雨のち晴れ。朝方の雨はにわか雨だったようだ。
日中はよく晴れて厳しい暑さとなる。
福岡県、大分県では大雨特別警報が出され河川の氾濫、土石流など
亡くなられた方や行方不明の方もおられなんとも心が痛む。
大分と聞き真っ先にとくさんを思ったが大分市内は大丈夫のようだった。
けれども同じ県内の水害に気が気ではなかったろうと察せられる。
雨雲は明日も停滞するとのこと。これ以上の被害が無いことを祈るばかりだ。
今朝は山里に着くなりもう稲の穂が出ているのを見て驚く。
稲の成長は早くあとひと月もすれば稲刈りになるのだった。
これから台風シーズンとなるので心配ではあるが
どうか無事に収穫が出来ますようにと祈っている。
義父は今日も消毒だった。いもち病が拡がっているらしい。
本業の仕事も忙しいがどうやら二の次のようだ。
とにかく要らぬ口を挟んではいけない。義父の顔色を窺うばかりである。
そんなこともあってかやはりストレスを感じずにはいられない。
だから喫煙が許されるとは思ってもいないが
多少のきっかけにはなっているようで考えさせられる。
それは同僚も同じなのではないだろうかと思う。
同類相憐れむではないが同僚は確かに私を憐れんでいるようだ。
それは今までもずっとそうだったしこれからもあり得ることだろう。
3本が6本になりとうとう10本になろうとしている。
最初のうちは有難迷惑だと思っていたが今はそうは思わない。
有難くて涙が出そうになる時がある。
かと言って嬉しくはないのだ。これはとても複雑な心境であるが
私は心の片隅で吸いたくて吸っているのではないと思っている。
同僚が心を鬼にしてくれさえしたら禁煙は完璧なのだと。
そう言ってしまえば責任の転嫁になってしまうだろう。
一番の問題はやはり私の意志の弱さなのだと思う。
その弱さを強さに変えるには人としての本質というか難しいが
根本的な問題を解決していかなければいけないのだと思う。
「変わりたい、さあ変わりましょう」そんな簡単なことではない。
たとえば私の性格そのものを変えるとなると困難に思える。
生まれつきのものもあるだろうし育ってきた環境もあるだろう。
私という人格は自ずから作ったものではないのかもしれない。
その私を客観的に見ることも必要なのではないだろうか。
こうして書いているときりがなく増々複雑化してくるが
私は決して自分を正当化しようとしているのではない。
私はこれまで生きて来たしこれからも生きて行く。
喫煙は愚かなことかもしれないけれど
決して私を貶めるものではないのだと思う。
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