)さあ、今日は大人しかったけど、こないだ来たときはあぐにさんやあやめさんにお触りしまくってたんだよ」と、ありもしないデタラメを言う。 しげの目が、途端に三倍くらいに見開かれたので、慌ててこうたろう君に向かって、「ウソつくなよ! こいつ(しげである)、どんなウソでも信じるんだから!」と怒鳴る。 しげも、サラリと「私をだますの簡単ですよ。エロの冒険者さんの『銀河パトロールのジョンさん』も実在してるって信じてましたから」と笑って言うが、それ、全然威張れないって(-_-;)。 こうたろう君、「オレもカミさんからいつも言われてるんだよ。『どうしてそんなにウソばかりつくの?』って」。そりゃあ、舌から先に生まれてきたからだろう……と言ったらまたしげは信じるにちがいない(^o^)。
ホテルに戻って、風呂に入って寝る。 しげも疲れていたから、ウトウトする間もなくストン、と寝たようだ。「枕が変わって寝れん」と言って、いつも泣いてるしげにしては珍しい。旅行先では適度に疲れるのがやはりいいようだ。
ここから3月3日の日記。
そう言や、今日って雛祭りだな、全く意識になかったが。 飛行機の時間を考えて、5時に起床、6時にホテルをチェックアウト、の予定だったが、準備に手間がかかって6時半に出る。しげがまたいつものごとく焦って「間に合うかな、間に合うかな」を連発するが、これでも時間的には充分なんである。だからどうして8時半出発の便に、6時半に渋谷を出て間に合わないと考えるかな。 夕べ寝たのが12時くらいだから、5時間くらいしか寝ていない。 飛行機の中では行き同様、爆睡。機内ラジオの落語もクラシックも聞かず、『ちびまる子ちゃん』も見ず。昔はこれが旅の醍醐味の一つに感じてたんだがなあ。 福岡に着くと、今度はこちらが雨。急に冷えこんできて、飛行機から降りるなり、慌ててトイレに走る。ところが、ロビーから出口のトイレまでの距離がひたすら長い。走って走って走って、やっとトイレに飛びこむ。軽く200メートルはあったのではないか。 しげを置いてけぼりにした格好になったので、追いついてきた時の恨みがましい顔といったら。けれど、狭いトイレにゃ兄弟も夫婦もないのである。 バスを待っても時間がかかりそうだったので、タクシーで帰宅。ゆっくり旅の疲れを癒したいところだが、しっかり午後から仕事なのである。 やっぱり東京に行くなら、三連休とか、そういうときじゃないと、ごっつしんどいですわいなあ(疲れて言葉もオカシクなっているのである)。
お出かけしてたんで、その間にありゃりゃと言いたくなるようなニュースがいくつか。 まずは、2月28日に東京地裁で判決がおりた「ウルトラマン」訴訟について。 円谷プロが、タイの映画制作会社チャイヨープロの会長、サンゲンチャイ・ソンポテ氏を相手取って、著作権の確認などを求めたんだけれど、「著作権は円谷プロに帰属する」と認定しておきながら、27年前に当時の円谷プロの先代社長(皐さんだよ……)とソンポテさんが結んだライセンス契約は有効だってことで、「日本国外ではソンポテさんに独占利用権がある」って判決をしたんだって。それって、著作権の意味がないじゃん(-_-;)。 ああ、当時の様子が眼に見えるようだよなあ。 胡散臭いタイ人の(きっと顔は黒く塗っているのだ)シャチョーさんが「たいデーハ、うるとらまん、大人気デース。映画一本、作ッテ、たいノ子供タチニ、見セテアゲテクダサーイ」なんてアヤシイ日本語で喋りかけるとさ、皐さんがニコニコ嬉しそうに「タイの子供たちのために作りましょう」なんて言っちゃうんだよ。 「映画、うるとらまんダケデハサビシイデース。たいニハ、はぬまあんイウまんがカ……ジャナクテ、スクイノひーろーイマース。映画ニはぬまあん出シテクダサーイ」 「いいですよいいですよ」 「はぬまあんノ人形、子供タチノタメニ作ッテ売ッテアゲタイ、オモイマース。ケレド、はぬまあんダケデハサビシイデース。うるとらまんノ人形モ、イッショニ売リタイデース。イイデスカ?」 「いいですよいいですよ」 「たいノ子供タチ、ミンナビンボーデース。つぶらやサンニオカネハラッタラ、人形ノネダン、タカクシナイトイケマセーン。子供タチノタメニ、オカネトラナイデクダサーイ」 「いいですよいいですよ」 「デハココノトコロニさいんシテクダサーイ。コマカイトコロ、目ガワルクナルカラ、読ンジャイケマセーン」 「いいですよいいですよ」 とかこんな感じだったに違いないのだ。おのれタイ人。山田長政の恨みをまだ忘れてなかったか。 それにしても円谷さんとこって最近トラブルが多いよなあ。ウルトラシリーズ以外の財産が殆どないとこだから、今度の判決は相当痛いに違いない。裁判官何考えてるんだ。お前だってウルトラシリーズ見て育って来たんだろう。あれのどこにタイ人の権利が生じるってんだ。詐欺を見逃して、それで法律家と言えるか。円谷を潰したいのか、こんちくしょう。 ……と私が怒ったってどうにもなんないのである。今度の映画が終わったら、円谷さんとこ、どうなっちゃうんだろう。次の企画、ちゃんと立ってるんだろうか。
これも随分、旧聞に属する話であるが、私は今知ったんだから仕方がない。 しりあがり寿原作・庵野秀明監督の短編映画(実写だ)『流星課長』が、1月31日から2月8日までの9日間にわたって行われたフランスの「クレモン-フェラン短編映画祭」で、デジタルワーク部門のCANAL+AWARDを受賞したというニュースである。 私もこういう映画祭があるってこと自体、初耳だったのだが、この映画祭、決してレベルの低いモノではなさそうである。世界60ヶ国以上から1500本以上の作品が参加しているとのことだから、庵野監督、充分誇ってよいのではないか。 けど私、見たい見たいと思ってたのに未だに見られないのよ、『流星課長』。いつどこで上映してたんだ。公民館でも回ってたのか。 その前の『式日』も東京と山口でしかやらなかったから見てないんだよねえ。あと確か、自衛隊の戦闘機かなんかのドキュメンタリーの監修みたいなことも庵野監督はやってたと思うんだけど、そういうのも殆ど世間じゃ知られてないよなあ。 庵野さん、『エヴァ』以降は、自分の仕事が世間に露出するのをあえて制限してるような感じがするんだが、さて、いったいどういう意図でやってんだろうか。 『エヴァ』のころはあれだけテレビアニメに拘ってたのが、『カレカノ』で途中リタイアして以降は、急にマイナー路線に行っちゃったのは、結局、どんなヒット作を作ろうと、アニメや特撮を認めない人間は決してその考えを改めない、という悲しい現実に嫌気がさしちゃったんじゃないかという気もする。 実際、新聞やテレビ、雑誌などのメディアは、もう「今の」庵野監督の動向になんか全く目を向けてないんじゃなかろうか。ネットをあっちゃこっちゃ散策したからこそこういうニュースもなんとか入手できるんだが、新聞読んでるだけじゃあ、多分、こんなこと知らないままで終わってたろう。もう新聞なんか一次資料としての価値は10年前、20年前に比べて、著しく低下してるんである。 新聞もテレビも、自分たちがメディアの王様みたいな顔してると、自らのプライドのせいで潰れることになっちゃうかもよ。
更にも一つ、こっちはいかにも眉唾なニュース。 『ルパン三世』のハリウッドでの実写映画化権を、『シンドラーのリスト』のプロデューサー、ジェラルド・R・モレン氏が取得して、「米国でヒット作にする」と意気込んでいるんだとさ。 確か、何年か前にも、ジム・キャリーが主演するとかいうウワサがなかったか? 「映画化権取得」だけじゃ、実際の映画になるとは限らないって事実を、悲しいかな我々は何度となく見聞きしてきているのである。 こういう「先走り」情報がリークされるマンガ家ってのにはある種の傾向がある。言っちゃなんだけど、「かつて大ヒットマンガを生み、今はその遺産だけで食ってる」人たちね。松本零士とか永井豪とか。作品を描いてないわけじゃないけど、とても「作品」と言えるようなものは生み出せなくなっている。かつては熱心なファンだっただけに、その敗残ぶりがもう悲しくってねえ。 仮に本当に『ルパン』が実写化されるとして、それを喜ぶファンがどれだけいるんだろうねえ。だいたいハリウッドで映画化って、ルパンは何人になるんだ? わざわざフランスの役者を連れて来るのか? 次元や銭形、不二子はアメリカ人に変えられるのか? さすがに五右衛門を外人に変えるのはムリとしても、英語は喋らせられるんだろう。となると演じるのは誰になるんだよ、ショー・コスギかケイン・コスギかソニー・チバか藤岡弘か。『ラスト・サムライ』がヒットしたら真田広之ってセンもあるよな。 で、面白くできるのかよ。原作者が喜んでるらしいのがねえ、どうにもねえ、逆にプロデューサーとか名乗ってるやつから何やかやと搾取されちゃうんじゃないかって気がして仕方がないんだけどねえ。いや、このモーレンさん、一応『シンドラー』や『マイノリティ・レポート』なんかのプロデューサーだってことは事実なんで、あまり疑っちゃ悪いんだけれど、日本人はジェフ・シーガルって山師にまんまと騙された過去があるからねえ(^_^;)。 ま、話半分に聞いとくのが無難じゃないかね。
最後に「なんだかなあ」なニュース。 復縁を拒んだ女性を、「セーラー服姿で駅に来い」などと言って脅した容疑で、奈良県警は1日、大阪市の無職、水野勝正容疑者(24)を逮捕。 記事を読んでもどうもよく経緯がわからないんだが、この男、去年の夏ごろからつきあってた22歳の女性から別れ話を切り出されて逆上し、先月の2月25日に「オレと別れるんなら家に火をつけるぞ、それがイヤなら、明日の朝、セーラー服を着て三郷駅に来い」と電話して、26日にその女性を無理やり呼び出したんですって。まあ怖い(いろんな意味で)。 もちろん女性はセーラー服を着ていったのである。 学生時代の着て行ったのか? よく持ってたよなあ。 いや、そうではなくて。 22歳でセーラー服って、回りからヘンな目で見られて恥ずかしかったろうなあ。それともまだまだ充分女学生に見えるタイプだったんだろうか。 いや、そういう問題ではなくて。 じゃあ、どういう問題かと問われると全く困っちゃうんだが、この男がどういう意図で女性にセーラー服を強要したのか、その真実は本人に聞かない限りわからんことなんだが、でもやっぱり世間は圧倒的に、その目的からこいつの精神的背景に至るまで、勝手に「こうだろうな」と想像すると思うんである。そんなふうに思われてもよかったのかよ犯人。 というか、やっぱりそれがアタリなんだろうなあ。 もう、捕まったあとの恥なんて考えてないのである。ともかく男の心にはセーラー服しかないのである。ブレザーでも看護婦の白衣でもスッチャデスの制服でも靖国神社のあたりをよく通りがかっている九段幼稚園の女の子の制服でもダメなんである。そういうシュミがもう、天下に余すところなく晒されちゃったのである。 ……既にもう罰を受けているよなあ。 いや、別に赦してあげなよって言いたいわけじゃないんですが、ここしばらくで一番「人生って悲しいね」と思わされた事件でありました。
2002年03月03日(日) ぼくらの7時間戦争/ドラマ『シャドウ商会変奇郎』/『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』1巻(吉岡平・森小太郎)ほか 2001年03月03日(土) オトナの会話/アニメ『サウスパーク・CHINPOKOMON』
| 2003年03月02日(日) |
東京遁走曲/『明日のナージャ』第5話 |
ホテルの朝は早い。 本当は、昼近くまでたっぷり眠るつもりではあったのである。何たって、今日はオフ会に、更には舞台観劇も控えている。体力を温存しておかねば、途中でぶっ倒れかねない。 ところが、夕べエレベーターに乗ったときに、このホテルの朝食がバイキング形式だと書いてあるポスターを見て気が変わった。ホテルの醍醐味はバイキングである。誰もそんなこと決めちゃいないだろうが、我々夫婦の間ではそうなっているのだ。 7時に合わせておいた枕もとの時計のベルが鳴ると同時に飛び起きる。 いつもはこんな朝早くだと、布団にくるまったまま「ふにゃふにゃ、まだ○□♪×▽♯○@☆※♂♀∞¥とよ」とか、ワケの分らぬことを呟くしげが、シャキーン!と目を覚ます。今日食うメシにも事欠く生活から脱却してもう10年以上が経つだろうに、未だに「メシだぞ!」のヒトコトに釣られてしまうというのは滑稽だけれど悲しいよなあ。昔のテレビコントやギャグマンガじゃ、頻繁にこのギャグが使われてたものだけれど、今はとんと見かけなくなった。ギャグ自体が古くなったってこともあるだろうけれど、生活習慣が変わっちゃったってことも理由として大きいよなって思う。 未だにこういうギャグを体現しているしげは、生ける化石のような存在かもしれない(^o^)。
バイキングと言っても、朝食だから大して種類は多くないかも、と思ったらさにあらず。パンやらご飯やら卵焼きやらハムやら味噌汁やらスープやら、普通の朝食だけじゃなく、ピラフにスパゲティにカレーライス、なんだか殆ど昼食メニューと言ってもいいくらい、種類がある。皿に一通り取っていったら溢れそうだ。 しげに、「昼はたっぷり食べることになると思うから控えようよ」と声をかけ、二人で頷きあったのだが、気がついたら二人ともふた皿目を取りに回っている。今し方、相談したのは何だったんだ。 考えてみたら、朝食を控え目にするつもりなら、最初からバイキングになど来なければよいのである。ホテルなんかに泊まりつけていない庶民なものだから、ついつい、「ホテルにあるものは全部経験しよう」とか考えちゃうのだな。
部屋に戻って、朝風呂。 風呂を一回使うだけじゃもったいないなんて考えるのも貧乏症な証拠である。 昨日、コンビニで買ってきたお茶を飲みながら、テレビで『アバレンジャー』 『仮面ライダー555』『明日のナージャ』などを立て続けに見る。 『ナージャ』は第5話「星の夜・二人だけのワルツ」。ストーリーについては、1話を見て、シリーズ構成が金春智子さんと知った段階でゲンナリしちゃってるので、もうツッコミを入れる気もない。まあ、オトメのひとりよがりな夢物語しか書かないヒトである。 細田守演出がその他愛ない物語をどれだけカバーするかってところが興味のポイントだったが、特に誉めたたえるほどではない。 屋外で踊るナージャとフランシスを、乱舞する花の流れに乗せ、一気に舞踏会場に雪崩れこませて宙を舞わせる演出はハデだが、こういう演出、最近はさんざん『プリンセスチュチュ』で見てるから、それほどインパクトは強くない。踊るはずのないものが踊る、宙を行くはずのないものが飛ぶ、というファンタジックな演出は、実は『赤毛のアン』『セロ弾きのゴーシュ』『じゃりん子チエ』『おもひでぽろぽろ』などで高畑勲が得意としていた手法だ。そういうことも思い合わせると、細田演出もやや意外性に乏しい。まあ、脚本が陳腐だと、演出でなんとかするって言っても限界があるってことだろう。 作画についても、当初はできるだけ『どれみ』と差別化しようとしていたように見えていたが、なんだか脇キャラの表情の動かし方なんかが、段々とどれみっぽくなってきている。「どれみもどき」じゃしゃあないよなあ。ダンスのCGは動きが機械的過ぎて見苦しいばかり。早いうちにテコ入れしないと、1年間続けるのって苦しくないだろうか。
こうたろう君から電話が入って、「ゆっくり寝られたかい」と気遣ってくれたのはいいのだが、次のセリフが「『ナージャ』は見たかい。細田演出はどうだった?」。重度だなあ(^_^;)。 待ち合わせは11時だけれど、早めに来てくれるとのこと。場所は実はハチ公前なのだが、なにしろ私が渋谷に来るのも20年ぶりである。しげは確か、何年か前に来ていたはずだが、一度来たきりの街の様子など、あのしげが覚えているはずがない。念のため、こうたろう君に案内してもらったほうが安心である。 と思っていたら、こうたろう君も「渋谷になんかもう何年も来てねえよ」とのこと。うーん、ちゃんとすれ違わずにヨナさんたちと会えるのだろうか。
11時ぴったりにハチ公前に。 忠犬ハチ公のエピソードを知らない若い人も今どきゃゴマンといるが、さすがにこんなことの解説までする気はないので、自分で調べなさい。 私がハチ公を見ながら考えていたのは、「そうかそうか、『ガメラ3』の炎はこの角度で来たんだな」ということだけである。いや、ツイやっちゃうってのがやっぱり重度なのであるよ。 しかし、なんとまあ、待ち合わせの人間の多いことか。こうたろう君が、「大学のころも一度だけ渋谷のハチ公前で待ち合わせたよなあ。あれ、なんで集まったんだっけ?」と聞いてくるけれど、待ち会わせしたこと自体は覚えていても、目的はもう記憶のはるか彼方である。でもどうせ、映画を見るとか映画を見るとか映画を見るとかだったに違いない。アウトドアなことは一切しなかったし、レジャーとかナンパとか合コンとかカメラ小僧とかアイドルの追っかけとか、全然そんなものに縁のない大学生活だったのである。 でも、本と映画と芝居さえあれば、ほかに何も要らないよな。
こちらがヨナさんたちを見つける前に、ヨナさんがこちらを見つけてくれる。 久しぶりの邂逅だけれど、こないだとヨナさん、ちょっと印象が違うな、と思ったのは、前回はヨナさん、無精ヒゲを生やしていたのだった。 今日、ツルンとしたお顔を拝見していると、ヨナさん、何となくゆうきまさみに似ているように見える。と言っても、顔立ちというよりは、どこかスンナリとしている雰囲気がであるが。もっとも生のゆうきさんもトークショーなんかで二回ほどしか見たことがないので、ウロオボエの記憶の印象でしかない。 あやめさんはチャットでお話していた通り、和服でのご推参である。勝手に振袖か何かを想像していたのだが、考えてみたらそんなことがあるわけないのであった。「ここに来るまでにいろんな人に振り返られちゃったんですよ」と恥ずかしげに仰るが、ここでつい、「それは着物のせいじゃなくて、あやめさん御本人にじゃないですか」と口走りそうになって、慌てて口を抑える。 いくら私が物怖じしないタイプ(←要するに「厚かましい」ということだな)だとは言え、さすがにヨナさんとしげの目の前でそんなことを口走って、生きて帰れる保障はないということに気づいたのであった(^_^;)。 こんなことを書いてるからと言って、私が手当たり次第だなどと思わないで頂きたい。こう見えても私は、昔からシャイで引っ込み思案で通ってるのである。誰に通ってるのかは不明だが。
まずは、腹ごしらえ、ということで、ヨナさんの案内で しゃぶしゃぶの食べ放題の店に向かう。 街中を歩いていると、何となく既視感を覚える。 実は前世で私は「渋谷のプリンス」と呼ばれた雀卓の騎士であった、などということは全くなくて、街並みが博多の中洲によく似ているのである。妙に道が蛇行しているのに、建ってるビルは道から張り出さずに整然と並んでいる。一見、行儀よく見えるけれども何だか居心地の悪い繁華街、という矛盾した感じが中洲っぽいのだ。あまり誉めてる表現ではないから渋谷の人は気に入らないかもしれないが。しげにも「中洲に似てない?」と聞いたら、「ああ、似てる」と納得してたから、私だけの感覚ではないようだ。
とあるビルの中に案内されるが、そのお店、開店が11時半からであった。ほかにうろつくところとてないので、そのビルの地階のゲームコーナーを見て回る。こうたろう君からUFOキャッチャーで、ぬいぐるみを取ってくれと頼まれるが、アームを見てみるとネジが緩められているのが分る。ムリだろうなと思いながら挑戦してみるがやっぱりアウト。ゲーセンも最近はこういうセコイところが多い。 ガチャガチャで「オデン」だの「スシ」だの、なんでこんなものを、と首を捻るようなモノをうっているが、さすがにこういうのを土産に買って帰っても、喜んでくれそうな人がいない。自分の趣味で買ったら、またしげにどやしつけられそうなので、泣く泣く諦める(欲しかったんかい)。
ようやく開店時間、お店の人から「焼肉にするかしゃぶしゃぶにするか」と聞かれて、しげ、「しゃぶ!」と大声をあげる。それはモノが違うぞ(-_-;)。 食べ放題と言っても、時間制限があるので、ともかく次から次へと頼まねばならない。こういうときのしげはもう、普段のトロくささがウソのように機敏になる。さりげなく時計を見て計ってみたが、ひと皿平らげて次の皿を注文するのに5分38秒しかかけなかった。それで味が分るのか。 ウェイトレスさんが追加注文を受けながら、「ハーフサイズも注文できますが」と言うと、すかさずしげ、「あ、普通盛りで♪」とキャラリンっとした声で答える。けれど、ウェイトレスさんが下がった途端に、声のトーンを低くし、ドスの効いた声で、「今のは『これ以上食うな』ってことかな」と呟く。目も当然座っているのである。 日記の中でさんざんしげのことを「肉食い」(レクターか)と評ししてきたが、もしかしたらそれを「誇張」と見る向きもあったかもしれない。しかし、それがカリカチュアでもなくギャグでもないことを目の当たりにされた今、ヨナさんもあやめさんもきっと感動のメエル・シュトレエムに飲み込まれたことであろう。私はウソは申しません(^o^)。 感動ついでに、しげに、携帯に入れてある例の48センチタライチョコの画像を見せるように促す。ヨナさん、あやめさん、ともども大いに受ける。 あやめさんなどは、「これが一番のお土産ね♪」と喜んだだけならまだしも、来年はどんなのを作ったらいいか、しげにレクチャーし始める。話の内容は、実際に来年、しげが作る可能性もあるからここでは書かずにおくが、まあ、そんなもん贈られたらすっごくや〜な気分になりそうなアイデアが次から次へ。なんですかね、美人がサラリと毒吐いてる姿って、なんか横溝映画を生で見てるみたいな迫力で、何と申し上げたらよいのやら((((/*0*;)/。いやあ、戦慄戦慄。 しげ、あやめさんの話をふんふんと頷いて聞いている。でもさあ、面白がるのはいいけどさあ、食わされるのは其ノ他君なんだけど、誰も彼に同情しないの?(^_^;)
食い放題の時間が過ぎたので、カラオケハウスに移動。 今回は特にアニソンシバリはなし、ということで、めいめい勝手に歌ってもいいよ、ということだったのだが、いきなりこうたろう君が『オレンジのダンシング』を歌う。ここはコケるところね(^o^)。 「これでオレは本望だ」って、そこまでのトラウマが何かあったのか(^_^;)。 ヨナさんが山本正之をメドレーのように歌ってくれるので、しげは上機嫌である。ヨナさん、声質もちょっと山本さんに似ているので、雰囲気が出るのだ。でも、『やあ。』がカタログの中に入ってなかったのがちょっと残念。 あやめさんには以前『夜来香』をリクエストしていたのだが、忘れずに歌ってもらえて感動。ここで5万語ほどかけてその歌声がいかにすばらしかったかを書いてもいいのだが、明日、私が油山の林道の脇の土塊の下に埋められる危険もあるので省略。
1時間ほどして、あぐにさんから連絡が入る。 渋谷駅まであやめさんに迎えに行ってもらって、かけつけ3杯ならぬかけつけカラオケ(^o^)。 事情があって朝からは合流できなかったのだが、カラオケだけにムリヤリ参加させてしまったってのもヒドイ話である。全く申し訳ない。 ここんとこしばらく、掲示板の方であぐにさんにはSF作品をいろいろお勧めしていたのだが、こうたろう君が約束していた『SF総解説』をプレゼント。これでもう私の拙いガイドなどはもう不必要である。 作品の書評くらい、その人の才能が現れるものはない。実のところ、その作品を貶すことはとても簡単である。欠点のない作品などはありえないし、揚げ足取りでも一応、批評という体裁は取れる。 ところが、その作品の本質を的確に捉え、単なるストーリーの紹介に堕せず、しかも購読欲をそそるようにその魅力を語るというのは、並大抵の技量でできることではない。「これ以上は語れない、あとは作品を実際に読んでくれ」とシメることが多いのは、正直な話、逃げているのである。 だって、その作品のすばらしさを一番伝えられるのは、その作品そのものなんだから。
それでもあぐにさん、私の拙い文章を参考に、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』を読まれたとのこと。「ああいう終わり方をするとは思ってなかったんで……」と微笑まれる。実際、掲示板で私が紹介した作品は、私のヘボな文では語り尽くせぬほどにすばらしい傑作揃いなのである。 あれは一応、あぐにさん向けに紹介したものばかりだが、もし未読の方がおられたら、実際に手に取って読んでいただきたい。 『火星』を楽しんでいただけたようなので、私も気持ちがウキウキしてくる。でも、次にあぐにさんが食らわしてくれたパンチが思いっきりキツかった。 「『幼年期の終わり』も買いました♪」 ……あああ、そんな禁句を( ̄□ ̄;)。 そうなのである。掲示板にも書いたが、私はまだアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』を未読なままなのである。解説本を読んで中身を知ってるだけなのに、いかにも読んだことがあるような顔をしてSFファンのフリをしている薄汚い野郎なのである。 そこから読まれてしまったら、私は泣くしかないのである(T∇T)。 こんな若さで、人の弱点を正確に突く術をあぐにさんは身につけているのである。なんという天稟。末恐ろしいとはこのことであろう。さて、どういう末に向かってるのか(~_~;)。
アニソンしばりをかけなかったおかげで、外国曲まで混じってくる。 しげが、“Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)”なんてのを歌い出したものだから、こうたろう君、「オヤジ世代直撃だねえ」とビックリする。なあに、しげはダン・エイクロイド主演の『コーンヘッズ』でこの曲が使われてるから、何度も聞いて覚えちゃってるだけなのだ。 だから、しげが聞いていたのは、オリジナルのフランキー・ヴァリ版ではなくて、a−haのモートン・ハルケット版の方。でも、そのことを抜きにしても、50年代、60年代のオールディーズ、名曲が多かったよなあ。ダンがらみであっても、こういう曲をしげが好きになってくれるのは嬉しいのである。 だって、泣けるじゃん。
芝居の時間が迫ってきたので、最後はヨナさんの『シビビーン・ラプソディー』でシメ。 カラオケの様子は記念にとビデオカメラで撮ったのだが、しげがこういうのをいやがるのであまり連続しては撮れず。私を撮るのは喜んでするくせに、不公平なのである。
カラオケハウスを出て、あぐにさんとはここでお別れ。ホントにカラオケをしに来ただけであった(~_~;)。また機会がありましたら、ゆっくりと落ちついた店などでお話しなどいたしましょう。
ヨナさんに案内して貰って、舞台『奇跡の人』の公演のあるBunkamuraまで移動。私の大学時代にはまだなかった劇場である。NHKの劇場公演ではやたらと「Bunkamuraシアターコクーン」と表示が出るので、一度来てみたかったのである。 でも、「村」っていうから、広大なトチにポツポツと劇場が建ってるのかなあ、と思ったら、ただのドデカイビルなのであった。いや、別に腹が立ったわけじゃないけどね。 開場時間まで、どこか喫茶店でひと休み、と思ったのだが、残念ながら休日の渋谷はどこも満杯なのであった。名残惜しいが、ヨナさんあやめさんともここでお別れ。 ……しまった! あやめさんのコスプレ写真、見せてもらうの忘れてた! 次のときに頼みます(^_^;)。
またまた枚数オーバーしたので、『奇跡の人』観劇記はまた明日。
2002年03月02日(土) イビツな職場だと思うぞ、実際/『ビートたけしドラマスペシャル 張込み』/『真・無責任艦長タイラー�Αヽ�旋編』(吉岡平)ほか 2001年03月02日(金) あっいぃ、うー、えぇおー♪/『ドラゴン株式会社』(新谷かおる)ほか
| 2003年03月01日(土) |
パニック・イン・トキオまたはJ○A金返せ凸(`0´)凸/舞台『愛とバカユージ』 |
雨こそ降っていないが、朝からどんよりである。うう、今日はいよいよ東京行きの当日だってのになあ。 私もしげも、雨男・雨女とまでは言わないが、旅行中に雨に降られることは結構ある。私は土砂降りででもない限り、雨降り自体はそんなに気にならないのだが、ともかくしげが傘を差したがらないのが困るのである。雨で体が濡れるより、傘を差すほうが面倒臭くってイヤだと言うのだが、そこまでせっかちなのも周囲に気を遣わせるばかりだし、やめてもらいたいんだがなあ。
曇天を眺めながら、ふと、もう30年も昔のイヤな記憶を思い出してしまう。 小学校の修学旅行のバスの中、やはりそのときも雨に降られていた。篠突く雨、というほどではないが、外を出歩くのにはやはり躊躇せざるをえない程度の降りだ。何気なく、「ぼく、外に出るとよく雨に降られるんだ」と呟いた。 途端に、前の席にいた友達が「こいつ、雨男だ!」と叫んだ。全員ではないが、結構な数のクラスメートが、私の方を振り向いた。その目はみな、私への非難の色に満ちていた。 まあ、私もクラスの中であまり好かれていた方だとは言えない。昔からリクツっぽく、歯に衣着せぬモノイイをする方だったので、「でしゃばり」と見られていたのは確かだからだ。 しかし、私がそのとき驚く、というより呆然としてしまったのは、雨天のためにいくら不自由を強いられているとは言え、その憤懣を「雨男」などという非科学的な迷信に帰結させて誰かに責任を取らせたがった、その心理にである。私に対して「ナマイキなヤツ」という印象を持っていたとしても、そんなくだらない、明らかに偏見としか言えない理由で人を憎める、というのが私には信じられなかったのだ。 そのときの私はどう反応すればよいか分らず、ただ俯くしかなかったが、「雨男だ!」と叫んだ友達も私が悔しがってるとでも判断したのだろう、それ以上はからかうことをしなかった。 オトナになって、人には自らを慰めるための「偏見」もまた必要なのだなあ、と思うに至って、あのときのクラスメートたちの理不尽な視線も許せるようになった。まあ、怒ってたわけではないから。 それ以来、ずっと許し続けてる気がする。
「私は天気を自由に操れるんですよ」と称する人と知り合いになったことがある。 「明日の天気を自由にできるって言うんですか?」 「できますよ」 「それは何かこう……念力とかで?」 「ええ。信じないんですか?」 「いえ、信じる信じないではなくて、どうしたらそういうことができるかなあって……」 「やっぱり信じてないんですね。そんなことはありえないって頭から否定するんですね」 「……ああ、泣かないで下さい。凡人にはなかなかそういうことは信……ピンとこないものですから」 「じゃあ、信じてくれるんですか?」 「明日、ちょっと遠方に出る用事があるんですが、晴れにできますか?」 「『できますか』って……やっぱり信じてないいい!」 「ああ、信じます信じます。明日、晴れにしてください」 もちろん、次の日は雨であった。一応、その人を信じることにして傘を持っていかなかった私は、ぐっしょり濡れネズミになった。 そしてさらに翌日。 「昨日はどうでした? 雨は降らなかったでしょう」 「ええ、降りませんでした。ありがとうございます」 直前まで、正直に「思いっきり濡れちゃいましたよ」と言おうかどうか迷ったのだが、その人の顔を見たら、何も言えなくなった。
なんだか、雨に関してロマンチックな思い出がないなあ。
午前中は大仕事。12時には終わる予定が、長引いて1時を回っても全然片付く気配がない。 飛行機の出発時刻は2時半なので、このままでは乗り遅れてしまう。気ばかり焦るが、焦ったところでどうにかなるものではない。ようやく仕事にひと区切りをつけて、職場を出たのが1時半。外はやはり雨になっていた。 バスを使っていては、到底空港に間に合う時間ではない。しげは空港でいい加減、痺れを切らせているはずである。 携帯の電源を入れて、着信記録を見てみると、やはり3度ほどしげから連絡が入っている。怒ってるだろうなあ、と思いつつも、連絡を入れないわけにはいかない。しげの携帯番号を震える手で押す。 「ああ、しげ? やっと仕事終わったから」 「……ああ」 しげの声、心なしか元気がない。でもなぜか怒っている様子でもない。 「今からタクシーすっ飛ばすから」 「ああ」 「大丈夫だよ、間に合うよ。駆け込みにはなると思うけど」 「ああ」 ……確かに反応がおかしい。気が抜けているというか、上の空と言うか、そんな感じだ。しかし、今は疑問に頭を捻っているヒマはない。とにもかくにも、ただひたすら空港を目指すしかないのだ。
拾ったタクシーの運ちゃんが、私の「急いでください」の越えにお気楽に「(1時)40分には着きますよ」と答える。「えっ? 40分もかかるんですか?」と聞き間違う私。「いえ、10分くらいで着きますよ」と言って運ちゃんは時計を指差す。私も相当焦っているのである。 ぴったり40分には着かなかったが、45分過ぎには福岡空港に到着。港内に駆けこむと、丁度そこにしげがいた。 息せき切りながら側に駆け寄って、声をかける。 「搭乗手続きはした?」 うなづくしげ。 「じゃあ、急いで行こうか。もう乗りこまんといかんやろ」 「まだ乗れんよ」 ようやくしげの表情がヘンなのに気がついた。いつもヘンな顔だが、それがどうももっとヘンなのだ。 「出発が遅れてるの? 雨のせいか?」 「違うと。コンピューターのシステムエラーで、全然飛行機が飛んどらんと」 「はああああ?」 「あんたに連絡しても全然繋がらんし、帰ろうかと思ったけど……」 そう言って、しげは、ごそごそとチケットを取りだした。 「予約しとったのは4時過ぎにならんと飛ばんのよ、だけん、一つ前の便に切り替えてもらった」 その「一つ前の便」も、本当は12時40分に出発の予定が、2時40分に遅れているとのことである。しかし、決して今日の芝居の公演に間に合わない時間ではない。4時なら絶望的だが。 多分、慌てて前の便に切りかえた客もほかにたくさんいたと思われる。殆どの便が飛んでないとすれば、そうそう座席に余裕があったとも思えない。飛行機が欠航、と聞いた時点でしげ、すばやく席を確保したのだ。 これが普通の人間なら、「おお、よくやったじゃん」のヒトコトですむところである。しかし、ここで機転を働かしたのは、あのしげなのである。血の巡りが人より五倍は遅い、しげなのである。結婚以来、いや、出会ったその日から数えても、ここまで臨機応変に対応できたことなど一度もない。なんという奇跡か。私の脳裏にいきなり「花のワルツ」が響き渡った。 思わずしげを抱きかかえて、空港ロビーでフラメンコを踊りたい気分になったが、体力がないのでやめる。目線だけはしげに熱く熱く送っといたから、多分私の喜びに気がついてくれたことであろう。 搭乗手続きを済ませて、発着ロビーに移動。大荷物をそのまま持ちこもうとする私を見て、「手荷物四つも持ちこめないんだよ」としげが心配するが、無視。荷物を全部預けてたら、到着口でやたら待たされるのは経験済みである。第一、空港の係官も実際には3、4個の手荷物を持ってても文句はつけないのだ。 昼食を食べてなかったので売店を覗くが、これと言って食べられそうなものがない。サンドイッチ一つないのだ。仕方なく、フグのカマボコを買って、お茶で飲む。しげにも食うかと奨めるがクビを横に振る。とても落ちついていられないらしい。「もう間に合わんよ」とボソリと呟く。 「間に合うよ。オレ、こういうときの運は強いから」と慰めるように言うが、しげ、「ナニ根拠のないこと言ってやがんだこのクソオヤジ」といった目で私をギロリと睨む。どうも気休めが通じる心境ではないらしい。 離陸予定の2時40分を過ぎても、搭乗カウンターは閉鎖されたまま。「搭乗予定の飛行機が到着」とだけアナウンスが流れたが、今、飛行機が着いたばかりなら、点検でまだまだ時間がかかるはずだ。 スチュワーデスが無線を片手に行ったり来たりしてるが、聞こえる声は「まだ準備中」とか「お子さま連れだけ先に」とか、希望に繋がるものではない。しげの顔がますます暗くなる。 ようやく搭乗できたのが3時。機内アナウンスで機長が「1時間10分で東京に参ります」と、いつもより猛スピードで飛ぶことをアピール。「遅れてすいません、許してえな許してえな」ってことが言いたいんだろうが、必ずしも低姿勢に聞こえないのは日頃空飛んでて人間を低く見てるのに慣れてるせいか。そんなアホなことを考えてしまうのも、私の心が疲れているせいであろう。いつもは飛行機に乗ると必ず機内放送で落語を楽しむ私も、今日は音楽ひとつ聞く気になれなかった。 しげは席に着くなり、着かれきった顔で寝息を立て始めた。夕べも仕事で、多分まる一日くらい寝てないはずである。 芝居を見終わったら、ホテルでぐっすり眠れるから、今はゆっくり寝てなさい。……と言いつつ、私も寝る。おかげで二人とも、機内サービスのジュースを飲み損ねたのであった。
羽田到着、4時20分。ホントに1時間10分ほどで着いた計算になる。がんばったな機長。翼がやたら軋んでて、空中分解するんじゃないかと、ちょっと怖かったが。 しげ、着陸の案内に目覚めて、「寝とった……」と呟く。目をつぶって、そして目を開けたらもう福岡から東京に移動してしまっていたような感覚か。 しげが相当腹をすかしていたので、まずは空港のレストランで食事でも、と誘う。定食が1500円くらいするが、東京のしかも空港内ならこんなものだろう。 しげは食事中もまだ、芝居の時間を気にしているようだったが、自嘲するような口調で「どうせ最前列はもう無理だろうから、ゆっくり行くんでいいよ」とちょっと泣き顔でブツブツ言っている。でも、モノレールから山の手線への連絡時間を計算に入れても、芝居のあるラフォーレ原宿まで、1時間もかかりはしないだろう。しげはいつでも悲観主義過ぎるのである。 と考えた私は楽観主義に過ぎたかもしれない。 モノレールに問題はなかった。浜松町から山手線に乗り換えて、ひと駅先の田町まで来たところで、突然、電車が動かなくなった。 「人身事故がありまして、山の手線はただいま復旧の目途が立っておりません」 思わずしげを見た。固まっている。トンカチで叩いたらそのままバラバラになつて崩れ落ちそうだ。 ああ、こうも悪い偶然が重なることってあるのだろうか。金田一か。 書いてる私自身、これをドラマにしたら絶対「リアリティがない」って突っ込まれるよなあ、と思うが、これは全て実話なのである。 何があったのかよく分らないイラン人だかインド人だかって感じの外人が喋りかけてくる。そんなもんを相手にしている余裕はない。首を横に振って無視すると、この外人、「ケッ、こいつ、英語もわからねえかよ」みたいな軽蔑のまなざしを向けてくる。そいつの後ろ頭をちょうど手に持っていたチェーンソーで輪切りにしてやりたくなったが、グッと我慢。今はともかく、少しでも先に進むことのほうが先決だ。 ちょうどやってきた京浜東北線に乗り換えて、大井町まで。そこから更にりんかい線に乗り換えて、大崎まで。そこでもう一度山の手線に乗り換えたところで、ようやく山の手線が復旧。 結局、ふた駅ほど遠回りしてもとに戻っただけのようだが、これでもただ待っているよりは5、6分は先に着けるはずである。今はその、5、6分が惜しい。時計はもう、6時を回っているのである。
ラフォーレ原宿に辿りついたのは開場の6時半ちょうど。傘をカバンの中から出すヒマもなかったので、駅からラフォーレの間の100メートルほど、二人ともずぶ濡れになる。なあに、どうせ会場に集まったお客さんの熱気で、こんなのはすぐ乾いちまうだろう。 入口には長蛇の列が出来ていたが、予約チケットの整理番号の通りに並んでいたので、開場時間に間に合いさえすれば、まあまあ前のところに並べるのであった。 開場して、たいていのお客さんがパイプ椅子に座っていく。でもよく見ると前に座布団がたくさん敷かれてあって、桟敷席扱いになっている。だったらそこで見たほうがいい、と最前列に陣取る。舞台を見上げる形にはなるが、多分、中村有志さんも前まで出て来てくれるんじゃないか。 それにここなら、靴を脱いでも怒られやしないだろう。
舞台『愛とバカユージ』。 舞台には幕はない。シティボーイズのみなさん他からの献花が舞台の両端に立てられているが、これがちょうど袖の役割を果たしている。 舞台の4ヶ所にマネキンが立っていて、中村さんが着るらしい衣装を身にまとっている。一人芝居だから、着替える様子も舞台上で見せてしまおう、という趣向なのだろう。イッセー尾形の舞台もこんな感じだ。考えてみたら、イッセーさんもゆーじさんも福岡出身。福岡出身者は一人芝居のスケッチをしたがる傾向があるのかな。
舞台が一瞬暗くなり、音楽とともに中村有志さん、いきなり全裸で登場。 と言っても、腰回りはバスタオルで隠している。そのバスタオルの中央が、急にムクムクと盛り上がってくる。 マジックの初歩、「ボールのマジック」をもじった、「ポール(^o^)のマジック」というところか。つかみのスケッチとしてはまあまあ。
続いて、「夫婦一人浴衣漫才」(適当なタイトルつけてるだけで、チラシにこんなことが書いてあるわけではありません。以下も同様)。右手だけを浴衣に通して、それを自分の相方の奥さんに見立てて、一人芝居をするのである。結婚する前の昔の彼女の話なんかをして、つねられたり叩かれたり、○○○○揉まれたりするのだが、こういう単純なギャグは、タイミングが上手くないと白けてしまう。その点、中村さんは安心して見られる。 どうやら今回の舞台、一貫したストーリーがあるわけではなく、様々なスケッチを手を変え趣向を変えて見せるのが主眼らしい。ちょっと前のシティボーイズと同じような構成だな。
一人二役による、オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』のパロディ。貧乏な夫婦が、お互いに贈り物をしようとする。夫は自分の時計を売って、妻に櫛を買ってあげる。妻は髪をハゲにして、夫の時計のバンドを買ってあげる。賢者じゃなくて、「愚者の贈り物」って感じのオチ。話だけならつまらないので、これが笑えるのはまさしくゆーじさんの演技力によるものだ。 いや、笑うと言うより、引きつってたかな。なんたって、私ゃ、ゆーじさんが裸エプロンで「ああっ!」て号泣するのを真正面で見せられてんですから(^_^;)。
「仁義なき三姉妹」とでも題すべき今回最大の爆笑スケッチ。 三姉妹がマンションで拾ってきた猫を飼うかどうかってのを言い争うのだが、その3人を菅原文太、金子信雄、田中邦衛で演じるのである。名前はそれぞれ、広子、山子、槙子。広子と槙子はともかく、山子はねえだろ(^_^;)。もちろん、『仁義なき戦い』から取ってるわけだからそういう名前にするしかないんだが。 いやもう、どう面白いかって、こんなの説明のしようがないよ。ともかく「似てる」んだから。 最後に猫が死んじゃって、山子ねえさんが「わ、わしのせいやないで!」と叫びながら、それを無視するように広子が「何で猫が死んどるんじゃあああ!」と叫ぶあたり、マジで舞台に3人が同時に立っているように錯覚した。 上手い。
「呪いのサンダル」を履いたものが、次々と殺戮を繰り返す。 ホラーとコメディは髪一重ってところをゆーじさん、よくわかってらっしゃるなあ、と感心しちゃう、これも傑作スケッチ。 「カピターン、カピターン、カピターン、カピターン……」とサンダルの音がするたびに、その人は心の奥底に隠していた自らの邪な心を発露させてしまうのだ。なにより、滑稽と恐怖が見事に融合している擬音がスバラシイ。中村さんの言語感覚って、やっぱ凄いよな。
ラストは、イブニングドレスのゆーじさんが花びらを散らしながら歌い踊る「ひとり上手 韓国語」(^o^)。いや、韓国語かどうかよくはわからんが、そう聞こえたから。ともかくヘンな言語です。 で、私も、花を一輪、頂きました(^_^;)。
時間はほぼ1時間半。シティボーイズの芝居は2時間から2時間半が普通なのだけれど、一人芝居だと、この長さが限界なのかなあ。確かに、もう最初の10分くらいで、中村さんは汗びっしょり、時々飛沫がこちらに飛んで来ていた。でも、もう一つ、あと一つ、スケッチを見たくなるような濃い1時間半であった。
雨はまだ止まない。けれど今度はカバンの中から折りたたみ傘を出す余裕があったので、しげに差しかける。しげ、晴れ晴れとした笑顔で、ほんの数時間前までの焦燥ぶりがウソのようである。いったんは本気で東京行きを諦めていたみたいだから、よっぽど嬉しかったのだろう。 ホテルは渋谷の東急イン。芝居が意外に早く終わったので、辿り着いたのは、9時ごろ。チェックインして、まずはこうたろうくんに電話を入れる。今日いちんちがどれだけ大変だったかを報告。と言っても喉元過ぎればなんとやらで、つい、面白おかしく「もうエラい目に遭いましたわ」みたいな感じで喋ってしまう自分がちょっと情けない。明日の待ち合わせ時間を確認、寝過ごさないよう、モーニングコールを頼んだら、わざわざホテルまで来てくれるとのこと。全く、いいトシをして私も友達に甘えっぱなしである。 コンビニで食料を買い込み、マクドナルドで夜食を済ます。東京まで出て来てマクドナルドかって感じだが、渋谷の名物料理店なんて知らないんだから仕方がない。ヘンなところに入ってボッたくられるより、ずっと安全である。そのころには、今日一日の疲れが一気に押し寄せてきた。肩の重さを実感する。4個も荷物を持って歩きまわってたんだから当たり前だが。時間に遅れなければ、先にチェックインして身軽になってから芝居を見に行くつもりだったので、これも誤算である。 ホテルに戻って、風呂を溜め始めたはいいものの、ついウトウトしていたら、湯舟から湯が溢れてしまった。一応、風呂桶(バスタブって言えよ)に湯が溢れないための排水口はあったのだが、湯の勢いが強かったか、排水管の流れが悪くなっていたか、どちらかであったらしい。 慌てて、バスマットで床を拭くが、よく考えたら、こういうのもホテルの人があとで片付けてくれるのだ。どうも庶民ってやつはホテルなんてとこには泊まりなれてないから、こういう突発事態にはうまく対処できずにオロオロと焦ってしまいやすい。それとも私だけ? あとは、爆睡。(∪。∪)。。。zzzZZ
2002年03月01日(金) 福岡デパート事情/映画『吸血鬼ハンターD』(1985)/『20世紀少年』8巻(浦沢直樹)ほか 2001年03月01日(木) ダブルマインド/『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』(上遠野浩平)
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☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
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